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世界資源戦争 7 石油開発の歴史 WTIの登場と湾岸戦争

80年代前半、OPECの盟主サウジアラビアが原油生産の調整役を買って出た。しかしOPEC加盟国のイランやベネズエラが逆に生産量を増やしてしまい、価格維持が困難になった。サウジアラビアは1986年、調整役を放棄し、再び原油生産のシェアを奪取するために増産を宣言。この影響で原油価格は一時10ドルを割り込むまで暴落した。


その3年前の1983年、二ューヨーク商品取引所にWTIが上場している。WTIはウエスト・テキサス・インターミディエートの略で、西テキサス地方で産出される、硫黄分が少なく、ガソリンを多く取り出せる高品質な原油のことだ。WTIの先物はニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)で取引されている。当初数年間の取引量はごくわずかだったが、サウジアラビアがOPEC の調整役を降りた1986年以降、その地位は飛躍的に高まっていく。


皆さんは先週のことなので生々しく覚えているだろう。現地時間の1月2日、二ューヨークのNYMEXでWTIが1バレル100ドルの大台に乗ったことを。今でこそ私たちは「原油市場」に大手石油会社や精製、卸売業者だけでなく、投資ファンドも広く取引に参加していることを知っているが、1983年までは投機マネーを注ぐ対象ではなかった。そしてWTI の相場が国際的な指標となったのが1986年ということだ。


予備知識として挙げておくと、原油価格の代表的な指標にはこのWTIのほか、欧州産の「北海ブレント」、中東産の「ドバイ」があり、これらが世界の3大原油指標と言われている。WTIが北米市場であるのに対し、アジア、ヨーロッパ市場においては、中東産ドバイ原油、北海ブレント先物(IPE:ロンドン国際石油取引所)の価格が指標として機能している。ドバイ原油は代表的な重質油、北海ブレントはWTI原油に似た軽質油であり、日本が消費する原油の90%近くはドバイに代表される中東産原油である。


これら3大原油指標の中でも、WTI原油先物は、取引量と市場参加者が圧倒的に多く、市場の流動性や透明性が高いため、原油価格の指標にとどまらず、世界経済の動向を占う重要な経済指標のひとつにもなっている。


本題に戻ろう。1986年に巨大な「原油市場」が認知されたことで、世界の原油指標価格の決定権はOPECからニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)に移った。原油はマーケットで自由に価格が決まる市況商品になったのである。


一方、中東ではまた戦争が起こる。1990年、イラクがクウェートに侵攻。翌年にはアメリカを中心とした国際連合が多国籍軍を派遣し、イラクを空爆したことで「湾岸戦争」が始まる。


当時のイラクはイラン・イラク戦争によって莫大な戦時債務を抱えていた。イラクが外貨を獲得する手段は石油輸出しかなかったが、当時の原油価格は1バーレル15ドル~16ドルで推移していた。その頃、サウジアラビアとクウェートは石油を増産していた。OPEC加盟国の割当量が完全に無視されたことで原油価格は値崩れを起し、石油価格は下落。石油輸出に依存していたイラク経済は打撃を受けていた。


当時、イラクのフセイン大統領はOPECに対して原油価格を1バーレル25ドルまで引き上げるよう要請し、アラブ連盟に対して「クウェートはイラクのルメイラ油田から石油を盗掘し、イラク領土内に軍事基地や農場、民間施設を建設した」との抗議文を提出した。そして石油盗掘による損失の賠償金として24億ドルをクウェート政府に要求した。


クウーイト政府は次のように反論した「クウェートはOPEC生産枠を順守しており、割当量以上の増産はしていない」、「ルメイラ油田盗掘は事実無根である。確かにルメイラ油田はイラクとクウェートの国境にまたがって存在しているが、クウェート領土内の同油田からの生産量はイラクの同油田からの生産量のわずか1%に過ぎない」、「クウェートは、イラク領土内に軍事基地、農場、民間施設を建設した事実はない。クウェートのような小国で平和を愛する国が、人口・軍事力などではるかに巨大な国を侵略できるわけはない」。

OPECはフセインを懐柔するために原油価格を18ドルから21ドルに引き上げたが、イラクはこれに応じず、遂にクウェート侵攻に動いた。