FX検定公認テキスト「外国為替FX投資の黄金律」 → 詳しくはこちら

小さな政府江戸幕府 34 「寛政の改革」の経済政策

田沼意次の失脚後、徳川吉宗の孫で白河藩主の松平定信が老中首座となる。白河藩主として飢餓対策に成功したことが、抜擢された大きな要因だ。この政権交代は、田沼の重商主義を批判し続けた松平ら保守派のクーデターともいえる。


松平定信は老中在任期間中に「寛政の改革」と呼ばれる幕政改革を進めた。祖父・吉宗が推進した「享保の改革」を踏襲したもので、現在に置き換えるなら緊縮財政だ。経済政策と相場はともに「弛緩」と「緊張」を繰り返すというが、田沼の重商主義から対極の重農主義に移ったことは、その定説どおりである。それにしても質素・倹約と農業を重んじる政策は、時代が逆まわりしたかのような様相だ。田沼の斬新な政策のもとで進んだ初期資本主義経済は、ここでしばらく停滞する。松平が実施した諸改革が期待した成果をあげることがなかったのは、すでに商業が大きな力を獲得し、市場原理が機能しはじめていたからだ。


By Master K/益田 慶

松平は株仲間や専売制を廃止し、特権商人を抑制した。一見規制緩和に思えるが、同業種の仲間による共同仕入れや流通整備がやりにくくなり、商人にはむしろ規制となって経済は停滞する。また田沼が蘭学を重んじたのに対し、松平は儒学のうち農業と上下の秩序を重視した朱子学以外認めず、幕府の役人の登用も朱子学を学んだ者に限った。これを「寛政異学の禁」と呼ぶ。さらに出版も厳しく統制し、かの歌麿の浮世絵を世に広めた版元の蔦屋重三郎は罰金を徴収されている。


その一方で農政と御家人救済には一定の効果があった。主な政策に棄捐令、旧里帰農令、囲米と七分積金がある。棄捐令は、財政難に陥った旗本や御家人を救済するため、6年以上前の債務破棄と借金の利子の引き下げを命じるセーフティネット法令だ。江戸居住が義務づけられていた旗本・御家人は、土地や現米、給金をもらっているとはいえ、江戸では何も生産しない消費者。物価が上がれば生活は苦しくなる。寛政の改革で帳消しになった旗本や御家人の借金の額は約120両。


現在の金額に換算すると約1兆円。幕府の年間支出とほぼ同額だったようだ。この制度によって大きな打撃を受けたのが、武士に支給される米の仲介を仕事とした札差だ。彼らは米の仲介による手数料を取り、給米を担保に高利貸しを営んでいた。いわば「米の両替商」であり、「武家専門の街金」だ。札差は、この制度によって利益が激減したので、旗本や御家人に貸し付けを行わなくなる。


旧里帰農令は江戸へ大量に流入した地方出身の農民たちに資金を与えて帰農させるUターン政策。囲米は諸藩の大名に飢饉に備えるため、各地に倉庫を築かせ、穀物の備蓄を命じたもので、自らが体験した飢饉の教訓から得たリスクヘッジである。七分積金は町単位で積み立てる共済のようなしくみだ。町入用の経費を節約した四万両の七割に、幕府が支給する1万両を加えて基金とした。基金は主に水桶やハシゴの費用、橋の掛け替え修繕費などインフラ整備に使われた。これは吉宗が将軍時代に南町奉行・大岡忠相が実施した政策の延長にあるものだ。


一方、棄捐令によって打撃をこうむった札差を救済するため、幕府は浅草・猿屋町に「猿屋町御貸付金会所」を設置した。これは困窮した札差に経営資金を融資する幕府の機関で、会所設立に出資したのは江戸の豪商だった。旗本・御家人を救済する法令の次に、札差を救済する法令が出されたことには矛盾する点があるが、札差が倒産すると武士に金を貸す民間機関がなくなることから苦肉の策といえよう。


しかしこの政策はヒットした。札差が困窮すると武士が困窮し、最大の消費者である武士が貧しくなると、商人も共倒れとなることから、会所は札差に積極的に貸し出しをしたのだ。幕府にとっては、財政を切り崩さず、豪商の資金で札差を救済でき、さらに旗本・御家人も救えるとあって好都合の制度となり、猿屋町御貸付金会所は明治維新まで継続して運営された。松平定信の経済政策の中では、最大のヒット作といえよう。