FXライフ 70 南米の通貨 ペルー、ベネズエラ、ボリビア
紀元前から多くの文明が栄えたペルーは、16世紀まで当時世界最大級の帝国であったインカ帝国の中心地だった。スペインに征服され、暗黒の時代が続いたが、1821年に独立した。
通貨は、ヌエボ・ソル(PEN)。1980年代から1990年代前半にかけて深刻なインフレに陥り、2度の大きなデノミが実施された。まず1985年に、それまでの通貨「ソル」を1000分の1の価値にして「インティス」という通貨に変更。2度目は1991年、100万分の1のデノミを行ない、1,000,000インティスを1ヌエボ・ソルとした。1985年まで使っていた「ソル」と区別するために「新しい」という意味の「ヌエボ」がつけられた。
2002年以降、経済は順調で内需(建設、運輸、製造業)の拡大と、銅や鉛、亜鉛、金、銀など輸出向け鉱産物の価格が高騰したことで、年平均5%以上の成長率を続けている。2007年のGDPは9%を記録した。あまり知られていないが、石油や天然ガスも産出するため南米の資源大国のひとつ。水産業も盛んだ。
ベネズエラもスペインから独立した国だ。20世紀初頭に石油が発見されるまではコーヒーとカカオを中心としたプランテーション農業国だったが、1930年代から世界屈指の産油国となった。天然ガスも豊富で、ボーキサイト、鉄鉱、ニッケル、金、ダイヤモンドなどの金属鉱物資源にも恵まれている。現在、経済は石油・天然ガスに依存している。1999年に政権を握ったチャベス大統領は、石油企業の国有化や米国石油企業の排除など資源ナショナリズムを明確に打ち出している。2006年のGDPは、資源高の影響を受け10.3%を記録。2007年は8.4%まで下がったものの、2008年11月には原油確認埋蔵量が100億バレル追加され、再び上昇する可能性を感じさせる。
通貨は、2008年1月に登場した新通貨ボリバル・フエルテ(Bs.F)。それ以前のボリバルは世界的に価値の低い通貨だったが、切り下げを実施して1000ボリバルを1ボリバル・フエルテに変更した。対ドル固定為替レートは、1米ドル=2.15ボリバル・フエルテ。
ボリビアは、南米で最も開発の遅れた国のひとつ。北と東をブラジル、南をアルゼンチンと接し、南東にパラグアイ、南西にチリ、北西にペルーと面している。1985年から新経済政策を導入し構造調整を推進した結果、比較的安定した経済成長を保っていたが、1999年以降、深刻な経済難に直面し、格差の拡大と失業問題等が深刻化している。2001年には「拡大HIPC(重債務貧困国)イニシアティブ」の適用を受け、2004年はIMFとの合意により、新税導入及び緊縮財政による財政赤字の削減を実現した。
通貨は、ボリビアーノ(BOB)。1980年代中頃に激しいインフレに見舞われたため、1986年に100万分の1のデノミを実施し、ペソをボリビアーノに変更した。産業は、大豆、砂糖を中心とする農業、天然ガス、鉱業産品(亜鉛、錫)を中心とする一次産品への依存率が高く、総輸出の8割を占める。そのため国際価格の影響を受けやすい経済構造にある。
2006年1月に就任したモラレス大統領は、貧富格差の是正、先住民の権利拡大を掲げ、憲法改正の実現を目指している。また、米国主導の麻薬撲滅政策や急速な経済自由化に強く反対し、天然資源による収益をボリビアに還元すべく、天然ガス関係外資企業に対し、より高率の税を課す新法(新炭化水素法)を採択した。これにより歳入は大幅に増大し、財政赤字も対GDP比1.6%まで削減された。モラレス政権下では、天然資源国際価格の上昇を背景に、安定した経済成長、外貨準備高増大、財政黒字等の成果が上がっている。2006年のGDPは4.6%だった。資源大国にもかかわらず開発の遅れてきたボリビアは、ポテンシャルが高い。的確な政策が求められているようだ。(了)
By Master K/益田 慶
FXライフ 69 南米の通貨 パラグアイとブラジル
南米の中央南部に位置する内陸国のパラグアイ。1811年にスペインから独立したが、長い間政治的な安定性に欠けていた。20世紀前半はイギリスの支援を受けたアルゼンチンに、20世紀後半には米国の支援を受けたブラジルに大きく影響を受け、両国の属国のような存在であった。民主的な選挙が導入されたのも1993年と現代になってからであった。
通貨は、グアラニー(PYG)。先住民のグアラニー族にちなんだ名称で、公用語もスペイン語のほかに先住民の使っていたグアラニー語が使われている。数年ごとに通貨を変更することが多い南米の通貨の中で珍しく、同じ通貨名を半世紀近く使用し続けている。
主要産業は農牧畜業で、輸出総額の8割以上を占めている。大豆の生産は世界第4位だ。ほかに食肉と穀物が主要品目。主要貿易国は輸入・輸出ともアルゼンチンとブラジルだ。1995年にブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの4カ国で発足した関税同盟「メルコスール」に加盟しており、4カ国の貿易の結びつきがすこぶる強い。
南米におけるEUのような自由貿易市場をつくることが目的であり、米国主導の自由貿易地域(FTAA)に対抗するものと見られている。2006年にベネズエラが正式加盟し、ボリビアも正式加盟を宣言している。このメルコスールによって、パラグアイの経済はブラジル、アルゼンチンの景気に左右されることになった。
事実、2000年以降、両国経済の低迷によりパラグアイの経済も低迷期が続いた。その後、汚染対策や経済改革が進められ、経済は安定化に向かい、2007年のGDPは6.8%まで復興した。しかし失業率13.5%という数字が示すように、経済的不平等が著しく、3分の1から半分の国民が貧困にあえいでいると見られている。近年はブラジルやアルゼンチンへの出稼ぎが増えているという。
BRICsと呼ばれる新興国の一角に挙げられるブラジルは、南米最大の領土と人口を擁する国。安価な労働力と豊富な天然資源により、2004年度には国民総生産が世界第9位まで浮上した。
通貨は、ブラジル・レアル(BRL)。90年代前半に経済改革プログラム「レアル・プラン」が実施された。1994年に新通貨レアル(導入時1ドル=1レアル)の導入を中心に財政安定化、マネーサプライの抑制が行なわれ、ドルにペッグした為替レートの導入によってインフレを抑制することを目的とした。
通貨防衛のために採用された米ドルペッグ制だったが、貿易収支や財政の悪化などの国内要因と、アジア、ロシア通貨危機による海外資本流出という外部要因が重なってレアル売り圧力が強まり、1999年に完全変動相場制に移行した。
2007年の実質GDPは5.4%。5%台の伸び率は04年の5.7%以来。政府は2008年3月より最低賃金を415レアルに引き上げ。名目で9.2%の上昇を目指している。2008年には世界同時株安に連動したレアルの下落が起こったが、EU諸国や中国ほど傷口は大きくない。
ブラジルは、農業大国であり、豊富な資源を背景にした工業国である。コーヒーの輸出量が世界一であることはよく知られているが、過剰生産による国際価格の暴落を防ぐために大豆やサトウキビの栽培が奨励され、そのサトウキビが今度はバイオエタノールに精製され、ガソリンの代替燃料に使われている。
バイオエタノールに代表されるエネルギー分野での急成長は、世界中が注目している。またオイルメジャーと肩を並べるまで成長した石油会社「ペトロブラス」が深海での石油開発を進め、大きな成果をあげている。工業分野では、乗用車、航空機、自動車部品の製造が盛んだ。広大な土地と資源、人口1億8000万人を擁する労働力。ブラジルの成長はまだ続きそうだ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 68 南米の通貨 スリナムとチリ
スリナム共和国は、かつてオランダ領ギアナであったことから、公用語はオランダ語だ。面積、人口ともに南米で最小の独立国である。独立したのは1975年。
通貨は、スリナム中央銀行が発行するスリナム・ドル(SRD)。2004年にスリナム・ギルダーに代わって通貨となった。1ドル=1000ギルダーというレートで交換されたので、デノミが実施されたということだ。
人口が集中しているのは北部。国土の約8割を占める南部は熱帯雨林から成る。そのため、ボーキサイトや木材資源に恵まれており、ボーキサイトが輸出額の70%、GDPの15%を占めている。農業では砂糖や米、バナナなど、漁業ではエビが主要な輸出品となっている。
近年は鉱業の割合が高まり、ボーキサイトを精製したアルミナや金が主要輸出品となっている。また原油も採掘されている。石油事業は、スリナム国営石油会社が欧米や日本企業と提携して商業油田の開発が進められている。海域ではこれまで本格的な探鉱活動が行われおらず、今後、石油・天然ガスの発見が有望視されている。日本企業では、国際石油開発帝石ホールディングス子会社の帝石スリナム石油を通じて、スリナム海域ブロック31の35%の権益を取得している。
2006年はGDP5.8%、2007年は金とボーキサイトを中心とする鉱業が牽引して、5.1%の実質GDP成長率を達成した。ただし、2008年夏まで世界的な原油高の影響もあり、インフレ率の上昇が続いた。2006年のインフレ率は11.3%だった。
チリは、1818年にスペインから独立した。東にアルゼンチン、北東にボリビア、北にペルーと隣接する細長い国で、西と南は太平洋に面している。太平洋に浮かぶいくつかの離島も領有している。
通貨は、チリ・ペソ(CLP)。1960年にはペソからチリ・エスクードに変更され、1975年までエスクードが使われた。1975年の経済改革で再度ペソが採用され、1000エスクードを1ペソに交換。以降、現在の通貨制度は変わっていない。
経済は1970年代初めに、それまでの国家主導型産業育成政策から民間主導、開放経済へ転換。その後1980年代初めの債務危機を克服し、1980年代は平均成長率6.4%という高い持続的成長を達成した。
1990年代も輸出及び投資の伸びに支えられ、経済はおおむね順調に拡大。1991~1997年の平均実質経済成長率8.3%を達成するなど長期にわたる高度成長を実現した。
しかし1999年以降、経済は減速傾向に。2002年は輸出が伸び悩み、また国内需要が冷え込み、失業率も高率で推移した。2002年後半からは、チリ中央銀行の金融緩和政策の効果もあり、国内需要が回復。2005年は、実質GDP5.7%を達成した。2007年は、エネルギー価格の高騰、世界金融不安、国内大寒波による農業被害等により、予測を下回り4.0%の成長にとどまった。
チリの最大の輸出品は銅。かつては輸出品の7割を占めていたが、現在は40%に低下している。それでも、採掘量は世界一だ。銀も世界第6位の採掘量。金、亜鉛、鉄、鉛も産出している。ほかに硫黄、塩、カリ塩、リン鉱石など地下資源がある。
近年ではワイン、サーモン、木材パルプの輸出が盛んになっている。チリ・ワインは19世紀からブドウが広く生産されたことで、チリの一大産業となった。漁業は古くから活発に営まれており、特にサケ類の養殖事業が大成功を収め、2005年には世界のサケ類の養殖生産高で世界第2位となった。サーモンの多くが日本に輸出されている。林業は1980年代以降、アメリカと日本の企業が進出し、パルプ用の木材チップの生産を始め、飛躍的に伸びた。南部のパタゴニア地方には原生林が広がっているため、資源としては有望だが、自然保護の観点から開発規制の動きも出ている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 67 南米の通貨 コロンビアとガイアナ
「コロンビア」と聞いて、多くの人が想像することは、コカイン、エメラルド、コーヒー、内戦などだろう。左翼ゲリラ、極右民兵、麻薬組織らが紛争を続ける国。そのイメージは正しいが、内戦や政治不安とは裏腹に、コロンビアの経済は安定した成長を続けている。
通貨はコロンビア・ペソ(COP)。経済成長率が7.5%(2007年)と好調で、ここ数年、高い水準を保っていることから、海外からの投資が増加している。その反面、政府は「ペソ高」抑制に苦慮している。インフレ率が5.6%とやや高い水準で、しかも景気減速の兆候を見て、政府は2008年5月、ペソ高を抑制するため資本流入規制の強化策を決定した。7月にはインフレ抑制のため、公定歩合を9.75%から10%へ0.25ポイント引き上げた。その利上げがペソ高を助長し、経済成長を鈍化させるといった懸念も出ている。
コロンビアの好景気が続いた理由のひとつは、2008年夏まで続いた原油価格の高騰だ。石油事業は内戦のため開発が遅れていたが、2000年以降、油田開発が急ピッチで進められた。2007年のコロンビア石油公社の石油輸出額は、過去最高の前年比18%増、約39億1,300万ドルを記録。海外からの石油部門への投資額も大幅な拡大が続いてきた。
国内の地下資源をコントロールしているのは政府である。石油、石炭、天然ガス、ニッケル鉱、金、白金、マグネシウムなどはすべて国家の所有。世界市場の80%を占めるエメラルドも国の資産である。ブラジル、メキシコに続くラテンアメリカ第3位の人口も経済成長の牽引役となっている。それら地下資源に加え、19世紀後半から外貨を稼いできたコーヒーもある。生産量は世界第3位だ。あまり知られてないが、生花産業も盛んだ。なかでもバラが有名で、コロンビア産のバラは日本にも入ってきている。生産面だけでなく、花束加工や生産技術でも突出した存在になる可能性が生まれている。
輸出入先のトップは米国。コロンビアの最大の得意先である。問題は、なんといっても政府の腐敗と内戦。経済が好調なのに失業率が13%台と高いことが、格差の大きさと治安の悪さを物語っている。一説には国民の半数近くが貧困層に当たるという、驚くようなデータもある。同国の問題は経済より政治にあるようだ。
南米で三番目の小国がガイアナだ。東にスリナム、西にベネズエラ、南にブラジルと接する。ラテンアメリカで唯一英語が公用語の国である。130年ほど英国領であったことが影響しているようだ。通貨はガイアナ・ドル(GYD)。ガイアナ銀行が発行している通貨で、米国ドルとの因果関係はない。
経済成長は2.8%(2005年)、4.8%(2006年)と伸びており、政治も安定している。主要産業は農業と鉱業。砂糖、ラム酒、ボーキサイトがメインの輸出品だ。砂糖は輸出額の28%を占める。豊かな木材資源も有望で、ボーキサイトの世界的な産地となっている。またダイヤモンド、金も生産している。ラテンアメリカにありながら、カリブ海諸国と文化的に近く、独自の存在といえよう。またインド人、黒人、アフリカ、中東など多岐にわたる多様な人種で構成されていることも特徴のひとつだ。
南米の通貨 コロンビアとガイアナ
「コロンビア」と聞いて、多くの人が想像することは、コカイン、エメラルド、コーヒー、内戦などだろう。左翼ゲリラ、極右民兵、麻薬組織らが紛争を続ける国。そのイメージは正しいが、内戦や政治不安とは裏腹に、コロンビアの経済は安定した成長を続けている。
通貨はコロンビア・ペソ(COP)。経済成長率が7.5%(2007年)と好調で、ここ数年、高い水準を保っていることから、海外からの投資が増加している。その反面、政府は「ペソ高」抑制に苦慮している。インフレ率が5.6%とやや高い水準で、しかも景気減速の兆候を見て、政府は2008年5月、ペソ高を抑制するため資本流入規制の強化策を決定した。7月にはインフレ抑制のため、公定歩合を9.75%から10%へ0.25ポイント引き上げた。その利上げがペソ高を助長し、経済成長を鈍化させるといった懸念も出ている。
コロンビアの好景気が続いた理由のひとつは、2008年夏まで続いた原油価格の高騰だ。石油事業は内戦のため開発が遅れていたが、2000年以降、油田開発が急ピッチで進められた。2007年のコロンビア石油公社の石油輸出額は、過去最高の前年比18%増、約39億1,300万ドルを記録。海外からの石油部門への投資額も大幅な拡大が続いてきた。
国内の地下資源をコントロールしているのは政府である。石油、石炭、天然ガス、ニッケル鉱、金、白金、マグネシウムなどはすべて国家の所有。世界市場の80%を占めるエメラルドも国の資産である。ブラジル、メキシコに続くラテンアメリカ第3位の人口も経済成長の牽引役となっている。それら地下資源に加え、19世紀後半から外貨を稼いできたコーヒーもある。生産量は世界第3位だ。あまり知られてないが、生花産業も盛んだ。なかでもバラが有名で、コロンビア産のバラは日本にも入ってきている。生産面だけでなく、花束加工や生産技術でも突出した存在になる可能性が生まれている。
輸出入先のトップは米国。コロンビアの最大の得意先である。問題は、なんといっても政府の腐敗と内戦。経済が好調なのに失業率が13%台と高いことが、格差の大きさと治安の悪さを物語っている。一説には国民の半数近くが貧困層に当たるという、驚くようなデータもある。同国の問題は経済より政治にあるようだ。
南米で三番目の小国がガイアナだ。東にスリナム、西にベネズエラ、南にブラジルと接する。ラテンアメリカで唯一英語が公用語の国である。130年ほど英国領であったことが影響しているようだ。通貨はガイアナ・ドル(GYD)。ガイアナ銀行が発行している通貨で、米国ドルとの因果関係はない。
経済成長は2.8%(2005年)、4.8%(2006年)と伸びており、政治も安定している。主要産業は農業と鉱業。砂糖、ラム酒、ボーキサイトがメインの輸出品だ。砂糖は輸出額の28%を占める。豊かな木材資源も有望で、ボーキサイトの世界的な産地となっている。またダイヤモンド、金も生産している。ラテンアメリカにありながら、カリブ海諸国と文化的に近く、独自の存在といえよう。またインド人、黒人、アフリカ、中東など多岐にわたる多様な人種で構成されていることも特徴のひとつだ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 66 南米の通貨 アルゼンチンとウルグアイ
アルゼンチンは、20世紀半ばまで各国への農産・畜産品の輸出により利益を得て世界有数の富める国であった。しかし、第二次世界大戦後、経済政策の失敗や政変、クーデター、フォークランド紛争とその敗北などが相次ぎ、1988年にハイパーインフレに陥った。
通貨は、アルゼンチン・ペソ(ARS)だ。ペソはかつてスペインの植民地であった国々で使われている。アルゼンチンがペソを導入したのは1992年。2001年12月までは、兌換制(1ドル=1ペソの固定相場)の下で、自由開放経済政策を促進した。この結果、ハイパーインフレの収束、投資の増加により、高い成長率を達成したが、1999年1月のブラジル金融危機の影響もあり、次第に景気が低迷していった。ブラジルの通貨レアル切り下げでペソが相対的に高くなり、アルゼンチンは輸出競争力を失ったのだ。その結果、2001年後半には金融不安が金融危機や全般的な経済危機に発展。政府は対外債務の支払いを停止し、対ドルペッグ制が崩壊した。
こうして経済が破綻してしまったが、2002年に変動相場制を導入。ペソ安や輸出の増加と賃金・年金の引き上げによる内需の拡大により、経済回復に成功し、高成長を維持。2003年から2007年まで平均8%の高成長を続けた。この間に100億ドル近い債務を完済。2000年末に24%あった失業率は、2006年には11%まで改善した。
主要輸出品目は小麦、トウモロコシ、牛肉、ワインなどの農産物。地下資源には、パタゴニアの石油があり、近年は天然ガスも採掘されている。近年は、南米諸国との経済交流を活発に行なっている。特にブラジルとベネズエラとは政治面でも結束を強め、各国と協同でベネズエラからの南米大陸横断天然ガス輸送管の設立を計画している。2007年のGDP成長率は8.7%を記録。国内経済は好調を持続しているが、穀物輸出への輸出税課税への国内生産者の反発やインフレ上昇傾向、回復しない内需、貧困層の拡大、エネルギー問題など課題は山積している。
ウルグアイは、北と東にブラジル、西にアルゼンチンと国境を接している。通貨は、ウルグアイ・ペソ(UYU)だ。アルゼンチン同様、かつてスペインの植民地であった。
ウルグアイは輸出の4割をブラジルとアルゼンチンに依存している。1999年に起こったブラジルとアルゼンチンの経済危機は、ウルグアイ経済を直撃した。政府は財政引締めに努力したが、農作物の不作、アルゼンチン経済混迷継続などの影響を受け、2002年まで4年連続のマイナス経済成長を記録し、GDPはおよそ20%低下した。2000年から2006年までの失業率の平均は、14%となっている。
主要産業は、GDPの10%を占める農牧業で、林業と漁業も盛んだ。輸出品は肉類、米、皮革製品、羊毛など。政府は農産物以外の輸出向け工業の発展を奨励している。主要な工業には、農業と関連の深い紡毛、コットン、レーヨンなどの織物業と、肉を中心とした食品加工がある。石油精製、セメント、衣類、鉄、アルミニウム、電化製品の生産、化学工業も重要な産業。
ウルグアイからすれば輸入先にあたる産油国ベネズエラの動きも気になる。ベネズエラはウルグアイのエネルギー関連プロジェクトに対する資金供給を目的とする石油基金を設立し、ウルグアイのエタノール製造プロジェクトを支援するために、700万ドルを提供している。このベネズエラの支援で多くの雇用が生まれると予想される。新規に1万ヘクタールのサトウキビ栽培が行われるという。懸念されるのは、牛肉の輸出増が鈍り、またペソ高で国産品の国際競争力が低下していること。外資導入による産業の多角化・活性化が課題となっている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 65 東アジアの通貨 台湾とモンゴル
台湾を独立国と承認するか、中国の一部として扱うかは政治的な問題として難しいが、中国とは通貨が異なることと、台湾が資本主義経済体制にあることなどから、中国とは別の経済圏と解釈できるだろう。また、台湾は独自の軍隊を持っており、兵役の義務もある。台湾政府と正式な外交のある国は、世界に23カ国しかない。
通貨は、台湾中央銀行が発行する新台湾ドル(TWD)。中国、日本同様、漢字を使う台湾では、通貨の基本単位を「圓」と表記する。意外なことだが、台湾本島の銀行で人民元との両替業務が正式に解禁されたのは、2008年6月のことだ。それまでは街の両替店でしか両替ができなかった。中国本土からの台湾向け団体ツアーが解禁されたのは2007年7月。その1年後に、台湾の銀行での元との両替が解禁されたことになる。当初、台湾の銀行は輸送や貯蓄のコストがかかり、購入価格も高めなので、レートは中国本土より悪いと分析。解禁当日の米ドルと人民元の為替レートで計算すると、1米ドルは大陸では6.85人民元になるが、台湾では6.75人民元にしかならなかった。
台湾本島の銀行で人民元との両替業務が正式に解禁された背景には、台湾の貿易が成長し、人民元の需要が高まってきたことがある。中国からすれば将来、台湾ドルをすべて人民元にする統一したいという思惑があるはず。一方、台湾世論は、早急な統一も独立も望んでおらず、現状維持を求める安定志向が強い。
台湾のGNPは、5.7%(2007年)。主要産業は、電気・電子、鉄鋼・金属、精密機械などだ。技術力、工業生産力によって世界市場で通用する製品を開発し、外貨を獲得する産業は日本とよく似ている。アメリカや日本から受注し、中国やベトナムなど人件費の安い地域で製造させるビジネススタイルも現在の日本の製造業のあり方と酷似している。近年は、台湾の主要な公共事業に日本企業が進出するなど、両国の関係は深くなっている。今後、台湾と中国との関係がどのように展開するかはわからないが、貿易相手国として互いに重要であることは確かだ。
モンゴル国の面積は、日本の約4倍。かつてモンゴル帝国が中国を支配し、巨大な国家を築いたことはよく知られている。ソビエト連邦建国後、共産主義国のモンゴル人民共和国が誕生。内モンゴルの諸部族は中国領内に残り、現在の内モンゴル自治区となった。1992年に共産主義から資本主義に移行。改革当初は経済が低迷したが、外国からの支援を受け、1994年にGDPがプラスに転じた。
通貨は、トグログ(MNT)。畜産業を中心とした農牧林業、モリブデン、銅、金を中心とした鉱業が盛んで、特にモリブデンは世界屈指の埋蔵量を誇っている。モリブデンは、工業用の潤滑油やエンジンオイルの添加剤に用いられるほか、ハイブリッドカーやロケットの電子基盤、液晶パネルにも使用されている。また、皮革製品、羊毛製品、カシミアなどの牧畜産品は日本やアメリカに輸出されている。
経済成長率は、2007年に9.9%を記録している。ただし、インフレ率が15%も上昇しているので、資源高による物価高が起こったことが予想される。主要輸出国は、中国、カナダ、米国、ロシアなど大国ばかり。一方、ロシアから石油製品を、中国から日用雑貨を、日本から自動車や機械を輸入している。課題には豊富な天然資源の開発のため、外資を受け入れる環境を整備することが挙げられる。
By Master K/益田 慶
FXライフ 64 東アジアの通貨 香港とマカオ
香港は、1997年にイギリスから返還され、中国の特別行政区のひとつとなった。正式名は中華人民共和国香港特別行政区。南シナ海に浮かぶ235余りの島を含めた地域を指し、その総面積は東京23区の約2倍程度だ。通貨の香港ドル(HKD)は、イギリス系の香港上海銀行とスタンダード・チャータード銀行、中国銀行が発行している。
返還後、為替レートを1米ドル=7.8 HKDとする固定相場制(ペッグ制)が採用されていたが、2005年5月、ペッグ制を強化する目的で、為替レートを1米ドル=7.75~7.85 HKDの間に設定する「目標相場圏制度」を導入した。2005年7月、人民元が対ドル固定相場制から「管理変動相場制(管理フロート制)」に移行した際も、香港金融管理局は香港ドルの対米ドル制は変更されなかった。当時はペッグする対象として米ドルが最適だったからだろう。
しかし、将来、香港ドルを人民元にペッグさせる可能性や、香港ドルを廃止して人民元を流通させることも想像できる。あるいは、香港ドルが変動相場制や通貨バスケット制に移行する可能性もある。
では、経済動向を見てみよう。香港はもともとイギリスの対中国貿易の拠点であったことから歴史的に中継貿易が盛んであった。近年はアジアのハブ港として成長し、アジアの国際金融センターとしての地位を確立してきた。2005年のコンテナ取扱量は、シンガポールにトップの座を明け渡し、6年連続世界一とはならなかったが、香港政府は香港を国際金融センターにするべく力を入れている。
また、マネーロンダリングへの監視を強化すると同時に、2006年2月から相続税が廃止されたため、財政収入減少と引き替えに、金融市場・不動産市場への投資が増加することが見込まれている。
香港経済は近年、広範で強力な成長を続けてきた。2007年10月半ばに発表された新しい統計方法によると、実質GDPは2005年7.1%、2006年6.3%と続き、2007年上半期に前年同期比で6.3%の伸びを示した。香港は「世界で最も自由な経済」と呼ばれ、またサービス部門がGDPの90%を占めることから「世界で最もサービス指向の強い経済」とも称されている。
さらに「世界第2位の住民一人当たり外貨保有高」「世界第9位の外貨準備高」「アジア第2位の海外直接投資」など世界のトップクラスの指標が多くある。規制の少ない低税率な自由経済が、香港の高い成長率を牽引したということだろう。
一方、マカオは、中国南岸の珠江河口に位置する特別行政区。旧ポルトガルの植民地で、現在はカジノで名高い国際都市である。1999年にポルトガルから中国へ返還された。通貨は、マカオ・パタカ(MOP)。
しかし、実際には流通通貨のほとんどが香港ドルだ。香港ドルとパタカのレートは固定されており、香港ドルがパタカより少し強く、カジノのスロットマシーンが香港ドルしか使用できないことなどの理由がある。また、パタカは地域限定の通貨だが、香港ドルはマカオと香港で両方使えるというメリットもあり、マカオでは香港ドルが広く使われているのだ。
さて、マカオの産業といえば、カジノを含めた観光業が突出しており、次いで織物と衣類が大きなシェアを占めている。カジノに関しては、2006年にラスベガスの売り上げを超え、首位に躍り出た。その背景には、経済成長を続ける中国の「チャイナ・マネー」と外資の注入があると見られている。
中国銀行澳門(マカオ)分行が2008年2月に公開した経済研究レボートによると、2008年、マカオは観光業、レジャー産業、および投資面での伸びを基礎に、総体的な経済の持続した成長が見られ、伸び率は13%に達する見込みだという。
また、コンベンション産業の直接収入は年々増加する見込みで、マカオはアジア太平洋地域におけるコンベンション産業の成長が最も著しい都市になっている。カジノだけでなく、コンベンション産業が、ホテル業、飲食業、商業、娯楽業など多くの産業を発展させ、総体的な経済の成長を促す役割を担っているのである。
By Master K/益田 慶
FXライフ 63 東アジアの通貨 韓国と北朝鮮
韓国の正式国名は大韓民国。日本とは、特に経済面で関係の深い国である。IT産業、自動車産業が強く、世界で13番目の経済力を持つ。韓国経済のCEOを自認する李明博大統領の経済公約、すなわち減税、企業と不動産の規制緩和が実行されれば、2012年頃には韓国の一人当たりの国民所得は、日本並みになると予想されている。
通貨はウォン(KPW)。通貨単位も呼び方も北朝鮮の通貨と同じだが、実態は別の通貨。区別するために「韓国ウォン」と呼ばれることが多い。もともとは「円」の朝鮮語読みだが、「元」も朝鮮語読みで「ウォン」と読むことから、韓国では「元」をハングル文字で「ウィアン」、日本円を「エン」と表記している。
韓国ウォンは、日本円に連動する場合が多い。通貨保護の観点から国外への持ち出しを制限していたが、2002年の「日韓共催ワールドカップ」を機に規制緩和され、日本の郵便局や一部の銀行でも円との両替ができるようになった。
近年のGDPは、2005年4.2%、2006年5.1%、2007年5%と堅調に推移している。2008年8月の経常収支は47億880万ドルと、原油高に伴う貿易収支の悪化が響き、過去最大の赤字額を記録した。9月以降は原油価格が反落したこともあり、経常収支の改善が期待されているが、先進国経済の動揺で輸出が減速する恐れもある。また、日本同様、国内消費が低迷しており、若年失業者が多く、二極化が指摘されている。
主要な産業は、情報技術、造船、鉄鋼、自動車など。サムスン電子や現代自動車、LG電子、ポスコ、現代工業などの企業が世界的に知られている。ただし、技術や素材、部品を日本に依存しているため、日本との貿易収支は赤字が続いている。技術面で日本企業との提携が多いのも特徴のひとつ。たとえば現代自動車は三菱自動車と提携していたし、製鉄の最大手ポスコは新日製鐵から技術を導入した。
また、かつてサムソンが松下電器に多くの社員を送り込み、多くの技術を学んだことはよく知られている。近年では、液晶パネル製造部門を持たないソニーがサムスンと提携するなど、逆転現象も見られ、また知財やライセンスでのトラブルも数多く発生し、提携の仕方も多岐にわたっている。韓国企業の世界進出はめざましく、家電製品は欧州市場に受け入れられつつあり、海外プラント建設では中東から多くの事業を受注している。
一方、韓国と同じ通貨「ウォン」を使う北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)だが、北朝鮮ウォンはあくまでも朝鮮人民のみに流通する通貨。だから、北朝鮮以外の国では両替はできない。ただし、北朝鮮を訪れた外国人との取引は外貨で行なえる。国内で流通する通貨は公式には「ユーロ」だが、市場には人民元、米ドル、日本円も流通しているらしい。
一応、固定相場が設定されており、公式なレートがある。1990年代まで公式な為替レートは「1ドル=2ウォン」ほどだったが、2004年の為替レートは「1ドル=141ウォン」だったと伝えられており、「ウォン安」が続いている。実際には闇両替取引が実施されており、相場は物価を反映し、公式相場を大きく下回っている。闇市場では「1ドル=2500ウォン」以上ともいわれている。近年の経済状況では当然の結果といえよう。
ともあれ、長引くインフレにより、北朝鮮ウォンがどれほどの価値を持っているのかは不明。実質的な一人当たりGDPは、日本円にして6700円ほどになるというレポートもある。
インフレの原因は、ふくれあがる北朝鮮の国家財政。増税ではなく、国債の大量発行によって調達したと考えられる。これは軍事優先の「先軍政治」が加速していることを物語っている。軍事費の比率を示す「ミリタリーバランス」は、国家予算の63%にあたると見られる。こうして北朝鮮の通貨は紙くず同然となり、国民は脱北して中国や韓国で働かないと収入が得られない状況に追い込まれている、と専門家は分析している。
By Master K/益田 慶
FXライフ 62 南アジアの通貨 インドとイギリス領インド洋地域
いずれ日本を抜いて世界第3位の経済大国になると予想されているインド。台頭してきた要因は、10億人もの人口と市場規模、ユーラシア大陸の中央に位置する地理学的な重要性、英語力に長け、人件費も安価であることなどが挙げられる。また、年率9%もの経済成長を遂げてきた背景に、規制緩和、外資導入、国営企業の民営化などを通じて競争原理に基づく市場経済体制を整えたことがある。
さらに、巨大な財閥による潤沢な民族資本がインドにフィードバックされていることも見逃せない。よくひきあいに出されるIT産業と金融産業の発展に欠かせないのが、在外インド人や留学生の存在だ。現在、米国に約200万人、世界全体では1500~2000万人のインド人が活躍し、キャリアを積んでいる。彼らがインドに戻って起業するUターン現象が起こっているのと同時に、大手IT企業や金融会社がインドに現地法人をつくり、インド人を教育してきた。
通貨は、ルピー(INR)。中央銀行は、インド連邦準備銀行。マンモハン・シン首相はインド準備銀行の総裁、財務大臣等を歴任し、90年代の新経済政策を推進してきた人物。経済成長も彼の手腕によるところが大きいと評価されている。
インドは独立以来、輸入代替工業化政策を進めてきたが、1991年の外貨危機を契機として「インド型社会主義」の実験を終え、経済自由化路線に転換した。そして、規制緩和、外資積極活用などを柱とした経済改革政策を断行した。
