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FXライフ 55 東南アジアの通貨 フィリピンとブルネイ

7000を超える諸島から成るフィリピン。通貨はフィリピン・ペソ(PHP)だ。1997年のアジア通貨危機によってフィリピン・ペソの対米ドル相場が下落。物価上昇を背景に、消費者の購買力が低下し、経済成長は低迷した。しかし、タイやインドネシアなど周辺諸国と比較するとバブルの度合いが少なかった分、回復は早かった。


ペソの対ドルレートは、近年の財政収支の改善、海外からの証券投資流入や海外からの送金増などを背景に上昇を続けている。輸出型の企業には痛手となっているものの、2006年の貿易額は、輸出入ともに過去最高を記録した。


輸出全体の約6割を占めるエレクトロニクス製品は、世界的なIT需要の回復を受けて、2006年の輸出を牽引。ただし原油高の高騰がフィリピンにも大きな打撃を与えている。


フィリピンの主要産業は農業、電子・電気機器、サービス業などだが、食料の自給率は低い。GDPを支えているのは海外労働者の送金である。これがフィリピンの大きな特徴だ。フィリピンは海外労働の経済依存度が世界一高い国。人口の1割近くが米国、サウジアラビア、マレーシア、カナダなど海外で働いている。日本でも約30万人が働いているとされている。こういった海外労働者からの送金額がとてつもなく多い。2006年の海外からの送金額は、前年比17%増で過去最高の124億4,810万ドルに達している。これによって2006年度のGDPは6.2%という好調さだ。ただし10年続けて失業率が10%台を推移しており、貧富の差は著しい。


近年の穀物価格の高騰も大きな影響を与えている。さらに追い打ちをかけるように、インドやベトナムなど、アジアの米の輸出国が輸出制限措置を始めたことも国民生活を圧迫している。米の不作が続き、国内価格が高騰したことで、各国がフィリピン向けの輸出量を調整したのだ。フィリピンでは、消費者のまとめ買いを避けるために小売店が販売量を制限しており、2007年から小さな暴動が相次いでいる。


ブルネイは三重県とほぼ同じ面積の小国。正式国名はブルネイ・ダルサラーム国だ。マレーシア、インドネシア同様、イスラム国家だ。通貨はブルネイ・ドル(BND)。シンガポール・ドルと等価交換されている。


1984年にイギリスから独立した。マレー人から成る小国だが、石油と天然ガスが産出することから経済水準は高い。物価は高いが、その分、社会福祉が充実しており、個人に対する所得税は課税されない。また、国の規模に比べると国防費が大きいのも特徴だ。軍隊の装備は、イギリス、フランス、アメリカ製がほとんどを占めており、海軍は沿岸の警備と沖合の油田の防衛を任務としている。


石油・天然ガス部門がGDPのほぼ半分、輸出のほとんどを占めている。GDPは原油高の恩恵を受け、2006年度に5.1%を達成。インフレ率は1.2%、失業率4.0%と安定している。石油、天然ガスの輸出国は、日本、インドネシア、韓国など。


注目すべき点は、石油と天然ガスに依存する産業構造から脱皮するため、石油・天然ガスを原料としたメタノール事業と金融業の育成にオイルマネーを投資していることだ。中東産油国同様、将来の石油枯渇に備え、オイルマネーを金融業に注ごうとしている。アジアのイスラム金融は、マレーシアが拠点となっているが、同じイスラム国家として「金融センター」化しているマレーシアを強く意識しているのだろう。ブルネイの主要輸出国である日本は、イスラム金融システムで取引をしなくてはいけない時期がやがてくるかもしれない。

By Master K/益田 慶


FXライフ 54 東南アジアの通貨 シンガポールとタイ

マーライオンで有名なシンガポール。東京23区とほぼ同じ面積でありながら、アジアのハブ港であり、世界の金融センターでもある。シンガポールがその地位を築くことのできた背景には、アジアと欧州、中東を結ぶ交通の要所にあるため古くから東西貿易の拠点となって繁栄し、海運産業や航空産業が発達したこと、英語が公用語であることから多国籍企業のアジア地域の拠点となったことなどが挙げられる。


たとえば2005年のコンテナ取扱数の世界ベスト5は、シンガポール港、香港港、上海港、深セン港(中国)、プサン港(韓国)だが、シンガポール海事港湾庁のデータによると、コンテナ取扱量のみならず、寄港した船舶の総トン数と船舶燃料供給量もシンガポール港が世界一の規模を誇っているという。物流の拠点は、貿易の拠点だ。


通貨は、シンガポール・ドル(SGD)。2003年に消費税が4%から5%に上げられ、2007年には7%になった。GDPは8.7% (2004 年)、6.4%( 2005年)、 7.9%(2006年)と順調に推移している。失業率は2.6%と低い。日本同様、エレクトロニクスや化学関連機器、精密機械に強みがあり、運輸業、サービス業、金融業が発達している。


多国籍企業が進出しやすい環境に、シンガポールにとって特に有益な事業へ新規参入する企業に対する税制上の優遇措置がある。最初の生産開始日から5~10年間、全額租税免除というものだ。日系企業は2000社、在留邦人は約26000人。日本とは貿易面で利害が一致する点が多くあり、日本最初の地域貿易協定は、同国との間に結ばれた「日シンガポールEPA」だ。金融センターとしての発展にも目を見張るものがある。サブプライムローンで大きな損失を負ったスイスの銀行UBSに融資したのが、政府系ファンドの「シンガポール政府投資公社(GIC)」だ。GICの運用資産は3300億ドルある。


シンガポール同様、東南アジアにおける代表的な工業国がタイだ。通貨は、タイ・バーツ(THB)。1985 ~1995年の10年間、平均9%成長を記録したというから、かつての日本と似ている。しかし1997年に始まったアジア通貨危機で大きな経済的な打撃を受けた。この際に「1ドル=25バーツ」の固定相場を廃止したが、バーツが大幅に下落。一時は1ドル56バーツまで値下がりし、経済危機が発生した。タイはIMFや日本の支援を受け、経済再建に取り組んだ。またこれをきっかけに財閥支配の廃止、外国資本の受け入れを進め、2003年にはGDP6%まで回復。2007年度のGDPは4.8%、インフレ率2.3%、失業率1.5%と安定している。


1980年代以降、円高、賃金の安さに加え、国内市場の拡大に着目した日本をはじめ、欧米の企業が積極的にタイに進出。日本の自動車関連企業や家電メーカーが進出している。在留邦人は約40000人。コンピュータ、自動車部品、天然ゴムを米国、日本、中国などに輸出し、日本や中国から機械、化学製品を輸入。マレーシア、アラブ首長国連邦から原油を輸入している。


日本からすれば、タイはASEAN諸国(ブルネイ・ダルサラーム、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、ベトナム)への輸出拠点となっているため、タイに機械部品を供給し、タイで加工してベトナムに輸出するといった「三角貿易」も盛んに行われている。


2008年4月には、日本とASEAN10カ国との間で日本ASEAN包括的経済連携(AJCEP)が署名された。発効は未定だが、これによって日本の家電製品が関税をかけずにタイ国内に届けられることをタイでは期待しているという。


By Master K/益田 慶


FXライフ 53 東南アジアの通貨 インドネシアとカンボジア

日本の約5倍の面積を有するインドネシア共和国。赤道をまたがる17500もの大小の島から構成されている。日本人観光客の多いバリ島やジャワ島、スマトラ島などがよく知られている。2億4000万人の人口は、現在世界第4位。大半がマレー人で、宗教は全体の87%を占めるイスラム教。12世紀以降、イスラム商人がイスラム教をもたらし、東南アジア屈指のイスラム教国家になった。


通貨はインドネシア中央銀行が発行するルピア(IDR)。通常「Rp」と表示される。ちなみに「ルピア」はインドの通貨ルピーから来ている。
1997年7月の「アジア通貨危機」はインドネシアにも少なからず影響を与えた。タイがパーツを変動相場制へ移行したことで、インドネシア政府はルピアを8%から12%に固定したが、すぐに変動相場制に移行。


するとルピアが値下がりを始めた。インドネシア企業はドル建てで資金調達していたので、借金が増える結果となった。そこでIMFは230億ドルの支援を断行。通貨危機は国内のインフレを起こし、食品価格の高騰により暴動まで発生した。これによって独裁者のスハルト大統領が辞任した。


近年、経済成長は5%台で推移している。2005年は石油燃料価格の値上げに端を発するインフレ(17.1%)と高金利によって苦しい1年だったが、2006年はインフレ率・金利の低下に伴い、消費が回復し、また過去最高額を記録するなど輸出が好調だったこともあり、経済は回復基調となった。その要因は、天然ガス、アルミ、スズなど鉱業資源が高値で輸出できるようになったからである。OPECに加盟する産油国だが、2004年以降は原油の輸入量が輸出量を上まわるようになり、2008年12月にOPECを脱退する予定だ。ほか軽工業、食品工業、化学繊維、パルプなど工業が盛ん。日本企業も数多く進出している。


ベトナム、タイ、ラオスと接するカンボジアは1953年、フランスから独立した。9割がクメール人から成る王国だ。ベトナム戦争の際に、カンボジアにまで南北ベトナムとアメリカが介入したことで内戦が勃発。共産主義のポル・ポト政権時代には200万人もの国民が殺害されたとされている。


通貨は、リエル(KHR)。ただしリエルはドルに弱く、国内では米ドルが使われている。事実、国内のスーパーやコンビニでは商品の価格はドル表示だ。またタイ国境に近い地域では、タイ・バーツも使用される。ドルのレートは、1ドル4100~4200リエル。それでも、一般の商店で支払いをする時には1ドルは4000リエルとして計算されるので、ドルをリエルに両替しておけば、1ドルにつき100~200リエル得する計算になる。ただし店によっては、1ドル=4200リエルと定めている場合もあるので、要注意だ。


主要産業は、農業、工業、サービス業。農業は労働生産性が低く、国内需要を満たす程度の量にとどまっているが、葉たばこと天然ゴム、木材などは輸出している。鉱物資源としてリンやマンガンがあるが、未開発だ。しかし、経済成長率は、2004年 10%、2005年 13.4%、2006年 10.4%と順調に推移している。内戦によって「貧困国」となった同国の成長率を牽引しているのは繊維産業だ。中国やベトナムよりも賃金がはるかに安いことから、世界の繊維縫製産業の新たな工場として注目されているのだ。2004年に縫製工場の数は約220カ所、従業員数は約25万人だったが、2007年には工場約290カ所、従業員数約32万人に増えている。


さらに最近、南海岸で大規模な油田や天然ガス田まで発見された。海底油田の埋蔵量は最低20億バレル、天然ガスの埋蔵量は10億立方フィートに達すると考えられる。海底油田が本格的に開発されれば、カンボジアは毎年20億ドル(約2400億円)の外貨収入を得ることになり、GDPは現在の2倍になるだろうと見られている。すでにこの地下資源開発をめぐり、米国・中国・日本・タイ・韓国などが触手を伸ばしている。


さらに首都プノンペンや観光都市のシェムリアップなどには、ホテルやリゾートマンションの建設、ニュータウンの開発を目指した不動産投資ブームが巻き起こっているという。2006年には、外国人のカンボジアへの直接投資の金額は23億3400万ドル(約2755億円)に達し、過去10年間の合計額をも上回った。カンボジアは「世界の工場」になるのか注目したい。

By Master K/益田 慶

 


FXライフ 52 中央アジアの通貨 トルクメニスタンとウズベキスタン

トルクメニスタンは、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。面積は日本の1.3倍。1991年に共和国独宣言を発し、ソ連から独立した。しかしニヤゾフ大統領時代(1990~2006年)は、完全な独裁体制から「中央アジアの北朝鮮」といわれ、鎖国状態が続き、民主化は停滞した。通貨は、1993年に導入されたトルクメニスタン・マナト(TMM)。アゼルバイジャン・マナト(AZM)との関係性はない。


