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ヨーロッパの財閥と企業グループ 74 エネルギー資源をめぐる攻防(12)

先週のコラムで、フランス最大のエネルギー・環境会社SUEZ(スエズ) とフランス国営会社フランスガス公社GDFとの合併のニュースをお知らせしましたが、同じくフランスの電力最大手、フランス電力公社EDFは電力自由化の進む他国の電力会社の株式を積極的に買収し、ドイツ、中国、ベトナム、アメリカ、南米、アフリカなど世界の電力会社を傘下に置く多国籍企業となることで基盤を安定させてきました。


同社はユーロネクスト・パリの上場企業で、CAC40の採用銘柄(フランスの代表的な株価指数で、パリ市場に上場されている銘柄の中から、時価総額や出来高が大きく、代表的業種に属する40銘柄を選出して作成)となっています。


一方、イタリア最大の電力会社であるイタリア電力公社ENEL(エネル)は、1999年に再編され、民営化されました。この際に欧州連合の基準に合わせるために事業を分轄し、多くの発電所を手放しましたが、一方で各国の電力会社を買収し、多国籍企業へと成長しました。フランスからは原子力発電所の電力を輸入しているほか、フランスやスロバキアの新たな原子力発電所建設開発などに投資することで、将来の電力供給を確実にしてきました。イタリア政府が主な株主で、ミラノ証券取引所および二ューヨーク証券取引所に上場しています。


そのエネルは、スペイン最大の電力会社エンデサの買収を進めてきました。2007年7月、エネルとスペインの建設大手アクショナの共同買収提案に条件つきで同意しました。両社はすでにエンデサ株の46%を保有しています。


エンデサはスペイン最大の電力会社であり、ガス・水道事業も行っています。IBEX35指数 (最も流動性の高い 35 銘柄で構成されるスペイン連続時間市場の指標株価指数)のひとつに選ばれ、マドリード証券取引所および二ューヨーク証券取引所に上場しています。


原子力・火力・水力の各発電によりスペイン国内で1000万人以上に電力を供給しているほか、イタリア、フランス、ポルトガルなど欧州、チリ、アルゼンチン、コロンビア、ペルー、ブラジルなど南米でも電力事業を展開する多国籍企業です。


2004年には、フランスの電力会社SNETを買収しています。巨大グループに成長したエンデサですが、2006年にはスペイン最大のガス会社ガスナチュラル、ドイツのエーオンに相次いで敵対的買収を仕掛けられました。


この際に欧州委員会は、スペイン政府がエーオンの買収を妨害したとして同政府を欧州司法裁判所に提訴する事件にまで発展。最終的にエネルとアクシオナが7兆円でエンデサを買収することになりましたが、一部の幹部はドイツのエーオンの傘下に入ることを望んでいたという情報も入っています。


そのエーオンに次ぐドイツ第2位の電力会社RWE AGは、国外では中欧、イギリスのイノジー、アメリカのアメリカン・ウォーター・ワークス、チェコのトランスガスなど電力・ガス・水道会社の大型買収を進め、世界有数の公益企業となっています。


ドイツ株価指数(DAX)の30銘柄のひとつに選ばれ、フランクフルト証券取引所に上場しています。ドイツでは1998年の電力自由化によって、当時8つあった電力会社は以下の4つのグループに再編成されました。

(1)エーオン (2)RWE AG  (3)スウェーデン公営電力会社グループ企業バッテンフォール・ヨーロッパ  (4)フランス電力公社EDF傘下のEnBW。


そのドイツでシェアを確保したスウェーデンの大手電力会社バッテンフォールも1996年の電力自由化以降、同社は送電線によって結ばれた北欧諸国を中心に地盤を固め、フィンランド、デンマーク、ポーランドなど欧州各国に買収の手を伸ばし、各国に火力・原子力発電所を保有する欧州有数の多国籍企業に成長しました。


このように欧州における電力の自由化は、欧州に巨大な多国籍企業グループを出現させる要因となったのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 73 エネルギー資源をめぐる攻防(11)

欧州連合が1987年の構想以来進めてきた電力の自由化により、エネルギー産業界の企業統合が加速しました。今年9月には、フランスの国営企業「フランスガス公社」(GDF)と、大手エネルギー・環境企業のスエズとの合併が発表されました。これによって時価総額約909億ユーロ(約14兆3622億円)の世界第3位(世界1位ガスプロム、2位エーオン)の巨大なエネルギー会社が誕生します。現在の欧州エネルギー産業の売上ベスト7は、以下の通りです。


1位 ドイツ最大のエネルギー企業グループE.ON(エーオン)
2位 フランス最大の電力会社 フランス電力公社EDF 
3位 フランス最大のエネルギー・環境会社SUEZ(スエズ)
4位 イタリア最大の電力会社 イタリア電力公社ENEL(エネル)
5位 ドイツ第2位の電力会社 ライン・ヴェストファーレン電力会社RWE AG
6位 フランス国営会社のフランスガス公社GDF
7位 スペイン最大の電力会社 エンデサ


(注意:上記順位は出典データによって異なり、1位EDF、2位エーオン、3位スエズとするデータや、1位エーオン、2位エネル、3位EDFとするデータがある。これはグループ売上とエネルギー事業単独売上という計算の仕方の差異だと思われる)


G7先進国からドイツ、フランス、イタリア、スペインの4国がランクインしているのは順当でしょう。興味深いのは、これら上位7社が互いにM&Aを仕掛けてきたことです。


フランスガス公社(GDF)とスエズが合併して誕生する新会社GDFスエズは、合併後も国が株主総会などで提案を阻止できる最低線の33%の株を保有します。社長にはスエズのメトラレ社長が就任する予定で、合併は2008年初頭とのこと。フランス政府は現在GDF株の80%を所有しており、スエズとエネル(イタリア)との合併を妨げるためにGDFに対して独自の合併活動を働きかけたようです。両社の合併計画は2006年2月、エネルによるスエズ買収を阻止するために、当時のドビルパン首相が、国外からの敵対的買収への防衛策として主導しました。国が敵対的買収の防衛策を企てるほどの大事件だったのです。


しかし、合併を前提にしたGDFの民営化で人員整理などを恐れた労組の野党の強い反対に加え、欧州委員会からの競争問題への抵触の指摘などがあり停滞していました。一方、スエズを買収しようとしたエネルは、エンデサ(スペイン)の買収を進めているほか、スロベニア、ギリシャ、フランス、ベルギー、トルコ、ブルガリアなど欧州各国の電力会社を所有及び協力し、発電所を運営しています。


さて、フランスの週刊誌によると、サルコジ大統領はGDFとスエズの合併条件として、スエズに環境部門(水道・廃棄物処理事業)の大半を切り離し、エネルギー事業に注力するよう要請したものの、メトラレ社長がそれに抵抗したため、交渉が土壇場まで難航していたようです。


最終的には、スエズは水道・廃棄物処理事業の約65%(アナリストによる推定価値は180億―200億ユーロ)をスピンオフし、規模の小さいGDFとの対等合併が政治的に認められる規模に事業を縮小するようです。スエズの環境事業をスピンオフ(分離・独立)する前の両社の時価総額は、合わせて900億ユーロ(1230億米ドル)。新企業の年間収入は720億ドル、全体の労働者は約20万人となる見込みです。


ほかには2005年にフランス電力公社(EDF)によるイタリアの電力大手エディソンの買収が行われるなど、欧州エネルギー企業は激しい攻防を続けてきました。これらの一連の動きは各企業や国の戦略に基づいた、独立した動きのように見えますが、欧州連合による電力の自由化が引き金になっていることだけは確かです。資源の枯渇と価格の高騰、温暖化の要因などの観点から欧州で進められてきた「脱石油」政策の結果、現在は電力とガス部門の企業統合が急速に進みつつあり、大手の統合はいっそう加速すると予想されます。それは世界的な規模の、新たな多国籍企業クループの誕生を示唆しています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 72 エネルギー資源をめぐる攻防(10)

世界的な経済情勢の変化に伴い、石油をはじめとする資源価格が急騰しているのは周知の事実です。欧州のエネルギー資源をめぐる攻防も熾烈さを増し、石油のみならず電力業界も弱肉強食の世界になっています。9月半ば、ドイツ最大のエネルギー企業グループ「エーオン」がロシアの電力会社「OGK-4」の株式69%を落札したというニュースが飛び込んできました。応札提示額は約40億ドル(約4614億円)。ロシアのイタル・タス通信によると、同国の電力独占企業「統一エネルギーシステム」(USE)のアナトリー・チュバイス最高経営責任者はエーオンの落札について「ロシア電力部門の歴史上最大の投資案件だ」と語ったとのことです。エーオンはOGK-4の株式を取得するため、キロワット当たりの発電能力に対して753ドルを提示したことになります。


OGK-4はロシアにある発電会社6社のうちのひとつで、これら6社は、統一エネルギーシステムの電力部門独占を解消するため、同部門の広範な改革の一環として設立された会社です。同社はロシアに5つの発電所を所有し、既存設備の総発電能力の約3.9%を占めています。そのOGK-4を傘下に収めるということは、エーオン社がロシアに進出したということではなく、その反対に欧州各国にロシアで生産された電力を供給するひとつのルートを握ったということです。


ちょうど同じ頃、EUの行政執行機関である欧州委員会が、ヨーロッパのエネルギー市場に参入する外国企業に課す厳しい規制案を発表しました。この規制案には二つの意味があります。ひとつは地球温暖化の防止策としてEUが世界を新たな産業革命、すなわち低炭素経済へと先導しようという宣言です。アメリカのグローバリズムに対抗し、EUが独自にクリーンで効率的なエネルギーミックスの利用を促進しようという目論みがあるように見えます。


エネルギー生産やエネルギー消費による温室効果ガスの排出に歯止めが利かない状態が続いています。このような国際的状況下で、EUの石油・ガスの輸入依存度は増加傾向を示しています。将来的にエネルギーを安定的に供給することは、日本同様、EUでも現在緊急の課題となっているのです。そこで、欧州委員会は2006年春、中期的なエネルギー政策の策定に向けて、グリーンペーパーを作成しました。これは欧州委員会が作成する、EUにおいて規定が制定されていない特定の分野に焦点をあてた文書のことです。


2030年には、EU域内で必要なエネルギーのなんと70%以上を輸入に依存するようになると予測されていることから、このグリーンペーパーでは、消費者の意識や生活スタイルを変え、さらには新たな技術を開発することにより、2020年までにエネルギー消費を20%削減することを第一の目標にしています。消費者意識の改革としては、省エネタイプの家電に買い換えるよう呼びかけるなど、積極的にキャンペーンを展開していく計画です。


歴史的に見れば「エネルギー政策」は、「石炭鉄鋼共同体」や「原子力共同体」の設立という、これまでの欧州統合の中核をなすものでした。それが近年では、電気・ガス、および再生可能エネルギーの単一市場の形成など、ひとつの「共通エネルギー政策」を確立するという方向に向かって、新たな展開を見せてきました。これは「成長を促し、雇用を促進する」という二つの基本的な目標を達成し、競争力を強化することにつながるものとされています。


規制案のもうひとつの意味は、業界再編成を経た欧州の有力エネルギー企業グループの保護にあるように読み取れます。電力の自由化、原発開発の停止によってエネルギー企業の再編成を進めてきたEUは、もはや一国だけでエネルギーの供給と需要が成立することはありません。電力やガスを供給する国があり、それを売買する企業があり、エネルギーを買わざるを得ない国があるということです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 71 エネルギー資源をめぐる攻防(9)

国際エネルギー機関(IEA)の報告書によれば、旧ソ連邦時代からの主力ガス田の生産は過去5年間に約15%減少したとのことです。2001年に生産を始めた西シベリアのガス田の増産が減少分を埋めてきましたが、ここも2005年にピークを打ち、他のガス田開発のメドは立っていません。


近年話題になっている世界最大級のガス田に、北極海の一部であるバレンツ海・シュトクマンがあります。世界最大のガス企業「ガスプロム」が乗り出したこのガス田開発は、初期投資だけで200億ドルという巨大事業です。「技術的にも資本的にも米欧メジャーの支援なくして開発は不可能」と言われており、ガスプロムの事業独占と外資からの埋蔵量に見合う権益交換の提案を求める数年に亘る交渉は、条件が折り合わず交渉は打ち切られました。


それが今年の7月に新たな進展を見せたのです。ガスプロムがシュトクマンのガス田開発にフランスの石油大手「トタル」を参入させることで合意したというのです。資源分野で外資排除を進めるロシアですが、開発が困難な現場については外国の技術と資金を投入させようという目論見があるのでしょう。「流氷下の水深350メートルにある同ガス田の開発を独力で行う技術力はない」と指摘する専門家もいます。

ガスプロムによると、トタルは同ガス田の「初期段階の開発」を担当する事業会社の株式25%を獲得したようです。ただし、ガス田の開発権益を有する中核事業会社の株式100%は、「ガスプロム」が維持することには変わりありません。


プーチン政権は2004年、石油大手ユコスを解体したのを皮切りに、石油・天然ガス分野の国家管理を急速に進めてきました。2006年には、「ロイヤル・ダッチ・シェル」が主導していた極東のガス田「サハリン2」の経営権を「環境破壊」を口実に奪取、今年に入っても英BP社が進めていた東シベリアのコビクタ・ガス田の経営権を譲渡させました。


それでも、外資側のロシアへの参入意欲は衰えず、このほどシェルはロシア国営の石油大手「ロスネフチ」との間で、BP社は「ガスプロム」との間で、それぞれ将来の資源開発に関する「協力協定」を締結しました。世界的にも、石油・天然ガスの有望埋蔵地が政治的に不安定な国・地域に分布しているためと見られています。そのひとつが北極海なのです。地球温暖化によって北極海の氷山が解けつつあることで、船が運行できるメドが立ち、開発が急遽進められているのです。

シュトクマンのガス埋蔵量は約3兆立方メートル以上とされ、世界のガス需要を丸1年満たすことができる規模です。ガスプロムは2013年にパイプライン、2014年に液化天然ガス(LNG)での出荷を開始したいと計画しています。


ガスプロムは、世界の確認ガス埋蔵量の約17%を持ち、売り上げ規模500億ドル、主要ガス田と供給網を独占する巨大企業グループへと成長しました。2000年以降、ガスプロムは本業以外の不動産やテレビ局「NTV」をはじめ、新聞、雑誌などメデア事業などへ300億ドル超を投資、ガス生産関連向けは125億ドルと半分以下に留まっています。これは政権の意向によるメデイア支配、短期利益志向の投資優先と見られています。


この独占企業の非効率性と外資の投資を阻止する体質によって、需要の拡大にもかかわらず、肝心のガス生産量はこの数年ほぼ横ばいで推移していることもあって、ロシア政府は北極海の開発を急いでいたのでしょう。しかし現状では、中央アジアからの輸入拡大は避けられない状態にあります。


また電力事情も政府系統一エネルギーシステムが独占しているものの、国内需要と輸出契約に対する供給が追いつかなくなり、ロシアは今年から電力の純輸入国に転落すると予測されています。一見エネルギー大国に映っているロシアですが、実は需要と供給のバランスが崩れ始めているようなのです。こうした現実と政治・経済・地政的状況からどのような展開になって行くのか、欧州とロシア・中央アジアの動向が注目されます。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 70 エネルギー資源をめぐる攻防(8)

ロシア最大の企業グループ「ガスプロム」が計画している、ブルガリア、セルビア、クロアチアを通過してトルコとハンガリーを結ぶ天然ガスパイプライン「ブルー・ストリームII」。そしてブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを通過し、トルコとオーストリアを結ぶ「ナブッコ天然ガスパイプライン」。両者は、トルコから中央ヨーロッパを通過し、コーカサスから西側諸国へ天然ガスを輸送するという点において競合するプロジェクトです。双方ともトルコと中央ヨーロッパをつなぎ、コーカサスの天然ガスを西側へ輸送するものです。


ロシアとEUの両方からパイプライン建設の参加を呼びかけられたブルガリアは、すでに「ナブッコ」建設のために設立されたコンソーシアムに参加することを示唆しているものの、ハンガリー同様、政府はロシアとの交渉も続けており、EUの不信を買っているのも事実です。ブルガリアのロウメン・オヴチャロフ経済/エネルギー担当大臣は、「我々は皆、ガスプロムとロシアの悪口を行っているが、それでもドイツ、オーストリア同様、フランスもロシアとの天然ガス供給30年契約に調印した」と語ります。
ロシアとのエネルギー取引は仕方ないという立場を示すのはブルガリアだけではありません。EUの強硬交渉にもかかわらず、EU加盟諸国の多くは「ガスプロム」との個別交渉を継続しています。ダブルスタンダードが成立しているのです。


EUは現在、エネルギーのロシア依存を減らし、供給源の多様化を目指しています。EUでは、ガス需要の3分の1をロシアに依存。中でも中東欧諸国は、バルト三国、スロバキア100%を筆頭に、ポーランド87%(91億立方メートル)、ハンガリー85%(110億)、チエコ73%(98億)、ドイツ41%(918億)、イタリア34%(614億)、フランス31%(371億)などロシア産の依存度が極めて高いのです。EUの中で対ロシア貿易では、ドイツが238.7億ドル(2004年)と断トツでトップ。イタリア152.9億ドル、英国77.1億ドル、フランス75.0億ドルと突出しています。米国は97.9億ドル、日本73.6億ドル、カナダ8.3億ドルとG7各国の中でも飛びぬけています。ドイツのシュレーダー前首相は、エネルギー分野を中心にロシアを欧州の経済につなぎ止めて置くことがロシアの近代化を促すと考えたようですが、反ロシア感情の激しいポーランド、バルト三国などはドイツの対ロ接近に不信感を抱いています。しかし、同時に欧州は、エネルギーと経済・金融についてロシアを組み込んでいかざるを得ないのも事実なのです。


それでは、ロシアと中央アジアの天然ガスの需供と輸出に目を向けてみましょう。ロシアの天然ガス需給は、生産6450億立方メートル。同時に中央アジアのカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンから550億立方メートルを輸入しています。国内需要・貯蔵は4500億立方メートルで、2500億立方メートルを欧州と旧ソ連邦へ輸出しています。中央アジア三カ国は、ロシア側に対して、現行価格より4~5割高い1000立方メートル当たり100ドル以上の輸出価格を提示しているといわれています。ロシア輸出量の約2割はこの中央アジアからの輸入に依存していますが、各国ともロシアのパイプラインに頼っているためにロシアに価格決定権を握られていました。


実はロシア既存の国内ガス田は生産頭打ちの状況で、今後中央アジア産のガスへの依存が高まることが予想されています。ロシアから欧州への輸出の8割がウクライナ経由で、ロシア産と割安な中央アジア産混合でコストを下げ、1000立方メートル当たり95ドルで5年間供給する契約が今年の年頭に締結されました。 中央アジア産の価格上昇に伴って、「ガスプロム」は年末までに160ドルに値上げする意向を示し、ウクライナに圧力をかけ始めたのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 69 エネルギー資源をめぐる攻防(7)

2007年3月、ロシア、イギリス、ギリシャの三カ国が調印したパイプライン建設、すなわちロシア・ノボロシスクからブルガリアとギリシャの領土を通る「ブルガス-アレキサンドロポリス石油パイプライン」の建設が完成すれば、ギリシャおよびブルガリアは欧州のエネルギー・ハブとなりますが、ブルガリア国民は「ロシア・エネルギーへの大幅依存に懸念を抱いている」と言われています。ブルガリアは天然ガスの95パーセント強をロシアに依存しており、2006年にロシアの一時的供給削減の結果、価格の45パーセント増を飲まざるを得なかった経緯があるのです。

過密化するボスポラス海峡へ石油を輸送するための代替ルートを提供する同プロジェクトは、ロシアの諸企業が51パーセントを所有することになります。実はロシアは、採算性に自信が持てないと主張して、自国企業が同プロジェクトの51パーセントを取得するまで14年間調印を避けてきたのです。完成の暁には、毎年3500-5000万トンのカスピ海およびロシア石油が、欧州、米国、アジアでの販売のため輸送されることになります。

プーチン大統領はアテネで「同パイプラインは世界のエネルギー安全を高めるもので、建設はできるだけ早期に開始する。世界市場は、カスピ海地方からの輸送増加が望めることから、同プロジェクトに関心を寄せている」と語りました。また、ギリシャのディミトリス・シオウファス開発担当大臣は、「同プロジェクトの重要性は、ギリシャおよびギリシャ国民、ブルガリアおよびブルガリア国民すべてにとって明らかである。ギリシャおよびブルガリアは、同パイプラインの建設、オペレーションによりグローバル・エネルギー地図の重要地点となる」と述べています。

しかし、ブルガリアのコズロドゥイ原子力プラントの元エンジニア、ペタール・アポストロフは「ブルガリア国民は、昨年の冬にロシアの脅威に曝された西ヨーロッパと同じ境遇に置かれるのではないかと、ロシア・エネルギーへの大幅依存に懸念を抱いている」と語ったようです。アポストロフは、ブルガリアの現政府はクレムリン寄りで、ロシア連邦企業と安易にエネルギー契約を結んでしまうと考えているのです。

事実、ロシアは天然ガスの供給に関してブルガリアを支配しています。ブルガリアはロシア企業の「隠れ家」であるだけでなく、東西を繋ぐロシアのエネルギー・インフラ建設プロジェクトの理想的パートナーとなる地理的要件を備えているのです。

ロシア最大の企業グループ「ガスプロム」は、「ブルガス-アレキサンドロポリス石油パイプライン」に加え、同様の天然ガスパイプライン「ブルー・ストリームII」にもブルガリアを加えたい意向を示しています。この計画はブルガリア、セルビア、クロアチアを通過してトルコとハンガリーを結ぶものです。オランダ系企業が「ガスプロム」とイタリアの企業と共同して建設しようとしているラインです。
しかし、ブルガリアを口説いているのはロシアばかりではなく、EUもブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを通過し、トルコとオーストリアを結ぶガスパイプライン「ナブッコ天然ガスパイプライン」建設のためブルガリアを必要としているのです。

オーストリアは天然ガスの60パーセントをロシアに頼っています。ロシアからのガス依存を打開しようと、オーストリア最大のガスと石油企業OMVが中心となり、「ナブッコ天然ガスパイプライン」の建設計画を進めているのです。オーストリア有数のゼネコンを、ロシアの新興財閥ロシア・アルミニウムのデリパスカが買収したばかりなので、オーストリア企業に反ロシアの傾向が強いのかもしれません。OMVにとっては「ガスプロム」などロシアのエネルギー企業の進出を防ぐ意味もあるでしょう。

オーストリア最大のエネルギー起業OMVは今春、イラン国営石油会社と天然ガス開発に関する仮契約に署名しています。年間220万トンの液化天然ガスを欧州向けに供給するほか、ペルシャ湾岸の大規模ガス田の開発にも資本参加するとのことです。この仮契約に不満を示したのが米政府です。本来、米企業が結びたかった契約をOMVが先に結んだからです。しかし天然ガスの供給をロシアに依存するオーストリアにとっては、イランの天然ガスがどうしても必要なのです。イランの天然ガスは、2011年に完成予定のクロアチアKRK島の天然ガスターミナルへ船で輸送されるとのことです。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 68 エネルギー資源をめぐる攻防(6)

トルコの輸出港ジェイハンは、イラク産出の石油の積み出しルートとして最も近道です。イラクの巨大油田はペルシャ湾から積み出していますが、トルコ経由で地中海へ搬出した方が遥かに経済的にも政治的にも安定性が高いのです。欧州最大の石油輸出ターミナルを目指すトルコはもちろんのこと、イラク政府に「石油ガス枠組法」と呼ばれる新法案を提案したアメリカもイランの石油をアテにして政治の舵取りを進めてきました。


イラクの油田は1972年、当時副大統領だったサダム・フセインが中心になって国有化し、それまで石油利権を握っていた欧米石油会社を追い出した経緯があります。米国と英国はこの利権を奪回するためにイラクに進出したと見られるのも仕方ありません。


イラクの原油生産量は、2016年には現在の4倍前後の日量900万バレルに達するとして、イラクの潜在的石油産出能力が世界中から期待されています。米軍を主力とする多国籍軍が駐留を継続する中、米国と英国がイラクの正常化を目指す理由は、石油利権獲得を目指す米欧メジャーがイラク中央政府との大型契約を狙っているからだという見方もされているほどです。


一方、世界の中堅石油会社は、中小油田が多いクルド自治区政府との契約を進めています。イラク北部のクルド自治区は大部分が山岳地帯で、確認埋蔵量は36億バレル、イラク全土の3%を占めるものの、油田開発はほとんど進んでいません。クルド自治区政府は、埋蔵量450億バレルの可能性があると宣伝し、外国資本の参入を呼びかけています。


新法案「石油ガス枠組法」は、昨年夏からアメリカの助言に沿ってイラク政府内で検討され、今年1月の閣議で法案として決定され、その後は5月の決議を目標に議会で審議が進んでいましたが、シーア派、スンニー派の強硬な反対を受けて、審議は暗礁に乗り上げています。法案は、今後イラクで行われる新しい油田・ガス田の開発について、外国からの投資を受け入れるとともに、石油やガスの販売によって得た利益を、外資の石油会社、イラクの中央政府、地方政府(クルド自治政府など)が山分けすることを定めています。新法が成立すると、米英などの外国資本と地方政府、特に親米・親イスラエルのクルド人政府に石油の利権が分配されます。


しかし「新法によってイラクの石油開発が進む可能性は低い」とする識者は少なくありません。逆にイラク国内のクルド人、シーア派などの間の石油利権をめぐる争奪戦を激化させ、イラクの政情の不安定化に貢献する恐れの方が大きいと見ています。石油ガス産業は、油井施設、長いパイプライン、精油所、積出港など、軍事攻撃に弱い施設を多く抱える産業で、操業には地域の長期的な政情安定が不可欠。イラクの政情が今のように不安定である限り、イラクで新しい油田やガス田が開発される見通しは低いと見積もっているのです。トルコ政府が、カスピ海からつながる「BTCパイプライン」に目をつけたのは、イラクの再興に疑問を抱いているからに相違ありません。特にクルド民族の分離独立運動が自国へ及ぼす事態を危惧しており、「イラク中央政府が認めない外資契約に基づく石油の輸出には協力しない」姿勢を示しているようです。


一方、ロシアは本年3月、ブルガリアとギリシャの領土を通るパイプラインの建設を発表しました。「ブルガス-アレキサンドロポリス石油パイプライン」です。完成の暁には、欧州、米国、アジアに向けて毎年3500~5000万トンの石油がカスピ海およびロシアから輸送されることになります。新計画では、黒海沿岸のノボロシスクからタンカーで運ばれた石油はブルガリアのブルガスカ港からパイプラインでギリシャのアレキサンドロポリスへ送られ、そこで再びタンカーに積まれ、地中海へ向かうのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 67 エネルギー資源をめぐる攻防(5)

2006年7月にトルコの港町ジェイハンで開かれた「BTCパイプライン」の完成記念式典で、トルコのセゼル大統領は「エネルギー・ハブ」としての重要性を指摘し、同じくトルコのエルドアン首相は「資源を東から西へ運ぶ21世紀のシルクロード」と述べました。イラクで4番目の大きさを誇るキルクーク油田からのパイプラインが再開すれば、ジェイハンには2010年に年間約2億トンの石油が集まり、欧州最大の石油輸出ターミナルとなることが予想されています。そしてトルコは欧州連合加盟問題などで外交発言力を拡大することでしょう。


内陸の湖であるカスピ海周辺で採出された石油を大市場である欧米やアジアへ運ぶために、1990年代初めから運搬ルートとしてパイプラインの建設が進められてきました。ルートは大きく分けて次の3つがあります。(1)既存のロシア主導のルート (2)欧米主導のカザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンがロシアと対抗できるようにするルート(BTCパイプライン) (3)東からアクセスする中国ルート。


2001年末にロシアルートのひとつ、カザフスタンのテンギス油田からロシアの黒海沿岸のノボロシスクを結ぶ「CPC」(カスピアン・パイプライン・コンソーシアム:ロシア、カザフスタン、オマーン3カ国設立)ルートが完成しました。一方、アゼルバイジャンは、カスピ海バクーからロシア経由黒海沿岸のノボロシスク港に至るパイプラインとともに、ロシアを経由しないでグルジア経由でトルコのジェイハンに至る「BTCパイプライン」を通じても原油を輸出しています。


迂回路をつくられたロシアにとって「BTCパイプライン」の完成はおもしろくない事態です。ロシアは親欧米姿勢を強めるグルジアに接近しようとするアゼルバイジャンへのガスと電力の供給を2007年から6~8割削減すると脅しをかけてきました。これへの対抗措置としてアゼルバイジャンのアリエフ大統領は、2006年12月、ロシア経由の原油輸出に日量5万バレルを削減すると表明、完全停止の可能性も示して対抗してきました。


ロシアは関係悪化するグルジアに対して2007年から現行の2倍強のガス価格1000立方メートル当たり235ドルを受け入れなければ供給を停止すると通告、グルジア側はアゼルバイジャンとガスと電力供給で相互協力すべく交渉に入り、天然ガスを毎月100万立方メートル、価格1000立方メートル当たり120ドルで緊急輸入しました。しかし必要量全量の確保は難しく、ロシアの圧力を受け入れざるを得ない様相です。


一方、バクー油田からはグルジアの黒海沿岸のスプサを結ぶパイプラインが1999年に完成しています。ここにトルコが深く関与してきます。黒海からタンカーが地中海へ抜けるには、トルコ・イスタンブール市の真ん中を通る巨大な川のような海峡、約30キロの長さのボスポラス海峡を通過しなければなりません。海峡は狭い場所で幅700メートル。船舶は最大80度の角度で12回も方向転換を繰り返さなければならず、冬場は深い霧がかかり、大型船舶には危険極まりない地帯です。


年間5万隻の船舶通行に対して、トルコ政府はタンカー事故による原油流出、環境破壊により1200万人市民に被害が及ぶ事態を恐れ、長さ200メートル以上の大型タンカーの夜間通行禁止と1日当たりのタンカー通行量を制限しました。このため巨大なタンカーが何日も停泊順番待ちの状態が続いたのです。
「BTCパイプライン」の建設は、アゼルバイジャンにとってはロシアを経由しない石油の輸出ルートを確保する目的で実行されましたが、トルコにとってはこの輸送ネックの解消と、イラク情勢の泥沼化によってイラク北部からトルコに向かうパイプラインが何度も攻撃され、イラクの油田全面再開がかなり先になるとの見通しがあったので、完成を急ぐ必要があったのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 66 エネルギー資源をめぐる攻防(4)

今週から数回に分けて、カピス海周辺のエネルギー資源をめぐるロシアと欧州、そして西アジア、アメリカをも巻き込んだ攻防を紹介していきます。

この地域はチェチェン紛争や、アルメニアとアゼルバイジャンの「ナゴルノ・カラバフ紛争」などの民族紛争が起こり、その陰で列強と巨大企業グループの利権争いが繰り広げられてきました。
カピス海にはサウジアラビアに匹敵する大きな油田地帯があります。最も有名な油田は、ダイナマイトの発明で名高いノーベル兄弟が開発したバクー油田です。油田のある都市バクーはアゼルバイジャン共和国の首都で、旧ソビエト連邦の国です。また、カピス海周辺には膨大な天然ガスの埋蔵量も確認されており、ソ連邦崩壊後、米国をはじめとする西欧諸国は、様々な形で資本を投入し、この地域における資源開発のプロジェクトを推進してきました。


この地域には資源開発そのものとは別に輸送ルート(パイプライン)の確保が重要な課題となっています。その背景には、旧ソ連邦であるこれら諸国(アゼルバイジャン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)を通る既存のパイプラインのほとんどすべてがロシアを経由するものとなっているため、パイプラインの使用に当たってロシアと交渉し、パイプライン使用料を支払い続けなくてはいけないからです。


そこで油田を持つカスピ海周辺諸国は、ロシアを経由しない輸送ルートの確立を目指してきました。アゼルバイジャンは、ロシア経由で黒海に出る石油パイプラインの他に、グルジア経由で黒海に出るルートを稼動させ、グルジア、トルコ経由で地中海に出るルートを検討してきました。また、トルクメニスタンは、イランを経由してトルコに至る天然ガスパイプライン及びアフガニスタンを経由してパキスタンに搬出する天然ガスパイプラインを計画中です。著しい経済成長を続けるカザフスタンは、中国とパイプライン敷設を含む油田開発契約を結ぶなど、ロシアを経由しない輸送ルートの確保を図っています。これら実現すれば、ロシアに依存しないで欧州やアジアにエネルギー資源の輸出が増大する可能性が出てきます。


ロシアを経由しない石油のパイプラインとして名高いのが「BTCパイプライン」です。2006年6月、カザフスタンが「BTCパイプライン」への原油供給契約に調印し、やっと稼動に結びつきました。かつてソ連の支配下にあった国からすれば大きな決断です。このパイプラインは、カスピ海対岸のアゼルバイジャンとトルコの地中海岸を結び、ロシア領を回避し、ロシアの影響を排除する目的で敷設されたものだからです。こうしてロシアはもとより、ペルシャ湾岸も経由せずに国際市場への直送が可能となったのです。
BTCパイプラインの「BTC」とは、起点であるアゼルバイジャンのバクー(B)、通過するグルジアのトビリシ(T)、終点トルコのジェイハン(C)の頭文字をとったものです。全長約1760キロ。2005年に供用を開始し、1日約100万バレル、総工費36億ドルで米国がルートの選定や建設を主導しました。


その石油開発事業と輸送事業は、日・米・欧が国際企業連合を形成し、国際メジャー石油会社BP社(英国)が主な運営主体を努めています。日本企業は伊藤忠商事が参加していますが、ロシアの石油企業、たとえば国営の「ロスネチフ」や新興財閥「ルクオイル」の名前はどこにも見当たりません。石油はアゼルバイジャン領にあるバクー沖合いのカスピ海底の鉱区「アゼリ・チラグ・グナシリ(ACG)」から供給。可採埋蔵量は54億バレルで、それはインドネシア1国分を超える量です。こうしてメジャーのBP社は、カピス海周辺の石油ルートの争奪戦において、ロイヤル・ダッチ・チェル(オランダ)やエクソンモービル(米)を寄せつけず勝利を収めたのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 65 エネルギー資源をめぐる攻防(3)

EUが進めてきたエネルギー市場の自由化にともない、欧州の電力会社、原発企業は、すさまじい数の買収、合併を展開しています。


海外資本の進出攻勢にさらされているのは、スウェーデンやドイツだけではありません。欧州で最も早く1990年から自由化された英国では、最大手のイノジー社がドイツのRWE社に、第2位のパワージェン社が同じくドイツのエーオン社によって買収。英国には米国やフランスからの資本進出もあり、今や主要電力会社の大半に海外資本が入っています。日本でたとえるなら、東京電力や関西電力が外資系企業になったようなものです。