その結果、経済危機を克服しただけでなく、1990年代中盤には3年連続で7%を超える高い実質成長を達成した。2000年から2002年にかけて国際原油価格高や世界経済の減速などの影響があり、経済成長率は4~5%台に落ち込んだが、2003年から再び高成長に転じ、2005年度は9.0%、2006年度には9.4%の成長を達成した。原動力となったのは、前述したIT産業、金融業に加え、製薬、自動車、バイオテクノロジー、ハイテク関連産業などである。
2004年に発足したマンモハン・シン政権は、規制緩和や社会的弱者救済等の基本政策に基づき、農村開発や雇用対策に優先的に取り組むとともに、外資規制緩和や国営企業民営化等の経済自由化政策を継続している。主な貿易国は、アメリカ、中国、アラブ首長国連邦。インドはかつて産油国であったが、現在は純輸入国となり、アラブ首長国連邦から原油を輸入している。
しかし、ここ10年ほどインドの強みであった人件費の安さは、国内の人材不足により優位性を失いつつある。人件費の安さでいえば、現在ベトナムに軍配があがる。課題は地方の格差とインフラ整備だ。特に電力不足は大きな問題となっている。モンスーンが発生して気温が45度ぐらいまで上昇する夏場などは、クーラーを使用する事務所や家庭が増えるため、停電や電力の低下が起こりやすくなり、停電が発生している。
インドに進出した外国企業の多くは、工場で必要となる電力を自家発電によってまかなっているのが現状だ。農村部の44%の家庭には電力供給がなされておらず、夜になると村全体が真っ暗になってしまう地域も少なくないという。
インドは、急速な経済成長に伴う将来の電力不足に備えるため、発電設備容量の拡大や送電の効率化に躍起となっている。そこでインド政府は、米国とフランスから原子力発電事業を拡大するための支援を取り付けというわけだ。現在の主力電源は石炭を燃料とする火力発電だが、将来的には原子力発電を主要電源として活用していく計画である。
一方、イギリス領インド洋地域とは、1965年にチャゴス諸島を中心としたインド洋の約2300の島を含む地域で、イギリスの海外領土だ。行政本部はセーシェル共和国のビクトリアにあり、インド洋総監府として行政を執行している。チャゴス諸島はモルディブの南1600キロの場所にある。16世紀にポルトガル人に発見され、1814年よりイギリス領となった。一時期はモーリシャスの管轄として統治されていたが、1965年にモーリシャスから分離され、モーリシャス独立後もイギリス領として残されている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 61 南アジアの通貨 アフガニスタンとスリランカ
1917年にイギリスの保護国より独立して以降、度重なる内戦、ソ連軍の侵攻、タリバーンの実効支配、米軍の侵攻など、20年以上にわたる混乱が続いているアフガニスタン・イスラム共和国。西にイラン、南と東にパキスタン、東端は中国に接する多民族国家だ。通貨は、アフガニ(AFA)。2002年に実施されたデノミによって、1000旧アフガンが1新アフガンとなった。発行はアフガニスタン銀行だ。
タリバーン政権が崩壊後のカイザル政権下で民主化が進められているが、依然イスラム法の影響下にあるため、本来の意味での民主化にはまだ時間がかかりそうだ。経済は農業を主体としてきたが、内戦、灌漑施設の破壊、多国籍軍の侵攻などで混乱が続き、さらに干ばつによった大きな打撃を受けてきた。
また、水不足、食糧不足、医療施設不足から、世界でも極めて貧しい国のひとつに認定されている。小麦やアーモンド、レーズン、ブドウなどの農業が表の基幹産業とするなら、アヘンの原料となるケシの栽培は裏の基幹産業。アヘン売買で得た資金がタリバーンの活動資金となっていた歴史があり、麻薬依存経済は継続している。政府は撲滅運動を進めているが、効果はあがっていない。
現在の歳入の大半は国際援助だ。日本は有償・無償の資金協力、技術協力を行なっている。一方、天然資源として北部の天然ガスや石炭が採掘され、銅含有量の多い銅鉱床が発見されているものの、交通インフラが破壊され、復興が行なわれていないため、国の資源になっていない。とにかく民主化とインフラ整備が緊急の課題である。
スリランカは、かつてセイロンと呼ばれていた島国。1972年に共和制に移行し、国名をスリランカ共和国に改称した。面積は北海道の約0.8倍。70%が仏教徒を占める国でもある。歴史的・文化的に隣国インドとの関係が深い。
政治的に不安定な時期が続いている。1983年以降、北・東部を中心に少数派タミル人の反政府武装勢力が独立を目指して活動を続け、1987年に反政府組織が独立宣言し、内戦に突入した。その後、一時停戦するが、2006年に再燃し、停戦合意は破棄された。現在も政治的には不安定な状態が続いている。
通貨は、スリランカ・ルピー(LKR)。2001年以降、変動為替相場制度に移行した。対ドルレートは2008年8月時点で、1ドル=110.6LKRだ。主要な産業は、農業と繊維産業。農業はプランテーション作物と呼ばれる紅茶、ゴム、ココナッツを中心としており、特に「セイロンティー」と呼ばれる茶の生産量は世界第3位と、同国の特産品になっている。一方、近年、工業化が進み、繊維産業が発達し、衣料品が大きな輸出品目に浮上した。
2004年に発生したスマトラ島沖地震による津波で海岸部に大きな被害が広がり、また民族紛争の再燃があり、農業と観光業は打撃を受けたが、その後、サービス業が回復し、GDPは7.7%(2006年)、6.8%(2007年)と高い水準で推移している。
米国、英国、インドに農産物や衣料品を輸出し、インド、シンガポール、香港などから、加工品にする前段階の中間財や資源を輸入している。教育水準が高く、労働力に恵まれていることがあり、海外からの直接投資は2006年度に前年比で倍増し、2007年も順調であった。しかし、2007年後半から物価が上昇し、最終的にはインフレ率17.5%(2007年)、失業率が6%(2007年)と悪化した。スリランカは消費財を輸入に頼っているため、資源高が国内の物価に大きな影響を与えたのだ。また、貿易収支は赤字が増え続け、対外債務残高も増えていることが気になる要素だ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 60 南アジアの通貨 ネパールとパキスタン
ネパールは南にインド、北に中国チベット自治区を接する東西に細長い内陸国。面積は北海道の約1.8倍。世界最高峰エベレストを含むヒマラヤ山脈と、南部のタライ平原から成る。多民族・多言語国家で、ブータンやチベットから難民が移り住み、民族問題がより複雑になっている。かつて王制を敷いていたが、2008年5月、国王が退位し、240年間続いた王制が終わった。
通貨は、ネパール中央銀行が発行するネパール・ルピー(NPR)。同じルピーの名を持つインド・ルピーとは、1インド・ルピー=1.6ネパール・ルピーに固定されている。
ネパールは後発開発途上国のひとつに数えられ、主要産業は農業。農業以外では観光業と繊維加工業が主力。観光業は重要な外貨獲得手段だが、2006年まで続いたネパール共産党と政府との抗争による観光客減少により、2002年度以降は10%以下に減少した。経済成長率は、推定1.8%(2006年)。物価上昇率が8%と高く、国民の生活は決して楽ではない。そのため、海外への出稼ぎが増え、出稼ぎ送金の増大が貿易赤字を相殺している。その点は、フィリピンと似ている。
主要輸出品は、カーペット、既製服。主要輸出先は、インド、アメリカ、ドイツ。インドは主な輸入国でもあり、結びつきが強い。地下資源には恵まれていないが、ヒマラヤ山脈を利用した水力発電により国内の発電量のほぼすべてを水力発電が占めている。ちなみに、同国に対する日本の経済援助額は、イギリスに次いで第2位。よって日本の国連常任理事国入りを支持している。
パキスタンは、政治的に非常に難しい立場にある国だ。正式名称は、パキスタン・イスラム共和国。1947年にイギリスから独立したイスラム国家で、インドとは3度にわたる「インド・パキスタン戦争」を行なった。1971年には、インド軍の侵攻を受けた東パキスタンを失い、バングラデシュとして分離独立。現在もインドとは対立関係にある。そのインドと対立する中国とは利害が一致することから、パキスタンは中国から軍事援助を受けてきた。また、アメリカはイランを封じ込めるため、パキスタンを支援し、同国も親米路線をとってきた。
一方、パキスタンはアフガニスタンの武装勢力タリバーン支持してきた。しかし、9.11以降、米国がアフガニスタン侵攻を開始。パキスタンがこれを支持したことで大きなねじれが生まれた。パキスタンは、それまで支援してきたアルカイーダを、弾圧する側にまわったのである。その後、タリバーンはパキスタンに潜伏して、反米抗争を展開。イスラム教徒に対するキリスト教国の攻撃に反感を抱く国民の声が高まり、パキスタンは親米・反米の間で混沌としている。
通貨は、パキスタン・ルピー(PKR)。主要産業は、農業と繊維産業。特にパジャーブ地方で小麦の生産が盛んで世界生産量第4位である。米国、アラブ首長国連邦、中国、イギリスなどに、繊維関連製品、農産品を輸出し、サウジアラビアとアラブ首長国連邦から原油、石油製品を、日本からは自動車や機械類を輸入している。
ムシャラフ前大統領が、経済改革プログラムに着手し、一定の成果をあげた。2006年までの6年間で、政府の財政赤字をGDPの8%から4%に減らし、パキスタンの公的債務の返済を繰り述べ、国の事業部門のほとんどを民営化することに成功した。2006年度のGDPは7%と堅調に推移しているが、インフレ率も8%とアップし、国民生活は決して楽にはなっていない。優先順位は、治安の正常化であろう。
余談だが、パキスタンはインドの脅威に対抗するために核開発を行なってきた。パキスタンの「核開発の父」と呼ばれるA・Q・カーン博士はひそかに北朝鮮、リビア、イランへのミサイルや核兵器技術の提供にかかわっていたことが判明している。
By Master K/益田 慶
FXライフ 59 南アジアの通貨 バングラデシュとブータン
インドの東側に位置するバングラデシュは、イスラム教徒の国。インド独立運動によって、ヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はパキスタンとして分離独立することになった。インドを挟んで東西に分かれたパキスタンのうち東パキスタンが現在のバングラデシュである。1971年にパキスタンから独立した。通貨は、タカ(BDT)。ほとんどの紙幣をバングラデシュ銀行が発行し、いくつかの紙幣とすべての硬貨をバングラデシュ政府が発行している。
日本の4割ほどの面積に1億4000万人が住むバングラデシュは、世界で最も人口密度の高い貧困国。多くの国から援助を受けているが、人口増加、政治汚職、台風や洪水など問題が重なり、貧困から脱することができずにいる。なかでも2004年に起こった洪水で国土の60%が水害にあい、多くの農作物が被害にあった。2000万人が食料援助を受ける事態となった。
最悪の事態に見舞われたにもかかわらず、2007年度の経済成長率が6.5%に達した背景には、農業分野の成長回復や製造業・サービス業の安定成長といった要因があげられる。中国より低い労働コストによって軽工業製品の工場がバングラデシュへ移行してきているのが大きい。それでも、縫製品輸出や海外労働者の海外送金への依存度が高く、構造的に脆弱であることに変わりない。産業の多角化と電力・道路などの基礎インフラの整備が課題となっている。
ちなみに新年度予算案では、全体の57%が貧困削減関連事業に当てられ、教育・IT技術分野(15.6%)、運輸・通信(9.1%)、地方自治・農村開発(8.6%)、農業(9.1%)、防衛(6.8%)に優先的に配分されている。
チベット仏教を国教とするブータン王国は、近代化に対し独自の立場を取っている。前国王が提唱した「国民総合総幸福度」という概念は世界から注目を集めている。ブータンは経済成長より、環境と伝統文化を保護することを重要と考えているのである。
通貨は、ニュルタム(BTM)。貿易相手国はインドが8割を占めるため、インド・ルピーとの結びつきが強い。産業の中心は農業と林業だ。9割近い人口が自給的な農業、放牧業に従事している。ブータンの農業は自家消費が目的で、自給率が高いのが特徴。しかし生産性が低く、農民人口が増えているにもかかわらず、生産量は微減している。
険しい山々が地形の多くを占めるため、道路の建設や他のインフラの建設は難しく、またコストがかかる。道路建設のような開発事業の大部分は、インド人の移住労働者に頼っている。工業生産は小なく技術的には遅れており、大部分の生産は家内工業である。
文化・環境保護の観点から推進される観光政策は、外国人観光客の入国を制限したり、バックパッカーとしての入国を原則禁止したりするなど、やや不自由な方向に向かっている。また2004年には、環境保護と仏教教義的な背景から、世界初の「禁煙国家」を宣言。煙草の販売は全面的に禁止された。
じつはブータン最大の輸出品は電力だ。国土がヒマラヤの山岳地にありことを生かし、豊富な水力による発電を実施している。そして隣国のインドに電力を売却し、外貨を得ているのである。2006年のGDPは9.4%。輸出入ともインドがほとんどを占め、経済面でインドと強い結びつきがあることがわかる。
日本人からすれば、スローライフを体現しているかのように見えるブータンだが、南部居住のネパール系住民が国外に脱出して難民化しているほか、チベット系の民族衣装着用の強制などナショナリズムをあおる政策が随所に見受けられる。経済成長を目指さず、国民の幸福度を追求する政策がどこまで貫くことができるのか、あるいは新たなバリエーションが広がっていくのか、楽しみな国である。
By Master K/益田 慶
FXライフ 58 東南アジアと南アジア通貨 東ティモールとモルディブ
1999年、インドネシアの占領から解放され、2002年に独立したのが東ティモールだ。ティモール島は第二次世界大戦後、異なる歴史を歩んだ。西ティモールはインドネシアの一部として独立し、東ティモールはポルトガル領となった。そして1975年、東ティモールが独立宣言をすると、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。インドネシア政府は自国の州であると宣言した。
その後、インドネシアの民主化運動によってインドネシア・スハルト政権が崩壊。1999年、ようやく独立が決定した。2002年の独立後、東部住民と西部住民の対立が続き、インドネシア併合維持派である反乱軍の動きが活発になる。東ティモール政府がオーストラリア、マレーシアなど4カ国に治安維持軍の派遣を要請。沈静化したものの、今日に至るまで小さな抗争が続いている。
通貨は、米ドルだ。東ティモールには中央銀行もなければ、独自通貨もない。建国までの数年間、軍事的指導者たちは、彼らが過ごしてきたポルトガル植民地時代の通貨「エスクード」が採用されるよう要求した。しかし、当時、国内の貧しい人々はインドネシア・ルピアを、富裕層や国連関係者、援助団体者は、エスクードや米ドル、豪ドルで支払いをしており、複数の通貨が流通していた。ただしインドネシア・ルピアはアジア通貨危機の際に下落したので、当時世界的に最も信用されていた米ドルが選ばれたようだ。
独立後、反乱軍との抗争により首都ディリが破壊され、経済は壊滅状態に陥った。政府の歳入は、オーストラリア、ポルトガル、日本など外国からの援助に依存しているのが現状。農業がGDPの4分の1を占め、米やトウモロコシ、コーヒー豆などが生産されている。
なお、南方海域に海底油田があり、将来の主要産業として期待されているが、東ティモールへの影響力を獲得しようとしているオーストラリアとの境界線問題に発展し、原油と天然ガスはパイプラインを通じてオーストラリアから輸出されている。また、この石油・ガス開発により海外からの無償援助が減っているのも事実。東ティモールの苦難は、まだ続きそうだ。
モルディブはインド洋に浮かぶ約1200の島々から成る島国。1965年にイギリスより独立。アジアの地域では、南アジアに区分される。海抜が2.4メートル以内でありことから、海面上昇とサンゴ礁の死滅により国が消滅する危機にさらされている。人口は約30万人。
通貨はルフィア(MVR)。主要産業は、観光業と漁業・農業。特に観光業はGDPの約3分の1を占めており、観光業による雇用がモルディブの就業人口の14%もあるという。農業はココナッツ、バナナ、タロイモなどが主要作物。島国らしく漁業が盛んで、2004年度の漁獲高は16万トン。
2004年末に発生したインド洋大津波の影響で、2005年度の経済成長率はマイナスとなったが、2006年以降、観光・漁業とも回復を見せ、最終的に約20%の成長率となった。ただし、同年度の失業率は14.4%と高かった。
同国は鉱物資源に乏しく、また工業が発達していないので、政府は工業化促進を進めている。モルディブでは各島に機能が特定されることが多いことから、工業に特化した島づくりが進行しているのであろう。また、人工島の建設も進められている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 57 東南アジアの通貨 ミャンマーとラオス
軍事政権が支配するミャンマー。1962年から1988年まで続いた「ビルマ式社会主義」時代の鎖国的な経済体制によって、当時のビルマの経済は大きく停滞した。1988年に起こった大規模な民主化要求デモにより社会主義政権は崩壊したが、国軍がデモを鎮圧し、軍事政権を樹立した。
通貨は、チャット(MMK)。キャットと表記するケースもある。海外では流通しておらず、チャットの輸出入も禁じられている。まず、ミャンマー独自の複雑な為替制度を紹介しておこう。ドルは国内の商取引で広く用いられているが、その他の外国通貨の使用は一般的ではなく、外貨からチャットへの交換は、政府が公認した限られた公設交換所でしかできない。しかも実勢よりは不利なレートが適用される。
ミャンマーの正規の外国為替レートには、中央銀行の定める「公定レート」と「公認市場レート」の2種類がある。二重為替相場制だ。輸入品価格の査定や輸入関税の算定には公認市場レートが使われる。このほかに「実勢レート」があり、実際の経済活動のほとんどが実勢レートで行われている。
ミャンマーに外貨を持ち込む外国人投資家には、国営銀行2行にのみ外貨口座の保持が認められる。また、外国投資法で認可された外国企業と雇用者は、ミャンマー外国貿易銀行(MFTB)などの外貨口座の開設義務があり、しかも外貨送金規制は極めて厳しい。持ち込まれた外貨を国内で使用する際、まずFECと呼ばれる外貨兌換券に交換しなければならない。
1FECは、ミャンマー国内に限り1ドルと同等の価値を持つ。国内通貨を得る場合には、いったん外貨をFECに交換したうえで、公認交換所で政府公認市場レートにより交換できる。外為銀行では外貨からチャット、FECからチャットへの交換は行わない。
ミャンマーの経済状況は、政府の公式発表がなく不透明だ。2007年8月、ガソリン、ディーゼルなど燃料の公定価格が突然大幅に引き上げられ、一時期大きな混乱があった。また、米などの基本食材も一時高騰した。さらに欧米諸国がミャンマー製品の輸入禁止や新規海外直接投資の禁止などの経済政策を行なっていることから、近年、急速に発展してきた民間の縫製業が大きな打撃を受け、工場は操業停止を余儀なくされているという。
それでも、経済紙「エコノミスト」が2008年の成長率を3.4%と見込んでいるのは、天然ガス輸出が堅調だからだ。また、外国投資については近年、中国、インド、タイなどからのエネルギー分野への投資認可が相次いでいるという。
そのミャンマーをはじめ、中国、ベトナム、カンボジアと国境を接するラオスは、マルクス主義を掲げる一党独裁体制。1986年に市場原理が導入され、新しい経済メカニズムがスタートしたが、アジア通貨危機によって通貨キープ(LAK)が大幅に下落し、激しいインフレに見舞われた。ラオス政府のこの時期に西側先進国との関係を改善し、国際機関や西側先進国からの援助によって経済を復興した。
ラオスの主要産業は、農業、林業、水力発電、鉱業だ。豊富な水力発電によってタイに売電していることは有名で、「東南アジアの電源」と称されている。地下資源は未開発ながら、カリ岩塩の鉱床、スズ鉱床のほか、マンガンや鉄、マグネシウムなどの鉱床も発見されている。これら莫大な資源を活用するための課題は、交通網の整備だ。ラオスは国土の約半分を森林が占めており、さらに険しい山脈が縦横に広がっている。
2007年のGDPは8%。タイ、ベトナム、中国など隣国に電力や衣料、木材を輸出し、原油や工業製品は輸入に依存している。2008年1月、日本との間で二国間投資協定に署名。日本企業にとっては、同国の豊富な地下資源は魅力的。日本企業の技術によって鉱業が活性化すれば、両国の経済的なメリット大きいだろう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 56 東南アジアの通貨 ベトナムとマレーシア
インドシナ半島東岸に位置し、南北に長い国ベトナム。北は中国、西はラオス、カンボジアと国境を接する。通貨はドン(VND)。ドンは、 銅もしくは青銅を意味する言葉。フランスに植民地化される前は銅貨が流通していた。さらにさかのぼると、江戸時代の銅銭「寛永通宝」はベトナムでも流通しており、国際取引の決済に使われていた。
1976年に南北が統一され、ベトナム社会主義共和国としてスタート。1986年、社会主義に市場経済システムを導入する「ドイモイ政策」に踏みだし、外資導入に向けた構造改革が始まった。それ以降、経済成長が続き、アジア通貨危機で一時期失速したが、ODAと外国投資によって立ち直り、2002年から2004年までGDP7%成長を続け、2007年には8.5%成長を遂げた。
ベトナムが1999年にASEAN自由貿易地域(AFTA)に加盟し、日本企業にとって輸出拡大が見込めるようになったことに加え、「世界の工場」中国の人件費が上がったため、中国の半分か3分の1ともいわれる賃金のベトナムに生産基地を移す企業が増えたことも経済成長の大きな要因だ。ベトナムは、2007年に念願の世界貿易機構(WTO)に正式加盟し、今後は工業国をめざして進むという。
日本はベトナムに機械類と電気機器を輸出し、ベトナムから原油、水産物を輸入している。ベトナムは、世界第2位の米の輸出高を上げるほどの農業国だが、実は石油・石炭、スズなど資源に恵まれた国で、輸出品目の第1位は石油だ。また、スズは世界第4位の生産量を誇り、亜鉛、クロム、鉄、リン鉱石も産出している。
2000年以降、ベトナムの石油発見量が増えたのは、米国と英国企業がベトナムの国営石油ガス会社「ペトロベトナム」との共同で既存石油生産地域において次々と新規油田を発見したからだ。ベトナムは未探鉱地域の面積が広く、政府は近年探鉱鉱区入札の公開に力を入れてきた。
マレーシアは、1986年以降、外貨の積極的な導入による輸出指向型工業化政策を推進し、高度成長を達成した。1998年にマイナス成長を記録したが、製造業を中心に回復。1999年以降、プラス成長を維持している。これは工業製品の国産化政策の成果で、マレーシアの自動車産業は国内メーカーが高いシェアを得ている。
また、外国企業の積極的な誘致、港湾や空港、鉄道などインフラ整備も充実し、IT産業も発展している。
通貨はリンギ(MYR)。2005年、中国人民元の切り上げに連動するようにリンギの固定相場制(ペッグ制)を廃止し、複数の通貨に連動させる「通貨バスケット制」へ移行した。
主要産業は、前述した製造業、天然ゴム、パーム油など農林業、鉱業だ。マレーシアは、天然資源に恵まれた国でもある。スズ鉱の採掘は世界第8位。石油、石炭、天然ガスも産出している。アジア太平洋地域の2000年以降の新規石油発見で多かった国は、インドネシア、ベトナム、マレーシアの3国。東マレーシア・サバ沖合海域で2002年から大規模発見が続き、インドネシアのカリマンタン島東沖合と並ぶ有望な深海油田地帯となった。
石油・ガス企業では、マレーシア国営企業「ペトロナス」が有名だ。国内の石油天然ガス資源の所有権をすべて保有、管理を行っている巨大企業。液化天然ガス事業ではペトロナスがほとんどの株を握る「マレーシアLNG」を立ち上げ、日本の大手ガス会社、電力会社に液化天然ガスを販売している。
2006年度のGDPは5.9、インフレ率は3.6%、失業率3.3%と好調だ。製造業とサービス業が成長を牽引した。2006年は輸出が前年比10.3%増、輸入が同10.7%増。貿易額は初めて1兆リンギを突破した。2007年度GDPも6.3%と伸びている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 55 東南アジアの通貨 フィリピンとブルネイ
7000を超える諸島から成るフィリピン。通貨はフィリピン・ペソ(PHP)だ。1997年のアジア通貨危機によってフィリピン・ペソの対米ドル相場が下落。物価上昇を背景に、消費者の購買力が低下し、経済成長は低迷した。しかし、タイやインドネシアなど周辺諸国と比較するとバブルの度合いが少なかった分、回復は早かった。
ペソの対ドルレートは、近年の財政収支の改善、海外からの証券投資流入や海外からの送金増などを背景に上昇を続けている。輸出型の企業には痛手となっているものの、2006年の貿易額は、輸出入ともに過去最高を記録した。
輸出全体の約6割を占めるエレクトロニクス製品は、世界的なIT需要の回復を受けて、2006年の輸出を牽引。ただし原油高の高騰がフィリピンにも大きな打撃を与えている。
フィリピンの主要産業は農業、電子・電気機器、サービス業などだが、食料の自給率は低い。GDPを支えているのは海外労働者の送金である。これがフィリピンの大きな特徴だ。フィリピンは海外労働の経済依存度が世界一高い国。人口の1割近くが米国、サウジアラビア、マレーシア、カナダなど海外で働いている。日本でも約30万人が働いているとされている。こういった海外労働者からの送金額がとてつもなく多い。2006年の海外からの送金額は、前年比17%増で過去最高の124億4,810万ドルに達している。これによって2006年度のGDPは6.2%という好調さだ。ただし10年続けて失業率が10%台を推移しており、貧富の差は著しい。
近年の穀物価格の高騰も大きな影響を与えている。さらに追い打ちをかけるように、インドやベトナムなど、アジアの米の輸出国が輸出制限措置を始めたことも国民生活を圧迫している。米の不作が続き、国内価格が高騰したことで、各国がフィリピン向けの輸出量を調整したのだ。フィリピンでは、消費者のまとめ買いを避けるために小売店が販売量を制限しており、2007年から小さな暴動が相次いでいる。
ブルネイは三重県とほぼ同じ面積の小国。正式国名はブルネイ・ダルサラーム国だ。マレーシア、インドネシア同様、イスラム国家だ。通貨はブルネイ・ドル(BND)。シンガポール・ドルと等価交換されている。
1984年にイギリスから独立した。マレー人から成る小国だが、石油と天然ガスが産出することから経済水準は高い。物価は高いが、その分、社会福祉が充実しており、個人に対する所得税は課税されない。また、国の規模に比べると国防費が大きいのも特徴だ。軍隊の装備は、イギリス、フランス、アメリカ製がほとんどを占めており、海軍は沿岸の警備と沖合の油田の防衛を任務としている。
石油・天然ガス部門がGDPのほぼ半分、輸出のほとんどを占めている。GDPは原油高の恩恵を受け、2006年度に5.1%を達成。インフレ率は1.2%、失業率4.0%と安定している。石油、天然ガスの輸出国は、日本、インドネシア、韓国など。
注目すべき点は、石油と天然ガスに依存する産業構造から脱皮するため、石油・天然ガスを原料としたメタノール事業と金融業の育成にオイルマネーを投資していることだ。中東産油国同様、将来の石油枯渇に備え、オイルマネーを金融業に注ごうとしている。アジアのイスラム金融は、マレーシアが拠点となっているが、同じイスラム国家として「金融センター」化しているマレーシアを強く意識しているのだろう。ブルネイの主要輸出国である日本は、イスラム金融システムで取引をしなくてはいけない時期がやがてくるかもしれない。
By Master K/益田 慶
FXライフ 54 東南アジアの通貨 シンガポールとタイ
マーライオンで有名なシンガポール。東京23区とほぼ同じ面積でありながら、アジアのハブ港であり、世界の金融センターでもある。シンガポールがその地位を築くことのできた背景には、アジアと欧州、中東を結ぶ交通の要所にあるため古くから東西貿易の拠点となって繁栄し、海運産業や航空産業が発達したこと、英語が公用語であることから多国籍企業のアジア地域の拠点となったことなどが挙げられる。
たとえば2005年のコンテナ取扱数の世界ベスト5は、シンガポール港、香港港、上海港、深セン港(中国)、プサン港(韓国)だが、シンガポール海事港湾庁のデータによると、コンテナ取扱量のみならず、寄港した船舶の総トン数と船舶燃料供給量もシンガポール港が世界一の規模を誇っているという。物流の拠点は、貿易の拠点だ。
通貨は、シンガポール・ドル(SGD)。2003年に消費税が4%から5%に上げられ、2007年には7%になった。GDPは8.7% (2004 年)、6.4%( 2005年)、 7.9%(2006年)と順調に推移している。失業率は2.6%と低い。日本同様、エレクトロニクスや化学関連機器、精密機械に強みがあり、運輸業、サービス業、金融業が発達している。
多国籍企業が進出しやすい環境に、シンガポールにとって特に有益な事業へ新規参入する企業に対する税制上の優遇措置がある。最初の生産開始日から5~10年間、全額租税免除というものだ。日系企業は2000社、在留邦人は約26000人。日本とは貿易面で利害が一致する点が多くあり、日本最初の地域貿易協定は、同国との間に結ばれた「日シンガポールEPA」だ。金融センターとしての発展にも目を見張るものがある。サブプライムローンで大きな損失を負ったスイスの銀行UBSに融資したのが、政府系ファンドの「シンガポール政府投資公社(GIC)」だ。GICの運用資産は3300億ドルある。
シンガポール同様、東南アジアにおける代表的な工業国がタイだ。通貨は、タイ・バーツ(THB)。1985 ~1995年の10年間、平均9%成長を記録したというから、かつての日本と似ている。しかし1997年に始まったアジア通貨危機で大きな経済的な打撃を受けた。この際に「1ドル=25バーツ」の固定相場を廃止したが、バーツが大幅に下落。一時は1ドル56バーツまで値下がりし、経済危機が発生した。タイはIMFや日本の支援を受け、経済再建に取り組んだ。またこれをきっかけに財閥支配の廃止、外国資本の受け入れを進め、2003年にはGDP6%まで回復。2007年度のGDPは4.8%、インフレ率2.3%、失業率1.5%と安定している。
1980年代以降、円高、賃金の安さに加え、国内市場の拡大に着目した日本をはじめ、欧米の企業が積極的にタイに進出。日本の自動車関連企業や家電メーカーが進出している。在留邦人は約40000人。コンピュータ、自動車部品、天然ゴムを米国、日本、中国などに輸出し、日本や中国から機械、化学製品を輸入。マレーシア、アラブ首長国連邦から原油を輸入している。
日本からすれば、タイはASEAN諸国(ブルネイ・ダルサラーム、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、ベトナム)への輸出拠点となっているため、タイに機械部品を供給し、タイで加工してベトナムに輸出するといった「三角貿易」も盛んに行われている。
2008年4月には、日本とASEAN10カ国との間で日本ASEAN包括的経済連携(AJCEP)が署名された。発効は未定だが、これによって日本の家電製品が関税をかけずにタイ国内に届けられることをタイでは期待しているという。
By Master K/益田 慶
FXライフ 53 東南アジアの通貨 インドネシアとカンボジア
日本の約5倍の面積を有するインドネシア共和国。赤道をまたがる17500もの大小の島から構成されている。日本人観光客の多いバリ島やジャワ島、スマトラ島などがよく知られている。2億4000万人の人口は、現在世界第4位。大半がマレー人で、宗教は全体の87%を占めるイスラム教。12世紀以降、イスラム商人がイスラム教をもたらし、東南アジア屈指のイスラム教国家になった。
通貨はインドネシア中央銀行が発行するルピア(IDR)。通常「Rp」と表示される。ちなみに「ルピア」はインドの通貨ルピーから来ている。
1997年7月の「アジア通貨危機」はインドネシアにも少なからず影響を与えた。タイがパーツを変動相場制へ移行したことで、インドネシア政府はルピアを8%から12%に固定したが、すぐに変動相場制に移行。
するとルピアが値下がりを始めた。インドネシア企業はドル建てで資金調達していたので、借金が増える結果となった。そこでIMFは230億ドルの支援を断行。通貨危機は国内のインフレを起こし、食品価格の高騰により暴動まで発生した。これによって独裁者のスハルト大統領が辞任した。
近年、経済成長は5%台で推移している。2005年は石油燃料価格の値上げに端を発するインフレ(17.1%)と高金利によって苦しい1年だったが、2006年はインフレ率・金利の低下に伴い、消費が回復し、また過去最高額を記録するなど輸出が好調だったこともあり、経済は回復基調となった。その要因は、天然ガス、アルミ、スズなど鉱業資源が高値で輸出できるようになったからである。OPECに加盟する産油国だが、2004年以降は原油の輸入量が輸出量を上まわるようになり、2008年12月にOPECを脱退する予定だ。ほか軽工業、食品工業、化学繊維、パルプなど工業が盛ん。日本企業も数多く進出している。
ベトナム、タイ、ラオスと接するカンボジアは1953年、フランスから独立した。9割がクメール人から成る王国だ。ベトナム戦争の際に、カンボジアにまで南北ベトナムとアメリカが介入したことで内戦が勃発。共産主義のポル・ポト政権時代には200万人もの国民が殺害されたとされている。
