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100年企業17 旧財閥系の100企業 地方財閥(阪神財閥)-旧八馬財閥・乾財閥・岡崎財閥

江戸時代から海外貿易で栄えた阪神地区には、海運業で財を成した、いくつかの中堅財閥が存在した。初代八馬兼介が米穀商を興したことから始まる八馬財閥もそのひとつ。初代は米穀商で蓄えた財をもとに海外船舶を購入。1878年に兵庫県西宮市に八馬商店船舶部を設立し、船主として海運業に進出した。のちに「八馬汽船」と改組し、同社は現在も神戸市に本社を構えている。八馬汽船は阪神の「100年企業」である。


その後、八馬家は銀行や電鉄会社の設立に出資し、大株主となる。初代は西宮銀行、武庫銀行の両頭取を務め、孫の三代目兼介が後を継いだ。1936年に兵庫県の7銀行が合併して誕生した「神戸銀行」では、当時の神戸岡崎銀行(岡崎財閥)岡崎忠雄が会長、三代目八馬兼介が頭取、姫路銀行(牛島財閥)牛島健治が副会頭に就任した。のちに太陽銀行と合併し、「太陽神戸銀行」となり、三井銀行と合併して「さくら銀行」となり、さらにさくら銀行と住友銀行が合併して、今日の「三井住友銀行」となる。


八馬家は、のちに老舗酒造メーカー「多聞酒造」を経営したが、2005年に経営難より会社更生法を適用。同じ西宮市の酒造メーカー「大関」が「多聞」の商標と製造販売を譲り受けた。ちなみに大関は創業1711年の「100年企業」である。また、船会社設立時に八馬汽船から船を借りて手数料をかせぎ、「船成金」と呼ばれるほど成功し、のちに吉田茂内閣で農林大臣を務めたのが内田信也である。


一方、醸造業から海運業に進出したのが、三代目乾(いぬい)新兵衛だ。三代目は中古船舶を購入し、1904年に社外船主として海運業へ転換。1908年に神戸に「乾合名会社」を設立。「乾汽船」は今日も乾家が代表を務める「100年企業」である。2001年に本社を東京に移した。ちなみに五代目新兵衛こと乾豊彦は日本ゴルフ協会名誉会長を務めたことでも知られている。


銘酒「白鹿」で名高い西宮の醸造元・辰馬家もまた海運業を営んでいた。1662年創業の酒造業の老舗は、酒を江戸に運ぶために海運業にも乗り出した。1909年に設立した「辰馬汽船」はのちに「新日本汽船」へ改組し、山下汽船と合併して新山下日本汽船となり、「商船三井」に吸収される。「辰馬本家酒造」は現在「白鹿グループ」を展開する「100年企業」だが、一時期は海運業と海上火災保険業も手がけ、阪神地区での辰馬財閥を形成した。その大番頭として新日本汽船の社長を務めた山県勝見は、辰馬海上火災保険がほか3社と合併して生まれた「興亜海上火災保険」の初代会長も務めた。同社はのちに「日本海上火災」と合併し、「日本興亜損保」となる。


一方、辰馬本家から分家して生まれた北辰馬家は1862年に西宮で創業。こちらの銘柄は「白鷹」で、社名も「白鷹」。本家とは一線を画しており、「白鹿グループ」には加盟していない。


海運業を基盤にして財閥にまでのしあがったのは、ほかにもある。岡崎財閥の始祖・岡崎藤吉は「岡崎汽船」で蓄えた財をもとに金融業へ転換していった。その岡崎が海運業を始めるために資金を借りたのが、前出した辰馬家当主・辰馬吉左衛門である。藤吉は1897年、神戸海上運送火災保険を創業。岡崎家は婿養子に迎えた岡崎忠雄の代に事業を広め、山崎豊子の小説『華麗なる一族』のモデルになったとされている。


阪神の岡崎財閥の当主として君臨し、神戸商工会議所会頭にも就任している。1944年、金融統制によって神戸海上運送火災保険が共同海上保険など3社と合併して誕生したのが「同和火災海上」だ。この時に社長に就任したのが、忠雄の長男・岡崎真一である。真一も神戸商工会議所会頭に就任し、日本商業会議所副会頭も務めた。同和火災海上は日本生命の子会社「ニッセイ損害保険」と合併し、「ニッセイ同和損害保険」となった。同社は岡崎藤吉が立ち上げた神戸海上運送火災保険をもって創業年としているので、「100年企業」といえる。


ちなみに岡崎真一の長男・岡崎真雄氏は、同和火災海上社長と会長を務めたのち、現在ニッセイ同和損害保険の名誉会長を務めている。次男・岡崎藤雄氏は、藤吉が創業した内外ゴム(営業本部:神戸)の現社長、三男・岡崎由雄氏は東京衡機製造所会長兼社長を退任し、取締役相談役に就いている。まさに「華麗なる兄弟」である。


By Master K/益田 慶