2008年1月14日 FX検定 きょうの問題  2008年2月18日 パキスタン総選挙

亡命中であったブット元首相が帰国し、暗殺された。
ブット元首相が属していた政党はどこか?


正解 パキスタン人民党(PPP)

解説


パキスタン情勢はアフガニスタン問題を抜きに語れない。
タリバンは、もともとイスラム原理主義に基づいた学生運動に端を発する。アフガニスタン内乱の時代には、モラルなき武闘派の暴力行為に対し嫌気していた民衆からの支持を受けていた。当初は、アフガニスタン統一を願う純粋な学生運動として非暴力が主流であったからだ。


1996年に首都カブールを制圧後はアフガニスタン全域を支配下に置く頃には、ナジブラ大統領を公開処刑するなど過激な行動が目立つようななる。タリバンはパシュトゥーン人と連合しつつアルカイーダとも連携を強めることになる。その結果、過激原理主義、偏狭なイスラム解釈のもとに強圧的になり、国民の支持を失っていった。


タリバンの学生運動はソ連のアフガニスタン侵攻に対するレジスタンスでもあり、当時は、アメリカ政府、パキスタン政府もタリバンを支援していたのである。当時のパキスタン首相が暗殺されたべナジル・ブットである。ブットは父親の政党であるパキスタン人民党(PPP)を率いて、1988年に首相に就任した。ブットは、当時は穏健であったタリバンをアメリカとともに支援していた。アフガニスタンが安定すれば、中央アジアとの貿易回廊が開け、パキスタンは地政学的に優位な場所にあったからだ。

ブット首相は、1990年8月、汚職を告発されて当時の大統領から首相を解任された。同年10月に行われた総選挙でもパキスタン人民党は破れ、野党に転じた。その後、1993年10月、総選挙で勝利したパキスタン人民党は、再びブットを首相として送り込んだのである。しかし、1996年11月、再び汚職が原因で首相を解任されている。


告発された汚職はスイス企業に対する便宜供与であるが、スイス国内ではマネーロンダリング罪で訴追されていた。常に金にまつわる噂がつきまとい、亡命中も人物的評判は良くなかった。しかし、パキスタン国内では民主勢力の代表として国民の人気は高かった。反面、汚職にまみれる腐敗政治に嫌気をさして国民の支持も離れていた。

アメリカ政府、イギリス政府は、両国の意向を汲み取る存在として亡命中のブットを帰国させたとの観測があるが、ムシャラフ大統領もブット人気を利用してたという向きもある。いずれにせよハーバード大学、オックスフォード大学大学院卒の国民的人気者を放置しておく手はないと考えたのであろう。


現在のパキスタンの政治勢力は、ムシャラフ大統領を支持するパキスタン・ムスリム連盟カーイデ・アーザム派が議会第一党であるが基盤は盤石ではない。


2007年11月、ムシャラフ大統領は、最高裁と対立して軍を出動させ非常事態宣言、戒厳令を発令した。対立点は大統領職と軍参謀長の兼任についてである。この発令は、独裁政権への移行と捉えられ、事実上のクーデターと解釈される。そのため国際世論に配慮して11月28日、軍参謀長を辞任し、12月16日には非常事態宣言を解除した。さらに2008年1月8日、現憲法下で「自由で透明性のある方法」で総選挙を実施すると公約している。