100年企業 51 産業別100年企業 新聞社中編
地方新聞社に「100年企業」が多い理由のひとつに明治政府が、水面下で「県紙」を根づかせる政策を進めたことにある。国や地方自治体は国民・県民に向けたインフォメーションルーツとして地方紙を機能させたのである。もうひとつの流れは地方経済紙だ。地域経済の活性化のため、地元の資本家の手で創刊された。昭和に入り、1県1紙方針が定まり、統廃合が行なわれた。現存している新聞社の「100年企業」は、統廃合で生き残った企業ばかりだ。
1891年に創刊した「茨城新聞」は、茨城県の県紙。発行元の茨城新聞社は、統廃合の際に、水戸に本社をもつ「常総新聞」や土浦で発行の「常南日報」、古川で発行の「関東毎日新聞」を吸収して今日に至る。栃木県の下野新聞社が発行する「下野新聞」は、1878年に創刊した「栃木新聞」がルーツ。1884年に「下野旭新聞」発行元と合併し、現題名になった。1941年、経営難から「東京日日新聞」(現毎日新聞)の支援を受けて以降、毎日新聞社と資本・協力関係にある。
群馬県県紙の「上毛新聞」は1887年創刊。発行元の上毛新聞社は、1970年に国内で初めて活字を使わない最新鋭フィルム版を使用した新聞社である。ちなみにミステリー作家の横山秀夫は同社の社会部に勤めていた。そのときに横山が体験した日航機墜落事故をモチーフにして描かれたのが、彼の代表作『クライマーズ・ハイ』だ。
「神奈川新聞」のルーツは1890年創刊の「横浜貿易新聞」。その後、地方紙との合併を重ね、1942年に現題名になった。発行元の神奈川新聞社は、朝日新聞社のグループ企業。2001年に「テレビ神奈川」の経営権を取得した。
長野県の「信濃毎日新聞」は、発行部数約48万部という地方紙の雄。1873年、「長野新報」として創刊。1881年より現在の題号となる。1881年から経営に参画し、実権を握った小坂善之助は、その後、信濃銀行を設立し、戦前に小坂財閥を築いた。善之助が君臨して以降、小坂家が代々社長を受け継いでいる。ちなみに、長野1区の代議士で、第三次小泉内閣の文部科学大臣を務めた小坂憲次氏は、信濃毎日新聞社と信越放送の大株主である。
1881年に「岐阜日日新聞」として創刊し、合併を重ねて誕生したのが今日の「岐阜新聞」だ。岐阜県は「中日新聞」(愛知県)のシェアが高いため、岐阜新聞はトップシェアではない。岐阜新聞社の傘下に岐阜放送がある。同一題字で日本最古の日刊新聞が1878年創刊の「伊勢新聞」(三重県)だ。紙名は、三重県という名前より前に伝統的な地名としてあった「伊勢の国」に由来する。
「京都新聞」は京都府と滋賀県で販売されているフロック紙だ。1879年、京都財界人の一人で、のちに京都商工会議所会長にも就任した浜岡光哲が「京都商事迅報」を創刊したのが起源。いわゆる経済専門誌で、これを源流にして新聞を発行。「京都新聞」の題字となったのは意外に遅く、1942年のこと。「神戸新聞」は、神戸川崎財閥・川崎正蔵の手によって1898年に創刊した。
神戸新聞初代社長は、川崎造船所(現川崎工業)社長の松方幸次郎。1920年に神戸川崎財閥から独立神戸新聞と銘打っているが、兵庫県全域と近畿地方の西部をフォローするブロック紙。発行部数56万部は見事だ。同じく神戸市に本社を置く「サンテレビ」の45.3%の株式を有し、連結子会社としている。余談だが、1995年の阪神・淡路大震災で「神戸新聞社」が入居する神戸新聞快感が全壊した。現在の社屋は、ウォーターフロントにあたる「神戸ハーバーランド」内にある。
北陸では、北日本新聞社(富山県)、北國新聞社(石川県)、福井新聞社(福井県)すべてが「100年企業」に該当する。各社とも地元テレビ局を系列会社とし、地元経済界と密接にかかわっている。
By Master K/益田 慶