通貨は、リエル(KHR)。ただしリエルはドルに弱く、国内では米ドルが使われている。事実、国内のスーパーやコンビニでは商品の価格はドル表示だ。またタイ国境に近い地域では、タイ・バーツも使用される。ドルのレートは、1ドル4100~4200リエル。それでも、一般の商店で支払いをする時には1ドルは4000リエルとして計算されるので、ドルをリエルに両替しておけば、1ドルにつき100~200リエル得する計算になる。ただし店によっては、1ドル=4200リエルと定めている場合もあるので、要注意だ。
主要産業は、農業、工業、サービス業。農業は労働生産性が低く、国内需要を満たす程度の量にとどまっているが、葉たばこと天然ゴム、木材などは輸出している。鉱物資源としてリンやマンガンがあるが、未開発だ。しかし、経済成長率は、2004年 10%、2005年 13.4%、2006年 10.4%と順調に推移している。内戦によって「貧困国」となった同国の成長率を牽引しているのは繊維産業だ。中国やベトナムよりも賃金がはるかに安いことから、世界の繊維縫製産業の新たな工場として注目されているのだ。2004年に縫製工場の数は約220カ所、従業員数は約25万人だったが、2007年には工場約290カ所、従業員数約32万人に増えている。
さらに最近、南海岸で大規模な油田や天然ガス田まで発見された。海底油田の埋蔵量は最低20億バレル、天然ガスの埋蔵量は10億立方フィートに達すると考えられる。海底油田が本格的に開発されれば、カンボジアは毎年20億ドル(約2400億円)の外貨収入を得ることになり、GDPは現在の2倍になるだろうと見られている。すでにこの地下資源開発をめぐり、米国・中国・日本・タイ・韓国などが触手を伸ばしている。
さらに首都プノンペンや観光都市のシェムリアップなどには、ホテルやリゾートマンションの建設、ニュータウンの開発を目指した不動産投資ブームが巻き起こっているという。2006年には、外国人のカンボジアへの直接投資の金額は23億3400万ドル(約2755億円)に達し、過去10年間の合計額をも上回った。カンボジアは「世界の工場」になるのか注目したい。
By Master K/益田 慶
FXライフ 52 中央アジアの通貨 トルクメニスタンとウズベキスタン
トルクメニスタンは、アフガニスタン、イラン、ウズベキスタン、カザフスタンと国境を接する。面積は日本の1.3倍。1991年に共和国独宣言を発し、ソ連から独立した。しかしニヤゾフ大統領時代(1990~2006年)は、完全な独裁体制から「中央アジアの北朝鮮」といわれ、鎖国状態が続き、民主化は停滞した。通貨は、1993年に導入されたトルクメニスタン・マナト(TMM)。アゼルバイジャン・マナト(AZM)との関係性はない。
独裁国家には珍しく、日用品の物価が低く抑えられているほか、教育・医療費が無料となっており、国民生活は裕福だ。その理由は、世界第4位の埋蔵量を誇る天然ガスを有し、その輸出と綿花生産を基盤に高い経済成長率を維持しているからだ。2006年のGDPは9%。しかしその一方で、いまだ統制経済的性格が強く、貿易投資環境整備は遅れている。農業部門は、隣国ウズベキスタンやタジキスタンと同様に、大規模な灌漑による綿花生産が中心だ。
トルクメニスタンは2006年、ロシアに天然ガスを供給する25年契約を結び、2007年には、トルクメニスタンからカスピ海沿岸に沿い、隣国カザフスタンを経由してロシアに至るガスパイプラインの建設に合意した。しかし、トルクメニスタンはロシアへの依存度を減らすことも忘れていない。近年は天然ガスの供給先の多様化、搬出ルートの多様化を図る中で、イラン、アフガニスタン、中国との関係を進めている。2007年7月には中国石油天然気集団(CNPC)がトルクメニスタンから天然ガスを毎年300億立方メートル購入することを盛り込んだ契約を結んだ。天然ガスは計画中のパイプラインを通して輸送されるという。天然ガスで潤う国は、したたかな外交を展開している。
隣国のウズベキスタンも天然資源に恵まれ、天然ガス、原油、金などが豊富な国だ。通貨はスム(UZ)。現スムを両替できる場所は、銀行、空港、外国人向けホテルなどに限られ、使用できるのは米ドルが一般的。
ウズベキスタンが世界から注目を集めているのは、世界第7位の生産量を誇るウランを有しているからだ。同国には全世界のウラン資源の約3%に相当する9万3000トンのウランが埋蔵されており、現在年間約2500トンを生産している。
日本をはじめ原発推進国は「ウラン外交」を展開している。
2006年、国営会社のウズベクネフテガスが韓国石油公社および韓国ガス公社が、ウズベキスタン東部の石油・天然ガス鉱床の開発を共同で行なうことに合意。2007年7月には、甘利経済産業大臣がウズベキスタン・カリモフ大統領と会談し、原子力発電の燃料となるウランの鉱山を共同で開発していくことに合意した。その契約は、伊藤忠商事がウズベキスタン政府との間で結ばれた。ウランの価格はこの7年間で16倍になり、発電量の3分の1を原子力に依存する日本にとって長期的なウランの確保が課題となっている。
資源高で増収の三井物産も黙ってはいない。三井物産は2008年7月、ウズベキスタン共和国の政府機関であるゴスコムゲオロギー(地質鉱物資源国家委員会)と、ウズベキスタン国内の「黒色頁岩」型ウラン資源開発の地質調査活動を行なうための合弁会社設立を検討する基本合意書に調印した。
ウズベキスタンは、金、銀、銅、リン鉱石も産出する。資源高の影響でGDPは2004年から2006年まで3年連続で7%の高水準を維持した。失業率も0.3%と低い。しかし、皮肉なことに富の集中が進み、貧困層が広がっているのも事実。米国、日本、ドイツ、スイスなどがODA援助国として援助を続けている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 51 中央アジアの通貨 キルギスとタジキスタン
キルギス共和国は、カザフスタン、中国、タジキスタン、ウズベキスタンと国境を接する内陸国。国土の40%が標高3000メールを超える。面積は日本の約半分。唐、ウイグル帝国、モンゴル帝国、 ロシア帝国、ソ連など、大国に支配され続けた歴史をもつ。通貨は、ソム(KGS)。1993年にソビエト・ルーブルの代わりに導入された。
隣国のカザフスタンは地下資源に恵まれた国だが、キルギスは、金、水銀、アンチモン以外の資源はない。独立以降、ソ連崩壊の混乱から経済は伸び悩み、経済改革も進まなかった。GDPがプラスに転じたのは、1996年。それでも貧困対策が必要とされ、ODAによって米国、ドイツ、日本、スイス、イギリスなどが援助国となった。
主要産業は、タバコや綿花の栽培と牧畜、金採掘を中心とする鉱業。石油製品、天然ガスを輸入し、葉タバコや綿、金などを輸出するという構造だ。電力は、高山や渓谷を活用した水力発電でまかなっている。2006年のGDPは2.7%、物価上昇率は5.1%、失業率は9.6%。日本は自動車とゴムタイヤを輸出し、アルミ合金、非鉄金属を輸入している。関係の深いロシア、中国といった大国とバランスを保ちつつ、米国とも良好な関係を続けようとしている。
1997年から本格的な生産が始まったクムトール鉱山は、同国の経済を支える重要な金鉱山だ。この鉱山を保有するセンテラ・ゴールドはカナダの企業で、その大株主が資源最大手の「カメコ」。やはり資源を狙って大手が進出しているということだ。
タジキスタン共和国は、南にアフガニスタン、東に中国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接する内陸国。8世紀にイラン系の言語を話すイスラム教信者のタジク人が移住し、やがてロシア帝国の保護国、ソ連の自治区としてタジク国家は存続し、ソ連崩壊とともに独立を果たした。通貨は、ソモニ(TJS)。1995年に独自通貨「タジク・ルーブル」を導入したが、2000年にソモニに変更した。
旧ソ連の共和国、自治区の中では最貧国。独立後の紛争が要因だ。北部を基盤とする政府側と、民主派やイスラム派を主とした反対派連合間の激しい対立から、1992年に両勢力の武力衝突が内戦へと発展。その結果、生活水準が低下した。1997年にはモスクワで和平と国民理解に関する協定を締結し、内戦に一応の区切りがついた。以降、IMFや世界銀行の支援と米国、スイス、ドイツなどから援助を受け、近年経済は安定している。2006年にはGDP7%を達成。
主要産業は、農業、アルミニウム生産、水力発電だ。工業部門では繊維産業が発達。鉱物資源では、世界第4位の生産量を誇るアンチモン鉱がある。鉛蓄電池、ハンダ合金、半導体材料など工業材料として広く用いられている資源だが、人体に毒性があることから代替素材の開発が進められている。また、小規模だが、亜鉛、ウラン、ラジウムなどの希少金属の鉱床が発見されている。水資源が豊富なことから、電力のほとんどを水力発電でまかなっている。この安価で豊富な電力を活かして、アルミニウム工業が発達し、現在では輸出品目のメインになっている。
外交はロシアの投資が大きいこととロシア軍が駐留していることから、経済・軍事面でロシアへの依存度が高い。しかし米国が最も大きな経済支援国となっていることから米国は無視できない。また上海協力機構を通じて中国からも経済・軍事支援を受けており、やはりロシア、米国、中国など大国の顔色を見ながら外交を続けなければいけないようだ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 50 中央アジアの通貨 カザフスタン
ソ連崩壊後、一般にカザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5カ国を「中央アジア」と定義している。すべてがかつてソビエト連邦に属した国だ。
カザフスタンは、西はカスピ海に面し、ロシア、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、東は中国に接する世界第9位の面積(日本の約7倍)を持つ大国だ。
1991年の独立後、ソ連邦カザフスタン共和国共産党第一書記・大統領からそのままカザフスタン共和国大統領に就任したナザルバーエフ大統領が、一貫して強力なリーダーシップを発揮して政治・経済改革をすすめ、政情は安定している。政治・経済面で密接な関係を有するロシアとの良好な関係維持を重視する一方、中国、米国、EUとも良好な関係を維持し、抜群のバランス感覚を見せている。
早い時期から市場経済の基盤づくりに取り組み、その後の順調な経済成長の基礎づくりに成功した。ここ数年のGDPの推移を見ると、2005年9.4 %、2006年10.6%、2007年8.5%と順調だ。通貨は、テンゲ(KZT)。1993年からルーブルに替えて使われている。1 KZT = 約0.9円だ。1999年4月5日、変動相場制へ移行した。いまテンゲが通貨として強いのは、原油、石炭、クロム鉱、ウラン鉱など地下資源に恵まれているからである。特にウラン、クロムの埋蔵量は世界3位、亜鉛は世界5位だ。
1998年のロシア金融危機では、経済的に大きな打撃を受けたが、石油・金属など保有資源の国際市場における高値や穀物の豊作に助けられ、2000~2006年のGDPの年平均実質成長率は10.2%と急成長を遂げた。カザフスタンへの外国直接投資の額も、2006年だけで104億ドル、1993年からの累積投資額は500億ドルを超えるなど、外国投資の受け入れに関しては経済移行国の中で上位国だ。
原油の産出量は世界シェア1.1%だが、 カスピ海東岸の油田地帯(テンギズ、ウゼンなど)の大規模石油開発のほか、最近ではカスピ海北部の油田開発が世界的な注目を集めている。2000年に大規模油田が発見されたカシャガン鉱区では、国際コンソーシアムが開発を進めており、2010年頃の商業生産開始を目指している。
なお、同コンソーシアムには、国際石油開発が約8.33%の権益を得て参加している。2001年には送油管が完成し、ロシア黒海沿岸ノボロシスクへの石油輸送が可能となった。また、2006年から稼働した「BTCパイプライン」へのカザフスタン産原油の供給も予定。さらに中国西部とカザフスタンを結ぶ「アタスゥ=アラシャンコウ」送油管によって2006年から送油が開始された。オイルマネーの高騰がカダフスタンの経済を潤してきたのだ。
ウラン採掘分野では、世界の原子力企業が権益を購入しているほか、日本から丸紅、東京電力、中部電力などがカザフスタン国有原子燃料会社であるカザトムプロム社が推進している新規ウラン鉱山開発・生産プロジェクトに参画している。
しかし近年では地下資源に依存しない産業構造づくりに移行しようという動きが目立っている。急成長している分野は、建築業と金融業だ。首都をはじめとする建設ラッシュの流れを受けた国内建設業の成長は著しく、前年比35.6%増(2006年度)。
また、銀行部門をはじめとする金融産業も前年比で43.4%増加(2006年度)するなど、建設業と並ぶ国家経済の二大牽引産業となっている。資源で潤う国は、金融業も盛んなるというが、確かにそのとおりだ。同国は「2010年までに競争力において世界の上位50カ国入りを目指す」という目標を設定している。世界の大国になる可能性を秘めた国のひとつだ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 49 西アフリカの通貨 シエラレオネとニジェール
北はギニア、南東はリベリアと接するシエラレオネ共和国は1961年、イギリスから独立した。世界で最も平均寿命の短い国のひとつだ。通貨はレオン(SLL)。この通貨は、1964年にシエラレオネ銀行が設立された際に西アフリカ・ポンドの代わりに導入された。
独立以降、政局が安定することなく、今日まで至っている。特に1991年に起こった内戦は2002年まで続き、経済は停滞した。内戦の原因となったのがダイヤモンドだ。反政府軍(RUF)が同国で産出されるダイヤモンドを財源に武力行使を続けたのである。もともとダイヤモンド、金、ボーキサイトなどの鉱物資源、カカオ、コーヒーなどの農産物が、主要な外貨獲得源だった。
しかしダイヤモンドの大部分が密輸出され、経済は低迷。政府は1992年、債務削減と経済復興を目的としてIMFの経済再建プログラムを受け入れ、財政・金融の引き締めを図った結果、経済は一時安定に向かったが、内戦の激化とともに鉱物・農産物の産地の荒廃が進んだ。また、国民の大部分を占める農民が内戦の結果難民・国内避難民となったため、食料を含む農業生産は大幅に低下。地方の行政サービスは崩壊状態に陥った。こうして世界で最も平均寿命の短い国という不幸な順位に名を連ねることになったのである。
約10年も続いた内戦により主要外貨収入源である鉱物資源の輸出が停止し、社会的インフラが大きな損害を受けるなど経済は大きく停滞していたが、2006年にはGDPが7.1%まで伸び、復興の兆しを見せている。アルミニウムの原料となるボーキサイトの国際価格が高騰しているので、産出国として外貨を稼ぐことは十分可能だ。イギリス、アメリカ、アイルランドなどが援助国となり、復興を助けている。
ニジェール共和国は、アルジェリアやブルキナファソ、ベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと隣接する内陸国。1960年にフランスから独立。通貨は、西アフリカ諸国中央銀行発行のCFAフラン。公用語もフランス語だ。
同国もまた軍事クーデターが何度も勃発するなど政局が安定しない国で、世界最貧国のひとつだ。1997年の干ばつで打撃を受け、さらに政情不安から海外援助が途絶え、1999年末には国の経済は破産状態になった。2000年、IMFは政府が負う8億9000億ドルの債務免除と7600万ドルの融資を決定した。
主要産業は1970年代半ばから急成長したウラン産業と伝統的な農牧業。ウランは世界第3位の埋蔵量があると推測され、関連産業が全雇用の20%を占めている。ウランの多くは核燃料として原子力発電に利用されるが、核兵器への転用が可能なので国際原子力機関によって流通は制限されている。ウランは、同国最大の援助国で原発大国フランスに輸出されている。2003年以降、ウランの国際価格が上昇し続けていることから、2006年のGDPは4.8%と好調だ。しかし輸出依存の経済を変えていくことは同国の課題となっている。ちなみに日本から、海外ウラン資源開発、国際資源、動力炉・核燃料開発事業団などが同国に進出し、資源の探鉱を行なっている。
直面している問題は、国土の4分の3を砂漠が占め、降水量が少なく、砂漠化が進んでいること。世界で最も暑い地域のひとつで、干ばつの起こりやすい同国はたびたび食糧危機に陥り、飢餓と伝染病の危機に襲われている。砂漠が多いことから工業は発達せず、生活用品や食品は輸入に頼っている。砂漠化を阻止し、農業地に転換する技術が求められている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 48 西アフリカの通貨 リベリアとモーリタニア
ギニア、シエラレオネ、コートジボワールと接するリベリア共和国は、19世紀初頭に米国で発生した奴隷解放運動が具体的な形となり、祖国再建運動に発展して実現した国。アメリカで解放された奴隷が1847年に建国した。アフリカではエチオピアに次ぐ古い国だ。しかし移住地区を建設して入植した人々が先住民を弾圧したことで、民族闘争の火種が生まれた。20世紀半ばまで、経済不況と先住民族の抵抗が続いた。
1989年には内戦が勃発し、90年代後半まで続いた。その後、いったん落ち着くが、2003年に反政府勢力が首都モンロビアを侵攻し、再び内戦が始まった。暫定政府によって第1回大統領が行われたのが2005年10月。決選投票によって、国連開発計画の元アフリカ局長エレン・ジョンソン・サーリーフがアフリカ初の民主的な選挙で選出された女性大統領に就任。ここから復興計画が始まった。
通貨はリベリア・ドル(LRD)。他のドルと区別するため「Lドル」と表示される。疲弊した経済を再建すべく、政府は1980年代以降に積みあがった8億8800万ドルの長期延滞債務を完済、IMFとの関係は正常化した。そして2008~2010年の経済再建計画を支援するため、総額9億5200万ドルの金融支援を実施した。人口380万人のうち推定64%が貧困レベル以下の生活をしているとされる同国の再建は、世界各国から無償援助を集め、国外に逃れていた難民が帰還し、農業を再開することからスタート。
2006年の実質GDPは約7.8%まで上昇、2007年度の成長率は8.5%と予想されている。IMFは2008~2010年のGDPを年平均11.3%と予想している。高成長率の要因として挙げられるのは、投資の増加、農業部門の復興、主要輸出品であるゴムの国際市場価格の上昇、鉄鉱石採掘の再開、ダイヤモンドの制裁解除、木材の禁輸解除などだ。特に推定10億トンの埋蔵量がある鉄鉱石は、国際価格が高騰しているので大きな財産となるはず。またダイヤモンドや金も発掘されており、地下資源は有望。ただしインフレ率が2007年に11%に上昇したことが懸念材料となっている。
余談だが、リベリアは船会社専門の税金避難地として古くから有名。タックス・ヘイヴンのひとつで、安価な手数料で船舶国籍証書を発行する便宜置籍国だ。船の所在国はリベリアだが、会社の実態のないペーパーカンパニーが多くあるという。もともとはギリシャの船主が節税のため利用したのが始まりだ。
西サハラ、アルジェリア、マリ、セネガルと国境を接するモーリタニアの正式名称は、モーリタニア・イスラム共和国。国名からわかるようにイスラム系ムーア人住民が社会の上層を占める。1960年にフランスから独立したが、通貨はCAFフランでなく、ウギア(MRO)だ。
2005年、無血クーデターによって新政権が誕生し、2007年に初めて大統領選挙が行われ、新大統領による民主化プログラムが進められている。鉱業、農業、漁業など天然資源に恵まれ、2006年のGDPは11.7%という好調な成長率だが、インフレ率が約30%と高い。外貨収入は水産物と鉄鉱石の輸出だ。鉄鉱石は高値が続いているので有望。さらに2006年から原油の生産も始まった。新たな収入源となる経済部門が生まれたことで経済の復興が期待されている。
特に「原油収入国家基金」を設立し、原油から得た収入を全額基金に振込むことを決定したのは評価できる。アフリカの産油国は、政治家と一部の企業家のみが潤い、原油の恩恵が国民に還元されないケースが多い。基金は銀行に設けられ、国際監査を受ける。また国営原油会社「モーリタニア炭化水素会社」を設立し、原油資源管理を行なう。経済協力開発機構(OECD)は、モーリタニアのGDPは20%を超えるだろうと予測している。やはり原油高の恩恵だろう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 47 西アフリカの通貨 ナイジェリアとベナン
アフリカで最も経済力のある国がナイジェリアだ。面積は日本の約2.5倍。人口1億5000万人。「アフリカの代表」を自認しているだけあって、いろんな意味でアフリカ全土に強い影響力を及ぼしている。パワーの背景にあるのは、総歳入の約71%、総輸出額の約88%を依存する原油だ。アフリカ屈指の産油国で、
OPEC第5位の産油量を誇っている。またアフリカでは南アフリカ共和国に並ぶ軍事大国でもある。地下資源の恩恵によって生まれた経済力と軍事力がナイジェリアの力である。
通貨はナイラ(NGN) 。2008年8月、100ナイラ(約100円)を1ナイラとする デノミを実施する予定だ。1990年代まで慢性的なインフレに見舞われたが、2004年から始まった原油価格の上昇や経済改革を背景に通貨が安定軌道に戻りつつある。そこでデノミを実行しようということだ。ナイジェリアは光と影が明確に見える国だ。世界の産油国であるが、放漫財政により累積債務が増加し、長年の軍事独裁によって経済は低迷してきた。都市部の人口増加に対し、都市機能が追いつかず、農村部はもちろん、都市部でも貧困化が進んでいる。
しかし国の経済成長率は著しい。2007年第4半期は、実質GDPが7.64となり、IMFは2008年の経済成長率を9%と予測しているほどだ。農業部門、工業部門とも好調で、原油生産量はやや減少したものの価格高騰が経済成長を底上げしている。
興味深いのは、産油地帯ナイジャーデルタ地域で武装組織による石油関連施設の破壊や外国人労働者の誘拐が頻発し、治安悪化による渡航危険勧告が発令されているにもかかわらず、近年、石油・ガス部門とも直接投資が堅調であることだ。ナイジェリアはアフリカ最大の直接投資受入国。欧米の多くの企業が石油・天然ガスの権益を得ようとして投資を続けているのである。
天然資源だけでなく、1億5000万人というアフリカ最大の市場を狙っている国は多い。中国は大量の食料と日常品をナイジェリアに輸出している。近年、携帯電話を中心とする通信分野への海外からの投資が活性化しているというのだ。意外かもしれないが、アフリカ人は携帯電話を好み、テレビに匹敵するほど必需品になりつつあるのだ。広大な大地、未整備の交通網、固定電話の数の少なさが携帯電話を普及させる大きな要因となっているのだ。
このナイジェリアと接するのがベナン共和国だ。隣国なのに石油は生産されず、石油製品の国内消費量のほとんどはナイジェリアに頼っている。主要産業は綿花やパームオイルなど農業と、コトヌ港での港湾サービス業だ。通貨は西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCEAフラン。1960年にフランスから独立したこともあり、公用語はフランス語。
1980年代に一度、経済が破綻状態に陥ったが、世界銀行とIMFの援助を受け、2003年には対外債務が削減された。フランス、デンマーク、ドイツなど欧州の国が主要援助国となってバックアップしている。興味深いのは、輸入も輸出も中国が第一の貿易国であることだ。産油国で人口の多いナイジェリアのみならず、ベナンまで中国系ビジネスマンは進出しているのである。
2006年度のGDPは4.1%、インフレ率は6.1%。堅調な推移と言い難いのは、産業の多角化が進んでいないことと、大きな収入源であるコトヌ港がトーゴのロメ港と競合状態にあるからだ。隣の大国ナイジェリアと関係が悪化すれば、貿易量が減少することも不安要素だ。ちなみにかつてTBS系列「ここがヘンだよ日本人」にレギュラー出演し、奇妙な日本語で人気を博したゾマホン氏がこのベナン出身。上智大学大学院博士課程を修了したインテリで、母国では日本での活躍が認められ、国民栄誉賞を受賞している。
By Master K/益田 慶
FXライフ 46 西アフリカの通貨 セネガルとトーゴ
「パリ・ダカールラリー」の終着点として知られる首都ダカールを擁するセネガル共和国。日本では、このラリーや民族音楽などで知られている。面積は日本の約半分。サハラ砂漠西南端に位置する土地は、主に乾燥した平原地帯に占められている。
1960年にフランスからマリ連邦として独立し、すぐにセネガル共和国として単独国家となった。通貨は、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行の「CFAフラン」だ。BCEAOの本部が置かれているのが首都ダカールである。
カザマンス地方の分離独立を進める組織が、1990年代末から隣国ギニアビサウを拠点に武力闘争を開始。ガンビアの仲介で停戦合意したが、その後も紛争は続いており、外務省は渡航延期勧告を継続している。その一方でセネガルは、アフリカ連合や西アフリカ諸国経済共同体といった地域機構に積極的に関与し、アフリカのリーダー的存在感を発揮している。
主要産業は、砂漠地帯でも栽培可能なピーナッツや綿花などの農業と、近海で行われる漁業。リン鉱石鉱業と工業もある程度発展しているが、財政赤字、国際収支赤字が累積債務となっていた。1994年のCFAフラン切り下げ以降、政府が民営化や構造改革を進め、また国際通貨基金(IMF)と世界銀行が8億ドルの債権の免除を認めたことで、経済は比較的安定して推移してきた。しかし、近年は原油価格の高騰と干ばつによる不作が打撃となっている。
2006年度のGDPは3.3%、インフレ率は4.1%。全体を見渡すと、アフリカ諸国の中では決して貧しい国ではないのだが、地域格差が激しく、人口全体の5分の2にあたる都市生活者がGDPの3分の2以上の収入を得ていることから、3分の1に該当する国民が貧困層に属すると見られている。セネガル政府は現在、債務削減しながら貧困削減を行うべく貧困削減戦略書(以下PRSP)を策定し、進めている段階だ。
トーゴ共和国も1960年にフランスから独立した国。通貨は、同じく西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行の「CFAフラン」だ。対外債務が1708億ドルあり、同国も世界最貧国に挙げられている。フランスやドイツ、オランダなどが主要援助国となって支援。日本からトーゴへのODAも2001年から現在まで継続して行われており、トーゴの国営放送は日本の資金援助のほかに無償提供した放送機材によって支えられている。
農業がGDPの約39%を占め、労働人口の約64%が農業に従事している。主要農産物はヤムイモ(世界5位)、キャッサバ、とうもろこしなど。主な工業製品にはビール、パーム油などがある。鉱物資源にはリン鉱石がある。リン鉱石は、1974年に実施されたリン鉱石採掘会社の国有化の直後に国際価格が4倍に上がり、トーゴの経済成長を支えた。1990年代には世界シェア10位に達したが、その後、枯渇傾向にあり、2003年には最盛期の6分の1まで減少。鉄鉱石も確認されているが、品質は低いようだ。
2006年度のGDPは2%、インフレ率は2.1%。経済発展の好材料は、米国の協力で自由貿易加工区が稼働したはじめたことと中国が支援に乗り出したことだ。首都ロメにあるロメ港は、アフリカと欧州、北南米をつなぐ中継ぎ貿易に都合のよい位置にある。1996年、トーゴ政府はIMF、世界銀行と経済構造調整計画に合意し、ロメ港を中核とする自由貿易地域構想を推進した。しかし皮肉なことに、ロメ港が隣国ベナンのコトヌ港との熾烈な競争にさらされているという。
一方、2006年にトーゴ大統領と会談し、「農業・インフラ整備・電気通信・電力分野の協力を重点的に強化し、協力を拡大する方途を積極的にさぐっていきたい」と述べた胡錦涛国家主席の言葉どおり、2006年の輸入国の第1位は中国だ。安い食品をトーゴに輸出して外貨を稼ぐ中国の戦略がここにも表われている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 45 西アフリカの通貨 コートジボワールとギニアビサウ
西欧の貿易船が奴隷と象牙の売買に来航したことから、かつて「象牙海岸」「アイボリーコースト」と呼ばれたコートジボワール。1893年から1960年に独立するまで長い間フランスの植民地であった。独立後10年間で驚異的な経済成長を遂げ、アフリカ諸国の中で比較的経済水準の高い国へと発展した。政局が大きく動いたのは1999年。クーデター勃発以降、政府軍と反乱軍による内戦が起こり、フランス軍が介入。事実上、国は二分された。その後、和平合意が進められ、近年よくやく正常化に向かっている。
通貨は、西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCFAフラン。80年代末には主要産品であるココアやコーヒーの国際価格の低迷により経済的危機に陥り、1989年にはIMFと世界銀行のコントロールで再生計画が進められたが、IMFの融資の停止、EUの援助金180億CFAフランが汚職に使われていたことが発覚して公金援助が途絶えるなど逆風が吹いた。その後、国内の安定化にともない、2003年に援助は再開されたが、内戦によって経済活動は大きな制約を受けた。
内戦による国内のゴタゴタが続いていたにもかかわらず、ベースとなる経済のポテンシャルが高いようで、2006年度のGDPは4.1%、インフレ率は3.7%と好調だった。主要産業は、世界一の輸出量を誇るカカオ、コーヒー、天然ゴムなどの農業。1993年に産油が始まり、石油製品、木材の輸出も好調に推移した。
そんな経済状況と歩幅を合わせるように、政治・経済面の先行き不透明を反映して冷え込んでいた対内直接投資も回復の兆しを見せている。経済・財政省と西アフリカ諸国中央銀行の国際収支統計によると、2007年の対内直接投資額は前年比23%増の2,046億CFAフラン。フランスをはじめ、オランダ、米国、ナイジェリアなどが積極的な投資を行っている。
2007年の輸出は、主要産品であるカカオ豆と原油・石油製品の不振が響いて、前年比9.4%減の3兆8,562億CFAフランにとどまったものの、輸入は内需回復により、消費財、中間財、資本財とも軒並み増加し、同5.2%増の3兆1,981億CFAフランとなった。この結果、貿易黒字は同45.8%減の6,581億CFAフランに縮小した。また近年、主要産業に成長した石油と地下資源に注目が集まり、外資系の投資が見込まれている。アビジャン周辺には石油製油所が発展し、経済成長を支えている。地下資源には、鉄鉱、ボーキサイト、ニッケル、マンガンなどがある。内戦によって鉱業は停滞したが、2004年から数社が生産を再開している。
コートジボワールと同じく西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCFAフランを通貨に使う国がギニアビサウだ。セネガル、ギニアに接する小国で、面積は九州とほぼ同じ。1973年にポルトガルから独立。
植民地時代は、ソビエト連邦やキューバの支援を受けた政党と、米国の支援を受けたポルトガル軍事政権との間で対立が続いた。建国当時は、ソビエト連邦やキューバと親密な関係だったが、クーデターによって誕生した政権が親米路線を取ったことから、国内では対立が顕在化。内戦とクーデターが続き、国家の復興が続けられている。
主要産業は、国民の8割が従事する農業。といっても自給農業が中心で、輸出しているのはカシューナッツや落花生などごく一部の産物に限られている。2006年には、そのカシューナッツにより税収入が減少。財政難のため公務員の給与支払いも滞っているとされている。同国が世界最貧国のひとつとなっているのは、国が巨大な三角州の上にあるため、主要産業である農業ですら発展できず、さらに地下資源にも恵まれていないことが挙げられる。また内戦により、ごく少数いた企業家が国外へ移住し、企業活動は停滞。教育水準の低さから識字率が低く、残念ながら経済発展の基礎的な条件は揃っていない。
By Master K/益田 慶
FXライフ 44 西アフリカの通貨 ガンビア共和国とギニア共和国
周囲をセネガルに取り囲まれる形となっているカンビア共和国。面積はほぼ岐阜県と同じだ。1965年にイギリスから独立したが、70年までは英国女王を元首とする立憲君主国だった。共和制移行以降、一時期はセネガルと親密になり、国家連合を形成したが、89年に解消した。
通貨は、1968年までUKポンドと等価の西アフリカ・ポンドが使用され、その後、ガンビア・ポンド(1968~1971年)を経て、1971年からダラシ(GMD)が使われている。経済は農業主体で、輸出収入の70%以上を落花生に依存し、隣国セネガルとの貿易が大きな国家収入となっている。94年に軍事クーデターが勃発し、西側諸国より新規援助が停止され、経済的に困窮したが、90年代末に民主化が進み、援助が再開。現在、主要援助国のトップは日本だ。99年にGDP5.6%を達成。近年でも2005年にGDP4.5%を達成している。数字だけ追いかけると、経済は好調に見えるが、状況は厳しい。
地下資源やこれといった外資獲得の産業がないのだ。落花生に続く収入源は観光産業である。2003年に「世界遺産」に登録された「ジェームズ島と関連遺跡群」は、アフリカにおける奴隷貿易の拠点であった場所だ。奴隷貿易を行なっていた当時の要塞や奴隷の宿泊施設など「負の遺産」だ。
ちなみにガンビアで売買され、アメリカに奴隷として売られた家族の生涯を描いた『ルーツ』の舞台がちょうど世界遺産に認定された地域。著者アレックス・ヘイリーはアフリカ系アメリカ人で、彼の先祖はガンビアのジュフレ村の出身だとされている。
1958年にフランスから独立したギニア共和国も、またヨーロッパ人が奴隷売買の地域のひとつとして入植を始めた国だ。ギニアビサウ、セネガル、マリ、コートジボワール、シエラレオネ、リベリアなど6つの国を隣国としている。1984年までは社会主義体制が取られたが、クーデターによって樹立されたコンテ政権誕生以降、民主主義体制の自由主義に移行した。
