小さな政府江戸幕府 30 田沼意次の重商業主義経済政策 専売体制の整備と長崎貿易の拡大
田沼意次が実施した株仲間の推奨は、直接税中心の税制に、間接税や流通税を導入したという点において画期的であった。そして株仲間公認政策は都市の商工業者のみならず、農村の商人に対しても在方株(農村部の株仲間)の公認という形で進められた。江戸中期には農民の中から商業活動を展開する者が登場し、彼らは在郷商人と呼ばれるようになっていた。いわば兼業農家だが、彼らも株仲間をつくり始めたのだ。都市と農村に同一の租税方法を適用した点も田沼の目新しさだ。
さらに田沼は、御用商人に銅、鉄、真鍮、朝鮮人参、ショウノウ、朱などアイテム別に幕府直営の座を結成させた。金座や銀座と同じように、幕府主導で銅座や鉄座をつくらせたのである。株仲間との決定的な違いは、株仲間が税金徴収の対象となる組合で、基本は自由競争、運営は株仲間に任せていたのに対し、座は幕府による製造・販売を独占する制度であることだ。つまり座は幕府直営のビジネスで、利益は幕府の財政に直結したというわけだ。かつてのたばこ専売公社、日本国有鉄道、日本電信電話公社だと考えればわかりやすい。
田沼は1780年、真鍮座を、次いで大坂に鉄座を新設している。ともに江戸や大坂にある銀座と同じ扱いとし、専売制であった。こうしてみると、専売制は産業育成というよりも幕府の収入アップの意味合いが強いことがよくわかる。
たとえば1782年、幕府は朱座(大坂)以外での朱(赤色の顔料)の売買が絶えないため、輸入品は長崎から、琉球産は薩摩から朱座へ送るよう命令し、朱座での専売を厳命している。「これは幕府直営のビジネスだから、決められた座で販売するのが正規ルートで、それ以外は認めないぞ」という警告である。
それぞれの座は製造・販売を独占したが、幕府直営の販売所拠点には、「会所」と呼ばれる事務所兼販売所もあった。たとえば石灰の産地である八王子や上野国(群馬県)に「石灰会所」をつくり、石灰の独占販売をした。昔からある食品添加物で、漬物やアク抜きなどの用途で使われ、漬け物や草木染めなどに用いられた明礬(みょうばん)は、江戸、大坂、京都、堺の4カ所に設立された「明礬会所」が独占販売した。ただし幕府は会所からも税金を徴収したという。
各藩もこれらのしくみをまねて、藩の直営ビジネスを開始した。たとえば仙台藩は、仙台、気仙沼、石巻に「国産会所」を設置し、仙台藩の特産品の独占販売を行っている。富山藩は売薬の専売を開始、長州藩は火縄の他国売買を禁止して扱い商人を指定し、専売制を始めている。
ところで、幕府のビジネスとしてユニークなものに、こんな記録が残っている。1765年、幕府が中国向け輸出品のフカヒレ増産のため、新たにサメ漁を始める者には当分の間、税金を免除するというものだ。当時は鎖国中ではあったが、中国の公認船とポルトガルの貿易船は長崎に出入りできた。それにしても、フカヒレといえば中国が本家だと思い込んでいたから、江戸時代に幕府が中国にフカヒレを輸出していたとは驚きだ。
そんな直営ビジネスのひとつの窓口となっていた場所が長崎だ。田沼は長崎港を拡張し、港に出入りする船から工事費をきっちり徴収している。そして長崎貿易の拡大にも力を注いだ。幕府の貿易政策は鎖国体制の確立以来、国産の金銀の減少に対応する形で、規模を縮小してきた。しかし、田沼はこの方針を大きく転換し、貿易による金銀の輸入、つまり外貨獲得を図ったのである。
そのために輸出品となる銅や海産物を扱う銅座や俵物会所(海産物取り扱い事務所)を設け、銅山の開発や海産物の増産を奨励したのだ。記録では富山藩に中国への輸出用食用クラゲをつくらせ、長崎まで届けさせている。だから前述したようにフカヒレ増産のために税金免除まで考案したのである。後世で「賄賂政治家」「悪名老中」と呼ばれる田沼意次だが、これほどの経済通を幕臣から探すのは難しいだろう。江戸時代に外貨獲得を図り、特産物の増産を推奨したとは驚きである。なぜなら、それは16世紀から18世紀にかけて重商主義を唱えた西欧の著名な経済学者の理論そのものだったからだ。
By Master K/益田 慶