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ヨーロッパの財閥と企業グループ 38 欧州財閥の系譜  ロシア財閥 ユコス

ロシア最大の石油会社のオーナーで、一代で新興財閥にまでのぼりつめたホドルコフスキーの逮捕にまで発展した「ユコス事件」は、2003年6月、同社の保安責任者アレクセイ・ピチューギンが逮捕されたことで幕を開けました。彼の容疑は1998年に起きた2件の殺人事件と1件の殺人未遂でした。7月には、金融子会社メナテップの社長でもあったユコスの株主プラトン・レベジェフが検挙されました。1994年に肥料メーカーのアパチット・グループが民営化された際に様々な金融犯罪に関与し、ユコスに未納の税金を払わせようと奮闘した市長が1998年に殺害された事件の共犯となったことが容疑でした。


検察はさらに、当時のユコス社長ホドルコフスキー、イスラエルに逃亡していた副社長レオニード・ネヴズリンに出頭命令を出します。そして同年10月、ホドルコフスキーは投獄されたのです。組織的な横領、詐欺、脱税、文書偽造など、彼の容疑は7件に及ぶとされています。レベジェフとホドルコフスキーの2人は、これらの罪状について否認しましたが、2005年にモスクワ市裁判所はホドルコフスキーに禁固8年を言い渡しました。


検察は10月、ユコスグループの株式の44%、推定150億ドル相当の資産凍結を発表します。しかし、ホドルコフスキーは検察の動きを予見していたらしく、手元には9.5%の株式しかとどめておらず、残りはユコス・ユニヴァーサル社とハリー・エンタープライゼス社に名義変更されていたといいます。これら2社は、メナテップの姉妹会社であるメナテップ・ジブラルタルの傘下にあります。ユコスは検察に挑むかのように、20億ドルという記録的な利益配当を実施しました。その大半を受け取ったのはホドルコフスキー本人。もう一人の大口株主は、ロシア企業シブネフチの売却時にユコス株の26%を取得したロマン・アブラモビッチでした。ホドルコフスキー社長の下で、ユコスの株価は1998年から2003年の間に120倍に跳ね上がっていたといいますから、すぐれた経営手腕の持ち主だったのでしょう。


ユコス幹部の逮捕が実行されたのは、同社が歴史的な転機にさしかかっていたときでした。シブネフチとの合併が計画され、多国籍企業に大量の株式を売却するための交渉が進められていたのです。2003年10月初頭の時点では、世界最大の石油企業エクソンモービルが、ユコス株40%~50%を250億ドル前後で取得する交渉を行っていたといいます。ホドルコフスキーが3億ドルで手に入れたユコスの価値は、シブネフチと合併すれば300億ドルを超えると評価されていたのです。


ホドルコフスキーは「会社と従業員のためを思って」社長職を辞し、「市民社会」を推進するために2001年に設立した財団「開かれたロシア」の業務に専念すると発表しました。ユスコ社の後任社長はシモン・クケスです。彼はアメリカの市民権を取得した後、1996年にユコスの副社長として帰国、98年にはTNK(旧チュメニ石油)に移ってBP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)との投資交渉にあたり、ユコス社に戻ってきたところでした。同社の重役は、現在アメリカ国籍者が4人、ロシア国籍者が3人という構成となっています。

株式相場はホドルコフスキーの社長辞任で一時下がりはしましたが、クケスの社長任命を受けて回復し、投資家は安堵したようです。その後、BPはTNK買収計画を推し進め、石油・天然ガス会社BP-TNKを設立。また、ドイツ銀行は「ロシアはヨーロッパ最大かつ最重要の市場である」として、ある投資銀行に40%出資すると発表しました。

プーチン大統領は、ロシアの重要産業である石油ビジネスに外資が大量に入ることを排除はしていないものの、国家が大型取引や吸収・合併を監督することを望んでいるようです。


By Master K/益田 慶