« 2007年11月 | メイン | 2008年01月 »

2007年12月 アーカイブ

2007年12月01日

ヨーロッパの財閥と企業グループ 27 欧州財閥の系譜 フランス財閥

フランスの財閥は、ブランド王国を築いた企業ばかりです。世界に名だたるブランド約50社を擁する「モエ ヘネシー ルイヴィトン」(LVMH)は、高級ブランド品、有名ワイナリーなどを傘下に置く巨大コングロマリット(多角的複合企業体)です。1987年、ルイヴィトンとシャンパン製造会社のモエ・ヘネシーとの合併によりLVMHが誕生。LVMHグループは今日、ルイヴィトン、クリスチャン・ディオール、フェンディ、セリーヌ、セリーヌ有名ブランドを傘下におさめる巨大ブランド企業に成長。ワイン&スピリッツ、ファッション&レザー、パフューム&コスメティックス、ウォッチ&ジュエリー、セレクティブ・リテーリングの5つの事業から成ります。


グループを牽引するのは、会長のベルナール・アルノー。『フォーブス』2006年版の「世界長者番付」では前年の17位から一挙に7位にまで浮上した人物で、一代で資産額2兆3650億円の世界の億万長者となった成功者です。1987年にLVMHが誕生した翌年、クリスチャン・ディオール社がLVMHの株式の4割を取得し、合流しました。アルノーはルイヴィトン社の人間でも、モエ・ヘネシー社の人間でもなく、クリスチャン・ディオール社の社長でした。低迷していたディオール社を復活させた手腕が高く評価され、遂にLVMHも手中に収めたのです。アルノーはクリスチャン・ディオールを手に入れるめに親会社自体を買収し、親会社だけを売却するという離れ業をやってのけた人物です。その際にアルノーは、企業買収、国際投資では世界トップクラスの定評があるフランス系投資銀行「ラザール・フレール」と組んで買収を企てました。プジョー、ルノー、シトロエン、ミシュラン、パナールなどフランス自動車産業はロスチャイルド財閥に支えられてきましたが、その傘下であるラザール・フレール財閥が特に大きな影響力を持つといわれています。


LVMHはワイン&スピリッツ分野では、香港の商社ジャーディン・マセソンや英国ギネス財閥と組んでアジアやアメリカ、フランスなどにおける流通を共同事業で行う協定を定めました。ちなみにギネス社が米国のグランド・メトロポリタン社と合併して誕生したディアジオ社は、LVMH株を取得しています。ギネス財閥がベルナール・アルノーを支援したことで、彼がLVMHの総帥になれたのかもしれません。


90年代に有能なアメリカ、日本、イギリス、フランス、イタリア、スペインなどのデザイナーを起用するとともに積極的にM&Aを展開し、伝統的で優秀な手作りの製品作りで高級ファッション品市場を席巻していきました。特にM&Aによって次々に老舗ブランドを買収して巨大化していった様は、とても現代的な手法といえるでしょう。


ちなみにルイヴィトンの売り上げの4割は日本で、LVMHグループにとって日本人は「いいお客さん」ということになっています。一方、日本人のブランド志向は、ブランド品を貴族階級のものとしてあまり関心を寄せない欧米の庶民からは、異常に見えているようです。


フランスの財閥には、父親から化粧品会社「ロレアル」を引き継いだリリアンヌ・ベッタンクールがいます。彼女は『フォーブス』2006年版の「世界長者番付」では15位にランクインし、フランス国内では第2位となっています。女性の資産家としては世界屈指です。


ほかに著名なフランスの企業グループを挙げるなら、セルジュ・ダッソー率いる「ダッソー・グループ」を忘れてはいけません。ダッソー・グループは、戦闘機ファンには「ミラージュ」でおなじみ。フランス有数の軍需産業企業体であり、最近では情報産業に大きく進出しています。2004年にはフィガロ紙やレクスプレス誌をはじめ複数の有力地方紙を傘下におさめるメディアグループ「ソクプレス」の会長に選ばれています。


By Master K/益田 慶

小栗上野介が駆け抜けた時代 37 激変した世界地図の中の江戸時代 鎖国政策と海外事情

江戸時代中期から後期にかけて起こった世界情勢の激しい変化。たとえばアメリカ合衆国の独立と拡大、ゴールドラッシュの勃発、アヘン戦争を機にしたイギリスによる中国への進出など、鎖国政策を取っていた江戸幕府の首脳部は正確に把握していたのでしょうか?


実はかなり正確に知っていたという説があります。鎖国中であったとはいうものの、オランダ、清国、朝鮮とは貿易のつきあいがありましたから、海外の情報告は少なからず入手していたとされています。
薩摩藩の支配下にあった琉球王国には、1816年にイギリス艦隊が来航しています。こういった事態は薩摩藩を通して幕府へ伝わっていたはずです。また、毎年長崎に来るオランダ船から幕府へ提出される「オランダ風説書」と題した海外情報レポートにも国際情勢は記されていました。


清国がアヘン戦争でイギリスに負け、開国を強いられ、香港まで奪われた事実も幕臣の耳に入っていたようです。幕府は1825年に発令した「異国船打払令」を1842年に廃止し、来航した外国船には薪や水、食糧を与えて帰国してもらおうという新たな法令を発令しています。1844年には、オランダ国王から開国を促す書面を受け取っています。この背景には、イギリスやアメリカ、ロシアなどの大国が日本を植民地にする前にオランダが主導権を握りたいという目論見もあったのでしょう。世界の列強は、未開の地であるアジアへと目を向けていたのです。


ここにその時期にアメリカで貴重な体験をした一人の日本人がいます。のちに小栗上野介が監察として加わる遣米使節団(1860年)の護衛艦「咸臨丸」に通訳として乗船するジョン万次郎(本名:中濱万次郎)は、ゴールドラッシュが始まった年(1849年)にアメリカにいた数少ない日本人、あるいは唯一の日本人でしょう。


彼は1841年、14歳のときに漁師の手伝いで漁に出て遭難し、漁師とともに太平洋に浮かぶ無人島に漂着しました。彼らを救ったのがアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号です。当時の日本は鎖国状態だったので、救われた漁師たちは寄港先のハワイで降ろされました。しかし、船長に気に入られた万次郎は自ら希望し、捕鯨の航海に出かけます。船名にちなみジョン・マン(John Mung)という愛称をアメリカ人からもらい、日本ではのちに「ジョン万次郎」と呼ばれることになるのです。


カリフォル二アのゴールドラッシュは1848年1月21日朝、アメリカ東部出身のジム・マーシャルという偏屈な男がカリフォル二ア中部のコロマを流れるアメリカ河畔で数個の金塊を発見したことから始まります。これがアメリカと世界の歴史を変えたのです。


金発見の噂が流れると世界各地からゴールド・フィーバーに浮かれた人たちが集まって来ました。東部のアメリカ人は妻子や恋人を残して単身で訪れ、メキシコ人は妻子を帯同して春に来て、秋にはメキシコに帰るという季節労働者でした。フランス人は彼らだけて固まってフランス社会を形成し、その言語、文化を維持したようです。中国人は極めて保守的でパイオニア精神に欠け、いつも他民族が掘り尽くして放棄した鉱区の権利を買っては再採掘していたという記録が残っています。国民性があらわれたエピソードです。


万次郎はアメリカ東部のマサチューセッツ州フェアへブンの町で教育を受け、航海術まで学びました。その後、捕鯨船に乗り3年4カ月、7つの海を駆け巡ったとされています。1849年9月、捕鯨基地に戻るとゴールドラッシュの噂を耳にします。日本に帰る資金を稼ぐ絶好のチャンスでした。


カリフォルニア行きを決心した万次郎は、彼を救ってくれた恩人の船長に別れを告げ、海路サンフランシスコに到着。現在カリフォルニア州都のあるサクラメントで食料品、日用品を購入した後、コロマの近くの山に入り、最初は日雇人夫として働き、後に独立して僅か2カ月半で600ドルの大金を貯めることができたとされています。


By Master K/益田 慶

2007年12月02日

FXライフ 16 ユーロの歴史と欧州の通貨 非ユーロ採用国

ユーロを導入していない欧州の国のうち、まだ紹介していない国と通貨を個別に紹介していこう。とりわけ、それらはユーロの登場と拡大によって「どのような影響を受けたのか」に注目したい。


ノルウェーは1994年の国民投票でEU非加盟を決定している。通貨はノルウェー・クローネ。国際表示の略称はNOKだが、国内で値札などに使用されている表示は「kr」だ。クローネとはノルウェー語で「王冠」の意味である。この通貨は、1875年にデンマーク、スウェーデン、ノルウェーによる通貨同盟が結成され、導入されたクローネ(クローナ)が基になっている。ヨーロッパの通貨がユーロに統合されていくなか、ノルウェーが非EU国家であることから「スイス・フラン」とともに富に名高い欧州の通貨である。


ノルウェーはEUに加盟していないとはいえ、EU諸国との貿易関係は輸出入とも強い。意外に知られていないのが産油国としてのノルウェーだ。2004年度には、平均日量2900万バレルの原油を輸出し、世界の原油輸出国の中では、サウジアラビア、ロシアに次いで第3位の大国となった。またノルウェー沖の大陸棚で産出される天然ガスはヨーロッパ全体のガス消費量の15%を占めている。近年は、低金利政策や欧州諸国を中心とした外需の回復を背景に景気が回復し、また石油価格の高騰により、石油産業を中心に経済が活性化している。2006年度のGDPは2.9%、物価上昇率は2.3%、失業率は2.6%と安定している。


このように同国は沿岸の北海大陸棚で採掘される石油、天然ガスなどの資源に恵まれており、石油・天然ガス部門は同国のGDPの25%、また輸出額の約3分の2を占めている。ただし、石油への過度の依存は、国際的な石油価格の変動や輸出先の景気によって国内の経済に大きな影響影響をもたらすので、石油依存体質からの脱却が同国にとっての課題となっている。

また、原油・石油製品の決済はUSドルで行うことから、ノルウェー・クローネは石油価格とは直接連動せず、むしろユーロとの関連性が強いとされている。国際的な比較ではノルウェー・クローネは安定した通貨のひとつといえよう。


ユーロとの関係で見るなら、ノルウェー経営者連盟が企業にユーロ対策指導や相談を行っているが、これまでのところ企業経営方針、戦略、事業再編検討案などに大きな影響は出ていないとのことだ。ユーロが安定すれば為替市場でのリスクが減り、ユーロ経済圏の安定はノルウェー輸出産品の市場安定を意味する。各企業にとっても会計処理が簡易になり、資金調達も容易になるだろう。一方、ユーロ導入国の拡大が進むことのデメリットもある。国際市場での競争力の激化である。価格の透明性が増すことによって、値段の交渉に大きく影響することが予想される。


1993年に分離したチェコとスロバキアもまたユーロ導入に至っていない国である。チェコの通貨はチェコ・コルナ(Kc)、スロバキアの通貨はスロバキア・コルナ(Sk)だ。共産主義国家であった両国は、ともにユーロ導入を掲げている。チェコ人がほとんどを占めるチェコは現在、機械工業、化学工業を中心に景気は好調で、2005年以降6%の高い成長率を記録。賃金上昇が消費に波及し、内需が拡大したことがその要因とされている。一方で失業率の上昇(2006年は6.4%)、財政赤字の増加といった懸念材料もあるが、EU加盟を選択したチェコは、将来のユーロ導入の条件を整備する段階に入ろうとしている。


一方、スロバキア人から成るスロバキアは、2009年のユーロ導入を目指して2005年よりERMⅡに参加。積極的な外国投資の誘致を進め、失業率が10%近くあるものの、近年は個人消費に支えられ、輸出も好調。2006年は8.3%を記録するなど高い経済成長率を示し、2008年度予算では財政赤字が基準を満たすGDP比3%以内に抑えられる見込みである。


By Master K/益田 慶

小栗上野介が駆け抜けた時代 38 激変した世界地図の中の江戸時代 遣米使節団

成立したばかりのアメリカ合衆国は、極めてまとまりのない国家でした。強力な中央政府を樹立し、「国民国家」をつくろうとする北部に対して、イギリスに綿花を供給する南部は経済的にイギリスへの従属状態にあり、北部の支配下に入るのを拒んで州の自立を主張したのです。南部が奴隷制の容認、自由貿易、州の自立を主張したのに対し、北部は奴隷制の廃止、保護貿易、強力な中央政府の構築を唱えていたのです。やがてイギリスが必要とする綿花の一大供給地の「南部」と、工業化を進める「北部」の対立へと発展していきます。


小栗上野介が監察として加わる遣米使節団がアメリカに向かった1860年は、アメリカにとっても大きな分岐点となった年でした。同年11月の選挙で奴隷制廃止論者のリンカーンが第16代大統領に当選したのです。じつはアメリカ視察から帰国した小栗上野介が、最初の外国奉行に昇進したのも同じ11月でした。

翌年には南部11州が「アメリカ連合国」を立ち上げ、北部からの分離をはかります。リンカーンはこれを認めず、南部が実力行使に打って出たことで、「南北戦争」が勃発したのです。


では、南部が綿花を供給したイギリスは当時どのような状態にあったのでしょうか? イギリスは、自国の不景気を解消するために1840年に清帝国に「アヘン戦争」を仕掛け、清帝国から香港島を奪い、「南京条約」を結んで、上海などの5港を開港させ、清帝国に一律5%の関税(関税自由権の喪失)、領事裁判権などを認めさせ、同時にインドへも進出していました。東インド会社がインドの主要な地域を次々と植民地としていったのです。つまり、アジアの大国は、ヨーロッパを中心とする自由貿易圏に組み入れられていったのです。


しかし「アヘン戦争」の勝利によって香港島を支配し、上海などの5港を開港させたものの、イギリスが期待したほどの商業利益は上がりませんでした。そこで再び戦争を起こしてでも「南京条約」を改定させるべきだという風潮が高まっていきます。この口実になったのが「アロー号事件」です。


1856年、広州でイギリス船籍の密輸船アロー号が清の役人に拿捕され、清人船員が海賊の容疑で逮捕されます。その際に清の役人がイギリスの国旗を引き摺り下ろしたことに対して、当時の広東領事ハリー・パークスは「イギリスに対する侮辱だ」と抗議します。これに対して清国の大臣は、国旗が掲げられていなかったことや船籍登録の期限が過ぎていたことを主張し、アロー号船員の逮捕は合法であったと主張。広州に反英運動が高まりました。


一方のイギリスはフランスのナポレオン3世に共同出兵を求め、フランスは広西省でフランス人宣教師が殺害されたことを口実に出兵したのです。


1857年、イギリス・フランス連合は広州を占領。その後、清国内で局地戦を戦い、やがて北京を占領。1860年、北京条約が締結されます。これによって清は、天津の開港、九竜半島の割譲を飲まざるを得なくなり、ロシアは和約に仲介したとして沿海州を譲り受けたのです。


そのロシアは当時、国内政治の不満を解消すべく南下政策を推進していました。つまり、清帝国さらには日本を植民地にしようと目論んでいたのです。こうして見てみると、当時の幕府にとってイギリスが最大の脅威で、次いでロシアということになりそうです。


では、ヨーロッパの大国イタリアとドイツはどういう状況であったのかといえば、イタリアはオーストリアから領土を奪回し、1860年にイタリア王国を成立。現在のドイツは、プロイセン王国時代。軍事力を蓄えつつ、オーストリアとつばぜりあいを繰り返していました。


こういった状況の中で、小栗上野介は日米修好通商条約の締結に関する国書を携えてはるか太平洋を越えてアメリカへ渡ったのです。


By Master K/益田 慶

2007年12月03日

ヨーロッパの財閥と企業グループ 28 欧州財閥の系譜 スウェーデン財閥 イタリア財閥

日本人にはなじみが薄いスウェーデンにも世界有数の資産家がいます。家具の小売業では世界ナンバーワンの売上を誇る「イケア」の総帥イングヴァー・カンブラッドです。


イケア(IKEA)は、スウェーデンの大手家具店でありながら、現在はオランダ南部の都市ライデンを本拠地とする財団法人スティヒティング・インカ・ファウンデーションがイケアグループ全体の親会社を所有する形になっています。圧倒的な売り場面積と低価格路線が受け入れられ、売上高は148億ユーロ(2005年8月末)。イングヴァー・カンブラッドの個人資産は3兆800億円といわれています。『フォーブス』2006年版の「世界長者番付」では、堂々の4位にランキングされています。ノルウェーを足がかりにして、スイス、フランス、ドイツ、デンマークほかヨーロッパのほぼ全域、アメリカやカナダにも店舗をオープン。流通や梱包、製造などのコストを徹底的に削減しながら、顧客のニーズに合わせた格安の組み立て式家具を販売し、その後ヨーロッパで絶大な人気を誇るようになりました。


中国やオーストラリアへも進出し、2006年現在、世界の33の国と地域に合計241店舗。そのうち23カ国、215店舗が直営店です。日本では千葉県と兵庫県に店舗がオープンしています。


親子二代でアパレルブランド「ヘネス&モーリッツ」(H&M)を成功させたジュテファン・パーソンもスウェーデンが誇る資産家の一人です。「最良の価格でファッションとクオリティを提供する」をコンセプトにアメリカでの成功に続き、さらなる国際的拡大を続け、2002年には34,000人以上の従業員を持ち、14ヵ国で800以上の店で衣服および化粧品を販売しています。広告宣伝で有名芸能人とタイアップしてブランドイメージアップを図るユニクロの戦略の手本はH&Mにあるとささやかれているほど。世界のアパレル業界GAPのライバルとして注目されていましたが、瞬く間に600店舗を展開。売上においては、GAPの一店舗あたりよりも30%(1億円)以上も高いとされています。日本にはまだ進出していませんが、注目しておきたい企業です。


一方、イタリアの財閥、企業グループは、日本にもなじみの深いものばかりです。シルビオ・ベルルスコーニはイタリアの前首相にして、サッカーリーグ「セリエA」のACミランのオーナーです。1986年、深刻な低迷期に陥っていたACミランを買収。以来ミランは、数多くのトロフィーを獲得。フォルツァ・イタリア党(中道右派)を設立したベルルスコーニは3期に渡りイタリア首相を歴任。その背後には、豊富な資金力と支配下のメディアの積極的な活用があったとされています。


ベルルスコーニはミラノ生まれ。父親は銀行員でした。ミラノ大学法学部卒。歌手、掃除機販売業を経て、建設業で成功。1978年、42歳という若さで地方民放テレビ局「テレミラノ」を開局。有線テレビ会社や新聞社も経営し、1988年には百貨店「スタンダ」会長に就任し、一代で建設・流通・メディアにわたる企業グループ「フィニンベスト」を築き上げました。特にメディア部門を統括する「メディア・セット」は、全国的な地上波放送を行う民放4局のうち、3局を所有。イタリアのメディアの70パーセントをコントロールするといわれているほどです。イタリアで「メディア王」といえば、ベルルスコーニを指します。個人資産は1兆2100億円。イタリア国内では文句なくナンバーワンです。実業家が首相になるイタリアには、ほかにもユニークな財閥や企業グループがあります。


By Master K/益田 慶

2007年12月3日 FX検定 きょうの問題 台湾総統選 台中問題

2007年12月3日 台湾総統選 台中問題

2008年3月は、台湾の総統選が控えている。北京オリンピックを前に東アジアの大きな問題、地政学的リスクが「台中問題」である。台湾の最大野党は国民党であるが、陳水扁総統率いる台湾の現政権与党は何党か。

正解 民進党 民主進歩党


台湾では、1996年から総統の選出方法として国民選挙を採用している。
台湾は民主国家の原則である民選選挙による国家元首の選択が為されている。

1990年代前半の李登輝総統時代に中華民国の民主化が本格化した。
外省人に対する本省人の政治的地位が向上したこともあり、台湾では自らを「中国人」ではなく「台湾人」と認識する「台湾人意識」が高まった。台湾人意識の高まりと「本土化」により、2000年の台湾総統選挙では「台湾人意識」を強調した陳水扁元台北市長(後に民主進歩党党首も兼務)が当選し台湾政治の本土化が進んだ。「本土化」とは、中華民国を台湾の政権と位置づける考え方である。

台湾独立を叫ぶ与党民進党に対し、中華人民共和国とのこれまでの関係を維持することを主張しているのが国民党、親民党(第3政党右派)である。中国統一か台湾独立かで国論の二分化がより深化しながらも台中の経済関係は親密度を高めており台湾国民がどのような選択をするかで台湾海峡の緊張が高まる可能性がある。

2008年は北京オリンピックの年でもあり、台湾民衆の中には中華人民共和国からの圧力は、国際世論を配慮すると限定的との見方もある。中華人民共和国では北京オリンピック後も上海万博、辛亥革命100周年などの行事が控えているため、中国共産党がどこまで強気の姿勢を見せてくるか注目である。

中国共産党は民進党の下野を望み、国民党との経済重視の対話路線を展開し台湾世論を反独立へと誘導しているといわれている。台湾総統選を前に中国政府は台湾に対しさまざまな圧力をかけてくる可能性がある。アメリカ共和党政権は一貫して台湾擁護の姿勢であるが、アメリカも2008年は大統領選を控えている。ブッシュ政権が終わり次期政権が民主党になるか、共和党になるかは、現在のところ不透明であるが、民主党が政権を獲った場合、特にヒラリー・クリントンが大統領になった場合、アメリカの対外政策は中国寄りにシフトするかもしれない。

台湾総統選の行方、韓国大統領選の行方、アメリカ大統領選の行方、この組み合わせがどのようになるかによって東アジア情勢の様相は変わってくる。中長期的視点から見たときこのような政治動向の理解はFX投資を行うに当たっては確認しておくべき点である。

2007年12月3日 (月) ユーロ圏失業率

08:50 (日) 第3四半期法人季節設備投資
09:30 (豪) 10月貿易収支
16:45 (仏) 10月生産者物価指数
17:15 (香港) 10月小売売上高-価格
17:30 (スイス) 11月SVME購買部協会景気指数
19:00 (ユーロ圏) 10月失業率
24:00 (米) 11月ISM製造業景況指数

5 江戸幕府の支配統制 江戸幕府の職制の特徴

江戸幕府は外交権、行政権、徴税権を握ったばかりでなく、司法・立法権も掌握した。天下統一を果たした徳川氏にはもはや合戦の必要はなくなり、次に目指すのは安定した政治である。それを実施するには組織がいる。徳川幕府は、家康から家光に至る三代の間にコンパクトで合理的な組織をつくりあげていった。以下に紹介する職務の要職には主に譜代・旗本がついた。多くが複数月番制・合議制であった。


最高司令官の「将軍」は、もちろん徳川家の男子が就任。会社でいえば「社長」だが、大御所となった家康などはさしずめ取締役会長か。非常時に置かれた最高職である「大老」は、堀田、酒井、土井、井伊各家から選ばれた。彼らはすべて10万石以上の譜代大名である。こちらは代表権を持つ副社長に該当するだろう。一般政務を統括する「老中」には譜代大名4~6名がつき、当初は年寄と呼ばれた。常置される最高職で、大番頭・大目付・町奉行・勘定奉行・遠国奉行などを支配した。


幕府の官僚機構を見ると、大名を監察するのが「老中」、それ以下の旗本・御家人を監察するのが「若年寄」、大名を監察する「大目付」、旗本・御家人を監察する「目付」、朝廷・西国を監察するために「京都所司代」という役職があてがわれていることから監察機構がしっかりしていることがわかる。


老中が支配した職務のうち「大番頭」は江戸城警備隊長。旗本から任命される軍事部門のトップで、江戸城と江戸市中の警備を担った。「大目付」は大名を監察する役目。さらに老中の下には行政・司法の担当者が並ぶ。「勘定奉行」は天領の財政・行政、関八州の公私領・関八州以外の幕領の司法を担当。天領の経理・財務担当者であり、徴税と司法を担当する「郡代」と「代官」を管理した。
「江戸町奉行」(町奉行)は、江戸の行政・司法・警察を担当。南町奉行と北町奉行が1ヶ月交替の月番制で、旗本より任命された。


地方にある幕府の直轄都市(京都、大坂、駿府、長崎など8つ)には京都町奉行、長崎奉行などの「遠国奉行」が置かれ、それ以外の幕府の領地には勘定奉行配下の郡代や代官が派遣された。ちなみに奉行の出世コースを時代劇「大岡越前」で有名な大岡忠相を例に挙げてみよう。


注目したいのは、ひとつの役職が多くの職務を兼ねていたことだ。江戸町奉行は三千石が支給されるほどの高級官僚で、幕府官僚機構でも上位の役人である。彼らが管理した北町・南町奉行所は、現在の東京都庁と警視庁と裁判所の役目も持っていたと予想される。百万都市・江戸の治安を守っていたのは、現代の警察業務に当たる町奉行所の同心だが、それほど大きくない組織が警察権と裁判権と行政権のほかに消防や防疫など立法権まで兼ね備えていたことは、このコラムのテーマである「小さな政府」ぶりを物語っている。


老中を補佐した「若年寄」も譜代大名から任命され、旗本や御家人を監察した。若年寄の下に置かれた「小姓組番頭」は将軍の雑用係、「書院番頭」は将軍護衛隊の隊長である。


老中や若年寄が管理した多くの職務のほかに、将軍直属の職務もある。寺社・寺社領の監察を務めた寺社奉行は、宗教行政機関である。一万石以上の大名が就任したことから、三奉行の中では旗本から任命される町奉行・勘定奉行より格式は上である。京都所司代・大坂城代も将軍直属で、前者は二条城にあって老中に次ぐ要職。「将軍の代理」というニュアンスであろう。朝廷や西国大名の監視を務めた。後者は大坂城にあって大坂在勤幕府諸役人を統制し、緊急時には将軍に代わって軍事決定権を発揮できた。出世コースとして、大坂城代から京都所司代を経て老中に昇進するのが通例である。


