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FXライフ 40 中部アフリカの通貨 コンゴ共和国とコンゴ民主共和国

アフリカ中部に位置するコンゴ共和国とコンゴ民主共和国は、15世紀頃までは「コンゴ王国」というひとつの国だったが、植民地時代にフランス領とベルギー領に分けられた。前者が現在のコンゴ共和国、後者が現在のコンゴ民主共和国(元ザイール)である。


コンゴ共和国は1960年にフランスから独立。通貨は、ガボン、カメルーンと同じく中部アフリカ諸国銀行(BEAC)発行のCFAフランだ。旧フランス植民地であった多くの国で流通している通貨だ。コンゴ共和国は90年代末から2005年まで、反政府武装組織と治安部隊との戦闘行為が散発したが、その後、治安は落ち着いた。主要産業は農業、林業、鉱業(石油)で、GDPの5割以上、輸出額のほとんどを石油、木材に頼っている。


経済的には仏、米など西側諸国に依存しており、現実的外交路線をとっている。特に、従来から仏との関係が緊密だ。輸出品目は、石油、木材、砂糖などで、米国、中国、韓国、フランスが主な輸出先。一方、フランス、中国、アメリカ、インドなどから石油関連品、資本材を輸入している。GDPは1%(2003年)、4%(2004年)、9%(2005年)、6.4%(2006年)と推移している。


1990年代後半には、隣国・コンゴ民主共和国原産のダイヤモンドの不正輸出に関わり、2004年には紛争ダイヤモンドの取引を防ぐための国際認定制度であるキンバリープロセス認証制度から追放された。コンゴ民主共和国で勃発した大規模な内戦は、少なくとも300万人の死者を出したと伝えられているが、反乱武装組織に加え、アンゴラ、ナミビア、ルワンダ、ウガンダ、ジンバブエなどの武装組織がコンゴ民主共和国産のダイヤモンドから資金を調達していたことが発覚。コンゴ共和国がその「紛争ダイヤモンド」の横流し輸出を担っていたと指摘されたのだ。


コンゴ共和国にはダイヤモンド採掘産業が存在しないにもかかわらず、あまりにも大量のダイヤモンドを輸出していたことから、世界的な機関がコンゴ共和国からの輸入を控えるようアナウンスを続けてきた。キンバリープロセス認証制度への再加盟が許可されたのは2007年11月であった。


一方のコンゴ民主共和国は、1997年まで「ザイール」と呼ばれていた国である。通貨はコンゴ・フラン(CDF)。ベルギー統治下時代に当時のベルギー・フランと等価のコンゴ・フランが用いられ、独立後の1967年に「1ザイール=1000フラン」のレートで「ザイール」が導入され、1997年にコンゴ・フランが再導入された。


さて、コンゴ民主共和国といえば1990年代から続く内戦が有名だ。内戦は民族紛争であり、ダイヤモンド争奪戦でもあった。1996年にルワンダ軍とウガンダ軍がコンゴ民主共和国に進撃したのも、ダイヤモンドやコルタン、木材、象牙などを略奪するのが目的であったとされている。


ルワンダとウガンダはもともと力を合わせてコンゴを支配下に置く目論見だったが、鉱山をどちらが支配するかで対立し、コンゴ領内で両国の武装勢力が戦闘。当時の大統領がアンゴラ、ジンバブエ、ナミビア、チャドに援軍を頼み、援軍派遣の見返りに大統領が周辺諸国に提示したのは、自国の地下資源を採掘する権利だったといわれている。アンゴラは石油を、ジンバブエとナミビアはダイヤモンドを採掘させてもらう約束でコンゴの内戦に介入したのである。


2001年に和平協定を結び、2003年には暫定政権が誕生したが、依然として内戦状態は続いている。労働人口の75%以上が農民で、パーム油、コーヒー、綿花を栽培するが、食料は輸入に依存している。6割を占める輸出産業の主役・鉱物資源は世界的な宝庫で、銅、コバルト、ダイヤなどを産出。コバルトの埋蔵量は世界の約65%を占めている。


豊富な鉱物資源によって1970年代初期までは、順調な経済発展を遂げたものの、銅価格の低迷、対外債務の増大などによって1970年代末期以降、経済困難に直面。さらに1991年の内政混乱以降、インフラが破壊され、経済は壊滅状態となった。2002年には世銀銀行とIMFの協力の下、復興への歩みを始め、2005年にGDP 6.6%、2006年にGDP5.1%という成長を記録したが、これは世銀銀行、IMF、欧米諸国の援助によるところが大きい。国内は激しいインフレが続いており、2005年の物価上昇率は23.4%であった。


By Master K/益田 慶