100年企業 49 産業別100年企業 飲料メーカー後編
日本の大手ビールメーカー、洋酒メーカーは、ほとんどが明治に入って誕生した「100年企業」だ。日本酒と異なり、製造技術の輸入・開発と新たな工場の建設が必要であったため、資本を蓄えた明治の財閥が少なからず経営に関与した。またアルコールを製造販売することから、経営には政治力も必要であった。各社は現在、清涼飲料やお茶、缶コーヒーなど飲料を販売しているので、総合飲料メーカーといえよう。
最も古い歴史を誇るのが「サッポロビール」だ。1876年、政府の開拓使が北海道札幌市に「開拓使麦酒醸造所」を設立した。実質は国営産業であったが、同社ではこれをもって創業としている。翌年、開拓使のシンボルである北極星をマークとした冷製『札幌ビール』を世に送り出した。これが現社名の由来だ。1886年、大倉財閥の大倉喜八郎率いる大倉商会に払い下げられ、翌年、渋沢栄一、浅野財閥・浅野総一郎らが大倉から麦酒醸造所場を譲り受け、「札幌麦酒」を設立し、製造販売をスタートした。
「アサヒビール」は1889年、大阪・堺の酒造業者のリーダー的存在であった鳥井駒吉が設立した「大阪麦酒」をもって創業としている。鳥井はのちに南海電鉄の前身である阪堺鉄道の敷設メンバーになり、また堺貯蓄銀行を設立するなど堺の資産家であった。1891年に「アサヒビール」を販売した。
この大阪麦酒と前出の札幌麦酒、1887年に東京で創業した「日本麦酒醸造」の3社が合併して、1906年に「大日本麦酒」が誕生する。日本麦酒醸造は三井物産系企業で、関東で「恵比寿ビール」を販売していた。合併によって生まれた大日本麦酒は国内シェア7割を占め、独占状態となった。サッポロビールとアサヒビールが同根と称されるのは、この合併によってである。
その後、大日本麦酒が、「朝日麦酒」と「日本麦酒」の2社に分割。後者がのちに「サッポロ」と「エビス」の商標を継承し、現在の「サッポロビール」へと発展していく。
アサヒビールとの2強時代が続く「キリンビール」は1907年、三菱財閥傘下の「麒麟麦酒」として誕生したのを創業としているが、その起源は1870年にアメリカ人のウイリアム・コープランドが横浜に開設した「スプリング・バレー・ブルワリー」にまでさかのぼる。大衆向けビールとしては日本で初めて継続的に醸造・販売を開始したが倒産。これを再建したのが三菱の岩崎弥之助である。
ビールより国産ウイスキーメーカーとして認知されている「サントリー」は、1899年に鳥井信治郎が「鳥井商店」を設立したことを起源としている。鳥井の実家は大阪の両替商・米穀商を営んでいたことから、鳥井家は大阪の資本家といえよう。当初はスペイン産のワインを販売したが、売れなかったため、日本人の口に合う「赤玉ポートワイン」を製造販売し、これが大ヒット。1921年に「寿屋」を設立し、国産ウイスキーの製造を開始。昭和に入り、現在の「角瓶」がヒットし、ウイスキー事業が軌道に乗った。ビールメーカーとしては後発で、アサヒ、キリン、サッポロに次ぐ4番手だが、国産ウイスキーのシェアはトップだ。
アサヒ、キリン、サッポロ、サントリーは、それぞれ多くの系列会社や子会社を持ち、一大グループを築いている。アサヒビールは子会社の「ニッカウヰスキー」が製造・輸入する商品の販売を行なうほか、山梨の「サントネージュワイン」も傘下としている。沖縄の県民ビール「オリオンビール」の主要株主でもある。サッポロビールグループは「恵比寿ガーデンプレイス」などの不動産事業が活発で、酒造事業の4倍以上の利益を不動産ビジネスで稼いでいる。
この不動産事業に目をつけたのが、投資ファンド「スティール・パートナーズ」である。一方、キリンビールは、「協和発酵キリン」を設立して医薬事業に進出しているほか、バイオ事業も手がけている。ちなみに「横浜アリーナ」はキンリビールと横浜市、西武鉄道が出資して誕生したホールである。サントリーは、サントリーホールやサントリー美術館など文化事業で名高いが、日本における「ハーゲンダッツ」や「ペプシコーラ」の販売はサントリーの系列会社が行なっている。
By Master K/益田 慶