欧州の電力業界は今、フランスのEDFを筆頭に、ドイツのエーオン社とRWE社、スウェーデンのバッテンフォール社、イタリア電力公社(ENEL)の5社が売り上げの上位を占めています。そしてこの5社の下に、各国の電力会社が再編されつつあります。つまり、新たな企業グループが構築されつつあるのです。


電力業界再編の背景にあるのが、欧州全域にクモの巣のように張り巡らされた送電線網と電力取引市場です。EUが単一通貨ユーロの登場によって金融市場が一体化されたように、電力も国境を越えて自由に取引される時代を迎えているのです。その動きを最も象徴しているのが、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークの北欧4カ国で設けている北欧電力取引所「ノルドプール」です。世界の電力取引所の「成功例」とされています。


ノルドプールは、1991年に自由化したノルウェー国内の電力取引所が発端となっています。他の3国が自由化と共に加わり、ノルウェー160社、スウェーデン65社、フィンランド30社、デンマーク20社をはじめ、ドイツ、英国、フランスなども含む計300社が参加し、電気を株式や為替のように売買しています。翌日の電力について入札するスポット市場や週、季節、年単位の先物市場などがあり、今や北欧4カ国の電力のうち、ノルドプールを通して売買される電力が20%を占めるまでになっているのです。ここで決定される価格はノルドプール外での相対取引価格の指標となるほか、ノルウェーでは小売価格に連動させることが認められているため、スポット価格の変動は大きな影響力を持っています。


北欧は国ごとに水力や原子力、火力などの電源構成が異なっており、相互に補完しやすい関係にあります。それがノルドプールでの取引を円滑にし、取引量を増やす一因になっているようです。各国間の長期契約に基づいた輸出・輸入も盛んで、その最大の拠点となっているのが、世界でも米国に次ぐ原発58基を保有するフランスです。


フランス電力公社(EDF)は80年代から、増えすぎた原発によって生み出される大量の余剰電力をさばくため、輸出契約を隣国のドイツやイタリア、スイスなどと結んでいます。欧州高圧送電線運営者連合によると、主にドイツ、イタリア、スイスに電力を輸出しています。


輸入側のスイスでは、フランスからの安い電気を使い、下のダムから上のダムに水をくみ上げて落下させて発電する揚水発電に利用。そこで生産した電気は、今度はイタリアへ再輸出しているといいます。
スイスからすれば「輸入した安い電気を高い価格で輸出し、差額が得られる」というしくみです。またイタリアへ輸出しているのは水力発電に変えた電気なので、原発がないイタリアの国民も受け入れやすいと見ているようです。


日本のような島国は国内で電力のすべてを賄わなければなりませんが、欧州では各国間で自由に電力をやりとりできる体制が整っています。ドイツやスウェーデン、ベルギーなどが脱原発へと踏み出せたのは、万一電力が足りなくなっても輸入に頼れる欧州の利点があったということでしょう。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 64 エネルギー資源をめぐる攻防(2)

EUは通貨統合に続いてエネルギー市場を自由化し、段階的にではあるが単一市場への道を歩んでいます。まず1987年に域内の電力自由化構想を提唱。97年に「EU電力市場規制緩和指令」が成立発効。これによって加盟諸国は2年以内に国内市場を自由化する立法措置を講じることが義務づけられました。具体的には、2000年に年間2000万キロワット時以上、2003年には900万キロワット時以上の大口需要家を対象にした自由化でした。


EU加盟国では、「電力指令」に先んじて英国、ドイツ、スウェーデン、フィンランドの4カ国が全面自由化し、フランスは指令に定められた最低限(30%)にとどめて自由化しました。
こうして欧州の電気事業は再編を余儀なくされました。一方、原子力産業は発電所の発注低迷を受け、原子力関連企業の合併・買収(M&A)が進み、こちらも勢力地図は塗り替えられました。それは国境を超えたサバイバルマッチの様相を呈しています。


米ウェスチングハウス社が1998年にドイツ最大の総合電気メーカー、シーメンス」に火力発電部門を売却したのに続き、1999年には原子力部門をイギリス原子燃料会社(BNFL)に売却。さらにBNFLは2000年、電気工学の世界的リーダーABB社(スイス)から原子力事業部門を買収。また、仏フラマトム社と独シーメンスも1999年、両者の原子力事業を統合することで合意。2001年には新会社フラマトムANP社が、フラマトム社66%、シーメンス社34%の出資により設立されました。


スウェーデン・マルメ市に本社を置くシドクラフト社は、バーセベック原発やオスカーシャム原発など国内で稼働中の11基のうち4基を運営する、スウェーデン第2位の規模の電力会社ですが、株式の55%は2001年5月からエーオン社(ドイツ)が握る「外資系企業」です。原発19基があるドイツでは、大手電力4社と政府との間で200年6月、「原発は運転期間32年ですべて廃止する」ことで合意しています。そのうちり最大手がスウェーデンに進出し、第2位の電力会社を通して事業展開しているわけです。エーオングループは、ドイツを代表する企業グループではなく、欧州を代表するそれへと脱皮したのです。


スウェーデンでは96年から電力の自由化がスタート。電気料金の低下に伴って電力会社間の競争が激しくなったうえ、フィンランド最大手で原発2基を持つフォータム社が3位のビリカエナジー社の株式を100%取得するなど、他国の電力会社の攻勢にもさらされるようになっていました。さらに電力事業の基幹を占める原発について、政府が脱原発へ動いたことも大きな影響を与えました。そこでシドクラフト社は原発を廃止し、欧州全域への進出に活路を見いだすエーオン社の傘下に入ることで、電力自由化、脱原発時代の生き残りを図るという方向を選んだのです。


ドイツも98年の電力自由化スタート以来、海外企業の進出が激しく、再編が進みました。自由化スタート前まで電力供給の90%を占めてきた大手8社は4社に合併され、そのうちドイツに本社を構える企業は2社だけで、半分は外資系です。1社は99年からフランスの原発58基すべてを保有するフランス電力公社(EDF)による買収が進み、株式の34・5%と事実上の経営権を握られています。もう1社はスウェーデンで原発6基を経営するバッテンフォール社によって子会社化されました。将来の原発全廃を宣言したドイツは、代替エネルギーの確保に奔走中で、ロシアから天然ガスを輸入するとともに、電力の輸入も行わざるを得ない状況です。そこに欧州のエネルギー企業が進出する余地があり、この競争に負ければ、ドイツは海外資本に占められてしまうかもしれません。


ドイツ企業がスウェーデン企業を買収し、フランス企業がドイツ企業を買収する……エネルギーをめぐって、まるで「第一次欧州大戦」が始まったかのような様相です。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 63 エネルギー資源をめぐる攻防(1)

欧州諸国、アラブ諸国、中央アジア諸国における紛争の火種は、表立っては民族の対立や宗教の対立のように見えますが、水面下では石油や天然ガスなど地下にエネルギー資源を有している国と資源のない国、そしてグローバルな展開を進める企業グループの攻防が繰り返されています。今週から軸足をエネルギー資源に移し、欧州財閥や企業グループのせめぎあいを見ていきます。


ドイツを代表するエネルギー会社「エーオン」は、電力・ガスなどを供給するヨーロッパ有数の企業グループで、世界最大規模の民営エネルギー供給会社です。ドイツ国内外で多数の原子力・火力・水力発電所を運営するほか、スウェーデンのシドクラフト社や英国のパワージェン社を買収し、それぞれ「エーオン・スウェーデン」「エーオンUK」に改名し、グループ化を進めてきました。2003年には、ドイツのガス会社「ルールガス」(後にエーオン・ルールガス)を買収し、ガス市場に参入。エーオン・ルールガスは現在、欧州20カ国以上で天然ガスを供給しています。今夏8月には、英蘭資本の石油メジャー、ロイヤル・ダッチ・シェルからノルウェー海にある2カ所のガス田の権益28%を取得することで合意したと発表しました。取引額は8億9,300万ドルとのことです。


石油や天然ガス、電力などエネルギーをめぐる欧州各国の駆け引きは熾烈を極めています。国益と企業の利益を優先し、企業買収・合併はもちろんのこと、大統領や首相もトップセールスを続けています。
2005年、当時のドイツ・シュレーダー首相とロシア・プーチン大統領の臨席のもとで「ドイツ-ロシア・ガスパイプライン」が締結されました。ロシア・ドイツ共同事業として47億ドルの予算を投下して実施されるこの天然ガスパイプライン開発計画は、詳しく言えば、世界屈指の天然ガス会社であるロシアの「ガスプロム社」と、ドイツの化学薬品会社BASFグループ、エーオン社の間で締結されたものです。2010年から操業開始の予定です。


ガスプロム社はパイプライン事業体の51%の株を保有し、残りはBASF社24.5%、エーオン社24.5%という保有率です。BASF社は従業員数8万人超という世界有数の巨大企業グループで、化学業界の売上げとしては世界第一位。一方のエーオンは、世界最大規模の民営エネルギー供給会社。さらにエーオン・ルールガス社はルールガス時代に当時のエリツィン・ロシア大統領令によってガスプロムの株主となり、ガスプロム社の株式を6.5%保有しています。ルールガスは、ガスの需要のほぼ3分の1をガスプロムの供給量でまかなえるようになり、2030年までの長期にわたる供給が保証されているのです。
ちなみに天然ガスパイプライン開発を担当するロシア・ガスプロム社の共同事業体取締役会長に就任したのは、シュレーダー元首相でした。シュレーダー元首相は現在、ガスプロム社の取締役も務めています。政界引退後に安定した就職先を見つけたということです。


さて、このガスパイプラインは、ロシアのヴィボルクからドイツのグライフスヴァルトに向けて敷設されるパイプラインで、全長約1200キロメートル。陸上ではなく海底に敷設されるため、バルト海を通じて直接ドイツ-ロシア間を結ぶパイプラインとなります。このためロシアとドイツの中継地となってきたポーランドやバルト三国が猛反発しましたが、当時シュレーダー首相は、このパイプラインは「誰かに対抗するという趣旨のものではない」とバルト三国の非難を一蹴しました。


ドイツが他国から天然ガスを供給しなければいけない理由は、ドイツが新しい原子炉の建設を許可していないからです。原発に代わるクリーンエネルギーとして、ドイツでは天然ガスの消費量が年々増加してきました。ドイツのセントラルヒーティングシステムの約半数はガスによって運転されており、新築住宅の4分の3までがガス式のセントラルヒーティングシステムを導入しているとも言われています。また、天然ガスは火力発電にも使用されています。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 62 欧州財閥の系譜(38)

以前のコラムで紹介した、ロシア国営原子力メジャー「アトムエネルゴプロム(AEP)」が7月に設立されていたことがわかりました。当初の報道によれば「年内に設立予定」とされていましたから、随分早く開業したことになります。


理事会会長にはロシア連邦原子力庁のキリエンコ長官が、社長には同庁のタラビン次官がそれぞれ任命されました。AEPは、核燃料加工会社のTVEL社、濃縮ウランをはじめとする核燃料サイクル製品の輸出会社「ロシアテクスナブエクスポート社(テネックス社:TENEX)、原子炉輸出メーカーの「アトムストロイエクスポート」及び原子力発電会社の「ロスエネルゴアトム」といった主要な国営原子力企業などを年内にも全て統合するとのことです。


注目したいのは、新興財閥ウラジミール・スミルノフ社長が率いるテネックス社です。スミルノフはプーチン大統領に近い人物で、石油関連企業の代表を経て2002年、同社の社長に任命されました。同社は40年以上にわたって、ロシア原子力庁の対外貿易の窓口として政府から全権委任され、濃縮ウランをはじめとする核燃料サイクル製品の輸出を行っており、濃縮ウランでは「世界のビッグ4」のひとつといわれています。テネックス社の主な事業は、濃縮ウランおよびウラン濃縮役務の供給など核燃料サイクル関連製品と役務の提供です。同社は産業全体の輸出量の半分以上を占め、使用済み核燃料の取扱いに関するサービスおよび濃縮サービスをアジアや太平洋地域の電力会社に供給することを事業に掲げてきました。


昨年10月には、テネックス社と三井物産との間でサハ共和国アルダン地区にあるウランの未開発鉱床「ユージナヤ」鉱区の事業化調査を共同で行い、三井物産が将来、本プロジェクトに参画する為の独占交渉権を得ることに合意しています。テネックス社が「アトムエネルゴプロム(AEP)」と統合され、三井物産の共同出資による合弁事業が実現した場合、三井物産はロシア国内においてウラン権益を取得する初の外資企業となるのです。


ロシアは、高騰する豊富なエネルギー資源をテコに、ソ連崩壊で甚大な打撃を受けた経済と国家機構を着実に復興させています。それに伴い日本などの外国企業に活躍のチャンスが到来しています。特にパイプを含め建設機械や自動車など日本の商品はブランド力に加え、品質、性能から、ロシアでは確実に売れるといわれています。しかし、世界を牛耳るエネルギー帝国を目指し動き始めたロシアの力の根源である石油や天然ガスの開発分野に、日本は十分に食い込めていません。


当のロシアは中国と競うように、旧ソ連圏のカザフスタンやトルクメニスタンなど中央アジアの新興エネルギー大国に進出しています。カザフスタンは先週のコラムで紹介したように地下天然資源が豊富な国です。隣国のトルクメニスタンは、国土は狭いながら天然ガスと石油の産出国です。特に天然ガスは世界第4位の埋蔵量を誇っています。2005年度のGDPは約10パーセント。主な輸出国は、(1)ウクライナ (2)イラン (3)トルコ の順。天然ガスの搬出ルートの多様化を図る中で、イラン、アフガニスタン、中国との関係を進めています。


一方ロシアは、トルクメニスタンからカスピ海沿岸に沿い、隣国カザフスタンを経由しロシアに至るルートを通るパイプラインの新設計画を発表。本年5月、トルクメニスタン、カザフスタン両国首脳と合意に達しました。この開発には、カピス海周辺における欧州列強と米国、中国の影響力を低下させる目的もあります。実は近年米国が、カスピ海を横断するガスパイプラインの建設を主張していたので、ロシアの案が採用されたことになります。パイプラインが完成すれば、トルクメニスタンは天然ガスの輸出大国にランクインし、ロシアとの関係がさらに深くなると見られています。このようにエネルギー資源国をめぐるロシア、米国、中国などの駆け引きは至るところで展開しているのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 61 欧州財閥の系譜(37)

旧ソ連領のカザフスタンは、世界地図の上では「中央アジア」に属していますが、公用語はロシア語で、ロシア系住民が多数を占める国です。文化的にヨーロッパ化された国といえるでしょう。また、ロシアやウズベキスタン同様、地下天然資源が豊富なことで知られています。特に金属資源で世界的な埋蔵量を誇るものが多く、鉄の生産量は世界の8%に及ぶほか鉛、タングステン、モリブデン、バライトは世界一の埋蔵量、クロム、銀、亜鉛、マンガン、銅、金も世界トップクラスの埋蔵量を有しています。


この国から世界の億万長者ランキングにただ一人ランキング入りしているのが、カザフスタンにおける事実上の銅地金生産の独占企業「カザクムス」のオーナー、ウラジミール・キルです。名前からしてロシア系であることがわかります。ちなみに彼の純資産6600億円は、米アップル社CEOのステーブ・ジョブスとほぼ同額です。


97年に設立したカザクムスは、旧ソ連から独立した際に、ただ同然で償却済みの設備を手に入れたばかりでなく、ほぼ探鉱済みの超優良鉱区の優先割り当てを受けており、相当の含み資産を有していると思われます。精錬所や銅化学工場のほかに発電所、石炭鉱山を所有し、銅精錬関係企業群を傘下に置いています。


同社の売上の10%は、ヨーロッパ市場における販売によるものです。輸送はロシア経由で黒海、バルト海から積み出しているので、輸送コストはロシア情勢に左右されています。またロシア国内の製鉄企業との競合も激しくなっています。このような背景からロシア系の企業色が強いですが、実はカザクムス社は、韓国企業サムソンが権益の4割を保有する企業なのです。銅製品の大半はサムソンがカザクムス社に有利な条件で買い付けています。ですから、サムソンがカザフスタンの有力企業グループに資本を投入して多国籍企業グループを築いたとも表現できます。


ちなみにカザフスタンのアルミ系企業のトップ「アルミヌ・カザクスターナ」にはイギリス企業の資本、鉄系企業のトップ「ソコルボスコ・サルバイスコエ」にはアイスランド企業の資本、亜鉛のリーディング企業「カズジンク」にはスイス企業の資本が、それぞれ投入されており、外資系企業が目白押しです。たとえば97年に設立された、カザフスタン最大の亜鉛生産企業「カズジンク」は、翌年には政府所有の権益の6割をスイス企業グレンコア社に譲渡。それによってカザフスタンの亜鉛の輸出権はグレンコア社が独占的に支配することになったわけです。カズジンク社は世界の約3%の亜鉛を生産。主な輸出先は北アメリカと欧州です。


このように俯瞰して見ていくと、カザフスタンの金属資源をめぐって多くの外国企業が進出していることがわかります。こういった現象は欧州の他の国でも見られます。鉱物資源に恵まれた国にとって外貨獲得のために鉱業は重要な位置を占めているのです。


たとえば東ヨーロッパの小国アルバニアは、クロム、ニッケル、銅など鉱山資源に恵まれていますが、長年の鎖国政策や90年代に経済の混乱が続いたことから、開発が遅れていました。80年代に世界第3位の高品位クロム鉱石の生産を記録したものの、その後、施設の老朽化などで生産量は落ち込みました。そこに登場したのがイギリス、イタリア企業によるコンソーシアム(共同事業)です。アルバニアは地下資源の消費地である欧州に近いので、欧州企業が投資計画を練りやすいということでしょう。


同じく鉱物資源が豊富なブルガリアは国営企業の民営化を促進しているものの、近代的な鉱業法の整備が遅れて、外国企業の進出の足かせとなっていました。しかし90年代後半に民営化された製錬所をベルギーの企業が買収したり、アイルランド企業と米国企業が銅鉱山を合弁で買収に乗り出すなど、やはり外国企業が開発に進出しています。
今後はこういった地下資源をめぐる欧州企業の攻防にも着目していきます。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 60 欧州財閥の系譜(36)

世界的に資源獲得競争が激化し、ウランの価格が急騰する中、日本はウランをめぐってなりふりかまわぬ外交を続けています。ウランの価格が上昇した背景には、二次供給(解体核高濃度ウラン)の減少、中国、インドなどの需要増加の見通し、10年後には需給が減少すると懸念されていることなどが挙げられます。


先週のコラムでロシアとウズベキスタンが、東シベリアにウラン濃縮の国際センターを建設する合意に達したことをお知らせしました。日本企業では、丸紅や東芝がウズベキスタンの原子炉導入のためのノウハウを提供しようと営業しています。


濃縮ウランの調達に関して、ロシアやウズベキスタンからの輸入に頼っているのは、日本だけではありません。実は米国の原子力エネルギー産業界でも発電用燃料に使用する濃縮ウランの国内調達率が落ち込み、約4割をロシアからの輸入に依存しているのです。旧ソ連製核兵器の廃棄で生じた余剰濃縮ウランを、米国が再利用したことから、米国は濃縮ウランについてロシアに供給を求めてきた経緯があります。これについて米国国内では「ロシアに頼りすぎるとエネルギー安保の見地から、不安定で危険とみられるだろう」という警告も発せられている。


ロシアでは濃縮ウラン関連事業は国家独占で、新興財閥の一人であるキリエンコ長官がトップを務める原子力庁傘下の国営「テフスナブエクスポルト」が濃縮ウランを輸出しています。キリエンコは、国営企業「アトムエネルゴプロム」社(原子力エネルギー産業社)の初代会長に選出されているので、何かの力によって富と権力が彼に集中していることを物語っています。


日本も実はウラン濃縮をテフスナブエクスポルト社に委託し、経済産業省はその取引を許可してきました。あまり知られていませんが、同社は濃縮ウラン輸出で世界市場のシェア約40%を占める世界最大のウラン輸出企業なのです。ロシア国内にはウラン濃縮の再処理センターが計4カ所あり、さらにウズベキスタンと合弁で、核燃料サイクル事業の国際センターを東シベリアに建設する計画を推進しています。ここに日本企業が技術協力を申し出ているという図式なのです。


「核を持たない」と宣言した日本が、ロシアから濃縮ウランを輸入し、中央アジアの資源大国ウズベキスタンの原子炉導入を支援していることは矛盾ではありません。エネルギー全体の依存度を石油から原子力に転換しないといけない日本のエネルギー事情を考えると、今後日本のカザフスタンへの依存はさらに大きくなるといえるでしょう。

現在、日本のウラン調達先は、オーストラリア、カナダで6割を占めています。そこで新たな供給ルートを開拓することが急務とされてきたのです。資源のない日本は、ウズベキスタンとの合意により、日本のウラン総需要量の3~4割の利権を獲得しようとしています。日本はロシアの巨大原子力グループ「アトムエネルゴプロム」に技術支援を申し出、その隣のウズベキスタンに原子炉導入計画を提案しているということです。


2006年、住友商事と関西電力がウラン鉱山開発権益を獲得し、カズアトムプロム社との合弁会社を設立。最大生産量年間1000トン(日本の需要の約1割)を見込んでいるとのことです。

また、日本の原子力発電所で発生した使用済み燃料をイギリス、フランスで再処理して回収したウランを再濃縮し、カザフスタンの工場で再転換・燃料加工し、日本を含む第三国に輸出するという青写真もできています。そうするとロシア―カザフスタン―欧州-カザフスタン経由でウランは循環していくのです。


ちなみにウズベキスタンの輸出品目は、地下資源とその加工品が7割を占めています。原油(49.4%)、鉄鋼(12.0%)、銅(7.5%)という状況で、原油(3606万トン)の産出量は世界シェア1.1%に達します。有機鉱物資源では、石炭(7218万トン、世界第10位、世界シェア1.9%)が国際的に力を持っています。石油や天然ガスを豊富に持つロシア同様、ウズベキスタンは日本にとって魅力的な国といえるでしょう。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 59 欧州財閥の系譜(35)

先週のコラムで紹介した、設立すれば世界最大の原子力開発企業になるであろう、ロシア国営企業「アトムエネルゴプロム」社(原子力エネルギー産業社)の初代会長にキリエンコ原子力庁長官が決定しました。そうです、エリツィン大統領時代に35歳の若さでロシア首相に就任し、1998年にルーブル切り下げとデフォルトを発表し、ロシア通貨危機を招いたあの政治家です。ロシアも彼自身も存続の危機を乗り越え、たくましく生き残ったということです。


政治家になる前のキリエンコは、明らかに新興財閥の一人でした。1991~94年、AOコンツェルン「AMK」会長を務め、94~96年にはニジェゴロド社会商業銀行「ガランチャ」頭取、97年には石油会社「ノルシ・オイル」会長を務めています。エリツィン時代の燃料エネルギー省第一次官就任時には世界最大のロシアの天然ガス会社「ガスプロム」政府代表参与会議長を務めました。

98年に首相に任命されましたが、ロシア通貨危機を収拾できなかった責任を取って解任された後、下院議員に当選し、2000年5月にプーチン大統領のもとで新設された沿ボルガ連邦管区の全権代表に任命され、同年11月、ロシア原子力庁長官に任命されました。若きビジネスマンが資本を貯め、政界にデビューし、一度首相の座に登りつめ、失脚したものの復活を果たし、いま再び脚光を浴びているというわけです。


プーチン大統領が署名し、年内の設立が決定した株式上場会社「アトムエネルゴプロム」社は、その傘下にすべての平和利用原子力エネルギーに関する計画を集中させ、原子力分野のすべての民間企業を統合させる連邦所有の会社になります。同社の垂直統合型構造は、ウランの採掘と濃縮、核燃料の製造と加工、そして原子力発電所の設計と建設といった、一連の自然循環産業サイクルを論理的に連結し再統一することになります。完成すれば世界最大規模の原子力企業グループになるわけです。その会長に就任したキリエンコは、多くの利権を手にしたともいえるでしょう。


そしてロシアとカザフスタンは今年5月、共同でロシアの東シベリアにウラン濃縮の国際センターを創設する政府間協定に調印しました。調印はプーチン・ロシア大統領のカザフ訪問に合わせて行われました。同大統領は引き続き豊富な天然ガス資源を持つトルクメニスタンを訪問、中央アジアを対象にエネルギー分野でロシアの影響力強化を図る目論見です。プーチンはナザルバエフ・カザフ大統領との会談で、ウランの採掘やパイプラインによる資源の輸送でも協力を拡大することなどを合意したそうです。


両国は、世界2位の埋蔵量があるカザフスタンのウランを、2009年までに年間1000トンを共同で採掘、将来的には年間6000トンまで増やす計画を立てています。ウラン濃縮の国際センターは東シベリアのアンガルスクにある民生用施設を利用するもので、核拡散防止などの観点からロシアが提唱し、各国に参加を呼びかけていました。具体的な参加合意はカザフスタンが初めてで、ロシア側によるとアルメニアやウクライナなど数カ国も参加を検討しているとのことです。ちなみに同センターは国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れる方針。参加国も原子力施設の利用を民需用に限る保証が必要です。


さて、ここに経済産業省が今春公表した「資源外交」があります。この資料によると、日本は今後カザフスタンに向けて原子力分野で協力をしていくとのことです。カザフスタンは1991年にロシアから独立した共和国で、ロシア、中国と国境を接しています。実はカザフスタンは鉱物資源の輸出により経済成長を続ける、天然資源依存型の国です。例えば、採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在しています。エネルギー資源では、石炭とウランが有望。特にウランは「世界第2位の埋蔵量」と言われています。
日本はこのウラン開発から参加し、前述したウズベキスタンとロシアの合弁による「ウラン濃縮国際センター」で再転換、つまり燃料加工を促し、そこに技術提供をするというシナリオを描いているのです。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 58 欧州財閥の系譜(34)

ウラン価格の高騰や世界的な原子力業界の再編で、原発ビジネスを取り巻く環境は大きく変化しています。

ロシア政府が設立を進めている国営原子力独占企業体アトムエネルゴプロムは、完成した暁にはウランの採掘や濃縮、原発燃料の製造と輸出、原発の国内運営や海外での建設など、原子力関連企業を統合する大企業になります。ロシアの原子力発電ビジネスを一手に引き受ける巨大なグローバル企業グループが誕生するわけです。天然ガス独占企業「ガスプロム」の原子力版に相当する巨大戦略企業になることでしょう。その傘下にすべての平和利用原子力エネルギーに関する計画を集中させ、原子力分野のすべての民間企業を統合させる連邦所有の会社が誕生するのです。


こうしてロシアのエネルギー分野は、軍事部門とエネルギー部門の2つの巨大核部門から成り立つことになります。軍事部門は不透明ですが、エネルギー部門の「アトムエネルゴプロム」は原子力技術をグローバル市場で競う巨大企業グループになり、その協力企業が日本の東芝になりそうなのです。


視点を変えるなら、東芝が原子力発電所の大型機器の合弁生産工場建設で大筋合意していることから、有望な原発市場であるロシア市場に日本企業が進出する大きな足がかりになるというわけです。アトムエネルゴプロムの建設時期や建設地、投資額は未定ですが、出資比率はロシア側が51%、東芝が49%とする案が有力。東芝によるロシア国内の原発保守事業への参加やアトムプロムに対する原子炉の技術供与も交渉の議題となる見通しで、年内決着を目指しています。

ロシアは今後25年間で、40~60基の原発建設を新たに予定していますが、主要部品の生産力や技術力不足が課題となっています。このため東芝の技術を活用して、原発整備を急ぎたいという背景があるのでしょう。一方の東芝は、ロシア政府やアトムエネルゴプロムとのパイプを築くことで、ロシアでの原発ビジネス拡大につながると判断したようです。ロシアは米国や中国に並ぶ有望市場です。合弁工場で生産した機器が採用されれば、保守管理などの原発関連ビジネスの拡大も期待できます。


東芝が合弁工場で生産を予定している発電機や大型タービンは、原発の中核機器です。さらに東芝は米露政府間で協議中の原子力協定成立をにらみ、昨年買収した米原発大手ウェスチングハウス(WH)や、WHに共同出資する石川島播磨重工業にも提携への参加を促す方針とのこと。その先に「東芝-WH-アトムエネルゴプロム」の日米露にまたがる、大型提携への拡大の可能性が見えてきました。

東芝のWH買収に対しては、三菱重工業が仏アレバと提携、日立が米ゼネラル・エレクトリック(GE)と事実上の事業統合で合意するなど、ライバル各社が包囲網を築きつつあります。東芝はロシア企業と手を組むことで、世界の原発ビジネスで優位に立つ狙いもあるようです。


さらに東芝の決断の背景には、日本政府の意向もあったようです。未開発のウラン埋蔵量が豊富にあるロシアは、日本のエネルギー戦略にとっても重要な位置を占めています。日本政府が2月末、国内の原発から回収されたウランの濃縮をロシアに委託することを前提にロシア政府と交渉に入ったのも、エネルギー源確保とロシアへの原子力ビジネス拡大の足場作りが目的でした。東芝が発電機などの原発用機器の工場をロシア国営企業と合弁で設立することは、日本政府の後押しがあったからだと判断したほうがよいでしょう。


一方、ロシアはサハリン沖の資源開発事業「サハリン2」では、政治的な圧力などを駆使して、国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルや三井物産、三菱商事から事業の主導権をロシア国営企業に強引に移管することに成功しています。そういった前例があるだけに、見方によっては東芝にとってリスクの高い試みともいえるでしょう。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 57 欧州財閥の系譜(33)

先週のコラムで新興財閥出身の首長としてクラスノヤルスク地方のアレクサンドル・フロポニン知事、サハ共和国のビャチェスラフ・シトイロフ大統領を紹介しましたが、ロシアでは大統領候補もまた国営企業の経営を担っています。

次期大統領候補の筆頭はプーチンの盟友、第一副首相のドミトリー・メドヴェージェフです。国民の支持率の高い政治家で、世界最大の天然ガス企業「ガスプロム」会長も務めています。もう一人の最有力候補セルゲイ・イワノフ第一副首相は軍事産業と民間経済を担当しているものの、国営企業の経営職には就いていません。しかし、メドヴェージェフ補佐役の大統領府副長官イーゴル・セチンは石油最大手「ロスネフチ」会長を務めています。また、ミハイル・フラトコフ首相は1998年5月から保険会社「インゴスストラフ」取締役会長、1999年2月から社長を務めた人物です。さらに、2003年まで大統領府長官を務めたアレクサンドル・ヴォローシンは退任後、ロシアの独占電力会社「統一エネルギーシステム」の取締役に就任しています。こうなってくると、新興財閥と政治家の区別はつきにくく、また政治家になってから国営企業の経営を担うため、権力が独占されるのは至極当然といえるでしょう。

注目したいのは、チュメニ州知事を経て、2005年11月ロシア連邦大統領府長官に就任した大統領府長官のセルゲイ・ソビャーニンが2006年春、原子力産業を統括する国営企業TVEL (TVELはロシア語で熱放出成分という意味)の会長に就任したことです。同社は原子力発電所向け燃料供給業者です。

北朝鮮が核施設を保有していることに対して厳しく非難したロシアですが、当のロシアこそが「激安原子炉」ビジネスの先頭を突っ走っている原子力大国です。プーチン大統領は核ビジネスを重視し、中国やインド、イランへ原子炉を輸入し、ベトナム、トルコ、ベラルーシ、カザフスタン、エジプト、モロッコとの間でも商談が行われているのです。

今年3月、TVELはベトナム南部ダラットにある同国唯一の試験用原子炉向けに低濃縮ウラン燃料を供給する契約を関係機関と結んだと発表しました。同原子炉では現在休止中で、今年9月に燃料棒の種類を高濃縮ウランから低濃縮ウランに切り替えることを計画しており、TVELはノボシビルスク工場でベトナム向けの低濃縮ウラン燃料を生産しています。

そして今年4月、プーチン大統領は民間の原子力関連企業を統合した国営独占企業「アトムエネルゴプロム」を年内に設立するよう政府に命じる大統領令に署名しました。最初の段階では、30社の株式を資本に組み入れることになっています。そのうち巨額投資する一社が、大統領府長官のセルゲイ・ソビャーニンが会長を務めるTVELです。


ご存知の方は多いと思いますが、原油価格高騰や地球温暖化などを背景に、世界的に原子力発電所の燃料となるウランの需要が急増、価格が高騰しています。ロシアは独占企業設立によりウラン国際市場での影響力強化を図るとともに、日本などと民間部門での協力拡大を目指す方針です。

そして同月にはこんなニュースが飛び込んできました。東芝がロシアでの原子力発電所の建設参入を目指してロシア側と行ってきた提携交渉で、発電機などの原発用機器の工場をロシア国営企業と合弁で設立することが明らかになったのです。4月に来日したロシアのセルゲイ・キリエンコ原子力庁長官やアトムエネルゴプロムの関連会社首脳が東芝幹部と会談し、大筋合意する見通しであるとのことでした。実現すれば、日本企業が海外で原子力発電用の機器を生産するのは初めて。

この合弁相手こそが、ロシアが設立準備中の国営原子力独占企業体アトムエネルゴプロムで、合弁工場では大型の蒸気タービンや発電機、水蒸気を冷却する復水器などが生産される見込みです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 56 欧州財閥の系譜(32)

先週のコラムで「ロシア鉄道」社長ウラジミール・ヤクーニンをプーチン大統領の側近の新興財閥として紹介しましたが、ヤクーニンは鉄道事業だけでなくロシアの主要な海港の利権をほとんど押さえ、確実に財を築いてきました。次期大統領の隠れた有力候補として名前が挙がるのも当然でしょう。ロシア式資本主義を実践するには大統領にも優れたビジネス感覚がなければいけません。

新興財閥出身の大統領候補といえば、クラスノヤルスク地方知事のアレクサンドル・フロポニンがいます。「ネオクシム・バンク」を経営した後、クラスノヤルスク地方を拠点に置く巨大金属会社「ノリリスク・ニッケル」の社長に就任。プーチン大統領の強い支援を受け、2002年にクラスノヤルスク地方知事に就任してからは、これまで地下資源の開発が遅れていた東シベリアに眠る石油・天然ガスの埋蔵量の調査に力を注いできました。一説によれば同地方の確認埋蔵量は石油26億トン、天然ガス1.5立方メートルにも及ぶとされており、これはロシアの石油生産量の5.5年分、天然ガス生産量の2.5年分に当たるとのことです。

それだけの埋蔵量が事実だとすれば、外国企業が東シベリアの地下資源開発にこぞって協力を申し出るところですが、フロポニン知事は「外国企業がロシアの地下資源を開発するのが良いことだとは思えない」と発言しています。石油や天然ガスなどの地下資源を国家統制下に置き、それを外交上の武器とするプーチン政権の方針どおりのコメントです。
この財閥知事の強気の背景には、同地方が石油・ガスのみならず、金やプラチナ、アルミニウム、ニッケルといった非鉄・貴金属に富んでいることもあります。ロシアのニッケルの80パーセント、コバルトの75パーセント、銅の70パーセント、石炭の16値パーセント、金の10パーセントを産出しています。金属市場の高騰により同地方内の各企業の業績も絶好調で、地方税収は4年間で4倍増にまで伸びています。「ノリリスク・ニッケル」社長時代の財を築いたフロポニン知事は、次に東シベリアの開発でビジネス感覚を発揮しているようです。

