100年企業 7 旧財閥系の100年企業 旧古河財閥

旧古河財閥は、古河市兵衛が鉱山業で財を成し、工業、海運、貿易、銀行などに進出し、多角化を進め、戦前には15財閥のひとつに数えられた。
幕末の盛岡で生糸の売買で財を成し、両替商や鉱山経営など幅広く事業を展開していた小野組。その幹部であった義父とともに生糸の買い付けを行い、小野組で頭角をあらわしたのが古河市兵衛だ。明治政府の金融政策によって小野組が破綻したのち、小野組が手がけていた草倉銅山(新潟)の払い下げに成功したのは1875年(明治8年)のことである。同年、古河鉱業(のちの古河機械金属)を設立。よって「古河機械金属」の創業は1875年、設立は1918年と記されている。創業から見れば「100年企業」である。


草倉銅山の経営が順調に進み、市兵衛は1877年に廃山同然であった足尾銅山を買収した。渋沢栄一も共同出資者として参加した。不振を続けた足尾銅山だったが、1981年に大鉱脈が発見され、またたく間に日本を代表する銅山へと発展した。これが古河財閥の基盤である。
市兵衛はほかに10以上の鉱山を経営して「鉱山王」となり、銅の産出だけでなく、工業製品化することを考えた。古河財閥の事業は、ほとんどが旧古河鉱業の一部門としてスタートしているのが特徴だ。日露戦争や第一次世界大戦による好況が追い風となり、古河は1917年に東京古河銀行(のちに第一銀行に吸収合併、現みずほ銀行)を開業し、営業部門を古河商事として独立させ、古河鉱業、古河銀行、古河商事(のちに倒産)を直系企業とする財閥コンツェルンが成立する。


足尾銅山で産出される銅の工業製品化を企画して誕生したのが「古河電気工業」通称「古河電工」だ。精銅、電線製造から始まった古河電工の事業は、海底ケーブル、アルミニウム、電池製造、光・情報通信へと発展し、今日に至る。古河財閥は鉱山からスタートし、ビジネスの鉱脈をエレクトロニクスや情報通信に見出したということだ。古河電工の創業年は1884年と記されているので、立派な「100年企業」である。


当時、水力発電を中心とした電気事業の著しい成長期にあり、電線業界は長距離送電用ケーブルや通信ケーブルを主軸とした産業が拡大していた。古河電工はケーブル事業を中核とした電線事業に進出し、横浜電線や矢部電線、日本電線など電線業界の有力企業を次々に傘下に収め、拡大した。この古河電工の子会社が「ファナック」や「ニフティ」だ。そしてアルミニウム製品の製造を目的に創業されたのが「日本軽金属」ということになる。


一方で銅線を大量に使用する電話交換機製造のために古河鉱業とドイツのジーメンスとが合併した誕生したのが「富士電機製造(現富士電機ホールディング)」だ。さらに同社の電話部所管業務を分離して誕生したのが「富士通信機製造」(現富士通)である。古河電工からすれば孫会社にあたる富士通だが、現在の売上高だけ取ってみれば古河電工の約6倍も稼いでいる。ちなみに富士通の「富」は古河グループの「ふ」とジーメンス社の「じ」をとって漢字を当てたものだ。旧富士銀行とは無関係である。

また、古河鉱業が化学部門を分離して生まれた東京電化工業所が旭電化工業になり、現在の「ADEKA」(アデカ)につながっている。「横浜ゴム」や「日本ゼオン」も古河グループに属し、日本ゼオンの主要株主に古河電工や横浜ゴムの名前が並んでいる。

ほかに現在「古河グループ」(古河山水会)と呼ばれる企業の中で「100年企業」を挙げるなら、1888年創業の「朝日生命」がある。「帝国生命保険」として設立し、朝日生命に改組したものの、現存する生命保険会社では最古参だ。創業者は福原有信で、かの資生堂の創業者でもある。朝日生命といえば「みずほファイナンシャルグループ」の色合いが強いが、古川財閥が旧第一勧銀グループと密接な関係にあったことから、旧第一勧銀をメインバンクとした朝日生命は古河グループにも参加しており、実は古河機械金属の筆頭株主が朝日生命であり、朝日生命はほかに富士通や日本ゼオンなど古河グループ各社の主要株主に名を連ねているのである。


By Master K/益田 慶