100年企業 9 100年企業 旧財閥系の100年企業 旧大倉財閥
戦前には15財閥のひとつに数えられた大倉財閥。その創設者・大倉喜八郎は1867年(慶應3年)、大倉銃砲店を開業したことで運をたぐり寄せた。成功した偉人は「運も才能のうち」というが、喜八郎の場合、時代が味方したようだ。翌年から約1年間続く戊辰戦争における官軍の御用武器商人となり、喜八郎はまとまった財を築いた。
1873年、日本人による初の貿易商社「大倉組商会」を設立。翌年には大倉商会ロンドン支店を開店。機械などの直輸入貿易を進めるとともに諸建造物の造営などにあたった。1877年に勃発した西南戦争では軍御用達として食料・兵器を納入。1893~1894年の日清戦争でも喜八郎は武器商人として奔走し、巨利を手にした。軍事関係の需要は三井、三菱ではなく、そのほとんどを大倉組が独占したようだ。
喜八郎の事業意欲はますます盛んになり、1878年には渋沢栄一を中心に東京商法会議所(現東京商工会議所)設立に関与。1883年には日本初の電力会社「東京電燈」の設立発起人にも名を連ねている。
1887年、渋沢栄一、藤田財閥総帥・藤田伝三郎とともに、資本金200万円をもって日本土木会社を創立。大倉組商会の業務の内、土木に関するものを分離し、これを継承した。これが大成建設の前身で、日本では初めての会社組織による土木建築業である。
1892年、日本土木会社は解散し、翌年その事業を喜八郎が単独経営の大倉土木組として継承した。大成建設は1917年を創業年としているが、実質的には1893年が同社の創業だ。日本の建設事業を支えてきた「100年企業」である。
喜八郎は、土木・建設業以外に鉱業、林業にも進出した。喜八郎が設立あるいは設立に関与した企業は多い。1890年に開業した「帝国ホテル」は、喜八郎と渋沢栄一が手を組んで始めたものだ。もちろん「100年企業」である。建設を請け負ったのは喜八郎が共同で経営した日本土木会社だった。喜八郎没後は長男の喜七郎が経営を担ったが、財閥解体後は他社に経営権が移った。ちなみに「ホテルオークラ東京」も長男・喜七郎が創業したホテルだ。
「サッポロビール」の前身である札幌麦酒会社は1886年、喜八郎が政府から麦酒醸造場を払い下げられ、それを渋沢栄一、浅野総一郎らが譲り受けてスタートした企業だ。こちらも創業からすれば「100年企業」である。「日清製油」(現日清オイリオグループ)は、喜八郎と肥料商の松下久治郎によって「日清豆粕製造」の名称で1907年に設立された。日清オイリオグループは、1907年を創業としているので「100年企業」である。ちなみに日清食品、日清製粉は同社のグループではない。
1887年創業の「東京製綱」、1893年創業の「日本化学工業」とも喜八郎が関与した「100年企業」。靴のリーガルでおなじみの「リーガルコーポレーション」は大倉組ほか3社の靴製造部門が統合して1902年に生まれた日本製靴が前身。リーガルコーポレーションは創業1902年と銘打っているので「100年企業」である。創業の喜八郎が会長となって1907年に創業した「東海紙業」は現在「東海パルプ」と社名を変えたものの、大倉財閥から生まれた「100年企業」のひとつである。
喜八郎は慈善事業や教育にも力を注いだ。彼の寄付によって設立・運営された施設や学校は少なくない。1900年に開校した大倉商学校が今日の東京経済大学だ。1907年開校の関西大倉学園(大阪府茨木市)も喜八郎が開いた。
残念なのは、大倉組を改組し、中堅総合商社として証1部上場していた大倉商事が1998年に自己破産したことだ。負債額は2528億2700万円だった。旧大倉財閥の中核企業で、機械・金属、食料、物資・建設部門を中心に中堅商社としての地位を築いてきたが、バブル期の不動産開発や事業多角化の失敗によって業績が悪化、増資および債務圧縮による再建を目指していたが、遂に力尽きた。日本で最も古い総合商社の自己破産は当時、「バブル倒産」と騒がれた。
ちなみに自己破産した大倉商事の当時の社長・大倉喜彦氏は現在「中央建物」の社長を務め、東京・銀座に大倉本館と大倉別館という二つのビルを所有している。主要株主は大倉文化財団、東海パルプ、大成建設など旧大倉財閥企業が名を連ね、主な出資先には同じく大成建設、東海パルプに加えホテルオークラなどの企業が並んでいる。旧大倉財閥のネットワークは100年を経てもまだ生きているのだ。
By Master K / 益田 慶