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6 江戸幕府の支配統制 直轄地の運営

幕府の収入源のひとつに直轄地の金山や銀山の経営が挙げられる。しかも「民間でできることは民間に」のスローガンを先取りするかのように、鉱山に必要な山師の手配と上納金の集金だけは奉行が行い、採鉱の仕事は民間に委託していたという。中でも有名なのが佐渡・石見・伊豆などの鉱山(金山・銀山)の経営である。幕府の支配統制は直轄地の運営と適材適所の人材の採用によって実現できたことがわかる。


佐渡金山は1601年に山師3人に発見され、すぐさま徳川幕府直轄の天領となり、その豊富な産金量は300年にわたる幕府の財政を支えた。家康は同年、毛利氏の旧領であった石見銀山も直轄領としている。石見銀山から産出された銀は、豊臣氏の朝鮮出兵の軍資金になったほどで、長い間日本最大の銀山であった。その石見銀山の奉行を務め、のちに佐渡奉行を経て勘定奉行に任じられ、年寄、老中に昇格し、伊豆奉行も務めたのが大久保長安である。かつて武田氏の家臣であった長安が家康から全国の金銀山の統括を命じられた理由は、彼とその配下の山師たちが湧き水の排水をコントロールする技術を持っていたからである。長安は武田領(甲斐)における黒川金山の鉱山開発や税務に携わっていたのである。


石見銀山の採掘に携わり大量の銀を産出した長安のマネジメントは冴えていた。佐渡金山には二人の家臣を派遣し、一人には農民統制を、もう一人には銀山の管理をさせた。佐渡には幕府直営の直山(じきやま)と、山師が自分の資金で採掘して売上金の何割かを上納する自分山(じぶんやま)とがあった。長安は石見銀山や伊豆金山から優秀な山師を集め、彼らに米や炭、ローソクなどを支給したという。一方、自分山の山師には、坑道の差によって良質のところには産出の5割、それ以下の坑道には産出の3分の1、4分の1という率の上納を課した。フリーランスの山師にとって5割のマージンといえば大きな額だが、彼らは町人に義務づけられていた「人足役」や「伝馬役」といった町役を免除されていたので優遇政策といえなくもない。


また、鉱山の産出が盛んになれば全国から多くの抗夫が町に集まるので、長安は町の入口に役所を設け、食料品や日常品などの物資を専売にし、売上げの1割の上納金を課した。こうして佐渡金山も上杉氏が支配していた時代と比較して、産出量が飛躍的に増えたとされている。


石見銀山や佐渡金山から産出された銀や金は加工されて通貨となり、ポルトガル貿易商や東インド会社らとの活発な貿易を促進し、また家康が推進した朱印船貿易の資金にもなった。この頃に日本にも朱印船貿易家が登場し、鎖国政策が始まるまでアジアを中心に貿易が活性化したのである。


直営方式が採用されたのは地下資源が豊富な土地だけではない。関東を主とする直轄地からの年貢高は富に大きかった。天領の石高は、 関ヶ原の戦い 以前は100万石ぐらいであったが、関ヶ原の戦いの後、西軍に属した諸将の領地を没収した中から直轄地に編入したものも多く、家康の晩年には200万石ぐらいに増加した。そして約1世紀後の元禄時代には400万石に達するのである。最初から多くの直轄地を抱えるのでなく、少しずつ増やしていったのは、システムが機能していったことと管理者の習熟があったからだろう。


さらに幕府は江戸以外に京都・大坂・長崎・堺などの重要都市を直轄にして、商工業や貿易を統制し、貨幣の鋳造権もにぎった。経済統制を進めることで利益を独占しようという政策である。江戸幕府が誕生しても商業の中心が京都や大坂であったことは容易に想像できる。よって京都・大坂・堺を統制する必要があったのである。


このように江戸以外の土地を直轄にし、優秀な奉行を派遣して支配させ、そこから確実に利益を上げていくのは「小さな政府」らしい合理的な方法である。さらに幕府は農村政策にも着手する。1648年に施行された「検地」の条令である。内容は次週のコラムで。


By Master K/益田 慶