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小栗上野介が駆け抜けた時代 37 激変した世界地図の中の江戸時代 鎖国政策と海外事情

江戸時代中期から後期にかけて起こった世界情勢の激しい変化。たとえばアメリカ合衆国の独立と拡大、ゴールドラッシュの勃発、アヘン戦争を機にしたイギリスによる中国への進出など、鎖国政策を取っていた江戸幕府の首脳部は正確に把握していたのでしょうか?


実はかなり正確に知っていたという説があります。鎖国中であったとはいうものの、オランダ、清国、朝鮮とは貿易のつきあいがありましたから、海外の情報告は少なからず入手していたとされています。
薩摩藩の支配下にあった琉球王国には、1816年にイギリス艦隊が来航しています。こういった事態は薩摩藩を通して幕府へ伝わっていたはずです。また、毎年長崎に来るオランダ船から幕府へ提出される「オランダ風説書」と題した海外情報レポートにも国際情勢は記されていました。


清国がアヘン戦争でイギリスに負け、開国を強いられ、香港まで奪われた事実も幕臣の耳に入っていたようです。幕府は1825年に発令した「異国船打払令」を1842年に廃止し、来航した外国船には薪や水、食糧を与えて帰国してもらおうという新たな法令を発令しています。1844年には、オランダ国王から開国を促す書面を受け取っています。この背景には、イギリスやアメリカ、ロシアなどの大国が日本を植民地にする前にオランダが主導権を握りたいという目論見もあったのでしょう。世界の列強は、未開の地であるアジアへと目を向けていたのです。


ここにその時期にアメリカで貴重な体験をした一人の日本人がいます。のちに小栗上野介が監察として加わる遣米使節団(1860年)の護衛艦「咸臨丸」に通訳として乗船するジョン万次郎(本名:中濱万次郎)は、ゴールドラッシュが始まった年(1849年)にアメリカにいた数少ない日本人、あるいは唯一の日本人でしょう。


彼は1841年、14歳のときに漁師の手伝いで漁に出て遭難し、漁師とともに太平洋に浮かぶ無人島に漂着しました。彼らを救ったのがアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号です。当時の日本は鎖国状態だったので、救われた漁師たちは寄港先のハワイで降ろされました。しかし、船長に気に入られた万次郎は自ら希望し、捕鯨の航海に出かけます。船名にちなみジョン・マン(John Mung)という愛称をアメリカ人からもらい、日本ではのちに「ジョン万次郎」と呼ばれることになるのです。


カリフォル二アのゴールドラッシュは1848年1月21日朝、アメリカ東部出身のジム・マーシャルという偏屈な男がカリフォル二ア中部のコロマを流れるアメリカ河畔で数個の金塊を発見したことから始まります。これがアメリカと世界の歴史を変えたのです。


金発見の噂が流れると世界各地からゴールド・フィーバーに浮かれた人たちが集まって来ました。東部のアメリカ人は妻子や恋人を残して単身で訪れ、メキシコ人は妻子を帯同して春に来て、秋にはメキシコに帰るという季節労働者でした。フランス人は彼らだけて固まってフランス社会を形成し、その言語、文化を維持したようです。中国人は極めて保守的でパイオニア精神に欠け、いつも他民族が掘り尽くして放棄した鉱区の権利を買っては再採掘していたという記録が残っています。国民性があらわれたエピソードです。


万次郎はアメリカ東部のマサチューセッツ州フェアへブンの町で教育を受け、航海術まで学びました。その後、捕鯨船に乗り3年4カ月、7つの海を駆け巡ったとされています。1849年9月、捕鯨基地に戻るとゴールドラッシュの噂を耳にします。日本に帰る資金を稼ぐ絶好のチャンスでした。


カリフォルニア行きを決心した万次郎は、彼を救ってくれた恩人の船長に別れを告げ、海路サンフランシスコに到着。現在カリフォルニア州都のあるサクラメントで食料品、日用品を購入した後、コロマの近くの山に入り、最初は日雇人夫として働き、後に独立して僅か2カ月半で600ドルの大金を貯めることができたとされています。


By Master K/益田 慶