通貨はギニア・フラン(GNF)。1959年にCFAフランに等価として導入された。産業はGDPの20%を占める農業と、国家収入の19%を占める鉱業の二本柱がある。農業は米、サトウキビ、コーヒーなどがメイン、鉱業は世界屈指の埋蔵量を持つボーキサイト、マンガン、ウラン、鉄、ダイヤモンドなどの地下資源に恵まれ、発展した。特にアルミニウムの原料になるボーキサイトの輸出は、同国の経済を支えているといっても過言ではない。
2006年には、三菱商事がボーキサイトの独占探査権を取得。同国では日本企業初のボーキサイト探査権の取得となる。独占探査権の期間は3年。探査の結果が良ければ、採掘権を取得し、アルミナ精製所の建設を検討するという。このように先進国に積極的な投資を要請しているが、大きな結果は出ていない。社会主義路線では大きな開発は進まず、自由主義路線に移行してからもインフラ整備の遅れから開発は停滞気味だ。
また2007年の労働組合によるゼネストによって経済が混乱した。2005年度のGDPは3%だったが、物価上昇率が38.4%(2006年度)に達するなどインフレが悪化している。ギニアは、主要援助国の米国から多くの石油製品を購入している。どうやら援助国から購入する石油価格の高騰が物価上昇の原因のようだ。また、2000年以降、隣国シエラレオネ、リベリアなどからの難民を受け入れており、それら難民が経済成長や民族間問題に影響を与えている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 43 西アフリカの通貨 ガーナ共和国
ガーナ共和国は、コートジボワール、トーゴ、ブルキナファソに隣接し、大西洋に面する国だ。面積は日本の約3分の2。1957年にイギリスから独立した。日本では、ロッテのロングセラー商品「ガーナチョコレート」(1964年発売)によって、ガーナがチョコレートの主原料であるカカオ豆の産地であることが広く浸透している。
15世紀にポルトガル人が上陸し、以降、イギリス、デンマーク、ドイツ、スウェーデンの交易者が海岸線に次々に砦を築いた。大量の金が採掘され、ダイヤモンド、マンガン、ボーキサイト、鉄鉱石など金属資源に恵まれたことから、欧州人は「黄金海岸」と呼んだ。英国植民地時代は「英国領ゴールドコースト」と称され、英国の入植者が鉄道や道路を整備し、イギリス式の学校や病院も建設された。
こういった経緯もあり、公用語も英語だ。通貨はセディ(GHC)。2007年7月1日、従来の10,000セディを新1セディに変更する1万分の1のデノミを実施した。これに伴いガーナ銀行は全銀行券の図柄を変更した50、20、10、5、1セディの全5券種の新券を発行した。新しいシリーズ券の表面には共通の図柄として、ガーナの独立に貢献した「ビッグ・シックス」と呼ばれる6人の国家の英雄の肖像を描かれている。
経済は農業と鉱業に依存し、農業がGDPの約40%を占めている。特にカカオは世界有数の産出量を誇り、熱帯雨林で育まれる木材と、アフリカ大陸では南アフリカに次ぐ産出量を有する金が主要輸出品だ。1970年代後半から80年代前半にかけて経済的困難に直面したが、世界銀行の支援を受けて再建。80年代後半からGDP平均5%成長を達成。90年代にも金やカカオの国際価格の低迷や主要輸入品である原油価格の値上げによって経済が悪化。しかしこれも2001年に誕生した新政権によって立て直しに成功。GDPは5.8%(2004年)、5.9%(2005年)、6.2%(2006年)。インフレ率は少し高く、14~15%を推移している。
そんな好調なガーナに追い風が吹いている。2007年6月、ガーナ沖で最大埋蔵量13億バレルの油田が発見。順調に開発が進めば、カメルーンを超える産油国に成長する可能性がある。ガーナでは近年原油価格の高騰、電力不足が大きな問題となっていただけに、油田発見は願ってもない吉報。石油が大きな産業となるかもしれない。要注目の国である。
ガーナの隣国ブルキナファソは、1960年にフランスから独立した内陸国だ。こちらは公用語もフランス語で、通貨は西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のCFAフランだ。独立後はオートボルタ共和国を名乗っていたが、1966年から83年まで4度も軍事クーデターが勃発し、84年に現国名に変更した。当時のサンカラ政権は社会主義経済体制を取ったが、独裁に反対するコンパレオがクーデターで政権を奪取し、90年に社会主義を放棄。世界銀行やIMFからの支援を受け、国際収支の改善や民間部門の強化に努め、94年のCFAフランの切り下げの際にも動揺せず、民主化と経済改革を進めた。
主要産業は農業で、人口の90%が農業に従事している。トウモロコシ、栗、綿花が主要輸出品目だ。14世紀頃に豊富だった金鉱の採掘も、年産3トン程度と少ないが、現在も続いている。ほかに鉛、亜鉛、大理石なども発見されているが、開発されたものは少ない。ただし地下資源に関して外資導入には積極的で、利益の本国送金を完全に承認し、100%の所有権も認めている。1997年以降、140件以上の鉱業権の申請がなされている。内陸国なので輸送関連インフラ整備が必須だが、開発の遅れが、鉱業が足踏みをしている要因のようだ。
2006年度のGDPは5.6%。物価上昇率も2.2%と好調だ。主要貿易国は、輸出では中国、シンガポール、タイなどアジア諸国が多い。輸入国はフランス、コートジボワール、トーゴ、リビアなど。油田がないことから、石油は輸入に頼っている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 42 中部アフリカの通貨 中央アフリカとブルンジ
1960年にフランスから独立した中央アフリカ共和国は、クーデター、独裁政治、兵士の反乱事件が繰り返して勃発した。この国の経済は農業が主体だが、不安定な政局が続き、崩壊状態にある。また飲料水の絶対的な不足が続いており、大きな問題となっている。鉄道すら敷かれていない内陸国という地理的条件から、貿易に関する輸送は1,400キロ離れたカメルーンのドアラ港または、1,800キロ離れたコンゴのポワント・ノワール港経由となるためコストが高く、国際競争力を低下させる大きな原因となっている。近年では国家歳入不足を原因とする公務員給与の未払い問題が深刻化している。
GDPは1.3%(2004年)、2.2%(2005年)、3.8%(2006年)と伸びているが、もともと人口の9割が貧困層にあり、世界174カ国の最貧国の中で154番目に位置していることから、特定の層が大きな収入を得ている様子が見てとれる。370万人の人口のうち100万人以上は孤立し、保健医療、教育、その他基本的なサービスを受けられない状況だという。また20万人もの国内避難民が存在し、食糧確保が不安定で人口の約15パーセントがエイズに苦しめられている。通貨は、ガボン、カメルーン、赤道ギニアなどと同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。
実は地下資源は豊富で、ダイヤモンドやウラン、金などが主要輸出品となっている。特に1914年にダイヤモンドが発見されて以降、鉱業が活性化。輸出総額の50%以上を占めるダイヤモンドは同国の貴重な資源となっている。ダイヤモンドの貿易相手国はフランス、米国、イスラエル、ドイツなどだ。この貿易で獲得した外貨がどこに蓄えられているのかは不明だ。
中央アフリカ同様、内陸に位置するのがブルンジ共和国だ。ルワンダ、コンゴ民主共和国、タンザニアと国境を接する国土は北海道の3分の1にすぎないが、人口密度はアフリカでは最も高い国である。1962年にベルギーから独立後、今日に至るまで民族紛争が続き、1993年には内戦に発展。アフリカでも特に経済開発が遅れた国であり、またマラリアが風土病として蔓延していることもあり、世界最貧国のひとつに数えられている。従来は社会主義諸国寄りであったが、現在は近隣諸国や先進諸国との経済協力を重視した現実的全方位外交をとっている。通貨はブルンジ・フラン(BIF)。
主要産業は、労働人口の90%以上、GDPの50%以上を占める農業。主要な輸出産品はコーヒーと茶だ。1993年までは自給的農牧業が主で、キャッサバ、サツマイモが栽培されるなど食糧自給が行われていたが、内戦勃発以降は、小国で人口密度の高い内陸国という地理的制約もあり食糧援助に頼っている。金、スズの鉱産はあるが、道路が未発達なので開発が進んでいない。
1980年代後半には世界銀行とIMFが実施する開発途上国へのプロジェクト「構造調整計画」を実施し、農業生産力の強化を中心に産業基盤運輸施設の整備を推進した結果、GDP実質成長率は向上したが、1990年代は政情不安による構造調整計画の放棄、1996年の近隣諸国による経済制裁のため、再びマイナス成長に陥った。2004年には国連PKOが同国に派遣され、世界銀行とIMFの主導によって復興プロジェクトが進展。
2006年11月には、東アフリカ共同体(EAC)への加盟が承認されるなど、東アフリカ諸国との関係強化を進めている。2006年にはGDPが5%を記録しているが、これは同国に滞在しているPKO部隊が飲食や日用品を購入したことによる内需で、輸出による外貨獲得ではない。米国、フランス、ベルギーなどが主要援助国で、日本からの無償資金協力は2005年度までに149.72億円と発表されている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 41 中部アフリカの通貨 赤道ギニアとチャド
赤道ギニア共和国は、ギニア湾に浮かぶ諸島から成る国。面積は北海道の3分の1で、人口は約52万人。1968年にスペインから独立し、1987年より今日に至るまで赤道ギニア民主党が一党支配を続けている。通貨は、ガボン、カメルーン、コンゴ共和国と同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。
伝統的にカカオ豆とコーヒー栽培によるプランテーションの農業国だったが、1980年代に油田探査が行われ、1992年にビオコ島沖で油田が発見、1996年に原油生産を開始して以降、急速に経済成長を遂げた。稼働している探査チームの数はアフリカ諸国最大といわれている。近年のGDPを見てみると、15%(2003年)、10%(2004年)、6.9%(2005年)と推移した。しかし2006年に-5.6%に転じている。マイナスに転じた要因は定かではないが、石油と天然ガスを中国、アメリカ、スペインに輸出することで外貨を稼いでいることと無関係ではないだろう。
同国の石油利権の大半は、米国エクソン・モービル、米国アメラダ・ヘス、米国マラソン・オイル、米国シェブロン、仏トタルなど欧米企業が押さえている。特に米国企業が積極的に進出し、発言力を強めているが、2003年から2004年にかけて米国企業から赤道ギニア政府への石油利権獲得をめぐる「裏金」が発覚し、贈賄疑惑が浮上した。同国への進出は米国以外にもスペイン、日本、中国などが競い合っている。
2005年にはマラソン・オイル社と赤道ギニア石油公社が共同で推進中の液化天然ガス(LNG)プロジェクトに丸紅、三井物産が参画。また2006年には中国海洋石油有限公司(CNOOC)が赤道ギニア石油公社と共同で海底油田の探査事業に着手することを発表。このように海外資本が小さな島国に集まったことから、汚職やクーデター未遂が起こったり、5億ドルを超す不明金と海外口座の存在が噂されたりするなど、きな臭い動きも見られる。
1960年にフランスから独立したチャド共和国も石油資源の開発が進んでいる国だ。通貨は赤道ギニアと同じ中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフラン。国土の約3分の2が砂漠地帯で内陸部というハンディと内戦による不安定な政治情勢が続き、長い間綿花と畜産中心の貧しい国のひとつだったが、2000年に多国籍石油会社グループがおよそ300の新油田開発を手がけ、2003年には世界銀行の融資によって、隣国カメルーンのクリビ港に至る全長1070キロの石油パイプラインが完成。パイプラインは、エクソン・モービル、シェブロン、マレーシア国営石油企業ペトロナスの合同事業である。2004年に石油生産を開始し、2005年には1日に17万バレルの産油量に達した。この時期、シェブロンとペトロナスの原油生産量はチャド全体の60%にまで達したといわれている。
GDPも10%(2002年)、11%(2003年)、30%(2004年)、6%(2005年)、4.6%(2006年)と急成長を続けている。2006年には中国と国交樹立し、中国はチャド政府に多額の支援を開始した。もちろんチャドの石油利権を確保するためである。
このように数年間で多額の外貨を獲得してきたチャドだが、世界銀行への返済は遅れ、世界最貧国のひとつ(国連開発指数による世界最貧国177カ国中173位)を抜け出せないでいるのはなぜなのろうか? それはデビー大統領の長期政権が続いたことで大統領側近と出身部族が利権を独占し、汚職が蔓延していることと、石油収入が貧困対策に用いられず、東隣スーダンが支援している反政府軍との間で続く紛争など軍事費に使われたことと無関係ではないだろう。さらにスーダンのアラブ系民兵組織による非アラブ系民族への虐殺(ダフール紛争)によって生まれたダフール地方の難民がチャドに逃れたことで、チャドが難民を抱える事態に発展したことも無視できない。
チャドはGDPだけを見ると目覚ましい発展をしているように見えるが、ほとんどの国民は貧しい生活を強いられているようだ。GDPだけを重要視していると、陰に隠れている大切な要素を見落としてしまうのである。
By Master K/益田 慶
FXライフ 40 中部アフリカの通貨 コンゴ共和国とコンゴ民主共和国
アフリカ中部に位置するコンゴ共和国とコンゴ民主共和国は、15世紀頃までは「コンゴ王国」というひとつの国だったが、植民地時代にフランス領とベルギー領に分けられた。前者が現在のコンゴ共和国、後者が現在のコンゴ民主共和国(元ザイール)である。
コンゴ共和国は1960年にフランスから独立。通貨は、ガボン、カメルーンと同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。旧フランス植民地であった多くの国で流通している通貨だ。コンゴ共和国は90年代末から2005年まで、反政府武装組織と治安部隊との戦闘行為が散発したが、その後、治安は落ち着いた。主要産業は農業、林業、鉱業(石油)で、GDPの5割以上、輸出額のほとんどを石油、木材に頼っている。
経済的には仏、米など西側諸国に依存しており、現実的外交路線をとっている。特に、従来から仏との関係が緊密だ。輸出品目は、石油、木材、砂糖などで、米国、中国、韓国、フランスが主な輸出先。一方、フランス、中国、アメリカ、インドなどから石油関連品、資本材を輸入している。GDPは1%(2003年)、4%(2004年)、9%(2005年)、6.4%(2006年)と推移している。
1990年代後半には、隣国・コンゴ民主共和国原産のダイヤモンドの不正輸出に関わり、2004年には紛争ダイヤモンドの取引を防ぐための国際認定制度であるキンバリープロセス認証制度から追放された。コンゴ民主共和国で勃発した大規模な内戦は、少なくとも300万人の死者を出したと伝えられているが、反乱武装組織に加え、アンゴラ、ナミビア、ルワンダ、ウガンダ、ジンバブエなどの武装組織がコンゴ民主共和国産のダイヤモンドから資金を調達していたことが発覚。コンゴ共和国がその「紛争ダイヤモンド」の横流し輸出を担っていたと指摘されたのだ。
コンゴ共和国にはダイヤモンド採掘産業が存在しないにもかかわらず、あまりにも大量のダイヤモンドを輸出していたことから、世界的な機関がコンゴ共和国からの輸入を控えるようアナウンスを続けてきた。キンバリープロセス認証制度への再加盟が許可されたのは2007年11月であった。
一方のコンゴ民主共和国は、1997年まで「ザイール」と呼ばれていた国である。通貨はコンゴ・フラン(CDF)。ベルギー統治下時代に当時のベルギー・フランと等価のコンゴ・フランが用いられ、独立後の1967年に「1ザイール=1000フラン」のレートで「ザイール」が導入され、1997年にコンゴ・フランが再導入された。
さて、コンゴ民主共和国といえば1990年代から続く内戦が有名だ。内戦は民族紛争であり、ダイヤモンド争奪戦でもあった。1996年にルワンダ軍とウガンダ軍がコンゴ民主共和国に進撃したのも、ダイヤモンドやコルタン、木材、象牙などを略奪するのが目的であったとされている。
ルワンダとウガンダはもともと力を合わせてコンゴを支配下に置く目論見だったが、鉱山をどちらが支配するかで対立し、コンゴ領内で両国の武装勢力が戦闘。当時の大統領がアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに援軍を頼み、援軍派遣の見返りに大統領が周辺諸国に提示したのは、自国の地下資源を採掘する権利だったといわれている。アンゴラは石油を、ジンバブエとナミビアはダイヤモンドを採掘させてもらう約束でコンゴの内戦に介入したのである。
2001年に和平協定を結び、2003年には暫定政権が誕生したが、依然として内戦状態は続いている。労働人口の75%以上が農民で、パーム油、コーヒー、綿花を栽培するが、食料は輸入に依存している。6割を占める輸出産業の主役・鉱物資源は世界的な宝庫で、銅、コバルト、ダイヤなどを産出。コバルトの埋蔵量は世界の約65%を占めている。
豊富な鉱物資源によって1970年代初期までは、順調な経済発展を遂げたものの、銅価格の低迷、対外債務の増大などによって1970年代末期以降、経済困難に直面。さらに1991年の内政混乱以降、インフラが破壊され、経済は壊滅状態となった。2002年には世銀銀行とIMFの協力の下、復興への歩みを始め、2005年にGDP 6.6%、2006年にGDP5.1%という成長を記録したが、これは世銀銀行、IMF、欧米諸国の援助によるところが大きい。国内は激しいインフレが続いており、2005年の物価上昇率は23.4%であった。
By Master K/益田 慶
FXライフ 39 中部アフリカの通貨 ガボン、カメルーン
赤道ギニア、カメルーン、コンゴ共和国と国境を接するガボン共和国。15世紀末にポルトガル人が渡来し、奴隷貿易を行い、次いでオランダ、イギリス、フランスが進出。1910年にフランス領赤道アフリカの一部となり、1960年に独立した。共和制・大統領制を採用する立憲国家で、公用語はフランス語だ。
通貨は、旧フランス植民地を中心とする多くの国で用いられる共同通貨の「CFAフラン」だ。西アフリカ諸国中央銀行(BCEAO)発行のものと、中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のものがあり、価値は同一だが、相互に流通はできない。ガボンは後者発行のCFAフランだ。1958年から1フランス・フラン=50 CFAフランの固定レートであったが、1994年に100 CFAフランに切り下げられた。
CFAフランの切り下げは当時のバラデュール首相(仏)が押しつけたものだが、狙いは国際市場での外貨建てによる輸出品価格を下げることでサハラ以南アフリカ諸国の競争力を高めることにあった。世界銀行とIMFは切り下げを利用して、経済の自由化・民営化政策を推し進めた。
ガボンでは、CFAフランの50%切下げを契機に暴動が発生するなど、政治的・社会的緊張が高まった。同国政府は、CFAフラン切下げに対処するためIMFとの間で構造調整計画に合意し、債務繰延べが承認された。
ガボンは石油が埋蔵されているギニア湾に接した国。国土の産油国80%以上が森林で、近隣諸国と比べ人口は少ないこともあり、石油による収入によって国民所得はアフリカでは高いクラスに位置する。石油開発に関して国の関与が少なく、比較的自由に海外の企業が進出できたので早い時期から開発が進んだ。たとえばギニア湾の海底油田「ボードロア・マリン油田」は1970年代にフランスのエルフ社(現トタル)が発見し、開発を進めたものだ。
一部の鉱区については三菱商事の子会社MPDCガボン社がトタルと権益を折半し所有している。ガボンは1975年~1995年にOPEC に加盟し、1996年に脱退している。理由は、原油の減産要求や拠出金の多さに不満があったからだとされている。また他の天然資源としてウラニウム、マンガン、鉄など鉱物資源が豊富にあると見込まれている。
2005年度のGDPは2%。フランスを中心とする主要先進国と穏やかな外交を展開し、近年では日本、韓国、中国との関係強化にも力を入れている。課題は石油依存型経済構造を脱皮し、産業の多角化を図ることと失業率(20%)対策。熱帯木材の好調さから林業にも力を注ぎ、雄大な自然は観光資源としても活用されつつある。
隣国のカメルーンも中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフラン流通国だ。ドイツの支配時代を経て、フランスとイギリスの植民地に分かれていた時期があることから、まず1960年にフランス領カメルーンが独立。翌年、イギリス領カメルーンの北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーン連邦に加盟した。1984年にカメルーン共和国に変更し、今日に至る。
独立後は、東西いずれの国の影響も受けずに独自の立場を貫くという理念によって非同盟路線を維持しているが、経済的にはフランスとの結びつきが強い。カカオ、コーヒー、バナナなどの農産物、1970年代後半に採掘がはじまった原油の輸出によって経済的に成功したものの、1980年代後半には農産物と原油価格の下落によって約10年間不況に陥った。
その後、水力で電力をまかなえるようになり、減少傾向にあった石油生産も新油田の開発があり、増産にも成功したことで経済は再興され、2000年以降は4~2%成長が続いている。物価上昇率も安定しており、アフリカ諸国にあって数少ない自立した国のひとつになったようだ。原油、ココア、綿花、木材などをスペイン、イタリア、フランス、イギリス諸国に輸出し、フランス、ナイジェリア、中国などから消費財や資機材を輸入している。日本は同国からカカオ豆、コーヒーを大量に輸入し、良好な関係が続いている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 38 南部アフリカの通貨 ナミビア、スワジランド、マラウイ
アフリカ南西部の国ナミビアは、アンゴラ、ボツワナ、南アフリカと接し、西側は大西洋に面している。19世紀にイギリスとドイツに相次いで保護領化され、第一次世界大戦以降、隣国の南アフリカ共和国が占領。独立を果たしたのは1990年のことだ。通貨はナミビア・ドル(NAD)。1993年に南アフリカ・ランド(ZAR)に代わって導入されたもので、ZARと等価に固定されており、国内ではZARも流通しているが、南アフリカ共和国ではNADは使えない。
独立以降、民主主義に基づく自由経済を推進してきた。ダイヤモンドやウラン、亜鉛、金、銅など豊富な地下資源、世界有数の漁場、牧畜に適した温暖な気候など、南部アフリカ諸国の中では高い潜在力を秘めている。アフリカで南アフリカ共和国、アンゴラ共和国に次ぐダイヤモンド産出量を誇り、鉱業が同国の基幹産業となっている。
しかし鉱山経営はアングロ・アメリカン社(南アフリカ共和国)など外資の進出が多く、ダイヤモンドの恩恵をこうむっているのは政府と外資系企業という見方もできる。また輸出・輸入とも南アフリカの取扱量がトップであることから、経済面で南アフリカに依存していることがわかる。南アフリカからすれば、利益を生み出してくれる国がナミビアという構図が見えてくる
。2006年のGDPは4.6%と好調だ。しかし、失業率が約20%あり、人種間の所得格差が大きな問題となっている。差が最も顕著なのは異なる言語グループの間での格差である。植民地時代からこの地域に在住するドイツ系・英国系の国民は人間開発指数が最も高く、彼らの生活レベルは先進国の水準だ。一方、公用語である英語を話せない先住民サン族は最も指数が低く、世界の中でも最貧国のレベルに位置する。
南アフリカに囲まれる内陸国スワジランドもまた南アフリカに依存することで経済発展を遂げてきた国のひとつだ。イギリスから独立したのは1968年。国王を国家元首とする王制国家だ。通貨はリランジェニ(SZL)。ナミビア・ドル(NAD)同様、南アフリカ・ランド(ZAR)と等価。いわば南アフリカの共通通貨圏(ランド圏)に所属する国である。
主要産業は農業と鉱業で、農作物を原料とした飲料産業やアパレル産業が成長している。日本からはファスナーで名高いYKKグループが進出している。2006年度のGDPは2.1%と決して悪くないが、失業率が約40%と異常な数値を示している。これは国民の1%ほどの白人が経済の実験を握り、私有地の大半を保有していることが原因で、一般国民の生活水準は低い。世界最貧国のひとつにも挙げられている。
電力の約8割を南アフリカからの輸入に依存するなど、南アフリカに大きな影響を受けている。問題は食糧危機と失業率の高さ、エイズの蔓延。人口のHIV感染率が世界で最も高い国のひとつで、平均寿命が40歳と世界で最も低い。
タンザニア、モザンビーク、ザンビアと国境を接するマラウイもまた世界最貧国のひとつだ。1964年にイギリスより独立。アフリカ諸国では逸早く南アフリカとの外交を始めた国で、台湾や中国とも外交をもつ。通貨はクワチャ(MWK)。
マラウイで有名なのが国土の15%を占めるマラウイ湖だ。漁獲資源を得る場であり、また観光資源にもなっている。
主要産業は農業で、労働人口の約85%が農業関連事業に従事している。特にタバコ、紅茶、砂糖などが大きなシェアを占めている。貿易は輸出・輸入とも南アフリカがメイン。1999年にはGDP4.7%を記録したのち主要輸出品であるタバコの輸出額の減少と原油価格の上昇で経済が低迷。
また2005年には食糧危機に陥った。2006年にGDP8.4%まで持ち直したが、これは英国、米国、ノルウェー、ドイツなど欧米諸国の経済援助によるものが大きい。マラウイもまた平均寿命が40歳に満たない国である。
By Master K/益田 慶
FXライフ 37 南部アフリカの通貨 ジンバブエとボツワナ
アフリカ大陸の内部に位置し、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカに隣接するジンバブエは、1980年にイギリス領から独立し、共和国を設立した。かつて黒人と白人が融和し、農業、鉱業、工業のバランスの取れた安定した国だった。しかし白人農家に対する強制土地収用政策を進めたことで、ノウハウを持つ白人農家が消滅し、農作物の収穫量が激減。輸出の柱であった農作物がなくなったばかりでなく、国民の食糧危機が起こったのだ。
アフリカの諸国が独立して黒人国家を形成する場合、独立時に大規模農場主や行政官の白人を追い出すケースが多い。そのデメリットは、政府に政治運営のノウハウがなく、また支配されてきた黒人側に農場経営のノウハウがなく、自立できないことだ。ジンバブエは独立時に白人を追い出すことはせず、黒人と白人が融和政策をとった。人口1,267万人のうち白人は7万人しかいないが、農地の6割は白人の農場で、独立後もタバコを中心とする農産物の輸出を順調に続けたことで、「アフリカで黒人と白人が融和する稀有なケース」「アパルトヘイトから脱却するためのモデル」とされていた。
政府は独立時の取り決めで、白人農場主から政府が土地を市場価格で買い取り、それを黒人の貧しい人々に再配分する計画だった。しかし、政府の財政が悪化し、白人農場主から土地を買う資金がなくなってしまったのだ。そこで政府はイギリスやアメリカ、国際機関から資金を借り、白人の農場を購入して黒人に分配した。しかし、土地の分配を受けた黒人農民の多くは輸出できる水準の作物を作るための営農技術を教えてもらっていなかったので、土地利用の効率が下がり、農産物の輸出は減っていった。1997年、国際金融危機の影響で通貨のジンバブエ・ドル(ZWD)も急落し、外貨は底をついた。1980年に登場した当初、ZWDは強く、US1ドルがZWD0.68だった。
ジンバブエ政府は、IMFからの支援も受けられず、外貨の裏づけのないまま紙幣を刷り続けた結果、インフレが激しくなった。失業率は7割。2003年には600%、2006年には1000%、2007年には2万%のインフレに陥った。たとえるならレストランで食事をするのに600万ドルも必要になったということだ。2006年8月、デノミが実行され、ZWDは3桁切り捨てられた。さらに2007年9月、ZWDは対米ドルで1200%切り下げられ、公式レートはUS1ドルが3万ZWDに変更。この時点で経済は崩壊。また政府は国内の外資系企業に対して株式の過半数をジンバブエの黒人に譲渡するよう義務づける法案を提出するなど混乱は続いている。
一方、隣国のボツワナ共和国は、1966年の独立以降、複数政党制による民主的な議会運営が行われ、政治は安定した。ダイヤモンド鉱脈や銅、ニッケル鉱脈の発見が続き、これらの開発に南アフリカ、米国、英国、ドイツなどが進出し、1980年代末まで急速な経済成長を続けた。現在も輸出品のメインはダイヤモンドで、90%を占めている。通貨はPula(プラ)で、国際通貨コードはBWPだ。1999年初めに為替の自由化を実施し、金融事業が底上げされた。
1989年以降、ダイヤモンドの世界市場の低迷に伴い、経済成長は低迷したが、やがて勢いを取り戻し、1999年にはダイヤモンドの生産量が世界第3位となったほか、観光、金融部門が伸び、2004年にはダイヤモンド産出額世界第1位、産出量世界第2位を達成した。2005年の経済成長率は6.2%。鉱物資源が豊富なことから貿易が発達し、南部アフリカ関税同盟や欧州自由貿易連合が輸出入とも中心となっている。また外交政策も活発で、南部アフリカ諸国の経済的統合を目的とする南部アフリカ開発共同体の議長国を長年務め、リーダーシップを発揮している。
こういった経済の好調さとは裏腹に負の側面が多いのがボツワナの特徴。失業率が20%を超え、エイズの感染率が世界最高となっている。政府は国の歳入の多くを失業対策とエイズ対策に注いでいるのが現状だ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 36 南部アフリカの通貨 南アフリカとモザンビーク
鉱山資源に恵まれ、金やダイヤモンドの世界的産地として知られる南アフリカ共和国。近年では2010年のサッカーワールドカップの開催国としても知られている。その歴史はアフリカ諸国同様、侵略と抵抗、独立の歴史である。
17世紀にオランダ東インド会社が喜望峰を中継基地として以降、オランダ移民が増え、18世紀の終わりには金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってイギリス人が上陸。やがてロンドン・ロスチャイルド家の融資を受けたセシル・ローズがこの地に創業した「デ・ビアス」がのちに世界のダイヤモンド供給の80%を支配することになる。ローズは、ケープ植民地の首相も務めた。その後、ボーア戦争を経て、1910年にイギリスより独立した。
通貨はランド(ZAR)。日本でも数社の証券会社から「南アフリカランド建て債券」が販売されたり、数行の銀行が「ランド建て外貨預金」を商品化したりしているので、ランドに詳しい人もいるだろう。同国はアフリカ最大の証券所である「ヨハネスブルク証券取引所」(2006年度世界第16位)を有し、2005年2月、ロンドンで開催されたG7会議では、BRICs諸国と並んで会議に参加するなど、国際社会における存在感が増している。2005年度GDPは5%。ダイヤモンド、金を資本とした製造業、金融業が主要産業だが、近年では鉱業の比率が下がり、金融保険の割合が増している。
南アフリカの最大の輸出先は日本である。つまり、日本は、金、ダイヤモンドの輸入大国なのである。近年ではダイムラー・クライスラーが自動車工場を建設し、日本やイギリスに輸出しているほか、日産自動車も輸出拠点として同国に工場を置いている。同国は南部アフリカでは最も豊かな国といえる。
しかし課題は多い、アパルトヘイト撤廃後も改善されない人種による格差だ。失業率25%という高さは、主に黒人のそれによる。政府は国民のスキルアップに努めているが、部族間格差が大きく、犯罪率やエイズ感染率の高さも同国の大きな問題となっている。
南アフリカ共和国と接するモザンビークは、1975年にポルトガルから独立した。独立から15年間は一党支配によるマルクス主義路線を推進し、ソ連、東ドイツとの関係が深かったが、反政府組織と政府軍による内戦が長期化し、1990年に複数政党と自由市場経済を推進する新憲法が発効され、民主化が進められた。公用語はポルトガル語だが、植民地時代にイギリスとフランスが開発の権利と司法権を除く自治権を取得していたため、イギリスとの経済的な結びつきが強く、1995年にイギリス連邦に加盟した。
通貨はメティカル(MZM)。通貨を発行する中央銀行は1975年設立のモザンビーク銀行。国内ではUSドルとランドも流通している。2000年、2001年と連続して起こった洪水災害により経済は打撃を受けたが、南アフリカ共和国によるインフラ修復事業など外国直接投資を背景に復興を遂げ、2006年にはGDP8.5%を達成した。
同国の産業は農業が主体だが、鉄鉱石やマンガンなどの鉱産資源が豊富で、アルミニウムはメインの輸出品である。経済発展に貢献しているのが、アルミニウム精錬所「モザール」だ。国際金融公社IFC、南アフリカ産業開発公社IDCに加え、三菱商事が25%出資し、2000年に生産を開始した。同国の豊富な水力・電力を利用し、世界第一級のアルミ精錬事業を行おうとするもので、同プロジェクトはインフラ整備や雇用促進にも貢献している。実は日本はアルミ新地金のほぼ100%を輸入に頼っており、日本からすれば安定調達先を確保するという意味合いも大きいプロジェクトといえよう。
また、モザンビークは漁業が盛んで、水深200~600mに生息する小エビ類が水揚げされ、その多くは 日本に輸出されている。モザンビーク産のロブスターは日本の市場でも多く出回っている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 35 南部アフリカの通貨 アンゴラとザンビア