独裁国家には珍しく、日用品の物価が低く抑えられているほか、教育・医療費が無料となっており、国民生活は裕福だ。その理由は、世界第4位の埋蔵量を誇る天然ガスを有し、その輸出と綿花生産を基盤に高い経済成長率を維持しているからだ。2006年のGDPは9%。しかしその一方で、いまだ統制経済的性格が強く、貿易投資環境整備は遅れている。農業部門は、隣国ウズベキスタンやタジキスタンと同様に、大規模な灌漑による綿花生産が中心だ。


トルクメニスタンは2006年、ロシアに天然ガスを供給する25年契約を結び、2007年には、トルクメニスタンからカスピ海沿岸に沿い、隣国カザフスタンを経由してロシアに至るガスパイプラインの建設に合意した。しかし、トルクメニスタンはロシアへの依存度を減らすことも忘れていない。近年は天然ガスの供給先の多様化、搬出ルートの多様化を図る中で、イラン、アフガニスタン、中国との関係を進めている。2007年7月には中国石油天然気集団(CNPC)がトルクメニスタンから天然ガスを毎年300億立方メートル購入することを盛り込んだ契約を結んだ。天然ガスは計画中のパイプラインを通して輸送されるという。天然ガスで潤う国は、したたかな外交を展開している。


隣国のウズベキスタンも天然資源に恵まれ、天然ガス、原油、金などが豊富な国だ。通貨はスム(UZ)。現スムを両替できる場所は、銀行、空港、外国人向けホテルなどに限られ、使用できるのは米ドルが一般的。
ウズベキスタンが世界から注目を集めているのは、世界第7位の生産量を誇るウランを有しているからだ。同国には全世界のウラン資源の約3%に相当する9万3000トンのウランが埋蔵されており、現在年間約2500トンを生産している。


日本をはじめ原発推進国は「ウラン外交」を展開している。
2006年、国営会社のウズベクネフテガスが韓国石油公社および韓国ガス公社が、ウズベキスタン東部の石油・天然ガス鉱床の開発を共同で行なうことに合意。2007年7月には、甘利経済産業大臣がウズベキスタン・カリモフ大統領と会談し、原子力発電の燃料となるウランの鉱山を共同で開発していくことに合意した。その契約は、伊藤忠商事がウズベキスタン政府との間で結ばれた。ウランの価格はこの7年間で16倍になり、発電量の3分の1を原子力に依存する日本にとって長期的なウランの確保が課題となっている。


資源高で増収の三井物産も黙ってはいない。三井物産は2008年7月、ウズベキスタン共和国の政府機関であるゴスコムゲオロギー(地質鉱物資源国家委員会)と、ウズベキスタン国内の「黒色頁岩」型ウラン資源開発の地質調査活動を行なうための合弁会社設立を検討する基本合意書に調印した。


ウズベキスタンは、金、銀、銅、リン鉱石も産出する。資源高の影響でGDPは2004年から2006年まで3年連続で7%の高水準を維持した。失業率も0.3%と低い。しかし、皮肉なことに富の集中が進み、貧困層が広がっているのも事実。米国、日本、ドイツ、スイスなどがODA援助国として援助を続けている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 51 中央アジアの通貨 キルギスとタジキスタン

キルギス共和国は、カザフスタン、中国、タジキスタン、ウズベキスタンと国境を接する内陸国。国土の40%が標高3000メールを超える。面積は日本の約半分。唐、ウイグル帝国、モンゴル帝国、 ロシア帝国、ソ連など、大国に支配され続けた歴史をもつ。通貨は、ソム(KGS)。1993年にソビエト・ルーブルの代わりに導入された。


隣国のカザフスタンは地下資源に恵まれた国だが、キルギスは、金、水銀、アンチモン以外の資源はない。独立以降、ソ連崩壊の混乱から経済は伸び悩み、経済改革も進まなかった。GDPがプラスに転じたのは、1996年。それでも貧困対策が必要とされ、ODAによって米国、ドイツ、日本、スイス、イギリスなどが援助国となった。


主要産業は、タバコや綿花の栽培と牧畜、金採掘を中心とする鉱業。石油製品、天然ガスを輸入し、葉タバコや綿、金などを輸出するという構造だ。電力は、高山や渓谷を活用した水力発電でまかなっている。2006年のGDPは2.7%、物価上昇率は5.1%、失業率は9.6%。日本は自動車とゴムタイヤを輸出し、アルミ合金、非鉄金属を輸入している。関係の深いロシア、中国といった大国とバランスを保ちつつ、米国とも良好な関係を続けようとしている。


1997年から本格的な生産が始まったクムトール鉱山は、同国の経済を支える重要な金鉱山だ。この鉱山を保有するセンテラ・ゴールドはカナダの企業で、その大株主が資源最大手の「カメコ」。やはり資源を狙って大手が進出しているということだ。


タジキスタン共和国は、南にアフガニスタン、東に中国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接する内陸国。8世紀にイラン系の言語を話すイスラム教信者のタジク人が移住し、やがてロシア帝国の保護国、ソ連の自治区としてタジク国家は存続し、ソ連崩壊とともに独立を果たした。通貨は、ソモニ(TJS)。1995年に独自通貨「タジク・ルーブル」を導入したが、2000年にソモニに変更した。


旧ソ連の共和国、自治区の中では最貧国。独立後の紛争が要因だ。北部を基盤とする政府側と、民主派やイスラム派を主とした反対派連合間の激しい対立から、1992年に両勢力の武力衝突が内戦へと発展。その結果、生活水準が低下した。1997年にはモスクワで和平と国民理解に関する協定を締結し、内戦に一応の区切りがついた。以降、IMFや世界銀行の支援と米国、スイス、ドイツなどから援助を受け、近年経済は安定している。2006年にはGDP7%を達成。


主要産業は、農業、アルミニウム生産、水力発電だ。工業部門では繊維産業が発達。鉱物資源では、世界第4位の生産量を誇るアンチモン鉱がある。鉛蓄電池、ハンダ合金、半導体材料など工業材料として広く用いられている資源だが、人体に毒性があることから代替素材の開発が進められている。また、小規模だが、亜鉛、ウラン、ラジウムなどの希少金属の鉱床が発見されている。水資源が豊富なことから、電力のほとんどを水力発電でまかなっている。この安価で豊富な電力を活かして、アルミニウム工業が発達し、現在では輸出品目のメインになっている。


外交はロシアの投資が大きいこととロシア軍が駐留していることから、経済・軍事面でロシアへの依存度が高い。しかし米国が最も大きな経済支援国となっていることから米国は無視できない。また上海協力機構を通じて中国からも経済・軍事支援を受けており、やはりロシア、米国、中国など大国の顔色を見ながら外交を続けなければいけないようだ。


By Master K/益田 慶


FXライフ 50 中央アジアの通貨 カザフスタン

ソ連崩壊後、一般にカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5カ国を「中央アジア」と定義している。すべてがかつてソビエト連邦に属した国だ。


カザフスタンは、西はカスピ海に面し、ロシア、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、東は中国に接する世界第9位の面積(日本の約7倍)を持つ大国だ。


1991年の独立後、ソ連邦カザフスタン共和国共産党第一書記・大統領からそのままカザフスタン共和国大統領に就任したナザルバーエフ大統領が、一貫して強力なリーダーシップを発揮して政治・経済改革をすすめ、政情は安定している。政治・経済面で密接な関係を有するロシアとの良好な関係維持を重視する一方、中国、米国、EUとも良好な関係を維持し、抜群のバランス感覚を見せている。


早い時期から市場経済の基盤づくりに取り組み、その後の順調な経済成長の基礎づくりに成功した。ここ数年のGDPの推移を見ると、2005年9.4 %、2006年10.6%、2007年8.5%と順調だ。通貨は、テンゲ(KZT)。1993年からルーブルに替えて使われている。1 KZT = 約0.9円だ。1999年4月5日、変動相場制へ移行した。いまテンゲが通貨として強いのは、原油、石炭、クロム鉱、ウラン鉱など地下資源に恵まれているからである。特にウラン、クロムの埋蔵量は世界3位、亜鉛は世界5位だ。

1998年のロシア金融危機では、経済的に大きな打撃を受けたが、石油・金属など保有資源の国際市場における高値や穀物の豊作に助けられ、2000~2006年のGDPの年平均実質成長率は10.2%と急成長を遂げた。カザフスタンへの外国直接投資の額も、2006年だけで104億ドル、1993年からの累積投資額は500億ドルを超えるなど、外国投資の受け入れに関しては経済移行国の中で上位国だ。


原油の産出量は世界シェア1.1%だが、 カスピ海東岸の油田地帯(テンギズ、ウゼンなど)の大規模石油開発のほか、最近ではカスピ海北部の油田開発が世界的な注目を集めている。2000年に大規模油田が発見されたカシャガン鉱区では、国際コンソーシアムが開発を進めており、2010年頃の商業生産開始を目指している。


なお、同コンソーシアムには、国際石油開発が約8.33%の権益を得て参加している。2001年には送油管が完成し、ロシア黒海沿岸ノボロシスクへの石油輸送が可能となった。また、2006年から稼働した「BTCパイプライン」へのカザフスタン産原油の供給も予定。さらに中国西部とカザフスタンを結ぶ「アタスゥ=アラシャンコウ」送油管によって2006年から送油が開始された。オイルマネーの高騰がカダフスタンの経済を潤してきたのだ。


ウラン採掘分野では、世界の原子力企業が権益を購入しているほか、日本から丸紅、東京電力、中部電力などがカザフスタン国有原子燃料会社であるカザトムプロム社が推進している新規ウラン鉱山開発・生産プロジェクトに参画している。


しかし近年では地下資源に依存しない産業構造づくりに移行しようという動きが目立っている。急成長している分野は、建築業と金融業だ。首都をはじめとする建設ラッシュの流れを受けた国内建設業の成長は著しく、前年比35.6%増(2006年度)。


また、銀行部門をはじめとする金融産業も前年比で43.4%増加(2006年度)するなど、建設業と並ぶ国家経済の二大牽引産業となっている。資源で潤う国は、金融業も盛んなるというが、確かにそのとおりだ。同国は「2010年までに競争力において世界の上位50カ国入りを目指す」という目標を設定している。世界の大国になる可能性を秘めた国のひとつだ。


By Master K/益田 慶


FXライフ 49 西アフリカの通貨 シエラレオネとニジェール

北はギニア、南東はリベリアと接するシエラレオネ共和国は1961年、イギリスから独立した。世界で最も平均寿命の短い国のひとつだ。通貨はレオン(SLL)。この通貨は、1964年にシエラレオネ銀行が設立された際に西アフリカ・ポンドの代わりに導入された。


独立以降、政局が安定することなく、今日まで至っている。特に1991年に起こった内戦は2002年まで続き、経済は停滞した。内戦の原因となったのがダイヤモンドだ。反政府軍(RUF)が同国で産出されるダイヤモンドを財源に武力行使を続けたのである。もともとダイヤモンド、金、ボーキサイトなどの鉱物資源、カカオ、コーヒーなどの農産物が、主要な外貨獲得源だった。


しかしダイヤモンドの大部分が密輸出され、経済は低迷。政府は1992年、債務削減と経済復興を目的としてIMFの経済再建プログラムを受け入れ、財政・金融の引き締めを図った結果、経済は一時安定に向かったが、内戦の激化とともに鉱物・農産物の産地の荒廃が進んだ。また、国民の大部分を占める農民が内戦の結果難民・国内避難民となったため、食料を含む農業生産は大幅に低下。地方の行政サービスは崩壊状態に陥った。こうして世界で最も平均寿命の短い国という不幸な順位に名を連ねることになったのである。


約10年も続いた内戦により主要外貨収入源である鉱物資源の輸出が停止し、社会的インフラが大きな損害を受けるなど経済は大きく停滞していたが、2006年にはGDPが7.1%まで伸び、復興の兆しを見せている。アルミニウムの原料となるボーキサイトの国際価格が高騰しているので、産出国として外貨を稼ぐことは十分可能だ。イギリス、アメリカ、アイルランドなどが援助国となり、復興を助けている。


