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100年企業 24 産業別100年企業 製薬会社編 中編

江戸時代から明治中期までに創業した「製薬100年企業」は必ずロングセラー商品を生み出している。また、一般用商品ではネーミングや広告戦略の巧みさも見逃せない。


1690年、大坂の高津で代々和漢屋を営んでいた伊藤長兵衛が漢方医から製法を習い、創薬したのが「七ふく製薬」の始まりだ。創業当初から便秘薬を専業とする老舗。同社の本社は創業と同じ場所に位置する。1717年創業の「小野薬品工業」も在阪製薬メーカーだ。徳川吉宗が将軍の時代、初代小野市兵衛が「伏見屋市兵衛」の屋号で薬種商を開いたのが起源。医療用専門の医薬品メーカーなので一般には馴染みが薄いが、東証・大証に上場している大手である。


「エスタックイブ」や「ハイチオールC」など市販向け医薬品で知られる「エスエス製薬」は、大正製薬、武田薬品に次ぐ業界第3位。1765年、漢薬本舗として東京・八重洲で創業したのが起源。かつては泰道グループが経営していたが、現在はドイツの製薬大手ベーリンガーインゲルハイムの日本法人が筆頭株主となっている。


医療用事業は2005年、後述する「100年企業」の久光製薬に譲渡された。同じ頃、創業したのが「天藤(あまとう)製薬」だ。江戸中期に天津屋藤助が丹波福知山城下で雑貨商兼薬種商を営んだことに始まる。社名には馴染みがなくても、痔疾患用薬のナンバーワン「ボラギノール」の製造会社といえばわかるだろう。「ボラギノール」は日本のロングセラー薬品のひとつである。


江戸時代の創業で忘れてならないのが業界最大手の「武田薬品工業」。1781年、初代近江屋長兵衞が、日本の薬種取引の中心地であった大坂・道修町で和漢薬の商売を始めた。薬を問屋から買いつけ、小分けして地方の薬商や医師に販売する小さな薬種仲買商店であったが、これがのちに武田薬品を中心とする企業グループに成長したのである。


幕末にさしかかる1847年、現在の佐賀県鳥栖市で久光仁平が「小松屋」という屋号を掲げ、漢方薬の製法を生かして製薬・売薬の第一歩を踏み出した。自ら調合した薬を馬の背に積み、徒歩で各地の村々へ売り歩いたという。これが「サロンパス」で名高い「久光製薬」のスタートである。朝鮮半島の薬の情報、技術が対馬本藩を経由してこの地域へ伝わったのだろう。


宿場である田代宿(現鳥栖市)では藩の積極的な奨励で「田代売薬」と呼ばれるほどに成長し、長崎街道を経て西日本各地に広まった。やがて「サロンパス」というロングセラー商品をもって同社は一気に躍進した。


1848年創業の「帝國製薬」(香川県)は一般に馴染みが薄いが、パップ剤の生産量世界一の会社だ。五代目当主・赤澤庄蔵が薬売買株を譲り受けて開業したのが始まりだ。同社の貼付剤は現在世界40カ国以上で販売されている。現在の社主・赤澤庄三氏は創業者の子孫である。


明治に入ると、龍角散(1871年)、広貫堂(1876年)、塩野義製薬(1878年)、太田胃酸(1879年)、小林製薬(1886年)、浅田飴(1887年)、丸石製薬(1888年)、参天製薬(1890年)、森下仁丹(1893年)、興和(1894年)、大日本住友製薬(1897年)、奥田製薬(1897年)、ロート製薬(1899年)、トクホン(1901年)、内外製薬(1902年)、笹岡製薬(1903年)などが相次いで誕生した。


「龍角散」(東京)の創業は1871年だが、同社の「日本ののどを守って200年」という企業コピーが示すように江戸時代中期より秋田・佐竹藩の家伝薬として伝えられてきた。江戸末期には、当主藤井正亭治が改良を加え、藩薬として処方・創製し、「龍角散」の名がつけられた。


家庭用配置薬のパイオニアといえば富山県。旧富山藩での配置家庭薬の製造と販売業者を指導管理した役所の廃止後、これを引き継いで1876年に誕生したのが広貫堂(富山県)である。配置販売は現在も主要な販路となっている。

By Master K/益田 慶