西は大西洋に面し、東にザンビア、南にナミビア、北にコンゴ民主共和国と隣接するアンゴラ共和国。ポルトガルから独立したのは1975年。現在アフリカ最大のポルトガル語圏となっている。
独立後は、米国・南アフリカが支援するアンゴラ解放戦線全面独立民族同盟(UNITA)と、ソ連・キューバが支援するアンゴラ解放人民運動(MPLA)双方が政府を樹立し、内戦が続いた。一時期はMPLAが政権を掌握し、社会主義政策を敷いたものの、1990年に社会主義路線を放棄し、複数政党制に移行。その後も内戦は続き、二者の間に休戦協定が結ばれたのは2002年のことだ。
独立した1975年、中央銀行のアンゴラ国民銀行が発券を行い、すべての商業銀行と外資系銀行が国有化された。通貨は1977年にアンゴラ・エスクードからクワンザ(AOA)に代わった。さらに90年末、クワンザは50%以上切り下げられ、新クワンザに切り替わった。新クワンザはその後も内戦による経済疲弊のため、たえず切り下げられてきた。クワンザ以外に米ドルも一般的に流通しており、ホテル、レストラン、タクシーやレンタカーの支払いは、どちらの貨幣でも使用できる。
長い内戦によって土地が荒廃し、主要産業の農業生産が落ち込み、各地で飢餓が生じた。またマラリアが大量に発生したこともあり、海外からの食糧援助に依存せざるを得なくなった。耕作可能な土地は国土のわずか3%、常時耕作されているのは0.2%である。主要な輸出農産物は北部で栽培されているコーヒーだが、年間生産量は1980年代の1万5000トンから2005年には1250トンに落ちた。
休戦協定の締結以降、石油生産を中心とする経済の復興が進められた。内戦によって開発ができなかったが、アンゴラの沿岸部には90億バレルの原油が眠っていると見られており、内陸部にはダイヤモンドが産出する。世界的な石油価格の高騰に助けられ、2005年の成長率は20.6%、2006年は14.6%を記録した。石油はもっとも重要な鉱物で、輸出総額の90%を占める。アンゴラから最も多くの石油を輸入しているのが中国だ。2006年には中国の温家宝首相がアンゴラを訪問し、経済援助を約束した。
現在アンゴラはアフリカにおける中国第2の貿易相手に成長している。そして2007年1月、アンゴラはOPECの12番目の加盟国となった。採油は1960年代からカビンダの沖合で行われ、製油所はカビンダとルアンダにある。2004年の原油産出量は3億2966万バレル。2番目はダイヤモンドで540万カラット。アンゴラ政府は石油依存型経済からの脱皮を図るため製造業の振興を進め、精糖、製粉、ビールなどの飲料、魚粉、加工食品をはじめ、繊維、セメント、ガス、化学品の製造がおこなわれている。
アンゴラと接するザンビアは、1964年にイギリスから独立。以降一党制独裁を敷いてきたが、1990年に複数政党制へ移行し、アフリカにおける民主化のモデルとなった。内戦もなく、政局は安定している。
通貨はザンビア・クワチャ(ZMK)。ザンビアの産業といえば、植民地時代から銅の生産が盛んで、コバルトや鉛、亜鉛も産出している。しかし銅が輸出額の約6割を占めており、銅の生産量と国際価格の変動がザンビアの経済に大きな影響を与えてきた。近年、銅の国際価格が上昇したことにより、GDP14.3%(2006年)と好調期を迎えているが、原油の国際価格の上昇はザンビア経済にとっても大きな懸念材料となっており、現ムワナワサ政権は、この経済構造から脱却するため、農業や観光の開発を中心とした産業構造改革を最優先の政策のひとつに掲げている。
最大の課題は、貧困とHIV/AIDSの蔓延である。ザンビアでは人口の6割以上が1日1ドル以下で生活する貧困層であり、都市部では長年に亘る経済不振により失業者があふれ、犯罪も増加傾向にある。また、成人のエイズ感染率が約17%と高く、現在、国民の平均寿命は38歳にまで低下している。
By Master K/益田 慶
FXライフ34 東アフリカの通貨 マダガスカルとモーリシャス
アフリカの東南、インド洋に浮かぶ島国マダガスカル共和国。島の大きさは世界で第4番目。日本の1.6倍の面積にマレー系民族、アフリカ大陸系民族など約1910万人が暮らしている。マレー系民族は、1世紀前後にボルネオからインド洋を横断して渡ってきた人々の子孫とされている。
その後、アフリカ大陸東部から渡ってきた人々が混じったことでアフリカ大陸とは異なる民族構成を示している。やがて欧州列強が植民地として触手を伸ばし、イギリスに先んじてフランスが占領した。1960年の独立後は経済の低迷が続き、一時期社会主義化政策に傾いたものの、経済復興を掲げる実業家のラヴァルマナナが大統領就任後、政局は安定した。2003年にアフリカ連合(AU)復帰、 2005年に南部アフリカ開発共同体(SADC)に正式加盟し、順調に成長している。
通貨は2003年までマダガスカル・フラン(FMG)が流通していたが、同年8月から5分の1の価値(5 FMG=1MGA)の新通貨単位「マダガスカル・アリアリ」(MGA)が登場し、2005年から正式通貨となった。主要貿易国は、輸出入ともフランスがトップを占めている。基幹産業は農業と魚業だが、ラヴァルマナナ大政権下での自由化政策により経済成長が続き、繊維産業の輸出も増えた。
2002年は政局不安によって経済成長率はマイナスとなったが、経済再建が進められ、近年は国内にある二つの世界遺産が人気を呼んで観光サービス業が好調となり、2006年には4.9%成長となった。1990年代にルビー、サファイアなどの鉱床が発見され、鉱業分野での投資も活発化している。現在、世界銀行の融資による第二次民間セクター支援プロジェクト(PDSP2)の枠組で、民間が管理を行う工業団地や輸出加工区(EPZ)の設置が現在検討されている。
後者は外国企業に対する経済特区で、事業開始から5~10年間の所得税免除および以降は10%の税率適用、専門税の免除、関税、輸入税、付加価値税の控除などが実施される。政局が安定し、民族対立もないことから条件は悪くないと見る専門家は多い。今後発展の可能性のある国である。
一方、インド洋のマスカレン諸島に位置する島国がモーリシャスだ。1968年にイギリスから独立した。日本とは関係が深く、遠洋マグロ漁業の中継・補給地として重要な位置にあることから主要援助国となっている。日本との合弁企業によるカツオ、マグロ漁も行われており、漁獲された魚は缶詰原料として供給されている。
国民はインド系住民が7割近く占めている。これはかつて労働者として渡ってきた人々の子孫だ。よって宗教はヒンドゥー教が大半を占めるなどアフリカでは珍しい構成になっている。多民族国家ではあるが、同国でも民族対立はなく、小・中学校は無料で授業が受けられることもあって教育水準は高い。外交は活発で、インド、欧州、アラブ諸国と積極的に貿易を進め、1971年から始まった輸出加工工業地区における繊維産業の輸出が発展し、アフリカで最も豊かな国民所得をもたらした。
通貨はモーリシャス・ルピー(MUR)。経済の3本柱は、砂糖産業、繊維産業、観光業。モーリシャス島は「インド洋の貴婦人」と呼ばれ、欧州人が好む観光用ビーチリゾートが整っている。これらに加え、近年は情報通信分野の振興が見られる。2006年の経済成長は3.5%、失業率は10.2%となっている。植民地時代に発展した主要産業の砂糖生産は、2005年にEUが砂糖域内価格引下げを決定したことから売上はやや低減。繊維産業もアジア諸国との競争にさらされ低迷。政府は財政緊縮政策を打ち出し、外国投資・企業誘致などを通じた経済活性化、産業構造改革に取り組んでいる。同国も大きなポテンシャルを持つ国といえよう。
By Master K/益田 慶
FXライフ33 東アフリカの通貨 ウガンダとエチオピア
ウガンダ共和国は1962年、イギリスから独立した。当初は社会主義路線を進めていたが、1971年クーデターで政権を奪ったアミンが大統領に就任し、独裁政治を敷いた。アミン失脚後も度重なるクーデターにより政治・経済は混乱した。これは多民族国家ゆえ民族間の権利争いが絶えなかったことを物語っている。むろんイギリスは簡単に統一できないことを承知でウガンダの独立を見守っていたことだろう。実は当初イギリスは、ウガンダの社会主義国化を阻止したアミン大統領を支持していた。
社会主義国家になればイギリス企業が国有化されるからだ。ウガンダはキリスト教徒が半分を占める国で、東アフリカに反アラブ国の建国が必要と考えたイスラエルもアミンを支援したようだ。しかし、アミンが両国に莫大な軍事的・経済的援助を要求したことからイギリスもイスラエルもウガンダの支援から手を引いた。そしてアミンは企業を国有化し、独裁制を敷いた。皮肉なことに社会主義国と同じ結果を招いてしまったのである。
1986年、ムセベニが大統領就任後、IMFの経済復興計画を導入し、輸出拡大のための貿易の多角化、規制緩和、国営企業の民営化などが推進され、経済成長がもたらされた。ムセベニは1991年にはアフリカ統一機構の議長にも選出された。現在、欧米等西側諸国との関係強化に努め、タンザニア、ケニアとの三国間の協力を推進しており、2006年に関税同盟「東アフリカ共同体(EAC)」に11月に加盟した。
通貨はウガンダ・シリング(UGX)。外国為替市場が発達していないウガンダでほとんどの商取引の決済に使用されているが、米ドル、UKポンド、ユーロも使われている。主要産業は、コーヒーや紅茶など農業、銅やリン鉱石など鉱業、繊維やセメントなど製造業だ。首都カンパラが商業、製造業、輸送業の中心で、EACの下部組織である東アフリカ開発銀行や東アフリカ鉄道も市内にある。
2006年度の経済成長率は5.3%。ただし、インフレ率が6.7%、失業率が33%と高く、北部地域では20年に及ぶ反政府武装組織との戦闘によって現在も100万人近い国内避難民がいるとされている。
周辺国との関係は近年著しい改善が見られている。スーダン南北和平の進展に伴ってスーダンとの関係は改善しており、またかつてウガンダ政府軍による軍事介入により関係が悪化したコンゴ民主共和国との関係も改善されてきた。課題は国内の貧困削減だ。
エチオピアは、ソマリア、ケニア、エトリア、ジブチなどに囲まれる内陸国だ。80以上の多民族からなる国で、民族ごとに構成される9つの州と二つの自治区からなる連邦制をとっている。1936年から1941年のイタリアによる植民地時代、1974年~1987年の社会主義時代、エリトリアの独立、いくつかの内戦などを経て、現在は安定している。
通貨はブル(BIRR)。主要産業はコーヒーやトウモロコシなど農業。製造業では皮製品が有名だ。国土の10%が農地として使われており、国民の30%が農業に従事している。近年、経済成長率は13.4%(2004年)と高い水準を保っているが、アフリカで2番目に多い人口7000万人を支えるには主食の栽培量が不足しており、依然として世界最貧国のひとつだ。農業の機械化が進まず、生産性が低いことが要因である。
鉱物資源は、金、銀、塩が採掘されており、プラチナ、大理石、水銀鉱やタングステン鉱、ニッケル鉱などの埋蔵が確認されている。現在までの行われてきた調査では、国内の多くの場所で、輸出基準に叶う豊富な資源が眠っていると報告されている。実際の発掘規模が小さいのは、外国企業が投資をためらっているからであろう。日本との貿易は、日本が自動車やバス、トラックを輸出し、エチオピアはコーヒーを輸出しているが、直接投資はない。同国もまた貧困削減が最優先されている。
By Master K/益田 慶
FXライフ32 東アフリカの通貨 ケニアとタンザニア
アフリカ東部にあるケニア共和国は東アフリカのリーダー的存在だ。18世紀にアラブ人勢力によって奴隷貿易や象牙貿易が行われ、19世紀に欧州列強による植民地化が進んだ。イギリスとドイツの植民地獲得争いの末、1920年にイギリスの植民地となる。紅茶、コーヒーなどのプランテーション経営が進められ、イギリス人が政治・経済を支配した。この時期にイギリスからの投資によって工業化の種がまかれ、ケニアに製造業を発展させる基礎体力が備わったのである。第二次世界大戦後、イギリスへの抵抗運動が活発となり、1963年に独立した。
通貨はケニア・シリング(KES)。主要産業は農業でGDPの3分の1を占める。人口の75%が農業関連の仕事に就き、外貨の約60%を農業が占めている。コーヒー、紅茶、豆などが主要輸出品だが、生産品目の多角化に成功し、現在サトウキビ、トウモロコシ、綿花、除虫菊なども生産している。鉱物資源の産出量は縮小傾向にあり、増えているのが金の産出量のみだ。南西部のグリーンストーン一帯に金鉱山が分布しているものの、採掘の機械化が遅れているようだ。
その一方で近年製造業を中心に工業化が進んだ。食用油、石鹸、セメント、プラスチック製品、衣料品など、東アフリカで優位性の高い製品は多い。そんな背景もあり、2004年度に経済成長率4.3%を達成。以降も観光、建設、農業分野が好調だったので、5%成長が続いていると見られる。
気になるのは、2007年末に行われた大統領選挙の結果をめぐり、暴動が勃発していることだ。ケニアには少なくても42の民族が存在し、公用語は英語だが、42もの言語が用いられているといわれている。近年、政財界を支配してきたキクユ族も全人口の22%を占めるにとどまっている。暴動が民族闘争に発展するのか、あるいは民主主義が成人するための痛みなのかは現在のところ不明だ。
ケニアの隣国タンザニア共和国は、ドイツ、イギリス両国の保護領時代を経て全土がイギリスの保護領となった。1961年から1963年に地域ごとにイギリスから独立を果たし、1964年に合併。通貨はタンザニア・シリング(TZS)。独立後、政治の民主化が進められ、近年は適切な経済政策が功を奏し、2005年には経済成長率7%を達成した。
主要産業はケニア同様、農業だ。GDPの約半分を占めている。特にタンザニア産のキリマンジャロコーヒーは有名で、世界じゅうで愛好されている。また、ビクトリア湖で獲れる大型の淡水魚ナイルパーチは食用として日本をはじめ世界に輸出され、ひとつの産業となっている。ナイルパーチはもとはといえば1950年代に水産資源としてイギリス人が持ち込んだ外来種だ。ススギに食感が似ていることから日本のスーパーの店頭では「白ススギ」と記されることもある。
タンザニアの製造業は、ケニアに遅れをとっているものの、近年、繊維、食品加工などが盛んになっている。また鉱業は未開発だが、大きな潜在力を秘めているといわれている。現在、金や天然ガスの開発が進められており、地下資源が発見された場合、産業が大きく飛躍する可能性がある。
このような両国は、貿易を通じて互いに成長すべく模索を続けてきた。具体的な政策として採用されたのが、2001年にケニア、タンザニア、ウガンダによって結成された関税同盟「東アフリカ共同体」(EAC)の設立である。2007年にはルワンダとブルンジが参画し、5ヶ国から成る関税同盟へと拡大した。
2007年12月、東アフリカ共同体は欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)枠組協定に署名した。これによりEACから輸出する農産物の関税は撤廃され、EUから輸入する工業製品などの関税は段階的に撤廃されることになった。東アフリカ共同体は約1億人の巨大市場で、かつさらなるインフラ整備が求められている地域である。農産物の産地が広がり、地下資源が眠っている可能性も高い。一方のEACからすれば、EUはアフリカ産の農作物を消費してくれる巨大市場である。EUとの経済連携はEACが今後予定している共通市場、通貨統合、政治統合への動きに弾みをつけると見られている。
By Master K/益田 慶
FXライフ31 中東・アラブ諸国の通貨 アルジェリアとチェニジア
北アフリカに位置するアルジェリアは、アラブ人からなるイスラム国家だ。1962年にフランスから独立。OPEC加盟国であることからわかるように産油国である。化石燃料関連産業が国家予算の52%、貿易利益の95%を占めているように同国の経済は地下資源の採掘に依存している。
油田開発は植民地時代にフランス主導で行われた。第二次世界大戦後、フランス政府は探鉱開発を担う石油探鉱公社を設立し、海外領土で開発を進めた。そのうちのひとつがアルジェリアのサハラ砂漠だった。60年代にフランスが核実験場として選んだことでも知られている。フランスやイギリスの植民地支配からいかに独立し、どんな政権を立ち上げるのか、内戦をどのように克服していくのか。これが近代のアフリカの歴史であった。
アルジェリアの通貨はアルジェリア・ディナール(DZD)。独立後のアルジェリアは社会主義政策路線で始まったものの経済が低迷し、1965年に軍事クーデターによって軍の独裁が始まる。この時代に経済成長を遂げるが、80年代に入ると経済が困窮し、大きな対外債務を背負った。1991年の選挙でイスラム主義政党のイスラム救国戦線が圧勝すると、再び軍のクーデターが勃発。1992年以降、政府軍とスラム救国戦線が対立し、イスラム原理主義派によるテロが頻繁に発生。内戦状態が10年近く続いた。
1999年にブーテフリカ大統領が誕生して以降、活発な外交活動が展開され、国際舞台への復帰を達成。約10年にわたる国内テロのイメージを改善することに尽力を注いでいる。1995年から国有企業の民営化が進められ、豊富な地下資源の採掘に力が注がれ、近年の原油高もあって経済成長は回復。1999年以降、毎年4~6%(最新データでは2006年のGDPは3.6%)まで回復したものの、失業率は12.3%と依然高い。
近年海外から熱い視線が注がれているのが天然ガスだ。アルジェリアの天然ガスは世界第5位の埋蔵量を誇っており、輸出量は世界第2位だ。鉱物資源も豊富で、世界シェア第3位の水銀やリン鉱石などがある。このアルジェリアに近年積極的に進出しているのが中国だ。
中国石油天然気(天然ガス)集団公司がアルジェリア政府、地元石油会社と提携して開発を進めているほか、2007年には原油と天然ガスの生産にかけて中国最大の企業である「ペトロチャイナ」が自らが権益を持つ、アルジェリアの油田で軽質油と天然ガスの産出を確認した。石油・天然ガス以外でも、中国最大手の建設企業集団である中国建筑工程総公司がアルジェリア新国際空港の建設に続いてアルジェリア外務省の新庁舎建設を受注している。
アルジェリア政府としては海外企業に広く投資を呼びかけているものの、海外企業はいまだイスラム原理主義派のテロに不安を抱いている。ところが、中国だけはむしろそういった新興国を中心に進出をはかっているかのように見える。アメリカに次ぐ石油消費国・中国のエネルギー外交政策が顕著にあらわれている例といえよう。
アルジェリアの隣国チュニジアもまたフランスから独立した国だ。通貨はチュニジア・ディナール(TND)。やはり人口のほとんどをアラブ人が占めるイスラム国家である。産業は農業、鉱業、工業の三つの柱がある。アルジェリア同様、リン鉱石の採掘が盛んで、大きくはないが油田も発見されている。ほか亜鉛、銀、鉛などを産出している。工業は農業生産品の加工に基づく食品工業、鉱物資源を活用した肥料生産に代表される化学工業、機械工業がメイン。近年急速な成長を見せているのが欧州諸国の被服製造の下請けである。これは日本が人件費の安い中国の工場に製造を依頼している構造と同じだ。
チュニジアは90年代に構造改革を進め、2001年まで計画経済が進められた。これによって良好な投資環境が整い、2003年~2006年のGDPは平均3%で推移している。国際収支の経営赤字も縮小し、経済的な安定を見せている。
同国は天然資源が限られていることから、農業、鉱業、工業の効率的な経営を推進してきた。国家予算の大部分は教育、医療、住宅供給、社会福祉に割かれている。これが功を奏したようだ。あとは10%ふる失業率の改善が大きな課題というよう。
By Master K/益田 慶
FXライフ30 中東・アラブ諸国の通貨 レバノンとイスラエル
レバノンとイスラエルを取り上げると、どうしてもイスラエルとパレスチナの対立や民族主義、宗教宗派の対立という構図に焦点を当てがちになるので、ここでは両国の産業や経済に絞って展開したい。
岐阜県程度の面積を有するレバノンは南をイスラエル、北東をシリアと接する。かつてはシリアの一部であったことや人口の約95%がアラブ人であることなどからシリアとは緊密な関係にある。両国ともフランスから独立した国でもある。通貨はレバノン・ポンド(LBP)だ。第二次世界大戦中に独立したレバノンは、保護貿易でなく、自由経済体制を進め、中東産油国の石油取引が行われ、自由貿易港のある首都ベイルートは金融セクターとして活気を呈した。この時期に多くの投資家や資本を蓄えた商人が誕生した。
しかし、内戦の勃発とイスラエル軍の侵攻によって大きな打撃を受けた。累計債務(約404億ドル)は国民総所得の約倍。財政赤字の解消に向けて近年では、付加価値税のアップやガソリン価格の自由化、税率のアップ、民間企業に対する規制緩和など改革プログラムが進められている。レバノンの主要産業は、貿易、金融業、宝石・貴金属加工業だ。歴史的に貿易・金融業を得意としていただけに潜在的なポテンシャルは高く、また観光資源も豊富だ。現在、フランスや米国、ドイツなどの援助を受けながら復興の道を探っている。
一方のイスラエルは、2003年度から成長路線を維持し、2005年、2006年とも5%成長を記録している。主にIT分野、医薬品の輸出増、外国直接投資の増加などが成長の要因だ。イスラエルが国連加盟国の中では先進国に分類されることはあまり知られていないが、同国は「中東のシリコンバレー」と呼ばれるほどハイテク産業、IT産業が盛んで、インテルやマイクロソフト、グーグルなど世界的な企業の研究室や支社が置かれている。特に科学分野の研究は世界の最先端にあるとされている。
ノーベル賞受賞者の数はもとより、アインシュタイン、フロイトがそうであったように、科学分野におけるユダヤ人の知性には目を見張るものがある。全労働者に占める科学技術研究、工学、医学にかかわる人口の割合はイスラエルが世界一である、という話は説得力に満ちている。
通貨は新シュッケル(ILS)だ。1985年にデノミを施行した際に発行された新紙幣・硬貨を、それ以前に流通していたシュケルと区別するために「新シュッケル」という名称が使われている。2006年度の輸出額を国別の前年対比で見ると、米国向けが大幅に増加(米国27.3%増、EU12.1%増、日本 11%増)している。外国直接融資も48億ドルから142億ドルと大幅に増加している。これはIT分野のスタートアップ企業を対象としたものが大半を占めている。
たとえば世界屈指の億万長者、米国の投資家ウェーレン・バフェットがイスラエルのイスカル社に対して資産評価額の80%に当たる40億ドルという過去最大の投資を行っている。イスカル社は超工切削工具のトップメーカーで、日本にも100%子会社の「イスカルジャパン」が置かれている。
また、同じく米国のサンマイクロシステムズはUSBフラッシュメモリー開発のMスタイルを15億ドルで買収している。このようにイスラエルの優良企業に対する直接投資や買収の例を挙げればきりがない。投資は米国だけでない。ドイツ・テレコムはイスラエルの大学敷地内にIT通信技術センターを1000万ドル以上の投資で設立、シンガポールの製薬メーカーはイスラエルに現地法人を設立すると発表。日本からはアステラス製薬が進出を決めたほか、ソフトバンクが数百万ドル規模の投資や技術提携を進めているという。
パレスチナと日常的な緊張関係にありながら、イスラエルはこのように世界各国から投資される国となっている。新聞やテレビのニュースからは見えてこないが、ひとつの国を「投資すべき企業」の数や技術の質の面から眺めてみるのもまた「世界の歩き方」といえよう。
By Master K/益田 慶
FXライフ29 中東・アラブ諸国の通貨 サウジアラビア
サウジアラビアは、経済面で中東・アラブ諸国のリーダー的存在であり、OPECの盟主である。国名が「サウード家によるアラビア王国」という意味をもつように、政治体制はアラブ人のサウード家を国王とする絶対君主制国家。国土面積は日本の約5.7倍。日本が最も多くの原油(輸入原油の約31%)を輸入している世界最大の産油国だ。サウジアラビアからすれば日本は重要な「お得意さん」ということだ。国王が首相を兼任し、諮問評議会(サウジアラビアには内閣も国会もない)の重要ポストは王族が独占している。通貨はサウディ・リアル(SAR)。サウディ・アラビア・リアルとも呼ぶ。
サウジアラビアが裕福な国となるきっかけは、建国の年のことである。1932年にペルシャ湾上のバーレーンで石油が発見され、その対岸のサウジアラビアにも油田発見の可能性が広がったのだ。1933年に米石油メジャーのスタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(SOCAL、現シェブロン)が油田の開発権をアブドルアジース初代国王から取得。SOCALはテキサコと共同で、1938年にペルシャ湾岸から約10~15km内陸地に石油を発見。続いてブカイク油田、ガワール油田、サファニーヤやクウェートとの中立地帯、ペルシャ湾の海底などで油田の発見が続いた。第二次大戦後には、エクソンやモービルなど石油メジャーが加わってアラビアン・アメリカン・オイルカンパニー(ARAMCO)が設立される。
1957年には日本の「アラビア石油」が同国に進出している。しかし資源ナショナリズムの高まりを受け、サウジアラビア政府は1976年、国営石油会社「サウジ・アラムコ」を設立し、オイルメジャーはサウジアラビアから撤退した。2000年には日本のアラビア石油も石油採掘権を失っている。現在、このサウジ・アラムコが世界最大の石油会社である。
2006年度のGDPは12.4%、物価上昇率は1.8%、失業率は8%となっている。近年の原油高で外貨獲得額はさらに増えているようだ。しかし製造業は小規模で、観光業による外貨獲得は少ない。つまり、天然資源開発事業と投資以外にはあまり力が注がれていないということだ。
同国は石油が外貨収入の約90%を占め、オイルマネーを世界各国で投資、運用している国として特に名高い。「世界の億万長者番付」ベスト10前後に位置するアルワリード王子が、1991年に倒産寸前だったシティバンクに約708億円を投資して大株主となったことは投資家なら誰もが知っているだろう。
アルワリード王子はファハド前国王の甥にあたり、投資会社のキングダム・ホールディングス(本社リヤド)を経営する実業家だ。2002年に米ヒューレット・パッカードと米コンパック・コンピュータの大型合併を支援したのも、2006年に中国銀行に20億ドル出資すると発表して話題を集めたのもこの王子である。王子の活動を見ていると、サウジアラビアの主な事業はオイルマネーを海外の企業に投資することであるかのように思えてくる。
さて、サウジアラビアは中東では珍しい親米派であった。米国のオイルメジャーが容易に進出できたのは、王族がアメリカ資本を利用しようと考えたからだという説や、現ブッシュ大統領の父親である元大統領(ジョージ・H・ブッシュ)が石油会社を経営していたことからサウード家とブッシュ家につながりが生まれ、サウジアラビアにとってプラスとなるような中東外交を展開したという話も有名だ。
しかし、2001年に起こった9.11事件以降、サウジアラビアとアメリカの関係は微妙になった。9.11事件のハイジャック実行犯と名指しされる19人のうち15人がサウジアラビア人であったことが発端となり、アメリカの右派から「サウジアラビアがテロリストの温床となっている」と指摘されたからだ。
サウジアラビアは、米ドルペッグ制を維持すると表明しているが、2007年にクウェートとシリアが米ドルペッグ制を放棄し、通貨バスケット連動制に移行したことの影響がどのようにあらわれるか。景気後退に入ったとされる米国に対し「ドル離れ」が進むのか。サウジアラビアの動向が大きな鍵となることは間違いない。
By Master K/益田 慶
FXライフ28 中東・アラブ諸国の通貨 イエメンとカタール
アラビア半島の南西に位置するイエメン共和国は、サウジアラビア、オマーンと国境を接する。穏健な軍事政権が支配した旧北イエメンと、中央集権的な一党独裁の社会主義体制だった旧南イエメンが、1990年に合併して誕生した新しい国で、アラビア半島諸国唯一共和制をとる立憲国家である。通貨はイエメン・リアル(YER)。
原油埋蔵量29億バレルの産油国で、貿易収支は増えつつあるが、アラブ首長国連邦や中国、サウジアラビアからの食料や機械類の輸入量が多いので帳消しとなっている。1994年には旧南イエメンが再独立を求め、内戦が勃発。その結果、港湾都市アデンとその周辺が激しい被害を受け、インフレと通貨の切り下げが生じた。
砂漠地帯に位置することから水不足という問題を抱えているものの、長い間イエメン経済を支えてきたのは穀物生産と「モカ」で知られるコーヒーであった。しかし他に海外との競争に勝てるほどの独自の産業がないこともあり、石油開発で潤う隣国のサウジアラビアに出稼ぎに行く労働者が多い。失業率の高さ(約35%)が示すように貧しい国で、IMF、世界銀行の支援を受け、経済改革に取り組んでいる最中だ。ドイツ、フランス、イギリスなど欧州が主な援助国となり、給水や保険・医療、職業訓練といった分野を中心に支援している。
唯一の明るいニュースは2007年に発見された天然ガス田。4900億立方メートルが確認され、2008年後半以降のLNG(液化天然ガス)生産開始をめざし、液化プラントの建設が進められている。南北の独立や湾岸戦争、内戦などによって開発が遅れてきたが、石油、天然ガス以外にも岩塩、石灰岩などの天然資源が豊富にあると見られている。それらが外貨獲得の手段となるには、支援国の大規模な開発援助が必要だろう。
同じくアラビア半島にあり、南はサウジアラビアと接し、北西はペルシャ湾を挟んでバーレーンと面するカタールは、石油と天然ガスに依存する豊かな国だ。1940年に高品質の石油がカタール半島西岸で発見され、イギリス・オランダ・フランス・アメリカ共同国益会社「カタール石油会社」が開発を進め、カタールに繁栄をもたらした。OPECには設立翌年に加盟している。1971年に英国から独立。通貨はカタール・リアル(QAR)だ。
首長家であるサーニ家の男子が元首、首長を務める首長制をとっており、実質的には絶対君主制と変わらない。1995年にハマド皇太子が首長就任後、自由化・民主化が進められ、石油輸出港であった首都ドーハは外資系企業が集まる国際都市へと成長した。「中東のCNN」と呼ばれる衛星放送「アルジャジーラ」の本部が置かれていることや、1994年のワールドカップアジア地区最終予選の日本代表最終戦「ドーハの悲劇」でよく知られる都市である。
カタールは石油・天然ガスの輸出が順調で、特に世界最大級と目される天然ガス田の開発が経済に大きく貢献している。GDPは21.2%(2005年)を達成し、貿易黒字を続けている。日本も同国から石油・天然ガスを輸入し、その量は毎年増えている。豊かな国であることから、インド、パキスタン、イランなどからの外国人労働者が多く、国内労働力の4分の3は外国人労働者である。この点ではアラブ首長国連邦ドバイと酷似している。課題は石油・天然ガス依存型経済からの脱却だ。現在、石油化学、化学肥料、製鉄、セメントなど産業開発に力が注がれている。
イエメンとカタールは同じ産油国でありながら、経済的な豊かさはまったく異なる。このように中東諸国にも大きな経済格差を発見することができる。俯瞰して見ると、イエメンのように内戦の起こる国は政治・経済的に不安定で、その結果、産業開発も後手に回ってしまうということだろう。反対にカタールのように早くに外資系企業を受け入れ、石油開発に国家の存亡をかけ、オイルマネーを蓄積してきた国は、その潤沢な資金によって次の産業を興すことが可能になるということである。
By Master K/益田 慶
FXライフ27 中東・アラブ諸国の通貨 シリアとオマーン
北はトルコ、東はイラク、南はヨルダン、西はレバノン、イスラエルに接するシリア。正式国名はシリア・アラブ共和国だ。通貨はシリア・ポンド(SPY)。この通貨に大きな動きがあったのは2007年のこと。同国の中央銀行総裁は2007年7月に翌月からシリア・ポンド相場の米ドル連動(ペッグ)制度を停止すると表明したのだ。
ドル安の進行でシリア・ポンド相場が下落、輸入価格の上昇がインフレの一因になっていたことが理由であった。中東で米ドル固定制を放棄した国はクウェートに次ぎ二例目となった。シリアはイラン同様、「反米・反イスラエル」の急先鋒として有名な国なので、さもありなんという展開であったが、これを契機に中東諸国のドル離れが加速する可能性はさらに広がったといえよう。
シリアはドル連動を取りやめた後、シリア・ポンドをIMFの特別引き出し権(SDR)の価値を決める通貨バスケットに連動させた。SDR とはIMFが加盟国の既存の準備資産(公的金保有、外貨、IMFのリサーブポジション)を補完するために外貨準備資産として創設したシステムで、1974年に通貨バスケットとして定義された。加盟国の通貨を自由に使用できるという権利を持ち、保有国はSDRを外貨と交換できるようになっている。
今日、バスケットはユーロ、日本円、英ポンド、米ドルで構成されている。シリア・ポンドのバスケットの通貨別構成比率は、2007年7月の時点で米ドル44%、ユーロ34%、英ポンドと日本円がそれぞれ11%。同国の中央銀行総裁はさらにシリアの外貨準備通貨のうち、米ドルの比率を引き下げる可能性を示唆している。おそらく米ドルとユーロの割合を均等にする意向なのだろう。
シリアは政権を握るバアス党の計画経済によって社会主義国体制が取られてきた。主要産業はサービス業、鉱工業、農業。主な外貨獲得源は石油だ。80年代半ばよりデリゾール地区に新たな油田が発見され、1989年に初めて石油純輸出国に転じた。石油の確認埋蔵量は2006年時点で30億バレルだった。経済成長率は2005年度に5.1%だったが、それ以降は下がっているようだ。失業率は10%台を推移し、国内では大きな問題となっている。
