100年企業 36 産業別100年企業 繊維業界
明治時代に入って逸早く工業化に進んだのが繊維業界だ。生糸の生産や織物の技術、生産者-工場-問屋-呉服店といった流通ルートも江戸時代にできていたことから、容易に工業化に移行できた。ひとくちに繊維産業といっても、現在では合成樹脂や化成品も生産しており、化学業界、バイオ業界との垣根は曖昧になっている。
1882年創業の「東洋紡績」は、実業家・渋沢栄一の紡績事業計画による国策によって日本初の本格紡績工場として大阪に誕生した。当初は「大阪紡績」としてスタートしたが、1914年に「三重紡績」と合併し、東洋紡績となった。レーヨン、アクリル繊維、ポリウレタン繊維など、常に新たな事業に進出し、化成品、機能材、バイオ・メディカルへと事業領域を拡大した。2001年以降は、非繊維部門の売上高が50%を超えている。売上では後発の「テイジン」「東レ」に大きくリードされている紡績界の名門は、バイオ事業に活路を見いだしている。
1888年、岡山県倉敷市の資産家・大原家の出資を受けて誕生した倉敷紡績、通称「クラボウ」も大阪に本社を構える大手メーカー。繊維関連、化成品、環境制御製品に加え、不動産業やレジャー事業も手がけている。
1889年に「尼崎紡績」としてスタートし、いくつかの合併を経て誕生したのが「ユニチカ」だ。同社も繊維事業だけでなく、高分子事業、環境事業など異分野に進出している。ちなみに同社の子会社に年商34億円の「寺田紡績」(大阪)があるが、なんとユニチカの株式の76.1%を所有している。つまり実質的なオーナーだ。寺田紡績は、旧寺田財閥の寺田利吉が設立した企業。すでに紡績事業から撤退し、タオル及び関連商品の製造販売、合成樹脂製品・原料及び成形品の製造販売を営んでいる。株主配当額が気になるところだ。
1892年創業の「シキボウ」は、伝法紡績、福島紡績、敷島紡績と社名を変更し、現在に至る。同社も大阪のメーカー。産業用資材の製造・販売(製紙用ドライヤーカンバス、フィルタークロスなど)や先端複合材料の製造・販売、不動産業にも進出している。
1896年創業の「富士紡績」は、持株会社制に移行し、社名を「富士紡ホールディングス」に変更。原材料の製造から製品の販売、または商品開発部門までフジボウグループとしてシナジー効果を上げようとしている。国内外に生産工場を展開し、非繊維事業にも力を入れている。
1907年創業の「日清紡績」は根津財閥の資本を得て、のちに「電力王」と呼ばれた福沢桃介が設立した。現在、繊維部門からブレーキ製品、紙製品、バイオテクノロジー部門に軸足が移っている。同社には日本経済界の重鎮が多くかかわっている。創業者の福沢桃介は鉱山、発電、鉄道事業で財を築いた人物。特に関西電力と中部電力の前身となる「大同電力」を設立したことで知られている。
1919年に社長に就任した宮島清次郎は、東京紡績の専務であったが、尼崎紡績に吸収合併されると退社し、日清紡績の専務として迎えられた中興の祖。「日本製紙」の前身のひとつ「国策パルプ」の社長、日本工業倶楽部理事、根津育英会理事長などを務めた。宮島の後継者として社長に就任した桜田武は、日本経済団体連合会(日経連)会長も務めている。
どの「100年企業」も繊維メーカーから、繊維を核にした付加価値の高い化学メーカーへ脱皮しつつあることがわかる。多角化事業が高収益につながるか、それとも足を引っ張るのか。1887年創業の「カネボウ」が食品事業、化粧品事業を拡大した挙げ句、粉飾決算から解散に至った事件は、繊維業界の教訓になっていることだろう。
By Master K/益田 慶