新興財閥出身の知事はほかにもいます。ロシアのダイヤの99パーセントを産出するシベリア・サハ共和国の大統領は、地元ダイヤモンド企業「アルロサ」元社長のビャチェスラフ・シトイロフです。プーチン政権が擁立していたことから、この財閥大統領もまたロシア政府の意向を体現しています。

アルロサ社はロシア連邦大統領令にもとづき設立された企業で、戦略指導にあたる最高機関は総数15名からなる監査役会で構成されています。監査役会のメンバーは主に政府高官、ロシア連邦です。主要な株主はロシア政府37パーセントとサハ共和国政府40パーセント。同社は「ダイヤモンド生産・輸出公団」といったところでしょうか。ロシアの大地に眠っているのは、石油と天然ガス、ニッケルやコバルトばかりではなく、ダイヤモンドもあったのです。世界全体の23パーセントの採掘量を誇るとのことなので、サハ共和国は「ダイヤモンド共和国」とも呼べるでしょう。

同社は生産を多角化するために一連の子会社を設立すると同時に既存の事業会社の株式を取得しています。現在アルロサ社は、30以上の事業会社に参加しており、従属する子会社のコングロマリットを「アルロサグループ」と呼んでいます。アルロサ社を多国籍の各部門企業に変えるプロジェクトが実現されつつあり、同社はサハ共和国の域外、すなわちクラスノヤルスク地方、アルハンゲリスク、イルクーツク、ボロネジの各州、カレリア共和国、アフリカ大陸などのダイヤモンド探鉱業務に乗り出しています。そして輸出のターゲットがいま日本に向かっていることもまた事実なのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 55 欧州財閥の系譜(31)

広大なロシアには、総延長8万5千キロの線路と120万人の従業員数を誇る鉄道会社があります。連結会社の合計で日本最大の従業員を抱えているトヨタが264,000人であることを鑑みると、この鉄道会社がいかに巨大であるか理解ではるでしょう。世界最大の鉄道会社がロシア国営の「ロシア鉄道」です。2003年にロシア政府を単独の株主とする公益会社として設立された、ロシアにおける最大級の独占企業体のひとつで、1年間に輸送する乗客は約13億人、取扱い貨物量は約13億トン。全ロシアにおける輸送の約80パーセントを占め、ロシアのGDPの3.6パーセントを計上しています。


2003年に同社の副社長に就任し、2005年に社長に就任したのが、ウラジーミル・ヤクーニンです。彼はレニングラード工科大卒業後、レニングラード国立応用化学研究所、ソ連閣僚会議国家通商委員会、ヨッフェ物理技術研究所を経て、ソ連国連代表部員となり、のちに同第一書記を務めました。ソ連崩壊後は実業界に転じ、2つの会社を設立。ロシア銀行取締役にも就任します。その後、官界に戻り、ロシア交通省第一次官を経て、「ロシア鉄道」の副社長に抜擢され、2005年遂に社長へと昇進しました。ヤクーニンは国連代表部勤務の間にKGBの要員であったと噂され、事実プーチン大統領の側近グループのメンバーでもあり、プーチン政権に影響力を与える新興財閥として注目されています。


ヤクーニンとロシア鉄道の動向が日本で注目されている理由は、彼が次期大統領候補であることと、モスクワ-サンクトペテルブルク間を結ぶ高速鉄道新線の建設に関してロシア鉄道が来年度にも国際入札を行うとの考えを明らかにしたからです。早ければ2012~2014年の新線開業をめざすこの新線に、日本の新幹線に匹敵する時速300キロ超の「ロシア版新幹線」の実現をめざす方針なのです。
今年3月に来日したヤクーニンは、東京都内で日本のメーカーや建設会社、金融機関など13社を招いて会合を開き、高速鉄道計画への協力を要請しました。

また、ロシア鉄道が株式の3割を保有するサハ共和国のエリギン石炭鉱床やシベリアの鉱山開発に関しても、ヤクーニンは「日本企業との合弁も視野に協力したい」と語っています。こちらも日本企業にとっては吉報でした。
そして6月末、日本政府は「ロシア版新幹線」の建設についてロシアと協議を行うと公式発表をしました。これは新幹線技術の売却を念頭に置いた協議で、ロシアの自治体首長や住民が日本の技術に高い関心を抱いていることを踏まえて経済産業省が動いたものです。


モスクワ-サンクトペテルブルク北方では、トヨタや日産など日本企業が工場建設を進めており、高速鉄道網が導入されればロシアの工場への日本からの部品調達がより効率的にできるという利点があります。一方のロシア政府は、シベリア鉄道経由でロシアに日本の工業製品を導き、その先に欧州への輸送の拠点にしたいという青写真があるようです。


ただし高速鉄道の技術提供に関しては、フランスの高速鉄道TGV(Train a Grande Vitesse)、ドイツの高速列車ICE(Inter City Express)との厳しい競争が予想されています。これと同じ状況が中国でも展開されています。北京~上海間の高速鉄道の建設をめぐっては、日本、フランス、ドイツそれぞれの技術の導入、そして中国の自国開発という選択肢があります。仮に日本が運行システム(3300億円)と車両(455億円)の受注を獲得したなら、ロシアの入札にも大きな影響を与えることでしょう。


このように他国における高度な技術を必要とする建設は、すでにグローバリズムが定着し、日本、ドイツに代表される技術国が競合となっています。北京オリンピックの建設需要によって日本の鉄鋼・造船業界が潤ったように、ロシアの高速鉄道の建設も今後どこかの国の企業に大きな売上げを寄与することでしょう。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 54 欧州財閥の系譜(30)

広大なロシアには、地方都市にも強大な企業グループが君臨しています。ヨーロッパに近いリペツク市にロシア第3位の鉄鋼メーカーで世界有数の冶金コンビナート「チェリャビンスク冶金コンビナート」(略称:メチェル)があります。ヨーロッパ最大の鉄鉱山に近く、またバトル海や黒海に近いので、ロシア屈指の輸出メーカーのひとつになっています。同社をはじめ複数の石炭会社を傘下におさめる企業グループが「メチェル」です。創設者のイーゴリ・ジュジンが支配し、彼は新興財閥の一員になっています。ロシアの電力業界は天然ガスとともに石炭にも依存しています。「ロシアの巨大油田がもうとっくに最盛期を過ぎた」と指摘する専門家もおり、今後は石炭にも注目が集まりそうです。


ロシアの新興財閥には、政治の世界に進出する人物も少なからず存在します。「国際産業銀行(メジュプロムバンク)」の共同経営者だったセルゲイ・プガチョフは1963年生まれ。レニングラード国立大学卒業後、ソ連産業建設銀行に勤務。1992年より2001年までメジュプロムバンク監査役会長を務めました。プーチン大統領と親しいものの、プーチンが新興財閥の政界進出を好まないため表舞台に出ることを控えていたようです。しかし2001年に上院議員(トゥヴァ共和国政府代表)に当選したことにより、メジュプロムバンク監査役会長を退任。現在も上院議員を務めていますが、今もなおメジュプロムバンクを支配しているといわれています。


新興財閥グループには新しい顔ぶれが登場しています。『フォーブス』発表の2007年世界長者番付の71位に選ばれたウラジミール・エブトゥシエンコフは、ロシアの巨大持ち株会社「システマ」の会長で、同社の株式の大部分を保有する大富豪です。また、ロシアにおける高級ウォッカ市場の3分の2の売上を占める「ルースキー・スタンダード」を製造・販売する「ロシアン・スタンダード」社長のルスタム・タリコは、ロシア最大の民間銀行であるロシアン・スタンダード銀行も所有し、推定資産は6,480億円と言われています。ロシアン・スタンダード社は2005年に「インペリア・ブランド」と呼ばれる商品で米国市場に参入。インペリアのレシピは、化学の元素周期表を作り出したことで有名な19世紀ロシアの科学者ディミトリ・メンデレーエフによって発見されたと伝えられています。


さらにニューフェイスといえば、女性の富豪も登場しています。モスクワ市長ユーリ・ルシコフの妻、エレーナ・バトゥーリナは1991年にプラスチックメーカー「インテコ」社を設立。その後、建設事業にも進出し、財を築きました。
ロシア全土に460以上の小売店「ぺチョーラチカ」を展開するアンドレイ・ロガチェフは、自社株30%をロンドン市場に上場し、巨額の利益を得た富豪。推定資産は1,416億円です。


さて、ロシアの天然ガス会社といえば、最大手の「ガスプロム」と、同社の協力関係にある石油・天然ガス会社「ロスネフチ」が著名ですが、2社以外では「スルグトネフチガス」があります。1960年代半ばに西シベリアで石油・ガスの生産を開始し、現在では主に西シベリアで石油、天然ガスの探査、抽出、輸送、精製、販売を行っており、石油・ガス田の運営やプロパンの生産、燃料油やエンジンオイルなどの生産も手がけています。同社の石油・ガスの備蓄量は約25億トンで、ロシアの石油生産シェアは13%となっています。


本社はモスクワですが、石油精製地である西シベリア平原の都市スルグトは、同社によって栄え、人口29万人のうち約半分が石油・天然ガス関係の仕事に就いているとされ、現在ホテルやオフィスビルなどの建設ラッシュを迎えています。バグダーノフ社長は、ソ連崩壊時に利権を求めて流れてくる官僚たちをシャットアウトするために都市を閉鎖し、従業員の株を安価で買い占めて会社を大きくした叩き上げの人物です。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 53 欧州財閥の系譜 北ヨーロッパ天然ガスパイプライン

今後の欧州におけるエネルギー市場を大きく塗り替える可能性のある「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」は、世界最大のガス会社、ロシア・ガスプロムとドイツBASFグループが進めている壮大な計画です。BASFグループの中核を成すのはヴィンタースハール社で、オランダやロシアで事業展開する掘削会社です。


西シベリア北部のガス田からバルト海の海底を通り、ドイツを経由して、英国までガスを運ぶパイプライン建設は、2010年の完成を目指しています。ガスプロムにとって欧州は、年率3.3%で成長し続ける巨大市場です。また、米国以外では最もガス価格が高く、生産者が執着したい地域でもあります。完成した暁にはガスプロムの欧州進出を一気に促進するものになります。


バルト海経由で西欧に西シベリアの天然ガスを送るパイプラインの具体的なルートは、フィンランド国境近くからバルト海底を通り、ドイツ、オランダ経由で英国まで至るものです。海底部分の総工費は約20億ドルと報じられており、従来のルートであるウクライナ、ベラルーシへの対抗力を発揮します。両国がロシアに泣きついても、この計画は実行されるでしょう。


また、この計画に伴い、西シベリアでのガス田新規開発が進められています。このガス田が「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」への主要な供給ガス田となるのです。


ドイツには、ヴィンタースハール社とガスプロムにより設立された合弁企業ウィンガスがあります。ドイツ国内のガスネットワークを扱うガス販売企業で、ガス配送ではドイツで第4位。このネットワークを「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」につなぎ、国内の配送を行う予定です。当初の出資比率は、ヴィンタースハール社65%、ガスプロム35%の出資でしたが、2005年末にはガスプロムのシェアが49%まで引き上げられました。これはガスプロム側にとって魅力的な提携であることを物語っています。ガスプロムは、ガスの生産、輸送、マーケティングまでの一貫体制をドイツ企業と組んで立ち上げようという意思表明とも言えるでしょう。


一方のドイツには、原子力発電の段階的廃止を受けて新たなエネルギー政策であるクリーンエネルギーの確保という意図があります。2000年当時のシュレーダー政権は、電力業界が原子力から撤退することを認めさせ、1960~70年代に運転を開始した原子炉を廃棄することを決定しました。ドイツばかりでなく、ベルギーやスウェーデン、スイス、オランダ、ブルガリア、リトアニア、イギリスなど欧州諸国が脱原発を目指したのは、1986年に勃発した「チェルノブイリ原発事故」の反省があります。欧州の地続きの各国は、原発事故が起こった場合、放射能汚染から逃げられないことから、欧州の電力政策は天然ガス発電、風力発電、太陽発電などクリーンエネルギーの確保に動いてきました。環境立国ドイツは、特に原子力に敏感であったということです。


オランダも「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」につなぐ国内ガスネットワークの整備に積極的な国です。そしてその先に最大のターゲットであるイギリスがあります。英国へのガスの販売は2002年に開始しましたが、ガスプロムの英国におけるシェアは低く、2010年までにイギリスでの消費量の10%のシェアを獲得したいと考えているようです。英国のガス需要は急増しており、2010年にはガスの純輸入国となる見込みです。


このように世界最大のガス会社ガスプロムは、欧州進出を確実にしつつあります。時価総額が伸びる要素はほかにもあります。ガスプロムには米国市場を念頭に置いた開発計画も浮上しているのです。これは情報が集まり次第レポートします。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 52 欧州財閥の系譜 ウクライナ財閥

政治・経済の両面でロシアの影響を大きく受けるウクライナは、2005年に改革派で親米派のユシチェンコ政権の成立後、暗転し始めました。それまでの好調な経済は、ロシアからの安価なエネルギー資源及び原料の供給、経済発展を続けるロシアや中国への輸出等によって支えられてきました。しかしユシチェンコ大統領は就任直後、ロシアとは距離を置き、EUやアメリカなどとの関係を強化する姿勢を示したのです。大統領はアメリカなど西欧諸国からの投資拡大を見込んでいたましたが、実際にはそれほど投資は増えず、逆にロシアからの安価な資源供給が受けられなくなり、またロシアに並ぶ輸出相手国であった中国の需要が減少するなど経済環境が悪化しました。


ロシアからの安価な資源供給が受けられなくなると、両国間で紛争が始まります。具体的にはロシア「ガスプロム」とウクライナの国営企業「ナフトハス・ウクライナ」との争いです。新政権が新米寄りの立場を明確にしたことで、ガスプムは天然ガスの供給量の減や料金アップをウクライナに申し出ました。
同じくロシアと西欧との中間にあるアルメニアに対してもロシアはガス料金改定を行い、ベラルーシにはガス料金を低価格のまま据え置く代償として、ベラルーシが保有するパイプラインの権益の一部をロシアに譲渡することが決定しました。


ガス料金改定のニュースは、ウクライナ経由でガスの供給を受けている西欧諸国にも影響を与えました。ガスの供給不安に直面したからです。ガスの調達先や輸入ルートの変更、原子力発電の見直しなども視野に入れたエネルギー政策の転換が模索され始めます。その具体的なもののひとつが、ウクライナを迂回してヨーロッパに天然ガスを供給する「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」の建設です。


今後の欧州におけるエネルギー市場を大きく塗り替える可能性のある「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」計画は次週詳しく説明しますので、ここでは概要だけ記しておきます。同計画は、西シベリア北部のガス田からバルト海の海底を通り、ドイツを経由して、英国までガスを運ぶパイプラインを建設しようというものです。2005年4月、ガスプロムはドイツBAFグループと連携し、ウクライナ、ベラルーシ経由でなく、バルト海経由で西欧諸国に直接、天然ガスの輸出を可能にするガスパイプラインの建設を進めると発表。ガスプロムはドイツの企業グループと組んで、ヨーロッパのエネルギー市場のシェアを拡大しようという目論見です。


さて、ロシアとの関係が急激に悪化し経済が失速する中で、特にウクライナ経済を牽引していた東部地域の住民を中心に、ロシアとの関係改善を望む声が急速に高まりました。危機感を覚えたユシチェンコ大統領は、まずティモシェンコ首相を解任。ついでモスクワを訪問し、「ロシアは我々の永遠の戦略的パートナーだ」と発言するなど、ロシアとの関係修復に奔走しました。2006年2月には、内閣不信任案を賛成多数で採択し、同年3月には総選挙で、ロシアとの関係強化を主張する野党が大幅に議席を伸ばし、ユシチェンコ大統領の与党は第三位党に転落し、同年6月に親ロシア派のヤヌコヴィッチを首相とする内閣が誕生し、現在に至ります。


一般的に「ロシア・ウクライナガス紛争」と呼ばれる政治・経済面での攻防は、ロシア側がウクライナに制裁を行ったとの見解があると同時に、ウクライナとの関係強化を狙うアメリカが当時のウクライナ政権を支持したことで紛争が拡大したという見方もあります。「北ヨーロッパ天然ガスパイプライン」が完成すれば供給ルートは大きく変わりますが、現時点ではウクライナへのガス供給が停止すると真っ先に深刻な被害をこうむるのはEU諸国であることも明白になりました。そしてエネルギー資源をめぐる欧州各国の綱引きが、各国の企業グループの明暗を分けることも見えてきたのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 51 欧州財閥の系譜 ウクライナ財閥

先週のコラムでウクライナにふれたので、今週はウクライナの経済情勢と新興財閥を紹介します。1991年、ソ連崩壊後、独立国としてスタートしたウクライナは、ロシアと欧州の間にあり、ガスや電気などエネルギー供給の大半をロシアに依存しながら、鉄鋼業、重工業、農業などの分野でロシアを戦略的な輸出先としています。ロシアからは、石油大手の「ルクオイル」、アルミニウム大手の「ロシア・アルミニウム」などが積極的に進出しています。


興味深いのは、将来的にEU加盟を狙って西欧寄りで親米派の政策を推進するウクライナの政治家と、ロシアとのつながりの強い工業地帯の東部地方(ロシア語圏)代表の政治家とでは、ロシアとのつきあい方に大きな差が見えることです。ウクライナを支配下に置いてロシア企業の進出、促進を意図するプーチン大統領にとって、親ロシア派の現首相ドクトル・ヤヌコービッチは使いやすい存在といえるでしょう。


ウクライナの新興財閥は伝統的な産業である鉄鋼業や石炭業からでなく、ロシアからの資源仲介業、つまりウクライナの製造業向け電力、ガスなどの輸入資源の仲介が源泉となりました。先週のコラムで紹介した“ガスの女王”ことティモシェンコ元首相は、ロシアの天然ガスの最大手「ガスプロム」からのガス供給権の3分の1を手にしたことで財を築き、政界に進出した人物です。いわば政商です。


1990年代半ば、ウクライナのロシアに対するガスの債務が10億ドルを超えました。そこで採用された政策が、民生用のガスは国家輸入、産業用ガスの輸入は民間企業に委ね、政府の認可を受けた国内の企業だけが産業用のガスの輸入ライセンスが与えられるというものです。その時期に誕生したガスの商社の利益を生み出すしくみは、まさにトレーダーといえるでしょう。


彼らの錬金術は巧みです。ガス商社が製鉄工場へガスを供給する場合、代金を支払えない製鉄工場側は、ガス供給停止の危機を回避するために、ガス代金の支払いとして市場価格はもとより、コストを下回る価格でその製品をガス商社に渡さざるを得なくなり、商社は破格の値段の製品を数倍の価格でガスの供給元、つまりガスプロムに引渡してガスの支払いに代えます。さらに残りを海外子会社を通じて欧米諸国に販売し、外貨を稼ぐのです。


このシステムが完成すると、製造業は独自に市場で製品を販売することができなくなり、完全に商社にコントロールされるようになります。商社は癒着する政府要人との関係を生かし、製造業の民営化の時点でその株式を有利に取得し、企業のオーナーになっていきます。こうして財を蓄え、新興財閥にのしあがっていくと、そのグループの総帥は自らが議会選挙に立候補し、国会議員となって直接国政に影響を与え、より多くの富を求めようとします。従ってウクライナの新興財閥の多くが国会議員なのです。だからこそ政治そのものが新興財閥の利害対立の場と化しているのです。


“ガスの女王”ティモシェンコ元首相のエネルギー政策に対立したのが、鉄管利権まで脅かされると察した新興財閥で、国会議員であるビクトル・ピンチュークでした。前大統領レオニード・クチマの娘婿である彼は、「ウクライナで2番目の富豪」といわれています。持ち株会社「インターパイプ」は世界トップレベルの鉄鋼メーカーを所有し、後述するSCMと組んで鉄鋼会社のグループ化を目論んでいます。また、ウクライナの多くのメディアをコントロールしています。


ウクライナ第1位の大富豪は、ウクライナGNPの13%を叩き出している鉱業地帯ドネツクを代表する、ウクライナ最大の鉄鋼鉱山会社「クリボリシスタリ」をはじめ、工作機械企業や鉄鋼所、コークス製造工場などを支配するリナト・アフメトフです。持ち株会社SCMの9割を所有し、資産総額は170億ドルとのこと。彼はウクライナの親ロシア派野党「地域党」の幹部で、「ウクライナ・サッカープレミアリーグ」の強豪チーム「シャフタール・ドネツク」のオーナーでもあり、将来は首相の座を狙っているとのことです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 50 欧州財閥の系譜 ロシア財閥 天然ガス

サハリン沖の天然ガス開発には大別して二つのプロジェクトがあります。いや、正確にいえば、二つのプロジェクトがありました。エクソン・モービルと伊藤忠商事、丸紅商事、日本石油資源開発などが出資している「サハリン1」とシェルグループ、三菱商事、三井物産などが出資している「サハリン2」と名づけられたプロジェクトのうち、後者は2006年9月、「環境破壊」を口実にロシア政府が事業中止を命じ、日本企業などが持つ経営権はロシア最大の天然ガス会社「ガスプロム」へ譲渡させられました。


「サハリン1」と「サハリン2」の二つの開発グループは、天然ガスの輸送手段が、それぞれ独自の方式を考えていることでも特徴的でした。「サハリン1」は海底パイプラインの敷設を第一義的に取り入れており、「サハリン2」は、液化天然ガスとして搬送することを掲げていました。


そして数日前にこんなニュースが飛び込んできました。地下資源の国家管理化を進めるロシアは6月1日までに世界メジャー英国BP社が参加する東シベリアのコビクタ・ガス田開発の事業会社から開発ライセンスを剥奪する方針を固めたというものです。経営権をガスプロムに移すのが狙いで、6月6日から始まる主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)後に正式決定される見通し。日本企業が出資していた「サハリン2」に続く強引な国有化方針には、サミットでも批判が出そうです。


コビクタ・ガス田は14兆立方メートルもの埋蔵量が確認されているロシアで最大級のガス田。事業会社にはBP社の現地合弁会社が63%、残りをロシアの投資会社などが出資し、1992年からライセンスに基づいて開発を進めてきました。ところが、ロシア天然資源省は今年1月、開発・生産状況を調査した結果、ライセンスでは2006年に90億立方メートルのガス生産が義務づけられていたにもかかわらず、生産量が3300万立方メートル以下にとどまっていたとして、ライセンス剥奪の方針が事業会社に伝えられたのです。


十分な生産能力があるにもかかわらず既定量に届かなかったのは、ガスの独占輸出権限を持つガスプロムが新たなパイプライン敷設や輸出を認めないため、当初計画していた中国などアジア向けの輸出ができず、生産縮小を余儀なくされたからです。BP社はガスプロムを事業に参画させ、ライセンス剥奪を免れるべく水面下での交渉を開始していますが、最終的に何らかの形で権益がガスプロムに移行するのは確実とみられています。時価総額でBP社を追い抜き、世界第1位のエクソン・モービルにも迫りたいガスプロムは、ロシア政府と一体となってなりふりかまわぬ攻防に出ているようです。


こういった動向に敏感なのは、イギリス、アメリカ、供給先の中国、出資先の日本だけではありません。ガスプロムが欧州に天然ガス輸送する際に通過するウクライナは、常にロシアの動向を気にしながら政策を展開しています。


ウクライナはガスプロム社によって大きな恩恵を受けていると同時に新興財閥が誕生する要因にもなりました。1995年から1997年までロシアからの天然ガスの主要な輸入・卸売業者「ウクライナ統一エネルギーシステム」の社長を務めた“ガスの女王”ユリア・ティモシェンコは、のちに副首相、首相を務めた女性実業家です。1960年生まれの彼女は大学卒業後、レンタルビデオのチェーン店を設立し、最初の成功を収めます。ソ連崩壊後にいくつかのエネルギー関連企業を経営し、ガスの貿易に乗り出します。ここで巨額の財を築き、1996年に政界に進出します。


1999年から2001年まで燃料エネルギー部門担当の副首相を務め、電力市場取引を近代化させ、電力産業から国庫収入を増加させます。しかし、ウクライナ統一エネルギーシステム社長時代の文書偽造・ロシア産天然ガスの密輸入の容疑で逮捕されるものの、釈放後には野党に転じて再起。2005年1月から半年間、短命ではあったものの遂に首相にまでのぼりつめます。現在は政党の代表として活躍しています。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 49 欧州財閥の系譜 ロシア財閥 天然ガス

先週のコラムでロシアの天然ガス会社「ガスプロム」が時価総額世界第3位に躍り出たことを紹介しましたが、去る5月18日にベラルーシのガスパイプラインを管理する「ベルトランスガス」の株式12.5%を6億2500万ドル(約750億円)で取得したと発表していたことがわかりました。ガスプロムとベラルーシ国家資産委員会が同日契約書に署名した内容によると、ガスプロムは2010年までに段階的に50%を総額25億ドルで取得することで合意しており、今回の契約はその第一弾とのこと。


ベラルーシは日本になじみのない国なので少し説明しておきましょう。ロシア、ウクライナ、ポーランド、リトアニア、ラトヴィアと国境を接する東ヨーロッパの国で、日本ではかつて「白ロシア」と呼ばれていました。


ガスプロムがベラルーシのガスパイプライン管理会社を買収したのは、消費地としてだけでなく、欧州向けガス供給の経由地でもあるベラルーシの輸送網を支配下に置くのが狙いなのです。同社はベラルーシ向けガスの大幅値上げを抑える代わりに輸送網獲得を求めていました。


ロシアと欧州の間にあり、天然ガス輸送の通過点にあるウクライナ、ベラルーシ、モルドバなどは、ガスプロムから恩恵を受ける立場にあります。この3国は、石油やガスをロシアに依存しており、通過点にあることによってトランジット料を得ることができるので、政治的経済的にロシアに依存する形となっています。3国は近年、経済成長を続けるロシアに回帰する態度を鮮明にしているようですが、ガスプロムが果す役割は大きいようです。


ガスプロムは、同社からの税収がロシア政府歳入の約25%を占めている世界最大のガス会社。傘下には、天然ガス生産会社8社、ガス輸送会社13社、天然ガス輸出会社ガスプロムエクスポルトなどがあります。ガス以外の分野でも同社は、多くの傘下企業・組織を抱える巨大企業グループなのです。その分野は、鉄鋼、石油化学、機械、化学肥料、通信、マスコミと多岐に及んでいます。例えば、傘下には、大手化学会社シバー、窒素肥料生産で国内最大手のアグロヒムプロム・ホールディング、鉄鋼会社のオスコリスク鉄鋼コンビナート、ペルムスク・モーターなどがあり、民放最大手NTV株46%を保有しています。  


ガスプロムには、国外資産も多いのでグローバル企業といえるでしょう。多くは、国外で天然ガスの輸送・販売を行う企業です。オランダ、ドイツ、フランス、イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャ、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ポーランドなどに、ガス販売会社、もしくは合弁会社を設立しています。  


これには深い理由があります。ガスプロムの基本戦略は、外国市場におけるシェアの拡大です。国内市場は独占しているとはいうものの、政府によってガス料金は低く設定されており、収益を上げることが難しいのです。つまり、輸出を増加するしか方法はないのです。幸い欧州は天然ガスの供給をガスプロムに依存しつつあります。


同社は欧州市場において25%程度のシェアを占めており、「ゆくゆくは50%までシェアを拡大する可能性がある」と予測する専門家もいるようです。主要な輸出先はドイツですが、近年はフランスにも深く入り込んでいます。2006年、同社とフランスGdF社との間で、ロシア産のガスの供給契約を2030年まで延長する旨の協定が調印されました。ガスプロムはいくつかの株式を買う際の協力を期待してフランスGdF社と協定を結んだようです。同様の協定を結んだのは、イタリアとオーストリアのエネルギー会社です。


ガスプロムはこのように数年先のガス供給を安定的に保障することで、欧州でのガス分配網へ進出し、ガスの販路を安定させようとしています。ガスプロムによる欧州の輸送、保管、ガス配給セクターの買収はますます頻度を増してくるでしょう。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 48 欧州財閥の系譜 ロシア財閥 天然ガス

エネルギー企業が増収増益を続けていることから新富裕層が誕生しているロシア。そのロシアが誇る2大巨大企業といえば、石油企業「ルクオイル」と天然ガスの生産・供給量において世界最大の企業「ガスプロム」です。国営企業ですが、関連グループを含めた新興財閥を築いています。


同社のCEOを務めるのは、1962年生まれのアレクセイ・ミレル。大学で経済学の博士号を取得した秀才で、1991年にサンクトペテル市対外関係委員会に勤務した時の上司に現在のプーチン大統領がいました。その後、サンクトペテルブルク市港湾開発投資局長に任命され、1999年にバルト・パイプライン・システム社の総取締役に就任します。2000年、プーチン大統領によって、中央政府に呼ばれロシア連邦エネルギー省次官に任命、さらに2001年にガスプロム社長に就任しました。これはエネルギー国家統制政策を推進するプーチンの意向であったようです。


一方、同社の取締役会議長(会長)は、大統領府長官を務め、2005年にロシア連邦政府第一副首相に任命されたドミトリー・メドヴェージェフです。1965年9月生まれですから、42歳という若さです。彼はレンニグラード大学法学部から大学院に進学し、私法分野で博士号を取得しています。ソビエト人民代議員機関勤務、大学の非常勤講師を経て、プーチンの顧問を務めるようになります。有能な行政手腕が高く評価され、2008年実施予定のロシア大統領選挙でプーチンの後継者として指名されるのではないかといわれています。


ガスプロムの天然ガスの生産高(採掘量)は、ロシアの88%、全世界の約23%に相当。埋蔵量は、世界の38%を占めると言われています。 ロシアの国家税収の約25%を占め、同社は約60社の子会社と、約30万人の従業員を抱えています。採掘、生産、から供給、販売までを独占しています。


この優良企業ガスプロムの時価総額は、昨年末から今年1月にかけて、BPやロイヤル・ダッチ・シェルを追い抜く勢いで膨張しました。昨年8月、ガスプロムの時価総額は1000億ドル(約11兆円)を超えたばかりであったのに、5ヵ月後の1月には、なんと2倍以上の2168億ドル(約25兆円)に達しました。その時点での時価総額は、以下の順位でした。


1位 エクソンモービル
2位 GE
3位 マイクロソフト
4位 シティグループ
5位 BP
6位 ガスプロム


ガスプロムの時価総額が急激に膨張した理由は、昨年12月23日、ガスプロム株式の外国人保有制限を撤廃する法律にプーチン大統領が署名し、「規制緩和」が進んだことにあります。ガスプロムがロスネフチと共に今後もロシアのエネルギー戦略の中核であり続けることになることは明白です。


ガスプロム株の「規制緩和」に署名したプーチン大統領は、ガスプロムを世界最大のメジャー(国際石油資本)であるエクソンモービルに匹敵するエネルギー企業にしたいと意向しているのでしょう。
そして先月4月28日には遂に世界3位のマイクロソフトの時価総額を追い抜き、時価総額で世界第3位となりました。同日、ガスプロムの時価総額は2700億ドルになり、同日株価を下げたマイクロソフトの時価総額2460億ドルをガスプロムが抜き、ガスプロムは世界3位の企業となったのです。


同日時点での株式時価総額世界トップ4は以下です。


1位 エクソンモービル(3810億ドル)
2位 GE(3580億ドル)
3位 ガスプロム(2700億ドル)
4位 マイクロソフト(2460億ドル)


プーチンが目指しているのは、エクソンモービルに匹敵するロシアンメジャーの誕生です。ロスネフチは今年の夏から秋頃に史上最大規模の株式公開を実施する予定です。仮にですが、ロスネフチの株式公開後に、ガスプロムとロスネフチが合併したら、エクソンモービルを超える時価総額世界最大のエネルギー企業が生まれることになります。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 47 欧州財閥の系譜 ロシア財閥 石油産業

『フォーブス』2007年度版の「世界の億万長者」番付で世界86位となったのが、「TNK-BP」CEOのゲルマン・カンです。「TNK-BP」はイギリスの大手石油会社BP(ブリティッシュ・ペトローリアムス)とロシア企業との合弁会社で、同じくロシアの新興財閥の一人、ビクトル(ヴィクター)・ベクセルベルグが共同経営者として名を連ねています。


その「TNK-BP」が今春3月に株式取得先として名前を挙げたのが、ロシア国営の石油会社「ロスネフチ」です。ロシア連邦政府の国有財産管理庁に管理されているので、実質ロシア政府の所有といえるでしょう。社長は新興財閥のひとりセルゲイ・ボグダンチコフです。ロスネフチは昨年12月、天然ガスの生産・供給量において世界最大のロシア企業「ガスプロム」と戦略的協力に関する合意に達し、包括的な提携関係を締結することに成功しました。両社の合併は、セルゲイ・ボグダンチコフが待遇に不満を示して、不首尾に終わりましたが、提携関係の合意によって油田・ガス田の開発、輸送、販売、新技術開発などを両社共同で事業化することになったばかりです。


そのロスネフチは同じく3月末、かつてロシアの大手石油会社であったが破綻した「ユコス」株(つまりはロスネフチが保有する自社株)の入札を表明していた「TNK-BP」に落札で勝ったと伝えられています。落札の決定内容は、持株比率9.44%、取得額約75億9000万ドル(ロシアの貨幣で1978億4000万ルーブル)でした。


ロスネフチは、依然ユコスが抱える豊富な石油資産(破綻したとはいえ、ユコスは、ユコストムスクネフチ、サマラネフチェガス、東シベリア石油/ガス会社、アンガルスク・ペトロケミカル社などの他に複数の石油精製会社を所有)を可能な限り買収したいと考えており、これが自社株買戻しの競売につながっているのです。


落札した株はロスネフチの新たなる資産獲得のために用立て、残りは市場で売却する予定だそうです。この入札に向けて、TNK-BPもロスネフチも互いに自らの子会社も参加させたり、多額の借入金を準備したりするなど、総力体制で臨んでいたようです。これはプーチン大統領の方針だろうと想像できます。つまり、「ロシア政府が保有する石油会社をイギリス資本が入っている会社に渡してなるものか」「高額で他国に売り渡すより、市場価格を下回っても本国で守ろう」という意気込みなのでしょう。その一方で、ロスネフチ社は守るだけでなく、攻撃もしています。昨年6月、中国の会社と組んでTNK-BP社が所有するロシアの鉱区を買収しています。これを中国企業のロシア進出と見るアナリストも少なくありません。


そのロスネフチ社は、対中国への投資により1千万トンの製油能力を持つ工場を建設する予定です。セルゲイ・ボグダンチコフが同社北京代表事務所の開所式典で明らかにしたところによれば、同社はさらにサハリンにおける石油探査開発で中国石油化工(シノペックコーポ)と協力提携しているとのことです。

