100年企業 50 産業別100年企業 新聞社前編
老舗新聞社の多くは、明治初期に誕生している。新聞の配布エリアから全国紙、ブロック紙、地方紙という分け方ができる。情報収集の方法や広告主が共通するため、新聞社がテレビ局や出版社を系列に置くことが多く、中央・地方にかかわらずメディアグループを築いている。
まず全国紙から紹介しよう。発行部数世界一を誇る読売新聞は1874年に「日就社」が創刊した「讀賣新聞」が起源。1917年に社名を読売新聞社に改めた。中興の祖となったのが、前警視庁警務部長で後の衆議院議員、正力松太郎だ。経営難に陥った同社を買収し、1934年に大日本東京倶楽部(現読売ジャイアンツ)を創設。これが部数拡大に大きく貢献し、正力松太郎の戦略はズバリ的中した。2002年にはグループの再編が行なわれ、読売新聞社は、グループ持ち株会社の「読売新聞グループ本社」が傘下の「読売新聞東京本社」「読売新聞大阪本社」「読売新聞西部本社」「読売巨人軍」「中央公論新社」などを総括することになった。また、「読売新聞グループ本社は日本テレビの大株主である。
朝日新聞社は1879年、雑貨商を営む村山龍平が「朝日新聞」の所有権を獲得し、出資総額の3分の2を出し、上野理一が3分の1を分担して大阪で創業された。今日に至るまで創業家の村山家と上野家の株式が全体の半分以上を占め、大株主となっている。村山龍平は後に国会議員となった。途中で政府と三井銀行から経営資金援助を受け、1888年には「東京朝日新聞」を創刊し、いち早く東京進出を果たした。また、1915年には、大阪朝日が現在の全国高校野球選手権大会を開催した。また、朝日新聞社はテレビ朝日の大株主でもある。
毎日新聞は1872年に東京浅草の「日報社」から創刊された「東京日日新聞」がルーツだ。だから、じつは読売、朝日より歴史がある。1875年にはいち早く新聞の個別配達を開始している。一方、1906年に「大阪毎日新聞社」が東京の「電報新聞」を買収し、同紙を「毎日電報」に改め、東京進出を果たす。1911年に大阪毎日新聞社が日報社を合併し、「毎日電報」を「東京日日新聞」に吸収。その後、東西で異なっていた紙名を「毎日新聞」に統一した。こうして名実ともに全国紙となった。大阪の「毎日放送」の主要株主でもある。
名古屋市に本社を置く中日新聞社は、前身となる新聞が発刊されたのは1886年だが、会社の創業は1942年だ。「中日新聞」「東京新聞」をあわせると、読売、朝日、毎日の3大新聞に次ぐ発行部数となる。中日ドラゴンズの親会社としても知られている。
地方紙を発行する新聞社にも「100年企業」は多い。1887年創業の北海道新聞社は、北海道内で圧倒的なシェアを誇るブロック紙。東北で最も歴史のある「秋田魁新報社」は1874年創業なので読売新聞と同じ年生まれの老舗だ。東北各県の販売されているブロック紙「河北新報」の発刊元である「河北新報社」は1897年創業。青森県の「東奥日報社」は1888年創業、岩手県の「岩手日報社」は1876年創業。「山形新聞社」も同年の創業だ。「福島民報」は1892年に創刊している。
このように多くの地方紙の発刊元は「100年企業」である。地元銀行をはじめ地元有力企業、テレビ局、地元出身の代議士などと深く結びついているため、経営が破綻すると影響が大きく、地元経済界が新聞社を支えるかたちになっている。また、地方新聞社はイベントの主催者となることが多く、産業界に欠かせない存在でもあるため、明治から今日まで続く老舗となっているようだ。
By Master K/益田 慶