100年企業 11 旧財閥系の100年企業 渋沢栄一が設立に携わった企業
渋沢栄一は、日本の近代経済史・産業史に欠かせない経済人・実業家だ。500にものぼる企業の設立、育成に携わり、経営者利益を手にしていたことから渋沢が関与する企業群は戦前には「渋沢財閥」とも呼ばれ、十五財閥のひとつに挙げられた。戦後の財閥解体の指定も受けた。しかし、明治の財閥創始者と異なり、系列企業の株保有率は極端に低く、系列企業を支配していたわけではないので、財閥と呼ぶにはふさわしくないだろう。
それでも無視できないのは、渋沢が設立に関わった企業の多さと、多くの明治の実業家たちを支援したその影響力の大きさによる。渋沢が資金を提供したことで事業を軌道に乗せた実業家は少なくない。
まず、現在「金融機関コード0001」を誇る銀行「みずほ銀行」は、ご存知のように2000年に第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が合併して誕生した銀行だが、「金融機関コード0001」のルーツは、1873年に渋沢が初代頭取となって開業した日本初の民間銀行「第一国立銀行」である。
民間銀行でありながら国の中央銀行の役割を果たしたのち、普通銀行の「第一銀行」へ改組。帝国銀行を経て第一勧銀になり、みずほ銀行へとつながる。だから、みずほ銀行は渋沢栄一を創業者とする「100年企業」といえよう。
「王子製紙」は1873年に渋沢が創業社長となって設立した日本最初の洋紙会社「抄紙会社」が起源。1893年に現社名に改称し、日本を代表する洋紙メーカーとなった。日本の損害保険トップの「東京海上日動火災保険」の前身である「東京海上保険」は、渋沢が発起人となって1879年に誕生した日本初の海上保険会社である。
1882年に創業した「東洋紡績」は渋沢の紡績事業計画によって誕生した「100年企業」。1885年に設立された東京瓦斯(東京ガス)は浅野財閥・浅野総一郎と渋沢が共同で立ち上げた民間の公共事業であった。同年、三菱の郵便汽船三菱会社と政府の共同運輸会社が合併して誕生した「100年企業」が「日本郵船」だ。渋沢は15年もの間、同社の取締役を務めた。渋沢が出資し1889年に設立された「石川島造船所」は石川島播磨重工業を経て、現在IHI(アイ・エイチ・アイ)となっている。同社は日本を代表する「100年企業」の建設機械メーカーである。
あまり知られていないが、渋沢は1892年に日本で最初の帽子製造会社「東京帽子」を設立し、初代代表取締役会長を務めた。これが現在ペン先メーカーとして知られる「オーベクス」である。同社は帽子メーカーとして創業し、現在ではメディカル事業も展開する「100年企業」である。
財閥オーナーと一緒に取り組んだ事業も数え切れない。キリンビールのルーツは、1885年に岩崎弥之助らが発起人となり、渋沢は重役を務めた「ジャパン・ブルワリー」だ。これを引き継いで三菱財閥と明治屋が出資して1907年に創業したのが「麒麟麦酒」、つまりキリンビールである。「サッポロビール」の前身は大倉財閥の大倉喜八郎に払い下げられた開拓使麦酒醸造所をもとに、1886年に渋沢と大倉が出資して誕生した「札幌麦酒会社」だ。設立から見れば、キリンもサッポロも「100年企業」である。藤田財閥・藤田伝三郎と設立した「大阪紡績」はのちに合併して前出した「東洋紡績」へと発展した。
1890年に開業した「帝国ホテル」は大倉財閥・大倉喜八郎と渋沢が発起人となって誕生。1906年に渋沢が創立委員長となって開業されたのが「帝国劇場」だ。浅野財閥・浅野総一郎が1908年に創業した「東亜建設工業」は安田善次郎と渋沢の支援で誕生した「100年企業」である。
最後に「渋沢」の名前を残す「100年企業」を紹介しておこう。1897年に発足した「渋沢倉庫」である。現在、従業員490名。倉庫・運送業を営み、オフィスビルも所有している。名門・渋沢家の子孫は現在、公共事業やNPO活動、投資会社の代表などを務めている。
ちなみに大蔵大臣と日銀総裁を務めた渋沢敬三は栄一の孫にあたり、敬三の長男・雅英氏は「渋沢栄一記念財団」理事長を務めている。JPモルガン証券、ゴールドマン・サックスなどを経て投資会社「シブサワ・アンド・カンパニー」を創業した渋沢健氏は栄一の孫の孫にあたる。著書に『渋沢栄一とヘッジファンドにリスクマネジメントを学ぶ』『巨人・渋沢栄一の「富を築く100の教え」』などがある。
By Master K / 益田 慶