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100年企業 25 産業別100年企業 製薬会社編 後編

老舗の製薬会社には創業家が代々社長を引き継いでいく世襲制が多く見られる。鎮痛消痛炎薬「アンメルツ」やトイレ用芳香消臭剤「サワデー」でお馴染みの「小林製薬」は、創業者の小林忠兵衛が1886年に名古屋で創業した卸問屋「小林盛大堂」がルーツ。のちに日本の医薬品卸業界の中心地である大阪・道修町に進出、店名を「小林大薬房」と変え、大阪に本社を設置し、今日の「小林製薬」へと発展した。現会長の小林一雅氏と社長の小林豊氏は兄弟で、創業家の子孫。また、使い捨てカイロで知られる「桐灰化学」は子会社である。


ビタミン剤「ポポンS」や頭痛薬「セデス」で知られる「塩野義製薬」は、1878年創業。初代塩野義三郎が大阪・道修町に薬種問屋「塩野義三郎商店」を創業し、和漢薬を販売したのが起源。社名は名字の「塩野」に「義三郎」の「義」をつけたもの。塩野義三郎商店は1897年に欧米の商社と直接取引を開始するなど輸入洋薬の市場も開拓し、在阪メーカーの武田薬品、田辺製薬とともに相場を支配した。現会長の塩野元三氏は創業家の子孫。


1879年創業の「太田胃散」は、初代太田信義が日本橋で「雪湖堂」を創業し、胃腸薬「太田胃散」を発売したのが始まり。現在では韓国、台湾、シンガポールなどアジアでも販売している。創業の太田家が代々社長に就任し、現在の太田美明氏は創業者から5代目にあたる。


1887年創業の「浅田飴」は、堀内伊三郎が当時の東京市神田区富山町で、宮中侍医浅田宗伯処方の「御薬さらし水飴」を創製発売したのがルーツ。伊三郎から商売を引き継いで創業者となった堀内伊太郎が商品名を「浅田飴」と改称。「良薬にして口に甘し」のキャッチフレーズで広告を展開し、全国に浸透した。社名は長い間、「堀内伊太郎商店」を使い、「浅田飴」に変更したのは1994年。現在も創業オーナーの堀内家の子孫が社長を務めている。


1888年創業の丸石製薬は、医療用消毒薬、吸入麻酔剤・鎮静剤などの医薬品を専門とする在阪メーカー製薬会社。初代社長の井上治兵衛以降、井上家が社長を務めている。医療用目薬で国内シェア1位、一般用目薬で第2位のシェアを持つ「参天製薬」は1890年、創業者の田口謙吉が大阪北浜に「田口参天堂」を開業したのが始まり。創業から9年後、初期の成長を支えたヒット商品「大学目薬」を発売。初代製品の発売から100年以上が経過した現在でも、日本のロングセラー目薬としてそのブランドが引き継がれている。


1894年創業の興和は、「キャベジン」で知られる医薬品のみならず産業用素材や繊維事業、光学製品まで幅広く展開する企業グループ。名古屋に本社を構え、近年では名古屋観光ホテルの経営も担っている。「大日本住友製薬」の前身は、1897年に大阪で創業した大阪製薬。大日本製薬に改称し、その後、住友化学工業株式会社(現 住友化学株式会社)の医薬事業の研究、開発、製造部門と、住友化学の医薬品の販売総代理店であった稲畑産業株式会社の医薬販売部門を継承して、1984年に住友製薬となり、2005年に現社名となった。現在も本社は大阪にある。


胃腸薬「パンシロン」でも知られ、一般用目薬の国内シェア1位を誇る「ロート製薬」は、創業者の山田安民が1899年、大阪に「信天堂山田安民薬房」を開業したのが起源。胃腸薬「胃活」を販売し、大ヒットしたことで飛躍した。事業を引き継いだ長男の輝郎が「ロート製薬」を設立。現社長の山田邦雄氏は安民の曾孫にあたる。このロート製薬が筆頭株主となっているのが、1893年創業の「森下仁丹」だ。


創業者の森下博が大阪で薬種商「森下南陽堂」を開店。広告を重視した販売戦略を得意とし、1905年に発売した「仁丹」は広告の巧みさもあり、大きな利益を上げた。その後、「仁丹」は記録的なロングセラーブランドとなり、社名も「森下仁丹」に改称。この他にも製薬100年企業は多く、「トクホン」(1901年創業)、「内外製薬」(1902年創業)、「笹岡製薬」(1903年創業)などがある。


By Master K/益田 慶