ちなみに奉行の出世コースを時代劇「大岡越前」で有名な大岡忠相を例に挙げてみよう。書院番→仮奉行→遠国奉行(伊勢奉行)→江戸町奉行→普請奉行→寺社奉行→大名。ただし町奉行から大名になったのは、江戸時代を通じて大岡忠相のみである。


By Master K/益田 慶

2007年12月04日

小栗上野介が駆け抜けた時代39 激変した世界地図の中の江戸時代 ヨーロッパによる世界制覇

振り返ってみれば日本が幕末と呼ばれた時代は、ヨーロッパによる世界制覇の時代とも呼べます。各地でヨーロッパ列強が覇権をかけた戦いを繰り返しました。


たとえば同盟国(イギリス、フランス、オスマン帝国)とロシアによる「クリミア戦争」(1853~1856年)、イギリスの支配下にあった北インドの軍事基地でインド人の傭兵が起こした「セポイの反乱」(1857年)、「アロー号事件」をきっかけにイギリスが清帝国を襲った「アロー戦争」(1857~1860年)、サルデーニャ王国がオーストリアと開戦して勝利した「イタリア統一戦争」(1859年)、プロイセン王国(北ドイツ)がオーストリアに圧勝した「普墺戦争」(1866年)。


一方、独立後のアメリカは、実力行使に出た南部軍に北部軍が対峙した「南北戦争」(1861~1865年)の時代を迎えます。

では、同じ時代の日本にカメラを移動しましょう。1853年、ペリーが黒船4隻を引き連れて浦賀へやってきて「開国しろ」と幕府に迫りました。幕僚は返事を先延ばしして、とりあえずペリーに帰国してもらいます。しかし、同じ年に今度はロシア大使プゥチャーチンが長崎を訪れ、ペリーと同じように開国を迫ったのです。ロシアの南下政策はついに極東の島国にまで及んできたわけです。


1854年にペリーが再来し、遂に「日米和親条約」を結んで開国します。これはロシアのプチャーチンに先を越されないための防衛策でもあったのでしょう。
「日米和親条約」には、アメリカを優遇するという項目が記されていました。つまり、他の国との条約の中に日米和親条約より有利な条項が入った場合は、自動的にアメリカにもその条項が適用されるというものです。


和親条約は、イギリス、ロシア、オランダとの間でも結ばれます。しかし、ロシアのプチャーチンと結んだ「日露和親条約」だけは他国と内容が異なるので注意してください。その後の日本の歴史に大きな影響を与えることになるのです。「北方の領土については、択捉(エトロフ)島より南が日本領、得撫(ウルップ)島より北をロシア領として、樺太については両国人の雑居の地」としたのです。ここに初めて北方領土に「国境」という概念が生まれたのです。


さて、1856年になると、ハリスがアメリカの初代総領事として来日し、下田に駐在します。彼の使命は、日本と通商条約を結ぶことでした。つまり、自由貿易を求めるものです。そして1858年、大老・井伊直弼が天皇の勅許を得ないまま、「日米修好通商条約」に調印します。これには1856年に起こった「アロー号事件」が大きな影響を与えていました。

イギリスがフランスと組んで清帝国を攻め入り、広東を軍事制圧したことを井伊直弼は耳にしていたのでしょう。そしてハリスが「アロー号事件」を例に挙げてイギリスとフランスの脅威を説き、アメリカと条約を結ぶほうが有利であると主張したのでしょう。これには「イギリスやフランスがひどい内容の不平等条約を押し付けてきた場合には、アメリカが阻止してあげよう」といった安保条約にも似た誘いが加味されていたのです。


井伊直弼はイギリスに攻撃されるより、アメリカと交易を始めるほうがリスクは少ないと考えたのでしょう。井伊直弼の独断が朝廷や攘夷主義者の大きな怒りを買い、のちに暗殺につながるわけです。


その後、幕府はオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じような条約を結びます。列強諸国との貿易には原則として役人はタッチせず、日本人商人と外国の民間商人との間で行われました。これが自由貿易です。


1859年の輸出総額は約89万ドル、輸入総額は約60万ドルに過ぎませんでしたが、取引額は数年の間に飛躍的に伸びていきます。1865年には輸出総額約1850万ドル、輸入総額約1515万ドルにもなりました。


By Master K/益田 慶

世界資源戦争 2 石油開発の歴史 石油ビジネスのはじまり

石油の利用自体は古い。紀元前4000年のメソポタミアで彫刻の素材として、また紀元前2500年のエジプトではミイラの防腐剤として天然アスファルトが利用されていたという記録がある。地下から湧く「燃える水」の存在は、古代から各地で知られていた。「日本書紀」には天智7年(668年)越の国(現在の新潟県)から「燃える水・燃える土が近江大津宮に献土された」とあり、おそらく石油のことであろうと推測される。17世紀からルーマニア産の石油が灯油用に用いられたとされている。しかし、大量生産はずっと後のことであった。


石油は19世紀半ば頃から「何か汚いけどよく燃える液体がある」という理由から明かりを取るための燃料として使われていた。それが本格的に商業ベースで生産され始めたのは19世紀の初頭のアメリカにおいてだ。つまり、石油開発の歴史はまだ200年しか経っていないのである。
産業革命までさかのぼれば、当時の最大の動力は石炭を燃料とする蒸気機関である。石炭で動く蒸気機関車がその最たる例だが、石油が発見され、利用されるようになると産業構造も一気に変化した。


石油を最初に巨大ビジネスに展開したのはかのロックフェラーである。機械掘りの油井の出現が、石油生産に革命をもたらしたのだ。エドウィン・ドレークが1859年8月にペンシルベニア州タイタスビルの近くのオイル・クリークで採掘を始めたのが世界最初とされているが、定かではない。歴史に残っているのは1863年、ジョン・D・ロックフェラーが二人の弟ともにオハイオ州クリーブランドで石油精製業に乗り出し、1870年にスタンダード石油を設立したことだ。


ロックフェラー兄弟は、次々と精油業者を口説いて談合シンジケートを設立。9年後には全米の石油の95%をスタンダード石油が握り、またたく間に財閥にのぼりつめる。独占企業のスタンダード石油に対し、世論の反発が起き、1890年に成立したシャーマン反トラスト法により、同社は解体するが、その頃のロックフェラー財閥の手練手管は、いずれこの連載で紹介していく。


ヨーロッパでいち早く石油の将来性に目をつけたのはパリのロスチャイルド家だった。すでに1860年代末より、アメリカ産の石油をフランスに輸入していた。まだ市場が小さく、競合が少ない状況にあって石油に着目したのは、ロスチャイルドの先見性だろう。ロスチャイルドは、アドリア海の港町フィウメ(現クロアチア)に石油精錬工場を建設。その後、次第に石油の需要が高まっていく。その背景には、石油を利用する内燃機の利用が盛んになっていったことがある。1876年にドイツのニコラウス・オットーがガソリンで動作する内燃機関(ガソリンエンジン)を発明。ダイムラーがそれを改良し、1885年にダイムラーによって特許が出される。同年、ドイツのカール・ベンツは、ダイムラーとは別にエンジンを改良。こうして自動車の本格利用が始まり、一方ではアメリカ軍・イギリス軍が第一次世界大戦において石油を燃料とした艦船を導入し、ドイツ海軍に大勝した。需要が伸びれば供給も求められる。石油ビジネスは一部の企業に莫大な利益をもたらしていく。


ヨーロッパでは1873年、スウェーデン発明家ノーベルの兄弟がカスピ海沿岸のバクー油田を開発し、大規模な製油所へ発展させた。1876年には世界初の石油パイプラインを完成し、1877年には世界初の石油タンカー「ゾロアスタ号」を完成。1878年、ノーベルも兄たちの事業に参加し、「ノーベル兄弟石油会社」が発足した。ノーベル兄弟は、ロシアの石油産業の生みの親になる。
同じ頃、パリ・ロスチャイルド家もロシアに目を転じていた。カスピ海西岸が油田地帯として知られていたが、バクーからの石油は「ノーベル兄弟石油会社」 がロシア市場へ運んでいた。
1880年代初頭、バクーと黒海とを結ぶ鉄道工事が始まった。事業主が資金不足に陥った時に資金提供を申し出たのがパリ・ロスチャイルド家である。そして石油採掘権を確保し、石油生産・販売会社を起業。こうしてロシアの石油開発も活性化した。

By Master K/益田 慶

2007年12月4日 (火)  加中銀政策金利発表

08:50 (日) 11月マネタリーベース
09:30 (豪) 10月住宅建設許可件数
09:30 (豪) 10月小売売上高
19:00 (ユーロ圏) 10月生産者物価指数
23:00 (加) 加中銀政策金利発表

2007年12月05日

小栗上野介が駆け抜けた時代 40 激変した世界地図の中の江戸時代 幕末の自由貿易

日本人商人と外国の民間商人との間で自由貿易が行われるようになった幕末。当時の日本の輸出品の第1位は生糸です。輸出品の8割を占めていたとのことです。これは生糸の産地であるフランスやイタリアが蚕の疫病にかかり、壊滅状態に陥っていたからなのです。輸出品の第2位はお茶です。


反対に輸入品のほとんどは綿織物や毛織物などの繊維品でした。その他の輸入品として武器、艦船があります。幕末に坂本龍馬が武器を輸入していたことは以前説明しましたが、これらの武器は薩摩や長州が官軍として、幕府軍と戦う際に威力を発揮します。


さて、幕末における最大の貿易相手国はどの国だったのでしょうか? じつは先に交易を開始したアメリカではなく、列強のイギリスだったのです。これにも当時の世界情勢が大きく影響しています。アメリカは南北戦争(1861年~1865年)の勃発によって貿易がおろそかになっていたのです。


交易の9割は、横浜港で行われていました。貿易の変化として重要なのは、圧倒的な輸出超過で始まった交易が、1866年に輸入超過に転じたことです。これは輸入品の税率が20%から5%に引き下げられたことが原因です。


日本が列強諸国と結んだ条約では、関税自主権がなく、諸外国との話し合いで税率を決めるシステムを取っていました。これを「協定関税制度」と呼びます。


幕府は1866年、兵庫の開港期限を延長するかわりに、関税率をさらに引き下げ、自由貿易をさまたげる諸制限を撤廃することなどを取り決めた改税約書に調印しました。そういう流れがあり、外国商品がどっと安く国内に流れ込み、急に輸入額が増加したのです。

その頃、アメリカは北軍が勝利し、南北戦争は終結。アメリカ合衆国の再統一が進みます。国内市場の拡大、西部開発、安い労働力の急増は、アメリカの工業を急成長させ、19世紀末にはイギリスを抜いて世界第一位の工業国になります。工業化を後押ししたのは鉄道です。1869年に大陸横断鉄道が完成し、合衆国の鉄道総距離は26・2キロに延びました。これによって西部の開拓が促進されます。大陸横断鉄道の完成は、それまでの遅くて危険な駅馬車の時代を終わらせ、鉄道が経済の大動脈として機能する時代の到来を告げました。


大陸横断鉄道の開通によって、東海岸と西海岸の間の移動は、それまで陸上であれば数ヶ月、パナマ経由の船でも数週間を要していたものが、1週間に短縮されました。さらに1876年に運行された大陸横断超特急は、二ューヨークを出発してからサンフランシスコに到着するまで83時間39分という記録を作りました。当時の日本は明治維新の直後、やっと廃刀令が施行された頃です。この状況を比較するだけで当時の国力の差は歴然といえるでしょう。

この鉄道の完成より前に、小栗上野介は江戸-横浜の鉄道の建議を幕府に提出しています。小栗は1860年に遣米使節団の監査として視察に参加した際に初めて鉄道を見たのでしょう。また、鉄道事業によって自国の経済が活性化することを理解していたのでしょう。しかし、小栗の先見性を見抜いた人物は江戸幕府にはいなかったようです。

アメリカの発展の過程で注目したいのが、大陸横断鉄道の建設労働者が、アイルランド人移民、南北戦争の退役軍人、モルモン教徒、中国人移民などが多かったことです。アメリカは100年以上前から外国人労働者の受け入れに寛大であったという見方もできます。当時、中国人移民はカリフォルニアの金鉱山やクリーニング業、調理師などに従していました。カリフォルニア中から中国移民がかき集められたという記録が残っています。


このように南北戦争を機にアメリカの経済構造は激変しました。一方、ヨーロッパでは衰えるオスマン帝国に列強が群がるようになります。東地中海、黒海周辺での列強の争いはヨーロッパ最大の国際問題へと発展していきます。


By Master K/益田 慶

2007年12月5日 (水) RBAキャッシュターゲット

07:30 (豪) RBAキャッシュターゲット
09:30 (豪) 第3四半期GDP
19:00 (ユーロ圏) 10月小売売上高
22:30 (米) 第3四半期非農業部門労働生産性・確報
22:30 (米) 第3四半期単位労働費用・確報
24:00 (米) 10月製造業受注指数
24:00 (米) 11月ISM非製造業景況指数

2007年12月06日

小栗上野介が駆け抜けた時代 41 激変した世界地図の中の江戸時代 ヨーロッパ列強

小栗上野介が生きた幕末は、世界地図が頻繁に塗り替えられた時代でした。当時、北アフリカ、中東から現在のトルコ一体に巨大な帝国がありました。王家オスマン家を君主としたオスマン帝国です。多民族帝国であったことで、民族運動が起こり、また産業革命に乗り遅れたことでヨーロッパ列強との経済力の差は歴然となっていました。


ヨーロッパ列強が競って紛争に介入した、オスマン帝国内の民族運動は「東方問題」と呼ばれました。その起点となったのが、ギリシア独立戦争(1821~29年)です。ロシア、イギリス、フランスの支援を受けてギリシアはオスマン帝国から独立しますが、その際にロシアは黒海とエーゲ海を結ぶ海峡の航行権を獲得しました。その後、フランスの援助を受けたエジプトが2回にわたってオスマン帝国からの自立を求めて戦いました。列強の利害は対立しましたが、結局イギリスの主導のもとに解決がはかられ、ロシアの地中海進出とフランスの影響下にあるエジプト独立の阻止がなされました。


ロシアはその後「クリミア戦争」を起こしますが、イギリスとフランスがオスマン帝国を援助したことで敗北し、ロシアの南下政策は完全に挫折します。一方のイギリスは植民地インドを土台に貿易で栄え、中国進出を目指します。これらの動向は「産業革命によって生み出された新しい経済システムがアジア世界を飲み込み始めた」とも解釈できるでしょう。当時の幕府にとって脅威なのは、貿易面では最も交易が深いものの、アジアの植民地化を進めるイギリスと、南下政策を推し進めるロシアだったのでしょう。


17世紀半ば以降、「鎖国」を続けてきた江戸幕府も、アメリカ合衆国使節ペリーの浦和来航をきっかけに大きく動揺します。幕末の国論は、ご存知のように「尊王・攘夷」と「開国」に二分されました。そして1854年、遂に215年ぶりの開国に踏み切りました。小栗上野介が遣米使節団としてアメリカ合衆国に赴いたのは、1860年のことです。上野介は造幣施設のほかにワシントンの造船所にも訪れています。「アメリカは鉄の国、日本は木の国」と感想をもらしたとされています。鉄があれば戦艦の製造に着手できます。逸早く産業革命に成功したヨーロッパの列強と、広大な領土を持つロシアとアメリカは、上野介にとってまさにすべてが「鉄の国」に見えたことでしょう。


島国の日本が攻められるとすれば、当時は当然のごとく軍艦によってでした。ここで上野介はロシア海軍とイギリス海軍の侵攻を恐れていたように思われます。「アメリカの支援がなければ、日本はいずれロシア海軍に支配されるのではないか」といった危機感があったのでしょう。そのアメリカは独立戦争で海外進出の余裕はありませんでした。


当時アメリカは、イギリスと共同で香港に艦隊基地を所有していました。対ロシア戦略と幕府海軍の育成を想定した場合、上野介が横浜周辺に海軍の基地が必要だと考えたのは当然のことでしょう。こうして上野介は帰国後、幕府に海軍増強を進言し、1866年に横須賀造船所が完成します。上野介には「大海軍構想」がありました。それは「戦艦は海外から購入すればよい」と主張した勝海舟とは反対のビジョン、すなわち自前の戦艦を製造することでした。歴史は興味深い事実を物語ります。1872年、横須賀造船所は明治政府海軍省の管轄になり、のちに軍艦を製造することになります。上野介の構想が見事に現実化したわけです。


その後、日本が1894年に「日清戦争」を仕掛け、清軍に勝利しますが、これによって日本は東アジアにおける中華秩序を崩壊させ、独自の勢力圏を形成し、同時に本格的な産業革命を進めるための資金を獲得したとも言えるのではないでしょうか。その後、列強の長引く不況によって「帝国主義」が誕生したことは歴史の教科書をひもとくまでもありません。


By Master K/益田 慶

FXライフ 17 ユーロの歴史と欧州の通貨  スイス

ユーロを導入していない欧州の大国といえば、スイスが挙げられる。通貨はご存知スイス・フラン(CHF)。「金よりも堅い」と呼ばれるほど世界で最も安定した通貨だ。それは国際社会におけるスイスの地位の高さを物語っている。


国内の物価は高いが、賃金水準も高く、国民の貯蓄高も高い。輸入関税率が低く、高級外車が比較的安く購入できるのも魅力のひとつだ。EU加盟の賛否を問う国民投票において、国民の過半数が反対票を投じたのは、すでに裕福な暮らしをしている国民がEU加盟にメリットを見出せなかったということだろう。スイスの主な産業は、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業、金融業(銀行、保険)。日本への輸入品の大半も高級時計、医薬品が占めるなど日本との共通点の多い「ハイテク立国」だ。


2007年3月に連邦経済省経済事務局(SECO)が発表した経済見通しによれば、2006年の実質GDPは前年を上回る2.7%であった。民間設備投資が6.9%増、個人消費が1.9%増と内需が好調だったことに加え、米国、ユーロ圏およびアジア向けの輸出が好調だったことから、純輸出も0.7%とプラスになり、成長に貢献した。2007年については、内需は引き続き堅調だが、輸出の伸びが鈍化することから06年ほどの成長は期待できず、2.0%と予想している。2003年~2004年は失業率が4%台を記録したが、その後の好調な経済を反映して2006年には3.3%まで下がった。そういった意味では、スイスは基礎体力にすぐれた国といえよう。


歴史をひもとけば、山岳地帯にあり、特別な産業のないスイスは17世紀頃から各国の戦争に傭兵を派遣し、外貨を稼いできた。その各国の通貨を両替する必要からスイスでは金融業が発達した。また、戦乱に揺れる欧州各国の王族や貴族、ロイチャイルド家のような金融資本家が資産の安全な預け先としてスイスを選んだことが、スイスで銀行が発展した源流である。


一般に「スイス銀行」と呼ばれる大手プライベートバンクがマネーロンダリングの中継地として使われることでも知られている。口座を開くのに「小国の国家予算に匹敵するくらいの資産が必要」とか「口座維持のため最低でも1000万円(為替相場による)以上の預金が必要である」など、まことしやかに言われることや、多くの国際機関の本部か置かれる特殊な国であることも、すべてスイスが永世中立国であることが大きく影響している。


他国から攻められる不安のない国に国際機関やプライベート銀行が集まるのは必然といえよう。しかしスイスは「国民皆兵」を国是としている重武装の国家で、正規軍は高度な装備を有している。徴兵制度により20~30歳の男子には兵役の義務がある。学校やビルに核シェルターが装備され、男性の大半が予備軍人であるため各家庭には自動小銃と銃弾が支給されるなど、民間防衛力があるから永世中立が維持できるのである。ちなみに地区単位で設置されている武器庫には、対戦車火器や追撃砲などが収められているという。日本人にはにわかに信じがたい光景である。


隣国の小国リヒテンシュタインもスイス・フランを通貨として使用している国だ。小豆島ほどの面積で、人口は約34,000人。非武装永世中立国を自称しているが、実質的にはスイスの保護国であり、スイスとの間にパスポートは必要なく、住民も旅行者も自由に行き来できる。


リヒテンシュタイン家が元首であることから、欧州では数少ない絶対君主制の国だ。外交と国防はスイスが代行している。起源をドイツ系貴族家に持ち、14世紀からはオーストリアの領主ハプスブルク家に仕え、自らも領土を保有した同家が国外に持つ所有地は国の何倍もの面積になるという。国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立しており、同家の資産総額は約30億ユーロ(約4800億円)とのこと。ドイツに本拠を持つ資産管理銀行リヒテンシュタイン銀行が、同家の財政を支えているといわれている。小国とはいうものの、現在ではスイス同様、精密機械産業や義歯、銀行・投資のビジネスが盛んな国で、これらの産業がリヒテンシュタインのGDPのほとんどを占めている。


By Master K/益田 慶

ヨーロッパの財閥と企業グループ 29 欧州財閥の系譜 イタリア財閥

前回に引き続き、イタリアの主な財閥と企業グループを紹介しましょう。日本でも著名なアパレルブランド「ベネトン」。創業者のベネトン一族は、妹が自宅でつくったセーターを兄が売に歩きまわったところからスタートし、世界120ヶ国、5000店舗の販売ネットワークを持つ売上高1兆円企業へと成長しました。イタリア国内では資産高2番目をキープする一族です。


創業者のルチアーノ・ベネトン前会長は現役を退いたものの、創業者一族は大きな影響力を持っているといわれています。1989年にはニューヨークの株式市場に上場し、イタリアのスキーブーツメーカー「ノルディカ」株の7割を購入。ですから正式にいえば、日本でなじみのあるスキーギアで名高いノルディカはすでにイタリアのメーカーということです。90年には、モスクワに最初のベネトンショップをオープン。またアメリカのインラインスケートメーカー「ローラーブレード」、アメリカのテニスラケットメーカー「プリンス」を買収。91年にはオーストリアのスキーメーカー「ケスレー」を買収し、原料を自前で供給するためにパタゴニアに大牧場を購入しました。


なお、この年、F1ではミハエル・シューマッハがベネトン・チームに移籍しています。ちなみに94年、シューマッハはドライバーズ・チャンピオンのタイトルを獲得しています。92年には、ルチアーノ・ベネトンが国会上院議員に選出され、翌年にはベネトンの店舗数は世界で8000店を突破しています。さらに、アウトドア用靴メーカー「アゾロ」、スノーボード・サングラスメーカー「キラーループ」を買収し、ベネトン・スポーツ・システム社を創立。1996年、ローラーブレード社の株式一部を、ニューヨーク・ロンドンの株式市場に上場。1999年には、アメリカの大手小売店シアーズ百貨店をパートナーとし「ベネトンUSA」コーナーをシアーズ450店に1800ヶ所設置しました。ファッション大国のイタリアですが、ベネトン一族は他の追随を許さない規模に成長しました。イタリア・ブランドといえば、「アルマーニ」のジョルジョ・アルマーニや、「プラダ」のミウッチャ・プラダ一族が名高いですが、売上げだけ見てみると、ベネトンは「アルマーニ」の約2倍、「プラダ」の約3倍です。世界に企業グループを築いてきたことでシナジー効果が表われているようです。


伝統的に工業デザインの開発に長けたイタリアには、世界シェアの7割を誇るアイテムがあります。高級メガネです。世界の高級メガネ市場のほとんどをイタリアの眼鏡メーカーが支配しているのです。イタリア眼鏡産業の特徴は、高付加価値製品を大量に世界中に輸出しているということです。
中でも「ルクソッティカ」はイタリアを代表する世界的なメーカーです。レオナルド・ベルベッキオ会長は、世界の長者番付のトップ50にランクインする億万長者。同社は高級ブランドから注文を受け、ライセンス生産で成功しました。具体的には、ブルガリ、シャネル、ウンガロ、エンポリオ・アルマーニ、ジョルジォ・アルマーニ、モスキーノ、フェラガモなど、13の高級ブランドのライセンスを保有。また独自ブランドを全世界向けに販売。2001年には眼鏡の大手チェーン店「レンズクラフター」に続き、「サングラス・ハット」をグループ傘下におさめ、全米に2500店舗以上を有しています。ブランド戦略だけでなく、小売り流通の整備にも着手し、日本にはないビジネスモデルを構築してきたというわけです。


高級チョコレートで著名な菓子メーカーの「フェレーロ」を経営するミケーレ・フェレーロ一族もイタリアの資産家のひとつ。フェレーロは世界で5本の指に入る菓子メーカー。看板商品のチェコレート「ロシェ」はトリフのような形で、まわりにへーゼルナッツがちりばめられた逸品。世界中で販売されている人気商品です。チョコレートペーストをパンに塗って食べる「ヌテラ」は、日本にも輸出されている人気商品。世界にはお菓子で億万長者になった一族もいるのです。


By Master K/益田 慶

2007年12月6日 (木) 欧州中銀金融政策発表

05:00 (NZ) RBNZオフィシャル・キャッシュレート
08:50 (日) 12/1までの対外及び対内証券売買契約等の状況
14:00 (日) 10月景気動向調査・速報
15:45 (スイス) 11月失業率
18:30 (英) 10月鉱工業生産
18:30 (英) 10月製造業生産高
20:00 (独) 10月製造業受注
21:00 (英) BOE政策金利発表
21:45 (ユーロ圏) 欧州中銀金融政策発表
未 定 (南ア) SARB政策金利発表
22:30 (米) 12/2までの週の新規失業保険申請件数
22:30 (加) 10月住宅建設許可
24:00 (加) 11月Ivey購買部協会指数

2007年12月7日 FX検定 きょうの問題 ベネズエラ国民投票 大統領選再選制限撤廃案否決

2007年12月2日 ベネズエラで憲法改正を問う国民投票が実施された。
投票の結果、大統領の再選制限撤廃などを盛り込んだ憲法改正法案は否決さ
れた。現ベネズエラ大統領は誰か。