ニジェール共和国は、アルジェリアやブルキナファソ、ベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと隣接する内陸国。1960年にフランスから独立。通貨は、西アフリカ諸国中央銀行発行のCFAフラン。公用語もフランス語だ。


同国もまた軍事クーデターが何度も勃発するなど政局が安定しない国で、世界最貧国のひとつだ。1997年の干ばつで打撃を受け、さらに政情不安から海外援助が途絶え、1999年末には国の経済は破産状態になった。2000年、IMFは政府が負う8億9000億ドルの債務免除と7600万ドルの融資を決定した。


主要産業は1970年代半ばから急成長したウラン産業と伝統的な農牧業。ウランは世界第3位の埋蔵量があると推測され、関連産業が全雇用の20%を占めている。ウランの多くは核燃料として原子力発電に利用されるが、核兵器への転用が可能なので国際原子力機関によって流通は制限されている。ウランは、同国最大の援助国で原発大国フランスに輸出されている。2003年以降、ウランの国際価格が上昇し続けていることから、2006年のGDPは4.8%と好調だ。しかし輸出依存の経済を変えていくことは同国の課題となっている。ちなみに日本から、海外ウラン資源開発、国際資源、動力炉・核燃料開発事業団などが同国に進出し、資源の探鉱を行なっている。


直面している問題は、国土の4分の3を砂漠が占め、降水量が少なく、砂漠化が進んでいること。世界で最も暑い地域のひとつで、干ばつの起こりやすい同国はたびたび食糧危機に陥り、飢餓と伝染病の危機に襲われている。砂漠が多いことから工業は発達せず、生活用品や食品は輸入に頼っている。砂漠化を阻止し、農業地に転換する技術が求められている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 48 西アフリカの通貨 リベリアとモーリタニア

ギニア、シエラレオネ、コートジボワールと接するリベリア共和国は、19世紀初頭に米国で発生した奴隷解放運動が具体的な形となり、祖国再建運動に発展して実現した国。アメリカで解放された奴隷が1847年に建国した。アフリカではエチオピアに次ぐ古い国だ。しかし移住地区を建設して入植した人々が先住民を弾圧したことで、民族闘争の火種が生まれた。20世紀半ばまで、経済不況と先住民族の抵抗が続いた。


1989年には内戦が勃発し、90年代後半まで続いた。その後、いったん落ち着くが、2003年に反政府勢力が首都モンロビアを侵攻し、再び内戦が始まった。暫定政府によって第1回大統領が行われたのが2005年10月。決選投票によって、国連開発計画の元アフリカ局長エレン・ジョンソン・サーリーフがアフリカ初の民主的な選挙で選出された女性大統領に就任。ここから復興計画が始まった。


通貨はリベリア・ドル(LRD)。他のドルと区別するため「Lドル」と表示される。疲弊した経済を再建すべく、政府は1980年代以降に積みあがった8億8800万ドルの長期延滞債務を完済、IMFとの関係は正常化した。そして2008~2010年の経済再建計画を支援するため、総額9億5200万ドルの金融支援を実施した。人口380万人のうち推定64%が貧困レベル以下の生活をしているとされる同国の再建は、世界各国から無償援助を集め、国外に逃れていた難民が帰還し、農業を再開することからスタート。


2006年の実質GDPは約7.8%まで上昇、2007年度の成長率は8.5%と予想されている。IMFは2008~2010年のGDPを年平均11.3%と予想している。高成長率の要因として挙げられるのは、投資の増加、農業部門の復興、主要輸出品であるゴムの国際市場価格の上昇、鉄鉱石採掘の再開、ダイヤモンドの制裁解除、木材の禁輸解除などだ。特に推定10億トンの埋蔵量がある鉄鉱石は、国際価格が高騰しているので大きな財産となるはず。またダイヤモンドや金も発掘されており、地下資源は有望。ただしインフレ率が2007年に11%に上昇したことが懸念材料となっている。


余談だが、リベリアは船会社専門の税金避難地として古くから有名。タックス・ヘイヴンのひとつで、安価な手数料で船舶国籍証書を発行する便宜置籍国だ。船の所在国はリベリアだが、会社の実態のないペーパーカンパニーが多くあるという。もともとはギリシャの船主が節税のため利用したのが始まりだ。


西サハラ、アルジェリア、マリ、セネガルと国境を接するモーリタニアの正式名称は、モーリタニア・イスラム共和国。国名からわかるようにイスラム系ムーア人住民が社会の上層を占める。1960年にフランスから独立したが、通貨はCAFフランでなく、ウギア(MRO)だ。


2005年、無血クーデターによって新政権が誕生し、2007年に初めて大統領選挙が行われ、新大統領による民主化プログラムが進められている。鉱業、農業、漁業など天然資源に恵まれ、2006年のGDPは11.7%という好調な成長率だが、インフレ率が約30%と高い。外貨収入は水産物と鉄鉱石の輸出だ。鉄鉱石は高値が続いているので有望。さらに2006年から原油の生産も始まった。新たな収入源となる経済部門が生まれたことで経済の復興が期待されている。


特に「原油収入国家基金」を設立し、原油から得た収入を全額基金に振込むことを決定したのは評価できる。アフリカの産油国は、政治家と一部の企業家のみが潤い、原油の恩恵が国民に還元されないケースが多い。基金は銀行に設けられ、国際監査を受ける。また国営原油会社「モーリタニア炭化水素会社」を設立し、原油資源管理を行なう。経済協力開発機構(OECD)は、モーリタニアのGDPは20%を超えるだろうと予測している。やはり原油高の恩恵だろう。

By Master K/益田 慶


FXライフ 47 西アフリカの通貨 ナイジェリアとベナン

アフリカで最も経済力のある国がナイジェリアだ。面積は日本の約2.5倍。人口1億5000万人。「アフリカの代表」を自認しているだけあって、いろんな意味でアフリカ全土に強い影響力を及ぼしている。パワーの背景にあるのは、総歳入の約71%、総輸出額の約88%を依存する原油だ。アフリカ屈指の産油国で、


OPEC第5位の産油量を誇っている。またアフリカでは南アフリカ共和国に並ぶ軍事大国でもある。地下資源の恩恵によって生まれた経済力と軍事力がナイジェリアの力である。


通貨はナイラ(NGN) 。2008年8月、100ナイラ(約100円)を1ナイラとする デノミを実施する予定だ。1990年代まで慢性的なインフレに見舞われたが、2004年から始まった原油価格の上昇や経済改革を背景に通貨が安定軌道に戻りつつある。そこでデノミを実行しようということだ。ナイジェリアは光と影が明確に見える国だ。世界の産油国であるが、放漫財政により累積債務が増加し、長年の軍事独裁によって経済は低迷してきた。都市部の人口増加に対し、都市機能が追いつかず、農村部はもちろん、都市部でも貧困化が進んでいる。


しかし国の経済成長率は著しい。2007年第4半期は、実質GDPが7.64となり、IMFは2008年の経済成長率を9%と予測しているほどだ。農業部門、工業部門とも好調で、原油生産量はやや減少したものの価格高騰が経済成長を底上げしている。


興味深いのは、産油地帯ナイジャーデルタ地域で武装組織による石油関連施設の破壊や外国人労働者の誘拐が頻発し、治安悪化による渡航危険勧告が発令されているにもかかわらず、近年、石油・ガス部門とも直接投資が堅調であることだ。ナイジェリアはアフリカ最大の直接投資受入国。欧米の多くの企業が石油・天然ガスの権益を得ようとして投資を続けているのである。


天然資源だけでなく、1億5000万人というアフリカ最大の市場を狙っている国は多い。中国は大量の食料と日常品をナイジェリアに輸出している。近年、携帯電話を中心とする通信分野への海外からの投資が活性化しているというのだ。意外かもしれないが、アフリカ人は携帯電話を好み、テレビに匹敵するほど必需品になりつつあるのだ。広大な大地、未整備の交通網、固定電話の数の少なさが携帯電話を普及させる大きな要因となっているのだ。


このナイジェリアと接するのがベナン共和国だ。隣国なのに石油は生産されず、石油製品の国内消費量のほとんどはナイジェリアに頼っている。主要産業は綿花やパームオイルなど農業と、コトヌ港での港湾サービス業だ。通貨は西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCEAフラン。1960年にフランスから独立したこともあり、公用語はフランス語。


1980年代に一度、経済が破綻状態に陥ったが、世界銀行とIMFの援助を受け、2003年には対外債務が削減された。フランス、デンマーク、ドイツなど欧州の国が主要援助国となってバックアップしている。興味深いのは、輸入も輸出も中国が第一の貿易国であることだ。産油国で人口の多いナイジェリアのみならず、ベナンまで中国系ビジネスマンは進出しているのである。


2006年度のGDPは4.1%、インフレ率は6.1%。堅調な推移と言い難いのは、産業の多角化が進んでいないことと、大きな収入源であるコトヌ港がトーゴのロメ港と競合状態にあるからだ。隣の大国ナイジェリアと関係が悪化すれば、貿易量が減少することも不安要素だ。ちなみにかつてTBS系列「ここがヘンだよ日本人」にレギュラー出演し、奇妙な日本語で人気を博したゾマホン氏がこのベナン出身。上智大学大学院博士課程を修了したインテリで、母国では日本での活躍が認められ、国民栄誉賞を受賞している。

By Master K/益田 慶



FXライフ 46 西アフリカの通貨 セネガルとトーゴ

「パリ・ダカールラリー」の終着点として知られる首都ダカールを擁するセネガル共和国。日本では、このラリーや民族音楽などで知られている。面積は日本の約半分。サハラ砂漠西南端に位置する土地は、主に乾燥した平原地帯に占められている。


1960年にフランスからマリ連邦として独立し、すぐにセネガル共和国として単独国家となった。通貨は、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行の「CFAフラン」だ。BCEAOの本部が置かれているのが首都ダカールである。


カザマンス地方の分離独立を進める組織が、1990年代末から隣国ギニアビサウを拠点に武力闘争を開始。ガンビアの仲介で停戦合意したが、その後も紛争は続いており、外務省は渡航延期勧告を継続している。その一方でセネガルは、アフリカ連合や西アフリカ諸国経済共同体といった地域機構に積極的に関与し、アフリカのリーダー的存在感を発揮している。


主要産業は、砂漠地帯でも栽培可能なピーナッツや綿花などの農業と、近海で行われる漁業。リン鉱石鉱業と工業もある程度発展しているが、財政赤字、国際収支赤字が累積債務となっていた。1994年のCFAフラン切り下げ以降、政府が民営化や構造改革を進め、また国際通貨基金(IMF)と世界銀行が8億ドルの債権の免除を認めたことで、経済は比較的安定して推移してきた。しかし、近年は原油価格の高騰と干ばつによる不作が打撃となっている。


2006年度のGDPは3.3%、インフレ率は4.1%。全体を見渡すと、アフリカ諸国の中では決して貧しい国ではないのだが、地域格差が激しく、人口全体の5分の2にあたる都市生活者がGDPの3分の2以上の収入を得ていることから、3分の1に該当する国民が貧困層に属すると見られている。セネガル政府は現在、債務削減しながら貧困削減を行うべく貧困削減戦略書(以下PRSP)を策定し、進めている段階だ。


トーゴ共和国も1960年にフランスから独立した国。通貨は、同じく西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行の「CFAフラン」だ。対外債務が1708億ドルあり、同国も世界最貧国に挙げられている。フランスやドイツ、オランダなどが主要援助国となって支援。日本からトーゴへのODAも2001年から現在まで継続して行われており、トーゴの国営放送は日本の資金援助のほかに無償提供した放送機材によって支えられている。