課題は社会主義的な不効率な経済だ。原油生産量の減少や第一次産業に依存する体質からの脱皮が求められ、外資導入が必要とされているのだ。そこで2010年まで「社会市場経済」と題した改革を進めることになった。基本は社会主義的な計画経済を維持しながら、民間資本の導入と規制緩和を中心とした現実的な経済政策である。グローバル化が進む世界経済に対処するには、公共部門の再構築、民間企業の活性化、規制緩和の推進が必要だと判断したのだろう。
アラビア半島の東南端に位置するオマーンも中東の産油国のひとつだ。通貨はオマーン・リアル(OMR)。為替レートは、現在ドルペッグ制によりほぼ固定レートに近い状態が続いている。
1964年に石油が発見され、経済を一気に発展させた。石油確認埋蔵量は56億バーレル。天然ガスも産出しており、輸出先は韓国が60%を占めている。輸出品は原油や天然ガスが主で、相手国は中国、韓国、日本、タイなどアジア諸国が多い。輸入相手国はUAE、日本、ドイツ、アメリカなどで、製品は自動車や家電製品が主だ。
オマーンもまた国内経済のグローバル化、民営化を促進し、石油・ガスの収入を足かがりとして製造業の拡大を進めている。その大きな理由は主要油田の産油量が減退していることが挙げられる。2004年には世界的に原油価格が高騰したため、石油・天然ガスが主要輸出品である同国のGDPは大幅に増大し、3.1%を記録したが、石油に代わる収入源の多様化と自国民の雇用対策が求められているのだ。オマーンは隣のUAE同様、外国人労働者の多い国だが、外国人労働者への依存度を減らし、オマーン人の雇用比率を高めるべく、政府はオマーン人化政策を推進しているという。近年はドバイのように観光産業にも力を入れている。
By Master K/益田 慶
FXライフ25 中東・アラブ諸国の通貨 イラク、クウェート
互いに隣国となるイラクとクウェートは因縁が深い。1980年代以降、イラクのサダムフセイン大統領は「イギリスによって不当に分離されてきたが、クウェートはイラクの領土だ」といった内容の発言を繰り返し、イラク国境近くにある油田の所有権をめぐって紛争が続いた。
1990年、イラクがクウェートを不法に軍事占領し、湾岸戦争が勃発。さらにイラクは2003年には米国にテロ支援国家と名指しされ、大量破壊兵器保有の疑いでアメリカ、イギリス、オーストラリア連合軍が進攻。フセイン大統領は逮捕され死刑。米国主導の新政府が樹立したが、復興には至らず、国内の混乱は続いている。
一方のクウェートは世界第4位の埋蔵量を誇る産油国。湾岸戦争で大きな被害を受けたが、1994年には戦前の水準まで回復し、現在ひとり当たりのGDPは世界有数を誇っている。
両国とも通貨単位の名称は「ディナール」だ。イラクはイラク・ディナール(ID)、クウェートはクウェート・ディナール(KD)。このディナールを使用する国は多く、中東ではバーレーン、ヨルダン、リビアがあるが、価値はそれぞれ異なる。蛇足だが、イラク・ディナールはイラク戦争以後、フセイン大統領の肖像を描いた紙幣を廃止し、以前使っていた建物や風景を描いたものを復刻した。
国内の混乱が続くイラクとは反対に経済が好調なクウェートは、2005年に10%の経済成長を果たした。現在まで好況が続いているのは、原油価格の高騰による潤沢なオイルマネーの成果である。これによって産業基盤を整備し、福祉・教育制度の充実を図ってきた。またオイルマネーを利用した金融立国を目指して、外国からの投資環境を整えたことで雇用も促進された。この点はアラブ首長国連邦のアブダビやドバイと同じ方向にあるといえる。
余談だが、新年早々、北京オリンピックのアジア大会男子ハンドボール予選の再試合(日本対クウェート)決定のニュースが飛び込んできた。クウェートが正式に承諾したかは現時点で定かではない。ハンドボールのアジア連盟はクウェートの王族に事実上支配されており、審判員はクウェートに有利な判定をするようオイルマネーで買収されていたという報道もあった。ハンドボールの世界がオイルマネーにまみれていることをはじめて知った人も多いだろう。
ところで、いま世界の投資家が気にしているのは、サウジアラビア、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンで構成される湾岸協力議会議加盟6カ国が、2010年を目標に共通通貨「湾岸ディナール」の導入の検討を始めていることだ。ペルシャ湾岸諸国がユーロのような共通通貨を作るという構想は、IMFの通貨多極化構想に沿ったものである。6カ国の通貨はこれまで、すべてドルと一定比率の為替を維持する「ドルペッグ」の制度下にあったが、今後2010年までに6カ国の通貨を統合し、2015年にはドルペッグを外す可能性もある。
湾岸ディナールが実現し、ドルペッグを解除すればどうなるのか。中東・アラブ諸国の反米的なイスラム主義者にとっては、イスラム諸国が「米ドル」つまりアメリカに頼る度合いを低下させることにつながるので歓迎するだろう。湾岸ディナールの「ドル離れ」が実現すれば、通貨をドルペッグさせている他のイスラム諸国もペッグ先をドルから湾岸ディナールに変えるかもしれない。あるいは外貨準備保有高をユーロに移すかもしれない。
ご存知のように石油の取引は米ドル建てで行なわれている。イスラム諸国がペッグ先を米ドルから湾岸ディナールに変えれば、石油需要が急増している中国やインドも影響を受け、ドル離れが発生しないとは断言できない。ペルシャ湾岸諸国の巨額なオイルマネーのドル離れが顕著になれば、ドルの基軸性や備蓄通貨としての意味が失われ、世界中でドル売りが起こり、暴落するかもしれない。
あるエコノミストは次のように述べている。「ペルシャ湾岸の経済は石油によって支えられているが、石油価格は投機筋の売買によって予測困難なおかしな動きをすることがよくある。湾岸ディナールがドルペッグをやめ、市場原理に委ねて変動相場制に移行した場合、共通通貨は石油価格のおかしな相場の動きに感染し、湾岸諸国の中央銀行が制御しきれない乱高下を繰り返すのではないか」。
つまり、湾岸ディナールが変動相場制に移行すれば石油マーケットの変動によって経済が混乱すると警告しているのだ。
By Master K / 益田 慶
FXライフ24 中東・アラブ諸国の通貨 アラブ首長国連邦とモロッコ
アラビア半島の南東部に位置するアラブ首長国連邦(UAE)は1971年にイギリスから独立して誕生した。名前のごとく7つの首長国により構成される連邦国家である。各首長国は世襲制の絶対君主制に基づき統治されている。通貨はUAEディルハム(AED)。ディルハムはアラビア語で、ササン朝ペルシア(226~651年)で鋳造されたディレム銀貨に由来する。UAEディルハムは米ドルとのペッグ制をとっている。
最も大きな首長国はアブダビ。続いて近年、観光地としても名高いドバイがある。ほかにシャールジャ、アジュマーン、ウイン・アル=カイワイン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイムがある。連邦予算の8割をアブダビ、2割をドバイが負担している。残る5首長国は石油・鉱物資源を持たず、連邦政府の補助に依存している。GDPに占める各首長国の割合は、アブダビ60%、ドバイ26%、その他14%である。
アラブ首長国連邦はペルシャ湾とオマール湾に面しており、原油輸送の戦略的立地にある。GDPの約40%が石油と天然ガスで占められており、その最大の輸出先が日本、続いて韓国、イランとなっている。石油価格の上昇により、2006年の実質GDPは10.2%。経常収支黒字はGDPの28.0%。海外からの輸入は24%増。直接投資は110億ドル規模。物価上昇率は3%。これからの数値からわかるようにアラブ首長国連邦は近年高度経済成長を続けており、一人当たりの国民所得は世界のトップクラスである。
しかし、石油がいずれ枯渇することを想定しているのだろう、アブダビやドバイは豊富な石油収入を背景に活発な対外投資を行い、金融と流通、観光の一大拠点を目指している。「脱石油依存経済」の構築だ。資産管理、イスラム金融、証券、保険、再保険などのオフショア・センターを目指す「ドバイ金融センター」(DIFC)がその戦略的支柱だ。ドバイ市郊外のフリーゾーン内に外国資本100%の金融機関設立を認め、外国企業には税金面や融資面での優遇制度を設れているため多くの海外企業が進出、物流拠点になりつつある。金融面では2000年、ドバイとアブダビに証券市場が開設された。また、人工島群などリゾート施設が相次いで誕生し、世界中から観光客を引き寄せることに成功している。
余談だが、アラブ首長国連邦の国民の8割は外国籍で、アラブ人は少数派になる。石油収入で潤うUAEに出稼ぎにやってきた外国人が人口のほとんどを占めるのだ。アラブ諸国といっても外国人のほうが多い国も存在するのである。
通貨単位のディルハムはアフリカ大陸の北西端のモロッコ王国でも使われている。モロッコ・ディルハム(MAD)だ。アラブ人65%、ベルベル人30%という民族構成で、宗教はイスラム教スンニ派がほとんどを占め、憲法上はアラビア語が公用語だが、フランス語も使われている。それはかつてフランスの植民地であったことを物語っている。さらにジブラルタル海峡をはさんで向かい合うスペインとも深い歴史があり、モロッコの南西に分布するカナリア諸島、地中海沿岸のセウタとメリリャはスペインの海外領土である。
モロッコは産油国ではないが、鉱物資源に恵まれ、アフリカ大陸の諸国の中では最も豊かな国である。リン鉱石(採掘量世界第2位)、鉛鉱石(同7位)、コバルト鉱(同8位)が有力で、銅、亜鉛、金、銀なども採掘されている。農業では世界生産量第6位のオリーブの栽培が著名で、大西洋岸が魚場として豊かなこともあって漁業も盛んだ。実はモロッコ産のタコのほとんどが日本に輸出されている。タコを好んで食べる日本人の食卓に現在ではモロッコ産のタコが食卓にのぼっているということだ。8つの世界遺産を有することから観光収入も大きい。
モロッコの貿易相手国は、輸入・輸出ともフランス、スペイン、イギリスがベスト3を占めるように、西ヨーロッパとの関係が強い。2006年実質GDPは8%と好調だが、失業率は9.7%と高い数値を示している。若年層を中心とした高失業率問題、社会層間・地域間の貧富格差、低い識字率等が社会問題となっている。
FXライフ 23 中東・アラブ諸国の通貨
欧米諸国の概念では、"中東"とは「アフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の国々の総称」を表わす。これは国際政治学上の地理区部だ。一方"アラブ諸国"といった際は「アラブ人が中心となって国家を構成している国家」となる。アラビア半島・中東・北アフリカが該当する。日本人は、「アラブ諸国はイスラム教国」、「アラブ人は全員がイスラム教徒」、「アラブ人はアラビア語を話す」と思い込んでいるが、厳密にいえばそれらは事実と異なる。各国を紹介する際に説明していきたい。
まずアフリカの大国から紹介しよう。世界四大文明のひとつ古代エジプト文明が栄えたのがエジプトだ。通貨はエジプト・ポンド(EGP)。1922年にイギリスから独立するまで、欧州の列強に侵略されてきた国で、現在もEUとの関係が強い。輸出相手国は、インド、イタリア、米国、スペイン、英国。輸出品目は石油と石油関連製品が輸出製品の54%を占めている。現在、4大外貨収入源(観光、運河通航料、石油輸出、出稼ぎ外貨送金)が貿易赤字を補填する経済構造となっている。
2004年7月に発足したナズィーフ首相の経済改革が成果をあげ、エジプト経済は近年好況だ。経済改革とは、民間人を含む改革派の人材登用、経済活動の自由化、外国直接投資の誘致や工業生産・輸出の拡大などだ。平均関税率を14.9%から9.1%へ引き下げる関税改革、所得税を20~32%から10~20%に引き下げ、法人税を32%から20%に引き下げる税制改革、国営企業民営化などが進められ、GDPは5.1%(2004/2005年度実質)、6.90%(2005/2006年度)、7.1%(2006/2007年度)と伸びている。EUとの自由貿易協定(FTA)が2004年に発効されたことも大きく影響しているようだ。
エジプトの近代の歴史をふりかえると、スエズ運河の国有化とイスラエルの正式承認が大きな分岐点であったことが見えてくる。第二次中東戦争によって英・仏からスエズ運河通行料の権利を奪い返したことで、エジプトはアラブ諸国に対してもリーダーシップを発揮できるようになった。ちなみに、スエズ運河から得られる収入は35億3,559万ドル(2005/2006年度)。同国の年間石油輸出額が102億ドル(2005/2006年度)であることを鑑みると、莫大な収入源であることがわかる。
また、エジプトがアラブ諸国の中で最初にイスラエルを承認したことはアラブ諸国に波紋を投げかけた。その後、エジプトは米国から軍事・経済援助を受けるなど対米協調外交を進め、イスラム主義運動を弾圧して政治の安定化を図っている。
さて、「エジプト・ポンド」のように通貨にポンドを用いる国はほかにもある。たとえばフォークランド諸島ポンド(FKP)だ。南大西洋のイギリス領土であるフォークランド諸島政府が発行する通貨で、イギリス・ポンドと等価になっており、フォークランド諸島では両方の通貨が使用されている。同じくイギリス領であるサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島でもフォークランド諸島ポンドが使われている。島の住民はイギリスから渡ってきたイギリス系白人がほとんどで公用語はもちろん英語だ。フォークランド諸島の産業は羊の放牧と漁業、観光業だが、フォークランド諸島周辺海域には600億バレルもの埋蔵量の油田があると見られている。
フォークランド諸島と聞いて思い浮かぶのが、1982年に勃発したアルゼンチンとイギリスによる「フォークランド紛争」だ。領有をめぐる紛争は米国や欧州諸国の支援を受けたイギリス軍の勝利に終わったが、紛争から25年を経た今日、油田が再び紛争の火種になりそうな気配だ。アルゼンチンが再び領有権を主張し、2007年4月、英国との油田共同開発プロジェクトを一方的にキャンセルしたほか、フォークランドで油田探索を行なっている英国企業に対し制裁措置を課すと発表したのである。「世界資源戦争」とリンクする展開が、南大西洋の諸島で現在進行形で進んでいることは覚えておいてほしい。
By Master K/益田 慶
FXライフ 22 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とアゼルバイジャン
1998年の「ロシア財政危機」の救済に乗り出したのはIMFだった。ロシアは国内にルーブルを買い支える資金がなくなったので、為替レートを維持する資金をIMFから提供してもらうより他に方法がなかったのである。
ロシアの財政危機は、当時の西側諸国にとっても「世界恐慌」の引き金になりかねないとあって警戒心が強まっていた。長期的にIMFから資金を注入することは抜本的な解決にはならないが、かといってロシアが崩壊すれば被害は銀行や投資会社の倒産だけではすまなくなる。そこでIMF は同年7月、226億ドルの緊急支援を承認したのである。
しかしこの救済処置だけでは事態は収拾せず、資本の流出は続いた。収束に向かったのは、翌年1999年からである。国際石油価格が高騰したことやルーブル切り下げの効果により国内の輸入代替産業が復調し始めたことなどを背景に、経済は大幅に成長に転じた。同年、エリツィン大統領が辞任し、当時首相だったプーチンを後任大統領に指名。プーチンは新興財閥と政府との癒着を絶ち、彼らを制圧して納税させるまでにこぎつけた。2000年のGDP成長率は10%を記録し、近年にない高い成長を示した。また、インフレ率も年20%程度まで下がり、急速に改善された。
2001年以降は、ルーブル切り下げの効果が徐々に薄れて、国内産業の復調に限界が見え始め、GDP成長率は5.1%(2001年)、4.7%(2002年)と鈍化が見られたが、幸運にも国際石油価格がその後も比較的高値で維持されてきたことから、エネルギー関連産業の好調が続き、これが牽引要因となって経済成長が維持された。
さらに2003年に入って、イラク情勢などの影響で国際石油価格が高騰したことを背景に、ロシア経済は非常に好調に推移し、GDP成長率は7.3%を記録。鉱工業生産、設備投資など他の指標も前年に比べ大幅に改善された。石油の輸出で稼いだ資金が投資や国民の所得を引き上げて内需を拡大し、GDPを引き上げるという好循環が生まれた。
そしてロシアは2005年2月、USドルとユーロを組み合わせた通貨バスケットを導入。2007年2月には「0.60ドル+0.40ユーロ」から「0.55ドル+0.45ユーロ」に変更。また2005年度から、ルーブルのロシア国外持ち出し規制が撤廃されている。
カピス海の西海岸に位置し、かつてソビエト連邦に属したアゼルバイジャンは、アゼルバイジャン・ルーブルを通貨としていた国だ。現在の通貨は、アゼルバイジャン・マナト(AZM)。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接する。同国はアゼルバイジャン人が9割を占め、国語はアゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用されているという。かつてアラブの支配下にあったという歴史的な要因からイスラム教徒が95%を占める。
最も大きな産業は石油産業だ。経済成長率34.5%(2006年)、失業率1.4%(2005年)という驚異的な数値を示しているのは、石油産業が潤っている証拠だろう。
アゼルバイジャンの石油といえば、思い浮かぶのがバクー油田だ。ノーベル兄弟が近代的な開発を進め、のちにパリ・ロスチャイルド家が「シェル石油」の前身にあたる貿易会社を設立して莫大な投資をした油田だ。その歴史は古く、1830年代から100年間、世界の石油産出量の90%を占めていた。かのヒトラーは第二次世界大戦でバクー油田を占領する作戦を練ったほど、魅力的な油田である。
近年の話題のひとつが2006年に完成した「BTCパイプライン」だ。バクー(Baku)を起点とし、グルジア共和国トビリシ(Tbilisi)を経由して、地中海沿岸のトルコ共和国ジェイハン(Ceyhan)に至る総延長約1,768km、輸送能力日量100万バレルの原油輸送パイプラインで、主にカスピ海にあるACG油田で産出される原油をロシアを迂回して輸送するために建設されたものだ。出資企業は同国政府のほかにBP、シェブロン・テキサコ(米国)、イタリアの石油会社ENI、トルコ国営石油会社、そして伊藤忠商事などである。将来的にはカスピ海地域の他の油田から産出される原油を輸送することも検討されている。
By Master K/益田 慶
FXライフ21 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とベラルーシ
1998年、ロシアは1997年のアジア通貨危機の影響と原油価格下落による国際収支の悪化が原因で、通貨ルーブルの下落と資金流出が発生し、金融混乱に陥った。当時のロシアは輸出の80%が石油や天然ガスなどの天然資源だったので、世界経済の動向に大きな影響を受けていた。さらに世界的デフレによる物価の下落に伴い、原油価格も下落したことで、輸出原油からもたらされる税収が減少。ロシア政府の財政は極度に悪化した。
のちに「ロシア金融危機」「ロシア財政危機」と呼ばれるこの事件は、当時のキリエンコ首相がルーブルの目標相場圏を拡大し、最大で32.9%の下落を容認したのに加え、ロシア中央銀行が民間の対外債務支払を90日間凍結する声明を発表。キリエンコは資本の流出を止めるために150%の超金利政策を打ち出した。しかし、こうした措置が国民の不安心理を煽る結果になり、ロシア国民がルーブルをドルに代えようとして、ルーブルはさらに下落したのである。資本主義経済体制に移行して間もないロシアの銀行は海外から米ドル建てて資金を調達していたので、ルーブルの暴落とともにロシア国内のいくつかの銀行が破綻した。
この背景には前年にアジア通貨危機を経験した世界の投資家が、高金利とはいえリスクの高いロシア関連株よりも安全なアメリカ国債などへ投資資金を移したことがある。ネズミが沈む船からまっ先に逃げ出すように、この時期に巨額な資本がロシアから流出したのだ。「ロシア関連の株は下落してもいずれ元に戻る」と見込んでいた米国のヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメン)の予想は裏切られ、LTCMは破綻の危機に瀕した。
「広がった格差は必ず元に戻る」というLTCMの理論を構築したのは、二人のノーベル賞受賞者、スタンフォード大学教授だったマイロン・ショールズと、ハーバード大学教授だったロバート・マートンである。二人は金融デリバティブの理論を解明し、デリバティブの評価基準や新商品を作りやすくしたことを評価され、1997年にノーベル経済学賞を受賞している。「デリバティブの生みの親」ともいえる経済学者がつくったプログラムは当初成功を収めた。
世界に約3000社あるとされているヘッジファンドの中でLTCMは、ずば抜けて運用成績が良かった。1995年には43%、96年には41%という、高率の運用配当をあげることに成功し、「運用の神様」と謳われた。そのヘッジファンドが「ロシア通貨危機」によって13兆円という負債を抱えたのである。「運用の神様」が破綻すれば、多くの銀行が連鎖破綻する。「ロシア通貨危機」は、アメリカの金融システムさえも揺るがした。当時の連邦準備制度理事会のグリーンスパン議長はニューヨーク連銀に15社銀行の代表を集め、35億ドルの救済計画を組み上げ、支援に乗り出した。その後のルーブルの変動は次週お送りしよう。
かつて「白ロシア」と呼ばれ、ソ連邦に加盟していたのがベラルーシだ。通貨単位はベラルーシ・ルーブル(BYR)。1991年に独立を承認されるまでは、旧ソ連の計画経済体制下で、他のソ連の共和国に比べ比較的良好な経済を有していたが、独立後は市場経済化の立ち遅れなどから経済は悪化を続けていた。1998年には「ロシア金融危機」に伴い、激しいインフレに見舞われた。1999年12月にはロシアとの統合政策の推進が両国首脳間で署名されたが、ベラルーシに大幅な貿易赤字をもたらす可能性と、ロシア国内で自国の産業が脅かされるとの警戒感があり、その後大きな具体的進展は見られない。2000年には1000分の1のデノミが行われた。
その後、ベラルーシの経済は回復の兆しを見せ、2006年GDPは9.9%、失業率1.2%を記録。同国はソ連時代から機械工業、電子産業、繊維業、化学工業、機械製造が盛んで、主にロシアへ機械、設備装置、輸送機械、肥料を輸出している。課題はロシア型経済計画から脱していないことにある。蛇足だが、ベラルーシは有力な独自軍を保有(地上軍5万人、空軍350機等)し、ロシアとの軍事協力を進めているが、ロシア軍の駐留はない。
By Master K/益田 慶
FXライフ 20 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とウクライナ
ロシアの通貨は、ご存知のとおりルーブル(RUB)である。ロシア帝国、旧ソビエト連邦でも使われてきたので世界の通貨として富に有名だ。このルーブルと名のつく通貨を使ってきた周辺諸国も少なくない。
近代のルーブルの歴史は、「社会主義国・ソ連~ペレストロイカによる改革~ソ連崩壊とロシア誕生~ロシア通貨危機~USドルとユーロを組み合わせた通貨バスケット」といった変遷を忠実に物語っている。まず旧ソ連時代の1961年に10分の1のデノミが実行されている。世界の通貨を見渡してみると、デノミは決して珍しいことではないことがわかる。旧ソ連の解体で生まれた国や南米の国では、インフレの処理としてデノミが頻繁に実施されている。また戦後のインフレ処理でもデノミは実施されてきた。たとえば第2次大戦中の1944年、ギリシャでは10億分の1のデノミ。大二次世界大戦後の1946年、ハンガリーでは29桁のデノミが実施された。
ソ連末期のペレストロイカに伴うインフレによって1991年には、新しいルーブル紙幣が発行された。社会主義経済体制から資本主義経済体制へ移行するには、短期間で通貨の変動を安定せざるを得なかったわけだが、政治・経済的には貿易の自由化及び民営化を柱にした「ショック療法」が基本になっており、自由経済に慣れていなかった多くの国民が戸惑ったことだろう。
1991年12月のソ連崩壊後もしばらくはソ連ルーブルが使用された。1992年にロシア中央銀行の最初の紙幣として発行されたのは5,000ロシア・ルーブル、続いて10,000ロシア・ルーブル紙幣が発行された。かつて100ルーブル紙幣は高額紙幣であったが、10,000ロシア・ルーブル紙幣の前では100分の1の価値になったのである。1993年には50,000ロシア・ルーブル紙幣が発行されている。
さらに1995年には100,000 ルーブル紙幣が新たに発行され、50,000 10,000 5,000 1,000ルーブル紙幣が改刷される。そしてわずかな交換期間を経て、1993年以前の旧紙幣の流通は停止される。ここに至るまでにロシア国民の混乱はいかほどのものかと察するが、ロシアはさらに大きな荒波に飲まれる。その後のルーブルの変遷は次週お届けする。
1991年に当時のソビエトから独立したウクライナの通貨はフリヴニャ(UAH)だ。ロシア帝国時代には「カルボへヴァネツイ」と呼ばれるルーブル通貨が使用されていた時期もあった。これはルーブルのウクライナ名であったので、「ウクライナ・ルーブル」と置き換えてもよいだろう。1917年、「ウクライナ・ソビエト戦争」の勃発によってカルボへヴァネツイに相当する通貨単位としてクピュラが制定され、通貨単位は「フリヴニャ」に移行。その後、ウクライナは社会主義国としてソビエト連邦に組み込まれ、再びソ連ルーブルが用いられた。1941年~1944年にはナチス・ドイツに占領され、通貨単位が変わったが、ドイツ撤退後に再びソ連ルーブルに戻った。
1991年、ウクライナの独立によって再びカルボへヴァネツイが採用されたが、通貨政策の失敗、国有企業の民営化の失敗、極度のインフレなどによって経済が混乱し、1996年に現在の通貨フリヴニャが採用された。10万カルボへヴァネツイが1フリヴニャに換算されたということは、実質的なデノミが実施されたのである。
94年からは国際通貨基金(IMF)と協同した経済改革を実施したものの、1998年には、国際金融市場の低迷の煽りを大きく受け、膨大な対外債務の償還に伴う外貨準備高の減少などの問題が深刻化。ウクライナの経済が安定したのは2000年以降である。2005年は世界的な鉄鋼市場不況等により、GDP成長率が2.4%と鈍化するも2006年は7%台に回復した。同国が抱えている課題を挙げるなら、天然ガス、石油などエネルギー供給をロシアに依存していることだ。
2005年に就任したユシチェンコ大統領がロシアと距離を置き、EUやアメリカとの関係を強化する政策を示したことで、ロシアはウクライナへ供給するエネルギーの値上げを図り、ウクライナは窮地に立たされる。その後、大統領はロシアとの関係修復に奔走したことは記憶に新しい。ウクライナの産業は、鉄や機械などの工業で、輸入・輸出ともロシアがメインである。現在でもロシアがウクライナの経済に大きな影響を与えていることは確かである。
By Master K/益田 慶
FXライフ 19 ユーロの歴史と欧州の通貨 ラトビアとリトアニア
バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)のうちラトビアとリトアニアの通貨と経済状況を紹介しよう。
ソ連崩壊後、バルト三国の中で各種インフラ整備が最も遅れたのがラトビアである。ソ連時代には重工業が盛んであったが、独立時に工業拠点が破棄され、産業が継承できなかったのだ。ラトビアの通貨はラット(LAT)。2004年、EUに加盟した。主要産業は、木材加工、金属加工、繊維などで、ほぼ全てのエネルギー源をロシアに依存している。
国際競争力に乏しいラトビアは近年、外国企業の誘致を進めてきた。現在リーガ、ヴェンツピルス、リエパヤの3港を自由貿易港に指定し、外国企業を誘致して中継貿易を推進している。不動産、金融、製造業などへの外国からの直接投資が実を結び、首都リーガには外資系ホテルが参入し、観光業が活性化している。
2005年のGDPが10.2%と高い成長率を示したのは海外の直接投資の効果だろう。しかし首都に投資が集中したことで地方との格差が著しくなっているのも事実だ。通過貨物は、石油及び石油関連製品が半分以上を占め、CIS諸国と西欧諸国を結ぶ経路が主なルートとなっている。貿易相手国はEU諸国が主流だ。日本の対ラトビア輸出の主要品目は、自動車、フォークリフトトラック、モーターサイクルなどで、日本との貿易額は伸びている。2005年4月、ユーロ参加への最終段階(ERM2)に入り、2010年をめどにユーロ導入を目指している。
バルト三国の中で最も大きな国がリトアニアだ。通貨はリスタ(LTL)。2002年よりユーロとの固定相場制が導入され、1ユーロ=3.4528リタスとなっている。2005年度のGDPは7.3%を記録し、ラトビア同様、高い成長率をキープしている。西欧諸国との貿易を拡大したことが大きな要因で、国有企業の大規模な民営化が進められてきた。同国も2010年をめどにユーロ導入を目指している。
リトアニアはエストニア、ラトビアと異なり、石油が採掘されている。主要産業は石油精製業、電力産業で、原油や鉱物燃料を主にスイスやドイツ、ロシアへ輸出している。ソ連崩壊後、リトアニア国営となったマゼイキウ・ナフタ社はバルト三国でただ一つの精油所やパイプライン網を所有し、年間1000万トンの石油を精製、販売額はリトアニアのGDPの10%に達していた。
しかし、2006年、ポーランドの石油会社オルレンが、リトアニア最大の石油会社マゼイキウ・ナフタの株式53.7%を、倒産したロシア・ユコス社の清算会社から買収する契約に調印。総額は約15億ドル。オルレン社は、リトアニア政府が所有する株式30.7%も、約8億5,000万ドルで取得した。ロシア政府は、脱税等で倒産したユコス社の資産扱いについてオルレン側と争っていたが、最終的に売却に合意した。リトアニア政府も歓迎の声明を発表したという。
この株式売買には伏線があった。2002年にロシアの新興財閥ミハイル・ホドロスキー率いるユコス社がリトアニア国営マゼイキウ・ナフタ社の株式取得を進めた。しかし、2003年にユコスの巨額脱税が摘発され、ホドロスキーが逮捕。2006年には、追徴税支払いによる負債からユコスは破産、解体に至った。そこでマゼイキウ・ナフタ社も売却の対象となり、ロシア、カザフスタン、ポーランドの企業が名乗りをあげていたのである。
当初はロシアの企業が有力な候補であったが、ロシア側にマゼイキウ・ナフタ社の企業価値を下げる意図があったので、リトアニア政府はロシアを敬遠し、ポーランドの石油会社オルレンへの売却が決定した。しかし、その直後、ロシアからの送油停止が始まったことから政治問題に発展しつつあった。その後、精油所で大規模な火災が発生。パイプラインが使えなくなり、年間原油精製量は前年から大きく下回った。
ともあれ、バルト三国はロシアの支配から脱却し、ヨーロッパに接近している。経済成長率も順調なので、おそらくユーロ導入はスムーズに行われるであろう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 18 ユーロの歴史と欧州の通貨 バルト三国
バルト海沿岸に位置するバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は欧州連合に加盟しているものの、各国ともユーロ導入には至っていない。歴史をふりかえると三国ともロシア帝国に支配され、ロシア革命ののち独立を果たしたものの、ソビエト連邦に併合された過去を持っている。古くから北欧諸国やドイツとのつながりが強く、経済開放後の北欧州資本の進出は目覚しい。それでは、今週と来週にわたって三国の通貨と産業の特徴、経済状況を紹介しよう。
バルト海のほぼ中心に位置するエストニアは、周囲をフィンランド、スウェーデン、ラトヴィア、ロシアに囲まれている。広さはデンマークよりやや大きく、日本の九州とほぼ同じ広さだ。通貨は1992年6月に導入されたクローン(EEK)。歴史的にドイツマルクとペッグ制で貨幣価値を保証してきたが、現在ではユーロとペッグ制を行っている。15.64クローン=1ユーロの固定相場制だ。
エストニアの歴史は、他国による占領と独立の歴史である。13世紀以来、デンマーク、ドイツの騎士団、スウェーデンといった外国勢力に支配されてきた。18世紀には「南下政策」を推進するロシア帝国に占領された。1917年にロシア革命が勃発すると、エストニアは独立を宣言。しかし1940年にソ連に、1941から1944年までナチス・ドイツに占領される。第二次世界大戦末期にソ連軍が再占領し、戦後はソ連に再併合され、15の共和国のひとつとなった。1988年には独立を目的とするエストニア人民戦線が設立。「ベルリンの壁」崩壊に象徴される東欧民主化の波はバルト三国にも及び、1990年に独立回復宣言を発表、翌年、ソ連が独立回復を承認し、国連に加盟した。
1994年のロシア軍撤退後は西欧諸国との関係を強め、2004年には欧州連合に加盟した。フィンランドから高速船で1時間半という立地からフィンランドとの関係が強い。バルト三国の中では最も経済状況が良く、特にIT産業が堅調である。これは「e-政府政策」によってネット・バンキングの普及が著しいことにも表われている。「ムーディーズ」や「スタンド・アド・プア」などの国際信用格付けは「A」を確保。しかし、一方で「外国企業依存型経済体質」と指摘されるように、北欧系資本の投資が盛んで、流通、金融・保険分野では外国資本が市場を占有している。
これは外国投資奨励政策の一環として、関税引き下げ・免除を実施(EU加盟に伴い一部関税を引き上げ)したことによる。それほど経済自由度指標が高いということは、政府による経済統制がほとんどなされていないことを物語っている。まるでアダム・スミスが『国富論』で述べた「自由競争によって『見えざる手』が働き、最大の繁栄がもたらされる」という言葉を実践するかのような経済政策である。
経済成長率は2000年7.9%、2001年6.5%、2002年7.2%、2003年6.7%、2004年7.8%、2005年9.8%と順調な推移だ。失業率は10%(2005年度)を記録しているが、建設業界を中心に労働力不足を懸念する声があるという。物価上昇率は、2005年は石油価格高騰や不動産価格上昇の煽りを受けて6.2%となった。