正解 チャベス大統領


投票の結果は、賛成49%、反対51%で否決された。
選管によると、総投票数は、900万2439票で棄権率は44.11%であった。
有効投票数は888万3746票で、無効投票が11万8693票だった。

改正法案は69条あり、大統領の再選制限の撤廃のほか、労働時間の短縮、中央銀行を大統領管轄下に置くといったものだった。事前の世論調査や出口調査などでは、賛成が優勢だった。

結果は僅差で否決されたが、チャベス大統領は当初この結果を受け入れなかったが、軍部の説得により受諾した。

「21世紀の社会主義」建設を掲げて「終身大統領」をもくろんだチャベス氏だったが、独裁体制を危惧した反対派がかろうじて勝利した。

チャベス政権は、反米左派民族主義を掲げた政権である。ベネズエラは原油生産量世界第5位の産油国である。かつて石油メジャーが支配していた産油設備を国権で国有化し、貧困層への再分配を図ることで国民の支持を受けてきたチャベス大統領であるが、再選制限撤廃など長期独裁体制を築こうとするチャベス氏に対し、富裕層を中心とした民主勢力に待ったをかけられた。

ベネズエラは反米政権でありながら、外貨獲得の最大資源である原油の65%はアメリカ向け輸出である。チャベス政権は中南米の左翼政権、キューバ、ボリビアなどと連携して反米グループを形成してきた。

1999年に大統領に就任したチャベスは独裁色を強めながら、現在では立法、司法、行政すべてを自派で占めている。この事実上の独裁政権は反米主義、反新自由主義、反グローバリズムを訴えて次第に国内の他の政治勢力やマスメディアへの締め付けを行い始めている。

チャベスが政権を取ってから徐々に独裁色を強めているが今回の憲法改正に関する国民投票はその一環である。これまでにも大統領の任期が5年から6年に延長されたり、大統領自身が行政府の長として内閣を統率するようになった。 議会は、新憲法になって両院制から一院制に変わった。今回の選挙は3選を禁ずる憲法を改正しようとするものであった。

親米国からは非難が多いチャベス政権も内政という観点からは見え方が違う。
内政では保健と教育を最重要視する政策をとっている。低所得層が住む地区での無料診療所の開設、学校の建設、非識字者や学校中退者のための補習プログラムなどがその例である。貧困層重視の政策は、強引な政治手法とあいまって、富裕層、中産階級、以前の有力政党と結ぶ労働組合から強い反発を受けた。不足する医師はキューバから支援を受け、見返りに石油を提供している。

2002年4月にはチャベスのやり方に反発する富裕層や軍部が、CIAの協力の下にクーデターを起こしてチャベス大統領を逮捕し、代わりの政権を樹立したが、大衆の大規模デモと軍内部の反乱によって失敗した。

2002年12月から2003年2月にかけては石油産業でチャベス辞任を求めるストライキが起こり、ベネズエラ経済は大打撃を受けた。このときベネズエラ石油公社のゼネストにより原油供給が止まり、アメリカの原油価格が高騰した。

ベネズエラの政情不安は原油供給元として常に波乱要因である。

2007年12月07日

小栗上野介が駆け抜けた時代 42 激変した世界地図の中の江戸時代 産業革命

小栗上野介が遣米使節団としてアメリカ合衆国に渡った1860年当時、世界の工業生産順位は、1位イギリス、2位フランス、3位アメリカ、4位ドイツの順でした。アメリカ以外は逸早く産業革命に成功したヨーロッパの列強ばかりです。

やがてこの順位は、1870年代に1位イギリス、2位アメリカ、3位フランス、4位ドイツへと変化し、世界が大不況に包まれる1873~96年には、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、1900年にはアメリカ、ドイツ、イギリス、フランスへと移っていきます。日本では明治維新直後の政府が不安定な時期に、列強は狂ったように植民地の獲得に乗り出し、「世界の分割」を完成させます。


たとえばアフリカ。1880年代~1900年代頃までにエチオピア、リベリアを除くすべてのアフリカが分割されました。アフリカ分割の中心は、1875年にエジプトからスエズ運河の管理権を獲得したイギリスと、アルジェリアからサハラ砂漠を横切り、東岸に至ろうとするフランスでした。イギリスとフランスは長い間、植民地抗争を続けてきました。「七年戦争」(1756~63年)に敗れて北アメリカの植民地をイギリスに譲り、続いてインドにおける主導権も失ったフランスは当時未開の地であったアフリカを目指したということです。

一方のアメリカ合衆国は、南米との中間に位置し、大西洋と太平洋の中継海域の「カリブ海」の支配が重要であったため攻勢をかけていきます。


では、幕末から明治維新の頃のアジア諸国はどのようになっていたのでしょうか? 日米和親条約を結んだ1854年以降、幕府はイギリス、ロシア、オランダと間で和親条約を締結しましたが、清国との「日清修好条規」、李朝(朝鮮)との「日朝修好条規」が結ばれたのは、明治になってからのことでした。


現在の中国やモンゴル、チベットなどは、統一王朝の清が支配していました。長い歴史をもつ中国は早くに文明が開化し、清帝国の全盛期にはモンゴルの諸部族を併合し、朝鮮、琉球、マカオ、ベトナムなどが清帝国に忠誠心を示してきました。イギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパの列強より強国でした。

鎖国を続けた江戸幕府との外交はありませんでしたが、中国商船の長崎貿易は許されていました。しかし、19世紀に入ると、逸早く産業革命に成功したヨーロッパ諸国との力関係が逆転していくのです。


清帝国は1636年に建国され、1912年まで続いた大国です。18世紀末にイギリス商人がヨーロッパの対中国貿易戦争に勝利し、開港地・広州で茶貿易を推進したことを起点にイギリスと清の長く続く関係が生まれます。イギリスはその後、アヘン戦争を仕掛け、清を半植民地化していきます。清はイギリス人と交流することで、ヨーロッパの軍事技術、生産システムなど積極的に導入し、支配体制の再建をはかりました。しかし、それは儒教官僚による統治や伝統的社会を温存して西洋の技術だけを取り入れるもので、表面的な改革であったといえるでしょう。日本が開国に踏み切った背景には、幕府の弱体化だけでなく、清帝国を反面教師にしたという見方もできるでしょう。つまり、「中途半端な改革では近代化は成功しない」「清はイギリスの植民地のままで進んでしまう」という戒めがあったということです。


一方、江戸幕府が現在の韓国と北朝鮮にあたる李朝を脅威に感じていなかった理由のひとつは経済力の低さです。朝鮮王朝のイデオロギーである儒教主義では、商人は極めて卑しい者とされていたため、李朝は経済政策が進んでおらず、貨幣経済自体は自力では成り立っていませんでした。王朝は幾度となく貨幣制度の導入を行ったものの、貨幣の材料である銅を日本に依存し、流通量は極めて少なかったようです。また、豊臣秀吉の朝鮮出兵や清の攻略で国内の産業基盤はズタズタにされていたので、近代化どころの話ではなかったようです。


By Master K/益田 慶

2007年12月7日 (金) 米雇用統計

08:50 (日) 第3四半期GDP・二次速報
16:45 (仏) 10月貿易収支
16:45 (仏) 10月財政収支
20:00 (独) 10月鉱工業生産
21:00 (加) 11月失業率
21:00 (加) 11月雇用ネット変化
22:30 (米) 11月失業率
22:30 (米) 11月非農業部門雇用者数
24:00 (米) 12月ミシガン大消費者信頼感指数・速報値
29:00 (米) 10月消費者信用残高

FXライフ 18 ユーロの歴史と欧州の通貨 バルト三国

バルト海沿岸に位置するバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は欧州連合に加盟しているものの、各国ともユーロ導入には至っていない。歴史をふりかえると三国ともロシア帝国に支配され、ロシア革命ののち独立を果たしたものの、ソビエト連邦に併合された過去を持っている。古くから北欧諸国やドイツとのつながりが強く、経済開放後の北欧州資本の進出は目覚しい。それでは、今週と来週にわたって三国の通貨と産業の特徴、経済状況を紹介しよう。


バルト海のほぼ中心に位置するエストニアは、周囲をフィンランド、スウェーデン、ラトヴィア、ロシアに囲まれている。広さはデンマークよりやや大きく、日本の九州とほぼ同じ広さだ。通貨は1992年6月に導入されたクローン(EEK)。歴史的にドイツマルクとペッグ制で貨幣価値を保証してきたが、現在ではユーロとペッグ制を行っている。15.64クローン=1ユーロの固定相場制だ。


エストニアの歴史は、他国による占領と独立の歴史である。13世紀以来、デンマーク、ドイツの騎士団、スウェーデンといった外国勢力に支配されてきた。18世紀には「南下政策」を推進するロシア帝国に占領された。1917年にロシア革命が勃発すると、エストニアは独立を宣言。しかし1940年にソ連に、1941から1944年までナチス・ドイツに占領される。第二次世界大戦末期にソ連軍が再占領し、戦後はソ連に再併合され、15の共和国のひとつとなった。1988年には独立を目的とするエストニア人民戦線が設立。「ベルリンの壁」崩壊に象徴される東欧民主化の波はバルト三国にも及び、1990年に独立回復宣言を発表、翌年、ソ連が独立回復を承認し、国連に加盟した。


1994年のロシア軍撤退後は西欧諸国との関係を強め、2004年には欧州連合に加盟した。フィンランドから高速船で1時間半という立地からフィンランドとの関係が強い。バルト三国の中では最も経済状況が良く、特にIT産業が堅調である。これは「e-政府政策」によってネット・バンキングの普及が著しいことにも表われている。「ムーディーズ」や「スタンド・アド・プア」などの国際信用格付けは「A」を確保。しかし、一方で「外国企業依存型経済体質」と指摘されるように、北欧系資本の投資が盛んで、流通、金融・保険分野では外国資本が市場を占有している。


これは外国投資奨励政策の一環として、関税引き下げ・免除を実施(EU加盟に伴い一部関税を引き上げ)したことによる。それほど経済自由度指標が高いということは、政府による経済統制がほとんどなされていないことを物語っている。まるでアダム・スミスが『国富論』で述べた「自由競争によって『見えざる手』が働き、最大の繁栄がもたらされる」という言葉を実践するかのような経済政策である。


経済成長率は2000年7.9%、2001年6.5%、2002年7.2%、2003年6.7%、2004年7.8%、2005年9.8%と順調な推移だ。失業率は10%(2005年度)を記録しているが、建設業界を中心に労働力不足を懸念する声があるという。物価上昇率は、2005年は石油価格高騰や不動産価格上昇の煽りを受けて6.2%となった。

 
ロシアに大きく依存していた貿易は、1995年のEUとの自由貿易協定発効後はEUの占める割合が50%以上となり、2005年には、輸出の約80%、輸入の約70%をEU諸国が占めている。最大貿易相手国は、輸出でフィンランド、スウェーデン、ラトビア、輸入でフィンランド、ロシア、ドイツとなっている。さて、肝心のユーロ加盟だが、2004年に欧州通貨制度の為替相場メカニズム(ERM II)に参加し、2007年1月からのユーロ導入を目標に政策運営を行ってきたが、2006年4月、政府は石油価格の影響でインフレ基準の達成が困難となったことから、導入を見送った。現在早期のユーロ導入を目指している。


By Master K/益田 慶

2007年12月08日

小栗上野介が駆け抜けた時代 43 激変した世界地図の中の江戸時代 朝鮮半島

現在の韓国と北朝鮮にあたる李朝の交易は、江戸時代には清帝国に貢ぐような貿易のほか、対馬を介した日本との交易、琉球との交易が中心でした。日本からの輸入品は銅、銀などで、日本への輸出は、塩、生糸、絹織物などでした。対馬との貿易のピークは18世紀中頃。金額ベースで日清、日蘭貿易をしのいでいたとされています。しかし、日本銀の生産量が激減すると、江戸幕府は中国への銀輸出を規制するようになり、続いて李朝への銀輸出禁止令が発布されました。


この金銀についてですが、日本国内では、当時大きな経済問題が進行していました。江戸幕府後期に発生した、日本と外国の金銀比価の違いによる金の流失です。金と銀の交換率は、外国では1対15であったのに対し、日本では1対5でした。外国では金を1グラム買うのに銀を15グラム支払わねばいけませんが、日本では銀を5グラム支払えば金を1グラム手に入れることができたということです。


だから日本が開国し、貿易を開始するやいなや、外国の商人たちは銀を日本に持ち込んで金を買い、外国でそれを銀にかえ、その銀でまた日本の金を買うという繰り返しで巨利を得ていました。幕府がこのことに気づいて貨幣を改鋳した時には、すでに国内から10万両以上の金が流出してしまったあとだったといわれています。幕府は金銀の為替には特に敏感になっていたというわけです。


小栗上野介が1860年に挑んだ、アメリカの金貨と日本の小判の含有量を調べ、それによって交換比率を決めた「史上初の為替レート交渉」には、こういった台所事情も含まれていたのです。じつはアメリカの金貨には銀はほとんど含まれていませんでしたが、日本の小判には相当量の銀が含まれていました。だから、日米の金貨の交換比率は、銀の含有量を含めて評価し、決定することになったのです。


再びアジアに目を向けましょう。アジア諸国との貿易経験のある李朝でしたが、一方で進出してくるヨーロッパの列強に対しては、強固な鎖国政策をとってきました。キリスト教と西欧文化を弾圧する党派が主流になるわけですが、これがのちに朝鮮朝廷の混乱の原因になっていきます。やがて江戸幕府と同じように開国派が主流になっていきます。


1868年に明治政府が成立した際に独立維持の鍵となったのが、じつは朝鮮半島でした。清が李朝やベトナム、琉球などの国を保護国化し、アジアで大きな影響力を発揮しようと改革を進めていた頃、ロシアの南下と朝鮮半島の支配を強化しようとする清を牽制するために日本は1875年、開国を求めて江華島(こうかとう)へ浸入しました。翌1876年、鎖国状態にあった李朝と強引に「日朝修好条規」を結びます。これは李朝を清の属国でなく、独立国として認め、李朝と自由貿易を行うために結ばれた条約です。以降、李朝はアメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、フランスとも同様の条約を締結することにより、列強に開国することになります。


「日朝修好条規」は、自由貿易とはいえ、明らかに不平等条約でした。李朝の港で日本人が起こした犯罪は日本に領事裁判権があるとされたほか、開港場における日本貨幣の使用を認めることが条件になっていました。それより早い1871年に結んだ「日清修好条規」は対等なものでしたから、明治政府はまず朝鮮半島に一定の影響力を持とうとしたのでしょう。李朝では、日本にならって主権国家を目指す勢力と、王朝体制を維持しようとする勢力が対立を深めていきます。と同時に、日本と清との対立も深まっていきます。

こうして「アヘン戦争」や「アロー号事件」などイギリスを中心とした列強の中国侵略に、やがてロシアや日本が加わることになります。


By Master K/益田 慶

FXライフ 19 ユーロの歴史と欧州の通貨 ラトビアとリトアニア

バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)のうちラトビアとリトアニアの通貨と経済状況を紹介しよう。
ソ連崩壊後、バルト三国の中で各種インフラ整備が最も遅れたのがラトビアである。ソ連時代には重工業が盛んであったが、独立時に工業拠点が破棄され、産業が継承できなかったのだ。ラトビアの通貨はラット(LAT)。2004年、EUに加盟した。主要産業は、木材加工、金属加工、繊維などで、ほぼ全てのエネルギー源をロシアに依存している。


国際競争力に乏しいラトビアは近年、外国企業の誘致を進めてきた。現在リーガ、ヴェンツピルス、リエパヤの3港を自由貿易港に指定し、外国企業を誘致して中継貿易を推進している。不動産、金融、製造業などへの外国からの直接投資が実を結び、首都リーガには外資系ホテルが参入し、観光業が活性化している。


2005年のGDPが10.2%と高い成長率を示したのは海外の直接投資の効果だろう。しかし首都に投資が集中したことで地方との格差が著しくなっているのも事実だ。通過貨物は、石油及び石油関連製品が半分以上を占め、CIS諸国と西欧諸国を結ぶ経路が主なルートとなっている。貿易相手国はEU諸国が主流だ。日本の対ラトビア輸出の主要品目は、自動車、フォークリフトトラック、モーターサイクルなどで、日本との貿易額は伸びている。2005年4月、ユーロ参加への最終段階(ERM2)に入り、2010年をめどにユーロ導入を目指している。


バルト三国の中で最も大きな国がリトアニアだ。通貨はリスタ(LTL)。2002年よりユーロとの固定相場制が導入され、1ユーロ=3.4528リタスとなっている。2005年度のGDPは7.3%を記録し、ラトビア同様、高い成長率をキープしている。西欧諸国との貿易を拡大したことが大きな要因で、国有企業の大規模な民営化が進められてきた。同国も2010年をめどにユーロ導入を目指している。


リトアニアはエストニア、ラトビアと異なり、石油が採掘されている。主要産業は石油精製業、電力産業で、原油や鉱物燃料を主にスイスやドイツ、ロシアへ輸出している。ソ連崩壊後、リトアニア国営となったマゼイキウ・ナフタ社はバルト三国でただ一つの精油所やパイプライン網を所有し、年間1000万トンの石油を精製、販売額はリトアニアのGDPの10%に達していた。


しかし、2006年、ポーランドの石油会社オルレンが、リトアニア最大の石油会社マゼイキウ・ナフタの株式53.7%を、倒産したロシア・ユコス社の清算会社から買収する契約に調印。総額は約15億ドル。オルレン社は、リトアニア政府が所有する株式30.7%も、約8億5,000万ドルで取得した。ロシア政府は、脱税等で倒産したユコス社の資産扱いについてオルレン側と争っていたが、最終的に売却に合意した。リトアニア政府も歓迎の声明を発表したという。


この株式売買には伏線があった。2002年にロシアの新興財閥ミハイル・ホドロスキー率いるユコス社がリトアニア国営マゼイキウ・ナフタ社の株式取得を進めた。しかし、2003年にユコスの巨額脱税が摘発され、ホドロスキーが逮捕。2006年には、追徴税支払いによる負債からユコスは破産、解体に至った。そこでマゼイキウ・ナフタ社も売却の対象となり、ロシア、カザフスタン、ポーランドの企業が名乗りをあげていたのである。


当初はロシアの企業が有力な候補であったが、ロシア側にマゼイキウ・ナフタ社の企業価値を下げる意図があったので、リトアニア政府はロシアを敬遠し、ポーランドの石油会社オルレンへの売却が決定した。しかし、その直後、ロシアからの送油停止が始まったことから政治問題に発展しつつあった。その後、精油所で大規模な火災が発生。パイプラインが使えなくなり、年間原油精製量は前年から大きく下回った。


ともあれ、バルト三国はロシアの支配から脱却し、ヨーロッパに接近している。経済成長率も順調なので、おそらくユーロ導入はスムーズに行われるであろう。


By Master K/益田 慶

2007年12月10日

小栗上野介が駆け抜けた時代 44 激変した世界地図の中の江戸時代 シュリーマン

トロイア遺跡の発掘で知られるハインリッヒ・シュリーマンは、その発掘に先立つ6年前、世界旅行の途中、中国に立ち寄り、つづいて幕末の日本を訪れました。その見聞録が『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)です。

シュリーマンが清国と日本を訪れたのは1965年。小栗上野介が勘定奉行勝手方になり、横須賀製鉄所の竣工式で鍬入れを行った年です。幕末の大きな事件を挙げれば、長州再征の勅許が下された年です。


シュリーマンは清国政府が税務業務に外国人を登用している様子を見て、次のように記しています。
「清国と英仏間に締結された条約の結果、賠償金を支払い終えるまで、外国人官吏を登用せざるを得なかったが、そうするとほどなく税収が大幅に増え、それまでの自国役人の腐敗堕落が明らかになった。それで清国政府は彼らを罷免し、代わりにシナ語を話せる外国人を雇うようになったのである」


清国と英仏間に締結された条約とは、1860年に結ばれた「北京条約」のことです。天津など11港が開港し、外国公使の北京在住などが認められました。そしてイギリスは香港島の対岸の九龍(クーロン)半島南部を植民地として手に入れたのです。

シュリーマンの旅行記で興味深いのは、北京で流通している貨幣を彼がこのように表現していることです。

「清国の唯一の貨幣は、三分の一が亜鉛で三分の二が鉛でできているのだが、この硬貨は大きいうえに重くて、ひどく汚れている。多額の取引の支払いは、すべて港で、メキシコ・ピアストルを使ってなされる。ただし国内ではメキシコ・ピアストルは通用しないから、銭を使う場合、高額すぎる支払いは延棒やさまざまな大きさの銀で行われる」


メキシコ・ピアストルとは、メキシコ・ドルのことです。このメキシコ・ドル1枚は日本での交換を2回行い、再び欧米に持っていくと3倍の価値になったのです。


●1メキシコ・ドル→(港の運上所にて交換)→ 一分銀三枚→(市中の両替店で両替)→金貨3/4両→(海外で金と銀にして交換)→3メキシコ・ドル


そしてシュリーマンは幕末の江戸を訪れ、「幕府はメキシコ・ピアストル以外の外国貨幣を認めない。しかもこの貨幣すら1ピアストルが天保一分銀2.2個から2.5個という法外な兌換率で、しかも横浜、長崎、函館でしか兌換できない」とぼやいています。さらに続けて意味深いことを語っています。


「(幕府は)外国との交易がいっそうやりにくくなるように、そしておそらくはそれ以上の悪い意図もあって、幕府は日本にいる全外交官、公使館、領事館の館員すべてと湾内の軍艦の乗り組員全員に対して1ピアストルを一分銀三個で一定額、交換することを許可している。(中略)この差額は通商の不利益をも顧みず、莫大な利益を、これら高官に与えている」

シュリーマンは、この不思議な両替をいくぶんかの怒りを持って記しています。幕府はわざわざ不利益になることをどうして行っているのか、といった口調です。そして外交官や船員が莫大な利益を得ていることは、シュリーマンでなくても不思議に思えるでしょう。


幕府は金貨の流出を阻止するために改鋳を行ってきましたが、場当たり的な政策がインフレを進行させ、俸給生活者である武士階級が経済的に困窮し、結果として幕府崩壊の原因のひとつになったのです。

それでは領事として日本に住んでいた大使は、そうとう高額な利益を手にしていたことでしょう。では、アメリカ合衆国の初代駐日公使であるハリスの1年間の収支を見てみましょう。
●収入 年俸5000ドル、小判の利殖で2500ドル、外国為替相場の利殖で2500ドル
●支出 1500ドル
●収支 8500ドル
8500ドルは当時のアメリカ都市部在住サラリーマンの年収約700ドルと比べると、約12年分となります。つまり、ハリスは1年間で12年分の収入を得ていたということです。


By Master K/益田 慶

ヨーロッパの財閥と企業グループ 30 欧州財閥の系譜 イタリア財閥・フィアット

イタリアの財閥、企業グループを紹介する際に、イタリア最大の企業グループである名門フィアット・グループを忘れてはいけないでしょう。フィアット・グループ全体の売上高は「イタリアのGDPのほぼ5%を占める」と呼ばれています。しかし、2003年に創業者一族のジョバンニ・アニエリ2世名誉会長が死去し、2004年にはジョバンニ・アニエリ2世の実弟でフィアット社の会長に就任して間もないウンベルト・アニエリが他界し、一族は世代交代を余儀なくされました。


故アリエリ会長は、アニエリ財閥の創業者ジョバンニ氏の孫。1966年から1996年まで30年間にわたって会長を務め、同社を実質上支配し、1969年には高級車メーカーのランチア、1986年にはアルファ・ロメオ、1988年には高級スポーツカーメーカーのフェラーリ、1998年にはマセラティの買収などを指揮してきました。また、ロスチャイルド・グループが経営する「地中海クラブ」の重役をはじめ、新聞社やテレビ局、出版社などの経営者も務めました。


実はアニエリ財閥は単なる大富豪ではなく、フランス王室ブルボン・デル・モンテ家を通じてドイツ王室ランドグレーヴ家、イギリス王室ウィンザー家などヨーロッパ王室やロスチャイルド財閥とも親戚関係にある家系なのです。毛並みの良さはイタリア屈指といえるでしょう。


フィアット・グループは、1899年にジョバンニ・アニエリ1世がイタリアのトリノに設立。大衆向け自動車の製造で成功すると、第一次世界大戦時には機械、造船、航空機、兵器分野にも進出し、第二次世界大戦では兵器メーカーとして飛躍しました。イタリア最大の自動車メーカーに成長したのち、建築、農業へと多角化を進めました。アニエリ財閥は、セリエA「ユベントス」のオーナーとしても著名です。余談ですが、フィアット・グループから資金面の支援を受けているユベントスの選手は、フィアット社の車に乗っている(乗らざるを得ない)というのは紛れもない事実です。


フィアット・グループは、1990年代に入ると経営が急速に悪化し、工場閉鎖や人員削減を強行しました。多角化路線の失敗と、グループの基幹事業である自動車部門の不振が影響したのです。再建銀行団を中心に、不採算の自動車部門の売却が検討され、航空・鉄道部門を売却、さらにフィアットの株式の20%を米国ゼネラルモータース社に売却。本業の自動車部門も2000年からゼネラルモータース社と資本提携していましたが、2005年に提携を解消。傘下のフェラーリ社については、その株式の34%を投資銀行メディオバンカに売却しました。


長く続く苦境から脱するためにフィアット・グループは、エネルギー、出版、携帯電話、金融など非自動車部門の拡大を図り、2001年にはイタリア最大の民間電力会社モンテジソンを買収しました。
ジョバンニとウンベルト兄弟の死後、フィアット社副会長のポストには、死去したジョバンニ・アニエリ名誉会長の孫にあたるジョン・エルカーンが当時28歳という若さで就任。その弟のラボ・エルカーンがブランド・マーケティング担当部長に就任。また、ウンベルトの息子アンドレアも同じく28歳で取締役に加わりました。「フィアット帝国」は、やはりジョバンニ一族が支配し続けるという図式なのかもしれません。


さて、メイン事業のフィアットオートですが、2005年には単月黒字計上に転換し、2006年上期の販売台数は2001年以来5年ぶりに100万台を超え、フィアット・グループの総売り上げは前年同期比14.7%増となりました。積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活、中国、ロシア、インドなどの新興市場国を中心に提携を強化したことが功を奏したようです。


By Master K/益田 慶

2007年12月10日  FX検定 きょうの問題 ロシア大統領選挙 2008年3月2日 

2007年3月2日 ロシア大統領選挙

ロシア大統領選日程が決定した。
大統領選出馬の受付は12月開始、立候補の期限は12月25日まで。
2008年2月2日から10日までに立候補者が選挙綱領を発表する。

2期目を終了するプーチン大統領は退任するが、プーチン大統領の支持率は高く与党勝利が大方の予測である。さて、与党は何党か?


