100年企業 12 旧財閥系の100年企業 旧鈴木(鈴木商店)財閥・神戸川崎財閥
川越藩(現埼玉県川越市)の鈴木岩治が1874年に兵庫県で開業した貿易会社「鈴木商店」は、岩治死去後、番頭の金子直吉が事業を継承し、防腐剤や医薬品として使われる樟脳、砂糖の貿易などで逸早く世界進出を果たした。全盛期は短かったものの、多数の企業の創立や買収にかかわったことから明治・大正時代を代表する財閥といえよう。
鈴木商店は穀物取引、保険・海運・造船などの分野にも進出し、日本企業として2番目にロンドン・バルティック取引所(世界有数の船舶物資取引所)のメンバーとなり、一時期は三菱商事や三井物産を凌駕する売上を築いた。株式公開することなく、1927年に事業を停止するまでに多くの企業買収や設立にかかわった。
鈴木商店が創業した企業の中で最も有名なのが、1905年に創立した神戸製鋼所、のちの「神戸製鋼グループ」である。同社は鈴木商店から独立した1911年を会社設立年としているが、創立年から見れば「100年企業」である。同じく「100年企業」にあたる創業1896年の日本製粉(現在は三井グループ)や1900年創業の台湾製糖(合併して現在は三井製糖)、帝人なども一時期、鈴木商店の傘下に置かれていた。
ちなみに鈴木商店の子会社だった「日本商業会社」を後継した「日商」が岩井産業と合併して生まれたのが「日商岩井」で、同社とニチメンが株式移転して誕生したのが総合商社「双日」である。2008年1月末、中国の天洋食品から輸入した冷凍餃子を食べた消費者が食中毒にあう事件が発生したが、ジェイティフーズが輸入にあたって、食品商社として中国からの輸入を仲介したのが同社子会社の「双日食料」である。
鈴木商店同様、神戸を本拠地としたのが、川崎正蔵が礎を築いた神戸川崎財閥だ。金融業で幅広く展開した関東の川崎財閥とは無関係である。正蔵は貿易で財を成し、官営兵庫造船所の払い下げを受け、1887年に川崎造船所を設立した。前出した神戸製鋼の創立より約20年の前のことだ。
これがのちに改組し、船舶・航空機・鉄道車両・バイクなどを製造する「川崎重工業」へと発展したのである。同社は前身である株式会社川崎造船所設立年の1896年を創業年と謳っているが、どちらにしても日本を代表する「100年企業」である。この川崎重工業の製鉄部門が独立して「川崎製鉄」が生まれ、日本鋼管と株式移転し、「JFEホールディングス」が誕生したのである。
川崎重工・初代社長の松方幸次郎は正蔵が川崎財閥の後継者に選んだ人物で、第4、6代総理大臣・松方正義の三男である。正蔵は1898年に「神戸新聞」を創刊し、同じく松方幸次郎が新聞社の初代社長に就任した。神戸新聞社もまた「100年企業」である。正蔵が1905年に開設した「神戸川崎銀行」はのちに十五銀行に吸収され、松方幸次郎は同行をメインバンクとしてグループの基盤を固めた。
十五銀行は昭和金融恐慌の際に破綻するが、同行の代表を務めていたのは幸次郎の兄・巌であった。その十五銀行を吸収した帝国銀行が三井銀行に継承され、太陽神戸三井銀行からさくら銀行を経て三井住友銀行へとつながるのである。
神戸川崎財閥を継承した松方幸次郎は、「松方コンツェルン」とも呼ばれるグループ企業を展開した。神戸瓦斯、川崎汽船、九州土地、旭石油(のちに合併して昭和石油となり、昭和シェル石油に発展)、日ソ石油、九州電気軌道(現西日本鉄道)などの社長や役員として活躍する一方で、神戸商工会議所会頭、衆議院議員も務め、神戸政財界に君臨した。
上記企業のうち、福岡に本社を置く西日本鉄道(西鉄)は1908年創業の「100年企業」である。また、川崎重工が出資して1919年に設立された川崎汽船は日本郵船、商船三井に次いで国内第3位の規模を誇っている。
鈴木商店が創設した神戸製鋼と、川崎正蔵が創業した川崎重工は、日本が誇る重厚長大産業の代表である。両社が神戸で誕生した背景には、幕末に兵庫港(神戸港)が開かれたことが挙げられる。この地域が船舶の造修に適しており、また港があることから貿易が発達する要因に満ちていたのである。神戸を基盤にした財閥が複数生まれた要因は、立地環境と幕末の指針があったからなのである。
By Master K/益田 慶