FXライフ32 東アフリカの通貨 ケニアとタンザニア

アフリカ東部にあるケニア共和国は東アフリカのリーダー的存在だ。18世紀にアラブ人勢力によって奴隷貿易や象牙貿易が行われ、19世紀に欧州列強による植民地化が進んだ。イギリスとドイツの植民地獲得争いの末、1920年にイギリスの植民地となる。紅茶、コーヒーなどのプランテーション経営が進められ、イギリス人が政治・経済を支配した。この時期にイギリスからの投資によって工業化の種がまかれ、ケニアに製造業を発展させる基礎体力が備わったのである。第二次世界大戦後、イギリスへの抵抗運動が活発となり、1963年に独立した。


通貨はケニア・シリング(KES)。主要産業は農業でGDPの3分の1を占める。人口の75%が農業関連の仕事に就き、外貨の約60%を農業が占めている。コーヒー、紅茶、豆などが主要輸出品だが、生産品目の多角化に成功し、現在サトウキビ、トウモロコシ、綿花、除虫菊なども生産している。鉱物資源の産出量は縮小傾向にあり、増えているのが金の産出量のみだ。南西部のグリーンストーン一帯に金鉱山が分布しているものの、採掘の機械化が遅れているようだ。


その一方で近年製造業を中心に工業化が進んだ。食用油、石鹸、セメント、プラスチック製品、衣料品など、東アフリカで優位性の高い製品は多い。そんな背景もあり、2004年度に経済成長率4.3%を達成。以降も観光、建設、農業分野が好調だったので、5%成長が続いていると見られる。


気になるのは、2007年末に行われた大統領選挙の結果をめぐり、暴動が勃発していることだ。ケニアには少なくても42の民族が存在し、公用語は英語だが、42もの言語が用いられているといわれている。近年、政財界を支配してきたキクユ族も全人口の22%を占めるにとどまっている。暴動が民族闘争に発展するのか、あるいは民主主義が成人するための痛みなのかは現在のところ不明だ。


ケニアの隣国タンザニア共和国は、ドイツ、イギリス両国の保護領時代を経て全土がイギリスの保護領となった。1961年から1963年に地域ごとにイギリスから独立を果たし、1964年に合併。通貨はタンザニア・シリング(TZS)。独立後、政治の民主化が進められ、近年は適切な経済政策が功を奏し、2005年には経済成長率7%を達成した。


主要産業はケニア同様、農業だ。GDPの約半分を占めている。特にタンザニア産のキリマンジャロコーヒーは有名で、世界じゅうで愛好されている。また、ビクトリア湖で獲れる大型の淡水魚ナイルパーチは食用として日本をはじめ世界に輸出され、ひとつの産業となっている。ナイルパーチはもとはといえば1950年代に水産資源としてイギリス人が持ち込んだ外来種だ。ススギに食感が似ていることから日本のスーパーの店頭では「白ススギ」と記されることもある。


タンザニアの製造業は、ケニアに遅れをとっているものの、近年、繊維、食品加工などが盛んになっている。また鉱業は未開発だが、大きな潜在力を秘めているといわれている。現在、金や天然ガスの開発が進められており、地下資源が発見された場合、産業が大きく飛躍する可能性がある。


このような両国は、貿易を通じて互いに成長すべく模索を続けてきた。具体的な政策として採用されたのが、2001年にケニア、タンザニア、ウガンダによって結成された関税同盟「東アフリカ共同体」(EAC)の設立である。2007年にはルワンダとブルンジが参画し、5ヶ国から成る関税同盟へと拡大した。


2007年12月、東アフリカ共同体は欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)枠組協定に署名した。これによりEACから輸出する農産物の関税は撤廃され、EUから輸入する工業製品などの関税は段階的に撤廃されることになった。東アフリカ共同体は約1億人の巨大市場で、かつさらなるインフラ整備が求められている地域である。農産物の産地が広がり、地下資源が眠っている可能性も高い。一方のEACからすれば、EUはアフリカ産の農作物を消費してくれる巨大市場である。EUとの経済連携はEACが今後予定している共通市場、通貨統合、政治統合への動きに弾みをつけると見られている。

By Master K/益田 慶