正解 統一ロシア


ロシア大統領の任期は2008年5月まで。ロシアでは憲法に規定により3選を禁じているためプーチン大統領は出馬はしないと明言してる。
しかし、退任後も影響力を残すため候補者の選任など影響力を行使する気配である。退任後も国民の支持を背景に影響力を行使し、事実上の”院政”を敷くものとの予測が専らである。

プーチン大統領は、統一ロシアだけでなく、左派系第2与党「公正ロシア」の役割も支持する考えを示している。

プーチン大統領は、大統領候補者は5人いると言っているが。、専門家によれば、現在、予想される候補者は、ズプコフ首相のほか、イワノフ副首相、メドベージェフ副首相、ナルィシュキン副首相、ヤクニンロシア鉄道公社社長の4人と見ている。

2007年9月12日、プーチン大統領は連邦金融監督局のズプコフ局長を首相に指名した。 このことからズプコフ氏が最有力と目されている。

野党側はロシア共産党のジュガーノフ党首、ロシア自由民主党のジリノフスキー党首、カシヤノフ元首相、ロシア中央銀行のゲラシチェンコ元総裁が来年の大統領選への出馬を表明した。

FX投資の観点から、ロシアを見る場合、注意すべき点は、第1に外交面である。ソ連崩壊後、ロシアは大国主義を放棄したかに見えたが、プーチン政権になって大国主義、覇権主義的志向が高まっている。外交面では対ドイツで近く、特に独メルケル首相は旧東ドイツ出身でロシア語に堪能であるためドイツ-ロシアの親密度は高まるだろう。チェチェン問題などロシア国内のイスラム勢力への対応は注目すべき点である。トルコ-イラクのクルド人問題など民族的問題に影響を与える可能性がある。

対中国では2005年、上海協力機構に参加し中国との軍事面での関係強化に走っている。日本との関係では、北方領土の問題がある。ロシア側は2島返還でブレはないが、日本側が2島返還、4島返還で分裂し、推進は見込めない。
サハリンの石油・天然ガス開発で利害関係が交錯しているが、資源外交を武器に中国、韓国を含めて日本を揺さぶっている。また、パイプラインにおいても中国と日本を競わせながら有利な条件を引き出そうとしている。
外交全般的にアメリカに対抗的な姿勢が強く、政権交代がなされてもこの傾向が弱まるとは思えない。


2007年12月10日 追記
プーチン大統領はメドベージェフ副首相を後継候補に指名しました。
支持率を考えると選任は確実で、事実上の院政も確実視されています。

2007年12月12日 追記
メドベージェフ大統領候補は、政権を担当した場合、プーチンを首相に指名すると語った。
メドベージェフ氏は治安監督の経験がなく現政権の中でも最もリベラルであるといわれている。
与党内の治安派閥に対する押さえをプーチンが担当する形となるが実質的な院政と見られる。
メドベージェフ氏はサンクトペテルブルク出身で、大学もサンクトペテルブルク大学出身。共にプーチン大統領と同じである。現ガスプロム会長。

6 江戸幕府の支配統制 直轄地の運営

幕府の収入源のひとつに直轄地の金山や銀山の経営が挙げられる。しかも「民間でできることは民間に」のスローガンを先取りするかのように、鉱山に必要な山師の手配と上納金の集金だけは奉行が行い、採鉱の仕事は民間に委託していたという。中でも有名なのが佐渡・石見・伊豆などの鉱山(金山・銀山)の経営である。幕府の支配統制は直轄地の運営と適材適所の人材の採用によって実現できたことがわかる。


佐渡金山は1601年に山師3人に発見され、すぐさま徳川幕府直轄の天領となり、その豊富な産金量は300年にわたる幕府の財政を支えた。家康は同年、毛利氏の旧領であった石見銀山も直轄領としている。石見銀山から産出された銀は、豊臣氏の朝鮮出兵の軍資金になったほどで、長い間日本最大の銀山であった。その石見銀山の奉行を務め、のちに佐渡奉行を経て勘定奉行に任じられ、年寄、老中に昇格し、伊豆奉行も務めたのが大久保長安である。かつて武田氏の家臣であった長安が家康から全国の金銀山の統括を命じられた理由は、彼とその配下の山師たちが湧き水の排水をコントロールする技術を持っていたからである。長安は武田領(甲斐)における黒川金山の鉱山開発や税務に携わっていたのである。


石見銀山の採掘に携わり大量の銀を産出した長安のマネジメントは冴えていた。佐渡金山には二人の家臣を派遣し、一人には農民統制を、もう一人には銀山の管理をさせた。佐渡には幕府直営の直山(じきやま)と、山師が自分の資金で採掘して売上金の何割かを上納する自分山(じぶんやま)とがあった。長安は石見銀山や伊豆金山から優秀な山師を集め、彼らに米や炭、ローソクなどを支給したという。一方、自分山の山師には、坑道の差によって良質のところには産出の5割、それ以下の坑道には産出の3分の1、4分の1という率の上納を課した。フリーランスの山師にとって5割のマージンといえば大きな額だが、彼らは町人に義務づけられていた「人足役」や「伝馬役」といった町役を免除されていたので優遇政策といえなくもない。


また、鉱山の産出が盛んになれば全国から多くの抗夫が町に集まるので、長安は町の入口に役所を設け、食料品や日常品などの物資を専売にし、売上げの1割の上納金を課した。こうして佐渡金山も上杉氏が支配していた時代と比較して、産出量が飛躍的に増えたとされている。


石見銀山や佐渡金山から産出された銀や金は加工されて通貨となり、ポルトガル貿易商や東インド会社らとの活発な貿易を促進し、また家康が推進した朱印船貿易の資金にもなった。この頃に日本にも朱印船貿易家が登場し、鎖国政策が始まるまでアジアを中心に貿易が活性化したのである。


直営方式が採用されたのは地下資源が豊富な土地だけではない。関東を主とする直轄地からの年貢高は富に大きかった。天領の石高は、 関ヶ原の戦い 以前は100万石ぐらいであったが、関ヶ原の戦いの後、西軍に属した諸将の領地を没収した中から直轄地に編入したものも多く、家康の晩年には200万石ぐらいに増加した。そして約1世紀後の元禄時代には400万石に達するのである。最初から多くの直轄地を抱えるのでなく、少しずつ増やしていったのは、システムが機能していったことと管理者の習熟があったからだろう。


さらに幕府は江戸以外に京都・大坂・長崎・堺などの重要都市を直轄にして、商工業や貿易を統制し、貨幣の鋳造権もにぎった。経済統制を進めることで利益を独占しようという政策である。江戸幕府が誕生しても商業の中心が京都や大坂であったことは容易に想像できる。よって京都・大坂・堺を統制する必要があったのである。


このように江戸以外の土地を直轄にし、優秀な奉行を派遣して支配させ、そこから確実に利益を上げていくのは「小さな政府」らしい合理的な方法である。さらに幕府は農村政策にも着手する。1648年に施行された「検地」の条令である。内容は次週のコラムで。


By Master K/益田 慶

2007年12月10日 (月)  中古住宅販売保留

08:50 (日) 10月機械受注
08:50 (日) 11月マネーサプライ
14:00 (日) 11月景気ウォッチャー調査
16:00 (独) 10月貿易収支
16:00 (独) 10月経常収支
16:45 (仏) 10月鉱工業生産
16:45 (仏) 10月製造業生産指数
18:30 (英) 11月生産者物価指数
22:15 (加) 11月住宅着工件数
24:00 (米) 10月中古住宅販売保留
24:30 (英) 10月景気動向調査

2007年12月11日

100年企業 3 旧財閥系の100年企業 三井グループ

旧財閥系企業グループ企業の「100年企業」といえば、三井と住友の両雄が挙げられる。三井財閥の起源は三井高利が1673年に創業した「越後屋」(現在の三越)だ。よって三越は「300年企業」と命名できる。「現金掛値なし」「反物の切り売り」などの新商法は、統治の呉服界では斬新で、現在の言葉に当てはめるなら「流通革命」「呉服の構造改革」「イノベーション」であった。1683年には両替商を併置する。これが今日の「三井住友銀行」である。「三井銀行」として創業したのが1876年(明治9年)なので、「三井住友銀行」も広い意味で「100年企業」といえよう。のちに三井銀行の理事に就任する中上川彦次郎が手腕を発揮する。長年、三井銀行の常務として陣頭指揮をとった池田成彬は、のちに日銀総裁、大蔵大臣に就任した。


大蔵省から実業界に転じた益田孝が「三井物産」を設立したのも1876年だ。初代物産社長・益田の活躍なくして戦前の三井財閥は生まれていなかったともいえる。しかし、三井物産は戦後の財閥解体で一度解体しているので、現在の三井物産の創業は1947年となり、残念ながら「100年企業」のグループからはもれる。戦前の三井物産は、現在では「旧三井物産」と呼ばれている。


江戸時代から明治にかけて三井が大きく成長した要因は、とりもなおさず呉服業と両替商での成功である。三井は幕末に幕府の御用商人となり、幕末から明治維新にかけては「政商」として活躍した。江戸幕府はもとより軍資金のない倒幕派も三井の資金をあてにしたほどである。


明治に入って「旧三井物産」が飛躍的な発展を遂げたのは、益田孝が明治政府から払い下げを受けた三池炭鉱の石炭によってである。「旧三井物産」は石炭の市場を中国やシンガポールなどに求めて進出した。1889年(明治21年)、益田は「三池炭鉱社」(三井鉱山)を設立する。つまり、この老舗のエネルギー企業「三井鉱山」も三井グループの「100年企業」なのである。


同社の初代事務長が、かの團琢磨である。マサチューセッツ工科大学で鉱山学を学んで帰国した秀才だ。逸早くイギリスのポンプを導入し、三池炭鉱を「金を産み出す山」に仕上げた團は後に三井の総帥となり、日本経済連盟の理事長、会長を務め、昭和3年には「男爵」の称号を授かる。三井の総帥が日本経済界のドンになったことで、三井財閥はさまざまな恩恵を受けたのであろう。有能な人材を多く配したのも三井グループの特徴である。


戦前の三井財閥を支えたのが、三井物産、三井鉱山だけではない。「造船の三菱」と激しい競合を繰り広げた「商船三井」も1884年創業の「100年企業」である。同社は「大阪商船」としてスタートし、1942年に旧三井物産の船舶部門が「三井船舶」として分社化。のちに「大阪商船三井船舶」を経て現在の社名になる。ちなみにクルーズ客船として名高い「にっぽん丸」やフェリー「さんふらわあ」は「商船三井」の所有である。


三井グループの「100年企業」を紹介しておこう。三井広報委員会に名を連ねる「王子製紙」が創業地の名を冠し、商号を「王子製紙」と改称したのは1893年。しかし、その前身は1873年に渋沢栄一によって設立された「抄紙会社」だ。同社が日本の洋紙産業の始まりである。同じく三井広報委員会に名を連ねる「サントリー」の創業は1899年。1907年(明治40年)に創業した「日本製鋼所」は今年100周年を迎えたばかり。1909年創業の「三井倉庫」は2年後に「100年企業」となる。


By Master K/益田 慶

100年企業 4 旧財閥系の100年企業 住友グループ

住友の起源は、三井よりも古い。江戸時代の寛永年間(1624~1643年)に住友政友が洛中(京都市街)に書籍と医薬品を扱う「富士屋」を開いたことに始まる。この住友政友を住友家の「家祖」とするなら、事業の「業祖」は粗銅から銀を分離する精錬法を開発した蘇我理右衛門となる。理右衛門は政友の姉婿である。政友は理右衛門の長男・友似と娘を結婚させ、住友家に迎えた。のちに住友友似は大坂に進出し、銅商「泉屋」を営み、父親から受け継いだ粗銅から銀を取り出す技術によって莫大な利益を上げていく。友以は銅貿易をもとに糸、反物、砂糖、薬種などを扱う貿易商になり、さらには友似の末子が両替商を開業し、泉屋は「大坂に比肩するものなし」と言われるほどに繁盛した。


友似の孫にあたる代にあたる1690年、住友家は幕府直轄地であった別子銅山(愛媛県新居浜市)の開発に着手し、世界最大級の産銅量を誇る銅山に成長させる。この住友家が運営を担った別子銅山が住友財閥の出発点であり、それ以降約280年にわたって住友グループの重要な事業となったのである。幕末から戦前までの住友財閥の特徴は、「総理事」と呼ばれる住友家の当主に代わって事業を監督処理する代理人を置いたことにある。住友家の「君臨すれども統治せず」の姿勢は、三井財閥・三井家や三菱グループ・岩崎家とは対照的である。


初代総理事の広瀬宰平が、最初に住友家と事業を分けた人物である。別子銅山の支配人として近代化を推し進めた人物で、幕末には別子銅山を没収しようとした新政府の使者に向かって「確かに別子銅山は幕府領であるけれども、住友家が発見し、独力で経営してきたものである。しかるに、新政府がこれを没収し、経験のない者に任せるというのであれば、それは国益に反することである」と訴えたとされている。明治に入り、製鉄・化学工業の重要性を痛感した広瀬は、硫酸製造や製鉄にも乗り出した。こういった先見性のある総理事が住友財閥を支えたのである。


さて、住友グループの「御三家」といえば、住友銀行(現三井住友銀行)、住友金属工業、住友化学があり、「新御三家」には住友商事、住友電気工業、NEC(日本電気)が並ぶ。1895年(明治28年)、住友家15代当主・住友吉左衛門の個人経営によって大阪でスタートしたのが旧「住友銀行」である。三井との連合がなければ「100年企業」に該当したわけだが、バブル崩壊後の長期不況に加え、住友不動産、住友建設といった直系企業が抱える巨額の不良債権、メインバンクであった熊谷組の経営危機(最終的に債権放棄)、金融のグローバル化による銀行再編の波を受けていた住友銀行にとっては三井との合併は賢明な選択肢であったといえよう。


「御三家」の住友金属工業、住友化学、「新御三家」の三社も「100年企業」には該当しない。それでは住友グループの「100年企業」を紹介していこう。


1888年(明治21年)に別子銅山で修理工場として創業したのが「住友重機機械工業」である。銅山が滅び、修理工場からスタートした同社が総合機械メーカーとして生き残ったのは時代の流れを物語っている。二代目総理事・伊庭貞剛が、住友の事業の起点となったアルミと銅のメーカー「住友軽金属工業」を創業したのが1897年 (明治30年) 。また発電機や変電機の製造で名高い「明電舎」も同年に創業されている。伊庭は翌年、別子銅山に山林課と土木課を設立した。その山林課が現在の「住友林業」に発展したのである。製造業に欠かせない倉庫業では、「住友倉庫」(1899年創業)が「100年企業」に該当する。「住友生命」と「住友大阪セメント」はともに1907年創業なので、本年が100周年にあたる。


さて、2001年に住友銀行と三井グループのさくら銀行が合併して「三井住友銀行」が誕生した際には、住友グループと三井グループの合併が進み、経済界の再編成が加速するかに見えたが、2003年に住友化学と三井化学が経営合併を撤回したように、メリットのない業界では合併はないということだろう。企業カラーの異なる三井との合体は、今後も注目していきたい。


By Master K/益田 慶

FXライフ 20 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とウクライナ

ロシアの通貨は、ご存知のとおりルーブル(RUB)である。ロシア帝国、旧ソビエト連邦でも使われてきたので世界の通貨として富に有名だ。このルーブルと名のつく通貨を使ってきた周辺諸国も少なくない。


近代のルーブルの歴史は、「社会主義国・ソ連~ペレストロイカによる改革~ソ連崩壊とロシア誕生~ロシア通貨危機~USドルとユーロを組み合わせた通貨バスケット」といった変遷を忠実に物語っている。まず旧ソ連時代の1961年に10分の1のデノミが実行されている。世界の通貨を見渡してみると、デノミは決して珍しいことではないことがわかる。旧ソ連の解体で生まれた国や南米の国では、インフレの処理としてデノミが頻繁に実施されている。また戦後のインフレ処理でもデノミは実施されてきた。たとえば第2次大戦中の1944年、ギリシャでは10億分の1のデノミ。大二次世界大戦後の1946年、ハンガリーでは29桁のデノミが実施された。


ソ連末期のペレストロイカに伴うインフレによって1991年には、新しいルーブル紙幣が発行された。社会主義経済体制から資本主義経済体制へ移行するには、短期間で通貨の変動を安定せざるを得なかったわけだが、政治・経済的には貿易の自由化及び民営化を柱にした「ショック療法」が基本になっており、自由経済に慣れていなかった多くの国民が戸惑ったことだろう。


1991年12月のソ連崩壊後もしばらくはソ連ルーブルが使用された。1992年にロシア中央銀行の最初の紙幣として発行されたのは5,000ロシア・ルーブル、続いて10,000ロシア・ルーブル紙幣が発行された。かつて100ルーブル紙幣は高額紙幣であったが、10,000ロシア・ルーブル紙幣の前では100分の1の価値になったのである。1993年には50,000ロシア・ルーブル紙幣が発行されている。


さらに1995年には100,000 ルーブル紙幣が新たに発行され、50,000 10,000 5,000 1,000ルーブル紙幣が改刷される。そしてわずかな交換期間を経て、1993年以前の旧紙幣の流通は停止される。ここに至るまでにロシア国民の混乱はいかほどのものかと察するが、ロシアはさらに大きな荒波に飲まれる。その後のルーブルの変遷は次週お届けする。


1991年に当時のソビエトから独立したウクライナの通貨はフリヴニャ(UAH)だ。ロシア帝国時代には「カルボへヴァネツイ」と呼ばれるルーブル通貨が使用されていた時期もあった。これはルーブルのウクライナ名であったので、「ウクライナ・ルーブル」と置き換えてもよいだろう。1917年、「ウクライナ・ソビエト戦争」の勃発によってカルボへヴァネツイに相当する通貨単位としてクピュラが制定され、通貨単位は「フリヴニャ」に移行。その後、ウクライナは社会主義国としてソビエト連邦に組み込まれ、再びソ連ルーブルが用いられた。1941年~1944年にはナチス・ドイツに占領され、通貨単位が変わったが、ドイツ撤退後に再びソ連ルーブルに戻った。


1991年、ウクライナの独立によって再びカルボへヴァネツイが採用されたが、通貨政策の失敗、国有企業の民営化の失敗、極度のインフレなどによって経済が混乱し、1996年に現在の通貨フリヴニャが採用された。10万カルボへヴァネツイが1フリヴニャに換算されたということは、実質的なデノミが実施されたのである。


94年からは国際通貨基金(IMF)と協同した経済改革を実施したものの、1998年には、国際金融市場の低迷の煽りを大きく受け、膨大な対外債務の償還に伴う外貨準備高の減少などの問題が深刻化。ウクライナの経済が安定したのは2000年以降である。2005年は世界的な鉄鋼市場不況等により、GDP成長率が2.4%と鈍化するも2006年は7%台に回復した。同国が抱えている課題を挙げるなら、天然ガス、石油などエネルギー供給をロシアに依存していることだ。


2005年に就任したユシチェンコ大統領がロシアと距離を置き、EUやアメリカとの関係を強化する政策を示したことで、ロシアはウクライナへ供給するエネルギーの値上げを図り、ウクライナは窮地に立たされる。その後、大統領はロシアとの関係修復に奔走したことは記憶に新しい。ウクライナの産業は、鉄や機械などの工業で、輸入・輸出ともロシアがメインである。現在でもロシアがウクライナの経済に大きな影響を与えていることは確かである。


By Master K/益田 慶

2007年12月11日 (火)  FOMC政策金利発表

14:00 (日) 11月消費者態度指数
18:00 (南ア) 第3四半期貿易収支
18:30 (英) 10月商品貿易収支
19:00 (独) 12月ZEW景況感調査
19:00 (ユーロ圏) 12月ZEW景況感調査
24:00 (米) 10月卸売在庫
28:15 (米) FOMC政策金利発表

2007年12月12日

小栗上野介が駆け抜けた時代 45 激変した世界地図の中の江戸時代 世界最大の都市・江戸

幕末の日本の人口は、約2500万人と推定され、元禄年間の江戸の人口は約80万人とされています。当時ヨーロッパ最大の都市ロンドンの人口が約50万人とされていることから、江戸は1700年前後に世界最大の都市になったといえるでしょう。当時そのイギリスは世界最大の軍事大国でしたが、長州藩との紛争(1863年)以外いたって友好的だったのは、南下しつつあるロシアの極東での活動を封じ込めるために外交戦略上必要であったということが挙げられます。


もうひとつ異なった見方もできます。イギリスにとって日本は中国ほど大きな市場ではなかったので、江戸での商取引を保護するために軍隊を派遣する必要はないという判断が下されていたということです。軍隊派遣にかかる経費は商取引上の利益をはるかに上回るものだったのでしょう。
幕末における日本の対外交易の少なくとも3分の1は対イギリスでしたが、一方それはイギリスの全対外貿易の50分の1にも満たないものでした。日本との交流を失う危険まで冒して、江戸に3万の軍隊を駐留させようとは思うはずがありません。


1865年に日本を訪れた冒険家のシュリーマンは『シュリーマン旅行記 清国・日本』で「ヨーロッパにおける絹、茶、木綿の暴落と幕府が打ち出す交易に対する無数の障害によって、採算のとれている外国商人はほとんどいない」と記しています。


そんな状況にあっても、日本との交易で財を成す外国人ビジネスマンは少なからずいました。アヘン貿易で財を築き、香港に本拠を置くイギリス系商社「ジャーデン・マセソン商会」は上海にも支店を置き、のちに横浜に支店を出しました。代表はウィリアム・ケズウィックです。同社は中国へのアヘン貿易で富を蓄え、明治維新期の日本へ武器を供給していたことでも、その足跡を記録に残しています。


長崎の武器商人グラバーが興したグラバー商会は、ジャーデン・マセソン商会の長崎支店長的な立場の人物でした。グラバーが輸入した英国産の武器が大量に薩摩や長州に売り渡されて、明治維新が成ったというのは、すでに何度もお伝えしてきました。見方を変えるなら、イギリスが討幕に一役買ったといえるでしょう。


一方、横浜に支店を開いたジャーデン・マセソン商会のケズウィックは、日本の物価の安さに目をつけました。小判を両替して利鞘を稼ぐより商品を買いつけて中国沿岸まで運んで売りさばいたのです。外国人商人が手当たり次第に商品を買いあさったので、つられて貿易と直接関係のない商品の値段も引きずられるように高騰しました。いわゆる便乗値上げです。幕末の物価上昇の要因には、こういうミクロの見方もできそうです。


さらに伊藤博文や井上馨を含む5名の若者が1863年に横浜からイギリスに向けて出航できたのも、1865年に森有礼ら薩藩留学生15人と五代友厚や寺島宗則ら4人の外交使節が海を渡ったのも、グラバーやジャーデン・マセソン商会のケズウィックの手引きがあったからだとされています。彼らを送り出した薩長藩は、幕府の規則(海外渡航は国禁)を無視し、秘密裏に洋行の準備を進めました。


グラバー商会は、資金の大部分をオランダ貿易会社とジャーデン・マセソン商会に依存しており、留学生の学資もジャーデン・マセソン商会(香港)の信用状にもとづいて、マセソン商会(ロンドン)が薩長藩の手形を割り引く形で前貸ししていたとのことです。従って、実質的な留学生の支援者はジャーデン・マセソン・グループであったといえます。つまり、この時点で国際金融資本が日本に流れていたということです。

グラバーの日本での活動はジャーデン・マセソン商会を通じて英国政府に伝えられていたことは間違いありません。それでは、英国政府は日本から来た留学生をどのように受け入れたのでしょうか? 