一方、中国石油天然気集団(中国石油)は2006年7月、完全子会社である中国石油国際工程有限公司を通じて5億ドルの資金を投じ、ロスネフチ社の新規公開株(IPO株)6622万5200株を同日付で購入しています。これは中国がロシアに接近し、また同時にロスネフチが中国とのビジネスを拡げようとしていることに相違ありません。ロスネフチは昨年、中国石油天然気集団公司 との間で日産20万バーレルを精製する施設を共同運営することで合意し、同時に中国国内で独自のガソリンスタンド網を展開する計画があることも示唆しています。北京から200キロ程度の距離にある精製施設を最大の候補先としており、精製施設候補へは、ロシア及び中国双方から原油が供給される予定とのことです。この二つの大国が経済面で手を結ぶとなると、世界の経済マップは大きく塗り替えられるかもしれません。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 46 欧州財閥の系譜  ロシア財閥 鉱山開発

『フォーブス』2007年版の「世界の億万長者」を見れば、国別ランキングでロシアのビリオネアが前年の33人から53人へと急増していることがわかります。ベスト50には、これまでこのコラムで紹介してきたロマン・アブラモビッチ(16位)、スレイマン・ケリモフ(35位)、ウラジミール・リシン(36位)、ウラジミール・ポターニン(38位)、ミハイル・プロホロフ(38位)、オレグ・デリパスカ(40位)、ミハイル・フリードマン(45位)、ワギト・アレクペロフ(48位)などが名を連ねています。彼ら新興財閥が現在のロシア経済を支えているといっても過言ではありません。


先週のコラムで紹介したナフタ・モスクバ投資グループ代表のスレイマン・ケイモフは、前年の72位(7,810億円)から35位(17,280億円)に急浮上し、要注目の人物といえます。ケイモフは、ロシア第2位の金鉱会社、ポリメタル社を管理しています。


同社はもともとインフラ整備がされていなかった、モンゴルのアスガト銀鉱山を開発するために「モンゴルロスツベトメト社」と折半して興した合弁会社です。ロシアの民間企業がモンゴルに進出していたことは、日本ではそれほど知られていませんが、すでにロシア企業が中国に進出していることを考えると、未開のモンゴルで資源開発に着手することは当然の結果でしょう。


さらに同社は昨年9月、世界第3位の金生産メーカーのアングロゴールド・アシャンティ社(南アフリカ共和国)と組んで、新たな鉱山の調査開発へ向け、ベンチャー企業を設立することに合意したと発表しました。

近年大規模な金山発見がない状況を打破すべく、新たな金山を求めて金生産メーカーが世界を探し回り、アングロゴールド・アシャンティ社はこの取り決めに合意したのです。


「我々はポリメタル社と、この戦略的協力関係を築けた事に大変喜んでおり、ロシア国内に意義ある金事業を築くという我々の目的達成を支援すべく、協働することを楽しみにしている」とアングロゴールド社会長は語りました。一方、銀の主要メーカーでもあるポリメタル社は声明の中で、「両社はシベリアやロシア極東で、金の探索と開発の共同事業を行う」と発表しました。ロシア企業も経済のグローバル化に歩調を合わせてきたようです。


この他の地域では、どちらの会社も金鉱開発を単独で行うことができるものの、相手側がその開発計画に参加しないことを選択しない限り、第三者を招けないという取り決めがなされています。「この共同事業が、我々の活動のフレームワークを拡大し、ロシアにおける大規模金鉱開発をスピードアップすることを、我々は強く信じている」とポリメタル社の会長は語っています。また、ポリメタル社は、2007年上半期にロンドン株式市場に上場するつもりだと発表しています。こういった会社を管理するナフタ・モスクバ投資グループとスレイマン・ケイモフの活躍から、しばらく目が離せないでしょう。


ロシアの金埋蔵量は、南アフリカに次ぐ世界第2位。成長が期待できる分野であることは確かです。ちなみにロシア最大の金鉱山会社はポリウス・ゴールドで、これはノリルスク・ニッケルからスピン・オフした企業です。


ロシアは2005年、IMFからの融資を完済しました。返済資金は、石油輸出税の余剰を積み立てる安定化基金から支出されたようです。これでソ連時代の主要な対外債務を解消しました。2006年度の経済成長率は6%台だと見込まれています。成長の原動力は、輸出入の増加です。輸出は燃料・エネルギー製品、輸入は機械、設備、輸送機器が牽引しました。特に原油価格の上昇によりエネルギー関連商品の輸出増加が目立っています。ロシア企業は、広大な土地に眠る資源を最大限に生かした産業分野でさらに飛躍すると予想されています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 45 欧州財閥の系譜  エリツィン

旧ソ連解体を主導、新生ロシアの改革を推進したボリス・エリツィン前ロシア大統領が4月23日、心不全のためモスクワの病院で死去しました。8年半の大統領在任中は欧米との関係改善を進め、冷戦を最終的に終結。ロシアの民主化を進めるなど歴史的な役割を果たす一方、1993年の旧議会砲撃、94~96年のチェチェン紛争では強権色を鮮明にし、経済的な混乱も招いた功罪相半ばした政治家でした。


一般的には、このエリツィンの経済政策が、ロシアの新興財閥を生み出し、貧富の格差を拡大させたといわれています。新興財閥のうち、現在イギリスに亡命中のベレゾフスキー、ロシアの元メディア王グシンスキー、アナトリー・チュバイス(統一エネルギーシステム)らは選挙戦時にエリツィンを支援する米国式のマスコミ戦略を展開し、エリツィンの続投に成功します。選挙後、政府に対する新興財閥の影響力は強まりました。


プーチン政権になってからは、新興財閥摘発政策が進められ、政治に介入、あるいは政権に敵対する財閥らは脱税や横領などの容疑で次々に摘発され、政治的影響力を失いました。エリツィンを支援した新興財閥の中で堅実なビジネスを展開しているのが、銀行家のアレクサンダー・スモレンスキーです。


ロシアでは、1997年に銀行の設立が自由化されました。翌年、「ロシア金融危機」が訪れます。ロシア政府はIMFから巨額の支援融資を取りつけます。 しかし世界経済の荒波は厳しく、マレーシア、インドネシア、日本などで危機(アジア経済危機)が深刻化したため、「ロシアや中南米市場もいよいよ持たないのではないか」という観測が投資家の間に流れ、ロシアから資金が逃避する傾向が強まりました。


ロシアの国債や地方債、企業債の相場も下落し、債券を大量に保有していたロシアの銀行は、倒産の危機に陥りました。銀行家であるアレクサンダー・スモレンスキーらの圧力もあって、当時のキリエンコ首相は、銀行が外国から借りていた借金の返済を90日遅らせるとともに、ルーブル相場を事実上50%切り下げる政策を選びました。返済遅延の宣言は事実上、国家が借金を返さないという「デフォルト宣言」でした。


この方策は、ロシアの銀行を助けることになったものの、その反面、ルーブル下落は国民生活を直撃しました。また、首相が「ルーブル建ての国債の償還を遅らせる」と発表したことで、外国の投資家に不利な条件となっており、欧米の金融機関から非難されました。


「ロシア経済危機」をしのいで生き残ったアレクサンダー・スモレンスキーはもとより、現在ではその息子のニコライ・スモレンスキーが「大富豪」ぶりを発揮しています。2004年に英国のスポーツカー専門メーカーTVRを、約30億円で買収。製造と販売の部門を分割するなど、自動車メーカーとしての体制を築き始めましたが、経営は芳しくないようです。新しい工場の立地場所も二転三転し、最終的には2007年中に完成車の組み立てを英国外に移管することを決めたとのことです。ニコライ・スモレンスキーは、いわば新興財閥2代目ですが、投資分野で頭角を表している新興財閥もいます。


最近になって複数の有名企業が総面積100万平方メートルを超える規模の住宅建設プロジェクトを発表しています。中でも有名なのが、石油会社「チェメニ石油」の会長で「シベリア・ウラル・アルミニウム」の総支配人のビクトル・ベクセリベルグが所有する「レノワ・ストロイグループ」(エカテリンブルグ市内に900万平方メートル)と、スレイマン・ケリモフが代表を務める「ナフタ・モスクワ」(モスクワ州西部に270万平方メートル)です。ケリモフは2006年『フォーブス』億万長者番付の72位に急浮上し、2007年版では35位にランクアップした人物で、ほかのロシアの新興財閥と異なり、投資をメインにする実業家です。現在41歳。ロシアにもケリモフのような人物が「時代の寵児」となる環境が整ったということでしょう。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 44 欧州財閥の系譜  ロシア財閥 電力

ロシアの電力で思い浮かべるのは、2005年5月25日、モスクワ南部とカルーガ州、トゥーラ州に及ぶ大規模な停電です。広域な範囲が暗闇に包まれ、日本のニュースでも大きく取り上げられました。停電の原因は老朽化した変電所の火災で、ロシアの電力を独占する「統一エネルギーシステム」(統一電力体系、統一電力機構、統一エネルギー機構からなるグループ)に対して、批判が集まりました。同社は職務怠慢と背任の容疑で捜査を受けました。


この「統一エネルギーシステム」を牛耳るのが、ロシアの新興財閥のひとりで、政治家でもあるアナトリー・チュバイス会長です。彼はエリツィン大統領後期にボリス・ベレゾフスキー(石油会社シブネフチ創業者、自動車会社ロゴバス前会長、現在イギリスに亡命)やロマン・アブラモビッチらとともにロシアの政財界に大きな影響力を与えた人物です。1955年生まれのチュバイスは、レニングラード市執行委員会副議長、第一副議長、ぺテルブルグ市長首席顧問を歴任後、1992年6月、ロシア連邦政府の民営化担当副首相に就任。エゴール・ガイダル首相代行とともに急進的市場経済改革を実施しました。


しかし、ガイダルやチュバイスたちが実施した経済改革は、まだ資本主義経済に慣れていなかったロシアにハイパーインフレをもたらしました。チュバイスは民営化を推進するにあたり、国営企業の経営者をそのまま、民営化した企業の経営者に抜擢したので、競争原理を導入したばかりのロシア経済に不平等な結果を招きました。そしてのちに政界を操るようになる新興財閥が生まれ、ロシア社会に貧富の差が増大したのです。


チュバイスはそれでも政治家として生き残りました。1994年11月から1996年1月まで、有価証券委員会担当第一副首相を務めます。1996年の大統領選挙ではエリツィン陣営の選挙対策本部の責任者に就任し、ベレゾフスキーや新興財閥と協力し、エリツィンを再選に導きました。その功労により、1996年に大統領府長官、翌年には第一副首相兼蔵相に就任。41歳という若さでロシア政府“大蔵大臣”に就任したわけですから、その政治手腕と運には驚くべきものがあります。チュバイスは1997年に第一副首相兼蔵相を辞任後、自らが民営化した企業の会長に就任します。彼が天下った先が、ロシアの電力を独占する「統一エネルギーシステム」だったとは、よくできたシナリオです。


しかし、チュバイスはその後も政治的な活動を続け、ルーブルの下落を防ぐキリエンコ首相代行を支持します。リエンコは新興財閥のバックアップを受け、資本の流出を止め、投資家を引きつけて国債を消化させるために、150%の超高金利政策を打ち出します。しかし、投資家はすでに量から質へ転換しており、原油価格の低迷からロシア財政改善にはつながらず、資本の流出は止められませんでした。1998年には、ルーブルを買い支える資金がなくなり、為替レートを維持する資金をIMFから援助してもらうまでになります。


これが「ロシア金融危機」です。そもそもロシアの貿易は輸出の80%を石油や天然ガスなどの天然資源に依存していたため、世界経済の状況に影響されやすく、当時はおりしも世界的なデフレで物価が下落しつつあり、財政は悪化していました。そこにアジア通貨危機の余波を受け、債務不履行が起こります。経済状況の悪化を反映してルーブルも下落し、脱税が蔓延して政府の収入が減る一方で、賃金、年金、各種サービスへの支払いなどにあてる財源がありませんでした。結局それらの支払いを一時停止し、ロシア政府はルーブルではなく現物支給を行って急場をしのいだのです。


さて、エリツィン・ファミリーの一員としてロシアの政財界に強い影響力を誇ったチュバイスですが、プーチン政権で状況は一変します。プーチンは新興財閥が政治に介入することを嫌ったからです。チュバイスもアブラモビッチ同様、政治的な影響力は薄れたと見られています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 43 欧州財閥の系譜  ロシア財閥5 鉄鋼業

新興財閥ノボリペツク製鉄所会長「鉄鋼王」ウラジーミル・リシンのほかにもう一人、ロシアには「鉄鋼王」が存在します。ロシア最大の鉄鋼メーカー「セベルスタリ」筆頭株主のアレクセイ・モルダショフです。この人物、経営に関して相当したたかな手腕を発揮しています。モルダショフは、セベルスタリ社が2002年まで所有していた自動車産業(現セベルスタ・アフト)への投資を通じて、セベルスタリの株式89%を保有するに至りました。


ちなみに独立した持ち株会社として独立したセベルスタ・アフト社はその後、フィアットと共同で2007年後半からバン「デュカト」をロシアで生産すると発表したほか、日本のいすずと提携して小型トラックの生産・販売に踏み切ると発表しています。


そのセベルスタリ社は2006年3月、鉄鋼世界2位のアルセロール社(ルクセンブルク)と経営統合すると発表しました。アルセロールに対しては、世界最大の鉄鋼会社ミッタル・スチール(オランダ)が株式公開買い付け(TOB)を実施していたので、この経営統合はアルセロールがミッタルによるTOBの阻止を狙ったものと見られていました。つまり、セベルスタリはアルセロールの「ホワイトナイト」になる筋書きだったのです。しかし2006年6月、アルセロール社はセベルスタリ社との統合計画を白紙に戻し、一転してミッタルとの合併に合意しました。


セベルスタリは1955年に創業され、ソ連崩壊後に民営化された鉄鋼メーカーです。粗鋼生産量は年間1516万トン(2005年実績)で世界12位。アルセロール社とは自動車向け鋼板の合弁会社を立ち上げるなど親密な関係にあり、アルセロール経営陣は当初、合併は妥当と判断していました。セベルスタリ社とアルセロール社の合併計画では、セベルスタリの筆頭株主のモルダショフが発行済み株式の32.2%を持つことになっていました。この計画にアルセロール筆頭株主のルクセンブルク政府などが反対の意向を示し、事態は急転したのです。


モルダショフはプーチン大統領と緊密な関係にあるとされている人物で、ゆえにセベルスタリはプーチン政権に近く、ロシアが進める資源外交戦略に巻き込まれるのをアルセロール社の株主が嫌ったとの見方もあります。エネルギー産業だけでなく、鉄鋼業も世界の中心に躍り出ようとしているロシアに対する欧州の小国ルクセンブルクによる牽制ともいえるでしょう。


ロシア政府はアルセロールによるセベルスタリの買収を容認していましたが、一方、ミッタルもあきらめず、揺さぶりをかけ続けました。米ゴールドマン・サックスはこの合併に反対するよう、アルセロールの株主に働きかけ、同計画の承認に関して臨時株主総会を開催する書簡に署名するよう求めたとされています。


経営統合が破綻したセルベスタリ社は、アルセロール社から合併契約の違約金1億4,000万ユーロを受け取ることになり、一件落着。勃興するロシア企業を交えて展開された、欧州を震源地にした世界最大級の鉄鋼会社再編劇は、日本企業にも大きな衝撃を与えました。日本に飛び火する可能性が否定できず、新日鉄などのメーカーは連携して買収防衛策に乗り出すなど右往左往しました。ちょうど一年前の出来事です。


そしてモルダショフは2006年11月、ロンドン株式市場でセルベスタリ社の新規株式公開に踏み切りました。新規株式公開(IPO)の共同主幹事として、当初シティグループ、ドイツ銀行、USBを指名しましたが、最終的には株式とグローバル預託証券(GDR)で実施。モルダショフは、最大17億ドルを調達し、自身の出資比率を75%程度にまで引き下げることを望んでいたようですが、調達額は事前の予想を下回る結果に終わったとのことです。とはいうものの、プーチン大統領と親しいモルダショフは、今後も要注目の人物であることは変わりないでしょう。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 42 欧州財閥の系譜  ロシア財閥

「フォーブス」誌発表の「2006年度の世界の億万長者」ランキングの第41位(2004年度の発表では124位)にのぼりつめたウラジミール・リシンは、2005年度に資産を11,770億円まで伸ばした新興財閥です。彼はノボリペツク製鉄所の会長を務め、「鉄鋼産業の重鎮」と呼ばれています。重鎮というくらいだから、老齢かと思いきや、1956年生まれの51歳です。


彼は1992年、ロシアのアルミニウム、鉄鋼輸出企業体「トランス・ワールド」グループと提携し、企業群の管理者になりました。2000年には、ロシア第4位の鉄鋼メーカー「ノボリペツク製鉄所」の9割の株式を取得。ミハイル・フリードマン率いる「アルファ・グループ」の最高幹部ピョートル・アーヴェン(アルファ銀行頭取)をアドバイザーにつけ、ロンドン証券取引所に進出を働きかけ、鉄鋼株の売買で約13億ドル(約1570億円相当)を取得したとされています。


同じく「フォーブス」誌発表の「2006年度の世界の億万長者」ランキングの第44位にランクインしたのが、ビクトル(ヴィクター)・ベクセルベルグです。彼は石油大手「TNK-BP」と、アルミ大手「SUAL(スアル)」の共同経営者です。この2社はどちらも、食うか食われるかの「ロシア企業戦国時代」の渦中にいます。
2006年秋、ロシア最大のアルミメーカー「ルスアル」が同国2位の「スアル」と、スイスの商社「グレンコア」のアルミニウム部門を買収することで基本合意したことが明らかになりました。ルスアル社は、先週のコラムで紹介した「アルミ王」オレグ・デリパスが所有する企業で、買収規模は約300億ドル(約3兆5000億円)になる見通し。買収が成立すれば、このグループは米アルコア社を抜き世界最大のアルミ地金メーカーとなります。「スアル」共同経営者のビクトル・ベクセルベルグは、果たしてどれだけの財産を得たのでしょうか。


一方の「TNK-BP」はイギリスの大手石油会社BP(ブリティッシュ・ペトローリアムス)とロシア企業との合弁会社です。先月3月27日、次のような最新ニュースが届きました。「TNK-BP」がロシア国営の石油会社「ロスネフチ」の株式取得に乗り出すことを表明したのです。ロスネフチの株式は、かつてロシアの大手石油会社であった「ユコス」の元社長ミハイル・ホドルコフスキーが所有していました。しかし、プーチン大統領への批判を表明したことから、政府に目をつけられ、2003年10月、脱税などの罪(ユコス事件)で逮捕、起訴され、その後、ユコスは解体され、ホドルコフスキーの資産も売却されました。


ロスネフチは1993年、ソビエト連邦時代のソ連石油工業省を母体に設立。名目上、株式は公開されていますが、ロシア政府の国有財産管理庁に管理されており、本業の石油、天然ガスから派生し、船舶、パイプライン会社や販促会社を傘下に収めています。中枢はKGB人脈に支配されていると言われる巨大企業グループです。


2005年11月に発表された1-6月期決算によると、純利益が24億4000万ドルで、売上高は98億6000万ドル。前年同期と比べると、これは「純利益は約8倍、売上高も4倍強」という驚異的な数字でした。原油価格の上昇も利益拡大の要因ですが、ホドルコフスキーの経済遺産、すなわちユコスの子会社ユガンスクネフチガスを吸収(買収)したことにあります。


現在、ロシア政府の管理下にあるロスネフチ株の公開市場価格は、およそ90億ドル(日本円で約1兆620億円)といわれています。そのロスネフチ株を取得するために、「TNK-BP」は入札に参加したわけですが、本家イギリスの「BP」からすれば、ロスネフチ株を取得し、広大なロシアの化石燃料を武器にして市場拡大を図りたいところ。ロシア企業との合弁会社を設立したのも、石油やガス開発に力を注ぐロシアに地盤を築くためだったのでしょう。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 41 欧州財閥の系譜   ロシア財閥 インテルロス・グループ

ロシアの新興財閥のひとつ、「インテルロス・グループ」の総帥ウラジーミル・ポターニンは、石油会社「シダンコ」社の役員になったのち、1996年に遂にロシア連邦第1副首相(経済省、独占禁止政策国家委員会、財務省、連邦自然独占調整局、国有財産管理国家委員会を監督する経済問題担当者)に抜擢されます。これはポターニンが1996年の大統領選挙において、エリツィンを支持し、再選に貢献したからだとされています。第1副首相就任にあたって、オネクシム銀行総裁を辞任。同年、国際復興開発銀行(世界銀行)と多国間投資保証期間(MIGA)のロシア側責任者に任命されます(97年4月解任)。続いて「国際金融経済組織およびG7との協力に関するロシア省庁間委員会」議長に任命されました(97年4月解任)。


さらに武力機関(軍隊や治安機関)への資金供給問題を担当する政府委員会の設置が決定され、同委員会を率いることになります。大統領令によって承認された大統領直属納税・予算規律強化臨時非常委員会副議長に就任。1997年4月までロシア石炭生産地社会経済問題省庁間委員会議長も務めました。連邦第1副首相解任後、オネクシム銀行総裁に復帰。1998年、持株会社「インテルロス」の社長就任。現在、金融と産業の両部門で経済人として活躍しています。


新興財閥のひとり、「アルファ・グループ」総帥のミハイル・フリードマンも注目すべき活躍を見せる人物です。フリードマンはユダヤ人で、ロシア・ユダヤ協会副会長を務めている人物です。1989年にコンピュータ関連会社「アルファ・フォト」を設立して実業家のキャリアをスタートさせました。


1990年に「アルファ・キャピタル」設立、1991年に「アルファ銀行」を創設し頭取就任。その後、食品加工事業、セメントや木材、ガラスなどの建設資材会社の持株会社として「アルファ・グループ・コンソーシアム」を設立。2003年にフリードマンは、同グループの石油子会社チュメニ石油の株式の半分を61億5000万ドルでブリティッシュ・ペトローリアムに売却し、一躍脚光をあびます。ロシアで第2位の規模の携帯電話オペレーター、ヴィンペル(VIP)もアルファ・グループのプライベートバンクによって支配されています。


ロマン・アブラモビッチに匹敵する大富豪にまでのぼりつめた新興財閥に「アルミニウム王」オレグ・デリパスカがいます。「ロシア・アルミニウム」社長のデリパスカは1968年生まれ。モスクワ大学物理学部卒業という理系です。彼はアルミニウム関連の仲介会社を設立し、サヤンスク・アルミニウム(サヤン・アルミニウム)の株式を買収し、同社の社長に就任します。その後、原料から最終加工までアルミニウム関連企業を傘下に収め、ロシアの石油最大手「シブネフチ」とともにロシア・アルミニウムを設立し、社長に就任します。


ロシア・アルミニウムは、ロシアで生産されるアルミニウム生産の約70パーセント、世界生産の約12パーセントを占めるとされています。そこでデリパスカは「アルミニウム王」と呼ばれるようになります。
彼は新興財閥のリーダー的存在のロマン・アブラモビッチと協力関係を結び、2001年ロンドンに設立されたミルハウス・キャピタルにロシア・アルミニウム株50パーセントの信託管理を委ねます。さらにグループ統轄のために、資産管理会社バーザブイ・エレメント社を設立。大手保険会社インゴストラフも傘下に置きます。2004年にはアブラモビッチが所有していたロシア・アルミニウム株を買収し、100パーセント掌握するに至ります。


また、ロシア・アルミニウムは、アルミニウムの生産に巨大な電力消費を必要とすることから、同じく新興財閥のアナトリー・チュバイスが支配する「統一エネルギーシステム」(UES)の事業にも参画し、政治力を発揮しつつあります。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 40 欧州財閥の系譜   ロシア財閥4 ルクオイル

ロシア第2位の資産を誇るワギト・アレクペロフが経営する石油会社「ルクオイル」は、新生イラク誕生後の2004年夏、人道援助として数百万ドルを提供したほか、西シベリア及びボルゴグラードにおいてイラク人石油専門家の研修を引き受けました。また同社は5年間にわたり、イラク人専門家150名をロシア内の石油施設で研修することも約束しています。


アレクペロフは2005年9月、「こうした援助は、ロシア企業がイラクで石油事業を行う出発点である」と述べ、新生イラク政府の石油部門を下支えすることで油田権益の復活を目指す姿勢を鮮明にしました。


一方、イラク石油省は2005年6月、フセイン政権時代に締結された全ての石油契約を再検討するための閣僚委員会を設置すると発表。同時に石油省はフランスのトタール及びロシア、中国の石油企業と既存の石油開発契約を再交渉すると発表しました。他方、新たに選出された議会は、憲法に即した石油投資法の制定を予定しているとのことです。


ルクオイルは、米国のコノコフィリイプが自社株の17%を取得しさらに20%まで比率を引き上げることを計画していることもあって、見通しは明るくなったと考えているようです。但し、米国のイラク専門家は「油田契約の権限を誰が持つことになるかは、中央政府がどのようになるかにかっかっている」「イラクがまだ内戦の危機をはらんでいることを考えれば、まずはビジネスに安全な環境の回復が必要である」と語り、外国石油企業が油田の権益を獲得するまでにはまだまだ時間がかかるとの見方を示しています。


このようにロシアの新興財閥は、政治に深く関与していく傾向が強いのが特徴です。エリツィン政権で台頭したウラジーミル・ポターニンもその一人です。彼は2006年にロシアの経済紙「フィナンス」が発表した「ロシア富豪番付」で第9位にランクインした人物です。


ロシアでは2005年2月から2006年2月の1年間に株価が108%の上昇を記録したことを受けて、企業オーナーたちの持ち株の時価総額が急激に拡大し、多大な恩恵を受けたスーパーリッチが多数誕生する下地を生んだのです。


ウラジーミル・ポターニンは1961年、モスクワ生まれ。1883年、モスクワ国際関係大学卒(国際経済学専攻)。1883~1990年、対外経済関係省に勤めたのち起業。1991年、外国貿易会社(94年から金融産業グループ)「インターロス」総裁に就任しました。以降、ポターニンは破竹の勢いでロシア経済と政治に深く食い込んでいきます。


1992~1993年「国際金融社」銀行副総裁、後に総裁。1993年より「オネクシム銀行」を創立し、総裁を務めます。スイスに姉妹銀行を開設する一方、世界有数のニッケル製造企業「ノリリスク・ニッケル」の経営権を奪うなど、市場経済化の波に乗る新世代の経済人として知られるようになります。
ポターニンは同社の主要株主ですが、現在「ノリリスク・ニッケル」の社長を務めるのが、ミハイル・プロホロフです。彼は「ロシア富豪番付」で第8位にランクインしています。総資産額は67億ドル(約8000億円)。同社は、世界のニッケル市場で2割強のシェアを握っています。


ロシア連邦クラスノヤルスク地方にある都市ノリリスクは、世界有数のニッケル鉱山があるほか、銅やコバルトなどの金属を産出しています。ノリリスクのコンビナートは、世界のパラジウムの35%、白金の25%、ニッケルの20% 、ロジウムの20%、コバルトの10%を生産しています。「ノリリスク・ニッケル」を掌握したということは、プロホロフはニッケル市場に大きな影響力を持つようになったということです。
このようにロシアの新興財閥は、金融と天然資源の開発のどちらかで財を築いた人物が富に目立っています。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ39 欧州財閥の系譜  ロシア財閥3 エネルギー企業

ロシアは原油埋蔵量において世界7位、生産においてサウジアラビア、アメリカに次ぐ第3位です。天然ガスの埋蔵量は世界1位、産出では世界2位です。このデータを見る限り、ロシアはエネルギー輸出に依存する国と言えるでしょう。


『フォーブス』が発表した2006年度版の「世界の億万長者」で第37位にランクインし、ロマン・アブラモビッチに続いてロシア第2位となったのが、ロシア石油会社最大手「ルクオイル」の代表を務めるワギト・アレクペロフです。彼の資産は110億ドルと発表されました。


「ルクオイル」は、1991年に旧ソ連時代の三つの石油採掘企業が統合され、国家コンツェルンとして発足した企業です。1995年に西シベリア、ボルゴグラード、ペルミなどの精油所、石油化学工場を保有し、さらにアストラハン石油などをグループに加えました。アメリカのアトランチック・リッチフィールド(ARCO)は、ルクオイルの戦略的パートナーで、同社の株式を保有しています。


ルクオイル社の動向に注目したいのは、ロシアのイラク戦争への関与の仕方とイラクの石油利権に深くかかわっているからです。一国の政治・経済だけを見ていては国際情勢を把握することはできません。
ルクオイルはサダム・フセイン時代の1997年、西クルナ油田の開発・生産契約を獲得しました。バスラ西方の北部ルメイラに位置する西クルナ油田の埋蔵量は、110億バレルから150億バレルと推計されています。ルクオイル社の西クルナ油田開発権(出資比率68%、予想投資額60億ドル)には、イラクの原油輸出と人道物資購入契約が含まれていました。これはプーチン大統領の意向が色濃く反映されていたと想像できます。つまり、ロシアは中東とつきあっていきうえで、イラクに大きな影響力を確保したいということです。


しかし、イラク政府は2002年12月、ルクオイルが「契約後の当初3ヶ月で最低2億ドルを油田に投資する」との約束を履行しなかったとして、契約を一方的に破棄します。当時のタリク・アジズ副首相は、2002年12月、「ルクオイルはワシントンに行き、フセイン政権転覆後の契約履行の保証を求めた」「こうした行為は受け入れられない」と語り、フセイン政権がルクオイルとの契約を破棄した舞台裏を解説しました。


イラクの確認石油埋蔵量は1,150億バレル(2004年末:BP統計)で、これは世界第3位の量です。ロシアは2002年、イラクに対し総額400億ドルに及ぶ協力プログラムの提供を申し出た背景には、イラクの油田開発を他国、特にアメリカ企業に渡さないための戦略があったようです。皮肉なことに、プログラムの提供の申し出は、アメリカを中心とした連合国がイラクに侵攻する1年前のことでした。


その後、イラクが保有するとされる大量破壊兵器の査察という国連決議を支持したロシアに対して、イラクは復讐します。前述したように2002年、西クルナ地区におけるルクオイル社との契約を破棄したのです。こうしてルクオイルは西クルナの油田開発の権利を失います。

現在ルクオイルは、イラクでの新政府の形成が喪失した西クルナ油田の権益を取り戻す機会になると受け止めているようです。ルクオイル・オーバーシーズのアンドレイ・クズヤエフ社長は2006年2月、ロンドンで「我が社は、2006年にイラクに新政府が成立することで、西クルナ油田を取り戻す交渉が再開されることになるのを願っている」と述べ、喪失した油田の権益の回復に希望を託していることを明言しました。


ロシア・プーチン政権にとってもイラクにおける油田開発の権利は、ぜひ手に入れたいもの。ロシア第2位の資産を誇る「ルクオイル」社長ワギト・アレクペロフの動向は、次週でもお届けします。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 38 欧州財閥の系譜  ロシア財閥 ユコス

ロシア最大の石油会社のオーナーで、一代で新興財閥にまでのぼりつめたホドルコフスキーの逮捕にまで発展した「ユコス事件」は、2003年6月、同社の保安責任者アレクセイ・ピチューギンが逮捕されたことで幕を開けました。彼の容疑は1998年に起きた2件の殺人事件と1件の殺人未遂でした。7月には、金融子会社メナテップの社長でもあったユコスの株主プラトン・レベジェフが検挙されました。1994年に肥料メーカーのアパチット・グループが民営化された際に様々な金融犯罪に関与し、ユコスに未納の税金を払わせようと奮闘した市長が1998年に殺害された事件の共犯となったことが容疑でした。


検察はさらに、当時のユコス社長ホドルコフスキー、イスラエルに逃亡していた副社長レオニード・ネヴズリンに出頭命令を出します。そして同年10月、ホドルコフスキーは投獄されたのです。組織的な横領、詐欺、脱税、文書偽造など、彼の容疑は7件に及ぶとされています。レベジェフとホドルコフスキーの2人は、これらの罪状について否認しましたが、2005年にモスクワ市裁判所はホドルコフスキーに禁固8年を言い渡しました。


検察は10月、ユコスグループの株式の44%、推定150億ドル相当の資産凍結を発表します。しかし、ホドルコフスキーは検察の動きを予見していたらしく、手元には9.5%の株式しかとどめておらず、残りはユコス・ユニヴァーサル社とハリー・エンタープライゼス社に名義変更されていたといいます。これら2社は、メナテップの姉妹会社であるメナテップ・ジブラルタルの傘下にあります。ユコスは検察に挑むかのように、20億ドルという記録的な利益配当を実施しました。その大半を受け取ったのはホドルコフスキー本人。もう一人の大口株主は、ロシア企業シブネフチの売却時にユコス株の26%を取得したロマン・アブラモビッチでした。ホドルコフスキー社長の下で、ユコスの株価は1998年から2003年の間に120倍に跳ね上がっていたといいますから、すぐれた経営手腕の持ち主だったのでしょう。


ユコス幹部の逮捕が実行されたのは、同社が歴史的な転機にさしかかっていたときでした。シブネフチとの合併が計画され、多国籍企業に大量の株式を売却するための交渉が進められていたのです。2003年10月初頭の時点では、世界最大の石油企業エクソンモービルが、ユコス株40%~50%を250億ドル前後で取得する交渉を行っていたといいます。ホドルコフスキーが3億ドルで手に入れたユコスの価値は、シブネフチと合併すれば300億ドルを超えると評価されていたのです。


ホドルコフスキーは「会社と従業員のためを思って」社長職を辞し、「市民社会」を推進するために2001年に設立した財団「開かれたロシア」の業務に専念すると発表しました。ユスコ社の後任社長はシモン・クケスです。彼はアメリカの市民権を取得した後、1996年にユコスの副社長として帰国、98年にはTNK(旧チュメニ石油)に移ってBP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)との投資交渉にあたり、ユコス社に戻ってきたところでした。同社の重役は、現在アメリカ国籍者が4人、ロシア国籍者が3人という構成となっています。

株式相場はホドルコフスキーの社長辞任で一時下がりはしましたが、クケスの社長任命を受けて回復し、投資家は安堵したようです。その後、BPはTNK買収計画を推し進め、石油・天然ガス会社BP-TNKを設立。また、ドイツ銀行は「ロシアはヨーロッパ最大かつ最重要の市場である」として、ある投資銀行に40%出資すると発表しました。

プーチン大統領は、ロシアの重要産業である石油ビジネスに外資が大量に入ることを排除はしていないものの、国家が大型取引や吸収・合併を監督することを望んでいるようです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 37 欧州財閥の系譜 ロシア財閥2

石油取引で財を築いたロシアのロマン・アブラモビッチが2003年7月にイングランドの名門サッカークラブ「チェルシー」を買収し、約160億円ともいわれる負債を返済してオーナーになったように、ロシアの新興財閥はこぞってヨーロッパに進出していきます。それを受けてロシアの新興財閥に対するプーチン政権は強攻策に打って出ました。資産家が保持する資産の国外流出を招くと懸念したのでしょう。新興財閥の資産凍結や没収も検討されました。


