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小さな政府江戸幕府 51 幕末の財政事情 御用金令の乱発

幕末の幕府の財政は、悪化の一途をたどった。金の海外流失、外国人の殺害にともなう賠償、黒船来航に備えた軍備の増強、沿岸防備、度重なる江戸城の火災、二度にわたる長州征伐などがその原因だった。江戸城の火災は、反幕派による放火であった。


慢性的な財源不足と突発的な支出を補填するために幕府が発令したのが、御用金令だ。御用金とは、幕府や諸藩が財政上の不足を補うため、町人・農民らに対し臨時に上納を命じた金銀のことだ。いわば幕府や諸藩の「特別会計」である。発令の名目は、幕府財政融通、米価調節費、江戸城再建費、海防費、長州征伐軍費の調達など様々だ。


年貢とは異なり、本来は利子付きで年賦返済する借上金であった。つまり、民間からの借り入れである。その利子は年利2~3%という超低利で、返済も長期の年賦返済だった。しくみは国債と似ているが、異なるの信用度だ。利子が支払われたのは最初の数年間のみで、幕末になるにつれ、利子はもちろん、元金もほとんど償還されなくなっていった。


実質は、半強制的な献金である。当初は大坂や江戸の豪商に対して課せられたが、やがて大坂の富裕町人や一般町人、さらには農村の富裕層にも命じられるようになった。その浸透ぶりは、貨幣経済の発達により、消費しかしない武家階級が、経済活動のプレイヤーとして資金を動かせる層となった町人たちの支配下に置かれていったことを物語っている。


有力商人が集まる大坂での御用金徴収を総括していたのは、東西両町奉行だった。奉行所は普段から大坂町人の資産・商売の状況を把握しており、そのデータに基づいて個々の町人への御用金額を決定していたという。奉行所が、警察署や裁判所のみならず、税務署や市役所の役割を果たしていたことには驚きである。ひとつの組織がジャンルの異なる複数の業務を並行してこなしていたことがわかる。まさに「小さな政府」だ。


やがて豪商たちは、返済されない金を上納し続けていけば、すぐに破綻してしまうため、御用金徴収に盛んに抵抗するようになり、幕府の権威は失墜していく。幕府に上納するくらいなら、官軍に投資して、官軍が政権を取った暁には新政権御用達の業者に指名してもらおうと考える商人が登場してもおかしくない。一方、戦略家として頭角をあらわしたのが三井家だ。幕府への御用金を減額して分納することに成功し、なおかつ横浜貿易の関税収入の一部を商品担保貸し付けに回す業務を幕府から承認してもらったのである。


ところで、イギリスと手を組んだ薩摩藩・長州藩の財政はどうなっていたのかといえば、江戸から離れていることが幸いし、密貿易によって財政を支えていた。イギリス商人から軍艦や武器を購入する費用は、密貿易で得た利益である。一方、御用金徴収によっても財政の立て直しができない幕府の内部には、フランスからの外債を軍事費にあてようとする動きもあった。しかし、最終的には外債で軍事費を調達しても償還が困難になると判断したのである。


余談だが、江戸城の無血開城の前に、密かに地中に埋蔵されたと伝えられる「徳川埋蔵金」は、幕府が町人から徴収した御用金だったとされている。大政奉還当時、勘定奉行を務めていた小栗上野介が財政責任者であったことから、「小栗が幕府の金を持って逃げ、赤城山に埋めた」と噂されたという。幕僚を引退した小栗は上野国(群馬県)で隠遁生活を送りながら、埋蔵金を掘り起こすチャンスをうかがっていた。その金で幕府を再興する計画を持っていた・・・・・・と、このような徳川埋蔵金伝説にロマンを感じる人は現在も少なくない。


By Master K/益田 慶