By Master K/益田 慶

ヨーロッパの財閥と企業グループ 31 欧州財閥の系譜 スイス財閥

今回はスイスのファミリー系財閥を紹介します。人口わずか745万人の国ですが、欧州では英・独・仏に続いて第4番目の数の企業が集積しています。近年の特徴のひとつに産業界の再編成が挙げられます。その顕著な例が大手薬品・製薬企業の合併です。


「セロノ」はバイオテクノロジー分野で世界第3位、ヨーロッパ第1位の製薬大手企業。不妊症、神経系疾患、代謝・成長不振分野などが専門です。同社CEOを務める、スイス屈指の大富豪エルネスト・ベルタレリは2006年9月、彼が所有するセロノ株をドイツの大手薬品会社メルクに売却すると発表。新会社メルク-セロノバイオ製薬の売上げは約1兆1436億円になる見込みです。ちなみにドイツの大富豪メルク一族は1487億円を出資するとのことです。


スイス・バーゼル市に本拠を置く薬品会社の「ノバルティス」は、世界140カ国で事業を展開するグローバル企業。バーゼル御三家と呼ばれたうちの2社が合併して生まれた同社の総資産は1,740億スイスフラン(約16兆7800億円)といわれています。このグローバル企業を支配しているのがピエール・ランドルフ一族です。


世界トップクラスの研究開発型ヘルスケア企業グループ「ロシュ」は、スイスのバーゼルに本社を置き、医薬品と診断の領域で活躍しています。同社の日本支社が2002年に中外製薬と合併し、ロシュ・ファームホールディング・ビー・ヴィが中外製薬の親会社になりました。ロシュ社はホフマン家とロシュ家という二つの大富豪によって支配されています。つまり、中外製薬はすでにスイスの企業で、実質的なオーナーはスイスの財閥という構造なのです。


スイスの大富豪といえば、シュミットハイニ財団の創始者シュミットハイニ兄弟が有名です。兄のトーマスはセメント生産世界第2位のセメント・建設会社ホルシムの経営で成功し、一躍スイス屈指の大富豪になりました。「ステファンとトーマスの兄弟は、スイス経済の相当部分を手中に収めている」と呼ばれるほどです。弟のステファンはスイス航空やネスレ、UBS(スイス・ユナイテッド)銀行グループ、多国籍企業アセア・ブラウン・ボヴェリ、スウォッチの取締役として大量の株式を保有し、不動産、建設、エンジニアリング、食品、エレクトロニクスなどの有力会社に投資を行ってきました。


最後に2004年5月に調印された「預金利子課税条約」について説明しておきます。これはスイスの銀行に預金するEU居住者の預金に対し、スイスのプライベート銀行の秘密保持原則を維持しつつ、利子課税額(税率35%)をスイス政府経由で居住国に返金する協定です。


これまでスイスをはじめ、ベルギー、ルクセンブルク、オーストリアなどEU域内外の税率が低い国に脱税を目的とした資金が流れていました。EUは1989年以降、顧客情報守秘義務の名のもと不正預金者が保護されていることを問題視し、EU各国と協議を重ねてきました。「預金利子課税条約」で決定した内容は下記の3点です。


(1)EU域内居住者がスイスに預金しても利子は源泉課税され、うち75%はEUに支払われる。
(2)2011年には税率が35%となるように段階的に引き上げられる。
(3)プライバシー保護のため、預金者は「自己申告」か「源泉徴収」が選択可能。預金者情報については犯罪に関係する時のみ、EUとスイスの当局間で顧客情報の交換は行われる。


スイスの銀行に口座を設けているのはEUの富豪ばかりではありません。日本人の名前もときおり登場します。2003年12月、スイス・チューリッヒ州の金融当局がクレディ・スイス銀行の日本人口座を凍結したと発表しました。「日本初の本格的マネーロンダリング」として大々的に報じられた五菱会事件の発端でした。この事件では100億円もの犯罪収益が記録を残さずに海外に送金されていました。スイスは、このような事件の舞台になることが多いので、これからも目が離せない国といえるでしょう。


By Master K/益田 慶

世界資源戦争 3 石油開発の歴史 エネルギー革命

エネルギーの観点から歴史をひもといてみると、19世紀から20世紀半ばにかけては主要燃料が石炭から石油へ移り変わった時期といえよう。いわゆる「エネルギー革命」である。石油の大量産出によって安価な石油はエネルギーの主力となっていったのである。
顕著だったのは西側先進国である。石油が重宝されるようになった背景には、大量の石油を生産するための採掘・精油技術の向上だけでなく、製造業・工業にも石油普及を促す技術革新が続いたことがある。


石油を需要と供給を加速させた技術革新とは、内部で燃料を燃焼させて動力を生み出す内燃機関の発明である。ガスタービンエンジンやピストンエンジンが実用化されたことで、自動車や機械を製造する側にも利用する側にもパラダイムチェンジが起こったのである。19世紀末の自動車の商業実用化、20世紀初めの飛行機の発明はガソリンエンジンの普及と切り離せない。船舶も重油をボイラーの燃料にするようになった。安価な石油を燃料とすることで産業の工業化が進み、人類は交通手段と物流手段を手に入れたのである。


石油が燃料の主役の座に上った理由はそれだけではない。石油は戦車、軍用機、軍艦などの燃料として欠かせないものになっていた。第一次世界大戦、第二次世界大戦を含め、20世紀半ばから後半にかけて石油は死活的な戦略資源となった。戦争では大量の石油が消費される。戦車や戦闘機を製造しても石油がなければ動かせない。そうすると「大量の石油を確保している国が戦争に勝てる」という図式が生まれてくる。日本はその法則には当てはまらなかったわけだが、皮肉なことに、その石油を奪うために石油で動く武器を開発したという見方さえできるほど、石油は戦争や軍事産業と切り離せない関係となっていく。こうして各国の軍事産業と石油財閥は深くかかわっていくことになる。戦争が勃発すれば石油の消費は増えるし、武器の製造量も増える。そこに大きな市場が生まれたのである。


第二次大戦後は、石油の新たな用途として、すでに戦前に登場した化学繊維やプラスチックがあらゆる工業製品の素材として利用されるようになった。また、発電所の燃料としても石油が利用された。工業や化学分野での新たな産業の誕生が石油の需要と供給を増やしていったのである。


石油の探査には莫大な経費と高い技術が必要となるが、成功時の見返りもまた莫大である。必然的に石油産業では企業の巨大化が進んだ。いわゆる「石油メジャー」はどんどん膨張し、第一次世界大戦の前後に中東における石油利権の独占体制を確保するに至った。独自に採掘する技術と資本を持たない国では、巨大資本を持った欧米の少数の石油会社に独占採掘権を売り渡した。これによって石油開発の集中化はさらに進み、巨大な多国籍企業=「石油メジャー」が誕生したのである。


1932年にペルシャ湾上のバハレーンで石油が発見されると、その対岸のサウジアラビアにも油田発見の可能性が広がり、1933年に米国石油メジャーの「スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア」(SOCAL、現シェブロン)が油田の開発権をアブドルアジース初代国王から取得した。SOCALは当時の「テキサコ」と共同で、1938年にペルシャ湾岸のダンマームやホバルから約10~15km内陸のダハラーン(別名ダーラン)で石油を発見。続いて、その北方で1940年にブカイク(別名アブー・カイク)油田が、1948年にはガワール油田(面積4360平方kmに及ぶ世界最大級の油田)が発見された。その後も、サファニーヤやクウェートとの中立地帯、ペルシャ湾の海底などで油田の発見が続いた。


第二次大戦後にも中東では大規模な油田が発見された。「エクソン」や「モービル」も加わってアラブアメリカンカンパニー(ARAMCO、のちに国有化され現在はサウジ・アラムコ)が設立され、本格的な石油の生産と輸出を開始した。
当時の石油メジャーは各社で販売シェアを固定し、国際カルテルを結んでいたため、原油価格は低水準で安定していた。産油国側と石油メジャーの対立が始まるのはそのあとである。


By Master K/益田 慶

2007年12月12日 (水)  英失業率

08:50 (日) 11月企業物価指数
08:50 (日) 10月経常収支
08:50 (日) 10月貿易収支
16:45 (仏) 10月経常収支
18:30 (英) 11月失業率
18:30 (英) 11月失業保険申請件数
19:00 (ユーロ圏) 10月鉱工業生産・季調済
22:30 (米) 10月貿易収支
22:30 (米) 11月輸入物価指数
22:30 (加) 10月国際商品貿易
28:00 (米) 11月月次財政収支

2007年12月13日

小栗上野介が駆け抜けた時代 46 激変した世界地図の中の江戸時代 ジャーデン・マセソン商会

小栗上野介が幕府初の遣米使節団の監査役として渡米したのは1860年でした。その3年後、5人の長州密航留学生がイギリスへ渡りました。野村弥吉(井上勝)、遠藤謹助、山尾庸三、井上聞多(井上馨)、伊藤俊輔(博文)です。当初はこの5名でしたが、井上聞多と伊藤の2名は、実際に海外に出て攘夷の無謀を痛感し、タイムズ記事で長州と英米仏蘭との間で戦争が始まるとの情報が入ったことから留学を放棄し、1864年4月にロンドンを発ち、帰国します。


この長州留学生たちは、ジャーデン・マセソン商会のウィリアム・ケズウィックや英国領事ジェイムス・ガワーの協力を得て、ジャーディン商会所有のチェルスウィック号で上海に渡り、ロンドン行きの貨物船ペガサス号とホワイト・アッダー号に分乗しながらロンドンに到着しています。
英国留学中に世話役になったのは、ジャーデン・マセソン商会の創業者の一人であるジェームス・マセソンの甥にあたり、マセソン商会(ロンドン)の社長を長く務めたヒュー・マセソンでした。


このヒュー・マセソンの紹介で、長州留学生はロンドン大学ユニバーシティー・カレッジのアレキサンダー・ウィリアム・ウィリアムソン博士と出会います。ウィリアムソン博士は、ユニバーシティー・カレッジの化学教授を務めながら、英国学士院会員、ロンドン化学協会会長などの要職に就いており、偏見にとらわれない世界主義的見解の持ち主でした。また、思想的には、ジョン・S・ミルの功利主義やオーギュスト・コントの実証哲学の信奉者として知られていました。

 
長州留学生5人はウィリアムソン博士がいるユニバーシティー・カレッジに学びながら、揃ってイングランド銀行を見学するなど最先端の知識を吸収していきます。結果として彼らが明治初期に活躍したのですから、彼らの留学は日本の近代化に大いに役立ったといえるでしょう。
伊藤博文はのちに初代総理大臣、井上馨は外務大臣や内務大臣など要職に就きます。井上勝は初代鉄道局長官として日本の鉄道の発展に寄与し、山尾庸三は工部大臣として活躍、遠藤謹助は洋式の新貨幣を鋳造して現在の造幣局のもとをつくります。


では、薩長の留学生を密航させたグラバー商会とジャーデン・マセソン商会は、どうしてそのような協力を買って出たのでしょうか? 利益に敏感なビジネスマンが単なる親切で行ったとはとうてい思えません。


幕府が1862年7月に外国艦船の購入を許可すると、幕府や各藩は競って契約に乗り出し、日本は格好の外国艦船マーケットとなりました。こうした中でグラバーはジャーデン・マセソン商会から委託されて、鉄製蒸気スクリュー船カーセッジ号(12万ドル)を幕府経由で佐賀藩に売却し、1864年10月を契機に本格的な艦船取引に乗り出していきます。
艦船取引は利潤も大きく、このカーセッジ号についても販売価格12万ドルに対して簿価は4万ドルとなっており、この取引だけでジャーデン・マセソン商会は5万8000ドルの純益をあげていることになります。


留学生達が英国で学んでいた頃、すなわち1864年から68年の5年間にグラバーないしはグラバー商会の名前で販売された艦船は24隻、価額にして168万ドルに及びます。これは、同時期に長崎で売却された艦船の約30%、価額にして36%にあたります。売却先は薩摩藩が最も多い6隻、ついで熊本藩の4隻、幕府、佐賀藩、そして長州藩の各3隻となっています。しかし、薩摩藩6隻の内のユニオン号(桜島丸、後に乙丑丸)は土佐藩士である上杉宗次郎(近藤長次郎)が仲介して長州藩が薩摩藩名義で購入した船であり、実際には薩摩藩5隻、長州4隻となります。


グラバーはこうした艦船の売却以外に、各藩の依頼によって英国での船舶建造も仲介していました。この建艦は、グラバーの長兄であるチャールズ、そして薩摩留学生達をロンドンで出迎えたジェイムズらがアバディーンで設立した船舶保険会社グラバー・ブラザーズ社を通じて行われました。

By Master K/益田 慶

2007年12月13日 (木) 米小売売上高

06:45 (NZ) 10月小売売上高指数
08:50 (日) 12/8までの対外及び対内証券売買契約等の状況
09:30 (豪) 11月新規雇用者数
09:30 (豪) 11月失業率
13:30 (日) 10月鉱工業生産・確報
13:30 (日) 10月設備稼働率・確報
16:45 (仏) 11月消費者物価指数
16:45 (仏) 第3四半期非農業部門雇用者・確報
17:30 (スイス) スイス中銀政策金利発表         
18:00 (ユーロ圏) ECB月例報告
22:30 (米) 12/9までの週の新規失業保険申請件数
22:30 (米) 11月生産者物価指数
22:30 (米) 11月小売売上高
22:30 (加) 10月新築住宅価格指数
22:30 (加) 10月製造業出荷
22:30 (加) 第3四半期労働生産率
24:00 (米) 10月企業在庫

2007年12月14日

小栗上野介が駆け抜けた時代 47 激変した世界地図の中の江戸時代    イギリス経済学

1863年、5人の長州密航留学生がイギリスへ渡りました。のちに「長州ファイブ」と呼ばれる、野村弥吉(井上勝)、遠藤謹助、山尾庸三、井上聞多(井上馨)、伊藤俊輔(博文)です。イギリスが欧米の列強諸国に先んじて産業革命(1760年代から1830年代)を果たしたことから、政治や経済のしくみを学ぶなら、当時はイギリスが最適だったということでしょう。見方を変えるなら、イギリスは「経済学」が生まれ、最初に資本主義という概念が誕生した国ともいえるでしょう。


伊藤らが留学する約90年前、アメリカが独立した同じ年の1776年にアダム・スミスが『国富論』を発表しています。この名著は、「どうしたら富を獲得できるか」を説明し、富の因果の法則を明らかにした市場主義経済の古典です。アダム・スミスは、重商主義や保護貿易主義を批判し、自由経済の効用を唱え、「個人の私利をめざす投資が、“見えざる手”に導かれて、社会の利益を促進する」と指摘しました。現在でいうところの「競争の原理」を重視し、個人や企業が競争することで経済が活性化するという理論は、すこぶる正しいわけですが、かといってイギリスの保護貿易がすぐに解かれ、自由貿易主義に転換したわけではありません。


イギリスでは1815~1846年に「穀物法」という法律が施行されました。穀物価格の高値維持を目的としたもので、地主や貴族層の利益を保護するものでした。国内価格がある程度の高値に達するまで外国産小麦の輸入は禁止され、その後、穀物価格の騰落に応じて輸入関税を増減する方式に改められていました。これに反対したのは、産業革命によって新たに生まれた産業資本家層です。彼らが穀物法に反対した背景には、当時、工業労働者の賃金は最低限の生活費が基準になっており、穀物価格の高騰は賃金水準の上昇を意味していたことが挙げられます。


当時のイギリスは長期にわたる保護貿易の結果として、ヨーロッパ諸国と比べ穀物が高い価格帯を維持してきました。資本家たちは「穀物が安価に供給されると、物価が下がり、賃金の引き下げもできる」と考えたわけです。当の労働者層は単純に安価なパンを求め、「穀物法廃止」を望みました。廃止運動の結果、1846年に穀物法は撤廃され、自由貿易体制が確立されます。


穀物法廃止の基本的な理論は、アダム・スミスに触発された経済学者デビッド・リカードが記した『経済学および課税の原理』(初版1817年)です。彼は経済学に「限界モデル」を持ち込んだ先駆者です。「資本蓄積につれて労働=穀物需要が増加し、穀物の限界生産費、地代、穀物価格、賃金が高まる。これによって利潤が減少し、やがて資本蓄積が停止する」と説き、「穀物生産量が増えても穀物価格が上昇すれば生活水準が圧迫され、労働者の実質的な賃金は低下する。賃金を上げると利潤は増えない。自ずと限界がある」という成長モデルを提示したわけです。そして「穀物法を廃止して海外の優等地で生産された安価な穀物を輸入すれば、利潤は回復し、資本蓄積が再開される」という理論を展開します。


この「国内の価格より国際価格が安い場合は輸入し、逆に国際価格のほうが高い場合は輸出する」という考え方は、自由貿易のひとつの基盤となる「比較優位」の法則を説いたものです。リカードは、二つの国(ポルトガルとイギリス)と二つの商品(ワインと布)という例を挙げ、ポルトガルが両方の商品について絶対的なコスト優位性を持っている場合でも貿易にはメリットがあると論じました。商品が国内コストよりも低い値段で輸入されれば、貿易は蓄積と成長をもたらし、実質賃金低下と利益の増加をもたらす。そして両国とも貿易を行わないより、行った時のほうが利益を得る、とリカード論じたのです。


この理論には一部矛盾があるものの、すでに江戸時代にこういう理論が生まれていことに驚きを隠せません。当時の日本はこと経済学については、イギリスより100年遅れていたといえるでしょう。

By Master K/益田 慶

2007年12月14日 FX検定 きょうの問題 世界アルミ業界再編 リオ・ティントのアルキャン買収

2007年7月 リオ・ティントのアルキャン買収

2007年7月カナダ・アルミ大手のアルキャンが買収された。
買収したのはオーストラリアのリオ・ティントである。
買収額は381億ドル(買収時4兆6500億円)
その結果、世界最大のアルミ精錬会社ロシア・UCルサールを抜いて世界最大となった。
統合後の新社名はリオ・ティント・アルキャン、本社はモントリオールに置く。

さて、業界再編が進むアルミ業界であるが世界最大のアルミニウム生産国はどこか?


正解 中国

リオ・ティントはオーストラリアとイギリスに本部を置く世界3大鉱山会社のひとつである。他の2社は、BHPビリトン(豪)、アングロ・アメリカ(南ア)である。今後リオ・ティントがアルキャンの株式を2/3以上取得した時点で、リオ・ティントのアルミ部門(世界第7位)とアルキャンが合併してリオ・ティント・アルキャンとし、本社をアルキャン本社のあるモントリオールとする予定である。

アルミ業界第2位となったロシアのUCルサールは、2006年、ルサール(露)、サアル(露)、グレンコア(スイス商社)のアルミ部門が合併してできたロシア主導のアルミ地金会社である。2005年のアルミ生産量は、ルサールが約270万トン、サアルは約105万トン。合計すると約375万トンで合併当時は世界最大のアルミ地金会社となった。
UCルサールは、10月9日ロシア中部サラトフ州に年間生産能力105万トンのアルミ精錬工場を建設すると発表した。これが完成すると再び世界第1位となる。この精錬工場の特徴は、これまでのような水力発電による電力供給ではなく、原子力発電所とセットで精錬工場を建設する点である。発電所、精錬所の建設にかかる投資額は合計60億―70億ドル(7000億―8200億円)となる見通し。

米アルコア社(355万トン)は、リオ・ティントのアルキャンの買収により第3位になった。
アルコアはアルキャンに対しTOBをかけて買収策に出ていたがリオ・ティントに敗れた。

2005年の世界のアルミニウム生産は3200万トン余りである。
トップ10は以下のとおり

第1位 中国      780万トン
第2位 ロシア     365万トン
第3位 カナダ     289万トン
第4位 アメリカ    248万トン
第5位 オーストラリア 190万トン
第6位 ブラジル    150万トン
第7位 ノルウェー   138万トン
第8位 インド      94万トン
第9位 南アフリカ    85万トン
第10位 UAE       85万トン


アルミニウムの生産には多くの電力を必要とします。
したがってアルミニウム生産国は電力コストが安い水力発電国が有利となります。ボーキサイトの生産地立地、電力コストによって精錬地が選ばれます。
かつて黒部ダムによる電力によってアルミ精錬をおこなっていた日本は、現在では国内精錬をやめアルミ地金を100%輸入している。

各国のアルミ生産高に対し、アルミ生産会社の生産量は多大です。

リオ・ティント・アルキャン    500万トン
UCルサール           380万トン
アルコア             350万トン

アルミニウム消費国

第1位 中国    712万トン
第2位 アメリカ  611万トン
第3位 日本    228万トン
第4位 ドイツ   176万トン
第5位 韓国    176万トン

中国は生産高、消費量ともに世界第1位であるが、近々輸入国に転落する見込みである。

今回の買収により、ロシア主導で進んでいた世界のアルミ産業再編が米露の対立構図として浮き彫りにされつつある。次期ロシア大統領と目されるメドベージェフ副首相は、巨大エネルギー企業ガスプロムの会長でもある。ロシアの資源戦略を担ってきた人物がロシア大統領となると、世界の資源外交、資源戦略がより先鋭化される可能性が高い。

リオ・ティントはロスチャイルド系企業である。世界ユダヤ資本の世界戦略から目が離せない。

2007年12月14日 (金) 日銀短観

06:45 (NZ) 第3四半期製造業売上高
08:50 (日) 日銀短観
16:00 (独) 11月消費者物価指数・確報
17:15 (香港) 第3四半期鉱工業生産
17:15 (香港) 第3四半期生産者物価指数
19:00 (ユーロ圏) 11月消費者物価指数
22:30 (加) 第3四半期設備稼働率
22:30 (米) 11月消費者物価指数
23:15 (米) 11月鉱工業生産
23:15 (米) 11月設備稼働率

2007年12月15日

ヨーロッパの財閥と企業グループ 32 欧州財閥の系譜 スペイン財閥

移民の国アメリカで台頭しているのがヒスパニック系。その母国スペインにも有力な財閥ファミリーが存在します。
日本にも深くかかわっているのが、サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行(BSCH)会長のエミリオ・ボティンです。彼は「新生銀行」の社外取締役を務めていますが、3年前にサンタンデールグループ会長に就任したスペイン有数の財閥の当主なのです。


BSCHは1999年にサンタンダール銀行とセントラル・イスパノ銀行が合併して誕生しました。その後、約2年でスペイン第1位の利益をあげる銀行に躍進し、今日ではHSBC(イギリス)やドイツ銀行と肩を並べる世界有数の銀行にまで成長しました。その要因のひとつが、スコットランド・ロイヤルバンク(RBS)への資本参加により同行の7%の株を取得し、メキシコやフラジル、ベネゼエラなど中南米諸国での銀行買収に成功したことが挙げられます。実はスコットランド・ロイヤルバンクはロンドン・ロスチャイルド一族が支配する銀行です。つまり、ロスチャイルド財閥の支援を受けて飛躍したということです。


BSCH は2004年、イギリスでの総資産額第6位の「アビー・ナショナル」を約1兆5890億円で買収。この買収劇で株式時価総額では、世界第8位の銀行へと浮上しました。アビー・ナショナルを加えたサンタンデールグループの株式時価総額は欧州最大規模となりました。グループ全体の貸し付け対象国は、40%がイギリス、39%がスペインということです。2006年2月に発表した前年度の通期決算では、純利益が前年比72%増となり、過去最高を更新したとのこと。


サンタンダール銀行はもともとボティン家に支配されてきた銀行ですが、ボティン家の銀行支配はそれだけではありません。スペインにはバネスト銀行やバンキンテール銀行などがありますが、バネスト銀行の社長にはエミリオ・ボティンの長女が、バンキンテール銀行の社長にはエミリオ・ボティンの弟が就任しています。つまり、スペインの3銀行をボティン家が牛耳っているということです。一族が3つの銀行を支配するなど日本では考えられないことです。


スペインには、ほかにもフアンとカルロスの兄弟をリーダーとするマルチ一族がいます。祖父がスペインと北アフリカのタバコの輸出入を独占的に取り扱って財を築いたようです。現在、一族は、建設、金融、食品スーパーなどの事業を展開しています。


最後にスペインを代表する複合多国籍企業「レプソンYPFグループ」を紹介しておきましょう。スペインのレプソルが1999年にアルゼンチンの国有石油会社YPFを買収して誕生した「レプソンYPF」は世界10大石油企業のひとつ。28ヵ国に活動拠点を持つ、中南米では最大のエネルギー関連企業です。スペインに5ヵ所、アルゼンチンに3ヵ所、ペルーに1ヵ所の精製工場を所有しています。同社は石油採掘と生産、精製、石油製品の販売のほか、液化天然ガスでは年間300万トンほどの販売実績を誇る世界第3位の企業です。

化学工業分野でもスペインとアルゼンチンにコンビナートを稼動させています。ちなみに、2006年10月には、ボリビア政府との間で、天然ガス開発における保有権益の82%を同政府に配分する新契約を締結しました。まさに近代的な多国籍企業グループです。レプソンYPFは、スペイン株式市場における最も重要に取引指標であるIBEX35の中の1社。同社の株式はスペイン、二ューヨーク、ブエノスアイレスの各証券取引所で公開されています。


By Master K/益田 慶

2007年12月16日

小栗上野介が駆け抜けた時代 48 激変した世界地図の中の江戸時代   欧州列強の重商主義政策

小栗上野介が幕末に行った事業のひとつに製鉄所建設の推進がありました。
その後の日本を近代国家へと牽引する造船業や重工業の萌芽となる事業でした。
結果だけを見てみると、開国した幕末から明治維新にかけては、日本は農業国から製造輸出国へ、保護貿易から自由貿易へと転換する道を選んだ時期ともいえます。
それよりも数十年も前の1846年、イギリスは穀物法を廃止して農業の保護を断念し、工業への特化が始まっていました。


それ以前のイギリス、つまり地主階級を国際競争から守るため、物の厳しい輸入制限を定めた穀物法を遵守していた頃のイギリスでは、輸出産業であった毛織物の国際的独占を図るため、原毛の輸出を禁止していました。


完成品輸入に高関税を賦課するとともに制海権の基礎であり、収益源でもあった海運業の保護育成のため、植民地貿易などをイギリス船に限定し、ヨーロッパからの商品の輸送をイギリス船か原産地船に限定する「航海条例」も制定していました。
ずいぶん保守的な政策ですが、これはイギリスだけではありませんでした。

フランスでも同様に工業原料の輸入には関税を減免し、完成品輸入には高率の関税を課していました。
特にレース織、絹織物、コブラン織、鏡などの嗜好品や贅沢品の製造業者に対しては補助金が施され、輸出が奨励されるとともに輸入が制限されていました。
この時期の強国の貿易政策は、このように貨幣獲得の観点から「輸出を善、輸入を悪」とするいわゆる重商主義政策を取っていたのです。


