世界資源戦争 10 石油開発の歴史 中国の資源外交とアフリカの産油国
世界第2位の石油消費国・中国の国営石油企業の海外進出件数を調べてみると、中東産油国よりもアフリカ産油国への進出のほうが多くなっている。中国のアフリカへのエネルギー投資が始まったのは1995年。アフリカの新規油田開発が本格的に進められた頃だ。以降、中国がスーダン、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアなどアフリカ14カ国で展開している大型石油・天然ガス協力プロジェクトの数は約30件にのぼっている。
「対外経済協力の約4割がアフリカ向け」といわれるのも納得できる。
中国は10年以上前に自国の急激な経済成長を見越し、アフリカや中南米に天然資源を求め、トップ外交を展開してきた。2006年には胡錦涛国家主席がアフリカ3カ国を、温首相が7カ国を訪問した。
温首相が訪問したのは、エジプト、ガーナ、コンゴ共和国、アンゴラ、南アフリカ、タンザニア、ウガンダだった。各国とも天然資源が豊富で、南アやタンザニアは金の生産が盛ん、コンゴ共和国、南ア、アンゴラ、ガーナではダイヤモンドが豊富に産出する。2008年初頭には、中国外首が、南アフリカ、コンゴ民主共和国、ブルンジ、エチオピアの4カ国を歴訪したばかりだ。
新規の油田開発が進められたことで、ナイジェリアやアンゴラなどの有力産油国で数十億バレルの埋蔵量を誇る油田が発見されている。また、大型の海底油田が発見されたモーリタニアで2006年から石油輸出が開始され、ウガンダでも2009年から石油商業生産が開始されるという。
中国の支援による油田開発によってアフリカ諸国の産油量も増加してきた。BP社の発表によると、1996年時におけるアフリカ諸国の1日当たりの平均産油量は744万バレルであったのに対し、2006年度には999万バレルに達している。およそ34.3%の伸びだ。2006年末時点のアフリカ諸国の原油確認埋蔵量は、10年前の742億バレルから1,172億バレルに拡大しているため、石油の枯渇を懸念する声も聞かれるが、アフリカは近年石油供給地としての存在感を強めてきた。
では、このようなアフリカの石油供給量拡大見通しが、近年の原油価格の高騰に結びついたのかといえば、実際のところ大きな影響はなかった。その理由は、アフリカで生産されている原油の多くは中国によって消化されているため、アフリカ諸国で生産された原油が中国以外の地域へ大量に供給されることは少なかったからである。BP社の発表によると、2002年当時、中国がアフリカ諸国から輸入する原油の量は1日あたり32万6,000バレルだったが、2006年には92万3,000バレルに増加し、中国のアフリカ産原油への輸入依存率は2002年当時の約16%から2006年には23.8%へと上昇している。
もともとアフリカは欧州諸国が"自国の裏庭"として植民地支配を続けてきた大陸だ。イギリスとフランスがそうであったように、ダイヤモンドに代表される地下資源が豊富な領地の奪い合いを続けてきたのである。そこで利権をめぐって欧州諸国が談合して大陸を分割し、原住民族が統治しにくいような国境線を引いて独立させてきたという暗い歴史がアフリカ大陸には横たわっている。
あえて民族紛争や内戦が絶えないようにしくみをイギリスとフランスがつくったともいえる。国が独立してもなお各国の政治家は政治面でかつての主人に頼らざるをえないようにしたのである。経済面では世界銀行や欧米諸国からの融資がなければ自立できないという、実に不安定な状態が数十年も続いてきた。そんな混沌としたなかでアフリカ諸国に開発融資や建設事業の援助を申し出たのが中国だった。
ナイジェリアやコンゴ民主共和国のように紛争が頻発している国はカントリーリスクが高く、また政治家が融資資金や貿易の利益を搾取する傾向が強いことから欧米企業がアフリカ諸国への参入に消極的であったことも、中国の参入を比較的容易にした背景と考えられる。中国は大量に消費する石油の購入先として、さらに自国の安い人件費で製造した日用品などの販売先としてアフリカをターゲットにしたのである。
By Master K/益田 慶