FX検定公認テキスト「外国為替FX投資の黄金律」 → 詳しくはこちら

100年企業15 旧財閥系の100年企業 旧森村財閥・森村グループ

森村財閥は、6代目森村市左衛門が1876年に異母弟とともに森村組(現森村商事)を設立したのが起源だ。6代目は幕末に日米修好通商条約によって開港した横浜で海外の洋服や靴、鉄砲、懐中時計などを仕入れ、土佐藩や中津藩などに販売を行った。その関係から土佐藩出身の官軍総督参謀・板垣退助の軍需品の調達を担うようになり、財を築いた。この資金でいろんな事業に挑んだが失敗。


やがて始めた帝国陸軍重騎兵用の馬具を製造・販売する工場の経営が成功し、銀座に洋装店モリムラテーラーを出店。異母弟の森村豊がニューヨークに留学したのを契機に洋装店を辞め、骨董品や陶器などを販売する「森村組」を設立。一方、ニューヨークに渡った豊は1878年、六番街に森村組の現地法人森村ブラザーズを開店。こちらは日本製品を販売する「輸入雑貨店」である。


しばらくして6代目の義弟でのちに「大倉陶園」を創業する大倉孫兵衛が森村組に加わり、森村財閥の基盤となる陶磁器の貿易業が始まった。


森村組は1946年に森村商事に改称。現在、耐火物原料や工業用原料、化学品などの輸出入と販売を行っている総合商社森村商事は、よって1876年創業の「100年企業」である。森村組が財閥へ発展したのは、卸売業へ転換してからだ。アメリカで生産されていなかった陶磁器、特に日用食器が米国で大ヒット。米国にはない陶磁器の繊細な絵柄が、当時のアメリカ女性に気に入られたようだ。


1885年以降は、注文を受けてから生産を行うようになる。取引の規模が拡大すると、陶磁器の生地の生産地である名古屋に専属窯を設け、絵付工場も設立した。日本製の白い陶磁器はフランスでも好評を博した。6代目はヨーロッパに技術者を派遣し、当時の食器製造の最新技術を学ばせた。


そして海外向け食器(ディナーセット)の大量生産を目指して1904年に名古屋に設立されたのが「日本陶器合名会社」だ。初代社長には森村組の陶器責任者・大倉孫兵衛の長男で、当時森村組ニューヨーク支店に勤めていた29歳の大倉和親が抜擢された。この日本陶器合名会社が現在の「ノリタケカンパニーリミテッド」である。よって同社は「100年企業」である。ちなみに「ノリタケ」とは、同社の本社所在である名古屋市西区則武(ノリタケ)新町から命名された。


ノリタケカンパニーリミテッドは現在、食器にとどまらず、研磨機材、セラミック素材製造を手掛けるメーカーで、海外にも製造工場を設けている。同社だけで多くの子会社・関連会社を持つノリタケグループを形成している。現在、森村グループの中核を占めている。


以降は「100年企業」ではないが、森村商事と日本陶器(ノリタケ)から生まれた企業を紹介しよう。これらが現在の「森村グループ」の中心企業である。そのほとんどが陶磁器の産地・愛知県に本社を構えているのが同グループの特徴だ。


日本陶器合名会社の衛生陶器部門を分離して1917年に設立されたのが「東洋陶器」、つまり今日の「TOTO」だ。世界に進出した日本を代表する衛生陶器・住宅設備機器メーカーである。陶器といえば電線の絶縁に用いる「碍子」がつきものだが、1919年に日本陶器合名会社の碍子部門が分離して名古屋に設立されたのが「日本碍子」(現日本ガイシ) である。


同社も多くの関連会社を持つガイシグループを形成している。同年、森村組の陶器責任者・大倉孫兵衛が立ち上げた「大倉陶器」(現大倉陶園)は日本を代表する洋食器メーカーで皇室御用達だ。さらに1936年に創業した「日本特殊陶業」は、日本碍子の点火プラグ製造部門が独立して誕生した企業。同年、日本陶器、東洋陶器、日本碍子、3社の原料部門を分離統合して設立された「共立原料」が、今日のエレクトロセラミック製造メーカー「共立マテリアル」である。


ところで、1924年に日本陶器のタイル製造部門が独立し、同社社長の大倉和親が会長、伊奈長三が常務となって創業したタイルメーカー「伊奈製陶」(現INAX)は当前のことながら森村グループに入っていたのだが、INAXが衛生陶器の製造を始めたことで兄弟会社TOTOと競合するようになり、さらにINAXが2001年にトステムと経営統合したことでグループを離脱した。


ちなみに陶磁器関連企業の売上順位は、1位TOTO、2位INAX、3位日本ガイシ、4位日本特殊陶業、5位ノリタケカンパニーリミテッドである。森村グループが「世界最大のセラミック企業グループ」と称される理由はここにある。


By Master K/益田 慶