FXライフ 37 南部アフリカの通貨 ジンバブエとボツワナ
アフリカ大陸の内部に位置し、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカに隣接するジンバブエは、1980年にイギリス領から独立し、共和国を設立した。かつて黒人と白人が融和し、農業、鉱業、工業のバランスの取れた安定した国だった。しかし白人農家に対する強制土地収用政策を進めたことで、ノウハウを持つ白人農家が消滅し、農作物の収穫量が激減。輸出の柱であった農作物がなくなったばかりでなく、国民の食糧危機が起こったのだ。
アフリカの諸国が独立して黒人国家を形成する場合、独立時に大規模農場主や行政官の白人を追い出すケースが多い。そのデメリットは、政府に政治運営のノウハウがなく、また支配されてきた黒人側に農場経営のノウハウがなく、自立できないことだ。ジンバブエは独立時に白人を追い出すことはせず、黒人と白人が融和政策をとった。人口1,267万人のうち白人は7万人しかいないが、農地の6割は白人の農場で、独立後もタバコを中心とする農産物の輸出を順調に続けたことで、「アフリカで黒人と白人が融和する稀有なケース」「アパルトヘイトから脱却するためのモデル」とされていた。
政府は独立時の取り決めで、白人農場主から政府が土地を市場価格で買い取り、それを黒人の貧しい人々に再配分する計画だった。しかし、政府の財政が悪化し、白人農場主から土地を買う資金がなくなってしまったのだ。そこで政府はイギリスやアメリカ、国際機関から資金を借り、白人の農場を購入して黒人に分配した。しかし、土地の分配を受けた黒人農民の多くは輸出できる水準の作物を作るための営農技術を教えてもらっていなかったので、土地利用の効率が下がり、農産物の輸出は減っていった。1997年、国際金融危機の影響で通貨のジンバブエ・ドル(ZWD)も急落し、外貨は底をついた。1980年に登場した当初、ZWDは強く、US1ドルがZWD0.68だった。
ジンバブエ政府は、IMFからの支援も受けられず、外貨の裏づけのないまま紙幣を刷り続けた結果、インフレが激しくなった。失業率は7割。2003年には600%、2006年には1000%、2007年には2万%のインフレに陥った。たとえるならレストランで食事をするのに600万ドルも必要になったということだ。2006年8月、デノミが実行され、ZWDは3桁切り捨てられた。さらに2007年9月、ZWDは対米ドルで1200%切り下げられ、公式レートはUS1ドルが3万ZWDに変更。この時点で経済は崩壊。また政府は国内の外資系企業に対して株式の過半数をジンバブエの黒人に譲渡するよう義務づける法案を提出するなど混乱は続いている。
一方、隣国のボツワナ共和国は、1966年の独立以降、複数政党制による民主的な議会運営が行われ、政治は安定した。ダイヤモンド鉱脈や銅、ニッケル鉱脈の発見が続き、これらの開発に南アフリカ、米国、英国、ドイツなどが進出し、1980年代末まで急速な経済成長を続けた。現在も輸出品のメインはダイヤモンドで、90%を占めている。通貨はPula(プラ)で、国際通貨コードはBWPだ。1999年初めに為替の自由化を実施し、金融事業が底上げされた。
1989年以降、ダイヤモンドの世界市場の低迷に伴い、経済成長は低迷したが、やがて勢いを取り戻し、1999年にはダイヤモンドの生産量が世界第3位となったほか、観光、金融部門が伸び、2004年にはダイヤモンド産出額世界第1位、産出量世界第2位を達成した。2005年の経済成長率は6.2%。鉱物資源が豊富なことから貿易が発達し、南部アフリカ関税同盟や欧州自由貿易連合が輸出入とも中心となっている。また外交政策も活発で、南部アフリカ諸国の経済的統合を目的とする南部アフリカ開発共同体の議長国を長年務め、リーダーシップを発揮している。
こういった経済の好調さとは裏腹に負の側面が多いのがボツワナの特徴。失業率が20%を超え、エイズの感染率が世界最高となっている。政府は国の歳入の多くを失業対策とエイズ対策に注いでいるのが現状だ。
By Master K/益田 慶