100年企業 30 産業別100年企業 中小専門商社編・前編
三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事、丸紅などは日本を代表する総合商社だが、じつはこれらより古い歴史を誇る専門商社は多い。老舗の専門商社に共通する特徴は、そのほとんどが特定のジャンルに特化していることと、取引先が安定していることだ。紙の専門商社が多いことから、保守的な業界であればあるほど老舗は生き残りやすいという見方もできそうだ。
織田信長が「桶狭間の戦い」で今川義元を討ち取った1560年。同年に創業した日用品・住宅設備機器の専門商社が岐阜市にある。「サンアイ岡本」だ。448年も続く企業があるとは驚きである。現会長と社長は岡本姓なので、彼らが創業者の子孫だとすれば、約450年間、岡本家がのれんを守ってきたことになる。日本にこういう企業、一族が存在することは国の財産といってもよいだろう。
安土桃山時代の1585年、初代西川勘右衛門数吉が現在の滋賀県近江八幡市で蚊帳や畳表などの農産品を中心に販売を始めた商社がある。その後、販路を広げ、江戸日本橋、大阪、京都に出店を持つに至り、西川庄六商店、西川商店と改組し、現在の「メルクロス」となる。甘味料など食品素材、寝装品、繊維原材料、工芸品、インテリア、ファッション雑貨、不動産管理など幅広い事業を展開している。こちらは「423年企業」だ。
和紙から洋紙まで紙の専門商社「小津産業」は1653年の創業というから、「355年企業」だ。4代将軍・徳川家綱の時代、小津清左衛門長弘が江戸・大伝馬町に紙商を開いたのが起源だ。小津はもともと松阪商人で、旧小津清左衛門邸は現在、三重県松阪市に「松阪商人の館」の名で資料館として保存・公開されている。
江戸時代の紙屋の半数は、松阪商人であったとされている。江戸十組問屋仲間には47軒もの紙屋が名を連ねていたが、なかでも小津清左衛門は一番組の筆頭格であった。明治に入ると紡績工場を買収し、「小津銀行」を創業するなど多角化を進め、財閥化の方向にあったが、洋紙問屋が台頭したことで洋紙部門を拡充し、紙の専門商社として生き残る道を選んだ。現在、6社からなるグループを築いている。
徳島県に総本店を構える「三木産業」は、1674年創業の化学品の専門商社。阿波国中喜来浦村(現在の総本店所在地:徳島県板野郡松茂町)で、三木家遠祖が天然藍の取扱いを始めたのがルーツだ。その後、代々家業を継ぎ、播州姫路、淡路洲本に販路を開き、さらに1789年には江戸日本橋にも店舗を構えた。それが現在の東京本社の所在地である。世界各国にネットワークを築き、グループ企業もある。
福島県の紙の専門商社「富久」は1685年創業。王子製紙、日本製紙、北越製紙など国内大手製紙会社に納品していることから、堅実な経営をしているようだ。「新生紙パルプ商事」も紙の商社だ。1692年創業の洋紙商社「岡本」と1889年創業の洋紙商社「大倉三幸」が2005年に合併して誕生した。初代・紙屋彌兵衛は江戸両国に店舗を借りて紙商を興し、再生紙「浅草紙」の行商よりスタート。その後、幕府の指名問屋となり、岡本商店、岡本と改組して今日に至る。
1712年創業の「国分」は、四代目国分勘兵衛宗山が土浦に醤油醸造工場を設け、「大国屋」の屋号で開業、同時に日本橋に店舗を開いたのが起源だ。現在は酒類・食品の卸売業、貿易業、パン粉の製造業、貸室業などを営んでいる。ちなみに現代表取締役会長兼社長の国分勘兵衛氏は、十二代目にあたる。1717年、徳川吉宗が将軍の時代に初代中澤彦七が江戸に酒・醤油仲買商「塗屋彦七」を開いたことを起源とするのが「ぬ利彦」だ。現在は酒類・食品をはじめ、OA機器も扱っている。現社長は九代目中澤彦七氏。オンラインショップ九代蔵や直営ギャラリーも経営している。
このように、名前は一般的に知られてなくても、100年以上続く中小の専門商社は、ほかにも多く存在する。
By Master K/益田 慶