ヨーロッパの財閥と企業グループ 44 欧州財閥の系譜 ロシア財閥 電力
ロシアの電力で思い浮かべるのは、2005年5月25日、モスクワ南部とカルーガ州、トゥーラ州に及ぶ大規模な停電です。広域な範囲が暗闇に包まれ、日本のニュースでも大きく取り上げられました。停電の原因は老朽化した変電所の火災で、ロシアの電力を独占する「統一エネルギーシステム」(統一電力体系、統一電力機構、統一エネルギー機構からなるグループ)に対して、批判が集まりました。同社は職務怠慢と背任の容疑で捜査を受けました。
この「統一エネルギーシステム」を牛耳るのが、ロシアの新興財閥のひとりで、政治家でもあるアナトリー・チュバイス会長です。彼はエリツィン大統領後期にボリス・ベレゾフスキー(石油会社シブネフチ創業者、自動車会社ロゴバス前会長、現在イギリスに亡命)やロマン・アブラモビッチらとともにロシアの政財界に大きな影響力を与えた人物です。1955年生まれのチュバイスは、レニングラード市執行委員会副議長、第一副議長、ぺテルブルグ市長首席顧問を歴任後、1992年6月、ロシア連邦政府の民営化担当副首相に就任。エゴール・ガイダル首相代行とともに急進的市場経済改革を実施しました。
しかし、ガイダルやチュバイスたちが実施した経済改革は、まだ資本主義経済に慣れていなかったロシアにハイパーインフレをもたらしました。チュバイスは民営化を推進するにあたり、国営企業の経営者をそのまま、民営化した企業の経営者に抜擢したので、競争原理を導入したばかりのロシア経済に不平等な結果を招きました。そしてのちに政界を操るようになる新興財閥が生まれ、ロシア社会に貧富の差が増大したのです。
チュバイスはそれでも政治家として生き残りました。1994年11月から1996年1月まで、有価証券委員会担当第一副首相を務めます。1996年の大統領選挙ではエリツィン陣営の選挙対策本部の責任者に就任し、ベレゾフスキーや新興財閥と協力し、エリツィンを再選に導きました。その功労により、1996年に大統領府長官、翌年には第一副首相兼蔵相に就任。41歳という若さでロシア政府“大蔵大臣”に就任したわけですから、その政治手腕と運には驚くべきものがあります。チュバイスは1997年に第一副首相兼蔵相を辞任後、自らが民営化した企業の会長に就任します。彼が天下った先が、ロシアの電力を独占する「統一エネルギーシステム」だったとは、よくできたシナリオです。
しかし、チュバイスはその後も政治的な活動を続け、ルーブルの下落を防ぐキリエンコ首相代行を支持します。リエンコは新興財閥のバックアップを受け、資本の流出を止め、投資家を引きつけて国債を消化させるために、150%の超高金利政策を打ち出します。しかし、投資家はすでに量から質へ転換しており、原油価格の低迷からロシア財政改善にはつながらず、資本の流出は止められませんでした。1998年には、ルーブルを買い支える資金がなくなり、為替レートを維持する資金をIMFから援助してもらうまでになります。
これが「ロシア金融危機」です。そもそもロシアの貿易は輸出の80%を石油や天然ガスなどの天然資源に依存していたため、世界経済の状況に影響されやすく、当時はおりしも世界的なデフレで物価が下落しつつあり、財政は悪化していました。そこにアジア通貨危機の余波を受け、債務不履行が起こります。経済状況の悪化を反映してルーブルも下落し、脱税が蔓延して政府の収入が減る一方で、賃金、年金、各種サービスへの支払いなどにあてる財源がありませんでした。結局それらの支払いを一時停止し、ロシア政府はルーブルではなく現物支給を行って急場をしのいだのです。
さて、エリツィン・ファミリーの一員としてロシアの政財界に強い影響力を誇ったチュバイスですが、プーチン政権で状況は一変します。プーチンは新興財閥が政治に介入することを嫌ったからです。チュバイスもアブラモビッチ同様、政治的な影響力は薄れたと見られています。
By Master K/益田 慶