ロシアに大きく依存していた貿易は、1995年のEUとの自由貿易協定発効後はEUの占める割合が50%以上となり、2005年には、輸出の約80%、輸入の約70%をEU諸国が占めている。最大貿易相手国は、輸出でフィンランド、スウェーデン、ラトビア、輸入でフィンランド、ロシア、ドイツとなっている。さて、肝心のユーロ加盟だが、2004年に欧州通貨制度の為替相場メカニズム(ERM II)に参加し、2007年1月からのユーロ導入を目標に政策運営を行ってきたが、2006年4月、政府は石油価格の影響でインフレ基準の達成が困難となったことから、導入を見送った。現在早期のユーロ導入を目指している。
By Master K/益田 慶
FXライフ 17 ユーロの歴史と欧州の通貨 スイス
ユーロを導入していない欧州の大国といえば、スイスが挙げられる。通貨はご存知スイス・フラン(CHF)。「金よりも堅い」と呼ばれるほど世界で最も安定した通貨だ。それは国際社会におけるスイスの地位の高さを物語っている。
国内の物価は高いが、賃金水準も高く、国民の貯蓄高も高い。輸入関税率が低く、高級外車が比較的安く購入できるのも魅力のひとつだ。EU加盟の賛否を問う国民投票において、国民の過半数が反対票を投じたのは、すでに裕福な暮らしをしている国民がEU加盟にメリットを見出せなかったということだろう。スイスの主な産業は、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業、金融業(銀行、保険)。日本への輸入品の大半も高級時計、医薬品が占めるなど日本との共通点の多い「ハイテク立国」だ。
2007年3月に連邦経済省経済事務局(SECO)が発表した経済見通しによれば、2006年の実質GDPは前年を上回る2.7%であった。民間設備投資が6.9%増、個人消費が1.9%増と内需が好調だったことに加え、米国、ユーロ圏およびアジア向けの輸出が好調だったことから、純輸出も0.7%とプラスになり、成長に貢献した。2007年については、内需は引き続き堅調だが、輸出の伸びが鈍化することから06年ほどの成長は期待できず、2.0%と予想している。2003年~2004年は失業率が4%台を記録したが、その後の好調な経済を反映して2006年には3.3%まで下がった。そういった意味では、スイスは基礎体力にすぐれた国といえよう。
歴史をひもとけば、山岳地帯にあり、特別な産業のないスイスは17世紀頃から各国の戦争に傭兵を派遣し、外貨を稼いできた。その各国の通貨を両替する必要からスイスでは金融業が発達した。また、戦乱に揺れる欧州各国の王族や貴族、ロイチャイルド家のような金融資本家が資産の安全な預け先としてスイスを選んだことが、スイスで銀行が発展した源流である。
一般に「スイス銀行」と呼ばれる大手プライベートバンクがマネーロンダリングの中継地として使われることでも知られている。口座を開くのに「小国の国家予算に匹敵するくらいの資産が必要」とか「口座維持のため最低でも1000万円(為替相場による)以上の預金が必要である」など、まことしやかに言われることや、多くの国際機関の本部か置かれる特殊な国であることも、すべてスイスが永世中立国であることが大きく影響している。
他国から攻められる不安のない国に国際機関やプライベート銀行が集まるのは必然といえよう。しかしスイスは「国民皆兵」を国是としている重武装の国家で、正規軍は高度な装備を有している。徴兵制度により20~30歳の男子には兵役の義務がある。学校やビルに核シェルターが装備され、男性の大半が予備軍人であるため各家庭には自動小銃と銃弾が支給されるなど、民間防衛力があるから永世中立が維持できるのである。ちなみに地区単位で設置されている武器庫には、対戦車火器や追撃砲などが収められているという。日本人にはにわかに信じがたい光景である。
隣国の小国リヒテンシュタインもスイス・フランを通貨として使用している国だ。小豆島ほどの面積で、人口は約34,000人。非武装永世中立国を自称しているが、実質的にはスイスの保護国であり、スイスとの間にパスポートは必要なく、住民も旅行者も自由に行き来できる。
リヒテンシュタイン家が元首であることから、欧州では数少ない絶対君主制の国だ。外交と国防はスイスが代行している。起源をドイツ系貴族家に持ち、14世紀からはオーストリアの領主ハプスブルク家に仕え、自らも領土を保有した同家が国外に持つ所有地は国の何倍もの面積になるという。国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立しており、同家の資産総額は約30億ユーロ(約4800億円)とのこと。ドイツに本拠を持つ資産管理銀行リヒテンシュタイン銀行が、同家の財政を支えているといわれている。小国とはいうものの、現在ではスイス同様、精密機械産業や義歯、銀行・投資のビジネスが盛んな国で、これらの産業がリヒテンシュタインのGDPのほとんどを占めている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 16 ユーロの歴史と欧州の通貨 非ユーロ採用国
ユーロを導入していない欧州の国のうち、まだ紹介していない国と通貨を個別に紹介していこう。とりわけ、それらはユーロの登場と拡大によって「どのような影響を受けたのか」に注目したい。
ノルウェーは1994年の国民投票でEU非加盟を決定している。通貨はノルウェー・クローネ。国際表示の略称はNOKだが、国内で値札などに使用されている表示は「kr」だ。クローネとはノルウェー語で「王冠」の意味である。この通貨は、1875年にデンマーク、スウェーデン、ノルウェーによる通貨同盟が結成され、導入されたクローネ(クローナ)が基になっている。ヨーロッパの通貨がユーロに統合されていくなか、ノルウェーが非EU国家であることから「スイス・フラン」とともに富に名高い欧州の通貨である。
ノルウェーはEUに加盟していないとはいえ、EU諸国との貿易関係は輸出入とも強い。意外に知られていないのが産油国としてのノルウェーだ。2004年度には、平均日量2900万バレルの原油を輸出し、世界の原油輸出国の中では、サウジアラビア、ロシアに次いで第3位の大国となった。またノルウェー沖の大陸棚で産出される天然ガスはヨーロッパ全体のガス消費量の15%を占めている。近年は、低金利政策や欧州諸国を中心とした外需の回復を背景に景気が回復し、また石油価格の高騰により、石油産業を中心に経済が活性化している。2006年度のGDPは2.9%、物価上昇率は2.3%、失業率は2.6%と安定している。
このように同国は沿岸の北海大陸棚で採掘される石油、天然ガスなどの資源に恵まれており、石油・天然ガス部門は同国のGDPの25%、また輸出額の約3分の2を占めている。ただし、石油への過度の依存は、国際的な石油価格の変動や輸出先の景気によって国内の経済に大きな影響影響をもたらすので、石油依存体質からの脱却が同国にとっての課題となっている。
また、原油・石油製品の決済はUSドルで行うことから、ノルウェー・クローネは石油価格とは直接連動せず、むしろユーロとの関連性が強いとされている。国際的な比較ではノルウェー・クローネは安定した通貨のひとつといえよう。
ユーロとの関係で見るなら、ノルウェー経営者連盟が企業にユーロ対策指導や相談を行っているが、これまでのところ企業経営方針、戦略、事業再編検討案などに大きな影響は出ていないとのことだ。ユーロが安定すれば為替市場でのリスクが減り、ユーロ経済圏の安定はノルウェー輸出産品の市場安定を意味する。各企業にとっても会計処理が簡易になり、資金調達も容易になるだろう。一方、ユーロ導入国の拡大が進むことのデメリットもある。国際市場での競争力の激化である。価格の透明性が増すことによって、値段の交渉に大きく影響することが予想される。
1993年に分離したチェコとスロバキアもまたユーロ導入に至っていない国である。チェコの通貨はチェコ・コルナ(Kc)、スロバキアの通貨はスロバキア・コルナ(Sk)だ。共産主義国家であった両国は、ともにユーロ導入を掲げている。チェコ人がほとんどを占めるチェコは現在、機械工業、化学工業を中心に景気は好調で、2005年以降6%の高い成長率を記録。賃金上昇が消費に波及し、内需が拡大したことがその要因とされている。一方で失業率の上昇(2006年は6.4%)、財政赤字の増加といった懸念材料もあるが、EU加盟を選択したチェコは、将来のユーロ導入の条件を整備する段階に入ろうとしている。
一方、スロバキア人から成るスロバキアは、2009年のユーロ導入を目指して2005年よりERMⅡに参加。積極的な外国投資の誘致を進め、失業率が10%近くあるものの、近年は個人消費に支えられ、輸出も好調。2006年は8.3%を記録するなど高い経済成長率を示し、2008年度予算では財政赤字が基準を満たすGDP比3%以内に抑えられる見込みである。
By Master K/益田 慶
FXライフ 15 ユーロの歴史と欧州の通貨 ポンドとユーロ
ユーロの歴史を語るうえでイギリスとの関係を避けて通ることはできない。イギリスは、ご存知のようにユーロ通貨統合には参加していない。世論調査では、英国民の3分の2はユーロ加盟に反対を示している。その理由として「現状でも経済成長率はEU内でNO.1」「女王様の印刷されたお札に愛着がある」「ユーロ導入国のドイツ、フランスの経済が低迷している中、今のポンドからユーロに移行する積極的な理由は見えない」といったものが大半を占める。見当違いのコメントもあるが、これはイギリスが島国で、ヨーロッパ諸国と適度な距離を保っているという地理的背景と、かつてイギリスが世界の覇者でポンドが基軸通貨であった歴史を背負っているからであろう。英国民のプライドの高さは世界屈指とされるのは、かつて世界最強の海軍を擁してアフリカやアジア諸国、アメリカを植民地とし、世界に先駆け産業革命に成功した国だからだろう。
女性として初めてイギリス保守党党首になり、首相に就任(在位1979~1990年)したマーガレット・サッチャーは、イギリス経済の復活と「小さな政府」の実現を公約とした。新自由主義の立場に基づき、サッチャーは80年代に電話会社、ガス会社、空港、航空会社、水道事業など国有企業の民営化や規制緩和、金融政策などを推し進めた。所得税、法人税は段階的に引き下げられた一方で、付加価値税(消費税)は8%から15%まで引き上げられた。
イングランド銀行が大幅な利上げを行ったためインフレは抑制できたが、失業数は倍増。失業率は1986年半ばまで減少することはなかった。その後、サッチャーはインフレを起こさない程度に金利の引き下げや財政支出の拡大などを通じて景気を刺激し、景気回復を図り、財政赤字を克服し、イギリス経済を立て直した。しかし、公的分野にも競争原理を導入したことや金持ちを優遇するような政策は弊害とされた。
イギリスが転機を迎えたのは、1992年秋に起こった、ポンドの為替レートが急落する「ポンド危機」であった。欧州共同体(EC)は、域内通貨の統合に向けて域内通貨間の為替レートを事実上固定する欧州通貨制度(EMS)と欧州為替相場メカニズム(ERM)を進めていた。ERMに参加していたイギリスは、ポンドとEC諸国との為替レートを一定の枠に収めなくてはならなかった。
一方、1990年の東西ドイツの統一以降、旧西ドイツ政府による旧東ドイツへの投資が増加し、欧州の金利は高水準にあった。高めの金利が欧州通貨の増加をもたらし、ポンドも次第に過大評価されていった。
そこに目をつけたのが、当時「クォンタム・ファンド」を率いていたジョージ・ソロスは、「過大評価されたポンドは、大幅な切り下げに追い込まれる」と予測した。ソロスはイギリス政府の為替介入に対抗し、イングランド銀行を相手に100億ドル相当のポンドを売りまくった。ポンドへ「空売り」を行い、安くなったところで買い戻したのである。ソロスは、「ポンド危機」によって10億~20億ドルの利益を得たと言われている。
当時、激しいポンド売りによって変動制限ライン(上下2.25%)を超え、イングランド銀行は公定歩合を10%から12%へ引き上げ、さらに15%まで引き上げた。それでも、ポンド売りは止まらず、イギリスはERMから脱退せざるを得なくなった。この結果、イギリス・ポンドは変動相場制へ移行し、1995年まで減価を続けた。イギリスは周知のとおり、現在もユーロを導入するには至っていない。
イギリス・ポンド(GBP)は、為替変動の幅の大きな通貨だ。通貨名は、大昔、1トロイポンド(イギリスの薬剤師や宝石商によって使用されていた質量の単位)の銀から硬貨が作られていたことに由来する。英国の2005年の実質GDP成長率は製造業の落ち込みが響いて1.8%と、92年以降で最低の伸びとなったが、2006年は2.8%までアップした。同年の物価上昇率は2.3% 、失業率は5.4%。日本から英国への直接投資額は37,595億円。これはオランダに次いで二位である。ともあれ、英国はアメリカ、欧州、ロシアにとっても常に意識せざるを得ない大国であることは事実である。
By Master K/益田 慶
FXライフ 14 ユーロの歴史と欧州の通貨 財政安定化・成長協定
EUが安定経済を確保し、維持していくためにはいろんな方策があるだろう。「アメリカの対立軸としてEUが確固たる地位を築くためには、憲法を軸として超国家的な意思統一をしていく必要がある」と語る経済学者がいる。その提言の裏には、「EUはドルのような確固たる地位を築いていない。超国家的な意思統一ができていない」という含みがある。
1999年の導入以降、為替相場でユーロは不安定な動きをしてきた。これはユーロ圏がマクロ経済政策や経済構造への国際的信頼を市場から得ていないことを意味している。ある経済学者は「ユーロが信認を高めるためには、フランスやドイツが協定を遵守すべく財政再建を進める必要がある」と説いている。
ここで示されている「協定」とは、欧州連合が、ユーロ参加国に一定の財政規律を義務付けている「財政安定化・成長協定」のことだ。ユーロ価値安定のため、EU加盟国が放漫財政に陥ることのないよう、極端な不況など例外的な場合を除き、財政赤字を国内総生産(GDP)の3%以下に抑えるよう義務づけた。3年連続で3%を超えた場合には制裁金を科すなど厳しい内容で、景気悪化時に財政出動しにくいなど硬直性を批判する声が高まり、見直し協議が本格化してきた。
欧州の先進国は2004年まで、ITバブル崩壊後の景気低迷によって各国とも経済が伸び悩み、景気下支えの減税などで財政赤字が拡大した。ドイツやフランスなど、景気低迷に伴って財政赤字が協定の定める上限を超える国が相次ぎ、協定が現実的でないという見方が広がった。ここにユーロの制度的な問題点があらわになったのである。
金融、為替に関しては、「欧州中央銀行が現政策に固執した結果、障害が生じている」という指摘もある。EU域内の各国政府が欧州中央銀行に政策を委ね、自国に応じた金融政策を放棄した結果、慢性的な失業率(フランス9%台、ドイツ10%台)に対する有効的な対策を打ち出せないでいるのだ。事情の異なる各国の多様な動向を踏まえて、適切な政策を柔軟に打ち出す以外、解決への処方箋はなさそうだ。
アメリカの「ドル覇権」への反発から、「ドルに対抗しようとする試み」としての欧州通貨統合を持ち上げようとする傾向には、少し距離を置いて冷静に見つめたほうが得策である。
さて、欧州には旧ソ連の圧力によって共産化したり、領土を分轄させられたりした国が多くある。本年EUに加盟したルーマニアもそのひとつだ。1989年、当時のチャウシェスクの独裁政権がルーマニア革命によって打倒され、民主化された。通貨はレイ(RON)。民主化直後は高いインフレの影響で国民は厳しい生活を強いられたが、2005年に消費者物価指数が10%を下回り、EU加盟を目指してレイは強さを発揮してきた。
2006年の実質GDP成長率は7.7%、2005年に続き建築業(15.2%)が大きく伸びた。消費者物価指数は6.6%(2004年11.9%、2005年 9%)、失業率は5.2%、インフレ率は4.87%を記録。経済指標は総じて好調を示している。
ルーマニアは2005年、1万レイ=1新レウのデノミを実施した。これはEU加盟の布石であった。ルーマニアの経済は民主化まではロシアに依存してきたが、その比重は下がり、現在は欧州に傾いている。主な輸出国はイタリア、ドイツ、フランス、トルコなどだ。日本から見れば地味な印象に映るかもしれないが、ルーマニアは確実に成長している。2000年に40%を超えていたインフレ率が1桁になったことで、2004年に欧州委員会から「機能する市場経済」というステータスを認められた。2014年のユーロ導入を目標としているので、このまま堅実な成長を続ければユーロ導入は問題ないだろう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 13 ユーロの歴史と欧州の通貨 欧州市場の変化
2007年10月現在、ユーロは13ヵ国で導入されている。ドイツ、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スペイン、ポルトガル、アイルランド、オーストリア、フィンランド、ギリシャ、スロベニアだ。さらに、2008年1月からキプロスおよびマルタで導入が予定されている。
それでは、統一通貨が導入された欧州市場は、どのように変化したのだろうか。そしてどんな問題点が浮上したのだろうか。それらを検証する前に、導入当初予想されたユーロ導入の効果をまとめておこう。
1.ユーロ圏では為替取引のコストがなくなる。
2.統一通貨を使うことでユーロ圏が巨大な金融・資本市場へと発展する。それによって市場の流動性が高まり、ユーロ建ての新しい金融商品の開発につながるなど、資金調達と投資の可能性も広がる。
3.価格の透明性が増し、消費者にとっては商品やサービスの価格の比較が容易になり、企業にとってはコストの比較が容易になる。
4.為替相場の不確実性がなくなり、企業にとっては資金調達コストが下がるので貿易と投資の増加につながる。
単一市場の確立は、同じ貨幣が使える市場が増加することであり、市場が拡大するということである。だから欧州経済は健全な基盤を築き、安定する。このように期待されていた。
しかし、経済構造の異なる国々に単一通貨が導入されれば、無数の問題が生じることは明白だ。メリットと同時に、通貨統合の維持には大きい犠牲が伴っていることも直視しなければいけない。
まず、労働力の柔軟な移動こそが統一通貨維持に不可欠な条件であるが、現在のユーロ圏諸国はこの条件をクリアできていない。資本の移動はかなり自由に行われているものの「自国民の仕事が奪われる」と危惧し、移民の受け入れを快く思っていない国が多いからだ。
もちろん企業は為替リスクの完全な回避や両替手数料の削減などさまざまなメリットを享受することになった。その一方で、マクロ経済の政策の実施に際してはいくつかの問題点が出てきている。そのひとつが、欧州中央銀行(ECB)が全体として金融政策を実施していくため、導入国固有の問題に対して各国が適切な金融政策を実施できなくなっていることだ。また物価安定以外は政策目標が不明瞭で、欧州中央銀行は金融市場に急激な変化が生じない限り、弾力的な金融政策をとらない傾向にあるため、物価の安定のための対応が遅れがちになっているとも指摘されている。一方、財政政策においては、ユーロ導入各国は「安定成長協定」を満たす必要性があるため、財政政策を各国の経済に合わせて実施することにも限界が出てくると分析されている。
さて、2004年にEUに加盟したハンガリーはかつて社会主義労働党が独裁した国だ。1989年、西側のオーストリアとの国境に設けられていた鉄条網「鉄のカーテン」を撤去し、国境を開放した際に西ドイツへの亡命を求める東ドイツ市民がハンガリーに殺到したことは冷戦終結の引き金にもなった。
ハンガリーの通貨単位はフォリント(Ft)だ。欧州通貨制度のERM Ⅱ(為替相場メカニズム)には参加していないが、現在ユーロに対して一定のレンジに収める為替政策を行っているので、ユーロ導入に向けた通貨政策を行う可能性は高い。
民主化以降、外国資本を受け入れて積極的に経済の開放を進めたハンガリーは、「旧東欧の優等生」と呼ばれるほど好調な経済成長を成し遂げた。ジェトロによれば、2006年は純輸出が拡大した一方で、政府の掲げている緊縮財政政策の実施により消費や設備投資などの内需が低迷し、実質GDP成長率は3.9%にとどまっている。気になるのは、物価上昇率も3.9%を示していることと、失業率が7.5%を示していることだ。インフレと失業率が増加し、国民の貧富の格差が増大していることは覚えておきたい。
By Master K/益田 慶
FXライフ 12 ユーロの歴史と欧州の通貨 ユーロ導入
1999年1月、EU加盟国のうち11カ国(ベルギー、ドイツ、スペイン、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ポルトガル、フィンランド)でユーロ導入。一般流通の直前の段階に突入した。これに伴い、欧州中央銀行理事会が通貨統合への参加国通貨の対ユーロおよび相互の交換レートを永久的に固定。ユーロによる単一通貨政策を策定・実施し、ユーロでの外国為替オペレーションがスタート。ユーロ自体が通貨となり、それに伴って、ユーロ導入前に用いられていた公式の通貨バスケットが消滅。ユーロ導入の法的枠組みを設定する理事会規則が発効される。続いて加盟国は新規の国債をユーロ建てで発行。同時に欧州中央銀行制度が、固定交換レートにより平価で通貨交換を開始。欧州中央銀行制度と加盟国当局は、銀行および金融部門における切り替えを監視し、経済全体の切り替えに向けた準備を支援した。
2000年、欧州委員会はギリシャをユーロ圏に加えることを決定。2001年1月、ギリシャがユーロ導入開始。そしてようやく2002年1月1日、1,330億ユーロ相当のユーロ紙幣が流通し始めたのである。と同時に加盟国はユーロ硬貨の市中への流通を開始し、各国通貨の硬貨の回収を始めた。
ユーロは導入済みの全12カ国において通貨が発行され、2月28日には完全に単一の通貨となった。10年以上の準備期間を経て、欧州連合の加盟国中12カ国が2002年3月1日、自国の通貨を永久に放棄し、新しい単一通貨「ユーロ」を採用したのである。同年には2,420億ユーロ相当の紙幣が、2005年末には5,650億ユーロ相当のユーロ紙幣と160億6,400万ユーロ相当のユーロ硬貨が流通。この切り替えで影響を受けた人々の数は3億人以上。このような切り替え作業が、これほどの大規模で行われたのは史上初めてだ。
2004年5月に加盟した新規加盟国10カ国のうちエストニア、リトアニアおよびスロヴェニアがユーロ導入の準備段階である欧州為替相場メカニズム(ERMⅡ) に参加。欧州委員会は、2007年1月からスロヴェニアがユーロを導入することを提案し決定。こうしてスロヴェニアが13番目のユーロ参加国となる。
本年1月、スロヴェニアがユーロを導入し、現在、次の13カ国でユーロは導入されている。ベルギー、ドイツ、ギリシャ、スペイン、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ポルトガル、フィンランド、スロヴェニア。EU各国の財務相は2007年7月、キプロスとマルタが2008年1月1日からユーロを導入するために必要な公式文書に合意。また現在、ラトビア、キプロスおよびマルタが欧州為替相場メカニズム(ERMⅡ)に加盟している。
EU加盟を申請中のトルコは、2005年1月1日より、従来のトルコ・リラ(TL)から、新トル・コリラ(YTL)に改定された。YTLとは、Yeni Turk Lirasiの略で、Yeniとは「新しい」という意味。今までの通貨から6桁消去され、端数としては新クルシュ(Ykr)という単位が用いられるようになった。100Ykr=1YTLである。実質的なデノミを実施したトルコの経済成長率は2005年度が7.4%、2006年度が6.1%と推移してきた。経済危機からV字回復した2002年以降の5年間の成長率は、これで年平均7%を超えた。2006年の成長を牽引したのは、前年比17.4%増となった民間投資である。大型ショッピングセンターの建設で外資も参入した。しかし今年上半期は、その反動か、民間消費が冷え込み、上半期全体では5.3%と、政府目標の5.0%(年間)を上回っているものの、市場では07年通年では目標にわずかに達しないとの予測が出ている。
貿易は慢性的な赤字だが、観光収入や海外からの多額の送金によって経営収支のバランスはとれている。石油や天然ガスのパイプラインの建設が完成し、EU加盟が決定すれば、トルコは大いに注目すべき国になるだろう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 11 ユーロの歴史と欧州の通貨 ユーロ参加基準
1994年1月、経済通貨統合(EMU)が第2段階に入り、欧州通貨機構(EMI)が設立された。1995年12月に、1999年1月1日にユーロを導入することを決定。同年、ベルギー、フランス、ドイツ、ルクセンブルク、オランダ、ポルトガル、スペインとの間で、ヨーロッパ各国において共通の出入国管理政策及び国境システムを可能にする取り決めである「シェンゲン協定」が発効。オーストリア、デンマーク、フィンランド、スウェーデン、EU非加盟国のノルウェーとアイスランドがこれに加わり、EUの創設は現実性を帯びてくる。
ユーロ参加に当たっての基準は以下のものである。
●インフレ率:過去1年間で最も安定した3ヶ国より、1.5%上回っていないこと。
●長期金利;過去1年間で最も安定した3ヶ国より 2.0% 以上上回っていないこと。
●財政:単年度財政赤字GDP比 3.0%以内 政府債務残高GDP比 6.0%以内
●為替:過去2年間、為替相場メカニズムの通常変動幅の中で取引され、切り下げが行われていないこと。
1998年5月、欧州連合理事会は11ヵ国でのユーロ切り替えを決め、詳細と交換レートを設定した。同年6月、欧州中央銀行(ECB)が発足、12月に欧州連合理事会の会合が開かれ、12月31日における確定交換レートを設定した。1999年1月から、欧州連合(EU)15ヵ国のうち、 12ヵ国でEU統一通貨ユーロが導入された。12ヵ国のうち、ギリシャを除く11ヵ国は、ユーロが導入された1999年1月時点で基準を満たしていた。また、参加希望が強かったギリシャも基準を達成し、2000年6月に 2001年からの参加が承認された。このようにユーロの導入自体は予定通りに実施されたが、正式な通貨となるのにさらに数年の時間がかかった。
ちなみに、イギリスが当時ユーロ導入を拒否した理由はいくつかある。当時のサッチャー首相は「通貨統合は国家主権を侵害する」としてユーロに絶対反対の立場を示した。近年では、製造業を中心に産業界から早期参加を求める意見が強いが、国民はポンドへの愛着が強い。
欧州中央銀行制度(ユーロシステム)について述べておこう。これは欧州中央銀行(ECB)とEU加盟国の中央銀行によって構成される。総裁や副総裁、理事(4人)から成る理事会、これに各国の中央銀行総裁を加えた政策委員会、理事を除いた一般委員会があり、ユーロ参加国全体の金融政策の決定、実行、ユーロ不参加国との政策協調を担っている。
イギリス同様、ユーロ導入に対して世論の反対が大きい国がある。デンマークだ。通貨は、デンマーク・クローネ (DK、DNK)。2000年9月に行われたユーロ参加の是非を問う国民投票で、反対が 53.1%と賛成 46.9%を上回って否決された。ユーロの流通後、国民のユーロ参加への姿勢は総じて前向きに変化してきたが、2003年9月のスウェーデンにおける国民投票でのユーロ参加否決や、ドイツ・フランスによる安定成長協定の不遵守、さらにはドイツ・フランス主導で進む欧州統合そのものに不信感があるとされている。次回国民投票実施時期は未定だ。
但し、ユーロ導入の準備段階である欧州為替相場メカニズム(ERMⅡ)参加国として、自国通貨の対ユーロの変動幅を中心交換レートから上下2.25%内の変動に維持する政策をとっており、事実上、ユーロとの固定相場制を保持している。見方を変えれば、ユーロを導入しようとする国は、自国通貨とユーロとの為替相場を一定の許容変動幅で連動させなければならないのである。
ジェトロの調べでは、2007年のデンマーク経済は、金利上昇と世界経済の成長鈍化に伴い、内外需ともに減速することから2.2%の成長率を予想しているという。しかしデンマークは環境先進国として食料とエネルギーの国内自給をめざし、国民生活にやさしい環境・エネルギー政策を推進している点は見逃せない。風力発電、バイオガス、廃棄物エネルギーなどの自然エネルギー活用については注目したい。
By Master K/益田 慶
FXライフ 10 ユーロの歴史と欧州の通貨 EUの統合拡大
1967年に発足したヨーロッパ共同体(EC)が機能するためには、加盟国の増加が必要であった。そして加盟国内での資本移動の自由化が行わなければ通貨の導入は実現できなかった。
1973年、デンマーク、アイルランド、イギリスがECに加盟。この新規加盟は、のちのEUの重要な政策分野となる、統合拡大の第1歩となった。拡大は進み、1981年には6年間加盟を望んで協議してきたギリシャが加わった。1985年には住民投票の結果グリーンランドがデンマークから自治権を獲得し、ECから離脱するものの、第3次拡大として1977年から加盟を希望していたスペインとポルトガルが1986年1月に加わった。
1986年には欧州旗の使用が採択。1986年2月、加盟国首脳は単一欧州議定書に調印。1987年、トルコは正式にEU加盟の希望を表明し、現在も続けられる加盟交渉が着手された。
そして1989年。東欧での激変に続き、「ベルリンの壁」が鉄のカーテンとともに崩れ去ってドイツは再統一を果たし、旧東ドイツ地域へのEC拡大への門扉が開かれた。こうして1989年4月、「経済通貨統合」(EMU)への道筋を示した「ドロール報告」(通貨同盟に関する報告)が発表され、3段階を経て通貨・金融面でプロセスが決定した。新たな拡大の波が広がる中で、1992年、欧州連合(EU)の創設を求める「マーストリヒト条約」が調印され、翌年に発効、遂に欧州連合(EU)が誕生することになる。
「ユーロ」導入までの3段階とは以下のプロセスである。
1.EU圏内市場統合の促進
・人、物、サービスの移動。中央銀行総裁会議の機能強化
2.マクロ経済政策の協調強化
・欧州通貨機構(EMC)の創設
3.経済通貨統合の促進
・単一通貨「ユーロ」の導入
・欧州中央銀行(ECB)による金融政策の実施
1993年11月、「マーストリヒト条約」が発効され、ECの枠組みに外交と内務に関する分野の枠組みを加えた3つの柱構造を持つEUが発足。マーストリヒト条約では地域委員会が創設され、欧州投資銀行(EIB)の傘下に欧州投資基金(EIF)が設立される。さらに1994年、欧州経済領域(EEA)協定が発効し、欧州自由貿易連合(EFTA)加盟国でEU非加盟国のノルウェーとアイスランドは、財政支出と関連EU法の支配を受けることを条件に、前年に創設された欧州単一市場に加わった。残りのEFTA加盟国のうち、スイスは参加を拒否、リヒテンシュタインは加盟した。1995年、欧州司法裁判所(ECJ)は「ボルデサ判決」を下し、その中で市民は域内において事前の許可がなくとも紙幣を国外に持ち出すことができるとした。これが資本の移動の自由化である。
さて、EU加盟国でありながら「ユーロ」を使っていない国がいくつかある。そのひとつが、福祉国家として名高いスウェーデンである。通貨単位はスウェーデン中央銀行が発行する「スウェーデン・クローナ(SEK)」だ。
2000年に与党・社会党が党大会でユーロ参加の方針を決定したが、国民にはユーロ参加による福祉レベルの低下を懸念する声もあり、2001年の世論調査では、参加不支持が支持を上回った。2003年9月にユーロ参加の是非について国民投票が行われたが否決。これは主に北部などユーロへの参加に保守的な立場の人々の票が影響したと分析されている。
スウェーデンの2006年度のGDPは4.2%。経営収支、貿易収支、輸出額とも増大している。ジェトロは2007年以降のスウェーデンの経済見通しについて、「輸出の伸びが鈍化することから経済は緩やかに減速しながらも拡大基調で推移する」との見解を示している。スウェーデン財務省は、実質GDP成長率は07年3.3%、08年3.1%と予測している。こういった背景からスウェーデン・クローナは手堅い通貨といえよう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 9 ユーロの歴史と欧州の通貨 統一通貨「ユーロ」の歴史
先週のコラムで、米国のイラク攻撃による「ドル暴落」も「原油高騰を引き金とする景気の後退」も起きなかったことを伝えたが、書店に行けば「ドルが暴落して世界経済が混乱する」と説く書物がいっぱい並んでいる。ある本によれば、ドル暴落の最大の要因は、経済的な要因というよりは世界各地で日々生起するであろう政治的・社会的諸事件であり、それが呼び起こす人々の不安な心理であると綴られている。
しかし、どの説を拾ってみても、基軸通貨のドルに対しての論議ばかりで、超大国アメリカに匹敵する欧州連合が扱う「ユーロ」との関係から論を進めるものは少ない。現在のヨーロッパ連合(EU)の経済規模は日本の倍以上で、アメリカとほぼ肩を並べる巨大市場となっている。エネルギー政策で勢いを取り戻したロシアが原油取引と外貨準備の両方でユーロを中心に据えていることを鑑みると、 いよいよ「二つの基軸通貨」の時代が到来したといえよう。
統一通貨「ユーロ」の歴史は、第二次世界大戦後の欧州再編の歴史、つまり東西の冷戦から自由化への変遷の歴史と重なる。第二次次世界大戦の損害は、ヨーロッパにきわめて大きな爪痕を残した。反対に戦場にならなかったアメリカは超大国への道を歩みはじめ、世界の基軸通貨が「ドル」になる。
