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世界資源戦争 8 石油開発の歴史 ロシア・サハリンプロジェクトの推移

湾岸戦争が勃発した1991年、原油価格は瞬間的に40ドルを超える水準まで復活したが、停戦後は18ドル前後で推移。OPEC諸国は減産に合意しながらベネズエラやナイジェリアなど数カ国が抜け駆けるという繰り返しが続く。一方で石油メジャーはOPEC諸国以外の油田を開発していた。


ソ連が崩壊し、生まれ変わったばかりの大国ロシアが自国で石油開発に乗り出したのは90年代半ばである。ロシア・サハリン島沖における大規模な石油・ガス開発は、1995年にロシア政府が、エクソンモービルやロイヤル・ダッチ・シェルなどの石油メジャーが主体となったコンソーシアムと契約したことから始まった。

時代をさかのぼると、サハリン島で石油・ガスの鉱床が発見されたのは1970年代後半であった。約450億バレル相当の資源を有するといわれる新たな世界規模の石油・ガス開発地域がそこに広がっていたのである。しかし1980年代に入ると国際石油価格が低迷、80年代半ばには大幅に下落し、当時のソ連はサハリンプロジェクトを見送った。社会主義経済のもとでは西側諸国からの資本と技術の自由な移動は制限されていたし、ソ連はカピス海の油田開発以外、本格的な海洋開発の経験はなかったからだ。


1994年までにサハリン北東部の大陸棚では合計8つの石油・ガスの鉱床が発見された。湾岸戦争が勃発した1991年、崩壊直前のソ連がサハリンプロジェクトの一部を国債際入札すると公表。これがサハリンⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵと呼ばれる巨大プロジェクトに成長していく。現在開発が進んでいるのが「Ⅰ」と「Ⅱ」だ。どちらも日本企業が密接にかかわっている。


日本にとっての大きな意義は、日本から極めて近距離に位置する巨大エネルギー安定供給源の確保である。中東と日本の概算距離は6510マイル、一方のサハリンと日本の距離は960マイルだ。さらに中東産油国に原油供給を依存し、オイルショックを経験した教訓から原油の供給を中東だけに頼るのはリスクが高いという判断もあっただろう。


「サハリンI」プロジェクトは、エクソンモービルの子会社が開発の主体となる国際共同開発事業で、日本からは「サハリン石油ガス開発」が30%の権益を保有し、伊藤忠商事と丸紅も参加している。2001年12月に商業化宣言が行われ、2006年9月にデカストリに石油積出ターミナルが完成し、日本向けを含む石油の本格的輸出が開始された。天然ガスについては約200万トン(LNG換算)をロシアに供給している。「サハリンI」の特徴のひとつは天然ガスの輸送手段として海底パイプラインの敷設を念頭に置いていたことだ。そのサハリン東沖からサハリンを横断し、ロシアの不凍港デカストリを結ぶパイプラインはすでに完成している。次の展開は日本・中国両国のパイプラインによるガス供給のマーケティング活動だろう。


一方の「サハリンII」プロジェクトには少し複雑な経緯がある。1994年、ロイヤル・ダッチ・シェルと三井物産、三菱商事の合弁であるサハリン・エナジー・インベストメント社が事業主体となりプロジェクトが進められた。開発にかかる総費用は当初200億ドルと見積もられた。1999年に第一段階の原油生産が行われ、2001年に全体計画がロシア政府に承認された。

ところが、2006年9月、ロシア政府は環境アセスメントの不備を指摘し、突然開発の中止命令を出したのだ。「サハリンII」は生産物分与協定(PSA)に基づき開発が行われており、ロイヤル・ダッチ・シェルと三井物産、三菱商事の3株主がプロジェクトの建設資金を調達し、開発リスクを負い、原油及び天然ガスの販売収入から資金を回収する仕組みとなっていた。2006年末までに、約6億米ドルをロイヤリティーや税としてロシア政府に支払っていたことから、大きな問題に発展しそうな気配を漂わせていた。一方のロシア政府もサハリンの環境破壊に対し、損害賠償を請求するというニュースが各国を駆け巡った。


By Master K/益田 慶