反プーチン的発言を繰り返し、現在は脱税容疑で懲役刑に服しているミハイル・ホドルコフスキーもアブラモビッチ同様、新興財閥と呼ばれる若手経営者の一人です。1963年生まれのホドルコフスキーは、コムソモール(ロシアの共産党青年組織)書記を経て、1988年に科学技術プログラム制作会社「メナテップグループ」を設立します。その後、ジルソツ銀行と合同し、科学技術進歩商業革新銀行を設立し、1990年に「メナテップ銀行」と改称し、同行を中心にグループを拡大します。「メナテップ銀行は、ロシア共産党の隠れ資産の運用・資金移転を実行していた」という風聞もありました。ホドルコフスキーは1995年に実施された株式担保型民営化の過程で多数の企業を買い取り、同銀行を核にした巨大なホールディング会社を形成していきます。


ホドルコフスキーは1995年、グループ管理会社「ロスプロム」を設立し、メナテップグループは外国為替取引や国債運用でグループの資産を増やすと同時に、ロシア国内の有望企業に投資や買収を実践していきます。ロスプロムはメナテップグループの投資部門から切り離され、「ロスプロムグループ」として一大財閥を形成していきました。担保入札を通して食品、繊維、建材、金属などの企業を傘下に収めていきます。そして大手石油会社「ユコス」の吸収に着手していきます。メナテップ銀行は1988年のロシア金融危機によって破綻しますが、ホドルコフスキーは1998年にユコス社の社長に就任し、原油の対米直接輸出を開始します。これによってユコスはロシア最大の石油会社に成長します。新しい石油王は、新興財閥の筆頭格として世界中から注目をあびました。


そして2003年4月、アブラモビッチが株式のほとんどを保有している石油企業「シブネフチ社」の吸収計画を発表します。しかし、同年10月、ホドルコフスキーは脱税などの罪で逮捕・起訴され、ユコス社長を辞任します。彼の逮捕は、2003年にホドルコフスキーがプーチン大統領への批判を公言しはじめたことが直接の原因と噂されています。


当時ロシアの地元新聞は「プーチン政権と石油王ホドルコフスキーの抗争の帰結は、今後10年間のロシアの行方を決定することになるだろう」と論じました。ロシアの財閥は経済だけでなく、政治にも深く関与してきました。ホドルコフスキーとアブラモビッチをはじめとする新興財閥は、2003年末の選挙で特別多数決を阻止できる数の議席を手に入れて、議会を「民営化」することを目論んでいたのです。


一方、プーチン大統領は、ロシア政府が38%の株を所有する企業「ガスプロム」のような国有企業の新たな民営化や、戦略的分野への大規模な外国投資を間近に控え、新興財閥の機先を制しようとしたのです。プーチンは新興財閥がロシアの経済的支配を強め、ロシアへの多国籍企業の進出条件を勝手に決めるようなことは容認できなかったのです。


ユコスとホドルコフスキーの影響力によって、この「ユコス事件」は国際的な広がりを見せることになります。ロシアの新興財閥は、このように常に政治的な側面をはらみながら、今日に至っているのです。

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 36 欧州財閥の系譜 ロシア財閥

今週から数回に渡って、ヨーロッパ経済に大きな影響を及ぼしてきたロシアの財閥と、現在勢いのある新興財閥を紹介します。


まず、「ロシアのロスチャイルド家」として有名なのがグンツブルグ家です。グンツブルグ家は15世紀の古い時代まで家系をたどることができる。


1833年にキエフ地方のユダヤ人家庭に生まれたホレス・グンツブルグは、1871年に男爵位を授けられました。その3年後に、ロシアの鉄道融資に多大な貢献をした父親のヨゼフにも男爵位が与えられました。彼らが19世紀初頭の帝政ロシアを経済的に支配したのです。


そしてペテルブルグ(現サンクペテルブルグ)に設立された「グンツブルグ銀行」が、ロシア全土の金融中枢として機能し、鉄道ばかりでなく、ウラル、アルタイ、シベリアに及ぶ金鉱開発の総本山となっていきます。一族は婚姻関係により世界にユダヤ人富豪のネットワークを築いていきました。


しかし、現在グンツブルグの名を聞く機会は少ないのが現実です。それは資産家かせ財産を取り上げるロシア革命を逃れて欧州に渡ったからだとされています。フランス分家にピエール・ドゥ・グンツブルグという名前の富豪がいます。フランではギンスブルグ、あるいはギンズバーグと表記するので、彼らがかつてのロシアの財閥グンツブルグ家の子孫であることがわかりにくくなっているようです。


さて、現在に話を移しましょう。エリツィン前大統領時代に幅を利かせた大富豪の一人、石油会社シブネフチ社の創業者で自動車会社ロゴバス社の前会長ボリス・ベレゾフスキーは、反プーチンを公言し、イギリスへ亡命。一方、世界最大の天然ガス会社ガスプロム社のトップに君臨していたビャヒレフは権限のない会長職に退きました。


ガスプロム社はロシア政府が38%の株を所有する企業ですが、旧ソ連崩壊直後の1992年に社長に就任したビャヒレフが実権を掌握。会社幹部一族による関連会社経営や資産隠し疑惑などが取りざたされていました。同社の新社長に就任したのは、プーチン大統領の元部下でした。どうやらプーチン大統領は、国家税収の4分の1を提供する巨大企業の主導権を把握したようです。


このようにプーチン政権は、エリツィン時代に台頭した財閥と距離を置いています。それは財閥の政治介入を排除するためであろうと想像できます。
プーチン政権下で勢力を伸ばしたロシアの財閥は、そのほとんどが石油関連ビジネスにかかわっています。富に名高い人物が、ロマン・アブラモビッチ、ワギト・アレクペロフ、ビクトル・ベクセルベルグ、ミハイル・フリードマン、ミハイル・ホドルコフスキーなどです。彼らは、オリガルヒア(新興財閥)と呼ばれています。


『フォーブス』が毎年発表している「世界の億万長者トップ100」の第11位に躍り出たロマン・アブラモビッチは、1966年生まれ。日本ではイングランドの名門サッカークラブ「チェルシー」のオーナーとして有名ですが、彼こそがロシアの若き石油長者の代表なのです。2005年、最大の資産だった石油会社シブネフチ社の株72.6%を1兆4300億円で、前述した世界最大の天然ガス会社ガスプロム社に売却して話題を集めました。これは「ロシア史上最大の企業合併」と呼ばれています。


ロマン・アブラモビッチはもともと石油取引で財を築き、イギリスに亡命した大富豪ボリス・ベレゾフスキーが設立したシブネフチ社やロゴバス社の管理を任された人物です。つまり、ベレゾフスキーと出会って彼の人生は好転したのです。1995年にはベレゾフスキーと共同でP.K.トラスト社を設立。1996年からシブネフチ社の取締役を務め、アルミニウム企業最大手のルースキーアルミニウムの実権も握りました。また、チュクチ自治管区の知事を6年務めました。彼は、ムリティトランス、ペロルトランス、ツェントリオンMなど7社のオーナーであり、13社の企業に共同経営者として経営に参加しています。ロシアでは彼のような新興財閥が台頭し、ロシア政府はもちろん、欧州にも大きな影響を与えています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 35 欧州財閥の系譜 ベルギー財閥

エジプトのカイロに場違いなヒンドゥ寺院風の宮殿があります。現地ではその建物を「カスル・アル・バロン」と呼んでいます。バロンとは地名や人名ではなく、「男爵」という意味です。

この豪邸を建設したのが、ベルギーの実業家エドワール・ルイ・ジョセフ・アンパンです。1929年に他界した彼は、一代にして銀行、電気、鉄道、都市開発などの事業で国際的な大成功を収めました。パリの地下鉄建設に果たした業績によって、フランス政府から「男爵」の爵位を贈られて以降、アンパン一族はフランスとベルギー両国で特別な存在になりました。


このアンパン男爵の子孫は今日、アンパン財閥と呼ばれ、金融と原子力分野で大きな影響力を持っています。ベルギーといえば原子力開発ビジネスの先端を走る国ですが、アンパン財閥は原子力分野に進出する前からロスチャイルド家と深い関係がありました。


初代アンパン男爵とフランス・ロスチャイルド家は、鉄道事業の利権を分け合っていました。アンパンがパリに乗り込んで地下鉄第一号を建設すれば、ロスチャイルドはベルギー鉄道に大きな投資をしました。その理由は、フランス北部まで地下鉄が完成すれば、そこがターミナルとなり、フランス北部とベルギーを結ぶ、ロスチャイルド家経営の「北部鉄道」が潤うからです。こうしてフランス・ロスチャイルド家はベルギーに進出し、アンパンはロスチャイルドの事業を利用しながら資本家にのぼりつめます。


その三代目アンパン男爵が打って出たのが、フランスの原子力産業最大手「フラマトム社」の買収でした。同社はもともと兵器会社で、武器商人として財を築いたシュネーデル一族が支配していました。フランスの原子炉メーカーといえば、実質的に同社のことになります。


原子炉供給メーカーの世界的企業といえば、米国ではGE(ゼネラル・エレクトリック)とWH(ウェスチングハウス)社が著名です。一方、欧州諸国のうちイギリスとフランスでは電力会社は公営で、フランスの電力会社は「フランス電力」しか見当たりません。

電力の供給を原子力に頼るフランス政府は、フラマトム社に資本を提供してきました。ちなみにフランス電力の前身は、フランス・ロスチャイルド家の「北部鉄道」から誕生した電気事業の「北部電灯」が母体となって誕生した「コンパニー・ジェネラル・デレクトリシテ」です。


原子力産業最大手フラマトム社の株は、1975年までWH社が45%、クルーゾ・ロワール社が51%所有していました。クルーゾ・ロワール社はフランスの大手武器メーカーで、そのクルーゾ・ロワール社の株式の半分を所有していたのが、アンパン男爵がオーナーを務めるアンパン・シュナイダー社なのです。
1975年にはWH社の持ち株45%のうち30%がフランス政府へ譲渡され、1982年には残りの15%をクルーゾ・ロワール社が取得。つまり、アンパン財閥が実質的にはフランス最大の原子炉メーカーのオーナーになったということです。


さらにフラマトム社は近年、合理化と多角化に務め、2001年、ドイツを代表する多国籍企業グループ「シーメンス」の原子力部門を統合し、共同子会社「フラマトムANP社」を発足しました。ほかにも核燃料サイクル企業を再編成するなどして、フラマトムを中心に据えた世界最大規模の原子力企業グループが誕生。現在ベルギーはもちろん、南アフリカ、韓国、中国に合計11個の原子炉を輸出しています。
こうしてベルギー出身のアンパン一族は、欧州の原子力開発分野を牛耳る一族になったのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 34 欧州財閥の系譜 フィンランド財閥

2006年のフィンランド経済は、好調な輸出、旺盛な民間設備投資および堅調な個人消費により極めて好調で、「実質GDP成長率は5.9%に達した」と財務省は推定しています。先週紹介した北欧スウェーデンの最強の財閥ウォーレンバーグと提携している一族が隣国フィンランドにいます。フィンランドの有名企業といえば、真っ先にノキアの名が挙がることでしょう。ノキアの携帯電話、エリクソンの部品などを受託製造しているエルコテック社も世界進出を企て、現在日本、中国、インドへ進出しつつあります。


そのフィンランドで最大の売上げを誇る企業ノキア社の業態改革を進め、成功を収めた会長兼CEOヨルマ・オリラが2006年6月、ノキアの経営から身を引き、オランダのロイヤル・ダッチ・シェル会長に就任し、華麗なる転職を果たしましたが、世界の携帯電話販売台数の35%(2005年度)のシェアを誇る、この巨大なテレコム企業に影響を与えているのは、そのヨルマ・オリラではなく、16世紀にドイツから移住したエールンルーツ一族です。一族はあまり表に登場しませんが、ノキアのほかにも、フィンランドの基幹産業である木材をはじめ、生活用品、電力、造船、金融など諸事業に関係しています。


フィンランドを代表する産業である森林産業の企業名を挙げるなら、欧州最大手の製紙メーカーであるストゥーラエンソとUPMキュンメネが双璧です。
前者は売上げ規模で世界一。欧州を中心に森林・製紙企業グループを築いています。近年ではエストニアで最大級のシルベスタ製材所を買収したほか、中国にも進出しています。同社が購入し、使用権を有する中国・広西チワン族自治区の林地、人工原料林の面積は6万ヘクタールに達しています。同社のスポークスマンによれば、第1期プロジェクトはパルプ年産35万トン、紙年産45万トンを見込んでおり、2008年に生産を開始する予定とのことです。また、同社はチリ最大の林産企業アラウコと組んで、ブラジル植林地の共同所有に向けた話し合いを進めているようです。ストゥーラエンソはグローバル企業グループということがいえるでしょう。


一方のUPMキュンメネは、印刷用紙の世界シェアでナンバーワンの企業。生産拠点を世界15ヵ国に置き、森林産業全般に巨大なグループを築いています。ヘルシンキ及びニューヨーク証券取引所に上場し、2004年には日本にも進出し、現地法人を設立しました。この2社がノキア社に続くフィンランドの優良企業です。


フィンランドの隣国のノルウェーにも財閥が存在します。ノルウェーはEUに加盟しておらず、また石油開発や通信事業分野で国有企業が多いので経済動向がつかみにくい国ですが、産業全体に占める天然資源産業(石油、ガスなど)の比率が高く、意外にも世界屈指の石油輸出国なのです。そこで海運業が発展したのです。その海運業で成功したジョン・フレドリクセンはケタ違いの資産家です。2000年12月、億万長者の彼が私有する石油輸送大手ワールド・シップホールディング・グループ(WSG)が、シンガポールを代表する造船会社を買収。同社は一気に、石油・ガス産業向けの船舶を保有し、チャーター・運航を主要業務とする世界屈指のエネルギー輸送グループに駆け上がりました。


余談ですが、ドイツのIW経済研究所が発表した先進20カ国の比較調査でこんな結果が出ています。1900~99年の100年間、国民1人当たりの実質経済成長率は日本が1660%で1位。2位はノルウェー(1090%)、3位はフィンランド(1010%)となっています。北欧諸国は森林や石油資源に恵まれていたので、経済が成長したのでしょう。これからも目が離せない地域です。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 33 欧州財閥の系譜 スウェーデン財閥

北欧スウェーデン最強の財閥ウォーレンバーグ一族は、「スウェーデンのロックフェラー家」と呼ばれています。この一族は巨大企業グループを形成しています。


スウェーデン3位の大手銀行であるSEB(スカンジナビスカ・エンスクリダ・バンク)と持ち株投資会社「インベスター」を中核に、国内の通信機器大手エリクソン、家電・厨房機器大手エレクトロラックス、航空機と自動車大手サーブ、産業機材大手アトラス・コプコ、ヘルスケア大手ガンブロ、素材エンジニアリング大手サンドビックなどを傘下に従えています。


国外ではスイス本社のエンジニアリング最大手ABB(アセア・ブラウン・ボベリ)、イギリスとスウェーデンに本部を置く世界3位の製薬会社アストラゼネカなども一族が支配する企業です。また一族の資産を管理するナット・アンド・アリス・ウォーレンバーグ財団は、「ノーベル賞」で知られるノーベル財団最大のスポンサーのひとつです。


グループの中で日本でもなじみの深いのは「エリクソン」と「サーブ」でしょう。エリクソンはモバイル・インターネットおよびブロードバンド・インターネット・コミュニケーションの将来を最先端技術で築くリーディング・カンパニーです。


世界140ヶ国以上で画期的なソリューションを提供し、日本ではソニーとの共同出資企業「ソニー・エリクソン」の社名でも知られています。近年では携帯電話分野で富に名前が知れ渡っています。ちなみにウォーレンバーグ・グループのヨーラン・リンダール前 ABB社長は、ソニーの取締役を務め、アングロ・アメリカンの副会長にも就任した人物です。


SAABブランドで知られる乗用車部門は1990年にゼネラルモータース(GM)との折半合資会社「サーブ・オートモービル」に移管され、2000年にはインベスターはサーブ自動車部門の株式50%をGMに売却し、GMの完全子会社となりました。


GMとウォーレンバーグ・グループは、以前から密接な関係を維持してきました。インベスター、ABB、アストラゼネカ、サンドビックの4社の会長を兼任するパーシー・バーネルは、1996年からGMの社外取締役に就任しており、M&Aを含めた政策を協調して行ってきました。


パーシー・バーネルは世界的に評価の高い経営者で、ダボス会議を主催する「ワールド・エコノミック・フォーラム財団」の副会長も務めています。


余談ですが、GMがサーブを買収したことに対抗し、フォードは同じスウェーデンのボルボの自動車部門を買収しました。さらにドイツのフォルクスワーゲンが、サーブの兄弟会社でトラックブランドを受け持つスカニア社の筆頭株主となりました。スカニアはトラック、バス、工業用ディーゼルエンジンの世界的なメーカーです。日本では日野自動車が「日野スカニア」ブランドで販売しています。


ちなみに現在のサーブは、GM、ウォーレンバーグ・グループに次いで、イギリス最大の航空宇宙企業「BAEシステムズ」が33%の株式を保有しています。その取締役会は、ウォーレンバーグ・グループからマーカス・ウォーレンバーグが参加しています。


重要な会社には、積極的に経営に参加する姿勢がうかがえます。このマーカス・ウォーレンバーグという名前は覚えておいてください。国際商業会議所ICC(International Chamber of Commerce)の現会長です。


ICCは1919年、欧米のビジネスリーダー達によって設立されました。現在128カ国7,400社の最高責任者からなる世界経済機構です。そのトップがウォーレンバーグ財閥のマーカス・ウォーレンバーグなのです。


ICCは国連の最高諮問機関のひとつでもあり、世界規模で国際通商・投資を促進し、市場経済システムの安定をはかることを目的に活動しています。
 

By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 32 欧州財閥の系譜 スペイン財閥

移民の国アメリカで台頭しているのがヒスパニック系。その母国スペインにも有力な財閥ファミリーが存在します。
日本にも深くかかわっているのが、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行(BSCH)会長のエミリオ・ボティンです。彼は「新生銀行」の社外取締役を務めていますが、3年前にサンタンデールグループ会長に就任したスペイン有数の財閥の当主なのです。


BSCHは1999年にサンタンダール銀行とセントラル・イスパノ銀行が合併して誕生しました。その後、約2年でスペイン第1位の利益をあげる銀行に躍進し、今日ではHSBC(イギリス)やドイツ銀行と肩を並べる世界有数の銀行にまで成長しました。その要因のひとつが、スコットランド・ロイヤルバンク(RBS)への資本参加により同行の7%の株を取得し、メキシコやフラジル、ベネゼエラなど中南米諸国での銀行買収に成功したことが挙げられます。実はスコットランド・ロイヤルバンクはロンドン・ロスチャイルド一族が支配する銀行です。つまり、ロスチャイルド財閥の支援を受けて飛躍したということです。


BSCH は2004年、イギリスでの総資産額第6位の「アビー・ナショナル」を約1兆5890億円で買収。この買収劇で株式時価総額では、世界第8位の銀行へと浮上しました。アビー・ナショナルを加えたサンタンデールグループの株式時価総額は欧州最大規模となりました。グループ全体の貸し付け対象国は、40%がイギリス、39%がスペインということです。2006年2月に発表した前年度の通期決算では、純利益が前年比72%増となり、過去最高を更新したとのこと。


サンタンダール銀行はもともとボティン家に支配されてきた銀行ですが、ボティン家の銀行支配はそれだけではありません。スペインにはバネスト銀行やバンキンテール銀行などがありますが、バネスト銀行の社長にはエミリオ・ボティンの長女が、バンキンテール銀行の社長にはエミリオ・ボティンの弟が就任しています。つまり、スペインの3銀行をボティン家が牛耳っているということです。一族が3つの銀行を支配するなど日本では考えられないことです。


スペインには、ほかにもフアンとカルロスの兄弟をリーダーとするマルチ一族がいます。祖父がスペインと北アフリカのタバコの輸出入を独占的に取り扱って財を築いたようです。現在、一族は、建設、金融、食品スーパーなどの事業を展開しています。


最後にスペインを代表する複合多国籍企業「レプソンYPFグループ」を紹介しておきましょう。スペインのレプソルが1999年にアルゼンチンの国有石油会社YPFを買収して誕生した「レプソンYPF」は世界10大石油企業のひとつ。28ヵ国に活動拠点を持つ、中南米では最大のエネルギー関連企業です。スペインに5ヵ所、アルゼンチンに3ヵ所、ペルーに1ヵ所の精製工場を所有しています。同社は石油採掘と生産、精製、石油製品の販売のほか、液化天然ガスでは年間300万トンほどの販売実績を誇る世界第3位の企業です。

化学工業分野でもスペインとアルゼンチンにコンビナートを稼動させています。ちなみに、2006年10月には、ボリビア政府との間で、天然ガス開発における保有権益の82%を同政府に配分する新契約を締結しました。まさに近代的な多国籍企業グループです。レプソンYPFは、スペイン株式市場における最も重要に取引指標であるIBEX35の中の1社。同社の株式はスペイン、二ューヨーク、ブエノスアイレスの各証券取引所で公開されています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 31 欧州財閥の系譜 スイス財閥

今回はスイスのファミリー系財閥を紹介します。人口わずか745万人の国ですが、欧州では英・独・仏に続いて第4番目の数の企業が集積しています。近年の特徴のひとつに産業界の再編成が挙げられます。その顕著な例が大手薬品・製薬企業の合併です。


「セロノ」はバイオテクノロジー分野で世界第3位、ヨーロッパ第1位の製薬大手企業。不妊症、神経系疾患、代謝・成長不振分野などが専門です。同社CEOを務める、スイス屈指の大富豪エルネスト・ベルタレリは2006年9月、彼が所有するセロノ株をドイツの大手薬品会社メルクに売却すると発表。新会社メルク-セロノバイオ製薬の売上げは約1兆1436億円になる見込みです。ちなみにドイツの大富豪メルク一族は1487億円を出資するとのことです。


スイス・バーゼル市に本拠を置く薬品会社の「ノバルティス」は、世界140カ国で事業を展開するグローバル企業。バーゼル御三家と呼ばれたうちの2社が合併して生まれた同社の総資産は1,740億スイスフラン(約16兆7800億円)といわれています。このグローバル企業を支配しているのがピエール・ランドルフ一族です。


世界トップクラスの研究開発型ヘルスケア企業グループ「ロシュ」は、スイスのバーゼルに本社を置き、医薬品と診断の領域で活躍しています。同社の日本支社が2002年に中外製薬と合併し、ロシュ・ファームホールディング・ビー・ヴィが中外製薬の親会社になりました。ロシュ社はホフマン家とロシュ家という二つの大富豪によって支配されています。つまり、中外製薬はすでにスイスの企業で、実質的なオーナーはスイスの財閥という構造なのです。


スイスの大富豪といえば、シュミットハイニ財団の創始者シュミットハイニ兄弟が有名です。兄のトーマスはセメント生産世界第2位のセメント・建設会社ホルシムの経営で成功し、一躍スイス屈指の大富豪になりました。「ステファンとトーマスの兄弟は、スイス経済の相当部分を手中に収めている」と呼ばれるほどです。弟のステファンはスイス航空やネスレ、UBS(スイス・ユナイテッド)銀行グループ、多国籍企業アセア・ブラウン・ボヴェリ、スウォッチの取締役として大量の株式を保有し、不動産、建設、エンジニアリング、食品、エレクトロニクスなどの有力会社に投資を行ってきました。


最後に2004年5月に調印された「預金利子課税条約」について説明しておきます。これはスイスの銀行に預金するEU居住者の預金に対し、スイスのプライベート銀行の秘密保持原則を維持しつつ、利子課税額(税率35%)をスイス政府経由で居住国に返金する協定です。


これまでスイスをはじめ、ベルギー、ルクセンブルク、オーストリアなどEU域内外の税率が低い国に脱税を目的とした資金が流れていました。EUは1989年以降、顧客情報守秘義務の名のもと不正預金者が保護されていることを問題視し、EU各国と協議を重ねてきました。「預金利子課税条約」で決定した内容は下記の3点です。


(1)EU域内居住者がスイスに預金しても利子は源泉課税され、うち75%はEUに支払われる。
(2)2011年には税率が35%となるように段階的に引き上げられる。
(3)プライバシー保護のため、預金者は「自己申告」か「源泉徴収」が選択可能。預金者情報については犯罪に関係する時のみ、EUとスイスの当局間で顧客情報の交換は行われる。


スイスの銀行に口座を設けているのはEUの富豪ばかりではありません。日本人の名前もときおり登場します。2003年12月、スイス・チューリッヒ州の金融当局がクレディ・スイス銀行の日本人口座を凍結したと発表しました。「日本初の本格的マネーロンダリング」として大々的に報じられた五菱会事件の発端でした。この事件では100億円もの犯罪収益が記録を残さずに海外に送金されていました。スイスは、このような事件の舞台になることが多いので、これからも目が離せない国といえるでしょう。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 30 欧州財閥の系譜 イタリア財閥・フィアット

イタリアの財閥、企業グループを紹介する際に、イタリア最大の企業グループである名門フィアット・グループを忘れてはいけないでしょう。フィアット・グループ全体の売上高は「イタリアのGDPのほぼ5%を占める」と呼ばれています。しかし、2003年に創業者一族のジョバンニ・アニエリ2世名誉会長が死去し、2004年にはジョバンニ・アニエリ2世の実弟でフィアット社の会長に就任して間もないウンベルト・アニエリが他界し、一族は世代交代を余儀なくされました。


故アリエリ会長は、アニエリ財閥の創業者ジョバンニ氏の孫。1966年から1996年まで30年間にわたって会長を務め、同社を実質上支配し、1969年には高級車メーカーのランチア、1986年にはアルファ・ロメオ、1988年には高級スポーツカーメーカーのフェラーリ、1998年にはマセラティの買収などを指揮してきました。また、ロスチャイルド・グループが経営する「地中海クラブ」の重役をはじめ、新聞社やテレビ局、出版社などの経営者も務めました。


実はアニエリ財閥は単なる大富豪ではなく、フランス王室ブルボン・デル・モンテ家を通じてドイツ王室ランドグレーヴ家、イギリス王室ウィンザー家などヨーロッパ王室やロスチャイルド財閥とも親戚関係にある家系なのです。毛並みの良さはイタリア屈指といえるでしょう。


フィアット・グループは、1899年にジョバンニ・アニエリ1世がイタリアのトリノに設立。大衆向け自動車の製造で成功すると、第一次世界大戦時には機械、造船、航空機、兵器分野にも進出し、第二次世界大戦では兵器メーカーとして飛躍しました。イタリア最大の自動車メーカーに成長したのち、建築、農業へと多角化を進めました。アニエリ財閥は、セリエA「ユベントス」のオーナーとしても著名です。余談ですが、フィアット・グループから資金面の支援を受けているユベントスの選手は、フィアット社の車に乗っている(乗らざるを得ない)というのは紛れもない事実です。


フィアット・グループは、1990年代に入ると経営が急速に悪化し、工場閉鎖や人員削減を強行しました。多角化路線の失敗と、グループの基幹事業である自動車部門の不振が影響したのです。再建銀行団を中心に、不採算の自動車部門の売却が検討され、航空・鉄道部門を売却、さらにフィアットの株式の20%を米国ゼネラルモータース社に売却。本業の自動車部門も2000年からゼネラルモータース社と資本提携していましたが、2005年に提携を解消。傘下のフェラーリ社については、その株式の34%を投資銀行メディオバンカに売却しました。


長く続く苦境から脱するためにフィアット・グループは、エネルギー、出版、携帯電話、金融など非自動車部門の拡大を図り、2001年にはイタリア最大の民間電力会社モンテジソンを買収しました。
ジョバンニとウンベルト兄弟の死後、フィアット社副会長のポストには、死去したジョバンニ・アニエリ名誉会長の孫にあたるジョン・エルカーンが当時28歳という若さで就任。その弟のラボ・エルカーンがブランド・マーケティング担当部長に就任。また、ウンベルトの息子アンドレアも同じく28歳で取締役に加わりました。「フィアット帝国」は、やはりジョバンニ一族が支配し続けるという図式なのかもしれません。


さて、メイン事業のフィアットオートですが、2005年には単月黒字計上に転換し、2006年上期の販売台数は2001年以来5年ぶりに100万台を超え、フィアット・グループの総売り上げは前年同期比14.7%増となりました。積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活、中国、ロシア、インドなどの新興市場国を中心に提携を強化したことが功を奏したようです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 29 欧州財閥の系譜 イタリア財閥

前回に引き続き、イタリアの主な財閥と企業グループを紹介しましょう。日本でも著名なアパレルブランド「ベネトン」。創業者のベネトン一族は、妹が自宅でつくったセーターを兄が売に歩きまわったところからスタートし、世界120ヶ国、5000店舗の販売ネットワークを持つ売上高1兆円企業へと成長しました。イタリア国内では資産高2番目をキープする一族です。


創業者のルチアーノ・ベネトン前会長は現役を退いたものの、創業者一族は大きな影響力を持っているといわれています。1989年にはニューヨークの株式市場に上場し、イタリアのスキーブーツメーカー「ノルディカ」株の7割を購入。ですから正式にいえば、日本でなじみのあるスキーギアで名高いノルディカはすでにイタリアのメーカーということです。90年には、モスクワに最初のベネトンショップをオープン。またアメリカのインラインスケートメーカー「ローラーブレード」、アメリカのテニスラケットメーカー「プリンス」を買収。91年にはオーストリアのスキーメーカー「ケスレー」を買収し、原料を自前で供給するためにパタゴニアに大牧場を購入しました。


なお、この年、F1ではミハエル・シューマッハがベネトン・チームに移籍しています。ちなみに94年、シューマッハはドライバーズ・チャンピオンのタイトルを獲得しています。92年には、ルチアーノ・ベネトンが国会上院議員に選出され、翌年にはベネトンの店舗数は世界で8000店を突破しています。さらに、アウトドア用靴メーカー「アゾロ」、スノーボード・サングラスメーカー「キラーループ」を買収し、ベネトン・スポーツ・システム社を創立。1996年、ローラーブレード社の株式一部を、ニューヨーク・ロンドンの株式市場に上場。1999年には、アメリカの大手小売店シアーズ百貨店をパートナーとし「ベネトンUSA」コーナーをシアーズ450店に1800ヶ所設置しました。ファッション大国のイタリアですが、ベネトン一族は他の追随を許さない規模に成長しました。イタリア・ブランドといえば、「アルマーニ」のジョルジョ・アルマーニや、「プラダ」のミウッチャ・プラダ一族が名高いですが、売上げだけ見てみると、ベネトンは「アルマーニ」の約2倍、「プラダ」の約3倍です。世界に企業グループを築いてきたことでシナジー効果が表われているようです。


伝統的に工業デザインの開発に長けたイタリアには、世界シェアの7割を誇るアイテムがあります。高級メガネです。世界の高級メガネ市場のほとんどをイタリアの眼鏡メーカーが支配しているのです。イタリア眼鏡産業の特徴は、高付加価値製品を大量に世界中に輸出しているということです。
中でも「ルクソッティカ」はイタリアを代表する世界的なメーカーです。レオナルド・ベルベッキオ会長は、世界の長者番付のトップ50にランクインする億万長者。同社は高級ブランドから注文を受け、ライセンス生産で成功しました。具体的には、ブルガリ、シャネル、ウンガロ、エンポリオ・アルマーニ、ジョルジォ・アルマーニ、モスキーノ、フェラガモなど、13の高級ブランドのライセンスを保有。また独自ブランドを全世界向けに販売。2001年には眼鏡の大手チェーン店「レンズクラフター」に続き、「サングラス・ハット」をグループ傘下におさめ、全米に2500店舗以上を有しています。ブランド戦略だけでなく、小売り流通の整備にも着手し、日本にはないビジネスモデルを構築してきたというわけです。


高級チョコレートで著名な菓子メーカーの「フェレーロ」を経営するミケーレ・フェレーロ一族もイタリアの資産家のひとつ。フェレーロは世界で5本の指に入る菓子メーカー。看板商品のチェコレート「ロシェ」はトリフのような形で、まわりにへーゼルナッツがちりばめられた逸品。世界中で販売されている人気商品です。チョコレートペーストをパンに塗って食べる「ヌテラ」は、日本にも輸出されている人気商品。世界にはお菓子で億万長者になった一族もいるのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 28 欧州財閥の系譜 スウェーデン財閥 イタリア財閥

日本人にはなじみが薄いスウェーデンにも世界有数の資産家がいます。家具の小売業では世界ナンバーワンの売上を誇る「イケア」の総帥イングヴァー・カンブラッドです。


イケア(IKEA)は、スウェーデンの大手家具店でありながら、現在はオランダ南部の都市ライデンを本拠地とする財団法人スティヒティング・インカ・ファウンデーションがイケアグループ全体の親会社を所有する形になっています。圧倒的な売り場面積と低価格路線が受け入れられ、売上高は148億ユーロ(2005年8月末)。イングヴァー・カンブラッドの個人資産は3兆800億円といわれています。『フォーブス』2006年版の「世界長者番付」では、堂々の4位にランキングされています。ノルウェーを足がかりにして、スイス、フランス、ドイツ、デンマークほかヨーロッパのほぼ全域、アメリカやカナダにも店舗をオープン。流通や梱包、製造などのコストを徹底的に削減しながら、顧客のニーズに合わせた格安の組み立て式家具を販売し、その後ヨーロッパで絶大な人気を誇るようになりました。


中国やオーストラリアへも進出し、2006年現在、世界の33の国と地域に合計241店舗。そのうち23カ国、215店舗が直営店です。日本では千葉県と兵庫県に店舗がオープンしています。


親子二代でアパレルブランド「ヘネス&モーリッツ」(H&M)を成功させたジュテファン・パーソンもスウェーデンが誇る資産家の一人です。「最良の価格でファッションとクオリティを提供する」をコンセプトにアメリカでの成功に続き、さらなる国際的拡大を続け、2002年には34,000人以上の従業員を持ち、14ヵ国で800以上の店で衣服および化粧品を販売しています。広告宣伝で有名芸能人とタイアップしてブランドイメージアップを図るユニクロの戦略の手本はH&Mにあるとささやかれているほど。世界のアパレル業界GAPのライバルとして注目されていましたが、瞬く間に600店舗を展開。売上においては、GAPの一店舗あたりよりも30%(1億円)以上も高いとされています。日本にはまだ進出していませんが、注目しておきたい企業です。


一方、イタリアの財閥、企業グループは、日本にもなじみの深いものばかりです。シルビオ・ベルルスコーニはイタリアの前首相にして、サッカーリーグ「セリエA」のACミランのオーナーです。1986年、深刻な低迷期に陥っていたACミランを買収。以来ミランは、数多くのトロフィーを獲得。フォルツァ・イタリア党(中道右派)を設立したベルルスコーニは3期に渡りイタリア首相を歴任。その背後には、豊富な資金力と支配下のメディアの積極的な活用があったとされています。