イギリスにおいては、18世紀に産業革命が進展し、動力化された綿工業を中心として、世界随一の工業力を持つに至っていました。
この時期、経済的・政治的に台頭した綿業資本家は、海外市場の拡大による規模の利益の実現を目指し、自由貿易の推進を主張するようになったのです。
先週のコラムで記したように経済学者の理論が自由貿易推進の支柱になっていたのです。

イギリスにおける産業革命が完成期に近づいた19世紀始めには、経済学者のデビッド・リカードが比較生産費説を唱え、各国が貿易を自由化し、相互に比較優位を持つ財の生産に特化することが双方の利益になるという主張を展開しました。
政治面では、1820年にはロンドンの商人たちが原材料価格を低下させ、安価な商品を海外市場に輸出するために、保護関税制度の撤廃を議会に請願するなどの動きが生じました。


また、リカードは「穀物生産は収益逓減の産業」とも説きました。
つまり、土地の生産力は労働および資本の投入によって増大させることができるが、肥沃度は次第に劣悪化し、ある一定の時点において、資本の投下量を倍増しても、生産物は倍増しないということです。
生産物の価値の増大は、一方では優等地との差が拡大することにつながり、劣等地地代の増大に発展するわけです。


地主は土地の生産力が落ちたら、生産物からの収入が少なくなるので、それを補うために地代を値上げする。
だから農業生産者の利益はますます減っていくということです。この収益逓減の理論は、今日でも実際の経済で応用されています。


思想面、政治面で自由放任の論調が強くなる中で、イギリスは1823年に二国間の条件付き相互主義を内容とする相互関税法を制定し、対外的に関税交渉を進めました。
しかし、後発欧州諸国は国内産業の保護を理由にこれに応じず、イギリスは相互主義を放棄し、1833年に原綿の輸入関税を50%ほど引き下げたことを手始めに、原材料の輸入関税引下げ、関税収入から所得税への財政収入の振替等の関税改革を進め、1840年代後半から50年代に穀物法廃止、一連の関税引下げなど相手国の対応にかかわらず、一方的に関税を引き下げる措置を実施し、輸入の自由化を進めたのです。


イギリスの有税品関税率は、1841年35%でしたが、1860年の関税改正法をもって、保護関税は基本的に全廃されました。


By Master K/益田 慶

2007年12月17日

小栗上野介が駆け抜けた時代 49 激変した世界地図の中の江戸時代 自由主義経済の思想

日本に黒船が来航する数年前のことです。
イギリスでは「穀物法」と並んで重商主義の2大支柱と言われた「航海条例」が1849年に廃止されました。


そもそもこの条例の目的は植民地との中継貿易からオランダを締め出すことにありました。
植民地およびヨーロッパ諸港との貿易を「乗務員の4分の3以上が英国人であること、英国製の船であること、所有者が英国人であること」といった条件を満たす船に限定し、それ以外の入港を禁止していたのです。


しかし自由主義経済の思想が広まったことと、植民地の経済の発展に伴い拡大した植民地からの不満が大きくなったこと、植民地独占体制維持のための行政費と軍事費の増大による納税負担の上昇などを背景に、「航海条例」は廃止されたのです。


イギリスが世界経済の発展に一肌脱いだように見えますが、実質的にはイギリスの「一方的自由貿易主義」が成立することになります。


「航海条例」の廃止は、思想的背景を持ちつつも、貿易相手国の所得増大によるイギリス製品の輸出増大、輸入原材料価格等の低下による輸出コストの低下など、イギリスの利益の観点から実施されたものでした。


残念ながら経済学者リカードの「比較優位の法則」は活用されておらず、後進工業国は食料品、工業用原材料を生産し続け、先進工業国であるイギリスは、強い国際競争力を背景に、世界の工業品市場を独占するという役割分担が継続されることを前提としていたのです。


また、最も政治的困難を伴った穀物法の撤廃は、議会制民主主義下での新興商工業者などへの参政権の拡大と、穀物の大凶作という政治的な環境が整って初めで実施されたという背景もあるのです。


そういった意味で自由貿易論は、強い工業国が貿易によって利益を得るための「強者の論理」としての域を出ていませんでした。


これはある意味では、アメリカが、正確にはアメリカの企業が利益を得るためにアナウンスされた、現代のグローバリズムの思想とよく似ています。


どの時代にあってもその時の強国が自国に有利なルールをつくり、それを外国に押しつける傾向があるようです。


さて、イギリスの政策と並行して、ヨーロッパ大陸においては、統一の遅れたドイツ地方において、1818年以降、主要領邦国家であったプロイセンが領邦内の内部関税の廃止と他のドイツ諸邦との関税協定等を推進し、1833年にはそれら多数の関税協定の結果としてドイツ関税同盟が形成されました。


その後、ドイツだけでなく、オーストリアとハンガリーの関税同盟、スイス内部などで統一的な関税同盟が矢継ぎ早に成立することとなり、ヨーロッパ大陸においても自由通商の基盤が着実に形成されていきました。


では、上野介が製鉄所建設の技術提携国に選んだフランスは、1860年頃どのような状況にあったのでしょうか。


ちょうどナポレオン三世(皇帝在位1852~1870年)の時代です。
1852年に国民投票を経て帝政を開始、1853年にクリミア戦争にイギリスやオスマン帝国側に加担し、ロシア帝国を破り、パリ条約で世界にフランスの力を見せつけました。


1856年には、イギリスと共同してアロー戦争を起こして清朝を屈服。
1858年、インドシナへ出兵してコーチシナ植民地を獲得します。


そして1860年に「英仏通商条約」を締結し、自由貿易を始めます。
こうしてフランスも重商主義から由由貿易へと移行します。


イギリスのヨ-ロッパにおける重要な貿易相手国であったフランスは、他国がフランス商品に特恵的措置な執った場合に、自国の関税も軽減・廃止するという相互主義の立場をとっていました。


このような状況の下で締結された二国間通商条約によって、イギリスは保護関税をほぼ全廃し、フランスは旧来の輸入禁止措置を撤廃し、最高税率を従価3割としたのです。


これによりフランス製のぶどう酒、酢、オリーブ油の対英輸出やイギリス製の綿製品、鉄製品、陶器の対仏輸出など二国間の貿易が促進されたのです。


By Master K/益田 慶

2007年12月17日  FX検定 きょうの問題 天然ガス・カルテル

原油、石炭、鉄鉱石など基本資源だけでなくマンガン、ニッケル、モリブデン、タングステンといったレアメタルが高騰している。原油価格高騰に伴って天然ガス価格も高騰している。


世界最大の天然ガス資源国はどこか?


正解 ロシア


天然ガスはロシアが市場をリードできる資源のひとつだ。


メドベージェフ副首相が次期大統領候補に決定した。

メドベージェフ氏はロシアの巨大エネルギー企業ガスプロムの会長であり、ロシアの資源戦略を握っている。
世界最大の天然ガス企業の会長を務めるメドベージェフ氏がロシア大統領になったら対米戦略の戦略物資として天然ガスの位置づけは一層高まるだろう。


ロシアは、現在、サンクトペテルブルグでエネルギー市場の開設準備をしている。
サンクトペテルブルグ市場で扱う原油、天然ガスの決済通貨はドルでもユーロでもなくルーブルである。


ロシアが他の天然ガス生産国と国際天然ガス・カルテルを組んでアメリカに対抗した場合、世界中に衝撃が走ることになる。
天然ガスの埋蔵量は原油に匹敵し、中東からの脱却に必死のアメリカに対し大きな打撃を与えることになる。

天然ガス輸出国2004年(単位:千兆ジュール)

第1位 ロシア     7530
第2位 カナダ     4015
第3位 ノルウェー  3069
第4位 アルジェリア 2656
第5位 オランダ      1785
第6位 トルクメニスタン 1701


天然ガス輸入国2004年(単位:千兆ジュール)

第1位 アメリカ  4610
第2位 ドイツ    3390
第3位 日本 3156
第4位 イタリア 2587
第5位 ウクライナ 2424
第6位 フランス 1857
第7位 韓国 1206


天然ガス生産国2004年(単位:千兆ジュール)

第1位 ロシア     23,693
第2位 アメリカ     20,399
第3位 イギリス  4,020
第4位アルジェリア   3,641
第5位 ノルウェー 3,276
第6位 イラン   3,198
第7位 インドネシア  3,114
第8位 オランダ     2,865
第9位 サウジアラビア  2,496
第10位 ウズベキスタン  2,235


ガスプロムは天然ガスの生産・供給において世界最大の企業である。

ロシアの新興財閥オリガルヒ系企業。
創設は1993年2月17日。半国営の天然ガス独占企業である。
06年4月にはガスプロムの時価総額はマイクロソフトを超えて世界3位になり、エネルギー企業としてはエクソンモービルに次ぐ企業になった。


天然ガスの生産高は、5237,9億立方メートルでこれは、ロシアの88%、全世界の約23%に相当する。
埋蔵量は、17,800 キロ立方メートルで、これは、世界の38%を占めると言われる。
国内総生産並びに鉱工業総生産の約8%(2000年)、ロシアの国家税収の約25%(1993年から2003年の間、毎年平均40億ドル以上)を占める。

ガスプロムは58の子会社(2002年9月現在)と、約30万人の従業員を抱える。
パイプライン15万2000㎞、地下貯蔵施設22ヶ所(総容量790億立方メートル)を保有し、採掘、生産、から供給、販売までを独占している。


2007年12月17日 海外為替市場

事実上、今年最終週となる為替市場は、リパトリ、ポジション調整、リクイディテーの減少に、方向性の定まらない上下に振れる展開が続いた。リパトリの終了なのか、USDCAD=1.0220→1.0028、CADJPY=110.76円→112.90円とカナダドル高の流れが目立ち、買収案件の拒否にNZDCADは終始、続落、AUDJPYやNZDJPYは売りが続いた。

アジア市場は、オーストラリアの不動産関連の株価が弱く、日経平均株価も-264.72円となり、株安=円高の流れ+113.50円超えの本邦勢のドル売りは厚く、クロスでは円高傾向となった。終盤にかけては欧州勢の恒例の投機的な動きに、薄商いで上下に振れる展開となった。

欧州市場は、最近のユーロ安にEURUSDの見通しも1.5の予想は少なくなり、逆に1.4の見通しが増え、ユーロベアな相場観+欧州株価の大幅下落に下値を試す動きが続いたが、過去3週間では1.4325が強いサポートラインで、中銀筋の買いに下値トライは失敗に終わった。

米国市場は、第3四半期の経常収支、NY連銀製造業景気指数、対米証券投資にも特に反応は鈍く、ドル円は113.50円超えの積極的な輸出企業のドル売りに上値は重く、米国株価も弱く、円は比較的堅調に推移したが、レンジの下限を割り込むことはできなかった。

●ドル円
アジア市場のドル円は113.47円で取引が始まり、朝方の113.53円を高値に、先週末の米国株の下落の影響を受けたドル売りに113.09円まで下落、一時113.30円まで値を戻したが、本邦輸出企業のドル売りが続き、オーストラリアの株価は弱く、日経平均株価安+円買+ポンド円の売り=112.83円まで下落した。欧州市場は112.85円で取引が始まり、112.70円以下のストップロスを試しきれず、クロスの円買いも一巡すると、113.43円まで急伸したが、本邦輸出筋の大口売り+オプション絡みの売りに上値は重く、113.49円を高値に113.25~45円のレンジで売り買いが交錯した。22:30時のNY連銀製造業景気指数が予想を下回ったが、23:00時の対米証券投資が世予想より良かったものの、米国株は弱く反応は鈍く、00:00時のオプションカットでは113.13円まで値を下げ、113.10~30円の狭いレンジでと取引が続いていた。米国株の下落幅が拡大すると、113.10円を割り込むと短期投機筋の売りが開始され、終盤にかけては113円を割り込み112.84円まで下落、07:00時では112.93円で取引されている。

●ユーロドル
アジア市場のユーロドルは1.4390で取引が始まり、先週末のギャップを生める買いが入り、1.4451まで徐々に上昇したが、1.4450超えの売りが続き1.4430~50の狭いレンジで売り買いが交錯、欧州勢が参入すると恒例の投機的な売り買いが始まり、1.4454まで上昇+直後には1.4372まで急落した。欧州市場は1.4416で取引が始まり、アジア株+欧州株の下落に、ユーロ円が売られ、リパトリのドル買いにドルは全面高となり1.4366まで下落、1.4370~00のレンジから、1.4330以下のストップロスを試す売りに1.4332まで下落した。ようやく政府系ファンや中銀筋の買いが入り1.4402まで急伸、米経済指標の反応も鈍く、1.4370~00のレンジで売り買いが交錯、00:00時のオプションカットでは1.4366まで値を下げ、欧州勢のポジション調整の売りに一時1.4355まで値を下げた。終盤にかけては薄商いの中で再び1.4400超えを試す動きが始まったが、またしても失敗、07:00時では1.4399で取引されている。

●ユーロ円
アジア市場のユーロ円は163.30円で取引が始まり、163.03円まで下落、仲値では163.55円まで上昇したが、ドル円の上昇力も鈍く、NZDJPY+AUDJPYの売りも続き、163.20~50円のレンジで取引が続いていたが、ユーロドルの急落に162.68円まで値を下げた。欧州市場は162.70円で取引が始まり、162.50円以下のストップロスを狙った売りに一時162.36円まで値を下げたが、薄商いの中でユーロドルが上昇すると、163.37円まで急伸、163.00~25円のレンジで取引が続いた。米国株は弱く、株安=円買いの動きも続き上値は重く、00:00時のオプションカットでは162.58円まで下落、162.50~90円のレンジで揉み合いとなり、07:00時では162.63円で取引されている。

●主な経済指標の結果 
08:50 日本 10月の第3次産業活動指数=前月比1.1%(予想1.2% 前回-1.6%)
14:00 日本 10月の景気動向調査・改訂値 =先行指数18.2%(予想18.2% 前回20.0%)、一致指数66.7%(予想70.0% 前回66.7%)
英 10月のライトムーブ住宅価格=前月比-3.2%(前回-0.7%)→ 統計開始以来の低水準、 前年比4.8%(前回7.9%)→ 過去2年で最も上昇力が弱く ポンド売られる
17:15 スイス 第3四半期の鉱工業生産=前期比0.0%(予想-2.5% 前回7.2←6.7%)、 新規受注=前期比15.7%(前回11.7%)
18:00 ユーロ 12月の製造業PMI=52.5(予想52.3 前回52.8)、生産=53.4(前回54.1)、新規受注=51.7(前回52.8)、雇用=52.1(前回52.1)、 サービス業PMI=53.2(予想54.0 前回54.1)、雇用=54.5(前回54.6)、価格=54.0(前回53.6)、投入価格=63.2(前回63.4)、 CompositePMI=53.3(予想53.7 前回54.1)
22:30 米 第3四半期の経常収支=-1784.8億ドル(予想-1837億ドル 前回-1889.2←-1908億ドル)
22:30 米 12月のNY連銀製造業景気指数=10.31(予想20.0 前回27.37)、支払価格=35.0(前回42.86)、新規受注=14.26(前回24.49)、従業員数=12.83(前回10.63)、週平均労働時間=-7.50(前回4.76)
23:00 米 10月の対米証券投資=ネット長期フロー=1140億ドル(予想400億ドル 前回154←264億ドル)、ネットフロー合計=978億ドル(予想300億ドル、前回-328←-147億ドル)
03:00 米 12月のNAHB住宅市場指数=19(予想19 前回19)

●昨日の主な発言その他
米国・カナダ
◎グリーンスパン前米FRB議長=米経済は、スタグフレーションの初期症状が見られる。リセッションに陥る可能性は50%。
◎米財務相高官=為替報告書(半期ごとの主要貿易相手国の為替政策に関する報告書)を19日(日本時間20日午前6時)に発表する。
◎ブッシュ米大統領=米経済のファンダメンタルズは力強い。 暗雲が迫っている。
◎ポールソン米財務長官=米経済は引き続き成長し、コアインフレは抑制されている。 全般的に米経済は今後も成長し、基本的に健全。 企業の財務はおおむね健全さを維持しており、米国外の力強い成長は米輸出を支援。

欧州・英国
◎ガルガナス・ギリシャ中銀総裁=インフレ率は今後数ヶ月上昇する見通しだが、2008年中には落ち着いてくると予想。 欧州中銀は、ユーロ圏のインフレ期待が物価安定に沿った水準で安定するように必要な行動をとる。
◎ドイツ復興金融公庫(新聞報道)=ドイツ産業銀行(IKB)の支援に関して50億ユーロ以上の損失を計上する可能性。
◎ドイツ連銀(新聞報道)=2008年のGDP見通しを1.6%(前回2.0%やや下回る)に引き下げた。 インフレ率は2007年・2008年=2.3%、2009年=1.5%に鈍化予想。
◎ドイツ財務相=ユーロ高や原料価格の上昇、サブプライム問題による市場混乱に、第4四半期の独成長は減速する見通し。
◎イッシング前ECB専務理事=ユーロの上昇はインフレ期待を抑制する一助となった。
◎ラガルド仏経済財務雇用相=欧州のドイツなど一部諸国はユーロ高に関するフランスの懸念を共有し始めた。 米サブプライムロー問題の影響の欧州への影響は限定的。

日本・その他
◎オーストラリア株大幅下落=不動産信託大手セントロ・プロパティーズ・グループの株価が前週末比70%以上も下落し、オーストラリアの株価指数(ASX)は前週比-3.5%。 AUDJPYの売りが強まる。
◎ミレアホールディング=英保険グループのキルンを1,061億円で買収。
◎大田経済財政担当相=来年の日本経済について「リスク要因はあるが、緩やかな景気回復が持続する。
◎劉士余中国人民銀行副総裁(新聞報道)=中国は、預金準備率の引き上げ、公開市場操作、利上げ、窓口規制などで、2008年に引き締め政策を強化へ。
◎オマーン中銀=インフレ率が16年ぶりの高水準となり、預金準備率を3%→5%に引き上げを実施
◎タイ中銀=外貨保有に関する規制を緩和する。
◎オークランド・エアーポートはカナダ・ペンションファンドの買収案を拒否→ NZDCAD下落へ。
◎UAE(新聞報道)=UAE中銀総裁の発言として、ガルフ産油国は通貨切り上げに動くだろう。

2007年12月17日 (月) 米経常収支

南ア休場(和解の日の振替休日)

08:50 (日) 10月第3次産業活動指数
14:00 (日) 10月景気動向調査
17:15 (スイス) 第3四半期鉱工業生産
22:30 (米) 第3四半期経常収支
22:30 (米) 12月ニューヨーク連銀製造業景気指数
23:00 (米) 10月対米証券投資

7 江戸幕府の支配統制 年貢という租税制度

大名の支配統制と鉱山など直轄地のオペレーションの次に説明しておかなければいけないのが、農民統制である。農民が生産した米を大名が年貢として徴収し、大名は幕府に石高を申請し、上納金を納める。年貢収入が幕府の財政の基盤であったことを鑑みるなら、この制度こそが江戸幕府の支配統制の屋台骨といえよう。


そのベースになる「検地」は、戦国大名が自分の支配地域で課税を行うための資料として土地の調査を行ったのが起源だ。織田信長も領国内で検地を実施していたが、初めて全国規模で検地を行ったのは豊臣秀吉である。いわゆる「太閤検地」の多くは、大名の自己申告であった。これによって全国的に石高制が認知されるようになる。


太閤検地が画期的であったのは、土地の所有者でなく、耕作者(農民)を調査し、農民に課税したことである。これによって中間で搾取する武士が一掃された。流通業でいえば問屋をなくしたようなものだ。農民出身の秀吉らしい政策であった。この太閤検地を下敷きにしたものが、江戸幕府の初期の貢租(年貢)である。これは言い換えれば、幕府の租税制度である。


幕府はすべての土地の価値を米の生産力におきかえる「石高制」を採用し、全国的な流通による諸年貢の換金、領主経済の維持を保証し、領主は検地によって石高を計算したのである。検地にはさらにもうひとつの大きな目的があった。その土地の広さを調査するばかりでなく、農民は検地帳に記名され、職業「百姓」として租税の負担者とされた。検地帳という名の「課税台帳」がつくられたのである。


江戸時代初期の年貢徴収は、田を観察し、その年の収穫量を見込んで毎年年貢率を決定する方法が採用されていた。年間の石高から計算する方式なので、現在の税金の種類でいえば「総合課税」といえよう。このシステムを全国で機能するように推進したのは、大名と全国に派遣された奉行、代官である。幕府はごく少人数で各地に税務署にあたる組織をつくったのである。こういったしくみが徳川三百年を支えたのである。


年貢のシステムはこうだ。領地の石高を村々に振り分け、村全体の石高として換算し、年貢納入は村落が一括納入の義務を負う。そして幕府から派遣された代官や奉行、領地の大名の税務担当者がその村落の代表者から徴収し、幕府や大名に納めるのである。


物事をあきらめるたとえとして「ここが年貢の納め時」と言うが、その裏には当時の農民の「なんとか年貢納入を回避したい」という赤裸々な心情が見え隠れしている。また、村単位で協同して米をつくらなければいけという姿から農耕民族の「村社会」の構図がくっきりと浮かびあがってくる。農作業をさぼると村全体に迷惑がかかることになるのである。


徴収される年貢高に大きく影響を与えるのが、その領地が幕府直轄領か否かである。大名領では五公五民、つまり50%の収納率。これに対して幕府直轄領の場合、公定年貢率は四公六民、すなわち幕府の徴収は40%であった。

しかし実際には、マネジメントを担う代官の数がかなり少ないため、徴税活動の浸透率が低く、40%の徴収率に達することは難しかったとされている。幕府の直轄地を「天領」と呼ぶのは、天(幕府)が収める領という意味だけでなく、年貢が少なくてすむから農民にとって有利だというニュアンスが込められているようだ。


検地による年貢徴収制度にはメリットとデメリットがある。メリットは農民の管理がしやすいこと、課税制度が築けること、少数の管理者ですむことなどがある。「小さな政府」が稼動するには、やはりこういった課税システム、支配制度が必要であったということだ。デメリットは洪水や干ばつ、台風などでその年の実際の石高が大きく左右することだ。大名も農民も年によって収入が大きく変わるリスクを背負っていたのである。このことから江戸中期には、豊作・不作にかかわらず一定の年貢率による定免(じょうめん)法が採用されるようになる。


By Master K/益田 慶

2007年12月18日

ヨーロッパの財閥と企業グループ 33 欧州財閥の系譜 スウェーデン財閥

北欧スウェーデン最強の財閥ウォーレンバーグ一族は、「スウェーデンのロックフェラー家」と呼ばれています。この一族は巨大企業グループを形成しています。


スウェーデン3位の大手銀行であるSEB(スカンジナビスカ・エンスクリダ・バンク)と持ち株投資会社「インベスター」を中核に、国内の通信機器大手エリクソン、家電・厨房機器大手エレクトロラックス、航空機と自動車大手サーブ、産業機材大手アトラス・コプコ、ヘルスケア大手ガンブロ、素材エンジニアリング大手サンドビックなどを傘下に従えています。


国外ではスイス本社のエンジニアリング最大手ABB(アセア・ブラウン・ボベリ)、イギリスとスウェーデンに本部を置く世界3位の製薬会社アストラゼネカなども一族が支配する企業です。また一族の資産を管理するナット・アンド・アリス・ウォーレンバーグ財団は、「ノーベル賞」で知られるノーベル財団最大のスポンサーのひとつです。


グループの中で日本でもなじみの深いのは「エリクソン」と「サーブ」でしょう。エリクソンはモバイル・インターネットおよびブロードバンド・インターネット・コミュニケーションの将来を最先端技術で築くリーディング・カンパニーです。


世界140ヶ国以上で画期的なソリューションを提供し、日本ではソニーとの共同出資企業「ソニー・エリクソン」の社名でも知られています。近年では携帯電話分野で富に名前が知れ渡っています。ちなみにウォーレンバーグ・グループのヨーラン・リンダール前 ABB社長は、ソニーの取締役を務め、アングロ・アメリカンの副会長にも就任した人物です。


SAABブランドで知られる乗用車部門は1990年にゼネラルモータース(GM)との折半合資会社「サーブ・オートモービル」に移管され、2000年にはインベスターはサーブ自動車部門の株式50%をGMに売却し、GMの完全子会社となりました。


GMとウォーレンバーグ・グループは、以前から密接な関係を維持してきました。インベスター、ABB、アストラゼネカ、サンドビックの4社の会長を兼任するパーシー・バーネルは、1996年からGMの社外取締役に就任しており、M&Aを含めた政策を協調して行ってきました。


パーシー・バーネルは世界的に評価の高い経営者で、ダボス会議を主催する「ワールド・エコノミック・フォーラム財団」の副会長も務めています。


余談ですが、GMがサーブを買収したことに対抗し、フォードは同じスウェーデンのボルボの自動車部門を買収しました。さらにドイツのフォルクスワーゲンが、サーブの兄弟会社でトラックブランドを受け持つスカニア社の筆頭株主となりました。スカニアはトラック、バス、工業用ディーゼルエンジンの世界的なメーカーです。日本では日野自動車が「日野スカニア」ブランドで販売しています。


ちなみに現在のサーブは、GM、ウォーレンバーグ・グループに次いで、イギリス最大の航空宇宙企業「BAEシステムズ」が33%の株式を保有しています。その取締役会は、ウォーレンバーグ・グループからマーカス・ウォーレンバーグが参加しています。


重要な会社には、積極的に経営に参加する姿勢がうかがえます。このマーカス・ウォーレンバーグという名前は覚えておいてください。国際商業会議所ICC(International Chamber of Commerce)の現会長です。


ICCは1919年、欧米のビジネスリーダー達によって設立されました。現在128カ国7,400社の最高責任者からなる世界経済機構です。そのトップがウォーレンバーグ財閥のマーカス・ウォーレンバーグなのです。


