100年企業 3 旧財閥系の100年企業 三井グループ
旧財閥系企業グループ企業の「100年企業」といえば、三井と住友の両雄が挙げられる。三井財閥の起源は三井高利が1673年に創業した「越後屋」(現在の三越)だ。よって三越は「300年企業」と命名できる。「現金掛値なし」「反物の切り売り」などの新商法は、統治の呉服界では斬新で、現在の言葉に当てはめるなら「流通革命」「呉服の構造改革」「イノベーション」であった。1683年には両替商を併置する。これが今日の「三井住友銀行」である。「三井銀行」として創業したのが1876年(明治9年)なので、「三井住友銀行」も広い意味で「100年企業」といえよう。のちに三井銀行の理事に就任する中上川彦次郎が手腕を発揮する。長年、三井銀行の常務として陣頭指揮をとった池田成彬は、のちに日銀総裁、大蔵大臣に就任した。
大蔵省から実業界に転じた益田孝が「三井物産」を設立したのも1876年だ。初代物産社長・益田の活躍なくして戦前の三井財閥は生まれていなかったともいえる。しかし、三井物産は戦後の財閥解体で一度解体しているので、現在の三井物産の創業は1947年となり、残念ながら「100年企業」のグループからはもれる。戦前の三井物産は、現在では「旧三井物産」と呼ばれている。
江戸時代から明治にかけて三井が大きく成長した要因は、とりもなおさず呉服業と両替商での成功である。三井は幕末に幕府の御用商人となり、幕末から明治維新にかけては「政商」として活躍した。江戸幕府はもとより軍資金のない倒幕派も三井の資金をあてにしたほどである。
明治に入って「旧三井物産」が飛躍的な発展を遂げたのは、益田孝が明治政府から払い下げを受けた三池炭鉱の石炭によってである。「旧三井物産」は石炭の市場を中国やシンガポールなどに求めて進出した。1889年(明治21年)、益田は「三池炭鉱社」(三井鉱山)を設立する。つまり、この老舗のエネルギー企業「三井鉱山」も三井グループの「100年企業」なのである。
同社の初代事務長が、かの團琢磨である。マサチューセッツ工科大学で鉱山学を学んで帰国した秀才だ。逸早くイギリスのポンプを導入し、三池炭鉱を「金を産み出す山」に仕上げた團は後に三井の総帥となり、日本経済連盟の理事長、会長を務め、昭和3年には「男爵」の称号を授かる。三井の総帥が日本経済界のドンになったことで、三井財閥はさまざまな恩恵を受けたのであろう。有能な人材を多く配したのも三井グループの特徴である。
戦前の三井財閥を支えたのが、三井物産、三井鉱山だけではない。「造船の三菱」と激しい競合を繰り広げた「商船三井」も1884年創業の「100年企業」である。同社は「大阪商船」としてスタートし、1942年に旧三井物産の船舶部門が「三井船舶」として分社化。のちに「大阪商船三井船舶」を経て現在の社名になる。ちなみにクルーズ客船として名高い「にっぽん丸」やフェリー「さんふらわあ」は「商船三井」の所有である。
三井グループの「100年企業」を紹介しておこう。三井広報委員会に名を連ねる「王子製紙」が創業地の名を冠し、商号を「王子製紙」と改称したのは1893年。しかし、その前身は1873年に渋沢栄一によって設立された「抄紙会社」だ。同社が日本の洋紙産業の始まりである。同じく三井広報委員会に名を連ねる「サントリー」の創業は1899年。1907年(明治40年)に創業した「日本製鋼所」は今年100周年を迎えたばかり。1909年創業の「三井倉庫」は2年後に「100年企業」となる。
By Master K/益田 慶