100年企業19 旧財閥系の100年企業 地方財閥(阪神財閥) 旧広岡財閥・伊藤財閥
江戸時代に三井家、鴻池家とともに繁栄した大阪の両替商「加島屋」。幕末の1849年~1902年(明治35年)に連続して長者番付にランクインした人物を挙げれば、1位:三井財閥・本家当主三井八郎右衛門(東京)、2位:鴻池財閥・鴻池善右衛門(大阪)、住友財閥・住友吉左衛門(大阪)、そして3位に「加島屋」当主・9代目広岡久右衛門の名が並ぶ。9代目こそが明治維新の混乱期を乗り越え、明治・大正時代に金融グループの広岡財閥を形成した人物だ。
9代目久右衛門こと広岡信五郎は1888年、両替商「加島屋」のノウハウをもとに「加島銀行」を設立し、初代頭取に就任。翌年、大阪の有力財界人が参加して尼崎市に設立された「尼崎紡績」の初代社長に就いた。尼崎紡績はのちに「大日本紡績」に改称し、「日本レイヨン」と合併し、今日の「ユニチカ」へとつながっている。繊維事業だけでなく高分子事業・生活食品分野・環境事業などにも進出する同社は、1889年創業の「100年企業」だ
明治に入り、時代の変化に追いつけずに没落しかけた広岡家を再興したのは、信五郎に嫁いだ浅子の手腕と三井家の援助があったからだ。浅子は、当時の三井室町家当主で三井銀行の社長を務めた三井高保の娘。信五郎に銀行業と紡績業に絞り込むよう助言したのは義父・三井高保で、「加島屋」の実質的な経営者は浅子であった。彼女は1901年開校の「日本女子大」の設立にも加わり、女性実業家として多額の資金を提供している。同大学は「100年企業」ならぬ「100年大学」だ。
ほかに信五郎は「朝日生命」(現存の朝日生命とは異なる)の経営に参画し、1903年に同社を含めた3社によって誕生した「大同生命」の初代社長にも就任している。大同生命もまた大阪に本社を置く「100年企業」である。一方の加島銀行は昭和恐慌の影響で1937年、業務を野村銀行と山口銀行に分割譲渡して廃業した。ちなみに10代目広岡久右衛門は日本ゴルフ協会の理事を務め、関西でゴルフ場の設計も手がけた。
三井、鴻池、住友、広岡などの財閥が江戸時代の両替商を起源とするなら、兵庫県の伊藤財閥は江戸時代の大地主から財閥にスライドした不動産長者であった。1911年の全国多額納税者名簿(長者番付)で全国一位を占めたのが、兵庫県の伊藤家である。伊藤長次郎一族は不動産資本をもとに阪神地区の多くの新規事業に投資し、複数の会社の株主となった。ちなみに同じ伊藤財閥の名で、名古屋で創業した「いとう呉服店」(のちの松坂屋)や伊藤銀行、名古屋観光ホテルなどを経営した伊藤財閥があるが、血縁関係はない。
四代伊藤長次郎は兵庫-神戸間の路線を走る山陽鉄道や姫路第三十八国立銀行などの設立発起人にもなり、姫路第三十八国立銀行設立後に頭取も務めた。山陽鉄道の発起人には藤田財閥・藤田伝三郎、辰馬財閥・辰馬吉左衛門、岡崎財閥創始者・岡崎真鶴など阪神財閥の面々が名を連ね、初代社長にはのちに三井銀行の理事となる中上川彦次郎が就いた。
この阪神の不動産王・四代伊藤長次郎が第三十八国立銀行のバックアップを受けて、1887年に神戸に設立した「100年企業」がシルクを輸出する商社「神栄」である。生糸の輸出からスタートした同社は現在、衣料、食品、住宅、情報など幅広い事業を展開する「神栄グループ」を築いている。
以下は余談。伊藤長次郎一族には劣るが、姫路には他に有名な大地主がいた。大阪・堂島で名を馳せた伝説の相場師・牛尾梅吉である。梅吉の息子・健治は姫路銀行頭取を務め、のちに神戸銀行に吸収合併した際には神戸銀行の初代副頭取を務めた。電力・伝記事業にも進出し、「中国合同電気」や「山陽配電」の経営も担い、牛尾財閥を築いた。その中国合同電気を買収した山陽中央水電の大株主が、前出した四代伊藤長次郎である。買収される側と買収する側が同じ姫路の大地主同士であったのは、何かの因果だろうか。ちなみに中国合同電気の電球製造部が独立して「姫路電球」が誕生するが、同社から産業用特殊光源の製造部門を受け継いで「ウシオ電機」を創業したのが、健治の息子、現同社会長の牛尾治郎氏である。
By Master K/益田 慶