100年企業16 旧財閥系の100年企業 地方財閥(阪神財閥)-旧弘世財閥ほか

江戸時代から海外との貿易が盛んであった大阪・神戸周辺には中堅の財閥が集中したことから、それらは総称して「阪神財閥」と呼ばれた。15財閥と比べると知名度は落ちるが、阪神には日本有数の「100年企業」が集まっている。


旧弘世(ひろせ)財閥は、明治時代に金融業、保険業、鉄道事業で財を成した弘世助三郎を起源とする阪神財閥だ。総資産額国内第2位の日本有数の「100年企業」で、生命保険会社業界のトップである「日本生命」を関西経済人の助力を得て1889年に立ち上げたのが弘世助三郎である。日本生命は関西で最初に誕生した生保会社で、現在も本店は大阪市にある。同社は単なる生保会社ではなく、国内屈指の機関投資家で、数多くの企業の筆頭株主、主要株主となっている。


現在の滋賀県彦根市に生まれた助三郎は、幕末に彦根城下で商人として成功し、明治に入り、金融機関の走りである「融通会社」を設立。これは徳川時代に使われていた藩札を明治の太政官札に交換する会社だ。その後、助三郎は数多くの銀行設立に関与する。たとえば助三郎が取締役兼支配人となった第百三十三国立銀行はその後、改称合併を経て、現在の「滋賀銀行」に至る。大阪の繊維関係の有力商人を集め、「山林王」岡橋治助とともに設立した第三十四国立銀行はのちに鴻池銀行など大阪に本店を置く銀行と合併し、「三和銀行」へと発展した。


冒頭に述べた日本生命だが、助三郎は銀行業が忙しいこともあり、日本生命の初代社長には大阪財界の大御所・鴻池善右衛門を推挙した。「社長は鴻池財閥当主」という信用が大きく影響したのか、設立10年目には早くも日本一の契約高を誇る生保へと発展した。創業時に副社長に就任した片岡直温は助三郎が送り込んだ実務のまとめ役で、のちに17年間にわたり二代目社長を務め、その後、政界に進出し、大蔵大臣も務めた。


三代目社長を務めた「中興の祖」弘世助太郎は助三郎の長男。助三郎が婿養子に迎えたのが五代目社長の弘世現で、「日生劇場」の生みの親である。ちなみに四代目社長成瀬達は弘世現の実兄だ。このように五代目までは弘世家による日本生命の創業者支配が続いた。弘世現の長男源太郎は後継者として日生常務となるが、44歳の若さで病死した。


ちなみに日本生命が旧三和銀行の筆頭株主であったのは、同じ大阪の企業ということよりも日生創業者の助三郎が三和銀行創立時に取締役を務めていた関係からであるといわれている。そして現在の日生のメインバンクは三菱東京UFJ銀行である。


さて、日生が主要株主となっている大手企業のひとつに、連結決算で売上高1兆3000億円を誇る「武田薬品工業」がある。連結子会社が46社あり、製薬を核とした「武田グループ」を築いている。
同社の創業家である武田家が1781年、大阪で薬種の仲買い業「近江屋」を創業したのが起源だ。武田薬品が「創業1781年、設立1925年」としているのは、この近江屋開業から数えた歴史だ。こうなると「100年企業」どころか「200年企業」である。


武田家当主・4代目武田長兵衛が和漢薬から洋薬一本に切り替え、5代目武田長兵衛が1895年に大阪市北区の内林製薬所を武田専属工場として経営したのが実質的なスタートだ。この創業一家の武田家の男子が歴代の社長を務め、旧武田財閥が誕生した。武田家は現在も同社に大きな影響を持っている。現在の代表取締役会長・武田國男氏は6代目武田長兵衛の三男。長兄の副社長が社長に昇進する矢先に急逝。当時、アメリカ合弁会社に代表として派遣されていた國男氏が後継者に選ばれたのである。それは武田家以外からの社長が3代続いた後の「大政奉還」であった。


國男氏は社長就任後、大改革を実行。その結果、同社は2002年に連結で売上高1兆円を達成し、名経営者として注目を集めた。元日本経済団体連合会(経団連)副会長、現関西経済連合会副会長を務めている。


以下は余談。1980年に6代目武田長兵衛が亡くなった際、妻(武田國男氏の母)ら家族が遺産相続した額は約240億7000万円だった。遺産の内訳は自社株などの有価証券が約230億円、自宅などの不動産が約6億9000万円、預貯金などが約4億3000万円。相続税額約160億円は現金で納付したという。


By Master K/益田 慶