農業がGDPの約39%を占め、労働人口の約64%が農業に従事している。主要農産物はヤムイモ(世界5位)、キャッサバ、とうもろこしなど。主な工業製品にはビール、パーム油などがある。鉱物資源にはリン鉱石がある。リン鉱石は、1974年に実施されたリン鉱石採掘会社の国有化の直後に国際価格が4倍に上がり、トーゴの経済成長を支えた。1990年代には世界シェア10位に達したが、その後、枯渇傾向にあり、2003年には最盛期の6分の1まで減少。鉄鉱石も確認されているが、品質は低いようだ。


2006年度のGDPは2%、インフレ率は2.1%。経済発展の好材料は、米国の協力で自由貿易加工区が稼働したはじめたことと中国が支援に乗り出したことだ。首都ロメにあるロメ港は、アフリカと欧州、北南米をつなぐ中継ぎ貿易に都合のよい位置にある。1996年、トーゴ政府はIMF、世界銀行と経済構造調整計画に合意し、ロメ港を中核とする自由貿易地域構想を推進した。しかし皮肉なことに、ロメ港が隣国ベナンのコトヌ港との熾烈な競争にさらされているという。


一方、2006年にトーゴ大統領と会談し、「農業・インフラ整備・電気通信・電力分野の協力を重点的に強化し、協力を拡大する方途を積極的にさぐっていきたい」と述べた胡錦涛国家主席の言葉どおり、2006年の輸入国の第1位は中国だ。安い食品をトーゴに輸出して外貨を稼ぐ中国の戦略がここにも表われている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 45 西アフリカの通貨 コートジボワールとギニアビサウ

西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航したことから、かつて「象牙海岸」「アイボリーコースト」と呼ばれたコートジボワール。1893年から1960年に独立するまで長い間フランスの植民地であった。独立後10年間で驚異的な経済成長を遂げ、アフリカ諸国の中で比較的経済水準の高い国へと発展した。政局が大きく動いたのは1999年。クーデター勃発以降、政府軍と反乱軍による内戦が起こり、フランス軍が介入。事実上、国は二分された。その後、和平合意が進められ、近年よくやく正常化に向かっている。


通貨は、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCFAフラン。80年代末には主要産品であるココアやコーヒーの国際価格の低迷により経済的危機に陥り、1989年にはIMFと世界銀行のコントロールで再生計画が進められたが、IMFの融資の停止、EUの援助金180億CFAフランが汚職に使われていたことが発覚して公金援助が途絶えるなど逆風が吹いた。その後、国内の安定化にともない、2003年に援助は再開されたが、内戦によって経済活動は大きな制約を受けた。


内戦による国内のゴタゴタが続いていたにもかかわらず、ベースとなる経済のポテンシャルが高いようで、2006年度のGDPは4.1%、インフレ率は3.7%と好調だった。主要産業は、世界一の輸出量を誇るカカオ、コーヒー、天然ゴムなどの農業。1993年に産油が始まり、石油製品、木材の輸出も好調に推移した。


そんな経済状況と歩幅を合わせるように、政治・経済面の先行き不透明を反映して冷え込んでいた対内直接投資も回復の兆しを見せている。経済・財政省と西アフリカ諸国中央銀行の国際収支統計によると、2007年の対内直接投資額は前年比23%増の2,046億CFAフラン。フランスをはじめ、オランダ、米国、ナイジェリアなどが積極的な投資を行っている。


2007年の輸出は、主要産品であるカカオ豆と原油・石油製品の不振が響いて、前年比9.4%減の3兆8,562億CFAフランにとどまったものの、輸入は内需回復により、消費財、中間財、資本財とも軒並み増加し、同5.2%増の3兆1,981億CFAフランとなった。この結果、貿易黒字は同45.8%減の6,581億CFAフランに縮小した。また近年、主要産業に成長した石油と地下資源に注目が集まり、外資系の投資が見込まれている。アビジャン周辺には石油製油所が発展し、経済成長を支えている。地下資源には、鉄鉱、ボーキサイト、ニッケル、マンガンなどがある。内戦によって鉱業は停滞したが、2004年から数社が生産を再開している。


コートジボワールと同じく西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCFAフランを通貨に使う国がギニアビサウだ。セネガル、ギニアに接する小国で、面積は九州とほぼ同じ。1973年にポルトガルから独立。
植民地時代は、ソビエト連邦やキューバの支援を受けた政党と、米国の支援を受けたポルトガル軍事政権との間で対立が続いた。建国当時は、ソビエト連邦やキューバと親密な関係だったが、クーデターによって誕生した政権が親米路線を取ったことから、国内では対立が顕在化。内戦とクーデターが続き、国家の復興が続けられている。


主要産業は、国民の8割が従事する農業。といっても自給農業が中心で、輸出しているのはカシューナッツや落花生などごく一部の産物に限られている。2006年には、そのカシューナッツにより税収入が減少。財政難のため公務員の給与支払いも滞っているとされている。同国が世界最貧国のひとつとなっているのは、国が巨大な三角州の上にあるため、主要産業である農業ですら発展できず、さらに地下資源にも恵まれていないことが挙げられる。また内戦により、ごく少数いた企業家が国外へ移住し、企業活動は停滞。教育水準の低さから識字率が低く、残念ながら経済発展の基礎的な条件は揃っていない。


By Master K/益田 慶


FXライフ 44 西アフリカの通貨 ガンビア共和国とギニア共和国

周囲をセネガルに取り囲まれる形となっているカンビア共和国。面積はほぼ岐阜県と同じだ。1965年にイギリスから独立したが、70年までは英国女王を元首とする立憲君主国だった。共和制移行以降、一時期はセネガルと親密になり、国家連合を形成したが、89年に解消した。


通貨は、1968年までUKポンドと等価の西アフリカ・ポンドが使用され、その後、ガンビア・ポンド(1968~1971年)を経て、1971年からダラシ(GMD)が使われている。経済は農業主体で、輸出収入の70%以上を落花生に依存し、隣国セネガルとの貿易が大きな国家収入となっている。94年に軍事クーデターが勃発し、西側諸国より新規援助が停止され、経済的に困窮したが、90年代末に民主化が進み、援助が再開。現在、主要援助国のトップは日本だ。99年にGDP5.6%を達成。近年でも2005年にGDP4.5%を達成している。数字だけ追いかけると、経済は好調に見えるが、状況は厳しい。


地下資源やこれといった外資獲得の産業がないのだ。落花生に続く収入源は観光産業である。2003年に「世界遺産」に登録された「ジェームズ島と関連遺跡群」は、アフリカにおける奴隷貿易の拠点であった場所だ。奴隷貿易を行なっていた当時の要塞や奴隷の宿泊施設など「負の遺産」だ。


ちなみにガンビアで売買され、アメリカに奴隷として売られた家族の生涯を描いた『ルーツ』の舞台がちょうど世界遺産に認定された地域。著者アレックス・ヘイリーはアフリカ系アメリカ人で、彼の先祖はガンビアのジュフレ村の出身だとされている。


1958年にフランスから独立したギニア共和国も、またヨーロッパ人が奴隷売買の地域のひとつとして入植を始めた国だ。ギニアビサウ、セネガル、マリ、コートジボワール、シエラレオネ、リベリアなど6つの国を隣国としている。1984年までは社会主義体制が取られたが、クーデターによって樹立されたコンテ政権誕生以降、民主主義体制の自由主義に移行した。


通貨はギニア・フラン(GNF)。1959年にCFAフランに等価として導入された。産業はGDPの20%を占める農業と、国家収入の19%を占める鉱業の二本柱がある。農業は米、サトウキビ、コーヒーなどがメイン、鉱業は世界屈指の埋蔵量を持つボーキサイト、マンガン、ウラン、鉄、ダイヤモンドなどの地下資源に恵まれ、発展した。特にアルミニウムの原料になるボーキサイトの輸出は、同国の経済を支えているといっても過言ではない。


2006年には、三菱商事がボーキサイトの独占探査権を取得。同国では日本企業初のボーキサイト探査権の取得となる。独占探査権の期間は3年。探査の結果が良ければ、採掘権を取得し、アルミナ精製所の建設を検討するという。このように先進国に積極的な投資を要請しているが、大きな結果は出ていない。社会主義路線では大きな開発は進まず、自由主義路線に移行してからもインフラ整備の遅れから開発は停滞気味だ。


また2007年の労働組合によるゼネストによって経済が混乱した。2005年度のGDPは3%だったが、物価上昇率が38.4%(2006年度)に達するなどインフレが悪化している。ギニアは、主要援助国の米国から多くの石油製品を購入している。どうやら援助国から購入する石油価格の高騰が物価上昇の原因のようだ。また、2000年以降、隣国シエラレオネ、リベリアなどからの難民を受け入れており、それら難民が経済成長や民族間問題に影響を与えている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 43 西アフリカの通貨 ガーナ共和国

ガーナ共和国は、コートジボワール、トーゴ、ブルキナファソに隣接し、大西洋に面する国だ。面積は日本の約3分の2。1957年にイギリスから独立した。日本では、ロッテのロングセラー商品「ガーナチョコレート」(1964年発売)によって、ガーナがチョコレートの主原料であるカカオ豆の産地であることが広く浸透している。


15世紀にポルトガル人が上陸し、以降、イギリス、デンマーク、ドイツ、スウェーデンの交易者が海岸線に次々に砦を築いた。大量の金が採掘され、ダイヤモンド、マンガン、ボーキサイト、鉄鉱石など金属資源に恵まれたことから、欧州人は「黄金海岸」と呼んだ。英国植民地時代は「英国領ゴールドコースト」と称され、英国の入植者が鉄道や道路を整備し、イギリス式の学校や病院も建設された。


こういった経緯もあり、公用語も英語だ。通貨はセディ(GHC)。2007年7月1日、従来の10,000セディを新1セディに変更する1万分の1のデノミを実施した。これに伴いガーナ銀行は全銀行券の図柄を変更した50、20、10、5、1セディの全5券種の新券を発行した。新しいシリーズ券の表面には共通の図柄として、ガーナの独立に貢献した「ビッグ・シックス」と呼ばれる6人の国家の英雄の肖像を描かれている。


経済は農業と鉱業に依存し、農業がGDPの約40%を占めている。特にカカオは世界有数の産出量を誇り、熱帯雨林で育まれる木材と、アフリカ大陸では南アフリカに次ぐ産出量を有する金が主要輸出品だ。1970年代後半から80年代前半にかけて経済的困難に直面したが、世界銀行の支援を受けて再建。80年代後半からGDP平均5%成長を達成。90年代にも金やカカオの国際価格の低迷や主要輸入品である原油価格の値上げによって経済が悪化。しかしこれも2001年に誕生した新政権によって立て直しに成功。GDPは5.8%(2004年)、5.9%(2005年)、6.2%(2006年)。インフレ率は少し高く、14~15%を推移している。


そんな好調なガーナに追い風が吹いている。2007年6月、ガーナ沖で最大埋蔵量13億バレルの油田が発見。順調に開発が進めば、カメルーンを超える産油国に成長する可能性がある。ガーナでは近年原油価格の高騰、電力不足が大きな問題となっていただけに、油田発見は願ってもない吉報。石油が大きな産業となるかもしれない。要注目の国である。


ガーナの隣国ブルキナファソは、1960年にフランスから独立した内陸国だ。こちらは公用語もフランス語で、通貨は西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCFAフランだ。独立後はオートボルタ共和国を名乗っていたが、1966年から83年まで4度も軍事クーデターが勃発し、84年に現国名に変更した。当時のサンカラ政権は社会主義経済体制を取ったが、独裁に反対するコンパレオがクーデターで政権を奪取し、90年に社会主義を放棄。世界銀行やIMFからの支援を受け、国際収支の改善や民間部門の強化に努め、94年のCFAフランの切り下げの際にも動揺せず、民主化と経済改革を進めた。


