FXライフ 20 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とウクライナ
ロシアの通貨は、ご存知のとおりルーブル(RUB)である。ロシア帝国、旧ソビエト連邦でも使われてきたので世界の通貨として富に有名だ。このルーブルと名のつく通貨を使ってきた周辺諸国も少なくない。
近代のルーブルの歴史は、「社会主義国・ソ連~ペレストロイカによる改革~ソ連崩壊とロシア誕生~ロシア通貨危機~USドルとユーロを組み合わせた通貨バスケット」といった変遷を忠実に物語っている。まず旧ソ連時代の1961年に10分の1のデノミが実行されている。世界の通貨を見渡してみると、デノミは決して珍しいことではないことがわかる。旧ソ連の解体で生まれた国や南米の国では、インフレの処理としてデノミが頻繁に実施されている。また戦後のインフレ処理でもデノミは実施されてきた。たとえば第2次大戦中の1944年、ギリシャでは10億分の1のデノミ。大二次世界大戦後の1946年、ハンガリーでは29桁のデノミが実施された。
ソ連末期のペレストロイカに伴うインフレによって1991年には、新しいルーブル紙幣が発行された。社会主義経済体制から資本主義経済体制へ移行するには、短期間で通貨の変動を安定せざるを得なかったわけだが、政治・経済的には貿易の自由化及び民営化を柱にした「ショック療法」が基本になっており、自由経済に慣れていなかった多くの国民が戸惑ったことだろう。
1991年12月のソ連崩壊後もしばらくはソ連ルーブルが使用された。1992年にロシア中央銀行の最初の紙幣として発行されたのは5,000ロシア・ルーブル、続いて10,000ロシア・ルーブル紙幣が発行された。かつて100ルーブル紙幣は高額紙幣であったが、10,000ロシア・ルーブル紙幣の前では100分の1の価値になったのである。1993年には50,000ロシア・ルーブル紙幣が発行されている。
さらに1995年には100,000 ルーブル紙幣が新たに発行され、50,000 10,000 5,000 1,000ルーブル紙幣が改刷される。そしてわずかな交換期間を経て、1993年以前の旧紙幣の流通は停止される。ここに至るまでにロシア国民の混乱はいかほどのものかと察するが、ロシアはさらに大きな荒波に飲まれる。その後のルーブルの変遷は次週お届けする。
1991年に当時のソビエトから独立したウクライナの通貨はフリヴニャ(UAH)だ。ロシア帝国時代には「カルボへヴァネツイ」と呼ばれるルーブル通貨が使用されていた時期もあった。これはルーブルのウクライナ名であったので、「ウクライナ・ルーブル」と置き換えてもよいだろう。1917年、「ウクライナ・ソビエト戦争」の勃発によってカルボへヴァネツイに相当する通貨単位としてクピュラが制定され、通貨単位は「フリヴニャ」に移行。その後、ウクライナは社会主義国としてソビエト連邦に組み込まれ、再びソ連ルーブルが用いられた。1941年~1944年にはナチス・ドイツに占領され、通貨単位が変わったが、ドイツ撤退後に再びソ連ルーブルに戻った。
1991年、ウクライナの独立によって再びカルボへヴァネツイが採用されたが、通貨政策の失敗、国有企業の民営化の失敗、極度のインフレなどによって経済が混乱し、1996年に現在の通貨フリヴニャが採用された。10万カルボへヴァネツイが1フリヴニャに換算されたということは、実質的なデノミが実施されたのである。
94年からは国際通貨基金(IMF)と協同した経済改革を実施したものの、1998年には、国際金融市場の低迷の煽りを大きく受け、膨大な対外債務の償還に伴う外貨準備高の減少などの問題が深刻化。ウクライナの経済が安定したのは2000年以降である。2005年は世界的な鉄鋼市場不況等により、GDP成長率が2.4%と鈍化するも2006年は7%台に回復した。同国が抱えている課題を挙げるなら、天然ガス、石油などエネルギー供給をロシアに依存していることだ。
2005年に就任したユシチェンコ大統領がロシアと距離を置き、EUやアメリカとの関係を強化する政策を示したことで、ロシアはウクライナへ供給するエネルギーの値上げを図り、ウクライナは窮地に立たされる。その後、大統領はロシアとの関係修復に奔走したことは記憶に新しい。ウクライナの産業は、鉄や機械などの工業で、輸入・輸出ともロシアがメインである。現在でもロシアがウクライナの経済に大きな影響を与えていることは確かである。
By Master K/益田 慶