ベルルスコーニはミラノ生まれ。父親は銀行員でした。ミラノ大学法学部卒。歌手、掃除機販売業を経て、建設業で成功。1978年、42歳という若さで地方民放テレビ局「テレミラノ」を開局。有線テレビ会社や新聞社も経営し、1988年には百貨店「スタンダ」会長に就任し、一代で建設・流通・メディアにわたる企業グループ「フィニンベスト」を築き上げました。特にメディア部門を統括する「メディア・セット」は、全国的な地上波放送を行う民放4局のうち、3局を所有。イタリアのメディアの70パーセントをコントロールするといわれているほどです。イタリアで「メディア王」といえば、ベルルスコーニを指します。個人資産は1兆2100億円。イタリア国内では文句なくナンバーワンです。実業家が首相になるイタリアには、ほかにもユニークな財閥や企業グループがあります。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 27 欧州財閥の系譜 フランス財閥

フランスの財閥は、ブランド王国を築いた企業ばかりです。世界に名だたるブランド約50社を擁する「モエ ヘネシー ルイヴィトン」(LVMH)は、高級ブランド品、有名ワイナリーなどを傘下に置く巨大コングロマリット(多角的複合企業体)です。1987年、ルイヴィトンとシャンパン製造会社のモエ・ヘネシーとの合併によりLVMHが誕生。LVMHグループは今日、ルイヴィトン、クリスチャン・ディオール、フェンディ、セリーヌ、セリーヌ有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長。ワイン&スピリッツ、ファッション&レザー、パフューム&コスメティックス、ウォッチ&ジュエリー、セレクティブ・リテーリングの5つの事業から成ります。


グループを牽引するのは、会長のベルナール・アルノー。『フォーブス』2006年版の「世界長者番付」では前年の17位から一挙に7位にまで浮上した人物で、一代で資産額2兆3650億円の世界の億万長者となった成功者です。1987年にLVMHが誕生した翌年、クリスチャン・ディオール社がLVMHの株式の4割を取得し、合流しました。アルノーはルイヴィトン社の人間でも、モエ・ヘネシー社の人間でもなく、クリスチャン・ディオール社の社長でした。低迷していたディオール社を復活させた手腕が高く評価され、遂にLVMHも手中に収めたのです。アルノーはクリスチャン・ディオールを手に入れるめに親会社自体を買収し、親会社だけを売却するという離れ業をやってのけた人物です。その際にアルノーは、企業買収、国際投資では世界トップクラスの定評があるフランス系投資銀行「ラザール・フレール」と組んで買収を企てました。プジョー、ルノー、シトロエン、ミシュラン、パナールなどフランス自動車産業はロスチャイルド財閥に支えられてきましたが、その傘下であるラザール・フレール財閥が特に大きな影響力を持つといわれています。


LVMHはワイン&スピリッツ分野では、香港の商社ジャーディン・マセソンや英国ギネス財閥と組んでアジアやアメリカ、フランスなどにおける流通を共同事業で行う協定を定めました。ちなみにギネス社が米国のグランド・メトロポリタン社と合併して誕生したディアジオ社は、LVMH株を取得しています。ギネス財閥がベルナール・アルノーを支援したことで、彼がLVMHの総帥になれたのかもしれません。


90年代に有能なアメリカ、日本、イギリス、フランス、イタリア、スペインなどのデザイナーを起用するとともに積極的にM&Aを展開し、伝統的で優秀な手作りの製品作りで高級ファッション品市場を席巻していきました。特にM&Aによって次々に老舗ブランドを買収して巨大化していった様は、とても現代的な手法といえるでしょう。


ちなみにルイヴィトンの売り上げの4割は日本で、LVMHグループにとって日本人は「いいお客さん」ということになっています。一方、日本人のブランド志向は、ブランド品を貴族階級のものとしてあまり関心を寄せない欧米の庶民からは、異常に見えているようです。


フランスの財閥には、父親から化粧品会社「ロレアル」を引き継いだリリアンヌ・ベッタンクールがいます。彼女は『フォーブス』2006年版の「世界長者番付」では15位にランクインし、フランス国内では第2位となっています。女性の資産家としては世界屈指です。


ほかに著名なフランスの企業グループを挙げるなら、セルジュ・ダッソー率いる「ダッソー・グループ」を忘れてはいけません。ダッソー・グループは、戦闘機ファンには「ミラージュ」でおなじみ。フランス有数の軍需産業企業体であり、最近では情報産業に大きく進出しています。2004年にはフィガロ紙やレクスプレス誌をはじめ複数の有力地方紙を傘下におさめるメディアグループ「ソクプレス」の会長に選ばれています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 26 欧州財閥の系譜 ドイツ財閥

ヨーロッパの財閥には、流通・小売り事業で富を築きあげたファミリーが多くいます。今回はドイツを中心に紹介していきます。


世界最大の小売業、アメリカに本社を構えるウォールマート・ストアーズ社がドイツで苦戦している理由のひとつに、ドイツにディスカウントを中心とする「アルディ」やスーパーマーケット「メトロ」といった地元密着の店舗が存在することが挙げられます。


アルディ社はドイツを中心に10ヵ国で約4000の店舗展開をする企業。その核となる「アルディ」は、カールとテオのアルブレヒト兄弟が第二次世界大戦後まもなく始めた格安チェーン店で、徐々に消費者に受け入れられ、2人は今では320億ユーロ(約4兆8000億円)の資産を持つドイツ屈指の大富豪兄弟です。雑誌『フォーブス』の発表による「世界長者番付」2006年版によると、兄のカールは総合13位(ドイツ国内1位)、テオは総合22位(ドイツ国内2位)となっています。


一方のスーパーマーケット「メトロ」を経営するのは、オットー・バイスハイム一族です。「世界長者番付」では150~160位ですが、ドイツ長者番付のベスト10にランクインしている財閥で、小売業「メトロ」グループは、世界の小売業売上高ランキングで第3位(2004年度)を占めています。日本では丸紅と提携し、日本にも進出(千葉県)しています。


ドイツの流通財閥といえば、通販・カタログ事業で世界一の規模を誇る「オットー・フェルザント社」を経営するミハエル・オットー一族を忘れてはいけません。ドイツではアルブレヒト兄弟(1位、2位)に次いで3番目の資産額を保有しています。同社は海外戦略に力を注ぎ、アメリカ関連企業への投資のほか、1986年に住友商事と提携し、「住商オットー」を立ち上げ、通販事業を展開しています。ちなみに住商オットーは、化粧品会社ロレアル(フランス)と提携しています。ロレアルを経営するリリアンヌ・ベタンクールは、創業者の父親から会社を引き継いだ、フランス屈指の資産家。住友商事を介してドイツとフランスの有力ファミリーがつながっていることがわかります。


さらにドイツにはスーパーマーケットを中心に展開するテングルマン・グループがあります。これを支配するのがエリファン・ハウブ一族です。こちらもドイツで有数の財閥を成しています。
ドイツの自動車メーカーではBMWが著名ですが、当社のオーナーであるズザンネ・クラッテンも世界の億万長者。BMWはもともとは航空機用エンジンのメーカーでしたが、第一次世界大戦でのドイツ敗戦後、飛行機の生産を制限され、1923年にオートバイ生産へと転換しました。
その後、4輪車の製造を開始し、1994年にはイギリスのローバーグループ(現MGローバー)を買収するなど、自動車業界の“勝ち組”として君臨しています。40年もの間、赤字を出していないといわれるほど経営状態は良好です。


 ドイツにはほかにも世界28カ国62地域に自社工場を持つ、世界最大の医薬品メーカー「メルク」があります。1827年、世界で初めて痛みを和らげるモルヒネ類の製造に成功。1930年代、世界で初めてビタミンCの工業生産に成功し、抗がん剤「エルビタックス」、脱毛治療剤「プロペシア」の開発に成功しています。アドルフ・メルクレ会長は資産1兆円を超える大富豪です。


雑誌『フォーブス』の発表による「世界長者番付」2006年版では、トップ100の国別ランキングでアメリカ38人に次いでドイツ15人が第2位となっています。スウェーデン、フランスは5人、イタリア4人、イギリス、スペイン2人という結果です。欧州財閥と企業グループを知るうえで、どうやらドイツ、スウェーデン、フランス、イタリア、イギリス、スペインといった国がポイントになりそうです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 25 欧州財閥の系譜 ベアリング家

今週から日本人になじみの薄い「ヨーロッパ財閥」を紹介していきます。最初はベアリング家です。ロスチャイルド家のライバルと目されていたイギリスのベアリング家を無視して欧州財閥の歴史は語れません。


ベアリング家は1717年、ドイツのブレーメンから英国に渡り、現在でいうところの「マーチャント・バンク」を開設します。長期の信用供与(融資)と商業支援のための融資などを行う金融業者です。1763年に「ベアリング商会」を創業し、ロスチャイルド家が台頭するまでロンドンの金融界を支配してきました。その子孫の数で言えば、ロスチャイルド家を凌駕するほど膨大で、イギリス貴族のタイトルを6つも保有する大家族です。


家族経営としてスタートし、世襲制を敷いているところはロスチャイルド財閥と同じです。ほかにウォーバーグ家やブラウン家なども、他国からイギリスへ渡って成功したマーチャント・バンクです。
欧州支配を夢見たフランスのナポレオンがイギリス・オランダ連合国に敗れ、フランスが戦後の荒廃から復興するための資金を調達したのが、ロスチャイルド家とベアリング商会でした。また、1839年にイングランド銀行を恐慌による危機を救ったのもベアリング商会でした。
ベアリング財閥の子孫たちは、華々しい経歴の持ち主ばかりです。ベアリング証券(ベアリングズ)は1995年2月、シンガポール現地法人のデリバティブ取引失敗のために倒産しましたが、ファミリーは金融・産業界で活躍しています。


1991年に他界したジョージ・ベアリングは43歳で史上最年少のイングランド銀行総裁となり、国際決済銀行(BIS)理事として全世界の金融機関を動かし、ロスチャイルドグループ傘下の石油会社ロイヤル・ダッチ・シェルで重役を務めた人物でした。ジョージの父ローランド・ベアリングは、ロスチャイルド家の資金でイギリスが買い取ったスエズ運河会社の総裁を務めた人物でした。


ベアリング財閥の御曹司たちの肩書きは、英国の石油メジャーBP社会長、アングロ・アメリカン重役、航空リース会社GPAグループ会長など枚挙にいとまがありません。ちなみに前国連事務総長のブトロス・ブトロス=ガリは、祖父の代からベアリング家に育てられてきた家系です。BP会長ジョン・F・ベアリングがガリを国連総長に推したというのは有名なエピソードです。


ベアリング財閥はロスチャイルド財閥同様、イギリス貴族やアメリカの財閥との婚姻関係を経てファミリーを拡大してきました。アメリカのハリマン社を創業したブラウン家は現在もイギリス貴族の称号を得ていますが、ベアリング財閥とは親戚関係にあります。


欧州の歴史のある財閥といえば、忘れてはいけないのが「ギネス財閥」です。アーサー・ギネスがギネスビールの大量生産に乗り出したのは1759年のことでした。「ギネスブック」や「ギネスビール」で名高いギネス家は、アイルランド生まれ。ギネス家も男爵の称号を持つ貴族で、この一家からイギリスの政治家が数名生まれています。


ギネス財閥の企業といえば、ギネスグループと米国のグランメトロポリタンの合弁会社として誕生した、英国に本社を構える総合食品会社「ディアジオ」が名高いですが、ギネス家は酒造業者の横顔を持つ総合貿易商社、不動産開発会社と位置づけたほうがよいでしょう。ギネス家はロスチャイルド財閥、ベアリング財閥と組んで、中国の貿易商社ジャーディン・マセソン(後にアジアの拠点を香港、シンガポールに移行)を後押しし、中国経済に深く食い込んでいます。ジャーディン・マセソンはアジアを基盤に活躍する世界有数の貿易商社で、「マンダリン・オリエンタルホテルグループ」の経営で知られています。


蛇足ですが、ロスチャイルド家にギネス一族の女性が嫁いだことで、両家は親戚関係になっています。自分たちの資産と名声を保っていくには、家族・親族で団結するのが古今東西の財閥の生き方なのかもしれません。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 24 ロスチャイルド関連企業の研究 メディア王ルパート・マードック

今回は、ロスチャイルド財閥の支援を受けて時代の寵児となった著名な人物を紹介しましょう。
オーストラリア出身のメディア王ルパート・マードックです。彼は世界に築いたメディア帝国「ニューズ・コーポレーション」に君臨する帝王です。


マードックは、戦後にイギリスに渡ってオックスフォード大学を卒業すると、オーストラリアに戻って小さな新聞社を受け継ぎました。1968年にはロンドンに進出し、大衆紙「サン」を買収して頭角を現わし、1976年にアメリカに進出。「二ューヨーク・タイムス」を買収し、二ューヨークでの発行部数をトップに押し上げました。1981年にはイギリスの老舗「タイムズ」を乗っ取り、1986年には映画配給会社「20世紀フォックス」を買収したのち、アメリカでのテレビネットワーク「FOXテレビジョン」を設立します。アメリカ3代放送と呼ばれたNBC、ABC、CBSの牙城に食い込み、遂に“メディア王”と呼ばれるようになります。

 
このマードックの最も重要な資金面の後ろ盾が、ロスチャイルド財閥なのです。マードックはキリスト教徒ですが、彼の母親はユダヤ人富豪の娘として生まれました。つまり、マードックはユダヤ人として生まれ、キリスト教に回教したのです。マードックの筆頭法律顧問は、アメリカ・ユダヤ人会議会長ハワード・スコードロンでした。さらにマードックの経済顧問を務めているのは、二ューヨークのロスチャイルド社を率いてきた人物です。要するに、マードックがアメリカ進出を果たす際にバツクアップしたのが、アメリカのユダヤ人ネットワークだったのです。


マードックは1987年にイギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムス」の株を20%取得してイギリス財界とのパイプを太くし、高級紙「タイムス」も支配します。テレビでは「BスカイB」(ブリティッシュ・スカイ・ブロードキャスティング)の株を40%取得します。一方、アメリカでは2002年にFOXテレビジョンが、アメリカのケーブルテレビネットワークとしてCNNを抜いてトップに立ちました。そして2003年、マードック率いる「ニューズ・コーポレーション」は、アメリカ衛星テレビ最大手の「ディレクTV」を運営するヒューズ・エレクトロニクス株の34%を取得し、手中におさめました。


母国オーストラリア、大学時代を過ごしたイギリス、そして市民権を獲得したアメリカでマードックは、このように次から次にマスコミ企業を買収してきました。その資金がロスチャイルド財閥から提供されていきたということは、何を意味しているのでしょうか。これはロスチャイルドグループによるマスコミ支配なのかもしれません。


このほかにもロスチャイルド財閥は、英国「ロイター通信」と米国「ブルームバーク」にも強い影響力を持っています。金融情報サービス会社を支配することで、多くのメリットがあるからでしょう。
ちなみに「ブルームバーク」の創立者マイケル・R・ブルームバーグは、シティグループが買収した、ロスチャイルド系の「ソロモン・ブラザーズ証券」のジェネラル・パートナーでした。エクイティ・トレーディング部、セールス、システム開発部の統括を歴任、退社した後、1981年にブルームバーグを設立。2001年6月、ニューヨーク市市長に選出されました。


このようにロスチャイルドグループは、金融、石油、化学、マスコミなど各分野にネットワークを張りめぐらせ、今日に至っています。彼らが表舞台に出ることは少ないですが、その系列をたぐり寄せていけば、ユダヤ人ネットワークやM&A、企業提携などによってロスチャイルド財閥が深く絡んでいることが見えてきます。


さて、次週からは日本人になじみの薄い「ヨーロッパ財閥」を紹介していきます。どうぞご期待ください。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 23 ロスチャイルド関連企業の研究 J・P・モルガン商会

これまでにお伝えしたようにロスチャイルド財閥は、世界の石油市場、ダイヤ・鉱物市場、金融業界に強い影響力を及ぼしています。これは婚姻関係や業務提携、M&Aなどによって完成したものですが、世界に散ばるユダヤ人のネットワークが水面下で動いていることも見逃せません。アングロサクソン系プロテスタントをメインに据えたアメリカの保守本流にもユダヤ系の資金、あるいはロスチャイルドグループの支援が入り込んでいます。

 
2000年、米国のザ・チェース・マンハッタン・コーポレーション(以下チェース)と、米国のJ.P.モルガン・アンド・カンパニー・インコーポレーテッド(以下J.P.モルガン)が経営統合し、「JPモルガン・チェース」という米国では第3位の規模の金融会社が誕生しました。同社は二ューヨークに拠点を置き、投資銀行業務、企業及び資産家向けの金融サービスを行っています。


そもそもアメリカの名門家であるモルガンは、初代のジョン・ピアポント(J・P)・モルガンがロスチャイルド家の支援を受けて立ち上げた「J・P・モルガン商会」を起源としています。その後、事業は息子に継承され、鉄鋼会社の買収で業界を再編。のちに製紙、電気事業にも投資を行い、モルガン家は金融王として名を馳せます。


1892年に発明王エジソンに擦り寄って設立した企業が、ゼネラル・エレクトリック(GE)です。続いて鉄鋼王カーネギーを買収してUSスチール社(現USX)を設立し、数年後には全米の電話を独占するAT&Tの買収に成功、並行して“死の商人”デュポンと組んでゼネラル・モータースを支配します。


20世紀前半にアメリカ産業界・経済界を二分したロックフェラー財閥とモルガン財閥。そのモルガン財閥が、ロスチャイルド財閥の支援で巨大化したということは、大きな意味を持っています。モルガン家はあくまでもアメリカの保守本流であり、一族はユダヤ人ではありませんが、ユダヤ系資本によってアメリカの財閥に君臨でき、鉄道、電気、電話、自動車産業を支配したということです。つまり、ユダヤ系資本が、今日に至るアメリカの基幹産業の一部を構築したのです。


やがて商業銀行と投資銀行を分離する銀行法(グラス-スティーガル法)が1933年に成立、モルガンも分割されることになりました。1935年に同法が発効されると、5代目ハリー・モルガンは2人のパートナーと約25人の従業員とともにJPモルガンから独立し、投資銀行「モルガン・スタンレー」を設立し、今日に至ります。5代目モルガンは、ゼネラル・モータース(GM)、ゼネラル・エレクトリック(GE)など、アメリカを代表する巨大企業の重役として君臨しました。


モルガン家の近親者たちは、イギリスにも「J・P・モルガン商会」を立ち上げました。1900年にはロスチャイルド一族のエドワード・グレンフェルが経営者になり、「モルガン・グレンフェル」が誕生します。同社は投資業務で高成績をあげましたが、1998年にドイツ銀行に買収されます。このドイツ銀行は、「ドイツのほとんどの産業を支配する」といわれる大企業だとイメージしてください。ドイツ銀行は、モルガン・グレンフェルを買収するというスタイルを取りながら、実質はロスチャイルド-モルガン連合がコントロールする巨大な企業に変貌したということです。


こうして金融業界の再編成を見まわすと、シティグループもJ・P・モルガン・チェースもメリル・リンチもゴールドマン・サックスもドイツ銀行もクレディ・スイスも、すべてロスチャイルド銀行の息がかかった企業であることがわかります。

そしてオーストラリア出身のメディア王ルパート・マードック、メディア帝国「ニューズ・コーポレーション」もまたロスチャイルド財閥が資金面の大きな後ろ盾になっているという興味深い話は、次週お送りします。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 22 ロスチャイルド関連企業の研究 ロスチャイルド銀行

今回はロスチャイルド財閥が深くかかわる金融業界を中心にお送りします。ロスチャイルド財閥の核となる金融・投資事業の象徴が、「投資銀行ロスチャイルド」です。現在グループには2,000人の従業員が働き、33ヶ国に40のオフィスを有して全世界に展開しています。ロスチャイルドは欧州、とりわけイギリス、フランス、イタリアおよびドイツにおいて、投資銀行として主導的な地位を占めています。またアメリカおよび南米においても確固たる地位を築いています。ロスチャイルド銀行は、トムソンファイナンシャルの集計によると、公表案件における取引金額ベースで欧州のM&Aアドバイザリーランキングで1位となっています。


ユダヤ系投資銀行のうちロスチャイルド系として著名なのが、ゴールドマン・サックスです。従業員総数は約10,600名。世界のM&Aアドバイザリーランキング第1位(2005年度)に輝く世界金融のリーダー的存在です。ちなみにトップ3は、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、JPモルガンです。


ゴールドマン・サックスはアメリカの金融グループとして認知されていますが、1869年にドイツ出身のマーカス・ゴールドマンが創業したユダヤ系企業。ロスチャイルド家とは婚姻関係でつながりが生まれました。ゴールドマン・サックスがアメリカ政界に及ぼす影響力は絶大です。古くは第二次世界大戦中、ルーズヴェルト大統領とトールマン大統領の顧問を務めたのが、当時のゴールドマン・サックス会長シドニー・ワインバーグでした。クリントン政権では当時のロバート・ルービン会長が大統領の参謀としてクリントンの資金集めに奔走し、経済担当大統領補佐官から財務長官になったことはよく知られています。
第2期ブッシュ政権の経済政策担当の大統領補佐官に就任したスティーブン・フリードマン(後に解任)もゴールドマン・サックスの共同会長を務めた人物でした。


同社は株式や通貨などの金融資産や不動産の売買、投資銀行業務、プライベート・バンキング、保険業務などを展開しています。日本では、ゴールドマン・サックス証券(東京・六本木ヒルズ)、ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント(東京・六本木ヒルズ)、ゴールドマン・サックス・リアリティ・ジャパン・リミテッド(東京・渋谷)など3つの会社から構成されています。ちなみにゴールドマン・サックスは三井住友ファイナンシャルグループと提携(ゴールドマン・サックスが三井住友に出資)しています。
ゴールドマン・サックスと一時期提携関係にあったリーマン・ブラザースもロスチャイルド系とされています。


さらに興味深いのは、ロスチャイルド財閥系子会社を抱える金融・証券会社の多さです。20世紀末に大規模に進められた買収・合併によって、保守系の金融機関はまるでロスチャイルド財閥と“親戚関係”を結んだかのように映ります。シティグループはロスチャイルド系のソロモン・ブラザーズを吸収、メリル・リンチはスミス・ニューコート(ロスチャイルド証券)と合併しました。


ロスチャイルド財閥の銀行として忘れてはならないのが、スイス・ユナイテッド銀行(UBS)とともに「スイス2大銀行」の1行と呼ばれるクレディ・スイス銀行です。ロスチャイルド家がスイスに設立した銀行で、ロスチャイルドグループの銀行家によって経営されてきました。


巨額の財産を築いた大富豪に対して「スイスのプライベートバンクの秘密口座に数億円を隠し持っている」といった噂話がささやかれますが、クレディ・スイス銀行がまさにそのプライベートバングです。永世中立国なので戦争が起こっても、ここに財産を預けておけば絶対安心というわけです。皮肉な言い方をすれば、不況や戦争が起こる度にこの銀行は太っていったということです。まるで誰かが意図して仕組んだかのような構造になっていることが気がかりです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 21 ロスチャイルド関連企業の研究 ロイヤル・ダッチ・シェル

ロスチャイルド財閥が直接関係する企業の数は、正確にはつかめていません。世界中にネットワークが張りめぐらされ、資本の流れが明確ではないからです。しかし、歴史的な経緯から「ロスチャイルド系」と呼ばれる有名な企業があります。


ロスチャイルド財閥の石油利権ビジネスを代表するのが、イギリス=オランダ連合とでもいうべき「ロイヤル・ダッチ・シェル」です。もともとロイヤル・ダッチ社とシェル社は別会社でした。ロスチャイルド家は革命前のロシアにバクー油田の利権を持っており、シェル社の極東部門に石油を供給していました。その後しばらくの間、極東アジアにおいては、ロイヤル・ダッチ社とシェル社はライバル関係にありました。


しかし、ここに米ロックフェラー財閥のスタンダード石油(現エクソン)という強烈な敵が出現します。そこで、ロスチャイルド財閥が仲介して、ロイヤル・ダッチ社とシェル杜に反スタンダード石油の同盟を組ませたのです。ここにロックフェラー財閥のエクソン対ロスチャイルド財閥のロイヤル・ダッチ・シェルという図式ができあがります。


そのとき設立されたアジア石油会社の株は、ロイヤル・ダッチ社、シェル社、そしてロスチャイルド財閥にそれぞれ3等分され、また取締役会の席も3社に2席ずつ配分されました。これが現在のロイヤル・ダッチ・シェル社の出発点です。同社をロスチャイルド財閥の一員と呼ぶゆえんはここにあります。世界の大メジャーのひとつである、イギリスの「ブリティッシュ・ペトロリアム」(英国石油:通称BP)は、ロイヤル・ダッチ・シェル社の子会社で、同社も当然ロスチャイルド系となります。


世界のゴールドを動かす、南アフリカのオッペンハイマー財閥は、ロスチャイルド家の支援を受けてスタートしました。オッペンハイマー財閥は、ロスチャイルドの代理人として南アフリカに派遣されたユダヤ人、アーネスト・オッペンハイマーが創始した財閥です。オッペンハイマー家の基幹事業が、南アフリカの総合鉱山資源会社アングロ・アメリカン社です。その兄弟会社が、世界のダイヤモンドを完全に支配すると言われるダイヤモンド・シンジゲートの「デ・ビアス」です。


南アフリカの金の6割以上に加え、ロシアの金の半分以上を支配しているとも言われるアングロ・アメリカン社。プラチナやウラニウムといった南アフリカの他の鉱物資源も独占下におく、超巨大企業になっているオッペンハイマー財閥は、独占で築き上げた莫大な富を元手にして、南アフリカの建設、流通、食品、マスコミという主要産業を握り、南アフリカの経済を完全に支配してきました。そのオッペンハイマーでさえ頭が上がらないのが、ロスチャイルド家なのです。また、世界有数の金鉱山会社アングロゴールド社(南アフリカ)もロスチャイルド系の巨大企業のひとつです。

ちなみに日本でアングロ・アメリカン社を後押ししているのが三井物産です。三井物産-ロスチャイルド-オッペンハイマーという図式が見えてきます。


ほかに欧州でロスチャイルド系では、オランダの総合家電メーカーのフィリップス社、食品・化粧品などの複合メーカーのユニリーバ社、世界140国に展開するフランス最大の総合科学・製薬メーカーのローマ・プーランなどが挙げられます。マスコミ業界では、イギリスのロイター通信は、ロスチャイルド家がヨーロッパ各国に張りめぐらせた情報網が土台となって生まれた通信社。イギリスのロイズ保険もロスチャイルドとともに成長した企業です。


世界に視野を広げていけば、タイムズ(新聞)、ザ・サン(新聞)、AP(通信社)、アメリカ3大ネットワーク(ABC、NBC、CBS)、ビッカース(兵器)、ダッソー(兵器)、アームストロング(兵器)、シュットーデル(兵器)、ミノルコ(金属)、ネッスル(コーヒー)、ブルックボンド(紅茶)、モンド・ニッケル、モンド社(アルカリ)、フランス銀行、イングランド銀行など数え切れません。そして欧州の財閥とも深くかかわっています。その詳細は次週お伝えします。


 
By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 20 ロスチャイルド家の興亡 ロスチャイルド財閥の勢力範囲

ロスチャイルド財閥の勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、アフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、経済恐慌などあらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至ります。ロスチャイルド家は近代から現代に至るビジネス史上、最も成功したファミリーであることは事実です。さて、ロスチャイルド家の興亡を紹介する章は、過去から現在に向かって進み、やっと現代に至りました。今回は近年の話題からピックアップしてお届けします。


野村ファンドネット証券株式会社は、2001年より新たに「ファイブアローズ・ヨーロッパ・ブランド・ファンド」の取扱いを開始しました。このファイブアローズ・ヨーロッパ・ブランド・ファンドは、ロスチャイルド投信投資顧問株式会社が運用する追加型株式投資信託であり、国際株式型(欧州型)に分類される商品です。「ファイブアローズ」とは、もちろんロスチャイルド家の家紋となっている5つの矢のことです。


2005年2月、野村証券がM&Aビジネスにおいてロスチャイルド・グループと提携することを発表しました。野村証券は「これにより両社は、野村證券の日本における広範な顧客基盤とロスチャイルドの欧州におけるM&Aビジネスの主導的な地位を基礎として、日欧間のアドバイザリー業務の強化を図ってまいります」という公式コメントを発表しました。野村グループはロスチャイルド・グループのみならず、ロックフェラー系の三菱グループとも親しい関係にあるようです。

2005年にロスチャイルド・グループは、香港のジャーディン・マセソン・ホールディングスとの関係を生かし、世界で最も急速に伸びている合併・買収(M&A)市場であるアジアでのシェア拡大を本格的にスタートさせました。ロスチャイルドが目指すのは、アジアでのプライベート・バンキングと投資銀行業務の拡大です。フランスと英国の投資銀行業務を統括するのは、ディビッド・ロスチャイルド。現在のロスチャイルド家の総帥です。


一方2006年2月には、スイスの金融大手バンク・プリヴェ・エドモン・ドゥ・ロスチャイルド・ヨーロッパ(以下、BPERE)と日興コーディアル証券が、ファミリーオフィス・サービスの提供を専業とする合弁会社を設立すると発表しました。これは日本の裕福な層に向けたプライベート・バンキングです。合弁会社の名前は、LCFエドモン・ドゥ・ロスチャイルド・日興コーディアル株式会社。資産運用を兼ねた美術品や宝飾品の収集、海外旅行のアレンジまで顧客の要望に応えるとしています。


BPERE会長のベンジャミン・ロスチャイルドは「潜在的な成長力が大きい日本市場に、日興コーディアル証券という強力なパートナーを得て、本格的に参入できることを非常に嬉しく思っています」とコメントしています。ベンジャミンはロスチャイルド・パリ家の分家ながら、ヨーロッパで銀行・金融業、ワイン関連業、観光事業などを営む大富豪です。


日興コーディアルグループは、シティバンクを擁するシティグループと深く関係していますが、このシティグループが吸収した「ソロモン・ブラザーズ」はロスチャイルド・グループの一員でした。日興コーディアルグループもロスチャイルド系ということがいえるでしょう。


このようにロスチャイルド財閥は、日本でも多くのビジネスを展開しています。特に金融業界にはロスチャイルドの名前を冠した企業だけでなく、「ロスチャイルド系」と呼ばれるグループが進出しています。それらの存在を知っておくことは、投資をするうえで重要な知識となるでしょう。さて、次週からは、ロスチャイルド財閥関連企業を紹介していきます。そこには現在のヨーロッパの財閥や企業グループの影が色濃く表われています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 19 ロスチャイルド家の興亡 フランクフルト・ロスチャイルド銀行

1989年、ほぼ90年ぶりにフランクフルト・ロスチャイルド銀行が開業します。そしてかつてのフランクフルトのロスチャイルド邸の敷地に隣接して、ユーロ圏の通貨・金融政策を担う中央銀行である欧州中央銀行(ECB)が建ったことは、あまり知られていませんが、特別なつながりがあるように感じるのは私だけでしょうか。

「国際金融資本の黒幕」とも呼ばれる一群のひとつに挙げられるロスチャイルド財閥は、1998年におけるヨーロッパ企業のM&Aの仲介実績で世界第5位にランクされ、その金額は677億ドルに達しました。しかし、この数字は投資銀行を社名で細分化して、直接ロスチャイルドの名で動かされた部分だけを示しているので、ロスチャイルド財閥の資本や一族とかかわるプレイヤーが動かしたM&Aの仲介事業を総合すると、群を抜いて世界一位でしょう。


たとえばユダヤ系投資銀行であるゴールドマン・サックス、ソロモン、ウォーバーグ・ディロン・リードなど、創業時期からロスチャイルド家の資金で事業を展開し、縁戚関係を持っている企業のトップ・プレイヤーの大部分がスチャイルド財閥の息のかかった人間だと考えると、ロスチャイルド財閥グループのM&Aの仲介実績は世界第一でしょう。


日本国内に目を向けて見れば、ロスチャイルド財閥は、1999年に三井物産と共同で、リストラクチャリングを必要とする企業を対象とした買収ファンド(100億円規模)を設定し、出資・買収を模索しはじめます。2001年には英ロスチャイルドグループの企業買収ファンドが、大阪証券取引所二部上場の通信販売大手ニッセンに出資し、筆頭株主になりました。当時の新聞には「月内(4月)にも買収ファンドがニッセンの第三者割当増資を受けて発行済み株式数の10%前後を取得し、ニッセンの経営テコ入れに乗り出す」と記されています。


2002年には、三井物産が繊維部門に投資専門の部署として投資事業室を新設し、アパレルへの投資体制を整え、「ハナエモリ」ブランドの再建に乗り出しましたが、これは英ロスチャイルドグループなどが出資したファンドと三井物が新会社を設立し、高級既製服(プレタ)事業と商標権を買収したことで実現したものでした。森英恵が率いる「ハナエモリ」はブランドに傷がつくの避けるため、清算ではなく民事再生法の適用を申請し、プレタポルテ部門を三井物産とロスチャイルドグループへ売却することを選んだのでしょう。


三井物産、住友商事、三井住友銀行が世界的な視野で見れば「ロスチャイルド系」と呼ばれていることを知らないのは、日本人ビジネスマンだけだと揶揄されているようですが、そうするとロスチャイルド財閥の最大のライバルであるロックフェラー財団グループが日本にどのような系列会社を有しているのか気になるところです。


現在、連載中の「小栗上野介が駆け抜けた時代」(毎週木曜配信)でもふれますが、ロックフェラー家は「西南の役」(明治10年)をきっかけに三菱グループの創始者、岩崎弥太郎と手を組みます。岩崎はその前に、ロスチャイルド系の長崎グラバー商会の資産と事業を引き継いでいますが、ロスチャイルド財閥と深くかかわることはなく、ロックフェラー財閥との蜜月を続けていきます。


同じ頃、三井グループの大番頭となった渋沢栄一はロスチャイルド財閥と懇意になります。渋沢は幕末に幕府使節団に加わって御用商人としてフランスに渡りました。この時に近代の銀行業、金融業を学んだのがロスチャイルド財閥グループだったので、渋沢は個人のネットワークをビジネスに活かしたということがいえるでしょう。


その後、渋沢は明治政府に迎えられ、大蔵官僚となり、やがて第一国立銀行を設立します。この第一国立銀行と三井銀行が合体して、やがて日銀が誕生するわけです。現在でも「日銀にはロスチャイルド財閥の資本が入っている」とまことしやかに言われるのは、「渋沢-三井-ロスチャイルド財閥」という関係が明確だからです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 18 ロスチャイルド家の興亡 パリ・ロスチャイルド家

ロスチャイルド財閥の歴史は、やっと現代に入ります。国有化によって不採算部門を整理したパリ・ロスチャイルド家は1984年、銀行業を再開します。まず、一族の持ち株会社パリ・オルレアンを基盤にPO銀行を設立します。パリ・オルレアンはパリ・ロスチャイルド家が「鉄道王」と呼ばれた時代の遺産です。1857年、フランス政府は6大私鉄による一地域一会社の経営体制を確立しました。6大私鉄とは、パリを中心に放射線状に六つの方向に路線を伸ばす鉄道会社のことです。