主要産業は農業で、人口の90%が農業に従事している。トウモロコシ、栗、綿花が主要輸出品目だ。14世紀頃に豊富だった金鉱の採掘も、年産3トン程度と少ないが、現在も続いている。ほかに鉛、亜鉛、大理石なども発見されているが、開発されたものは少ない。ただし地下資源に関して外資導入には積極的で、利益の本国送金を完全に承認し、100%の所有権も認めている。1997年以降、140件以上の鉱業権の申請がなされている。内陸国なので輸送関連インフラ整備が必須だが、開発の遅れが、鉱業が足踏みをしている要因のようだ。


2006年度のGDPは5.6%。物価上昇率も2.2%と好調だ。主要貿易国は、輸出では中国、シンガポール、タイなどアジア諸国が多い。輸入国はフランス、コートジボワール、トーゴ、リビアなど。油田がないことから、石油は輸入に頼っている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 42 中部アフリカの通貨 中央アフリカとブルンジ

1960年にフランスから独立した中央アフリカ共和国は、クーデター、独裁政治、兵士の反乱事件が繰り返して勃発した。この国の経済は農業が主体だが、不安定な政局が続き、崩壊状態にある。また飲料水の絶対的な不足が続いており、大きな問題となっている。鉄道すら敷かれていない内陸国という地理的条件から、貿易に関する輸送は1,400キロ離れたカメルーンのドアラ港または、1,800キロ離れたコンゴのポワント・ノワール港経由となるためコストが高く、国際競争力を低下させる大きな原因となっている。近年では国家歳入不足を原因とする公務員給与の未払い問題が深刻化している。


GDPは1.3%(2004年)、2.2%(2005年)、3.8%(2006年)と伸びているが、もともと人口の9割が貧困層にあり、世界174カ国の最貧国の中で154番目に位置していることから、特定の層が大きな収入を得ている様子が見てとれる。370万人の人口のうち100万人以上は孤立し、保健医療、教育、その他基本的なサービスを受けられない状況だという。また20万人もの国内避難民が存在し、食糧確保が不安定で人口の約15パーセントがエイズに苦しめられている。通貨は、ガボン、カメルーン、赤道ギニアなどと同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。


実は地下資源は豊富で、ダイヤモンドやウラン、金などが主要輸出品となっている。特に1914年にダイヤモンドが発見されて以降、鉱業が活性化。輸出総額の50%以上を占めるダイヤモンドは同国の貴重な資源となっている。ダイヤモンドの貿易相手国はフランス、米国、イスラエル、ドイツなどだ。この貿易で獲得した外貨がどこに蓄えられているのかは不明だ。


中央アフリカ同様、内陸に位置するのがブルンジ共和国だ。ルワンダ、コンゴ民主共和国、タンザニアと国境を接する国土は北海道の3分の1にすぎないが、人口密度はアフリカでは最も高い国である。1962年にベルギーから独立後、今日に至るまで民族紛争が続き、1993年には内戦に発展。アフリカでも特に経済開発が遅れた国であり、またマラリアが風土病として蔓延していることもあり、世界最貧国のひとつに数えられている。従来は社会主義諸国寄りであったが、現在は近隣諸国や先進諸国との経済協力を重視した現実的全方位外交をとっている。通貨はブルンジ・フラン(BIF)。


主要産業は、労働人口の90%以上、GDPの50%以上を占める農業。主要な輸出産品はコーヒーと茶だ。1993年までは自給的農牧業が主で、キャッサバ、サツマイモが栽培されるなど食糧自給が行われていたが、内戦勃発以降は、小国で人口密度の高い内陸国という地理的制約もあり食糧援助に頼っている。金、スズの鉱産はあるが、道路が未発達なので開発が進んでいない。


1980年代後半には世界銀行とIMFが実施する開発途上国へのプロジェクト「構造調整計画」を実施し、農業生産力の強化を中心に産業基盤運輸施設の整備を推進した結果、GDP実質成長率は向上したが、1990年代は政情不安による構造調整計画の放棄、1996年の近隣諸国による経済制裁のため、再びマイナス成長に陥った。2004年には国連PKOが同国に派遣され、世界銀行とIMFの主導によって復興プロジェクトが進展。


2006年11月には、東アフリカ共同体(EAC)への加盟が承認されるなど、東アフリカ諸国との関係強化を進めている。2006年にはGDPが5%を記録しているが、これは同国に滞在しているPKO部隊が飲食や日用品を購入したことによる内需で、輸出による外貨獲得ではない。米国、フランス、ベルギーなどが主要援助国で、日本からの無償資金協力は2005年度までに149.72億円と発表されている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 41 中部アフリカの通貨 赤道ギニアとチャド

赤道ギニア共和国は、ギニア湾に浮かぶ諸島から成る国。面積は北海道の3分の1で、人口は約52万人。1968年にスペインから独立し、1987年より今日に至るまで赤道ギニア民主党が一党支配を続けている。通貨は、ガボン、カメルーン、コンゴ共和国と同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。


伝統的にカカオ豆とコーヒー栽培によるプランテーションの農業国だったが、1980年代に油田探査が行われ、1992年にビオコ島沖で油田が発見、1996年に原油生産を開始して以降、急速に経済成長を遂げた。稼働している探査チームの数はアフリカ諸国最大といわれている。近年のGDPを見てみると、15%(2003年)、10%(2004年)、6.9%(2005年)と推移した。しかし2006年に-5.6%に転じている。マイナスに転じた要因は定かではないが、石油と天然ガスを中国、アメリカ、スペインに輸出することで外貨を稼いでいることと無関係ではないだろう。


同国の石油利権の大半は、米国エクソン・モービル、米国アメラダ・ヘス、米国マラソン・オイル、米国シェブロン、仏トタルなど欧米企業が押さえている。特に米国企業が積極的に進出し、発言力を強めているが、2003年から2004年にかけて米国企業から赤道ギニア政府への石油利権獲得をめぐる「裏金」が発覚し、贈賄疑惑が浮上した。同国への進出は米国以外にもスペイン、日本、中国などが競い合っている。


2005年にはマラソン・オイル社と赤道ギニア石油公社が共同で推進中の液化天然ガス(LNG)プロジェクトに丸紅、三井物産が参画。また2006年には中国海洋石油有限公司(CNOOC)が赤道ギニア石油公社と共同で海底油田の探査事業に着手することを発表。このように海外資本が小さな島国に集まったことから、汚職やクーデター未遂が起こったり、5億ドルを超す不明金と海外口座の存在が噂されたりするなど、きな臭い動きも見られる。


1960年にフランスから独立したチャド共和国も石油資源の開発が進んでいる国だ。通貨は赤道ギニアと同じ中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフラン。国土の約3分の2が砂漠地帯で内陸部というハンディと内戦による不安定な政治情勢が続き、長い間綿花と畜産中心の貧しい国のひとつだったが、2000年に多国籍石油会社グループがおよそ300の新油田開発を手がけ、2003年には世界銀行の融資によって、隣国カメルーンのクリビ港に至る全長1070キロの石油パイプラインが完成。パイプラインは、エクソン・モービル、シェブロン、マレーシア国営石油企業ペトロナスの合同事業である。2004年に石油生産を開始し、2005年には1日に17万バレルの産油量に達した。この時期、シェブロンとペトロナスの原油生産量はチャド全体の60%にまで達したといわれている。


GDPも10%(2002年)、11%(2003年)、30%(2004年)、6%(2005年)、4.6%(2006年)と急成長を続けている。2006年には中国と国交樹立し、中国はチャド政府に多額の支援を開始した。もちろんチャドの石油利権を確保するためである。


このように数年間で多額の外貨を獲得してきたチャドだが、世界銀行への返済は遅れ、世界最貧国のひとつ(国連開発指数による世界最貧国177カ国中173位)を抜け出せないでいるのはなぜなのろうか? それはデビー大統領の長期政権が続いたことで大統領側近と出身部族が利権を独占し、汚職が蔓延していることと、石油収入が貧困対策に用いられず、東隣スーダンが支援している反政府軍との間で続く紛争など軍事費に使われたことと無関係ではないだろう。さらにスーダンのアラブ系民兵組織による非アラブ系民族への虐殺(ダフール紛争)によって生まれたダフール地方の難民がチャドに逃れたことで、チャドが難民を抱える事態に発展したことも無視できない。


チャドはGDPだけを見ると目覚ましい発展をしているように見えるが、ほとんどの国民は貧しい生活を強いられているようだ。GDPだけを重要視していると、陰に隠れている大切な要素を見落としてしまうのである。

By Master K/益田 慶


FXライフ 40 中部アフリカの通貨 コンゴ共和国とコンゴ民主共和国

アフリカ中部に位置するコンゴ共和国とコンゴ民主共和国は、15世紀頃までは「コンゴ王国」というひとつの国だったが、植民地時代にフランス領とベルギー領に分けられた。前者が現在のコンゴ共和国、後者が現在のコンゴ民主共和国(元ザイール)である。


コンゴ共和国は1960年にフランスから独立。通貨は、ガボン、カメルーンと同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。旧フランス植民地であった多くの国で流通している通貨だ。コンゴ共和国は90年代末から2005年まで、反政府武装組織と治安部隊との戦闘行為が散発したが、その後、治安は落ち着いた。主要産業は農業、林業、鉱業(石油)で、GDPの5割以上、輸出額のほとんどを石油、木材に頼っている。


経済的には仏、米など西側諸国に依存しており、現実的外交路線をとっている。特に、従来から仏との関係が緊密だ。輸出品目は、石油、木材、砂糖などで、米国、中国、韓国、フランスが主な輸出先。一方、フランス、中国、アメリカ、インドなどから石油関連品、資本材を輸入している。GDPは1%(2003年)、4%(2004年)、9%(2005年)、6.4%(2006年)と推移している。


1990年代後半には、隣国・コンゴ民主共和国原産のダイヤモンドの不正輸出に関わり、2004年には紛争ダイヤモンドの取引を防ぐための国際認定制度であるキンバリープロセス認証制度から追放された。コンゴ民主共和国で勃発した大規模な内戦は、少なくとも300万人の死者を出したと伝えられているが、反乱武装組織に加え、アンゴラ、ナミビア、ルワンダ、ウガンダ、ジンバブエなどの武装組織がコンゴ民主共和国産のダイヤモンドから資金を調達していたことが発覚。コンゴ共和国がその「紛争ダイヤモンド」の横流し輸出を担っていたと指摘されたのだ。


コンゴ共和国にはダイヤモンド採掘産業が存在しないにもかかわらず、あまりにも大量のダイヤモンドを輸出していたことから、世界的な機関がコンゴ共和国からの輸入を控えるようアナウンスを続けてきた。キンバリープロセス認証制度への再加盟が許可されたのは2007年11月であった。


一方のコンゴ民主共和国は、1997年まで「ザイール」と呼ばれていた国である。通貨はコンゴ・フラン(CDF)。ベルギー統治下時代に当時のベルギー・フランと等価のコンゴ・フランが用いられ、独立後の1967年に「1ザイール=1000フラン」のレートで「ザイール」が導入され、1997年にコンゴ・フランが再導入された。


さて、コンゴ民主共和国といえば1990年代から続く内戦が有名だ。内戦は民族紛争であり、ダイヤモンド争奪戦でもあった。1996年にルワンダ軍とウガンダ軍がコンゴ民主共和国に進撃したのも、ダイヤモンドやコルタン、木材、象牙などを略奪するのが目的であったとされている。


ルワンダとウガンダはもともと力を合わせてコンゴを支配下に置く目論見だったが、鉱山をどちらが支配するかで対立し、コンゴ領内で両国の武装勢力が戦闘。当時の大統領がアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに援軍を頼み、援軍派遣の見返りに大統領が周辺諸国に提示したのは、自国の地下資源を採掘する権利だったといわれている。アンゴラは石油を、ジンバブエとナミビアはダイヤモンドを採掘させてもらう約束でコンゴの内戦に介入したのである。


