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小栗上野介が駆け抜けた時代 47 激変した世界地図の中の江戸時代    イギリス経済学

1863年、5人の長州密航留学生がイギリスへ渡りました。のちに「長州ファイブ」と呼ばれる、野村弥吉(井上勝)、遠藤謹助、山尾庸三、井上聞多(井上馨)、伊藤俊輔(博文)です。イギリスが欧米の列強諸国に先んじて産業革命(1760年代から1830年代)を果たしたことから、政治や経済のしくみを学ぶなら、当時はイギリスが最適だったということでしょう。見方を変えるなら、イギリスは「経済学」が生まれ、最初に資本主義という概念が誕生した国ともいえるでしょう。


伊藤らが留学する約90年前、アメリカが独立した同じ年の1776年にアダム・スミスが『国富論』を発表しています。この名著は、「どうしたら富を獲得できるか」を説明し、富の因果の法則を明らかにした市場主義経済の古典です。アダム・スミスは、重商主義や保護貿易主義を批判し、自由経済の効用を唱え、「個人の私利をめざす投資が、“見えざる手”に導かれて、社会の利益を促進する」と指摘しました。現在でいうところの「競争の原理」を重視し、個人や企業が競争することで経済が活性化するという理論は、すこぶる正しいわけですが、かといってイギリスの保護貿易がすぐに解かれ、自由貿易主義に転換したわけではありません。


イギリスでは1815~1846年に「穀物法」という法律が施行されました。穀物価格の高値維持を目的としたもので、地主や貴族層の利益を保護するものでした。国内価格がある程度の高値に達するまで外国産小麦の輸入は禁止され、その後、穀物価格の騰落に応じて輸入関税を増減する方式に改められていました。これに反対したのは、産業革命によって新たに生まれた産業資本家層です。彼らが穀物法に反対した背景には、当時、工業労働者の賃金は最低限の生活費が基準になっており、穀物価格の高騰は賃金水準の上昇を意味していたことが挙げられます。


当時のイギリスは長期にわたる保護貿易の結果として、ヨーロッパ諸国と比べ穀物が高い価格帯を維持してきました。資本家たちは「穀物が安価に供給されると、物価が下がり、賃金の引き下げもできる」と考えたわけです。当の労働者層は単純に安価なパンを求め、「穀物法廃止」を望みました。廃止運動の結果、1846年に穀物法は撤廃され、自由貿易体制が確立されます。


穀物法廃止の基本的な理論は、アダム・スミスに触発された経済学者デビッド・リカードが記した『経済学および課税の原理』(初版1817年)です。彼は経済学に「限界モデル」を持ち込んだ先駆者です。「資本蓄積につれて労働=穀物需要が増加し、穀物の限界生産費、地代、穀物価格、賃金が高まる。これによって利潤が減少し、やがて資本蓄積が停止する」と説き、「穀物生産量が増えても穀物価格が上昇すれば生活水準が圧迫され、労働者の実質的な賃金は低下する。賃金を上げると利潤は増えない。自ずと限界がある」という成長モデルを提示したわけです。そして「穀物法を廃止して海外の優等地で生産された安価な穀物を輸入すれば、利潤は回復し、資本蓄積が再開される」という理論を展開します。


この「国内の価格より国際価格が安い場合は輸入し、逆に国際価格のほうが高い場合は輸出する」という考え方は、自由貿易のひとつの基盤となる「比較優位」の法則を説いたものです。リカードは、二つの国(ポルトガルとイギリス)と二つの商品(ワインと布)という例を挙げ、ポルトガルが両方の商品について絶対的なコスト優位性を持っている場合でも貿易にはメリットがあると論じました。商品が国内コストよりも低い値段で輸入されれば、貿易は蓄積と成長をもたらし、実質賃金低下と利益の増加をもたらす。そして両国とも貿易を行わないより、行った時のほうが利益を得る、とリカード論じたのです。


この理論には一部矛盾があるものの、すでに江戸時代にこういう理論が生まれていことに驚きを隠せません。当時の日本はこと経済学については、イギリスより100年遅れていたといえるでしょう。

By Master K/益田 慶