(1) 西部西鉄道(パリ-シェルブール・ナントおよび大西洋諸港) 
(2) パリ・オルレアン鉄道(パリ-オルレアン) 
(3) 北部鉄道(パリ-リールおよび英仏海峡諸港とベルギー国境) 
(4) 東部鉄道(パリ-アルザス・ロレーヌおよびドイツ国境) 
(5) パリ・リヨン・地中海(PLM)鉄道(パリ-リヨン-地中海およびスイス・イタリア国境) 
(6)南部鉄道(パリ-ボルドー・ツールーズおよびスペイン国境)
以上の6社でした。やがて国有化される私鉄のうち、(2)と(3)をロスチャイルド家が経営していたのです。


1986年の総選挙で保守連合が社会党を破ってシラク保守内閣が誕生した際に、伝統あるロスチャイルドの名前が復活し、PO銀行はロスチャイルド会社銀行となります。頭取は第二次世界大戦を生き抜いたパリ家の当主ギーの息子ダヴィッドです。彼は現在、ロスチャイルド財閥の長として君臨しています。
パリ・ロスチャイルド家はアメリカに本格的に進出していきます。ロンドン・ロスチャイルド父子銀行の出先会社として経営していたニューコート証券に代えて、ロンドン、パリ両家の出資によってロスチャイルド北米会社を設立します。


長い歴史を築いてきたロスチャイルド家には、この時代に変わり者も登場します。かつてロスチャイルド兄弟銀行の共同経営者として参画していたパリ家のモーリスです。彼は独断でロスチャイルド家の名前を使って金を集め、不動産会社に投資したことが発覚し、従兄弟たちから非難され、共同経営から退きました。以降、スイスのジュネーブを拠点に数多くの事業に投資し成功。また跡継ぎのいない伯父や叔母からの莫大な遺産もあって財を築いていきます。


第二次世界大戦中はナチス・ドイツの手を逃れて海外へ避難。アメリカに亡命中、戦争に乗じて価格高騰が見込まれる金属や鉱山株に大胆な相場を張って莫大な資産を築いたといわれています。投資や相場に働く動物的な勘は、一族の血が成せる技でしょうか。モーリスの死後、スイスの不動産や南アフリカ、カナダの鉱山株などの遺産は一人息子のエドモン・ルドルフに贈られました。


このエドモンが成功させたのが、滞在型リゾート産業の「地中海クラブ」です。彼は誕生して間もない地中海クラブの株35%を購入。するとバカンスの長期化の時代が到来し、爆発的な人気を呼びました。
エドモンドはワイン産業にも参入します。そして1968年、スイスに銀行を設立したのを皮切りに金融業界にも参入します。1984年にはイギリス政府から営業許可を取得し、ロンドンに証券会社を設立、さらにイタリアのいくつかの銀行株を取得し、現在のロスチャイルド財閥の新たな金融ネットワークを形成していきます。

エドモンは1997年に他界し、その息子ベンジャマンはロスチャイルド家の数えきれぬ遺産を受け継ぎました。ナポレオン三世が愛人のために建てたパリのシャンゼリゼの大邸宅に住み、デビアス重役のほか、ロスチャイルド財閥の持ち株会社である北部会社、世界一の観光会社である地中海クラブ、イスラエル・ジェネラル銀行、フランスのスーパーなど数多くの大会社で重役を兼ね、フランスの長者番付の常連となります。ジュネーブのベンジャマン&エドモン・ロスチャイルド銀行会長のほか、チューリッヒのロスチャイルド銀行重役もつとめています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 17 ロスチャイルド家の興亡 ジェイコブ・ロスチャイルド

ロンドン・ロスチャイルド家のジェイコブ・ロスチャイルドは、1980年以後のファイブ・アローズ証券会長職、J・ロスチャイルド・ホールディングス社長、RITキャピタル・パートナーズ会長として辣腕をふるい、ジョージ・ソロスらの金価格操作やヨーロッパ各国の企業買収、CIAレポートなどに暗躍した人物として知られています。


ジェイコブは、まず子会社としてロスチャイルド投資信託銀行を設立します。これは外部から資金を導入することによってロスチャイルド親子銀行を強大にし、イギリス内外の一般銀行に負けないようにするための方策でした。ロスチャイルド財閥は、企業のM&Aを積極的に行うようになり、業績も上昇します。ジェイコブはロスチャイルド家の本流であるロスチャイルド親子銀行を飛び出し、子会社であったロスチャイルド投資信託(RIT)を1980年に独立させるやいなや、大胆な投資活動に乗り出します。


美術品オークション会社サザビーへの投資、投資信託銀行ノーザンの株の取得など吸収合併を繰り返し、事業規模を拡大していきます。1983年にはアメリカ・ウォール街に進出して二ューヨーク・マーチャント銀行の株50%を取得、同年末にはチャーターハウス銀行グループと合併して、チャーターハウス・J・ロスチャイルド銀行を設立します。ロスチャイルド投資信託(RIT)は、ロスチャイルド親子銀行から独立した4年間で資本金を4倍にします。


ジェイコブの真価は、それまでに買収した企業の株を数年間のうちに切り売り、一時期だけ事業規模を縮小したことにあります。買収した時より高価で売れ、ジェイコブは1990年から始まるヨーロッパの不景気を見越していたかのように売り抜けに成功します。ヨーロッパ、特にイギリスは冷静の終焉と時を同じくして不況に陥ったのです。


反対に株の販売でゆとりのある資金を得たジェイコブは、90年代に入ると、投資管理会社RITキャピタル・パートナーズ、ベンチャー投資会社セント・ジェイムズ・プレイス・キャピタルズを設立。また、ウォール街の投資銀行との合併で設立した子会社J・ロスチャイルド・ウォルフェンソン投資会社でマーケットを拡大し、ソ連の崩壊によって自由市場が誕生するのを見届けると、1992年にロシア・アメリカ投資銀行の設立にこぎつけます。ジェイコブの躍進はまだまだ続きます。1994年には、ロスチャイルド・アセット・マネジメント投資会社を設立。これは世界中のバイオ関連会社の中から将来有望な会社を探し出し、先行投資するものです。


ジェイコブは世界を視野に入れて巨額の資本を動かす投機家として活躍します。第二次世界大戦後、ロスチャイルド財閥が加速度的に国際金融業界に君臨するようになった背景には、ジェイコブの辣腕が活かされたことは確かです。


ロンドン・ロスチャイルド家とともに、戦後生き残ったもうひとつのロスチャイルド家、パリ家の復興にも目を向けてみましょう。当時の当主ギー・ロスチャイルドは、ナチスに抵抗してパリを逃れていました。戦時中はド・ゴール(当時フランス軍将軍)の密使を務めたともいわれています。パリのロスチャイルド兄弟銀行は、ナチスに協力したヴィシー政権によって没収されていた証券類を取り戻し、事業を再開します。パリ分家の企業群は、その富の源泉となっていた電力やガスなどを国有化され、大きな痛手を受けていました。


一族が保有するロイヤル・ダッチ・シェルは1947年に増資を行い、ロンドン分家と半々で出資している金属鉱山会社リオ・ティントも再興します。ギーは1949年に父の死後、パリ・ロスチャイルド兄弟銀行の資本金の半分を握って頭取就任。パリの主要事業のひとつであった鉄道部門は1937年に国有化されていましたが、傘下の企業は一族の所有のまま残っており、増資を行って挽回していきます。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 16 ロスチャイルド家の興亡 ロンドン分家

第二次世界大戦後、ロスチャイルド家はパリとロンドンの二つの分家だけになっていました。王政廃止やナチス・ドイツの侵攻と消滅、社会主義国の建設などヨーロッパは大きな変動を迎え、ロスチャイルドだけでなく、欧州の財閥のほとんどは権力の交代や価値観の変化に対応できず没落していったのです。反対に影響力を拡大していたったのがアメリカでした。国力だけでなく、経済力もしかりです。アメリカの財閥が世界に台頭する時代がやってきます。


戦後に残ったのがロンドンとフランスの分家であったのは、戦勝国であったことも影響しているでしょう。見方を変えれば、初代マイヤーの息子たちがヨーロッパの五大都市に散ばったことが、結果として一族の血統と富の保全につながったのです。これを“リスクヘッジ”あるいは“分散型投資”と呼ぶには、やや無理がありますが、ファミリーの分散は有意義な選択であったといえるでしょう。


それでは、第二次世界大戦後のロスチャイルド財閥の活動に目を向けていきましょう。今回はロンドン分家にスポットを当てます。


ロンドンにある「ロスチャイルド親子銀行」は戦時中から組織の転換を模索していました。パリの「ロスチャイルド兄弟銀行」も同様ですが、ロスチャイルド家が経営する金融業は、内外の公債発行や売買、投機を行なうボーダレスな銀行でした。一般の預貯金を扱う銀行とは業態が異なっていたのです。また、その経営は伝統的にロスチャイルド家の男性がパートナーとして選ばれる、家族経営の形態だったのです。こういう形態の会社は、パートナーが亡くなったときの税金が高額になるのがデメリットです。税制が厳しくなると、家族経営の銀行は大きな痛手を受けるのです。


ロスチャイルド家は戦後、組織の近代化を図り、持ち株会社を設立し、銀行もその子会社として法人化しました。こうしてロスチャイルド財閥の新たなスタートが切られます。しかし、かつて世界に君臨したイギリスは戦後、経済的な衰退に向かいます。それには植民地支配を続けてきたインドの独立、スエズ運河のエジプト国有化などが大きく影響しています。さらにアメリカの有力銀行がイギリスに進出してきたのです。


ロスチャイルドはもともと国家に依存しないボーダレスな財閥です。と同時にビジネスに利用できるのであれば、政府を大いに利用します。また、ロスチャイルド親子銀行のパートナーは代々、イングランド銀行の理事を兼任するなど、政府の金融政策に深くかかわってきました。政府との太いパイプから生まれたのが、カナダのニューファウンドランド開発でした。この事業がロスチャイルド財閥の復活のきっかけとなります。


1952年、当時のイギリス首相チャーチルは資源開発の要請のあったカナダ・ニューファウンドランド自治州の首相にロスチャイルド親子銀行の頭取を紹介しました。これが縁で開発会社ブリティッシュ・ニューファウンドランドを設立。同社にはロスチャイルド親子銀行やロスチャイルド財閥グループの非鉄金属会社リオ・ティントなどが出資しました。同社は発電用ダムの開発、ウラニウムなどの地下資源開発、木材資源の利用など大規模開発を総合的に進めます。


ロスチャイルド家は、傘下の企業群の経営に財政面からかかわり続けます。これらが現在、ロスチャイルド財閥グループと呼ばれる系列会社です。たとえば化学分野ではイギリス最大の多国籍企業に成長した化学薬品メーカーICI(インペリアルケミカル)、石油化学分野ではロイヤル・ダッチ・シェル、前世紀から同家が深くかかわってきたダイヤモンド産業のデ・ビアス、兵器産業のヴィッカース、保険会社サン・アライアンス、紅茶のリプトンなどです。


ロンドン・ロスチャイルド家はさらに新たな事業を展開します。青年時代に二ューヨークのモルガン・スタンレー銀行で金融実務を学んだジェイコブ・ロスチャイルドが1963年、ロスチャイルド親子銀行に入行、新たな事業に進出していきます。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 15 ロスチャイルド家の興亡 帝国主義者

欧州財閥を代表する伝統的な財閥ロスチャイルドは、現代的なボーダレス財閥の先駆者です。ヨーロッパを中心に超国家的なビジネスを展開してきたそんなロスチャイルド財閥にとって、20世紀に勃発した二つの世界大戦は、大きなブレーキになりました。


ヨーロッパ列強と歩調を揃えて進出したロスチャイルドには「帝国主義者」という非難がつきまといました。ロスチャイルド家にはおそらく「国のため」という意識は希少で、むしろ反帝国主義と位置づけるべきなのでしょうが、南アフリカの植民地化を後押ししたロンドン・ロスチャイルド家は、結果としてイギリスの帝国主義的行動を支援したし、パリのロスチャイルド家も石油事業を中心に植民地で関連事業を展開して成長しました。


こうした「儲かることなら何でもする」という姿勢が、当時の帝国主義と結びついて映ったのでしょう。また、国家に匹敵する財産を築いたことに対する庶民の嫉妬もあったのでしょう。やがて帝国主義国家に資金を提供して背後で操り、世界征服を狙う「ユダヤ資本の陰謀説」が世界中を飛び交うことになります。ターゲットはもちろん、ユダヤ資本のドン、ロスチャイルド財閥でした。これが現代に至るまで、まことしやかに語り継がれる「ユダヤ陰謀説」のひとつです。


第一次世界大戦が終わったとき、ロスチャイルド財閥は大きな打撃を受けます。大戦中に税制度が変わり、遺産に莫大な相続税がかかるようになったのです。ロスチャイルド銀行は株式組織でなく、個人のパートナーが私有する形態であったために、ダイレクトに税金攻勢をかぶったのです。


これまでは資本家や国王たちが政治を支配していたために、相続税などの税金は悪しき政策として可決されてきました。しかし、ロシア革命で勢いを得た共産主義体制と、ドイツやオーストリアに顕著に表われたファシズム台頭の時代に突入し、政治の様子は一変しました。国内向けには恐怖政治が国家をコントロールしたり、民族主義や軍国主義が結束したファシズムが国を掌握したりする方向に傾きました。


当時のロスチャイルド家は、投資した事業を守ることで精一杯であったようです。1929年にアメリカで発生した株の暴落が大恐慌をもたらし、ロスチャイルド財閥も打撃を受けます。これに拍車をかけるように、1930年代からヒトラーの「ユダヤ人迫害」が始まります。反ユダヤ主義の高まりはドイツ、オーストリア、イタリアなどの国を中心に勢いを増していきます。


ナチズムの標的にされたのは、国際ユダヤ金融資本のトップに立つロスチャイルド財閥でした。先週紹介したロスチャイルド家が所有する、フランス・ボルドーの「ラフィット」と「ムートン」のブドウ園は、ドイツ、イタリアに休戦協定を申し入れたフランス・ヴィシー政権に差し押さえられたのです。ナチスのユダヤ政策に従ったものでした。「ムートン」オーナーのフィリップはモロッコでヴィシー政権の関係者に逮捕され、ブドウ園は一時的にドイツ軍の駐屯地として利用されました。ロスチャイルドファミリーの中には、ユダヤ人の強制収容所に連行された家族もいます。


ドイツ・フランクフルトのロスチャイルド本家は後継の息子がいなかったことから20世紀初めに消滅しています。ヒトラーの「ユダヤ人絶滅作戦」の犠牲になったのは、ウィーン分家の5代目当主、ルイ・ナサニエル・ロスチャイルドでした。ルイはナチスによって拘束され、ゲシュタポ(秘密警察)刑務所の独房にぶちこまれます。ゲシュタポはロンドンとパリのロスチャイルド一族に、オーストリア・ロスチャイルド家の土地や資産を譲渡するよう迫ります。幸い土地や炭鉱、工場などの所有権は保険会社のものに切り替えていたので、没収されることはありませんでした。1年後に保釈されたルイはアメリカに亡命し、家業を再開することはありませんでした。こうしてウィーンのロスチャイルド家は途絶えます。第二次世界大戦が終結した際、ロスチャイルド家はパリとロンドンだけになっていました。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 14 ロスチャイルド家の興亡 パリ・ロスチャイルド家

今回はワインの話をしましょう。もちろん、ロスチャイルド家と深くかかわるワインにまつわるエピソードです。金融業を中心に幅広い事業を展開するロスチャイルド財閥の事業の中でひときわ異彩を放つのが、ワイン製造販売事業です。


ワインに詳しくない人でも、世界で最も有名なワインの産地「ボルドー」という名前を耳にしたことがあるでしょう。フランス南西部ボルドー地域で産出される赤ワインは、伝統と品質に裏づけされたワインとして世界中のファンに愛されています。では、その赤ワインの中でさらに美味とされる第一級(プルミエ・クリュ)の格付けはご存知でしょうか? 

1855年に決定された4大ブランド(シャトー)が「シャトー・ラフィット・ロートシルト」「シャトー・マルゴー」「シャトー・ラトゥール」「シャトー・オー・ブリオン」です。最初に挙げた「ロートシルト」とは、ドイツ語で「ロスチャイルド」という意味です。


パリ・ロスチャイルド家がボルドー地方のメドックにある「ラフィット」のブドウ園を買ったのは1868年。フランスの鉄道事業に進出して成功し、“鉄道王”と呼ばれた2代目ジェームズが死去する直前のことです。売りに出されたブドウ園が高価であったために買い手がつかなかったものを、競売でパリ・ロスチャイルド家が購入したと伝えられています。金融業に長けたロスチャイルド家だけに採算の見込みは十分にあったのでしょう。


実はその15年前の1853年、隣接する「ムートン」のブドウ園を、ロンドン・ロスチャイルド家のドン、ネイサン・ロスチャイルドの三男ナサニエルが購入していました。1855年の格付けでは、「ムートン」は二級という格付けでした。


パリ・ロスチャイルド家が「ラフィット」のオーナーになり、努力もせずに一級の格付けを獲得したことに、ロンドン・ロスチャイルド家は不快感を示します。欧州に放たれた五本の矢は、互いにライバル心を燃やしながら競い合っていたのです。そしてロンドン分家とパリ分家の「ワイン戦争」が始まります。


ロンドン・ロスチャイルド家は「ムートン」を第一級に格上げすべく、いろんな手を打ちます。土壌の改良や品質の向上に加え、ラベルを世界的な芸術家の絵に切り替えたのもそのひとつです。ピカソ、ダリ、ミロ、シャガール、ゴーギャンらの絵が毎年ラベルに登場し、ボトルを並べるだけで「名画コレクション」になったのです。ロンドン・ロスチャイルド家は古めかしい格付けを改定しようとフランス国内で呼びかけます。一方のフランス・ロスチャイルド家は「ムートン」を除いた4大ブランドと組んで、既得権の防衛に動きます。


そして1973年、ついに格付けの再検討が行われ、「ムートン」が第一級に格上げされたのです。他の多くのワインについても検討されたにもかかわらず、「シャトー・ムートン・ロートシルト」だけが昇格した背景には、ロンドン・ロスチャイルド家の政治力が使われたと見られています。


こうしてロスチャイルド家は、結果として「ラフィット」「ムートン」という二つの第一級ワインのオーナーとなったのです。これを好機と捉えた、パリ分家のエドモンはワインのカタログ販売で成功を収め、ロンドンのフィリップはムートンにワイン美術館を建設し、観光地として開発したほか、カリフォルニアにも進出し、現地に合弁事業を立ち上げ、カリフォルニアワイン「オーパス・ワン」に「ムートン」のノウハウを投入したのです。「オーパス・ワン」は現在“カリフォルニアワインの父”と呼ばれ、カリフォルニアが生んだスーパー・プレミアムワインとして日本では1本25,000円前後で販売されています。


一方「ラフィット」オーナーのパリ・ロスチャイルド家はポルトガル、チリでもワインビジネスに進出しました。ビジネスチャンスと見れば、どんどん先行投資をしていくのが、ロスチャイルド財閥の手法です。ロスチャイルド財閥には、「ワイン財閥」という横顔もあるのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 13 ロスチャイルド家の興亡 日露戦争

戦争といえば、日露戦争(1904~1905年)で日本政府に間接的に金融支援をしたのがロスチャイルド財閥であったことは有名な話です。近代化に出遅れた日本政府の心配は、性能に劣る武器と軍事費の不足でした。戦争を遂行するためには、1億5000万円の外貨支払いが必要とされるのに、国庫には5200万円しかなかったとされています。当時の「円」はまだ国際通貨として認められていなかったので、海外から武器を調達する際にも大きな支障をきたしていました。当時の日本政府が取った方法が、戦時公債を発行して、不足分の約1億円をまかなおうというものでした。


日露戦争における戦費をまかなうために発行された戦時公債。その公募のために英米に派遣されたのが、当時日銀副総裁でのちに内閣総理大臣となる高橋是清でした。彼は徳川慶喜が朝廷に政権を返上した「大政奉還」(1867年)の年に、勝海舟の息子と一緒にアメリカとイギリスへ留学しているので、英語は堪能でした。


最初に向かったニューヨークの金融業界は、日本の戦争公債にまったく無関心でした。ナポレオン皇帝率いるフランス軍を破ったロシアの軍事力は世界最強と見られていたことも大きく影響しているでしょう。「世界の強国ロシアに小さな島国が勝てるわけがない」というのが世界各国の一般的な認識だったのです。


高橋はすぐにイギリスへ渡り、シティの金融業者にあたり、500万ポンド(約5000万円)の調達にこぎつけた。イギリスの金融業界が日本政府を支援した背景には、イギリスの植民地政策が深くかかわっていました。ロシアの南下政策が南アジアに権益を持つ自国に被害を及ぼすと危機感を募らせていたイギリスが、同盟先として日本を選んだのです。


「日英同盟」は大いに機能し、当時世界最強と謳われた、かのバルチック艦隊のスエズ運河の通過をイギリス政府が拒否したことで、無敵艦隊はアフリカ最南端のケープタウンまで迂回する航路を取らざるを得なかったのです。


高橋は当然のことながら、シティ金融業界のボスであるロスチャイルド親子銀行へも出向きます。実はロンドン・ロスチャイルド家のチャールズ・ロスチャイルドは日露戦争の前年1903年に来日し、明治の日本経済の発展に興味を抱いて帰国したのでした。ロスチャイルド家は正面切って反ロシア的な態度を取ることはできないまでも、ロシアのユダヤ人弾圧には激しい怒りを抱いていました。そこで直接、日本の公債を引き受けるのでなく、代理人を立てたのです。


ロスチャイルド家の口利きで登場したのが、ニューヨークで「クーン・ケーブ商会」を経営するユダヤ人資本家ジェイコブ・シフでした。シフが残り500万ポンドを用立てることになったのです。シフはアメリカ・ユダヤ人協会会長職にある人物でした。「日本に勝ってほしい」というより「ユダヤ人を弾圧するロシアをこらしめてやりたい」という気持ちのほうが強かったのかもしれません。


こうして日本の公債1000万ポンドはイギリスとアメリカで発行されることになったのです。ロスチャイルド銀行は発行銀行にはならず、下請けに入って手数料を手に入れます。戦費の調達のメドがついた日本政府は、戦争の長期化を予想し、その後もポンド建ての外債を発行しました。第3回と第4回目の外債発行には、ロンドンとパリのロスチャイルド家が発行団に名を連ねました。調達総額は約8億2000万円。その資金で武器、弾薬、戦艦を購入し、ロシアとの戦いを勝ち抜いたのです。


こうして日本は朝鮮半島と満州(中国東北部)の権益を得ることになります。一方のロシアは敗北をきっかけに極東での南下政策を断念し、進出の矛先を再びバルカン半島に定めます。これがドイツやオーストリアとの対立を招き、イギリスは仮想敵国をロシアからドイツに切り替えます。ドイツはそんなイギリスに敵対意識を抱き、世界情勢は「イギリス・フランス・ロシア」の三国協商と「ドイツ・オーストリア・イタリア」の三国同盟の対立へと向かうのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 12 ロスチャイルド家の興亡 ロイヤル・ダッチ・シェル

「ロイヤル・ダッチ・シェル」の大株主となったロスチャイルド財閥。以後、ロスチャイルド一族は中東の石油を発掘し、ヨーロッパ最大、世界第2位の石油会社に成長させます。最大のライバルは「エクソン・モービル」です。


ロックフェラー財閥グループの「エクソン・モービル」(日本ではエッソやモービル、ゼネラルなどのブランドとしておなじみ)対ロスチャイルド財閥の「ロイヤル・ダッチ・シェル」(こちらは“貝のマーク”でおなじみのシェル)という図式です。ここに三井商事、三菱商事、伊藤忠商事などの大手商事会社が加わり、石油業界の系図が見えてきます。


いや、それだけではありません。ロックフェラー財閥グループとロスチャイルド財閥グループは、その後さまざまな分野で対立構造を示していきます。これが20世紀に企業グループとして明確になっていくのです。


ボーイング対ロッキード、メリル・リンチやモルガン・スタンレー対ゴールドマン・サックス、ゼネラル・モータース対フォード、GE(ゼネラル・エレクトリック)対デュポン、AP通信対ロイター通信、ペプシコーラ対コカ・コーラなど、例を挙げればキリがありません。見方を変えれば、米保守系本流対ユダヤ系資本の対立です。これらはロックフェラー財閥グループとロスチャイルド財閥グループの代理戦争のような様相を呈して今日に至ります。これらはいずれこの連載の中で説明していきます。


さて、ロスチャイルド家がバクーの油田を売却して、わずか3年後にロシア革命によって、ロシアのロマノフ王朝が倒れ、外国資産はすべて国有財産として没収されました。ロスチャイルド家は天才的な見事な売り逃げでした。当時「ロスチャイルド家はロシア革命が起こることをすでに知っていたのではないか」という憶測が流れましたが、世界に情報ネットワークを張りめぐらせたロスチャイルド財閥なら、不可能ではなかったでしょう。


一方、合併によって「ロイヤル・ダッチ・シェル」を誕生させたロバート・コーエンは、オランダの食品大手「マーガリン・ユニ」と、イギリスの食品大手の「リーヴァー・ブラザーズ」も合併させます。ここにもロスチャイルド財閥の資本が流れ、欧州の企業グループのひとつが誕生するわけです。また、ロバート・コーエンの息子のバーナード・コーエンは、ロスチャイルド資本で起業した、ダイヤモンド会社「デ・ビアス」と取引するイスラエルの「ユニオン銀行」副会長となり、のちにロンドン市長に就任しました。


時代はロスチャイルド家がバグーでバニト油田を手に入れた1883年に戻ります。バグー油田に、アルフレッド・ノーベルというスウェーデン人化学者が油田開発に進出していました。ダイナマイトを発明し、のちに「ノーベル賞」の名前になる人物です。彼は当時の採掘技術や輸送技術では、採算をあわせるのは困難だと悟り、ロスチャイルド家の融資を仰ぎ、「ロスチャイルド・ノーベル企業連合」が誕生します。


ロスチャイルド財閥は、ノーベルやキューリー夫人など多くの科学者のスポンサーになり、科学の発展に寄与しましたが、一方で戦争に欠かせない武器の製造にも加担していきます。火薬製造に関して「デュポン」と秘密協定を結び、火薬市場を独占していったのです。デュポンは現在世界最大の化学会社で、アメリカ有数の財閥のひとつですが、創業のルーツはフランスにあります。フランス人の創業者がフランス革命を避けて渡米し、火薬工場を設立します。20世紀に入ると、第一次世界大戦、第二次世界大戦時に各国に火薬や爆弾を供給し、化学兵器や核兵器開発に深く関与していきます。ロスチャイルド家の背後には、戦争をビジネスとして捉え、財を築いていく「死の商人」の影が見え隠れします。
実はロスチャイルド家と日本政府とのかかわりは歴史に刻まれているのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 11 ロスチャイルド家の興亡 リオ・ティント社

世界の金融を支配し、ダイヤモンドや金(ゴールド)の市場をコントロールするまでに至ったロスチャイルド家は、同時に石油や原子力、化学、兵器の分野にも進出しました。


前号で南アフリカの天然資源を発掘、生産する企業にロスチャイルド財閥が融資を行い、世界的な独占企業に成長させた経緯を紹介しましたが、南アフリカの大地にはウランも眠っていました。


イギリスに本社を構える、ウランの採掘、開発を担う最大手「リオ・ティント・リンク」は、もともとイギリス・ロスチャイルド家が経営する鉱山全般を扱う「リオ・チント社」がスペインの「コンソリデーテッド・ジンク社」を吸収して誕生したものです。地面に穴を掘る作業は、ロスチャイルド家が融資した、ダイヤモンドの「デ・ビアス社」、金の「アングロ・アメリカン社」とも同じです。どれが豊富に発見されるかは時の運で、掘り出した鉱石を3社が交換しあう関係を築いておけば、効率よく進むはずです。


余談ですが、アフリカの黒人を鉱山で強制的に働かせ、人種差別を推し進めた「アパルトヘイト政策」を背後で操っていたのは、南アフリカに進出した前出した巨大企業とイギリス政府ですが、彼らに資金を提供したのが、これまた世界各国で弾圧をされてきたユダヤ人、その最も成功した一族であるロスチャイルド家であったことは皮肉といえるかもしれません。


話をウランに戻しましょう。ヨーロッパの原子力産業に欠かせないのが、ロスチャイルドグループの「リオ・ティント・リンク」です。1903年にラジウムの発見、放射能の研究によってノーベル賞を受けたキューリー夫人の研究のスポンサーとなったのが、ロスチャイルド財閥であったことは有名です。ロスチャイルド家は、「金になりそうな研究・開発」に融資し、やがて投資に見合う利益を回収する一族です。


フランスは総発電量の約80%を原子力に依存し、同時にヨーロッパ中に電気を供給している原子力大国です。これはパリのロスチャイルド家が資金面で支援したからこそ可能になったことです。もちろん、莫大な利益を回収できたことでしょう。


さて、続いて石油にも目を向けてみましょう。ドイツのダイムラーがガソリンで動く内燃機関を発明した1883年以降、爆発的な石油ブームが起こりました。同じ頃、アメリカでは1870年、ロックフェラー兄弟が「スタンダード石油」を設立し、その10年後にはアメリカの大富豪の一人に数えられるまでになっていました。


当時、中東の油田はまだ発見されておらず、ヨーロッパではカスピ海のバクー周辺の油田が最大のものでした。ロスチャイルド・パリ家のアルフォンス・ロスチャイルドは1883年に、ロシア政府の財政難を助けるために公債を引き受けました。その見返りに、バクーで最大級のバニト油田を入手しました。


イギリスの「シェル」とオランダの「ロイヤル・ダッチ」は、当時アメリカで支配権を確立したロックフェラーの「スタンダード石油」に対抗するために、歴史的な合併をし、「ロイヤル・ダッチ・シェル」が1907年に誕生します。この合併を推進したのが、ロスチャイルド家と深い結びつきのあるユダヤ人、ロバート・コーエンでした。ロックフェラー財閥をライバル視していたのは、ヨーロッパの石油会社だけでなく、すでにアメリカにも進出している、ユダヤ人を中心とした多国籍業のロスチャイルド財閥だったともいえるでしょう。


ロイヤル・ダッチ・シェルは、販売する石油を確保するために、1914年にロスチャイルド所有の油田を買い取ります。ロスチャイルド家は売却代金として、400万グルデン相当の「ロイヤル・ダッチ」の株(全株式の10%)と、24万ポンド相当の「シェル」の株を手にし、「ロイヤル・ダッチ・シェル」の大株主となります。

 
以後、ロスチャイルド一族は中東の石油を発掘し、ヨーロッパ最大、世界第2位の石油会社に成長させ、「ロックフェラー」と対峙することになります。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 10 ロスチャイルド家の興亡 セシル・ローズ

ロスチャイルド家は、政略結婚によってヨーロッパ最高貴族の仲間入りも果たします。また政界にも深く入り込んでいきます。金融王ネイサン・ロスチャイルドの孫娘ハンナ・ロスチャイルドの夫ローズベリー伯爵は、イギリス首相として政界に君臨しました。やがてロスチャイルド家がイングランド銀行理事に任命され、サッチャー首相、メージャー首相の政策をも動かすことになるのです。


金、ダイヤ、ウランの産出国、南アフリカを長年支配したのもイギリスでした。ロスチャイルド家は、植民地獲得の費用をひねり出すために国債発行に協力し、時には事業に投資する形で獲得した植民地に乗り出していきます。前号で少しふれたインド貿易がその一例ですが、今回はロスチャイルド家が世界のダイヤモンドと金の相場を動かすまでに至る布石を紹介しましょう。


その舞台は南アフリカです。1866年、南アフリカで一農夫が“光る石”を発見します。のちにこれは「アフリカの星」と呼ばれるダイヤにカットされます。相次いで金鉱も発見されると、南アフリカはゴールドラッシュに沸きました。


前号でスエズ運河株の買収を手がけた、ディズレリー英国首相、その後継者であるグラッドストーン首相はイングランド銀行と組んで南アフリカの植民地政策を進めます。ロンドン・ロスチャイルド家は、ゴールドラッシュの当初、代理業者「アングロ・アフリカン・ダイヤモンド鉱山会社」に投資していました。ダイヤモンドの良質な原石を産出するキンバリー鉱山一帯で大きな影響力を持っていたのは、セシル・ローズが経営する「デ・ビアス」です。日本でも著名なこの企業が、のちに世界のダイヤモンド供給の80%を支配することになります。


セシル・ローズはロンドンのロスチャイルド銀行を訪れ、融資を依頼します。ロンドン・ロスチャイルド家のナサニエル(金融王ネイサンの三男)は100万ポンドの融資を約束し、セシル・ローズはアングロ・アフリカン・ダイヤモンド鉱山会社を吸収し、品質、量とも世界最大の南アフリカのダイヤモンド鉱山は、デ・ビアスという一社に独占されることになります。もちろん、ロスチャイルド家は「金も出すが、口も出す」ファミリー。もともとダイヤの加工に関しては、ユダヤ人が得意とする仕事です。ロスチャイルド家は、デ・ビアス社のダイヤモンドを売るヨーロッパの販売網を整備し、やがて世界のダイヤモンド・シンジケートを築いていきます。


1889年、セシル・ローズは英本国政府の特許を得て、採掘のための会社「英国南アフリカ会社」を設立します。1890年には、ケープ植民地の首相に就任。さらに英国本国政府の監督下という条件で軍隊も持つようになります。イギリス・ヴィクトリア女王と首相ディズレリの大英帝国領土拡大政策をロスチャイルド家が支援し、セシル・ローズという怪物を誕生させたということでしょうか。


そしてもうひとつロスチャイルド家が世界の「金(ゴールド)」をコントロールするに至る経緯も南アフリカにありました。セシル・ローズが他界した年に、アーネスト・オッペンハイマーなる人物が登場し、これまたロスチャイルド家の支援を受け、南アフリカに金、ダイヤモンド、クロムなどの採掘・生産を行う「アングロ・アメリカン」を設立します。南アフリカは、世界の金の産出国でもあったのです。オッペンハイマー財閥はここからスタートしました。


オッペンハイマーはやがてデ・ビアス社の社長に就任し、金と銀の取扱い高世界1位、クロムの取扱い高世界2位、さらに世界のダイヤモンド市場をコントロールする大富豪になります。
 
そしてロスチャイルド家は、世界の金相場を操る権力を得ました。金(ゴールド)の価格は1日2回、ロンドンにある「N.M.ロスチャイルド&サンズ社」の通称「黄金の間」で行われる現物取引の価格が世界的指標となっていったのです。先ごろ、「ロスチャイルド家が金相場から撤退した」というニュースが流れましたが、真相は定かではありません。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ9 ロスチャイルド家の興亡 ロンドン・ロスチャイルド商会