2001年に和平協定を結び、2003年には暫定政権が誕生したが、依然として内戦状態は続いている。労働人口の75%以上が農民で、パーム油、コーヒー、綿花を栽培するが、食料は輸入に依存している。6割を占める輸出産業の主役・鉱物資源は世界的な宝庫で、銅、コバルト、ダイヤなどを産出。コバルトの埋蔵量は世界の約65%を占めている。


豊富な鉱物資源によって1970年代初期までは、順調な経済発展を遂げたものの、銅価格の低迷、対外債務の増大などによって1970年代末期以降、経済困難に直面。さらに1991年の内政混乱以降、インフラが破壊され、経済は壊滅状態となった。2002年には世銀銀行とIMFの協力の下、復興への歩みを始め、2005年にGDP 6.6%、2006年にGDP5.1%という成長を記録したが、これは世銀銀行、IMF、欧米諸国の援助によるところが大きい。国内は激しいインフレが続いており、2005年の物価上昇率は23.4%であった。


By Master K/益田 慶


FXライフ 39 中部アフリカの通貨 ガボン、カメルーン

赤道ギニア、カメルーン、コンゴ共和国と国境を接するガボン共和国。15世紀末にポルトガル人が渡来し、奴隷貿易を行い、次いでオランダ、イギリス、フランスが進出。1910年にフランス領赤道アフリカの一部となり、1960年に独立した。共和制・大統領制を採用する立憲国家で、公用語はフランス語だ。


通貨は、旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨の「CFAフラン」だ。西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のものと、中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のものがあり、価値は同一だが、相互に流通はできない。ガボンは後者発行のCFAフランだ。1958年から1フランス・フラン=50 CFAフランの固定レートであったが、1994年に100 CFAフランに切り下げられた。


CFAフランの切り下げは当時のバラデュール首相(仏)が押しつけたものだが、狙いは国際市場での外貨建てによる輸出品価格を下げることでサハラ以南アフリカ諸国の競争力を高めることにあった。世界銀行とIMFは切り下げを利用して、経済の自由化・民営化政策を推し進めた。
ガボンでは、CFAフランの50%切下げを契機に暴動が発生するなど、政治的・社会的緊張が高まった。同国政府は、CFAフラン切下げに対処するためIMFとの間で構造調整計画に合意し、債務繰延べが承認された。


ガボンは石油が埋蔵されているギニア湾に接した国。国土の産油国80%以上が森林で、近隣諸国と比べ人口は少ないこともあり、石油による収入によって国民所得はアフリカでは高いクラスに位置する。石油開発に関して国の関与が少なく、比較的自由に海外の企業が進出できたので早い時期から開発が進んだ。たとえばギニア湾の海底油田「ボードロア・マリン油田」は1970年代にフランスのエルフ社(現トタル)が発見し、開発を進めたものだ。


一部の鉱区については三菱商事の子会社MPDCガボン社がトタルと権益を折半し所有している。ガボンは1975年~1995年にOPEC に加盟し、1996年に脱退している。理由は、原油の減産要求や拠出金の多さに不満があったからだとされている。また他の天然資源としてウラニウム、マンガン、鉄など鉱物資源が豊富にあると見込まれている。

2005年度のGDPは2%。フランスを中心とする主要先進国と穏やかな外交を展開し、近年では日本、韓国、中国との関係強化にも力を入れている。課題は石油依存型経済構造を脱皮し、産業の多角化を図ることと失業率(20%)対策。熱帯木材の好調さから林業にも力を注ぎ、雄大な自然は観光資源としても活用されつつある。


隣国のカメルーンも中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフラン流通国だ。ドイツの支配時代を経て、フランスとイギリスの植民地に分かれていた時期があることから、まず1960年にフランス領カメルーンが独立。翌年、イギリス領カメルーンの北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーン連邦に加盟した。1984年にカメルーン共和国に変更し、今日に至る。


独立後は、東西いずれの国の影響も受けずに独自の立場を貫くという理念によって非同盟路線を維持しているが、経済的にはフランスとの結びつきが強い。カカオ、コーヒー、バナナなどの農産物、1970年代後半に採掘がはじまった原油の輸出によって経済的に成功したものの、1980年代後半には農産物と原油価格の下落によって約10年間不況に陥った。


その後、水力で電力をまかなえるようになり、減少傾向にあった石油生産も新油田の開発があり、増産にも成功したことで経済は再興され、2000年以降は4~2%成長が続いている。物価上昇率も安定しており、アフリカ諸国にあって数少ない自立した国のひとつになったようだ。原油、ココア、綿花、木材などをスペイン、イタリア、フランス、イギリス諸国に輸出し、フランス、ナイジェリア、中国などから消費財や資機材を輸入している。日本は同国からカカオ豆、コーヒーを大量に輸入し、良好な関係が続いている。

By Master K/益田 慶
 


FXライフ 38 南部アフリカの通貨 ナミビア、スワジランド、マラウイ

アフリカ南西部の国ナミビアは、アンゴラ、ボツワナ、南アフリカと接し、西側は大西洋に面している。19世紀にイギリスとドイツに相次いで保護領化され、第一次世界大戦以降、隣国の南アフリカ共和国が占領。独立を果たしたのは1990年のことだ。通貨はナミビア・ドル(NAD)。1993年に南アフリカ・ランド(ZAR)に代わって導入されたもので、ZARと等価に固定されており、国内ではZARも流通しているが、南アフリカ共和国ではNADは使えない。


独立以降、民主主義に基づく自由経済を推進してきた。ダイヤモンドやウラン、亜鉛、金、銅など豊富な地下資源、世界有数の漁場、牧畜に適した温暖な気候など、南部アフリカ諸国の中では高い潜在力を秘めている。アフリカで南アフリカ共和国、アンゴラ共和国に次ぐダイヤモンド産出量を誇り、鉱業が同国の基幹産業となっている。


しかし鉱山経営はアングロ・アメリカン社(南アフリカ共和国)など外資の進出が多く、ダイヤモンドの恩恵をこうむっているのは政府と外資系企業という見方もできる。また輸出・輸入とも南アフリカの取扱量がトップであることから、経済面で南アフリカに依存していることがわかる。南アフリカからすれば、利益を生み出してくれる国がナミビアという構図が見えてくる


。2006年のGDPは4.6%と好調だ。しかし、失業率が約20%あり、人種間の所得格差が大きな問題となっている。差が最も顕著なのは異なる言語グループの間での格差である。植民地時代からこの地域に在住するドイツ系・英国系の国民は人間開発指数が最も高く、彼らの生活レベルは先進国の水準だ。一方、公用語である英語を話せない先住民サン族は最も指数が低く、世界の中でも最貧国のレベルに位置する。


南アフリカに囲まれる内陸国スワジランドもまた南アフリカに依存することで経済発展を遂げてきた国のひとつだ。イギリスから独立したのは1968年。国王を国家元首とする王制国家だ。通貨はリランジェニ(SZL)。ナミビア・ドル(NAD)同様、南アフリカ・ランド(ZAR)と等価。いわば南アフリカの共通通貨圏(ランド圏)に所属する国である。


主要産業は農業と鉱業で、農作物を原料とした飲料産業やアパレル産業が成長している。日本からはファスナーで名高いYKKグループが進出している。2006年度のGDPは2.1%と決して悪くないが、失業率が約40%と異常な数値を示している。これは国民の1%ほどの白人が経済の実験を握り、私有地の大半を保有していることが原因で、一般国民の生活水準は低い。世界最貧国のひとつにも挙げられている。


電力の約8割を南アフリカからの輸入に依存するなど、南アフリカに大きな影響を受けている。問題は食糧危機と失業率の高さ、エイズの蔓延。人口のHIV感染率が世界で最も高い国のひとつで、平均寿命が40歳と世界で最も低い。


タンザニア、モザンビーク、ザンビアと国境を接するマラウイもまた世界最貧国のひとつだ。1964年にイギリスより独立。アフリカ諸国では逸早く南アフリカとの外交を始めた国で、台湾や中国とも外交をもつ。通貨はクワチャ(MWK)。


マラウイで有名なのが国土の15%を占めるマラウイ湖だ。漁獲資源を得る場であり、また観光資源にもなっている。


主要産業は農業で、労働人口の約85%が農業関連事業に従事している。特にタバコ、紅茶、砂糖などが大きなシェアを占めている。貿易は輸出・輸入とも南アフリカがメイン。1999年にはGDP4.7%を記録したのち主要輸出品であるタバコの輸出額の減少と原油価格の上昇で経済が低迷。


また2005年には食糧危機に陥った。2006年にGDP8.4%まで持ち直したが、これは英国、米国、ノルウェー、ドイツなど欧米諸国の経済援助によるものが大きい。マラウイもまた平均寿命が40歳に満たない国である。

By Master K/益田 慶


FXライフ 37 南部アフリカの通貨 ジンバブエとボツワナ

アフリカ大陸の内部に位置し、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカに隣接するジンバブエは、1980年にイギリス領から独立し、共和国を設立した。かつて黒人と白人が融和し、農業、鉱業、工業のバランスの取れた安定した国だった。しかし白人農家に対する強制土地収用政策を進めたことで、ノウハウを持つ白人農家が消滅し、農作物の収穫量が激減。輸出の柱であった農作物がなくなったばかりでなく、国民の食糧危機が起こったのだ。


アフリカの諸国が独立して黒人国家を形成する場合、独立時に大規模農場主や行政官の白人を追い出すケースが多い。そのデメリットは、政府に政治運営のノウハウがなく、また支配されてきた黒人側に農場経営のノウハウがなく、自立できないことだ。ジンバブエは独立時に白人を追い出すことはせず、黒人と白人が融和政策をとった。人口1,267万人のうち白人は7万人しかいないが、農地の6割は白人の農場で、独立後もタバコを中心とする農産物の輸出を順調に続けたことで、「アフリカで黒人と白人が融和する稀有なケース」「アパルトヘイトから脱却するためのモデル」とされていた。


政府は独立時の取り決めで、白人農場主から政府が土地を市場価格で買い取り、それを黒人の貧しい人々に再配分する計画だった。しかし、政府の財政が悪化し、白人農場主から土地を買う資金がなくなってしまったのだ。そこで政府はイギリスやアメリカ、国際機関から資金を借り、白人の農場を購入して黒人に分配した。しかし、土地の分配を受けた黒人農民の多くは輸出できる水準の作物を作るための営農技術を教えてもらっていなかったので、土地利用の効率が下がり、農産物の輸出は減っていった。1997年、国際金融危機の影響で通貨のジンバブエ・ドル(ZWD)も急落し、外貨は底をついた。1980年に登場した当初、ZWDは強く、US1ドルがZWD0.68だった。


ジンバブエ政府は、IMFからの支援も受けられず、外貨の裏づけのないまま紙幣を刷り続けた結果、インフレが激しくなった。失業率は7割。2003年には600%、2006年には1000%、2007年には2万%のインフレに陥った。たとえるならレストランで食事をするのに600万ドルも必要になったということだ。2006年8月、デノミが実行され、ZWDは3桁切り捨てられた。さらに2007年9月、ZWDは対米ドルで1200%切り下げられ、公式レートはUS1ドルが3万ZWDに変更。この時点で経済は崩壊。また政府は国内の外資系企業に対して株式の過半数をジンバブエの黒人に譲渡するよう義務づける法案を提出するなど混乱は続いている。


一方、隣国のボツワナ共和国は、1966年の独立以降、複数政党制による民主的な議会運営が行われ、政治は安定した。ダイヤモンド鉱脈や銅、ニッケル鉱脈の発見が続き、これらの開発に南アフリカ、米国、英国、ドイツなどが進出し、1980年代末まで急速な経済成長を続けた。現在も輸出品のメインはダイヤモンドで、90%を占めている。通貨はPula(プラ)で、国際通貨コードはBWPだ。1999年初めに為替の自由化を実施し、金融事業が底上げされた。