第二次世界停戦後、大英帝国の凋落を予見していたであろうイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは1946年、欧州の平和と発展を促す「United States of Europe」(ヨーロッパ合衆国、ヨーロッパ連邦)を提唱した。これはアメリカ合衆国をイメージしたものであった。やがて1949年にヨーロッパ諸国で構成される国際機関「欧州評議会」が創設。直後の1950年、フランス外相ロベール・シューマンがヨーロッパの石炭・鉄鋼産業の統合を図る共同体を提唱。これを受けて、フランス、イタリア、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)、そして西ドイツがパリ条約に調印し、1952年、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設置を決定した。これにより第一次的機関である「最高機関」(現在の欧州委員会)と「共同総会」(現在の欧州議会)が誕生した。
やがて6か国の首脳は経済分野での統合に焦点をあてることにし、1957年に欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体の設置を定めたローマ条約に調印した。新たに設置された二つの共同体(欧州経済共同体、欧州原子力共同体)は欧州石炭鉄鋼共同体とは分離されていた。欧州原子力共同体は、原子力エネルギー分野での統合を進める一方で、欧州経済共同体は加盟国間での関税同盟として発展していった。
1960年代、フランスでは共同体の超国家的権限に対して制限を設けるべきとの機運が高まり、またイギリスの加盟を拒む態度が見受けられた。しかし、1965年には3共同体をひとつの機関の下で統合することで合意に至り、ブリュッセル条約が調印される。こうして1967年7月、欧州共同体(EC)が発足した。イギリスは参加しなかったが、こうしてEUの基盤が固まっていったのである。統一通貨「ユーロ」が登場するのはまだ先のことである。
さて、中央ヨーロッパにあってユーロ以外の通貨を使っている国がいくつかある。ドイツとソ連の影響を受け、翻弄されてきたポーランドは2004年にEUに加盟したが、通貨は「ズウォティ」を使っている。日本では「ズオチ」「ズロチ」とも呼ばれている。近年は外国資本の流入、好調な輸出や個人消費などを背景に安定した成長を続けている。2006年の経済成長率は5.2%と決して悪くないが、失業率は20%に近い。同国への直接投資は、アメリカ、ドイツ、日本の順。なおポーランドへの直接投資の窓口は、このポーランド情報外国投資庁に一本化されている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 8 ドルの歴史と世界のドル ユーロ誕生
駆け足でドルの歴史を見てきたが、ようやく現代にたどりついた。近年のドルの歴史を語るうえで忘れてはいけないのが1989年の「ベルリンの壁」の崩壊である。冷戦の終結は1991年のソビエト連邦の解体へとつながり、翌年、欧州連合の統一通過「ユーロ」の導入が定められる。当時のアメリカはIT産業の急成長などによって「双子の赤字」を解消。世界が米ソの二極状態から、米国を中心とした一極世界へ向かうものと想像された。
そして2001年。9.11の同時多発テロ事件が発生。2003年、米国がイラク攻撃を開始。以降、投資家の間では「地政学的リスク」という言葉がクローズアップされるようになる。これは当時の連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長が使ったことで世界的に有名になったものだ。同時多発テロ事件以降、中東情勢に緊張が走る度に米ドルは売られた。そこで「地政学的リスク」が「ドル安」につながるという理論が注目されたのである。それは米国のイラク攻撃によって、世界経済がスローダウンする、そのリスクとして「ドル安」が進行するという考え方だ。つまり、イラク攻撃→中東産の原油価格の上昇→インフレに対する懸念→金利の上昇→世界的な景気の後退、という流れを想像したのである。
当時の多くの評論家、経済学者が「地政学的リスクによって日本も大きな影響を受ける」と指摘したのは、次のような文脈からだった。
「原油価格の高騰は、エネルギー価格や原材料価格の上昇をもたらす。これが日本企業の設備投資意欲をさらに抑制する。原材料価格が上昇すれば、紙・パルプ製品、繊維、化学製品、プラスチック製品など、多くの商品の卸売価格の上昇をもたらし、結果的には私たちの生活に直接影響を与える消費者物価にも反映されていく」
「また、イラク情勢の不透明感から株価はバブル後の最安値を更新。株安は日本経済の最大の懸案である不良債権処理をさらに遅らせる。加えてイラク情勢の緊迫度が増す中、米国経済への悪影響懸念からドル安が進む。結果としての円高が長期化すれば、比較的好調な日本の輸出は失速する。こうして『地政学的リスク』はドル安、原油高、株安、円高という厳しい状況を日本にもたらす」
こういった予測が主流を占めた。では、米軍のイラク攻撃によって日本及び世界経済の景気は後退しただろうか? 原油価格の急激な変動はしばらく続いたが、世界経済に及ぼすマイナスの影響はそれほど大きくなかった。ドル安の進行は続いたが、世界的な「ドル暴落」は起こらなかった。
当時アメリカ経済に対する先行き不安から、行き場を失った投機資金が一気に石油市場に流れ込んだ。ひとつの市場に急激に莫大な資金が流入すれば、価格は簡単に急騰する。だが、こうした急騰はまたあっさり下落もする。高値が高値を呼んで利潤率が低下すれば、大量の投機資金はより有利な利率を求めて移転するからである。こうして現代へとつながっていく。
さて、西インド諸島で唯一、豊かな石油と天然ガスが産出する島国がある。トリニダード・トバゴだ。輸出・輸入ともアメリカがトップというこの国の通貨はトリニダード・トバゴ・ドル(TTD)。人種はアフリカ系とインド系だが、公用語は英語である。日本には馴染みが薄い国だが、日本は同国の主な援助国である。
イギリスから独立した1962年以降、石油、石油化学部門が輸出収入、政府歳入の大半を占めている。しかし1980年代半ばには、石油価格の急落という外的要因によって深刻な経済危機に見舞われ、1980年代後半、輸出振興、規制緩和、民営化推進等経済の構造調整を余儀なくされた。1993年以降、エネルギー部門の拡大とともに、構造調整政策の効果が現れはじめ、成長はプラスに転じ、現在は比較的安定している。2005年以降もエネルギー産業の拡大、建設業の好調、製造業及び農業の好転が予想され、政府は2006年~2008年の実質GDP成長率7%を見込んでいる。カリブ海の国の中で最も豊かで生活水準の高い国であることからトリニダード・トバゴ・ドルに注目する投資家は少なくない。
By Master K/益田 慶
FXライフ 7 ドルの歴史と世界のドル 双子の赤字
1981から1989年まで2期8年、大統領を務めたロナルド・レーガンは、軍事支出の増加と並行して減税を行った。在任中にイラン-イラク戦争、アフガン戦争に莫大な軍事費を投じ、その結果、巨額の財政赤字と累積債務の劇的な増加に結びついた。その負債はレーガンの就任時と、彼の後継者ジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)の就任時を比べると、およそ200%増加している。貿易赤字と財政赤字が並存することを「双子の赤字」と呼ぶが、レーガン政権下がまさにこの状態であった。
米国の貿易収支は、かつて外為市場で最も影響力の大きい経済統計だった。しかしそれは1980年代後半までのことだ。当時の為替相場は、1985年の「プラザ合意」を受けてドル急落の大相場が展開していた。ドルの大幅切り下げ策の背景となったのが、巨額にふくれあがった米国の貿易赤字であり、それを要因とした国際的な貿易不均衡の拡大だった。外国為替市場の参加者は、毎月発表される貿易収支、特に米国の貿易収支の結果が市場の予想に比べて「多いか・少ないか」の観点から、「ドル売り」「ドル買い」を決定したのである。
しかし、「米国の貿易赤字がドル安につながる」という考え方は、果たして正しいかったのだろうか? 一方では、「ドル安が進むと貿易赤字は縮小し、ドル高が進むと貿易赤字が拡大する」という理論がある。1999年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者ロバート・A・マンデルは、変動相場制のもとでは「金融緩和は国内金利を引き下げ、所得を増大させて自国通貨安となり、財政支出拡大は金利を引き上げ、自国通貨高をもたらす」「外国での金利の上昇は自国通貨安になる」「輸出入の促進策が経営収支に与える影響は、為替レートの変化により相殺される」といった説を展開した。これによると、為替が貿易収支に対して先行するという解釈になる。
1990年代に入ると、ドル安の大相場は終わる。連邦準備制度理事会(FRB)のグリーンスパン議長の助言もあり、クリントン政権下で均衡財政が進められ、巨額の財政赤字は解消。2000年には2300億ドルの財政黒字を達成した。クリントン大統領は後期に「強いドル」政策を実行し、他国の通貨に対してドル高を維持し、海外からの投資を呼び込んだ。
さて、南西太平洋に浮かぶ島国に「ドル」と呼ばれる通貨を使っている国がある。ニュージーランドだ。通貨はニュージーランド・ドル(NZD)で、NZドルとも呼ばれる。「キウイ」や「キウイ・ダラー」という愛称もある。フルーツのキウイは中国生まれだが、1904年にニュージーランドに持ち込まれ、国鳥「キウイバード」に似ていることから「キウイ・フルーツ」と名づけられた。現在ではニュージーランドを代表する果物として世界に輸出され、「キウイ」は「ニュージーランド」の代名詞として使われているのだ。
輸出国・輸入国とも、1位:オーストラリア、2位:アメリカ、3位:日本の順番。地理的条件からオーストラリアへの依存度が高いことはわかるが、輸出・輸入国の両方にアメリカがランクされていることに注目して欲しい。オーストラリアの貿易は、輸出国が日本、中国、韓国の順、輸入国がアメリカ、中国、日本の順であることを比較すると、ニュージーランドは貿易面でアメリカの影響を受けていることが見えてくる。
ニュージーランドの主な産業は畜産物の加工だ。世界第3位の羊皮生産(10万トン、世界シェア約6%)、第4位のバター(47万トン、5.7%)、第5位の羊肉(51万トン、4.1%)、第6位の毛糸(2.2万トン、2.1%)などが有名だ。ほかにチーズ、牛肉、製材も大きな産業になっている。これらの産業は安定し、日本はニュージーランドの「お得意さん」でもあるのだ。
NZドルの円相場は「豪ドル円相場」と似たような値動きをするので、為替の動向はオーストラリアとセットで考えると、わかりやすい。オーストラリア同様、ニュージーランドの政策金利は高水準となっており、NZドル建て債券や外貨預金も近年注目を集めている。GDPは世界43位と決して高くはないが、NZドルは無視できない存在である。
By Master K/益田 慶
FXライフ 6 ドルの歴史と世界のドル プラザ合意
第二次世界大戦後のUSドルの歴史は、世界的にドルの保有高が増大した歴史でもある。金本位制だった1949年から1969年までの20年間には約1.5倍にしかならなかったが、金本位制からドルを自由に刷れる「ドル本位制」に以降した1971年から現在までの36年あまりの間に20倍になったとされている。そして今日に至るドルの歴史は「マネー経済」の歴史とも重なる。1980年代ぐらいまでは、お金のやりとりのほとんどは実物経済だった。それがマネー経済に転じたのが、1980年代なのである。
1985年の「プラザ合意」後、為替は外債投資規制の緩和などによって、いったんドル高・円安傾向になった。日銀はプラザ合意の要請に従ってドル安になるよう協調介入を行い、外国為替相場をコントロールした。1887年2月には「プラザ合意」以降のドル安進行を止めるために通貨安定に向け協調介入を行うことを決定(ルーブル合意)。しかしその後もドル安は止まらなかった。
同年10月にはニューヨーク株式市場で史上最大の暴落が起きた。世に言う「ブラック・マンデー」である。原因はアメリカの貿易赤字と財政赤字の拡大やドル安に伴うインフレ懸念だと言われている。投資家たちが日本やドイツが公定歩合を引き上げることを予想し、アメリカ市場から資金を流出させたことによって記録的な株価暴落を招いたという分析だが、一方ではコンピュータによる「プログラム売買」の損切りの連鎖反応が下落を加速させたという見方もある。
大口投資家は投資している株式の銘柄をコンピュータで管理しているが、万一どれかの銘柄が一定の幅を超えて価格が下落した場合、損失を最小限に抑える(損切りする)ため、その銘柄を売りに出すというシステムを組んでいる。ところが、みんながそういうシステムを使っていると、いったん株価が下がり出すと、全員が一斉に自動的にすべての株を売り始めることになり、売りが殺到して株価の下げが加速し、一気に大暴落を起こしてしまうという構造だ。さらに株価が下がり出した場合、投機筋がまだ株価が高いうちに空売りをして、下がり切ったところで買い戻して利益を得ようとするので、暴落に拍車を掛けてしまう。まさに「マネー経済」の幕開けを象徴する事件であった。
さて、USドル以外の「世界のドル」の中には、USドルと等価のものがある。北大西洋のバミューダ諸島で使われるバミューダ・ドルである。両者間の為替レートは、1バミューダ・ドル=1 USドルで固定されている。島内ではUSドル紙幣で買い物をすることも可能だ。国としてのバミューダは、イギリスの海外領土に属し、イギリス女王を国家元首とする独立国である。
この島を有名にした制度が「タックス・ヘイブン」だ。小さな島国など、産業の発達しない国が国際物流の拠点となることを促進するために作った制度で、税金が免除されたり、低い税率が適応されたりする。貿易の拠点となれば定期的に寄港する船乗りなどが外貨を消費するため、海洋国家にとっては有利な方法だと考えられてきた。イギリスとアメリカ両国の領であるヴァージン諸島、ケイマン諸島、マン島も「タックス・ヘイブン」の島である。
しかし、「タックス・ヘイブン」だからと言って物価が安いとは限らない。バミューダを訪れた者は総じて「物価がとても高い」と語る。安普請のホテルでも東京都心の超高級ホテル並みの宿泊料。レストランで食事をすれば100ドルを超えると聞く。バミューダでは、企業の利益や個人の所得、財産・資産、相続、配当などなどに税金が一切かからないから、会社を設立したり、不動産を購入したりした者は恩恵をこうむる。また、金融機関口座は個人資産家からは「オフショア金融センター」として人気が高いが、観光客は本国イギリス並みの物価に戸惑うことになりそうだ。
By Master K/益田 慶
FXライフ 5 ドルの歴史と世界のドル 変動相場制
第二次世界大戦後のUSドルの歴史は、変動相場制の歴史でもある。1971年に決定したスミソニアン体制下において、ドルの切り下げと為替変動額の拡大(上下各1%から上下各2.25%)が行われたが、米国の国際収支の悪化は続き、1972年6月に英国がこの体制を放棄し、変動相場制に移行すると、1973年3月までには主要国はすべて変動相場制に移行した。
1976年1月、ジャマイカのキングストンでIMFの暫定委員会が開かれ、変動相場制の正式承認を含む、IMFの第2次協定改正が決定。ここで金の廃貨が決まった。この制度は1978年4月1日に発効となり、決定された決め事は「キングストン合意」と呼ばれている。ここに現在まで続く国際通貨体制が確立されたのである。
1977年にはIMF理事会で、中央銀行の為替政策のガイドラインが決定。「加盟国は不公正な競争上の優位を守るために為替相場を操作しないこと」「輸出を伸ばすために意図的に為替相場を操作(為替介入)してはいけないこと」「介入は短期的に乱高下し秩序が保てないときのみ認められること」といった約束事が示された。
1978年当時のアメリカは貿易収支の大幅な赤字によって経常収支が赤字に転落し、インフレが加速していた。このアメリカのファンダメンタルの悪化を背景に、米ドルは主要通貨に対して急落した。半年で55円のドル安円高である。
そこで、当時のカーター米大統領は、日本、当時の西ドイツ、スイスの中央銀行とのスワップ枠拡大等による「為替市場への協調介入の強化」、「300億ドルの介入資金調達」、「公定歩合の引上げ(8.5%→9.5%)」、「預金準備率の引き上げ」などからなるドル防衛総合対策を発表した。
次の大きな節目は、1985年の「プラザ合意」によるドル高是正である。レーガン大統領の時代のアメリカは、財政赤字と貿易赤字(双子の赤字)が構造的に定着し、第一次世界大戦後初めて純債務国へと転落した。そこでドル安によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことを主目的として、1985年9月、過度なドル高の対策を課題に掲げ、アメリカの呼びかけでニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催された。この会議で決められたのは以下の内容である。
●為替レートの調整によって対外不均衡の是正が可能であり、また有効である。
●為替レートは各国のファンダメンタルを反映すべきである。
●為替レートの調整は主要通貨の対ドルレートの上昇によって行なわれ、各国が直ちに介入によってこれを実現する。
さて、ドルと呼ばれる通貨の中で、紙幣に多くの外国人が印刷されているのが、カナダ・ドル(CAD)だ。5カナダドル札の肖像画ウィルフレッド・ローリエはフランス系カナダ人。10カナダドルに印刷されている肖像画ジョン・A・マクドナルドは、スコットランド生まれで、カナダに移住後に首相を務めた人物。20カナダ・ドルの肖像画は、英国エリザベス2世女王だ。これらの紙幣は、カナダの歴史を物語っている。
かつてフランス領であったカナダは、1759年に結ばれたパリ条約によって、全植民地が100年以上に渡って英国の支配下に置かれた。1867年、4州の統合でカナダ自治領が成立し、時を経て1982年カナダ自主憲法が成立。イギリスへの法的従属性を解消。カナダの女王でもあるエリザベス女王は「君臨すれども統治せず」の姿勢で、その権限をカナダ総督に委任している。カナダはG7(先進7ヵ国蔵相会議)の一員で、カナダ・ドルはG7通貨のひとつ。
カナダ・ドルは長期下落傾向にあったが(70年代:1 CAD=1米ドル、2002年:1 CAD=0.6368米ドル)、2003年に入ってから対米ドル高傾向(2004年同0.7683米ドル、2005年同0.8253米ドル、2006年同0.8818米ドル)にある。2007年5月平均の為替レートは1 CAD=0.9133米ドルであり、対米ドル高傾向は続いている。
By Master K/益田 慶
FXライフ 4 ドルの歴史と世界のドル USドルの歴史
USドルの歴史はアメリカの歴史と重なる。1971年8月15日まで、ドルの価値は金によって保証されていた。1944年、アメリカのニューハンプシャー州のブレトン・ウッズで国際通貨基金協定などが結ばれ、その中で、IMF(国際通貨基金)が発足した。金だけを国際通貨とする金本位制を採用せず、ドルを基軸通貨として、金と並ぶ国際通貨とする制度をつくったのである。しかし、1971年8月15日その日以降、世界の為替のしくみは一変した。
日本が高度経済成長を続けた1960年代後半、アメリカは国際収支の赤字で悩んでいた。その対応として1971年8月15日、当時のニクソン大統領が突如、ドルと金との交換停止を含む新経済対策を発表。これによって戦後長く続いたIMF体制は崩壊、ここにブレトン・ウッズ体制は終了した。この大統領声明は「ニクソン・ショック」と呼ばれ、世界に大きな影響を与えた。ドルは急激に下落し、その対応策として、主要国会議で全面的な為替レートの修正(スミソニアン体制)が行われ、日本では1ドル=360円時代が終了し、1ドル=308円となった。しかしドルの下落はおさまらず、まずイギリスが固定レートを放棄し、変動相場制へ移行。他国もこれにならい、日本も1973年2月に変動相場制へと移行した。
「ニクソン・ショック」の背後には、第二次世界大戦の敗戦国であった日本とドイツの経済成長の影響がある。アメリカの経済力は相対的に低下し、当時景気過熱で経常収支が悪化していたため、やがて固定レートを変更し、ドルを切り下げるであろうと予測された。このため経常黒字国であった日本の円やドイツのマルクに対して1969年頃から投機が殺到するようになる。固定相場制度においては中央銀行が無限の為替を保証するため、日本銀行やブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)はドルを買い支えることになった。つまり市中に円やマルクが放出されるということになる。マネーサプライが増えるため金利は抑制され、日本やドイツの経済も過熱気味になる。
ドイツは、戦前にハイパーインフレーションで経済を疲弊させた記憶があるため、ブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)はインフレーションを未然に防ごうとしたのである。また、日本も高度経済成長末期において巨大プロジェクトが目白押しであったため、アメリカの過剰輸入・資本輸出によるインフレーションは厄介であった。このため、元凶であるアメリカの過剰財政支出への非難が強まったのである。ニクソンは、そういった経済成長国の流れを鑑みて、ドルと金との交換停止を含む新経済対策を決断したのである。
さて、ドルと名のつく通貨の中で、なじみの深いものにオーストラリア・ドル(AUD)がある。日本では、豪ドル、オージードルなどと呼ばれている。発行はオーストラリアの中央銀行であるオーストラリア準備銀行(RBA)。同行が為替管理を放棄し、変動相場制に移行したのは、80年代である。
オーストラリアの最大の輸出国は、1位:日本(19.8%)、2位:中国(12.5%)、3位:韓国(7.5%)という順位になっている。つまり、貿易は主にアジアの主要国と行っているのである。それだけに2000年までの豪ドルは、輸出、観光で関係の深いアジア諸国が金融危機に陥った際にアジア通貨につられて急落。世界経済がITブームに沸く中で、豪ドルは「オールドエコノミー通貨」として敬遠された。
しかし2001年に入り所得税減税、住宅取得者への補助金支給やRBAによる金融緩和が住宅投資と個人消費を促進。成長路線に回帰し、公定歩合が高さ、経済成長・金利差に着目した米系ヘッジファンドなどが、円やドルで資金調達し、豪ドル買いをするキャリートレードが進行。アジア、中東などの投資家も資金の一部を振り向けるなど、徐々に豪ドル投資の裾野が拡大してきたのである。
By Master K/益田 慶
FXライフ 3 ドルの歴史と世界のドル ドル(dollar)
USドルの歴史を短くまとめておこう。世界各国で用いられている通貨の呼称「ドル(dollar)」の語源は、16世紀~18世紀に現在のドイツやオーストリアを中心に流通した上質の銀貨「ターレルThaler」とされている。この銀貨のことを単に「ターラー(当初はThaler、のちにTaler)」と呼んだ。このターラーがやがてダラー(Daler)と呼ばれるようになったという説が一般的だ。
たとえば18世紀、スペインはメキシコやペルーで優良な銀山を発見し、大量の銀貨を発行した。母国では「8レアル(Real)」銀貨と呼ばれるものを、諸外国は「スペイン・ドル(Spanish Daler)」や「メキシコ・ドル」と呼び、アジアではこのメキシコ・ドルが貿易通貨として広く利用されていた。では、イギリスとフランスの植民地であった頃のアメリカの通貨の単位は何だったのだろうか? ポンド(Pound)である。ポンドは重さの単位でもあるが、本来は1ポンドの重さの銀に相当する価値を表していたのである。
アメリカ合衆国の建国は1787年に建国だが、米国ドルが誕生したのは6年後の1793年である。その後、イギリス(1816年)、ドイツ(1871年)に続き、1873年に米国、1876年にフランスが、金銀複本位制や銀本位制などから金本位制へと移行した。この時点ではまだイギリスのポンドが基軸通貨であった。
第一次世界大戦で欧州各国の経済が弱体化したのに反して、アメリカは戦争特需で経済が急成長したため、基軸通貨が機能面で英ポンドから米ドルへ移った。第二次世界大戦後、新秩序の取り決めのひとつとして、国際通貨体制の枠組みを話し合う「ブレントンウッズ会議」が開催され、主要通貨の固定レートが定められた。アメリカがIMF体制の下で各国中央銀行に対して米ドルの金兌換を約束したことや、アメリカの経済力を背景に米ドルが名実ともに基軸通貨となった。ちなみに、固定レートにより、日本円は1949年4月から1ドル=360円に決められ、この時代は20年以上続くことになる。
ところで、世界各国で流通している「ドル」と呼ばれる通貨の中で、USドル以外に著名なものとして、オーストラリア・ドル(AUD)、ニュージーランド・ドル(NZD)、カナダ・ドル(CAD)、シンガポール・ドル(SGD)、香港ドル((HKD)などが挙げられる。今回はシンガポール・ドルに着目してみよう。
100年以上もの間イギリスの植民地であったシンガポールは、東南アジアにあって英語を公用語とする稀有な国である。また、中国系、マレー人、インド人などから成る複合民族国家でもある。東南アジアの国際都市と位置づけることができるだろう。
シンガポールには「中央銀行」と呼ばれる機関はなく、シンガポール通貨金融庁(MAS:Monetary Authority of Singapore)が広範囲な通貨・金融政策、造幣業務を行っている。
シンガポ-ルドルの最大の特徴は、「バスケット方式」による管理型変動相場制であることだ。通貨バスケット制度とは、主要な貿易相手国・地域の通貨を各国・地域との貿易量で加重平均する制度。シンガポールの場合は、USドル、ユーロ、円などの「複合通貨のペッグ制」である。
通貨バスケットの構成通貨および構成比率については、MAS(通貨金融庁)が適宜見直しているが、詳細については公表されていない。また、経済規模が小さいシンガポールでは、通貨投機などによる為替の乱高下を避け、シンガポール・ドルの安定を図るため、外国通貨取引と自国通貨取引を完全に切り離す政策(シンガポール・ドルの非国際化政策)を実施している。
具体的には、非居住者に対する一定額以上の貸し出し(500万Sドル以上)に対するMASの事前承認取得義務、銀行業免許の種類によるシンガポール・ドル取扱業務への参入制限、国内資本市場から調達したシンガポール・ドルの国外使用制限などがある。
By Master K/益田 慶
FXライフ 2 ドルの歴史と世界のドル 基軸通貨
外国為替の世界で重要となるのが基軸通貨であることは言うまでもないだろう。国際間の貿易や資本取引の決済に多く用いられ、諸外国で対外準備資産として用意される通貨で、その時代にもっとも影響力が強い通貨が事実上の基軸通貨となる。
19世紀にはイギリスのポンドが、基軸通貨の地位にあった。逸早く産業革命を果たしたイギリスが「世界の工場」とも「世界の金融の中心地」とも呼ばれた頃の話である。しかし第2次大戦後は、その大きな経済力と政治力を背景に、米国ドルが基軸通貨の役割を担ってきた。
単に「ドル」と呼んだ場合、アメリカ合衆国ドル(USドル、米ドル)を指すことが多い。これはアメリカ合衆国ドルが石油取引など国際決済通貨として世界で最も多く利用されているためである。世界地図を見渡してみれば、USドルが国の通貨として扱われている国や地域が多いことに気づく。その地域は、グアム(アメリカ領)、北マリアナ諸島(アメリカ領)、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、東ティモール、パラオ、エクアドル、エルサルバドルなど、東南アジア、アフリカにまで及んでいる。ちなみに返還前の沖縄では、当然のことながらUSドルが通貨となっていた。わずか30数年前のことである。
実は「ドル」と呼ばれる通貨を使っている国はざっと数えただけで22もある。それだけ「ドル」が通貨の一般名詞として世界で使われているということだ。
(1)オーストラリア・ドル (2)バルバドス・ドル (3)バハマ・ドル (4)ベリーズ ・ドル (5)バミューダ・ドル (6)ブルネイ・ドル (7)カナダ ・ドル (8)カイマン諸島ドル (9)東カリブ・ドル (10)フィジー・ドル (11)ガイアナ・ドル
(12)香港ドル (13)ジャマイカ・ドル (14)リベリア・ドル (15)ナミビア・ドル(16)ニュージーランド・ドル (17)シンガポール・ドル (18)ソロモン諸島ドル(19)スリナム・ドル (20)ニュー台湾ドル (21)トリニダード・トバゴ・ドル、(22)ジンバブエ・ドル
ドル(ダラー)という名前は、ドイツで使われた歴史的通貨のターラー (Thaler) に由来すると言われている。ターラーは、16世紀にボヘミアで鋳造された銀貨の名前の短縮形で、品質の高さで知られた銀貨を指す。これが広く流通し、自国の通貨を「ドル」と呼ぶようになったのである。アメリカ合衆国の建国は1776年なので、USドル自体の歴史はまだ新しいと言える。
たとえば日本人に馴染みのある「香港ドル」(HKD)を見てみよう。現在、中国香港特別行政区の通貨だが、中国広東省の一部でも通用する。イギリスの植民地時代から中国に開かれた自由港として金融、流通の中心地であった香港は、通貨においても周囲の地域に大きな影響をもたらしてきたのである。マカオでは、当地の法定通貨であるマカオ・パタカの流通量を超え、香港ドルによる通貨代替が著しいという。マカオもまた中国の中の異国であることを証明する事象である。
香港では額面20ドル以上の紙幣は、香港上海銀行、スタンダードチャータード銀行(イギリス)、中国銀行(香港)の3行により発行されている。発行元の銀行によって図柄はまったく異なるが、それぞれの額面貨幣価値はもちろん同じだ。使用および流通において使い分ける必要はない。また、10ドル紙幣は上記の銀行による発行ではなく、香港特別行政区政府発行の法定紙幣のみ発行されている。つまり、通貨としては統一されているが、発行元が異なる紙幣がいくつも流通しているのである。
1983年以降、USドルに対するペッグ制 (自国の通貨と、米ドルなど特定の通貨との為替レートを一定に保つ制度) を施行しており、発券銀行が香港ドルを発券する際には相応の額のUSドルを預託する必要がある。しかし現在もペッグ制ではあるものの、2005年5月18日より目標相場圏制度が導入されたことにより、1USドル=7.75~7.85HKDの間の変動が認められている。やはりここでもUSドルの強い影響を受けていることがわかる。中国の一部とはいえ、香港はドルの国。必然的に金融に対する基本的な考え方もグローバルであると言えるだろう。
By Master K/益田 慶
FXライフ 1 はじめに
外国為替市場は、異なる二つの通貨を売買することから各国の通貨の価値と切っても切れない関係にある。そして各国の通貨の価値は、その国の政治・経済の状況、他国との関係を反映していることは言うまでもない。つまり、FX投資家は自ずと世界各国の政治・経済のニュースに敏感にならざるを得ないのである。
最もわかりやすい例を挙げるなら、内戦や政情不安などにより経済が不安定な国では通貨価値の変動が大きくなる。するとその国の隣国にも何らかの影響を及ぼす。大量の移民が生まれ、隣国に流れていけば、隣国にもまた政治・経済面で大きな変化をもたらすだろう。
確かにその国のGDPや物価指数、貿易の状況(黒字、赤字)などのデータを読めば、国勢と通貨の強さ・弱さの関係はおおよそ見えてくるだろう。そういった情報を分析し、FX投資家は今後のFX市場がどう動くのかを常に予測している。
しかし各国の通貨を扱う投資家は、表面的なわかりやすい事象、データばかりに目を奪われるのでなく、その国の深層部にあることにも目を向け、隣国との関係、主な輸出国・輸入国はもとより、民族構成や宗教、歴史的背景など多角的に分析したうえで投資に挑まないと、失敗を繰り返すことになりかねない。
たとえばある国では国民の所得水準は高いが、同様に物価も高い可能性もある。所得だけを比べて「隣国より経済が安定している」と捉えるのは早とちりとなる。所得と物価の両方を見て、隣国と比較しなければいけない。
またある国では昨年度の国民の所得は低いが、近年化石燃料の発掘が進んでおり、その開発の資本は特定の国から提供されているとしよう。その資本を提供している国は国内に化石燃料は埋蔵されておらず、石油やガスは輸入に頼っているという事実を分析したうえで、どちらの国の通貨が今後価値を上げるのかを熟考し、投資することが賢明だ。
あるいは、各国に流れている連続した歴史をチェックしておくことで、その国特有の「経済の法則」や「衰退と発展の法則」が見えてきて、突発的に思える事象も必然であることを発見できるだろう。
今回からスタートする本コラムは、FX投資家にとって必要な「世界地理の読み方」を紹介するものである。それは地理的側面を伝えるだけでなく、情報収集のあり方やニュースの見方・活用の仕方を知らせるものだ。また独自の分析的な視点を養ってもらうものであり、各国が向かっている「その先」を読むための論理的な思考を鍛えてもらうための道しるべと言えよう。
コラムのポイントをまとめるなら、下記の項目が挙げられる。
●所得や物価、金利などの経済統計や政治・経済ニュースの読み方
●エネルギー資源の有無など産業構造や輸入・輸出面、資本取引からの考察
●その国と他国との関係性から読み解く両国の将来性
●各国特有の地理的条件、歴史的背景などからアプローチする概況
世界の通貨といえば、ドルとユーロが自ずとメインになってくるが、アメリカとEU諸国だけに着目するのではなく、並行してマイナー通貨が流通している国の概況も紹介していく。マイナー通貨を使っている国々は、おおむね隣国の強い通貨の影響を受けているからだ。こうして多角的に、そして論理的に各国の概況を見たうえで、一般化されていない情報を自身で収集し、文脈をつくり、投資のアイディアに結びつく何かを発見することはできるはずだ。
それでも、すべての国、すべての通貨をウォッチングし続けることは容易ではない。そこで、気になる国や通貨を絞込み、投資に適した情報を集中して収集するのもひとつの手である。コラムを通じて気になる国や通貨を見つけたなら、それが投資へのスタートラインだ。このコラムが皆さんの投資ライフに役立つことを祈ります。
By Master K/益田 慶