FXライフ 22 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とアゼルバイジャン
1998年の「ロシア財政危機」の救済に乗り出したのはIMFだった。ロシアは国内にルーブルを買い支える資金がなくなったので、為替レートを維持する資金をIMFから提供してもらうより他に方法がなかったのである。
ロシアの財政危機は、当時の西側諸国にとっても「世界恐慌」の引き金になりかねないとあって警戒心が強まっていた。長期的にIMFから資金を注入することは抜本的な解決にはならないが、かといってロシアが崩壊すれば被害は銀行や投資会社の倒産だけではすまなくなる。そこでIMF は同年7月、226億ドルの緊急支援を承認したのである。
しかしこの救済処置だけでは事態は収拾せず、資本の流出は続いた。収束に向かったのは、翌年1999年からである。国際石油価格が高騰したことやルーブル切り下げの効果により国内の輸入代替産業が復調し始めたことなどを背景に、経済は大幅に成長に転じた。同年、エリツィン大統領が辞任し、当時首相だったプーチンを後任大統領に指名。プーチンは新興財閥と政府との癒着を絶ち、彼らを制圧して納税させるまでにこぎつけた。2000年のGDP成長率は10%を記録し、近年にない高い成長を示した。また、インフレ率も年20%程度まで下がり、急速に改善された。
2001年以降は、ルーブル切り下げの効果が徐々に薄れて、国内産業の復調に限界が見え始め、GDP成長率は5.1%(2001年)、4.7%(2002年)と鈍化が見られたが、幸運にも国際石油価格がその後も比較的高値で維持されてきたことから、エネルギー関連産業の好調が続き、これが牽引要因となって経済成長が維持された。
さらに2003年に入って、イラク情勢などの影響で国際石油価格が高騰したことを背景に、ロシア経済は非常に好調に推移し、GDP成長率は7.3%を記録。鉱工業生産、設備投資など他の指標も前年に比べ大幅に改善された。石油の輸出で稼いだ資金が投資や国民の所得を引き上げて内需を拡大し、GDPを引き上げるという好循環が生まれた。
そしてロシアは2005年2月、USドルとユーロを組み合わせた通貨バスケットを導入。2007年2月には「0.60ドル+0.40ユーロ」から「0.55ドル+0.45ユーロ」に変更。また2005年度から、ルーブルのロシア国外持ち出し規制が撤廃されている。
カピス海の西海岸に位置し、かつてソビエト連邦に属したアゼルバイジャンは、アゼルバイジャン・ルーブルを通貨としていた国だ。現在の通貨は、アゼルバイジャン・マナト(AZM)。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接する。同国はアゼルバイジャン人が9割を占め、国語はアゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用されているという。かつてアラブの支配下にあったという歴史的な要因からイスラム教徒が95%を占める。
最も大きな産業は石油産業だ。経済成長率34.5%(2006年)、失業率1.4%(2005年)という驚異的な数値を示しているのは、石油産業が潤っている証拠だろう。
アゼルバイジャンの石油といえば、思い浮かぶのがバクー油田だ。ノーベル兄弟が近代的な開発を進め、のちにパリ・ロスチャイルド家が「シェル石油」の前身にあたる貿易会社を設立して莫大な投資をした油田だ。その歴史は古く、1830年代から100年間、世界の石油産出量の90%を占めていた。かのヒトラーは第二次世界大戦でバクー油田を占領する作戦を練ったほど、魅力的な油田である。
近年の話題のひとつが2006年に完成した「BTCパイプライン」だ。バクー(Baku)を起点とし、グルジア共和国トビリシ(Tbilisi)を経由して、地中海沿岸のトルコ共和国ジェイハン(Ceyhan)に至る総延長約1,768km、輸送能力日量100万バレルの原油輸送パイプラインで、主にカスピ海にあるACG油田で産出される原油をロシアを迂回して輸送するために建設されたものだ。出資企業は同国政府のほかにBP、シェブロン・テキサコ(米国)、イタリアの石油会社ENI、トルコ国営石油会社、そして伊藤忠商事などである。将来的にはカスピ海地域の他の油田から産出される原油を輸送することも検討されている。
By Master K/益田 慶