1989年以降、ダイヤモンドの世界市場の低迷に伴い、経済成長は低迷したが、やがて勢いを取り戻し、1999年にはダイヤモンドの生産量が世界第3位となったほか、観光、金融部門が伸び、2004年にはダイヤモンド産出額世界第1位、産出量世界第2位を達成した。2005年の経済成長率は6.2%。鉱物資源が豊富なことから貿易が発達し、南部アフリカ関税同盟や欧州自由貿易連合が輸出入とも中心となっている。また外交政策も活発で、南部アフリカ諸国の経済的統合を目的とする南部アフリカ開発共同体の議長国を長年務め、リーダーシップを発揮している。


こういった経済の好調さとは裏腹に負の側面が多いのがボツワナの特徴。失業率が20%を超え、エイズの感染率が世界最高となっている。政府は国の歳入の多くを失業対策とエイズ対策に注いでいるのが現状だ。

By Master K/益田 慶


FXライフ 36 南部アフリカの通貨 南アフリカとモザンビーク

鉱山資源に恵まれ、金やダイヤモンドの世界的産地として知られる南アフリカ共和国。近年では2010年のサッカーワールドカップの開催国としても知られている。その歴史はアフリカ諸国同様、侵略と抵抗、独立の歴史である。


17世紀にオランダ東インド会社が喜望峰を中継基地として以降、オランダ移民が増え、18世紀の終わりには金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってイギリス人が上陸。やがてロンドン・ロスチャイルド家の融資を受けたセシル・ローズがこの地に創業した「デ・ビアス」がのちに世界のダイヤモンド供給の80%を支配することになる。ローズは、ケープ植民地の首相も務めた。その後、ボーア戦争を経て、1910年にイギリスより独立した。


通貨はランド(ZAR)。日本でも数社の証券会社から「南アフリカランド建て債券」が販売されたり、数行の銀行が「ランド建て外貨預金」を商品化したりしているので、ランドに詳しい人もいるだろう。同国はアフリカ最大の証券所である「ヨハネスブルク証券取引所」(2006年度世界第16位)を有し、2005年2月、ロンドンで開催されたG7会議では、BRICs諸国と並んで会議に参加するなど、国際社会における存在感が増している。2005年度GDPは5%。ダイヤモンド、金を資本とした製造業、金融業が主要産業だが、近年では鉱業の比率が下がり、金融保険の割合が増している。


南アフリカの最大の輸出先は日本である。つまり、日本は、金、ダイヤモンドの輸入大国なのである。近年ではダイムラー・クライスラーが自動車工場を建設し、日本やイギリスに輸出しているほか、日産自動車も輸出拠点として同国に工場を置いている。同国は南部アフリカでは最も豊かな国といえる。


しかし課題は多い、アパルトヘイト撤廃後も改善されない人種による格差だ。失業率25%という高さは、主に黒人のそれによる。政府は国民のスキルアップに努めているが、部族間格差が大きく、犯罪率やエイズ感染率の高さも同国の大きな問題となっている。


南アフリカ共和国と接するモザンビークは、1975年にポルトガルから独立した。独立から15年間は一党支配によるマルクス主義路線を推進し、ソ連、東ドイツとの関係が深かったが、反政府組織と政府軍による内戦が長期化し、1990年に複数政党と自由市場経済を推進する新憲法が発効され、民主化が進められた。公用語はポルトガル語だが、植民地時代にイギリスとフランスが開発の権利と司法権を除く自治権を取得していたため、イギリスとの経済的な結びつきが強く、1995年にイギリス連邦に加盟した。


通貨はメティカル(MZM)。通貨を発行する中央銀行は1975年設立のモザンビーク銀行。国内ではUSドルとランドも流通している。2000年、2001年と連続して起こった洪水災害により経済は打撃を受けたが、南アフリカ共和国によるインフラ修復事業など外国直接投資を背景に復興を遂げ、2006年にはGDP8.5%を達成した。


同国の産業は農業が主体だが、鉄鉱石やマンガンなどの鉱産資源が豊富で、アルミニウムはメインの輸出品である。経済発展に貢献しているのが、アルミニウム精錬所「モザール」だ。国際金融公社IFC、南アフリカ産業開発公社IDCに加え、三菱商事が25%出資し、2000年に生産を開始した。同国の豊富な水力・電力を利用し、世界第一級のアルミ精錬事業を行おうとするもので、同プロジェクトはインフラ整備や雇用促進にも貢献している。実は日本はアルミ新地金のほぼ100%を輸入に頼っており、日本からすれば安定調達先を確保するという意味合いも大きいプロジェクトといえよう。


また、モザンビークは漁業が盛んで、水深200~600mに生息する小エビ類が水揚げされ、その多くは 日本に輸出されている。モザンビーク産のロブスターは日本の市場でも多く出回っている。


By Master K/益田 慶


FXライフ 35 南部アフリカの通貨 アンゴラとザンビア

西は大西洋に面し、東にザンビア、南にナミビア、北にコンゴ民主共和国と隣接するアンゴラ共和国。ポルトガルから独立したのは1975年。現在アフリカ最大のポルトガル語圏となっている。


独立後は、米国・南アフリカが支援するアンゴラ解放戦線全面独立民族同盟(UNITA)と、ソ連・キューバが支援するアンゴラ解放人民運動(MPLA)双方が政府を樹立し、内戦が続いた。一時期はMPLAが政権を掌握し、社会主義政策を敷いたものの、1990年に社会主義路線を放棄し、複数政党制に移行。その後も内戦は続き、二者の間に休戦協定が結ばれたのは2002年のことだ。


独立した1975年、中央銀行のアンゴラ国民銀行が発券を行い、すべての商業銀行と外資系銀行が国有化された。通貨は1977年にアンゴラ・エスクードからクワンザ(AOA)に代わった。さらに90年末、クワンザは50%以上切り下げられ、新クワンザに切り替わった。新クワンザはその後も内戦による経済疲弊のため、たえず切り下げられてきた。クワンザ以外に米ドルも一般的に流通しており、ホテル、レストラン、タクシーやレンタカーの支払いは、どちらの貨幣でも使用できる。


長い内戦によって土地が荒廃し、主要産業の農業生産が落ち込み、各地で飢餓が生じた。またマラリアが大量に発生したこともあり、海外からの食糧援助に依存せざるを得なくなった。耕作可能な土地は国土のわずか3%、常時耕作されているのは0.2%である。主要な輸出農産物は北部で栽培されているコーヒーだが、年間生産量は1980年代の1万5000トンから2005年には1250トンに落ちた。


休戦協定の締結以降、石油生産を中心とする経済の復興が進められた。内戦によって開発ができなかったが、アンゴラの沿岸部には90億バレルの原油が眠っていると見られており、内陸部にはダイヤモンドが産出する。世界的な石油価格の高騰に助けられ、2005年の成長率は20.6%、2006年は14.6%を記録した。石油はもっとも重要な鉱物で、輸出総額の90%を占める。アンゴラから最も多くの石油を輸入しているのが中国だ。2006年には中国の温家宝首相がアンゴラを訪問し、経済援助を約束した。


現在アンゴラはアフリカにおける中国第2の貿易相手に成長している。そして2007年1月、アンゴラはOPECの12番目の加盟国となった。採油は1960年代からカビンダの沖合で行われ、製油所はカビンダとルアンダにある。2004年の原油産出量は3億2966万バレル。2番目はダイヤモンドで540万カラット。アンゴラ政府は石油依存型経済からの脱皮を図るため製造業の振興を進め、精糖、製粉、ビールなどの飲料、魚粉、加工食品をはじめ、繊維、セメント、ガス、化学品の製造がおこなわれている。


アンゴラと接するザンビアは、1964年にイギリスから独立。以降一党制独裁を敷いてきたが、1990年に複数政党制へ移行し、アフリカにおける民主化のモデルとなった。内戦もなく、政局は安定している。


通貨はザンビア・クワチャ(ZMK)。ザンビアの産業といえば、植民地時代から銅の生産が盛んで、コバルトや鉛、亜鉛も産出している。しかし銅が輸出額の約6割を占めており、銅の生産量と国際価格の変動がザンビアの経済に大きな影響を与えてきた。近年、銅の国際価格が上昇したことにより、GDP14.3%(2006年)と好調期を迎えているが、原油の国際価格の上昇はザンビア経済にとっても大きな懸念材料となっており、現ムワナワサ政権は、この経済構造から脱却するため、農業や観光の開発を中心とした産業構造改革を最優先の政策のひとつに掲げている。


最大の課題は、貧困とHIV/AIDSの蔓延である。ザンビアでは人口の6割以上が1日1ドル以下で生活する貧困層であり、都市部では長年に亘る経済不振により失業者があふれ、犯罪も増加傾向にある。また、成人のエイズ感染率が約17%と高く、現在、国民の平均寿命は38歳にまで低下している。

By Master K/益田 慶


FXライフ34 東アフリカの通貨 マダガスカルとモーリシャス

アフリカの東南、インド洋に浮かぶ島国マダガスカル共和国。島の大きさは世界で第4番目。日本の1.6倍の面積にマレー系民族、アフリカ大陸系民族など約1910万人が暮らしている。マレー系民族は、1世紀前後にボルネオからインド洋を横断して渡ってきた人々の子孫とされている。


その後、アフリカ大陸東部から渡ってきた人々が混じったことでアフリカ大陸とは異なる民族構成を示している。やがて欧州列強が植民地として触手を伸ばし、イギリスに先んじてフランスが占領した。1960年の独立後は経済の低迷が続き、一時期社会主義化政策に傾いたものの、経済復興を掲げる実業家のラヴァルマナナが大統領就任後、政局は安定した。2003年にアフリカ連合(AU)復帰、 2005年に南部アフリカ開発共同体(SADC)に正式加盟し、順調に成長している。


通貨は2003年までマダガスカル・フラン(FMG)が流通していたが、同年8月から5分の1の価値(5 FMG=1MGA)の新通貨単位「マダガスカル・アリアリ」(MGA)が登場し、2005年から正式通貨となった。主要貿易国は、輸出入ともフランスがトップを占めている。基幹産業は農業と魚業だが、ラヴァルマナナ大政権下での自由化政策により経済成長が続き、繊維産業の輸出も増えた。


2002年は政局不安によって経済成長率はマイナスとなったが、経済再建が進められ、近年は国内にある二つの世界遺産が人気を呼んで観光サービス業が好調となり、2006年には4.9%成長となった。1990年代にルビー、サファイアなどの鉱床が発見され、鉱業分野での投資も活発化している。現在、世界銀行の融資による第二次民間セクター支援プロジェクト(PDSP2)の枠組で、民間が管理を行う工業団地や輸出加工区(EPZ)の設置が現在検討されている。


後者は外国企業に対する経済特区で、事業開始から5~10年間の所得税免除および以降は10%の税率適用、専門税の免除、関税、輸入税、付加価値税の控除などが実施される。政局が安定し、民族対立もないことから条件は悪くないと見る専門家は多い。今後発展の可能性のある国である。


一方、インド洋のマスカレン諸島に位置する島国がモーリシャスだ。1968年にイギリスから独立した。日本とは関係が深く、遠洋マグロ漁業の中継・補給地として重要な位置にあることから主要援助国となっている。日本との合弁企業によるカツオ、マグロ漁も行われており、漁獲された魚は缶詰原料として供給されている。


国民はインド系住民が7割近く占めている。これはかつて労働者として渡ってきた人々の子孫だ。よって宗教はヒンドゥー教が大半を占めるなどアフリカでは珍しい構成になっている。多民族国家ではあるが、同国でも民族対立はなく、小・中学校は無料で授業が受けられることもあって教育水準は高い。外交は活発で、インド、欧州、アラブ諸国と積極的に貿易を進め、1971年から始まった輸出加工工業地区における繊維産業の輸出が発展し、アフリカで最も豊かな国民所得をもたらした。


