100年企業13 旧財閥系の100年企業 旧根津財閥と甲州実業家グループ
根津財閥の創始者・根津嘉一郎(初代)は東武鉄道や南海電気鉄道の前身となる路線の運行など、国内の鉄道敷設や再建事業に関わった「鉄道王」である。そして旧根津財閥は、交通・住宅・流通・レジャー事業を手掛ける現在の「東武グループ」の源流である。
根津嘉一郎は、村会議員、県会議員、村長を経て上京した。甲州(山梨県)出身の実業家つながりで、相場師としても名高い若尾逸平や軽井沢を開発した雨宮敬次郎と親しくし、1896年には同郷の先輩・若尾とタッグを組んで東京電灯の買収に成功。若尾は東京電灯社長に就く。甲州出身実業家たちが行ったのは、過半数の株の買い占めだ。そして根津に「事業を始めるなら金をつくらねばならぬ」と株の売買を進めたのが、生糸の買い占めで巨額の財を手にした若尾であった。
明治の実業家の多くが、電気やガス、鉄道など公共事業に着目して事業に取り組んだが、甲州実業家グループはまずそれらの会社への株式投資で存在感を強めた。若尾・根津連合はいち早くM&Aを手掛けた実業家といえるだろう。世間は若尾や雨宮、根津らを「甲州財閥」と呼んだ。
嘉一郎は1905年、営業不振が続いていた東武鉄道の社長に就任し、経営再建に挑んだ。いくつかの鉄道と合併し、同社は復活する。東武鉄道は1897年創業の「100年企業」で、今日の東武グループの核となる企業である。現社長の根津嘉澄氏は初代嘉一郎の孫で、2代目嘉一郎の次男にあたる。東京急行電鉄(東急)の取締役や蔵王ロープウェイの会長、松屋取締役など要職に就いている。2代目嘉一郎が創業した東武百貨店の社長を務める根津公一氏は、2代目嘉一郎の長男で、根津術館館長や学校法人根津育英会の理事長など務めている。
嘉一郎はほかにも多くの鉄道事業を手掛けた。初代社長を務めた大阪高野鉄道(1899年開業)は、のちに南海鉄道と合併し、今日の南海電気鉄道へとつながっている。嘉一郎は1900年、江戸時代から続く名家の当主・正田貞一郎によって創業された「館林製粉」の社長にも就任している。館林製粉は1907年に「日清製粉」と改め、今日の「日清製粉グループ本社」へとつながっている。嘉一郎がかかわった「100年企業」のひとつである。ちなみに正田貞一郎の孫が美智子皇后で、正田貞一郎は嘉一郎が他界した2年後の1942年に東武鉄道の会長も務めている。正田家と親しくしていた嘉一郎の華麗なる人脈が垣間見える。
さらに嘉一郎は1923年に「富国徴兵保険」を興し、初代社長を務めている。これが今日の「フコク生命」である。同社3代目社長の小林中(あたる)は、嘉一郎が社長を務めていたときの社長秘書で、嘉一郎から帝王学を学んだ人物の一人だ。小林はのちに日本開発銀行(現日本政策投資銀行)の初代総裁、アラビア石油社長、日本航空会長を務め、「影の財界総理」とも称された。
一方、前出した甲州出身の実業家・雨宮敬次郎は嘉一郎より14歳年上で、若尾逸平同様、近代国家が投資すべき産業は、鉄道や水道などのインフラ事業だと考え、嘉一郎に大きな影響を与えた人物である。横浜を本拠地として相場取引で名を馳せ、欧州外遊後、1883年に軽井沢の開発事業を開始。さらに民間人として初めて本格的な機械製粉事業にも進出した。1896年に起業した「有限責任日本製粉会社」が今日の「日本製粉」である。同社は日清製粉よりも前に誕生した「100年企業」である。
さらに1888年には東京と甲府を結ぶために敷設された私鉄「甲武鉄道」への投機で巨額の利益を出し、同社の社長にも就任している。のちに国有化され、中央本線となるが、甲武鉄道こそが国有鉄道最初の電車である。また、1905年には「江之島電鉄」(現在の「江ノ島電鉄」の前身)社長に就任したほか、1908年には軽便鉄道会社「大日本軌道」を設立している。
ほかに甲州出身の実業家で「甲州財閥」と呼ばれる一群には、前出した相場師・若尾逸平に師事した小池国三(廃業した「山一証券」の創業者)や百貨店の「松屋」(松屋は100年企業)創業者・古屋徳兵衛、「富士急行」創業者の堀内良平などの起業家がいる。
By Master K/益田 慶