小栗上野介が駆け抜けた時代 40 激変した世界地図の中の江戸時代 幕末の自由貿易
日本人商人と外国の民間商人との間で自由貿易が行われるようになった幕末。当時の日本の輸出品の第1位は生糸です。輸出品の8割を占めていたとのことです。これは生糸の産地であるフランスやイタリアが蚕の疫病にかかり、壊滅状態に陥っていたからなのです。輸出品の第2位はお茶です。
反対に輸入品のほとんどは綿織物や毛織物などの繊維品でした。その他の輸入品として武器、艦船があります。幕末に坂本龍馬が武器を輸入していたことは以前説明しましたが、これらの武器は薩摩や長州が官軍として、幕府軍と戦う際に威力を発揮します。
さて、幕末における最大の貿易相手国はどの国だったのでしょうか? じつは先に交易を開始したアメリカではなく、列強のイギリスだったのです。これにも当時の世界情勢が大きく影響しています。アメリカは南北戦争(1861年~1865年)の勃発によって貿易がおろそかになっていたのです。
交易の9割は、横浜港で行われていました。貿易の変化として重要なのは、圧倒的な輸出超過で始まった交易が、1866年に輸入超過に転じたことです。これは輸入品の税率が20%から5%に引き下げられたことが原因です。
日本が列強諸国と結んだ条約では、関税自主権がなく、諸外国との話し合いで税率を決めるシステムを取っていました。これを「協定関税制度」と呼びます。
幕府は1866年、兵庫の開港期限を延長するかわりに、関税率をさらに引き下げ、自由貿易をさまたげる諸制限を撤廃することなどを取り決めた改税約書に調印しました。そういう流れがあり、外国商品がどっと安く国内に流れ込み、急に輸入額が増加したのです。
その頃、アメリカは北軍が勝利し、南北戦争は終結。アメリカ合衆国の再統一が進みます。国内市場の拡大、西部開発、安い労働力の急増は、アメリカの工業を急成長させ、19世紀末にはイギリスを抜いて世界第一位の工業国になります。工業化を後押ししたのは鉄道です。1869年に大陸横断鉄道が完成し、合衆国の鉄道総距離は26・2キロに延びました。これによって西部の開拓が促進されます。大陸横断鉄道の完成は、それまでの遅くて危険な駅馬車の時代を終わらせ、鉄道が経済の大動脈として機能する時代の到来を告げました。
大陸横断鉄道の開通によって、東海岸と西海岸の間の移動は、それまで陸上であれば数ヶ月、パナマ経由の船でも数週間を要していたものが、1週間に短縮されました。さらに1876年に運行された大陸横断超特急は、二ューヨークを出発してからサンフランシスコに到着するまで83時間39分という記録を作りました。当時の日本は明治維新の直後、やっと廃刀令が施行された頃です。この状況を比較するだけで当時の国力の差は歴然といえるでしょう。
この鉄道の完成より前に、小栗上野介は江戸-横浜の鉄道の建議を幕府に提出しています。小栗は1860年に遣米使節団の監査として視察に参加した際に初めて鉄道を見たのでしょう。また、鉄道事業によって自国の経済が活性化することを理解していたのでしょう。しかし、小栗の先見性を見抜いた人物は江戸幕府にはいなかったようです。
アメリカの発展の過程で注目したいのが、大陸横断鉄道の建設労働者が、アイルランド人移民、南北戦争の退役軍人、モルモン教徒、中国人移民などが多かったことです。アメリカは100年以上前から外国人労働者の受け入れに寛大であったという見方もできます。当時、中国人移民はカリフォルニアの金鉱山やクリーニング業、調理師などに従していました。カリフォルニア中から中国移民がかき集められたという記録が残っています。
このように南北戦争を機にアメリカの経済構造は激変しました。一方、ヨーロッパでは衰えるオスマン帝国に列強が群がるようになります。東地中海、黒海周辺での列強の争いはヨーロッパ最大の国際問題へと発展していきます。
By Master K/益田 慶