通貨はモーリシャス・ルピー(MUR)。経済の3本柱は、砂糖産業、繊維産業、観光業。モーリシャス島は「インド洋の貴婦人」と呼ばれ、欧州人が好む観光用ビーチリゾートが整っている。これらに加え、近年は情報通信分野の振興が見られる。2006年の経済成長は3.5%、失業率は10.2%となっている。植民地時代に発展した主要産業の砂糖生産は、2005年にEUが砂糖域内価格引下げを決定したことから売上はやや低減。繊維産業もアジア諸国との競争にさらされ低迷。政府は財政緊縮政策を打ち出し、外国投資・企業誘致などを通じた経済活性化、産業構造改革に取り組んでいる。同国も大きなポテンシャルを持つ国といえよう。

By Master K/益田 慶


FXライフ33 東アフリカの通貨 ウガンダとエチオピア

ウガンダ共和国は1962年、イギリスから独立した。当初は社会主義路線を進めていたが、1971年クーデターで政権を奪ったアミンが大統領に就任し、独裁政治を敷いた。アミン失脚後も度重なるクーデターにより政治・経済は混乱した。これは多民族国家ゆえ民族間の権利争いが絶えなかったことを物語っている。むろんイギリスは簡単に統一できないことを承知でウガンダの独立を見守っていたことだろう。実は当初イギリスは、ウガンダの社会主義国化を阻止したアミン大統領を支持していた。


社会主義国家になればイギリス企業が国有化されるからだ。ウガンダはキリスト教徒が半分を占める国で、東アフリカに反アラブ国の建国が必要と考えたイスラエルもアミンを支援したようだ。しかし、アミンが両国に莫大な軍事的・経済的援助を要求したことからイギリスもイスラエルもウガンダの支援から手を引いた。そしてアミンは企業を国有化し、独裁制を敷いた。皮肉なことに社会主義国と同じ結果を招いてしまったのである。


1986年、ムセベニが大統領就任後、IMFの経済復興計画を導入し、輸出拡大のための貿易の多角化、規制緩和、国営企業の民営化などが推進され、経済成長がもたらされた。ムセベニは1991年にはアフリカ統一機構の議長にも選出された。現在、欧米等西側諸国との関係強化に努め、タンザニア、ケニアとの三国間の協力を推進しており、2006年に関税同盟「東アフリカ共同体(EAC)」に11月に加盟した。


通貨はウガンダ・シリング(UGX)。外国為替市場が発達していないウガンダでほとんどの商取引の決済に使用されているが、米ドル、UKポンド、ユーロも使われている。主要産業は、コーヒーや紅茶など農業、銅やリン鉱石など鉱業、繊維やセメントなど製造業だ。首都カンパラが商業、製造業、輸送業の中心で、EACの下部組織である東アフリカ開発銀行や東アフリカ鉄道も市内にある。


2006年度の経済成長率は5.3%。ただし、インフレ率が6.7%、失業率が33%と高く、北部地域では20年に及ぶ反政府武装組織との戦闘によって現在も100万人近い国内避難民がいるとされている。


周辺国との関係は近年著しい改善が見られている。スーダン南北和平の進展に伴ってスーダンとの関係は改善しており、またかつてウガンダ政府軍による軍事介入により関係が悪化したコンゴ民主共和国との関係も改善されてきた。課題は国内の貧困削減だ。


エチオピアは、ソマリア、ケニア、エトリア、ジブチなどに囲まれる内陸国だ。80以上の多民族からなる国で、民族ごとに構成される9つの州と二つの自治区からなる連邦制をとっている。1936年から1941年のイタリアによる植民地時代、1974年~1987年の社会主義時代、エリトリアの独立、いくつかの内戦などを経て、現在は安定している。


通貨はブル(BIRR)。主要産業はコーヒーやトウモロコシなど農業。製造業では皮製品が有名だ。国土の10%が農地として使われており、国民の30%が農業に従事している。近年、経済成長率は13.4%(2004年)と高い水準を保っているが、アフリカで2番目に多い人口7000万人を支えるには主食の栽培量が不足しており、依然として世界最貧国のひとつだ。農業の機械化が進まず、生産性が低いことが要因である。


鉱物資源は、金、銀、塩が採掘されており、プラチナ、大理石、水銀鉱やタングステン鉱、ニッケル鉱などの埋蔵が確認されている。現在までの行われてきた調査では、国内の多くの場所で、輸出基準に叶う豊富な資源が眠っていると報告されている。実際の発掘規模が小さいのは、外国企業が投資をためらっているからであろう。日本との貿易は、日本が自動車やバス、トラックを輸出し、エチオピアはコーヒーを輸出しているが、直接投資はない。同国もまた貧困削減が最優先されている。

By Master K/益田 慶


FXライフ32 東アフリカの通貨 ケニアとタンザニア

アフリカ東部にあるケニア共和国は東アフリカのリーダー的存在だ。18世紀にアラブ人勢力によって奴隷貿易や象牙貿易が行われ、19世紀に欧州列強による植民地化が進んだ。イギリスとドイツの植民地獲得争いの末、1920年にイギリスの植民地となる。紅茶、コーヒーなどのプランテーション経営が進められ、イギリス人が政治・経済を支配した。この時期にイギリスからの投資によって工業化の種がまかれ、ケニアに製造業を発展させる基礎体力が備わったのである。第二次世界大戦後、イギリスへの抵抗運動が活発となり、1963年に独立した。


通貨はケニア・シリング(KES)。主要産業は農業でGDPの3分の1を占める。人口の75%が農業関連の仕事に就き、外貨の約60%を農業が占めている。コーヒー、紅茶、豆などが主要輸出品だが、生産品目の多角化に成功し、現在サトウキビ、トウモロコシ、綿花、除虫菊なども生産している。鉱物資源の産出量は縮小傾向にあり、増えているのが金の産出量のみだ。南西部のグリーンストーン一帯に金鉱山が分布しているものの、採掘の機械化が遅れているようだ。


その一方で近年製造業を中心に工業化が進んだ。食用油、石鹸、セメント、プラスチック製品、衣料品など、東アフリカで優位性の高い製品は多い。そんな背景もあり、2004年度に経済成長率4.3%を達成。以降も観光、建設、農業分野が好調だったので、5%成長が続いていると見られる。


気になるのは、2007年末に行われた大統領選挙の結果をめぐり、暴動が勃発していることだ。ケニアには少なくても42の民族が存在し、公用語は英語だが、42もの言語が用いられているといわれている。近年、政財界を支配してきたキクユ族も全人口の22%を占めるにとどまっている。暴動が民族闘争に発展するのか、あるいは民主主義が成人するための痛みなのかは現在のところ不明だ。


ケニアの隣国タンザニア共和国は、ドイツ、イギリス両国の保護領時代を経て全土がイギリスの保護領となった。1961年から1963年に地域ごとにイギリスから独立を果たし、1964年に合併。通貨はタンザニア・シリング(TZS)。独立後、政治の民主化が進められ、近年は適切な経済政策が功を奏し、2005年には経済成長率7%を達成した。


主要産業はケニア同様、農業だ。GDPの約半分を占めている。特にタンザニア産のキリマンジャロコーヒーは有名で、世界じゅうで愛好されている。また、ビクトリア湖で獲れる大型の淡水魚ナイルパーチは食用として日本をはじめ世界に輸出され、ひとつの産業となっている。ナイルパーチはもとはといえば1950年代に水産資源としてイギリス人が持ち込んだ外来種だ。ススギに食感が似ていることから日本のスーパーの店頭では「白ススギ」と記されることもある。


タンザニアの製造業は、ケニアに遅れをとっているものの、近年、繊維、食品加工などが盛んになっている。また鉱業は未開発だが、大きな潜在力を秘めているといわれている。現在、金や天然ガスの開発が進められており、地下資源が発見された場合、産業が大きく飛躍する可能性がある。


このような両国は、貿易を通じて互いに成長すべく模索を続けてきた。具体的な政策として採用されたのが、2001年にケニア、タンザニア、ウガンダによって結成された関税同盟「東アフリカ共同体」(EAC)の設立である。2007年にはルワンダとブルンジが参画し、5ヶ国から成る関税同盟へと拡大した。


2007年12月、東アフリカ共同体は欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)枠組協定に署名した。これによりEACから輸出する農産物の関税は撤廃され、EUから輸入する工業製品などの関税は段階的に撤廃されることになった。東アフリカ共同体は約1億人の巨大市場で、かつさらなるインフラ整備が求められている地域である。農産物の産地が広がり、地下資源が眠っている可能性も高い。一方のEACからすれば、EUはアフリカ産の農作物を消費してくれる巨大市場である。EUとの経済連携はEACが今後予定している共通市場、通貨統合、政治統合への動きに弾みをつけると見られている。

By Master K/益田 慶


FXライフ31 中東・アラブ諸国の通貨 アルジェリアとチェニジア

北アフリカに位置するアルジェリアは、アラブ人からなるイスラム国家だ。1962年にフランスから独立。OPEC加盟国であることからわかるように産油国である。化石燃料関連産業が国家予算の52%、貿易利益の95%を占めているように同国の経済は地下資源の採掘に依存している。


油田開発は植民地時代にフランス主導で行われた。第二次世界大戦後、フランス政府は探鉱開発を担う石油探鉱公社を設立し、海外領土で開発を進めた。そのうちのひとつがアルジェリアのサハラ砂漠だった。60年代にフランスが核実験場として選んだことでも知られている。フランスやイギリスの植民地支配からいかに独立し、どんな政権を立ち上げるのか、内戦をどのように克服していくのか。これが近代のアフリカの歴史であった。


アルジェリアの通貨はアルジェリア・ディナール(DZD)。独立後のアルジェリアは社会主義政策路線で始まったものの経済が低迷し、1965年に軍事クーデターによって軍の独裁が始まる。この時代に経済成長を遂げるが、80年代に入ると経済が困窮し、大きな対外債務を背負った。1991年の選挙でイスラム主義政党のイスラム救国戦線が圧勝すると、再び軍のクーデターが勃発。1992年以降、政府軍とスラム救国戦線が対立し、イスラム原理主義派によるテロが頻繁に発生。内戦状態が10年近く続いた。


1999年にブーテフリカ大統領が誕生して以降、活発な外交活動が展開され、国際舞台への復帰を達成。約10年にわたる国内テロのイメージを改善することに尽力を注いでいる。1995年から国有企業の民営化が進められ、豊富な地下資源の採掘に力が注がれ、近年の原油高もあって経済成長は回復。1999年以降、毎年4~6%(最新データでは2006年のGDPは3.6%)まで回復したものの、失業率は12.3%と依然高い。


近年海外から熱い視線が注がれているのが天然ガスだ。アルジェリアの天然ガスは世界第5位の埋蔵量を誇っており、輸出量は世界第2位だ。鉱物資源も豊富で、世界シェア第3位の水銀やリン鉱石などがある。このアルジェリアに近年積極的に進出しているのが中国だ。


中国石油天然気(天然ガス)集団公司がアルジェリア政府、地元石油会社と提携して開発を進めているほか、2007年には原油と天然ガスの生産にかけて中国最大の企業である「ペトロチャイナ」が自らが権益を持つ、アルジェリアの油田で軽質油と天然ガスの産出を確認した。石油・天然ガス以外でも、中国最大手の建設企業集団である中国建筑工程総公司がアルジェリア新国際空港の建設に続いてアルジェリア外務省の新庁舎建設を受注している。


アルジェリア政府としては海外企業に広く投資を呼びかけているものの、海外企業はいまだイスラム原理主義派のテロに不安を抱いている。ところが、中国だけはむしろそういった新興国を中心に進出をはかっているかのように見える。アメリカに次ぐ石油消費国・中国のエネルギー外交政策が顕著にあらわれている例といえよう。


アルジェリアの隣国チュニジアもまたフランスから独立した国だ。通貨はチュニジア・ディナール(TND)。やはり人口のほとんどをアラブ人が占めるイスラム国家である。産業は農業、鉱業、工業の三つの柱がある。アルジェリア同様、リン鉱石の採掘が盛んで、大きくはないが油田も発見されている。