ICCは国連の最高諮問機関のひとつでもあり、世界規模で国際通商・投資を促進し、市場経済システムの安定をはかることを目的に活動しています。
 

By Master K/益田 慶

2007年12月18日 本日の為替戦略

目先は、何処までドル高が進むのか試しているが、基本は、ドル安(ドル円は除く)は変わらず。

年末のリパトリもそろそろ終盤、中銀の旺盛な資金供給に資金調達不安は薄らいだものの、世界的な株価の下落に、金融不安の解消には至らず、結果としては円の買い材料ともなっている。事実上、今年最終週の為替相場は、市場参加者も細り、リクイディテーの減少に、ちょっとした売り買いに、相場が動くことが続きそうで、テクニカルポイントのブレークだけを狙う、そんな投機筋の魑魅魍魎が跋扈跋扈する相場であることは肝に銘じておきたい。

例年は、今週前半で取引は終了、超閑散とした商いが続き、クリスマス休暇明けは事実上新年度入りとなる。海外勢にとっては、絶好のポジションメークの場でもあり、一方向に流れが偏ることが多く、予想外の大相場になることも意識する必要がある。

また、本邦勢は正月明けのさわやかな気分の中で積極的な取引を開始することが多いが、ついフライングに終わる。この時期は市場のセンチメントの逆に動くことは多く、大きく動いても結局は元の水準に戻り、再スタートとなることが多い。経験則としては1~2週間は市場の流れを見るだけに止め、2008年の長い道のりに備えた休養を取ることを進めたい。

米財務省は、為替報告書(半期ごとの主要貿易相手国の為替政策に関する報告書)を19日(日本時間20日午前6時)に発表するが、まあ、あまり気にすることもなさそうである。

本日は、英・カナダのCPI、そして、注目の米住宅着工件数があり、大手投機筋にとっては相場を動かす好機となっている。

●ドル円
ドル円は、金融不安のヘッジ通貨としての円と、長期休暇前の非難通貨としての円と、超低金利の円との顔を持っている。この時期には特に目新しい材料が出難く、逆に有れば大変なことになることが多い。現状は112.70~113.50円のレンジに入り実需の売りに上値は重いが、114円を超えたら買い軍配が上がり、112円を割り込んだら売りに軍配が上がる。テクニカルは買いだが、センチメントは売りとミックスしているのが、どうも厄介でならない。

ドル円の4時間チャートは、三角持合から上抜けし、上昇トレンドが始まったと思ったら、今度は112.70円~113.50円のレンジに入っている。上値のポイントは、113.55円、113.86円、114.10円。下値のポイントは、112.70~78円、112.39~50円、112.28円、111.98円。RSIは67で上昇ラインが続いている。トレンドモメンタムは買いを維持。トータルの判断は、買い。早ければ112.70円、基本は112.39円割れでは撤退。

●ユーロドル
ユーロドルは、薄商いの中でリパトリ+ポジション調整の売りに下げ続けているが、特別ユーロを売る流れに変化したとは考え難い。この時期は理屈に合わない値動きが続くことが多く、下値リスクが解消されたとも考え難いが、将来の絶好のユーロの買い場を提供してもらっているんだと考えれば、それもまた良しとしたい。それまでは、休むも相場。

ユーロドルの4時間チャートは、1.48台を失敗してからは、再び過去の下落トレンドに逆戻りし、下限近くで取引が続いている。上値のポイントは、1.4443、1.4478、1.4513。下値のポイントは、1.4324、1.4306、1.4280。RSIは28と下降ラインを上抜けしているが、トレンドの有る相場になっている可能性もある。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、売りの流れは変わらないが、1.4513近くまでの戻りの可能性も意識したい。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドドルは2.01~2.02のレンジでなんとなく下げ止まった様にも見える。円クロスは、AUDJPY+NZDJPYは大幅下落、CADJPYは大幅上昇、ポンド円は持ち合いと、多種多様となり、円高とか円安とか一言では説明できない状態となっている。ポンド円は特に新しい材料も無く、レンジ相場が続く可能性が高き。

ポンド円の4時間チャートは、227~230円のレンジに入り上値も重くなり始めている。上値のポイントは、229.32円、230.40円、230.98円、231.21円。下値のポイントは、227.40円、226.96円、226.54円、226.24円。RSIは60と下降ラインを上抜けて買いになっている。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、226.54~229.32円のレンジ。

●本日の経済指標・その他
17:15 スイス 10月の小売売上高=前月比予想5.1% 前回7.1% 前年比予想 前回3.0%
18:30 英 11月の消費者物価指数(CPI)=前月比予想0.3% 前回0.5%、 前年比予想2.2% 前回2.1%、 RPI(小売物価指数)=前月比予想0.3% 前回0.4%、前年比予想3.1% 前回3.1%
19:00 ユーロ 10月の貿易収支=予想35億ユーロ 前回31億ユーロ
21:00 カナダ 11月の消費者物価指数(CPI)=前月比予想0.2% 前回-0.3%、前年比予想2.4% 前回2.4%、BOCコアCPI=前月比予想0.1% 前回-0.2%、前年比予想1.7% 前回1.8%
22:30 カナダ 11月の景気先行指数=前月比予想0.1% 前回0.1%
22:30 米 11月の住宅着工件数=予想117.6万件 前回112.9万件、 建設許可件数=予想115.0万件、 前回117.0万件
イングランド銀行(BOE)=ポンドの資金供給を実施
カナダ中銀(BOC)=カナダドルの資金供給を実施
Thomas Jordanスイス中銀理事発言

2007年12月18日

ホームページが刷新されました。

お問い合わせ

FX Magazine:The Gate

FX Magazine:The Gate 登録フォーム

姓 ※ (例)日本
名 ※ (例)太郎
姓(カタカナ) ※ (例)ニホン
名(カタカナ) ※ (例)タロウ
メールアドレス ※ (例)nihon@example.co.jp
都道府県 ※
性別 ※ 男性 女性
生年 ※
FX投資暦 ※
株式投資 ※ 経験なし 経験あり

FX Magazine:The Gateの概要:

週6回配信

月曜日 コラム 小さな政府 江戸幕府の合理主義
      FX検定 きょうの問題
      経済カレンダー
火曜日 コラム 外国為替再入門
      totoFXドル円予想クイズ 結果発表
      経済カレンダー
水曜日 コラム 世界資源戦争
      経済カレンダー
木曜日 コラム 100年企業
      経済カレンダー
金曜日 コラム FXライフ 世界の歩き方
      FX検定 きょうの問題
      経済カレンダー
土曜日 来週のマーケット
      totoFXドル円予想クイズ

随時 20:20 Vision アービトラージ発想法

2007年12月18日 (火) 英消費者物価指数

17:15 (スイス) 10月実質小売売上高
17:15 (香港) 11月失業率
18:30 (英) 11月消費者物価指数
18:30 (英) 11月小売物価指数
19:00 (ユーロ圏) 10月貿易収支
21:00 (加) 11月消費者物価指数
22:30 (加) 11月景気先行指数
22:30 (米) 11月住宅着工件数
22:30 (米) 11月建設許可件数

2007年12月19日

小栗上野介が駆け抜けた時代 50 激変した世界地図の中の江戸時代   欧州自由貿易主義

日本が幕末を迎えていた頃、ヨーロッパの列強は自由貿易主義に移行します。穀物法廃止に代表される一方的なイギリスの自由貿易主義は、外国が保護貿易措置を執っている限り、そこから得られる貿易利益には限界がありました。一方、この条約の背景には、フランスのイタリア統一戦争介入による英仏関係の悪化を経済面から緩和しようというフランスの政治的意図もあったようです。


このような背景を理解しておくと、幕末にイギリスやフランスがどうして日本に開国を迫り、自由貿易を求めたのか、その理由が見えてきます。そして1864年にフランス、イギリス、オランダ、アメリカの4カ国連合艦隊が関門海峡に来襲し、長州藩が大敗北した「下関砲撃事件」の重要性が理解できます。


長州藩が前年、下関海峡を通過する外国船(フランス船、アメリカ船、オランダ船)を砲撃したことから勃発したこの事件は、当時の列強が関門海峡の封鎖解除を求めたものでした。列強の間では、一国の領海内における無害航行は、すでに国際法上認められる船舶の権利という認識が生まれていました。また、関門海峡の機能が、欧州におけるスエズ運河とよく似ていたことも挙げられます。博多や長崎、瀬戸内海航路を結ぶ運河としての下関海峡は、列強にとって欧州におけるスエズ運河のように重要な航路だったのです。列強には「自由貿易のルールを理解できない長州には武力で理解させろ」という目論見があったのでしょう。


アメリカ、フランス、オランダの三ヶ国が長州への抗議行動に、被害国ではなかったイギリスの参加を強く求めたのは、イギリスの東洋艦隊が最も優れた勢力を保持していたからです。当初静観していたイギリスが積極的に4カ国連合艦隊に加わったのは、関門海峡の封鎖がイギリスの貿易に深刻な影響を与えることに気づいたからでしょう。長崎の貿易は横浜のそれと比べると小規模でしたが、対日貿易の約20%を占め、兵庫(神戸)、大坂がまだ開港されていない当時にあっては、西日本における重要な貿易の窓口であることに変わりはなかったということです。長崎貿易が破滅的状態に陥ったことで、イギリスは始めて危機感を覚えたのです。


4カ国連合艦隊であるイギリス、フランス、オランダ、アメリカは、水面下で駆け引きをしていたともいえるでしょう。イギリスが下関を襲撃した意図は排他的な傾向の長州藩に是正を進め、開港に導くための軍事的デモンストレーションでした。イギリスはこれと同じことを清国で行って成功しています。「アロー戦争」です。


一方、フランスは当初幕府支援にまわり、対日政策でイギリスとは異なる姿勢を見せました。極東マーケットに食い込もうとしているイギリスの活動を牽制することがフランス側の狙いだったといえるでしょう。アメリカは当時、南北戦争の渦中にあったのでイギリスやフランスが日本に注ぐほどの関心を抱いていなかったと推測できます。古くから日本との貿易をしてきたオランダは不意に長州から砲撃を受けたので、その報復をするといった程度だったと想像できます。


最も進歩的だったのはイギリスです。幕府への期待を薄め、薩長連合に将来の政権構想を求めていました。武器商人を通じて両藩に武器を調達したのも、武器販売による利益を求めただけでなく、いわば薩長のクーデターを支援するものだったともいえます。フランスが恐れたのは、イギリスと長州藩が手を結ぶことだったのでしょう。だからフランス側はイギリスに対抗するために小栗上野介に近寄り、幕府に造船所建設の支援を申し出たのではないでしょうか。その一方で4カ国連合艦隊に参加せざるを得なかったのは、軍事力に優れたイギリスに勝手な行動をさせないための苦肉の策といえるでしょう。しかし、結果的にイギリスが幕府に求めたのは、輸入税を原則として一律16%に引き下げ、輸入税は5~10%に改訂することでした。


By Master K/益田 慶

2007年12月19日

メルマガで不定期連載だった「アービトラージ発想法」を新設コラムとして開設しました。

世界資源戦争 4 石油開発の歴史 OPEC誕生とアラブ産油国の反撃

第二次世界大戦後、石油の需要は急拡大した。さらに大規模な油田開発が相次ぎ、供給過剰に陥った。1952年、石油メジャーは産油国の了承なしに公示価格(2.08ドル/バレル)を段階的に1.80ドル/バレルまで引き下げる方針を発表した。産油国側は事前通告を石油メジャーに求めたが、メジャーはそれを無視しつづけた。


1960年、石油産出国の利益を守るために設立された組織がOPEC(石油輸出国機構)だ。石油生産を独占する石油メジャーへの対抗組織として誕生したのである。誕生当時の加盟国は、イラク、イラン、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラの5カ国だった。その後、61年にカタール、62年にインドネシア、63年にエクアドル(93年に脱退)、67年にアラブ首長国連邦が順次加盟した。


OPEC設立から10年間は、世界の石油需給が緩和していたこともあって原油価格の引き上げはなく、メジャーによる国際カルテルが功を奏し、原油価格は1バレル2ドル前後で安定して推移した。日本はこの期間に原油価格が安定していたから高度経済成長が実現できたという見方もできるし、当時の西ドイツ、日本といった第二次世界大戦の敗戦国の復興と成長の要因に、石油を大量に使う製造業の拡大があったとも言えよう。


1970年代に入ると、自国に存在する資源を自国で管理・開発しようとする「資源ナショナリズム」の機運が強まり、石油メジャーと産油国の力関係が変化を見せ始める。資源の所有権という概念とイスラエルを支持する先進諸国に対するアラブ諸国の政策がリンクしたのである。当時イスラエルはシリア、レバノンに対して頻繁な軍事行動をとっていた。そのイスラエルを欧米諸国が認めていることに対するアラブ諸国の反発とナショナリズムが絶妙にミックスされ、欧米の石油メジャーへの対応が大きく変わっていく。つまり、国の大切な資源である石油は先進国の要望に応じて販売するものではなく、先進国との外交交渉、政治の重要なカードになっていったのである。


1970年、まずリビアが原油公示価格と所得税率の引き上げに踏み切った。日本や旧西ドイツなどの重厚長大産業の飛躍的な成長によって石油の需給が増え続けていた矢先、シリアで石油パイプラインの一部が破壊され、一時的に原油の供給がストップした。このタイミングにリビアの革命政権は同国で操作中の米石油大手「オキシデンタル・ペトロリアム」に対して原油価格と所得税の引き上げを行ったのである。


リビアのこの対応を踏襲し、ペルシャ湾岸諸国が1バレルあたり9セントの引き上げを実行。そして翌1971年、「テヘラン協定」でペルシャ湾岸原油公示価格を一律1バレルあたり35セント引き上げ、以降毎年2.5%+5セント引き上げていくことが決定した。これに加え、石油メジャーが産油国に支払う所得税率が50%から55%に引き上げられた。


産油国の石油収入は、多くの場合、産油国と石油会社との問で締結される石油利権契約に基づき、当時も現在もドル建てで行われている。公示価格を算定基準として利権料(ロイヤリティ)及び所得税を計算し、石油収入とするシステムだ。そのためにドルの価値が下がると、産油国がせっかく原油価格を値上げしてもその効果は相殺されてしまう。そこでドル減価分に応じた値上げを取り決めたのが、72年の「ジュネーブ協定」である。この協定には伏線がある。71年8月の「ニクソンショック」以降、ドルの価値は下がり続けていたのである。


また、同年に締結された「リヤド協定」では、サウジアラビア、アブダビと両国に利権を持つ石油メジャーの間で産油国の参加を規定した協定が決まり、石油メジャーから産油国への段階的な石油採掘事業利権の譲渡が合意される。これは産油国側は当初25%の石油利権を強制的に石油会社から買い取り、78年から81年まではその利権の割合を1年に5%ずつ引き上げていき、最終的に5割のシェアを取ろうというものであった。一方、急進派産油国のイラクは石油の国有化をめざしていた。アラブの産油国はそれぞれ石油資源の主権の確立を進めていった。


By Master K/益田 慶

2007年12月19日  18日の海外為替市場

◎クリスマス休暇を前に、ポジション調整、リパトリの動きも弱く、狭いレンジで取引が続いた。

アジア市場は、オーストラリア中銀の12月4日の議事録が公開され、利上げの可能性が強かったことが判明、豪ドル買いの影響に、AUDJPYが買われ、NZDJPYが上昇するなど円はクロスやドルで値を下げた。

欧州市場は、AUDJPY・NZDJPYの買いが続き、リパトリの動きも弱くユーロの買い戻しが見られたが、逆にポンドの売りが入るなど、EURGBP=0.7126→0.7152まで上昇、カナダCPIがやや弱く、カナダ売りの材料とされたが、主要通貨では狭いレンジでの取引が続いた。

米国市場は、ゴールドマンサックスの好決算に米国株は上昇、ドル円は113.50円超えまで上昇、クロスでも円売りの流れが続いたが、米住宅着工指数はやや弱く、NYダウがマイナスになると、AUDJPY・NZDJPYが売り変わり、結局は狭いレンジ相場となった。

●ドル円
アジア市場のドル円は112.93円で取引が始まり、前日のNY市場の流れを受け、早朝に112.70~80円以下のストップスを試し一時112.75円まで下落したが、本邦勢の外貨投信の買い+ポジション調整のドル買い戻し、AUDJPY+NZDJPYの買いに113.33円まで上昇、午後に入ると113.10~30円のレンジから、112.96円まで下落、欧州勢の買いに113.22円まで値を戻した。欧州市場は、113.05円で取引が始まり、クロスの円売りの流れに113.53円まで上昇したが、カナダCPIの影響にCADJPYの売りが入り、113.27円まで下落、堅調な米国株に再度113.52円まで上昇した。22:15時のECBフィキシング近辺から値を下げ、米住宅着工がやや弱く、NYダウが前日比マイナス圏に入り、01:00時のロンドンフィキシングでは113.13円まで下落したが、NYダウが再び上昇するとやや値を戻し、07:00時では113.38円で取引されている。

●ユーロドル
アジア市場のユーロドルは1.4399で取引が始まり、1.4420超えの海外勢の売りと、1.4380以下の買いに挟まれて、動意の乏しい1.4382~1.4418の狭いレンジで取引が続いた。欧州市場は1.4408で取引が始まり、1.4366を安値に欧州実需筋の買いや、メルシュ・ルクセンブルク中銀のインフレリスク・利上げの可能性を示唆する発言にユーロ買い続いた。22:10時のECBフィキシングでは1.4426まで上昇、米住宅着工件数の発表直後には1.4436まで上昇した。00:00時のオプションカットから売りが強まり1.4388まで下落、1.4390~1.4410の狭いレンジで取引が続き、07:00時では1.4412で取引されている。

●ユーロ円
アジア市場のユーロ円は162.62円で取引が始まり、早朝はドル円の売りに162.40円まで下落したが、ドル円の上昇+NZDJPYの買いに162.80円まで値を戻し、AUDJPYの買いが強まると162.80円→163.33円まで続伸、前日NY市場の高円163.36円を超えられず、調整のユーロ売るに162.80円まで値を下げた。欧州市場は162.87円で取引が始まり、162.69円を安値に、ユーロドル買い戻しや堅調な欧州株に底堅く推移、163.36円を超え163.62円まで続伸した。NYダウ値を下げ、NZDJPYやAUDJPYの売りを引金に162.86円まで値を下げたが、NYダウが再び上昇に転じると163.40円まで値を戻し、07:00時では163.41円で取引されている。

●主な経済指標の結果 
17:15 スイス 10月の小売売上高=前年比6.1%(前回3.0%)
18:30 英 11月の消費者物価指数(CPI・HICP)=前月比0.3%(予想0.3% 前回0.5%)、 前年比2.1%(予想2.2% 前回2.1%)、 RPI(小売物価指数)=前月比0.4%(予想0.3% 前回0.4%)、前年比4.3%(予想3.1% 前回4.2%)、実勢インフレ率(RPIX)=前月比0.4% 前回0.4%、前年比3.2% 前回3.1%
19:00 ユーロ 10月の貿易収支=61億ユーロ(予想35億ユーロ 前回37億ユーロ )、輸出1410億ユーロ(前回1253億)、輸入1348億ユーロ(前回1217億)
21:00 カナダ 11月の消費者物価指数(CPI)=前月比0.3%(予想0.2% 前回-0.3%)、前年比2.5%(予想2.4% 前回2.4%)、BOCコアCPI=前月比0.0%(予想0.1% 前回-0.2%)、前年比1.6%(予想1.7% 前回1.8%)→ 予想より低く、カナダドル売りとなる
22:30 カナダ 11月の景気先行指数=前月比0.0%(予想0.1% 前回0.0←0.1%)
22:30 米 11月の住宅着工件数=118.7万件・-3.7%(予想117.6万件 前回123.2万件・4.2%←112.9万件)、 建設許可件数=115.2万件・-1.5%(予想115.0万件、 前回117.0万件・-7.2%) → 着工件数は14年来の低水準。

●昨日の主な発言その他
米国・カナダ
◎欧米中銀、流動性供給策に基づいた資金入札を開始。
◎米FRB追加サブプライム問題の住宅ローン対策を発表=借り手の返済能力を確認することを貸し手に義務付ける。
◎バーナンキFRB議長(声明)=不当な、不正な、行動や慣行は借り手とその家族だけでなく、地域社会全体と経済先般に打撃を与えた。 
◎米株価=ゴールドマンサックスの業績を好感し上昇して始まる。 第4四半期決算で純利益は32.2億ドル(前回31.5億ドル)、通年一株利益は過去最高。
◎ポールソン米財務長官=住宅ローン対策は判断を誤った人々の救済ではなく、金融市場の保護が目的。
◎US assets economists=最近のドル安にもかかわらず、リザーブ通貨としての価値を維持。

欧州・英国
◎ブラウン英首相=1月上旬に、メルケル独首相、サルコジ仏大統領と、金融市場の安定について話し合う。
◎シュタルクECB専務理事=ユーロ圏のインフレ率は今後数ヶ月でピークに達しその後は徐々に鈍化する。
◎四半期報告書(欧州委員会)=世界のクレジットクランチが当面のユーロ経済を圧迫するだろう。 好調な雇用や過去最高水準に達した企業の収益性が景気の下支え。 2008年ユーロ圏の成長率は混乱により2.6→2.2%に低下する見通し。
◎キングBOE総裁(議会委員会の証言)=世界の金融セクターは今後の数ヶ月間は、痛みを伴う調整に直面する。 欧米5中銀の協調流動性対策は、急激な信用収縮で世界経済が悪化することを防止する目的。 国際不均衡の無秩序な巻き戻しや、信頼の危機が誰の利益にもならないことが反面する結果、ドルは両方向へのリスクが存在する。
◎メルシュ・ルクセンブルク中銀=インフレが高まればECBは利上げの可能性。 来年夏場まで続くと予想されるクレジット市場の混乱収束を待つ必要はない。
◎メルケル独首相=2.0%を超える独インフレ率は懸念材料。
◎ジョーダンスイス中銀理事=スイス中銀は為替ターゲットの水準を持っていない。 最近のスイスフラン安によるCPIへの影響は見られない。
◎Juergen Stark ECB専務理事=第4四半期の成長が減速する可能性がある。

日本・その他
◎オーストラリア中銀理事会議事録=12月4日の理事会では政策金利を引上げる相当の理由があったが、世界的な信用収縮のため利上げを見送った。世界経済は以前ほど強くない。経済指標は急拡大を示唆、金利上昇の可能性。 インフレ見通しを引き続き懸念→ 豪ドル買いが始まる。
◎NZ中銀=財政黒字:2007/08年+73.88億NZドル、2008/09年+60.53億NZドル。 国内総生産(GDP):2008年3月+3.0%、2009年3月+2.1%。 インフレ率:2008年3月+3.1%、2009年3月+2.8%。
◎シティグループの予想=UAEは6ヶ月以内にドルペック制度を解消するだろう。

2007年12月19日 本日の為替戦略

動きの鈍い相場、日本市場の休みや、海外市場の休みに絡み、スワップポイントを狙った動きがでやすい。

中銀の緊急協調流動性供が始まり、LIBOR金利は大幅に低下し、米国株も何とかプラス圏。例年この時期まで待って、年越えの資金調達を行う金融機関も無く、既に資金調達を済ませた後の祭りで、年初がむしろ本番との声もあり、まだまだ金融不安は続きそうな気配である。

年末のリパトリの動きや、ポジション調整の売り買いも細り、よっぽどのことがないと、クリスマス休暇前の閑散な相場になりそうである。この時期ならではの、金融不安→安全資金としての円と、資金運用→超低金利の円は、強弱両面を持っており、動き難い展開となるが、欧米中銀の緊急流動性供給に、目先は最悪の状態が回避されたとの判断に、円売りの流れがやや強まっている。 しかし、実際のところはレンジ相場を大きく脱しきれず、年末相場の影響なのかあきらめるしかない。

オーストラリア中銀の金利を据置いた月初めの議事録が発表され、事実上「利上げしたいが、時期が時期だけに自重した」との発表は、豪ドル買いの潜在的な材料となりうる。

本日は、スウェーデン中銀が政策金利を発表、金利据え置きが予想され、イングランド銀行の月初の議事録が発表され、5.75%→5.5%に引き下げられたが、その内容が気になる。


●ドル円
ドル円は、鈍い値動きが続いているが、中銀の緊急協調流動性供が金融不安の解消に役立ち、安全資産としての円の強みは薄らぎ、円高期待から円安期待に支点が移動しているようにも思える。問題は、結果が伴うかどうかで、この時期のリパトリのドル買いが終了した後でも、円売りが続くことができるのか、非常に興味を持っている。いずれにしても、112.70円~113.55円のレンジから外れ、新しい動き始まることを期待したい。

ドル円の4時間チャートは、112.70~113.55円のレンジで取引が続いている。上値のポイントは、113.55円、113.75円、114.02円、115.53円。下値のポイントは、11271~78円、112.39円、112.02~12円、111.71円。RSIは62で、上昇ラインを割り込み売りに転換している可能性がある。トレンドモメンタムは売りに転換。トータルの判断は、売り。113.55~60、または、114.02円を超えたら撤退。 


●ユーロドル
ユーロドルは、リパトリが終了したのか、非常に狭いレンジで取引さえている。通貨当局者からは相変わらずインフレを懸念する発言が多く、利下げの可能性も薄く、1.4275~1.4325の政府系の買い水準を割り込むか、1.4775~1.4525の売り消化し超えるまでは、なんとも言いようの無い相場になりそうである。

