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小さな政府江戸幕府 49 大坂の商業 年貢米を担保とした金融「大名貸し」

各藩の蔵屋敷が集まり、堂島米会所が先物取引市場を繰り広げた大坂は、諸藩の資金調達先でもあった。大坂が江戸時代の「金融センター」の役割を担ったのは、大坂に年貢米が集積され、蔵元や掛屋、両替商などが集まっていたからだ。大名に対して行なわれた、年貢米を担保とした貸しつけを「大名貸し」と呼ぶ。現在なら地方自治体が民間金融機関から借金をするようなものである。


大名貸しは、販売予定の年貢米を担保とした融資なので、大名からの実際の返済は大坂に届けられる年貢米あるいは年貢米の売却代金で行なわれた。しかし、借りる側と貸す側両者に大きなリスクがあった。大名にとっては、米価の低下と凶作が最大のリスクだ。凶作の場合、需要と供給のバランスが崩れ、米価は上がるものの、販売できる絶対量が激減するので、返済額に届かなくなる。その不足額は文書で支払い計画を記した「証文貸し」で繰り越しされ、大名は元利金を複数年にわたって分割返済した。ある領内が飢饉に見舞われても、その藩の大坂の蔵屋敷には米が備蓄されていたのは、飢饉に苦しむ農民に配給することなく、返済にあてられたからである。


貸し付ける側のリスクとは、大名の債務破棄、すなわち踏み倒しである。事実いくつかの藩が多重債務に陥り、債務破棄を懇願している。藩の財源を年貢米でまかなっている限り、飢饉が起これば米の収穫量が減り、返済が滞ることになる。大名が備蓄米を農民に配給しなければ、農民が餓死して耕作者のいない田畑が生まれ、さらに財政収入が悪化する。そして返済が滞るという悪循環に陥る。


そういう事態を回避するため、金融業者のなかには藩財政の再建に協力する商人もいた。まるで政策と金融のコンサルタントである。藩の資産運用まで手がけた商人がいたとしても不思議ではない。江戸時代にそういう職業も自然発生的に生まれてきたことは、とても興味深い。


ところで、この大名貸しという金融事業によって大坂最大の両替商となったのが鴻池だ。鴻池は蔵元や掛屋の業務をしながら両替商を営んだ。その利益で大和川流域に鴻池新田を開き、大地主にもなった。現在なら、不動産事業への進出である。当時の鴻池に「資産運用」という概念はなかったと思われるが、実に優れた投資の仕方といえよう。地主になれば、遊んでいても定期収入が得られるからだ。


大名貸しのほかには「浜方先納」と呼ばれる融資が行なわれた。これは堂島米会所に所属する米仲買や両替商が、大名所有の米切手を担保に実施した貸し付けである。商人からからすれば、年貢米を担保とした大名貸しより、さらにリスクの高い融資だ。米切手は米の所有権を示す紙に過ぎず、また米価が暴落すれば回収できなくなるからだ。よって浜方先納は高金利であった。


幕末にかけて財政危機に陥ったいくつかの藩は、債務を抱えたまま、明治維新を迎えた。その際、明治政府は旧藩の借金のうち半額近くを帳消しにするよう商人に認めさせ、しかも返済を長期の公債による分割支払いとした。この政策によって、大坂の多くの両替商が経営不振に陥った。明治政府にとっては廃藩置県によって誕生した地方自治体への救済処置であったが、金融業者には反対の結果となった。これがなければ、金融を基盤とした阪神財閥の数はもっと多く生まれていただろう。また、少数ではあるが、両替商で蓄えた資金とノウハウを銀行業に注ぐ商人も誕生した。


By Master K/益田 慶