金融王ネイサン・ロスチャイルドが1836年に他界した際の遺産は、6億フラン以上であったといわれています。この数字は、フランス国内の他のすべての金融業者の資産総額より1億5千フランも多いと推測されます。


ネイサンの息子ライオネルの時代にロンドン・ロスチャイルド商会は、18ヶ国の債権16億ポンドを取り扱いました。これは1900年のアメリカの金本位制の純金換算で78億ドル(現在の時価でほぼ10兆円)。
20世紀末のアメリカ中央銀行の保有額をはるかに超える財産を個人が所有していたことは、奇蹟のような事実です。ロスチャイルド家は、ロシアに君臨した女帝エカテリーナ2世の後継者である皇帝アレクサンドと皇帝ニコライの財産も支配しました。また、1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家がその利権を支配するようになります。インドには先進国のヨーロッパ諸国が求めた嗜好品、つまり紅茶、コーヒー、香料、煙草、アヘンが豊富にありました。1805年からインド独立の1947年まで、ロスチャイルド家に関連する人物がインド総監に任命され、貿易の利益は英国ロスチャイルド商会に吸い上げられたようです。


ロスチャイルド家は、アメリカにおける代理人オーガスト・ベルモンドの活躍でアメリカにも広大な利権を広げ、国際的な事業や戦争にも深くかかわるようになります。こうして今日でいうところの「多国籍企業」が誕生していくわけです。ファミリーにまつわるエピソードは数え切れませんが、「スエズ運河株買収劇」はロスチャイルド家のスケールの大きさを世界に見せつけた一例でしょう。


地中海と紅海を結ぶスエズ運河は、ヨーロッパにとってアジアへの最短距離を可能にするものであり、中東諸国にとっては利権争いの源になりかねないものでした。スエズ運河の建設は当時の大国の協力が必要と見なされ、イギリス、ドイツ、アメリカなどに声がかけられたが、最終的にはフランスとエジプトが中心となり進められました。イギリスはスエズ運河建設計画に無関心でした。


1859年の着工から10年の歳月をかけてスエズ運河が1869年に開通すると、世界の海運地図ががらりと変わりました。喜望峰まわりの半分の距離でインドに達することがわかると、インド貿易を支配していたイギリスはスエズ運河を利用しないわけにはいきませんでした。フランスやドイツとヨーロッパの覇権争いを繰り広げてきたイギリスにとって、スエズ運河会社の株式は、とても魅力的なものに見えました。イギリス国内でも「スエズ運河建設に出資しなかったことは大いなる失策」と非難されました。


1875年に事態は急変。運河建設に多大な出資をしたエジプトのイスマイル・パンシャが財政に破綻をきたしたのです。同社は保有するスエズ運河株を売却する方策をさぐりました。放出する株は、時価ににして400万ポンドでした。


当時のイギリス首相は、ロンドンのロスチャイルド家と親密な関係にあったディズレリーです。当時のロンドンの金融界のボスは、ネイサンの長男ライオネル・ロスチャイルドです。ディズレリーはライバルのフランス政府に株の買収を知られないように動きました。


イングランド銀行から公金を引き出すには、国会の承認が必要でした。これには時間を要すると考え、ディズレリーはライオネル・ロスチャイルドに400万ポンドを貸してくれるよう依頼します。その際にライオネルが「何を担保とするのか?」と聞いたところ、首相の使いは「イギリス政府です」と答えたといいます。
ライオネルはロスチャイルド銀行からポンと400万ポンドを提供。こうしてイギリスがスエズ運河の最大の株主となったのです。


大英帝国の歴史上、最大の富豪は、当時のヴィクトリア女王であったとされていますが、女王の全資産は500万ポンドでした。ロンドンのロスチャイルド家はそれ以上に資産を持っていたことになります。ライオネルはこの融資で再び大もうけしたといわれています。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ8 ロスチャイルド家の興亡 ヘッジファンド

ロスチャイルド一族の金融ビジネスにおける先見性は、19世紀初頭に「ヘッジファンド」を実践していたことです。欧州を制覇しようとしたナポレオンがイギリス軍に大敗した際に、敗戦国フランスがイギリスとその同盟国に支払う賠償金の総額は7億フランでした。この支払いを公債として引き受けたのが、フランス・ロスチャイルド商会代表、ロスチャイルド兄弟の末弟のジェームズ・ロスチャイルドです。 前回紹介したように、ジェームズは、この公債を売却して得た金を投資家の貸し付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだといわれています。


1820年代に入ると、ほとんどの大国の大蔵大臣がロスチャイルド5兄弟に買収され、公債を発行して国の借金をつくり、その2倍近い金額をロスチャイルド商会に支払うという取引が行なわれたと言われています。ヨーロッパの主導権を握ろうとして激しくしのぎを削るイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの5カ国の対立構造を上手に利用し、プラスとマイナスの両者に投資し、結果としてトータルでプラスを生み出す「ヘッジファンド」の手法は、ロスチャイルド一族が編み出したと言っても過言ではないでしょう。


余談ですが、ヘッジファンドの大物、ジョージ・ソロスの能力を見抜いて、「ロンドン・スクール・オブ・エコノミック」に送り、経済の基本を教え、卒業するとロンドンの銀行で実務を教え込んだのが、ロスチャイルド・ファミリーであったことは有名な逸話です。ソロスは英国王室と親しく、エリザベス女王の資産運用を手伝ってきましたが、これはロスチャイルド家の紹介がなければ不可能でしょう。


さて、時計を19世紀に戻しましょう。金融ビジネスで才能を発揮したパリのジェームズは、一方で“鉄道王”と呼ばれました。フランスの8大鉄道で12の重役のポストを占め、のちにパリ分家の資産になります。


ロスチャイルド一族の資本が巨大化したのは、この時代です。1815年当時、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアのロスチャイルド商会の総資産は333万フランでした。3年後には4200万フランとなり、10年後には1億1840万フランまでふくれあがったと言われています。当時、パリのラフィット銀行の総資産が700万フラン、ナポレオンが設立した発券銀行であるフランス銀行の総資産が6000万フランとされた時代ですから、ロスチャイルド一族の資産がいかに大きかったかがおわかりいただけるかと思います。

 
しかし、この5兄弟が競うように活躍した時代も終焉を迎えます。1836年、天文学的な財を築いたロンドンのネイサンが58歳で他界します。翌年、ロスチャイルド一族はアメリカの代表者としてオーガスト・ベルモントを派遣します。


ロスチャイルド商会の米国における初期の3つの代理会社は、J・P・モルガン商会、クーン・ローブ商会、そしてオーガスト・ベルモントでした。オーガストは黒船で浦和に来航したペリー提督の娘と結婚。その後、アメリカ社会に入り込み、広大な利権を広げ、オーガスト・ベルモントはアメリカで大富豪になります。


やがてロスチャイルド5兄弟は、3代目に代替わりします。本家であるフランクフルトの長男アムシェル、ウィーン分家の二男サロモン、ナポリ分家の四男カールが1855年に相次いで亡くなります。そしてパリの五男“鉄道王”ジェームズが1868年に他界し、ヨーロッパに放たれた「5本の矢」は次代へと受け継がれていきます。息子に恵まれなかったフランクフルトの本家は、ナポリのカールの長男が経営を引き継ぎました。


3代目の時代、再びヨーロッパ史に残るエピソードが誕生します。ロンドン分家ネイサンの息子ライオネルが、イギリスの国運のかかった重要な局面に登場します。それが「スエズ運河株買収」です。イギリス政府が担保となってスエズ運河の最大の株主になるまでの逸話は次号で詳しく紹介します。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ7 ロスチャイルド家の興亡 N・M・ロスチャイルド&サンズ

1815年当時、「イギリス軍が敗北し、再びナポレオンが進軍してくる」と、偽りの情報を英国の大衆に吹聴し、英国ポンドを二束三文の価値しか持たなくしたロスチャイルド家。一方で国債をはじめ、株券、証券、不動産を手当たり次第に買いまくり、やがてイギリス軍が勝利したことが英国じゅうに伝わり、ポンドの価値が平常に戻った時点で天文学的数字の財産を築きあげたネイサン・ロスチャイルド。彼がロンドンで設立した投資銀行が「N・M・ロスチャイルド&サンズ」です。日本語でいえば「ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとその息子たち」という社名です。


その後、ロスチャイルド家は、自らの富の中から「戦争復興のために」と称して1818年、プロシアに500万ポンドを融資し、債権を発行させます。また英国に対しても1800万ポンドを融資し、1825~1826年にかけて英国銀行へ十分な貨幣を供給しました。ロンドン証券取引所を事実上支配したネイサン・ロスチャイルドが、英国銀行の支配権を獲得したことは言うまでもありません。蛇足ですが、現在の「イングランド銀行」の理事にレオポルド・ロスチャイルド(N・M・ロスチャイルド&サンズ)、の名前が載っています。もちろんネイサンの子孫です。


のちにロスチャイルド家は、金(ゴールド)を紙幣発行の唯一の基盤とする「金本位制」を主張します。これは別の章で詳しく記しますが、「金本位制」は、ロスチャイルド家がファミリーの利益を拡大する目的とともにアメリカ合衆国にも大きな影響を及ぼす方策でした。それ以前にもロスチャイルド家がアメリカ独立戦争に深くかかわっていたことも、いずれの章かで説明します。さらにさらに、並行して連載中の「小栗上野介が駆け抜けた時代」(毎週木曜配信)にのちほど登場する、長崎グラバー邸の持ち主グラバーの背後に、ロスチャイルド家がついていたことも紹介していきます。


その前に他の兄弟の活躍にもふれましょう。1812年にパリに定住した末弟のジェームズ・ロスチャイルドもまたネイサン同様、金融ビジネスの才覚を発揮していきます。敗戦国フランスがイギリスに支払う賠償金の総額は7億フランでした。1817~1818年、この支払いを公債として引き受けたジェームズは、売却して得た金を投資家の貸し付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだといわれています。構造は現在の「ヘッジファンド」と同じです。


フランクフルトの本店を守る長男アムシェル、オーストリア・ウィーンに本拠地を置く二男のソロモン、ロンドンで大銀行家になった三男ネイサン、ナポリに移り住んだ四男カール、パリのジェームズ。19世紀前半に、この五極体制を構築したことは革命的でした。たとえばナポリのカールは、ナポリ国王の公債を発行するにあたり、ヨーロッパのどの主要国の通貨にでも換金できるようにしました。これはヨーロッパ全土に支店があったからこそ可能であった、金融経済史上初めての試みでした。


ロスチャイルド家が国際金融グループとして君臨していくこの時代は、産業革命がフランス、ドイツにも及んだ時代です。ロスチャイルド兄弟は、新しい産業にもどんどん投資していきます。
1814年にイギリスのスティーヴンソンによって発明された蒸気機関車が、1830年にマンチェスター-リヴァプール間を走りました。鉄道のスタートです。ロスチャイルド兄弟は、ヨーロッパの新たな機関産業である鉄道事業に融資します。


イギリスで鉄道事業がスタートすると、ネイサンは他の兄弟にそれぞれの国で鉄道建設の利権を確保して融資をするよう促します。いち早く実行したのは、オーストリアのサロモンでした。1835年、政府から鉄道事業免許を取り付け、ウィーン-ボヘミアン間に鉄道が開通しました。これがヨーロッパ大陸初の鉄道となったのです。一方、パリのジェームズは、パリ―サンジェルマン間、パリ―ヴェルサイユ間の鉄道を完成させ、フランスでは“鉄道王”と呼ばれるようになります。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ6 ロスチャイルド家の興亡 ワーテルローの戦い

ロスチャイルド家が、政治・経済をも動かす欧州一の金融財閥に成り上がるきっかけとなった大賭博を紹介しましょう。ナポレオンがロシア征服をたくらみ、冬将軍と戦っている頃、ロスチャイルド家の専用馬車はナポレオンへの反撃の準備を記した密書を携えて各国を駆け巡っていました。ロスチャイルド家のネットワークが反ナポレオン戦線の通信網になっていたのです。


ナポレオン討伐を狙うイギリスのウェリントン将軍は、ナポレオンと戦う同盟国に1500ポンドの軍資金を用立てたとされています。この資金を調達したのがロスチャイルド家でした。彼らは親子・兄弟の連携プレーによって、ドーバー海峡を越えて金貨や手形を密かに輸送したのです。しかし、これは慈善事業ではありません。ロスチャイルド家は、「儲かるところに投資する」一族です。彼らの大きな賭けが始まっていたのです。ポルトガルでナポレオンへの反撃の機会をうかがうものの、軍資金に困窮するイギリスのウェリントン将軍に金貨を送り届けたロスチャイルド家は、この時、一族をあげた大きな勝負の時を迎えていました。


ナポレオン・ボナパルトの最後の戦いとなった1815年の「ワーテルローの戦い」。ヨーロッパを支配しようと侵略戦争を続けた皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍(ホーエンツォレルン家が支配する王国の軍隊)が対峙した天下分け目のこの戦争の戦況を入手しながら、ロンドン・ロスチャイルド商会のネイサンは「その時期」を狙っていました。


ワーテルローでナポレオンが勝てば、イギリスの国債は暴落して紙くずとなります。反対にウェリントン将軍が勝てばイギリス国債は暴騰します。つまり「どちらが勝ったか」という情報をいち早く入手できる者が有利なのです。


ロスチャイルド家は「ワーテルローの戦い」の勝敗を見届ける者を手配していたので、イギリス軍の使者よりも早くイギリスのネイサンのもとに「イギリス軍勝利」の連絡が届きました。伝書鳩を使ったのか、伝達用の馬と船を配置しておいたからできたのか不明ですが、当時のロスチャイルド家はドーバー海峡に自家用の快速船を何隻も運航させていたという記録が残っています。また、ドーバーとロンドンの間にロスチャイルド家専用の早馬を常備していたともいわれています。そんな情報網によってネイサンはイギリスでただ一人、「イギリス軍勝利」の事実を知っていました。


ネイサンは、ただちにロンドン金融街シティの証券取引所に向かい、イギリス国債を売って出ました。ネイサンが売りに出たのを見て、「イギリス軍敗北」という情報が流れ、相場は大暴落しました。「大英帝国破滅の日が近い」と周囲はパニックに陥ったようです。そんな混乱の最中、紙くず同然となった国債をひそかに買い集めているグループがいました。ネイサンの使用人です。そして「その時期」を見計らってネイサンも国債の買いに転じました。


翌日、ウェリントン将軍の使いが「イギリス軍勝利」のニュースをイギリスに届けた時に、イギリス国債が破格の値上がりを示したことは言うまでもないでしょう。底値で買い、高値で売ったことで、当時の金で「100万ポンドの利益」を上げたという伝説が残っています。市場の小さな時代のことですから、この利益はまさに天文学的数字といえるでしょう。こうして金融王ロスチャイルド財閥が誕生し、このファミリーがヨーロッパ全土を支配するようになっていくのです。


この大きな賭けの結果を見ることなく、初代ロスチャイルドである父マイヤーは68歳で他界します。遺訓は「わが家の資産は一切公表しないこと。兄弟が仲良く手を取り合って事業を展開すること。ロスチャイルド家の事業の跡取りには男子しかなれないこと」などであったとされています。ファミリーの資産が公開されないことで、ロスチャイルド財閥は世界でもっともミステリアスな存在になっていくのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ5 ロスチャイルド家の興亡 金融王ネイサン

ロスチャイルド家の三男で、イギリスに渡ったネイサン・ロスチャイルドは、のちに「金融王ネイサン」と呼ばれます。彼は天才的な投機能力を持っていました。

 
ロンドンの金融街シティに登場する前のネイサンは、フランス革命の影響で流通が混乱し、綿製品が高騰していたことに目をつけ、イギリス・マンチェスターで綿製品を大量に安く買いつけてドイツに直送し、莫大な利益をあげていました。ネイサンは中間マージンを徹底的にはぶくために、買い付けだけでなく、綿糸から染色のための藍の売買まで手がけて総合的な綿製品業者として成功していました。


また、ネイサンは、ナポレオンに追われたヴィルヘルム9世の財産管理を委託された父親のマイヤーから「フランス軍の目から隠せ」と預かった、その財産を使って貴金属に投資し、これまだ莫大な資産を生み出したとされています。


1807年、ヴィルヘルム9世の60万ポンドの資金を年利3%の公債で運用しながら、そこで得た金を元手にして貴金属投機で利益率20%という利益を上げたとされています。また、イギリスがヨーロッパ同盟諸国(オランダ、プロイセンなど)に提供した4200万ポンドの資金の半分を彼が調達するほど強大な財力と権力を持つようになっていました。


さて、フランスを征服したナポレオンは1806年、敵対するイギリスに経済的な打撃を加えるために「大陸封鎖令」を発令します。これは、産業革命が勃興しつつあったイギリスとヨーロッパ大陸諸国との貿易を禁止して、 イギリスを経済的孤立に追い込むことが狙いでした。しかし、大陸諸国は豊かな経済力を持つイギリスと貿易ができなくなることに不安を覚えました。


ロスチャイルド商会は、この大陸封鎖令をも利用していきます。イギリスとその植民地から届いていた商品、コーヒーや砂糖、綿製品などが封鎖令によって輸入できなくなり、底をついて暴落したのを見たマイヤーと息子たちは、独自のルートを使って大々的に大陸にそれらの商品を運び入れ、売りさばいたのです。


ロスチャイルド家の人々は、金融だけに敏感なのでなく、需要と供給のバランス、ひいては人間の欲望や心の弱さにも敏感だったといえます。それは広義の“商才”と呼べるでしょう。大陸に物資を運ぶことは、フランスからすれば密輸ですが、商品の販路を失って経済的に混乱していたイギリスの経済界からすれば、安くしても売りさばきたいと願っていたはず。ロンドンのネイサンが安く買い叩き、兄弟が海岸で物資を受け取り、欧州各国に運び、高値で売ることによってファミリーはさらに巨大な利益を手中に収めたのです。皮肉なことにナポレオンは、ロスチャイルド家のビジネスを後押ししたことになります。


ナポレオンの戦いを描いた史記にロスチャイルド家の名前が登場することはありませんが、じつは当時ロスチャイルド家は陰で政治・経済に深くかかわる情報を操っていたという大胆な見方もできます。ロスチャイルド家の資産がナポレオン討伐に運用されたのです。


蒸気機関車が登場する前の交通手段は、駅馬車でした。郵便もこれを使っていました。日本ならさしずめ「飛脚」といった位置づけでしょうか。パリとロンドンの間にはドーバー海峡があるので、パリ-ロンドン間の郵便は片道4、5日かかったとされています。そんな状況の中、ロスチャイルド商会は、複数の専用馬車を欧州に走らせていました。荷物は手形や手紙、現金や密輸品です。しかも専用場所の荷台は二重底になっていました。さらに各国の兄弟に届けられる手紙は、北部ヨーロッパのユダヤ人が用いるイディッシ語に暗号めいた約束事を組み合わせたもので、知識のない者には解読不能でした。ファミリーだけが知りうる秘密を保持するための方策だったようです。


こういったファミリーの手練手管には、単に金儲けのうまさ、ずる賢さだけでなく、高度な「知性」をも感じます。そしてファミリーは戦争をも投機の材料として扱っていくのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 4 ロスチャイルド家の興亡 リスクヘッジ

ロスチャイルド家の初代マイヤーは、本能的に「リスクヘッジ」を体得していた人物でした。当時は「リスクヘッジ」という概念もなければ、まだ近代経済学が確立されていない時代です。投資の損得を見極める彼の嗅覚は、学問によって得たものでなく、生きていくうえで身につけたセンスでしょう。


ロスチャイルド商会が金融業によって蓄えた多額の自己資金は、戦乱のヨーロッパ各国の軍資金として運用されていきます。注目すべき点は、この軍資金が敵国や味方の国という区別によって提供されなかったことです。わかりやすくいえば、儲かるところに投資されたのです。「利益を得ることができるなら、どの国が勝ってもよい」という考え方は、ヨーロッパ各国に散らばっていく5人の息子たちにも受け継がれていきます。いや、そもそも欧州に解き放たれた「5本の矢」自体が、ロスチャイルド家の「リスクヘッジ」を実践していたのです。


長男アムシェルは、父親が立ち上げたドイツ本店を継ぎました。1804年、三男ネイサンが27歳にしてイギリス・ロスチャイルド商会を創設。続いて1817年、 五男ジェームズがフランス・ロスチャイルド商会設立。1820年、次男サロモンがオーストリア・ ロスチャイルド商会設立。1821年、四男カールがイタリア・ロスチャイルド商会設立。それぞれが独立した会社としてスタートしました。
現在なら「支店の創業」ということになりますが、1800年代にすでに各国に支店を開き、金融ネットワークを築こうとした先見性は驚くべきことです。


当時のイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリアなど列強諸国は緊張した関係が続いていました。当時はナポレオン・ボナパルトの全盛期です。ロンドンにロスチャイルド商会が誕生した1804年は、ナポレオンが皇帝となった年です。2年後には、ドイツ・ベルリンがナポレオンに征服されました。各国のロスチャイルド商会は独立しているので、投資先は異なっていても不自然ではありません。会社を構える国も経営者も異なるのだから、ナポレオン派と反ナポレオン派の双方に投資していても世間から見れば矛盾はありません。


ロスチャイルド家からすれば、どの国の君主がヨーロッパを支配するか、あるいは没落するか、いくつかの可能性を含んだ下克上の時代なのだから投資リスクは大きいはず。だからこそ独立した5人兄弟のネットワークは保険制度のようなものだったのでしょう。敵味方の両国に投資しておけば、必ずどちらかが勝者となり、戦後の権益が得られるのです。勝つか負けるか、50%の確率。ひとつに集中して賭けると、ゼロになるどころかマイナスになる可能性があるのであれば、両方に賭けてリスクを分散させる。これは昨今注目を浴びている学問「ゲーム理論」を実践しているかのようなやり方です。

さて、フランスの実権を握った風雲児ナポレオンは、ドイツに攻め込んできます。初代マイヤーの金融パートナーで、ロスチャイルド家が飛躍するきっかけとなった領主ヴィルヘルム9世は、王妃の実家であるデンマークに逃げ出しました。その財産を安全に貯蓄しておく任務を受けたのがマイヤーでした。マイヤーが信用できるパートナーであったことはもちろんのこと、戦乱にあっては大手銀行に財産を管理させるのはかえって危険だ、とヴィルヘルム9世は考えたのでしょう。


マイヤーは、ロンドンのネイサンに資産管理を託します。ナポレオンはヴィルヘルム9世のすべての資産を没収すべく、フランクフルトのロスチャイルド商会を捜索しましたが、帳簿を見てもヴィルヘルム9世との取引は記されていませんでした。マイヤーは二重帳簿をつけていたとされています。


ロスチャイルド商会が隠すように頼まれた現金60万ポンドは、ワイン樽に入れて秘密の場所に保管されていたという逸話が残っています。また、ヴィルヘルム9世が行っていた欧州の貴族への貸付金の回収もロスチャイルド商会が担い、各国にいる息子たちが回収し、ナポレオンの目を盗んでヴィルヘルム9世に届けられました。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ3 ロスチャイルド家の興亡 マイヤーと5人の息子たち

ロスチャイルド家の初代マイヤーは、ヨーロッパ最大の財産家に取り入れられるよう奔走します。今回はマイヤーが自ら構築した金融のメカニズムを紹介しましょう。


まず、大金持ちの領主の古銭収集に協力して大量のコインや紙幣を買い取ったり、預かったりします。「古銭を預かる」とは、現在の質屋と同じシステムのことです。顧客は金貨や銀貨をロスチャイルド商会に預け、「預かり証」を受け取ります。預かり証は貨幣と等価で支払いの用を果たしていました。預かり証のシステムは、金本位制の紙幣の原型と見ることもできます。


両替商は立派な金庫を持っていなければビジネスができません。預かったコインや紙幣は安全な金庫に保管されました。そこでマイヤーは預かった貨幣のほぼ3分の1の量が、受け取りに来ないまま金庫に眠っていることに気づいたのです。


たとえば3000マルク分の金貨を預かれば、2000マルクに対して書いた預かり証を発行し、2000マルクが世の中に流通することになりますが、1000マルクの金貨はいつも倉庫に眠っていることになります。
そこでマイヤーは、残りの1000マルクの金貨についても無断で預かり証を発行すれば、それを自らの資金として運用でき、他人の金貨を手元に利子をとることができると考えたのです。1000マルクが利子によって大金を生み出す可能性がある、つまりレバレッジ(テコの原理)です。金融派生商品(デリバティブ)と原理は同じです。ロスチャイルド商会は、このノウハウを自らのものにし、預かり証によって貸付け金利を手にしていきます。


やがてマイヤーは古銭を通じて知り合った財務担当者から、イギリス振出しの為替手形を割引く仕事をもらうようになります。この業務については後述しますが、マイヤーは宮廷御用達となったことで経済のしくみを学び、財力を貯えていきます。そして大きな転機が訪れます。


ロスチャイルド家が出入りするフランクフルト地方の領主ヴィルヘルム公の父、フリードリッヒ大王が他界し、ヴィルヘルム公はヨーロッパ最大の資産を相続してヴムィルヘルム9世となったのです。古銭の取引や手形の割引によって王家の信頼を得ていたロスチャイルド家は、「王家の宮廷銀行家」の地位に昇格し、国家財政の金融業務に携わるようになります。国王が領土を統治していた時代、王家の金融業務を担当することは、そのまま国家財政の金融業務に携わることを意味しています。


ロスチャイルド商会を運営するマイヤーには、5人の息子たちがいました。彼は息子たちに仕事を教えながら業務を拡大していきます。


マイヤーは、ヨーロッパ最大の財力を持つヴムィルヘルム9世の金庫管理業務に食い込みました。
ヴムィルヘルム9世は、国王になる前から、領内の若者を集め、兵隊にする訓練をほどこし、イギリスのように植民地戦争に明け暮れる国に傭兵として貸していました。多くの国が領土を奪い合うヨーロッパでは、「傭兵派遣」は珍しいことではありませんでした。兵隊不足のイギリスは植民地確保のためにドイツ人傭兵を雇い入れ、ヴムィルヘルム公は多額の金を儲けていたのです。イギリスは傭兵代金を小切手でヴムィルヘルム公に支払っていました。マイヤーが宮廷の金融業務を担うきっかけとなった手形の割引は、このイギリス振出しのものだったのです。


マイヤーは5人の息子の中から、長男のアムシェルと次男のサロモンをヴムィルヘルム9世の宮殿に専属金融担当者として差し向けます。そしてこれまで以上の多額の小切手の割引業務を請け負います。フランス革命の年、1789年からロスチャイルド商会は宮廷の正式な金融機関に加えられ、大銀行と肩を並べるようになります。


二十歳まで銀行に奉公していたマイヤーにとって銀行業務は得意な仕事でした。しかし、ロスチャイルド商会の狙いは、銀行業務だけではありませんでした。マイヤーは、イギリスが振り出した小切手をイギリスで購入する綿製品の支払いに利用すれば、手形の割引よりも2倍、3倍の利益を生み、手形割引の手数料も安くすることができる、と考えたのです。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 2 ロスチャイルド家の興亡 マイヤー・アムシェル

ロスチャイルド家の初代であるユダヤ人のマイヤー・アムシェル(1744~1812年)の躍進を語る前に、現在まで続くユダヤ人と金融業の深い結びつきを説明しておきましょう。


もともと中世ヨーロッパでは、多くのユダヤ人が高利貸しを生業としていました。これはヨーロッパ諸国の国教となったキリスト教が、他人から利子をとることを禁止していたため、ユダヤ人が金融業に進出したという見方ができます。キリスト教徒からすれば、金融業は「欲深い罪人の仕事」だったのです。


11世紀にキリスト教会が、ほとんどの職業からユダヤ人を追放した後、ユダヤ人にとって数少ない収入源となったのが、高利貸し、質屋、金塊の保管人、両替商など、利子を取り扱う金融業でした。
中世ヨーロッパの支配者が、ユダヤ人を特定の職業に追い込んだ理由は、「キリストを裏切ったユダヤ人(ユダ)」の子孫を社会共通の敵に設定することで、自らの権力を安定させるためだったと想像できます。

じつはユダヤ教も利子の徴収は禁じていたのですが、ユダヤ教は異教徒(外国人)からの利子の徴収は許されていました。こうしてユダヤ人は、金融業に進出し、ノウハウを築いていったのです。
やがて政教分離が進み、教会が経済活動に口出しできなくなり、利子をとることが罪悪ではなくなったとき、利子を受け渡しながら巨額の資金を集める近代経済の手法は各国に散らばったユダヤ人が得意とする手法になっていたのです。


では、本題に移りましょう。
ロスチャイルド家の初代マイヤーは、中部ドイツの町ハノーバーの銀行での奉公を終え、二十歳の頃、故郷のフランクフルトに戻りました。マイヤーの二人の兄弟は古物商を営んでいました。マイヤーは古物商でなく、古いお金を扱う古銭商を始めました。これがやがて欧州の政治や経済を動かす「ロスチャイルド金融王国」への第一歩になったのです。


領主が絶対王政の時代に、一般の人々にとって古銭商がどれほどの価値があったのかと想像すれば、おそらくまったく見向きもされなかったことでしょう。しかし、マイヤーの狙いは一般大衆ではありませんでした。彼は経済的に余裕のある貴族など支配者階級への接近を図ったのです。マイヤーは一般の人にはガラクタでしかない古銭を安く買い取り、手描きのパンフレットを作成し、顧客になりそうな貴族に届けたのです。古今のお金の由来を巧みに語り、古銭に付加価値をつけ、貴族の心をくすぐろうとしたのです。


近代経営学の基礎を築いたマイケル・ポーターは、名著『競争の戦略』の中で「近代経営の3つの基礎戦略」として、「コストのリーダーシップ」「差別化」「集中」を挙げています。基礎戦略のひとつである「集中」とは、特定の買い手グループや特定の地域市場へ企業の資源を集中する戦略のことです。
マイケル・ポーターの理論からすれば、マイヤーは経営者として「顧客を絞る戦略」をとったといえるでしょう。この戦略が功を奏したのです。


やがてマイヤーは支配者階級にアプローチしているうちに、フランクフルト地方の領主に古銭を売り込む機会を得たのです。領主はフリードリッヒ大王を父に持つドイツの名門貴族で、莫大な財産を築いていました。一説にはドイツのみならず、ヨーロッパ屈指の大金持ちであったようです。当時、下層階級とされていたユダヤ人が、領主から直々に注文を得たとは異例中の異例でしょう。どうやらマイヤーは人の心をつかむ術に長けていたようです。


領主との取引を開始したマイヤーは、すぐさま自宅の玄関先に「宮廷御用達商人 マイヤー・アムシェル ロスチャイルド商会」の看板を掲げたとされています。権威に弱い世間の風潮を熟知していたのでしょう。古銭商とともに、ささやかな両替商も兼ねていたマイヤーの破竹の躍進が、これから始まるのです。
やがてマイヤーは5人の息子を5つの都市に分家させます。これがゆくゆく「ファイブ・アローズ」(5本の矢)といわれる金融ネットワークを形成することになるとは、当時のヨーロッパの国王は予想もしなかったことでしょう。


By Master K/益田 慶


ヨーロッパの財閥と企業グループ 1 はじめに

世界経済をコントロールしている人物や組織とは、いったいどこにいる、どんな人でしょうか? それは経済大国の首相や大統領、政権を担う政党でもなければ、著名な経済学者、エコノミストでもありません。
「ヘッジファンドの大物が、世界経済を牛耳っている」と指摘する本があります。確かに彼らは世界経済、特に金融システムを動かす重要なプレイヤーですが、それでは小国の国家予算にも匹敵する資金を自在に動かすヘッジファンドの、その資金とは、どこから流れてきているのでしょうか? 


視点を変えて、政治家やヘッジファンドの大物たちに活動の“軍資金”を提供し、同時に口も出している組織が背後にあると考えたほうが、世界の経済地図はすんなり描けるのではないでしょうか? 
つまり、プレイヤーを操る組織、人物の動きに目を向けることで、金融システムを動かす大きなメカニズムの骨格が浮き彫りになってくるのです。


アメリカには「彼らの意向を無視すると、大統領の首が据え変わる」とされている巨大財閥があります。ロックフェラー、ヴァンダービルト、モルガン、アスター、デュポンなどがそれに該当します。財閥とは、創業一族を核にした企業集団であり、企業グループ、ビッグ・ファミリーとも称されます。そして彼らは日本経済にも多大な影響を及ぼしてきました。


そのアメリカで財閥・大富豪に入る階層の起源は、真っ先に産業革命に成功したヨーロッパ諸国にあります。いち早く資本主義経済の基盤を築いたヨーロッパの先進国の資本家たちは、王室や貴族階層の意向を受けながら、巨大な企業グループを構築してきました。現在の金融システムの土台を築いてきたのも彼らです。そのうちの何名かはやがて新天地、アメリカ合衆国へと移り、あるいは婚姻関係を築いて、アメリカ国内で影響力を及ぼすようになったのです。


そもそも株式や貿易、為替やリスクヘッジといった概念を真っ先につくりだしたのが、ヨーロッパの資本家なのです。中でも財閥といわれる、少数の企業集団です。歴史をひもとくと、驚くことに、彼らの動向が幕政や明治維新にも影響を与えていたことがわかります。約1年かけて連載する「ヨーロッパの財閥と企業グループの研究」は、資本主義経済の発展の歴史をひもとく読み物ともいえます。突出した人物や企業グループが行ってきた事業の立ち上げ、投資や買収劇の手法は、現代でもまったく色あせていないどころか、混迷する現在だからこそ、先人から学ぶべき点は数多くあるでしょう。

その象徴ともいうべきファミリーが、ヨーロッパのロスチャイルド家です。これからお送りするコラムの半分は、「ロスチャイルド家の興亡」を核に構成していきます。ヨーロッパを象徴する財閥といえば、誰もが真っ先にロスチャイルド家の名前を挙げるでしょう。19世紀から20世紀にヨーロッパの政治を金融面から動かした一族は、今日に至るまで数多くの伝説に彩られたファミリーとして君臨しています。


ロスチャイルド家は、近代の金融業や投資会社の方向性を確立し、さらにレバレッジ(テコの原理)やヘッジファンドの概念をいち早く導入した一族と位置づけることができます。さらに現在、世界の金融ネットワークに大きな影響力を及ぼしているユダヤ人の象徴としても見ることができます。


ロスチャイルド家の興亡は、一族の初代であるユダヤ人のマイヤー・アムシェル(1744~1812年)がドイツ・フランクフルトのユダ人街で古銭業を開いたことから始まります。マイヤーの先祖は代々、「赤い盾」(ドイツ語で「ロートシルト」、英語で「ロスチャイルド」と発音)の家紋をつけていたことから、「赤い盾」が同家の屋号になっていました。マイヤーがこれを姓として使ったことから、「ロスチャイルド家」の初代となったのです。そして彼の5人の息子がヨーロッパに散らばり、金融ネットワークを構築していくのです。


By Master K/益田 慶