100年企業 20 旧財閥系の100年企業 地方財閥 名古屋・旧伊藤財閥、長野・旧片倉財閥
織田信長の家臣であった伊藤蘭丸祐道は1611年(慶長16年)、新しい城下町になりつつあった名古屋に移り、名を源左衛門と改め、呉服小間物商「伊藤屋」の看板を掲げて商売を始めた。これが100年企業「松坂屋」の起源である。伊藤屋はその後、1768年に江戸に進出し、上野の松坂屋を買収して「いとう松坂屋」と改める。同店は、尾張徳川家、加賀前田家の御用達として名高く、また東叡山諸寺の法衣を独占販売するなど世間の信望も厚く、江戸の名所として浮世絵にも描かれた。名古屋では、尾張藩の御用達として藩財政にかかわり、明治維新後には伊藤為替方として公金を取り扱った。
伊藤家は1875年、大阪の「ゑびす屋呉服店」を買収して、「ゑびす屋いとう呉服店」を開業。第14代伊藤次郎左衛門は1881年、名古屋初の私立銀行「伊藤銀行」を設立。1910年には、会社を立ち上げ、名古屋・栄町に中京地区最初の百貨店「いとう呉服店」を開業。そして1925年、店舗を「松坂屋」に統一。1934年、「名古屋観光ホテル」を創業。伊藤銀行はのちに名古屋銀行、愛知銀行と合併して東海銀行となった。伊藤家は、戦前には松坂屋と伊藤銀行を中核にした伊藤財閥を築いた。名古屋観光ホテルは現在、「コルゲンコーワ」で知られる医薬品会社の「興和」が経営している。14代、15代、16代伊藤次郎佐衛門は、それぞれ名古屋商工会議所会頭に就いた。ちなみに現在の名古屋商工会議所会頭は松坂屋会長の岡田邦彦氏である。
ご存じのように松坂屋は2007年3月、大阪を地盤とする「大丸」と経営統合した。大丸もまた1717年に京都市で誕生した呉服店を起源とする「100年企業」の名門百貨店で、1717年に京都市で誕生した呉服店を起源とする「100年企業」である。同社は創業家である京都の下村家の個人商店からスタートし、いち早く近代化に成功した百貨店のひとつ。松坂屋との経営統合では、持ち株会社の本社は松坂屋銀座店に置くものの、経営の主導権は大丸側が握ることになった。余談だが、大丸現社長の奥田務氏は、元トヨタ自動車会長・前経団連会長の奥田碩氏の実弟である。
一方、長野で誕生した片倉財閥は、1873年に片倉市助が製糸業を手がけ、初代片倉兼太郎が垣外製糸場を開設したことから始まる。明治期から大正期にかけて日本の主力輸出品であった絹糸。長野県で誕生した片倉財閥は、1873年に片倉市助が製糸業を手がけ、初代片倉兼太郎が垣外製糸場を開設したことから始まる。初代兼太郎は長野県に3工場を建設し、個人経営の製糸場としては日本一の規模になる。2代目片倉兼太郎は1895年、製品の出荷を担う片倉組を結成し、東京支店を設立し、中央に進出。日清戦争景気もあり、日本の生糸輸出量は世界2位となり、片倉組も成長。次々と製糸工場を買収し、朝鮮半島でも工場を開設した。
1920年に片倉組を片倉製糸紡績に改組し、1939年には長野県の富岡製糸場の経営を手がける。大正期には製糸工場の数は1府24県、58ヵ所となり、片倉財閥へと発展していく。この片倉製糸紡績が改組して生まれたのが、「片倉工業」だ。よって1873年を創業年とする片倉工業は「100年企業」である。
ところで、近代化産業遺産の富岡製糸場だが、もともとは1872年に日本初の器械製糸工場として操業を開始した官営工場であった。1893年に三井家に払い下げられたのち、横浜の実業家・原富太郎に渡ったが、片倉製糸紡績が富岡製糸場を受け継ぎ、1987年の操業停止後も18年間、保存を続けてきた。毎年の維持費は固定資産税を含め約1億円。富岡市に移管するまで、計18億円を無償で注ぎ込んだ計算になる。一企業が貴重な産業遺産を保存してきたひとつの例である。
By Master K/益田 慶