ユーロドルの4時間チャートは、下降トレンドのライン下限で下げ止まり、下限から中間ラインに沿って取引されている。上値のポイントは、1.4443、1.4478、1.4513。下値のポイントは、1.4338、1.4306、1.4187。 RSIは23と横ばいでトレンドの有る相場になっている。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、広くは1.4306~1.4513のレンジ、狭くは1.4338~1.4443のレンジ。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドドルが2.01~2.02のレンジを脱し切れず、ポンド円が227円~230.50円を超えられず、どうも煮えきれないが、ポンド買い期待がやや裏切られた感も残る。

ポンド円の4時間チャートは、227.50円を下限に上値がきり下がる、三角持合に入っている。上値のポイントは、228.50円、229.32円、229.82円、230.35円、下値のポイントは、227.50円、226.89円、226.54円、226.18円。RSIは46で方向性がつかめない。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、やや下値リスクが強く、227.50円を割り込むと確認できるが、どうも積極的に取引する気にもなれない。

●本日の経済指標・その他
08:50 日本 10月の全産業活動指数=前月比予想1.1% 前回-1.6%
16:00 独 11月の生産者物価指数(PPI)=前月比予想0.4% 前回0.4%、 前年比予想2.1% 前回1.7%
17:30 スウェーデン中銀(Riksbank)金融政策発表=政策金利(Repo Rate)4.0%の据置きを予想
18:00 独 12月のIFO景況指数=予想103.8 前回104.2、現況指数=109.9(前回110.4)、期待指数=98.0(前回98.3)
18:30 英 イングランド銀行(BOE)PMC議事録=12月5~6日分
19:00 ユーロ 10月の建設支出=前月比予想 前回0.0%
22:30 カナダ 10月の卸売売上高=前月比予想0.1% 前回1.1%
トルシェECB総裁議会証言
ロートスイス中銀総裁発言

2007年12月19日 (水) 独IFO景況指数

(日) 日銀金融政策決定会合(~20日)

08:50 (日) 10月全産業活動指数
16:00 (独) 11月生産者物価指数
18:00 (独) 12月IFO景況指数
18:00 (南ア) 10月実質小売売上高
18:30 (英) BOE議事録
18:30 (南ア) 11月消費者物価指数
19:00 (ユーロ圏) 10月建設支出
22:30 (加) 10月卸売売上高

アービトラージ発想法 Round 1 アービトラージとは何か

アービトラージの概念は、毎日の生活や仕事、投資などに活用することができます。また活用すべきものでもあります。この概念と応用方法を知っているだけで、いままでよりはるかに明確に目標設定ができるし、少ない努力で最大の効果を引き出すことができるのです。

個人が活用するのであれば、仕事の目的が明確化され、手段が効率化する。時間が有効に使えるようになり、新たな自分が発見できる。その結果、生活が豊かになり、感性が豊かになり、価値観が多様化し、人生が変わるかもしれない。企業がビジネスに応用するならば、利益が増え、効率が上がるだろう。


現実と希望のギャップを埋める方法、それがアービトラージ発想法だ。アービトラージは、日本語では裁定とか裁定取引と訳され、新聞紙上や経済誌などで目にすることもあるのでご存知の方も多いでしょう。日経平均株価先物を利用した裁定取引で平均株価が変動するといったニュースをよく耳にします。そんな経済の話と、個人の生活や人生が、なぜ関係しているのか。不思議に思われるかもしれません。


世の中はたえず変化しています。科学は進歩し、交通網は発達し高速化し、世界は小さくなっています。人口が増え、中国、インド、ブラジルなどの新興国の経済は爆発的に拡大しています。東西対立からソ連が崩壊し、冷戦が終わりました。さらに唯一の超大国となったアメリカも弱体化し、中国、ロシアの台頭、ヨーロッパ連合の結束と拡大が続き、世界は多極化へと変化してきました。化石エネルギーの枯渇、地球温暖化による異常気象、食物生産の変化、資源・穀物の高騰など、世界の変化は激しさを増しているようにも見えます。音楽レコードはCDにかわり、CDはデジタル・データにかわろうとしています。中国人の大半が人民服を着ていたのはわずか30年前です。現在では上海でファッションショーが開かれる時代となっています。同じ30年前、A銀行のキャッシュカードはB銀行では使えなかったのです。さらにその10年前は銀行カードすら存在しませんでした。1ドルは360円、1ポンド1000円以上、1オーストラリアドル240円の時代がありました。


アービトラージの概念は、国内と海外、現在と未来、既知と未知、需要と供給、欲求と充足、価値と無価値、過剰と不足などのギャップを埋める行為のことをいいます。人類の歴史はアービトラージによって生まれたといっても過言ではないでしょう。次回から、さまざまな経済活動、社会現象、価値観をアービトラージの概念を使って解説していきます。労働の意味、農業とはなにか、生産の意味、商業の意味、情報化社会、エンタテインメント、投資手法、文化、教育、家庭、ブランドなど分析対象となるフィールドに制限はありません。具体例をひとつひとつ分析することでアービトラージャーとしての眼力を身に着け、世の中を「目利き」することができるようになればと思います。アービトラージ分析を演繹的に示していきます。


By Master K/益田 慶


Health

EUR

WC

FX

MR

INS

KK

アービトラージ発想法 Round 2 「市場経済」と「見えざる手」

努力なしに結果を求めるのは虫がよすぎる考え方ですが、同じ努力をするなら最小限度の努力で最大限の結果を導きたいものです。アービトラージは、「神さまからの贈り物」です。


神は常に「見えざる手」によってギャップを埋めようとする。人間は「市場経済」において「見えざる手」に気づき、さらに「市場の失敗」についても理解しつつあります。しかし人類の経済は「市場経済」ばかりではありません。


カール・ポランニーは、「すべてのトランザクションは個別である」と言いました。トランザクションとは広義の取引のことですが、取引はギャップのあるところにしか発生しません。「市場経済」では、「等価交換」が前提になっていますが、現実には等価かどうかは取引者同士が個別に決めるものであって第3者が決めることではありません。第3者が決めるのは「株式市場」「青果市場」「魚市場」などのマーケット・プレイスにおける取引ルールの下において決められるのです。


現実の社会では、物理的に、あるいは電子的に存在する市場で取引される「交換物」は大量ではあるが種類は少ないのです。多くの「交換物」は、店頭で相対(あいたい)取引されるか、取引を意識されない形で交換されるのです。


企業の従業員として働く場合、従業員と会社の間では雇用契約の形で労働力が取引されていますが、この取引は日常的に意識されているものではありません。意識されたとしても労働量と報酬といった限られた範囲にすぎないからです。毎日の業務の作業ひとつひとつに単価がついているわけではなく、給料とコストに見合った利益を生み出している労働者もいれば、そうでない者もいます。


例えば靴を作る仕事に従事している人がいたとしましょう。同じ労働をしている場合でも、靴製造会社の靴職人は労働力を会社との間で取引していますが、自営の靴職人は自身の労働力を取引してはいません。彼が取引しているのは、注文主である顧客との間で修理サービスや製品である靴を取引しているのです。会社に勤めている靴職人は職務の内容が規定されて取引の内容も異なれば、取引相手も異なります。会社勤めの靴職人と自営の靴職人、そこにはさまざまなギャップが存在しています。


あらゆるギャップにアービトラージのチャンスが潜んでいます。チャンスがあるところには必ずギャップが存在しているともいえます。ギャップを見つける眼、アービトラージャーとしての眼を養っていきましょう。


By Master K/益田 慶


Health

EUR

WC

FX

MR

INS

KK

アービトラージ発想法 Round 3 アービトラージの定義

アービトラージという言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本語では裁定とか、裁定取引と訳されていますので、経済紙などで目にすることもあるでしょう。


英語では、“arbitrage”と綴ります。似たような言葉で“arbitrageur”“arbiter”がありますが、“arbiter”は、決裁権者、決定者を意味しています。それに対して、“arbitrageur”は、投資における「鞘取り」「鞘取り業者」を意味しています。本書では、投資における「鞘取り」を主題にしています。ですから、狭義には“arbitrage”は「鞘取り」「裁定取引」、“arbitrageur”は、「鞘取り業者」「裁定取引投資家」といった意味合いで使っていきます。


狭義にと言ったのはアービトラージという言葉が使われるのは、たとえば日経225先物を売っていたファンドなどの機関投資家が、日経平均の下げを見て現物を買ったり、ETFを買ったりというような行為を裁定取引ということが多く、一般的に使われるのはこのような現物と先物の価格差を利用して売買を両建てするようなケースが大半だからです。


株価指数だけでなく、株式の市場間格差、株式と転換社債、国債の短期と長期の金利差などを利用した取引として裁定取引はよくおこなわれます。理論値と現実値は差異を生み、情報格差は価格差を生むものです。異なる市場では同じ商品、株式が売買されていても需給関係は異なりますから、需給ギャップは当然価格にも反映されるのです。


裁定取引は、とても高度で難しい投資のように思われるかもしれません。ある種のデリバティブであることに変わりはありませんが、実はとてもシンプルで、人間の根源的な部分に触れる経済行為なのです。人間が経済活動をおこなう上で、不確定なものを確実にする智慧として生まれたのが裁定取引、アービトラージです。


現代社会では、アービトラージは投資用語として使われ、人間社会における経済活動で意味するものは捨象されているのかもしれません。


アービトラージは、人間がもつ欲求、欲望、価値観を固定化し、安定化し、増大させる人智として発達してきました。


動物としての人間、人類は、いつの時点から社会性を持った人間になったのだろうか。
私の予想では、アービトラージは、人類がヒューマン・カインドからヒューマン・ビーイングに進化したときに、ことば、道具などと同様に人智として芽生えたのではないかと考えています。


By Master K/益田 慶


Health

EUR

WC

FX

MR

INS

KK

2007年12月20日

2007年12月20日

リンク集を追加しました。
政府関連、経済関係機関、各国中央銀行などを列記しました。
今後も順次充実させていきます。

ヨーロッパの財閥と企業グループ 34 欧州財閥の系譜 フィンランド財閥

2006年のフィンランド経済は、好調な輸出、旺盛な民間設備投資および堅調な個人消費により極めて好調で、「実質GDP成長率は5.9%に達した」と財務省は推定しています。先週紹介した北欧スウェーデンの最強の財閥ウォーレンバーグと提携している一族が隣国フィンランドにいます。フィンランドの有名企業といえば、真っ先にノキアの名が挙がることでしょう。ノキアの携帯電話、エリクソンの部品などを受託製造しているエルコテック社も世界進出を企て、現在日本、中国、インドへ進出しつつあります。


そのフィンランドで最大の売上げを誇る企業ノキア社の業態改革を進め、成功を収めた会長兼CEOヨルマ・オリラが2006年6月、ノキアの経営から身を引き、オランダのロイヤル・ダッチ・シェル会長に就任し、華麗なる転職を果たしましたが、世界の携帯電話販売台数の35%(2005年度)のシェアを誇る、この巨大なテレコム企業に影響を与えているのは、そのヨルマ・オリラではなく、16世紀にドイツから移住したエールンルーツ一族です。一族はあまり表に登場しませんが、ノキアのほかにも、フィンランドの基幹産業である木材をはじめ、生活用品、電力、造船、金融など諸事業に関係しています。


フィンランドを代表する産業である森林産業の企業名を挙げるなら、欧州最大手の製紙メーカーであるストゥーラエンソとUPMキュンメネが双璧です。
前者は売上げ規模で世界一。欧州を中心に森林・製紙企業グループを築いています。近年ではエストニアで最大級のシルベスタ製材所を買収したほか、中国にも進出しています。同社が購入し、使用権を有する中国・広西チワン族自治区の林地、人工原料林の面積は6万ヘクタールに達しています。同社のスポークスマンによれば、第1期プロジェクトはパルプ年産35万トン、紙年産45万トンを見込んでおり、2008年に生産を開始する予定とのことです。また、同社はチリ最大の林産企業アラウコと組んで、ブラジル植林地の共同所有に向けた話し合いを進めているようです。ストゥーラエンソはグローバル企業グループということがいえるでしょう。


一方のUPMキュンメネは、印刷用紙の世界シェアでナンバーワンの企業。生産拠点を世界15ヵ国に置き、森林産業全般に巨大なグループを築いています。ヘルシンキ及びニューヨーク証券取引所に上場し、2004年には日本にも進出し、現地法人を設立しました。この2社がノキア社に続くフィンランドの優良企業です。


フィンランドの隣国のノルウェーにも財閥が存在します。ノルウェーはEUに加盟しておらず、また石油開発や通信事業分野で国有企業が多いので経済動向がつかみにくい国ですが、産業全体に占める天然資源産業(石油、ガスなど)の比率が高く、意外にも世界屈指の石油輸出国なのです。そこで海運業が発展したのです。その海運業で成功したジョン・フレドリクセンはケタ違いの資産家です。2000年12月、億万長者の彼が私有する石油輸送大手ワールド・シップホールディング・グループ(WSG)が、シンガポールを代表する造船会社を買収。同社は一気に、石油・ガス産業向けの船舶を保有し、チャーター・運航を主要業務とする世界屈指のエネルギー輸送グループに駆け上がりました。


余談ですが、ドイツのIW経済研究所が発表した先進20カ国の比較調査でこんな結果が出ています。1900~99年の100年間、国民1人当たりの実質経済成長率は日本が1660%で1位。2位はノルウェー(1090%)、3位はフィンランド(1010%)となっています。北欧諸国は森林や石油資源に恵まれていたので、経済が成長したのでしょう。これからも目が離せない地域です。


By Master K/益田 慶

100年企業5 旧財閥系の100年企業 安田財閥

第二次世界大戦前まで「四大財閥」と呼ばれたのは、三井、三菱、住友、安田であった。旧安田財閥は富山県出身の安田善次郎が幕末の1866年、日本橋小舟町に両替商「安田商店」を開いたのが起源だ。善次郎は幕府の御用両替を担い、巨額の富を得た。これが安田財閥の源流である。


明治に入ると、善次郎は発足したばかりでまだ信用力のない明治新政府の不換紙幣や公債を率先して引き受け、その流通に積極的に協力した。つまり額面割れした太政官札に対する正金貸付業務を行ったのである。1870年に正金金札等価通用布告がなされると、太政官札を額面引き換えし、巨万の利益を得ることになる。


善次郎は1876年(明治9年)、東京川崎財閥の祖・川崎八右衛門とともに「第三国立銀行」(のちに安田銀行に吸収)を設立。明治13年には安田商店を安田銀行に改組する。戦前の安田銀行は多くの銀行を吸収し、金融財閥財を築いた。この安田銀行が財閥解体によって富士銀行に商号変更し、のちに富士銀行、第一勧銀、日本興銀が合併し、「みずほファイナンシャルグループ」が発足する。

さらに1887年に「安田保善社」(現安田不動産)を設立し、釧路硫黄山と釧路鉄道、函館倉庫の経営など銀行業以外にも進出。1893年に「帝国海上保険」、翌年に「共済生命保険」を設立し、事業を損保、生保業務にも広げた。前者の帝国海上保険がのちの安田火災海上保険で、さらに安田火災海上保険と日産火災海上保険が合併して誕生したのが「損害保険ジャパン」である。同社は会社案内で「創業1888年」と謳っているので、「100年企業」ということになる。
共済生命保険はのちに安田生命へ改組し、これが現在の「明治安田生命」へとつながっている。


善次郎の事業への意欲は衰えず、1896年には不動産業務の「東京建物」、翌年には「安田製釘所(現安田工業)」を創業。ビル開発・マンションメーカーとして展開する東京建物、釘・線材メーカーの安田工業とも「100年企業」に該当する。1898年に事業を統括する「安田商事」(のちに安田銀行と合併)を設立し、同年、紡績業にも進出し、「西成紡績所」を設立した。


また、1898年に安田財閥グループが関与して設立された「東京物品火災」はのちに「日動火災」となり、2004年に三菱グループの「東京海上火災」と合併し、「東京海上日動」となった。ちなみに東京海上火災の前身である「東京海上保険」は日本最初の海上保険会社で、創業は1879年。出資者は華族集団が51%、三菱関係者が17.5%、その他に三井物産、三井銀行、渋沢栄一、大倉喜八郎らに並んで安田善次郎も名を連ねている。善次郎はほかに「帝国ホテル」の発起人や、東京-大阪を私鉄電車で結ぶ幻の計画「日本電気鉄道」の発起人、日銀創立時に理事を務めるなど精力的に活動した。さらに浅野財閥や大倉財閥、根津財閥などに積極的に融資を行い、日産自動車や森コンツェルンなどを支援したのも安田財閥である。戦前、金融資本においては他の財閥の追随を許さず、日本最大の規模を誇っていたようだ。


さて、旧安田財閥系の企業といえば、財閥解体によって生まれた富士銀行の融資系列である「芙蓉グループ」に直結する。流通取引で各社と関係の深い「丸紅」を中心に、日産自動車や大成建設、昭和電工などが同グループに属する。その中から「100年企業」を挙げるなら、1878年創業の「四国銀行」、1881年創業の「沖電気」、1897年創業の「帝国繊維」などがある。


さて、旧安田財閥が再編されて生まれた芙蓉グループだが、現在では他の企業系列との境界線は曖昧になっている。これは富士銀行が第一勧銀、興銀と合併して「みずほファイナンシャルグループ」が誕生し、芙蓉系列と旧第一勧銀グループ、旧興銀グループが混じ合ったことで、もはやどこからどこまでが芙蓉グループなのかわからなくなっているからだ。ともあれ、戦前に安田財閥が日本経済の発展に大きく寄与したことは確かである。

By Master K/益田 慶

2007年12月20日  19日の海外為替市場

アジア市場は、クリスマス休暇前の狭いレンジ相場が続いていたが、欧州勢の参入にドル買いが始まった。欧州市場は、スウェーデン中銀は予想通り政策金利の据え置きを決定したが、金利引き上げ観測が後退し、EURSEKやUSDSEKでSEK売りが広まり、スイス中銀理事は「中期的にインフレはアンダーコントロール」と発言、スイス金利引き上げの可能性が薄らぎ、スイス売りが強まった。

独IFOは2006年1月来の低水準でユーロ売りの材料が新たに加わり。イングランド銀行(BOE)は12月初旬のMPCで政策金利引き下げを予想外の9対0で決定(予想7対0)。事前にこれがリークされたことで、発表前からGBPは弱含みの展開が続いた。トルシェECB総裁は、物価上昇リスク+成長下向きリスクを警戒しユーロも弱く、モルガンスタンレの第4四半期決算35.9億ドルの赤字を計上、中国の投資公司から50億ドルの出資を受けることを発表。失望と期待が混在する相場となった。

米国市場はリパトリのドル買いと、クロスの売り買いが混在する値動きとなり、米国株がプラス圏からマイナス圏に移り、S&Pが複数のCDOのレーティングを引き下げに米株の売りが続いた。主要通貨では売り買いが混在していたが、ロンドンフィキシングを境に相場が急変、ドル買い戻しが始まった。ユーロは値を戻し、円、スイス、ポンドは弱く、高金利通貨も軟調に推移した。

●ドル円
アジア市場のドル円は113.37円で取引が始まり、クリスマス休暇前の閑散として取引の中で、113.21~41円の狭いレンジで取引が続いていたが、日経平均株価が弱く+欧州通貨売りが強く、クロスで円を買い戻す動きが始まると113.17円まで値を下げた。欧州市場は113.23円で取引が始まり、投機筋のドル買いが欧州通貨で続き、SEKJPY、GBPJPY、EURJPYの売りに113.00円を割り込み112.77円まで下落、112.70~75円以下のストップロス狙いが失敗し、一時113.10円まで値を戻した。モルガンスタンレの赤字決算が発表されると、112.75円まで下落、中国の投資公司から50億ドルの出資を受けるとの発表に113.10円まで値を戻、堅調な米国株とリパトリのドル買いに上昇が続き、00:00時のオプションカットを過ぎると113.00~15円のドル売りを消化し上昇が始まり、01:00時のロンドンフィキシングでは113.43円まで上昇した。NYダウがマイナスに転じ、ドル売りに113.18円まで下落したが、主要通貨でのドル買いが続き、113.20~50円のレンジで激しい攻防が続き、06:00時では113.31円で取引されている。

●ユーロドル
アジア市場のユーロドルは1.4413で取引が始まり、朝方の1.4424を高値に1.4410~20の極狭いレンジで取引が続いていたが、欧州勢の参入が始まると投機筋のユーロ売りが強まり、1.4382まで下落した。欧州市場は1.4386で取引が始まり、スウェーデン中銀の政策金利、独IFO、イングランド銀行のMPC議事録の発表に、EURSEKが9.4350→9.4915まで急伸、EURGBPが0.7160→0.7130→0.7185、GBPUSDが2.0100→2.0195→2.0035(後に2.0000を割り込む)など大荒れとなった。ユーロドルは1.4380以下の政府系ファンドの買いに1.4375を安値に下げ止まり、1.4380~1.4405の狭いレンジで売り買いが交錯した。01:00時のロンドンフィキシングでEURGBPの買+EURCHFの売りが入り、EURUSDの大口売りに、ストップロスが炸裂、1.4327まで急落した。1.4300以下のストップロストライが失敗、NYダウがマイナス圏に入ると、クロスのユーロ買いや投機筋の買いが強まり1.4390まで値を戻し、06:00時では1.4374 で取引されている。

●ユーロ円
アジア市場のユーロ円は163.43円で取引が始まり、早朝の163.47円を高値に、日本の全産業活動指数が強く163.13円まで下落、163.20~45円の狭いレンジで売り買いが交錯したが、欧州勢の売り162.78円まで値を下げた。欧州市場は162.90円で取引が始まり、投機筋のユーロ売りが続き、独IFOがやや弱く、162.32円まで続落となったが、ユーロドルが1.43台を維持、ドル円が112.70~75円以下のストップロストライが失敗、投機筋の買い戻しが入ると162.88円まで上昇した。モルガンスタンレの赤字決算に162.36円まで再度下値トライが始まったが、中国の投資公司から50億ドルの出資や、NYダウが上昇、01:00時のロンドンフィキシングのユーロ買い需要に163.17円まで続伸した。フィキシングの買いが終了、NYダウがマイナス圏に入ると162.56円まで下落、162.60~90円のレンジから、163.20円まで値を戻し、06:00時では162.91円で取引されている。

●主な経済指標の結果 
08:50 日本 10月の全産業活動指数=前月比1.2%(予想1.1% 前回-1.7%←-1.6%)
16:00 独 11月の生産者物価指数(PPI)=前月比0.8%(予想0.4% 前回0.4%)、 前年比2.5%(予想2.1% 前回1.7%)
17:30 スウェーデン中銀(Riksbank)金融政策発表=政策金利(Repo Rate)4.0%の据置きを決定。
18:00 独 12月のIFO景況指数=103.0(回104.2)、現況指数=109.9(前回110.4)、期待指数=98.0(前回98.3)→ 予想をやや下回る。
18:30 英 イングランド銀行(BOE)PMC議事録=12月5~6日分 9対0で利下げが決定された(予想7対2)→ ポンド売りとなる。
19:00 ユーロ 10月の建設支出=前月比0.6%(前回-0.1←0.0%)
22:30 カナダ 10月の卸売売上高=前月比0.5%(予想0.1% 前回1.1%)

●昨日の主な発言その他
米国・カナダ
◎米下院本会議=受託保有者の税負担軽減法案を可決。
◎FRB=借り手の返済能力の確認を貸し出し手に義務付ける、新たなモーゲージ規制案を発表。
◎メリルリンチ=数週間以内に評価損に関して発表をする。予想数十億ドル。
◎モルガンスタンレ=第4四半期決算が信用収縮の影響で評価損が拡大。 継続事業ベースでの純損失は35.9億ドル。 モーゲージ関連の評価損は総額94億ドル。 中国の投資公司から50億ドルの出資を受ける。
◎メリルリンチ・ベアースタンズはACAキャピタル・ホールディングス(金融保証会社)の救済にむけた交渉に入っている。
◎ポールソン米財務長官=中国に市場が決定する為替レートの導入に向けた努力を求める。 米中両国の安定が重要。
◎S&P cut ratings on several CDOs→ 米価下落。

欧州・英国
◎バーカーBOE委員(新聞)=直近の利下げの判断材料は信用市場の悪化。インフレには楽観している。 MPCを控え利下げ支持者が増えたとの予想に7対2の予想→9対ゼロ→ ポンド売りの材料となる。
◎スウェーデン中銀=予想通り4.0%の政策金利据え置きを決定→ 財政の不安があり、国際経済が予想より弱い場合には、金利を引き下げる必用があるかも知れない。 EURSEK9.4450→9.4915(21ヶ月SEK安値)まで急進(EURUSDもちょっと値を戻したが、再び下落)
◎独IFO景況指数=103.0(予想103.8 前回104.2)、現況指数=108.1(予想110.0 前回110.3←110.4)、期待指数=98.2(予想98.0 前回98.3)→ EURUSD1.4374まで下落。
◎ジョーダンスイス中銀理事=スイスの金利は居心地のいいところにあり、中期的にインフレはアンダーコントロール。→ スイス金利引き上げの可能性が薄らぎ、スイスフラン下落が始まり。
◎トルシェECB総裁=中期的な物価見通しのリスクが上向きであることが完全に確認された。 米景気減速の一部は、新興市場国経済で相殺される。あらゆる動向を非常に注意して見守る。 ECB理事会は物価上昇リスクに対抗する容易がある。 第4四半期の成長が鈍化するいくつかの兆候がある。 成長リスクは下向き。 物価リスクは上向き。 インフレ率は近い将来2%を上回る状態が続く見通し。 景気のファンダメンタルズが健全であることが確認された。
◎トルシェECB総裁=現時点でECBは全面的な警戒を維持することが必要だと判断。 FRBは米国の成長率が鈍化していると判断。 短期金融市場での緊張は引き続き見られる。
◎トルシェECB総裁=人民元を含め振興アジア諸国の通貨は上昇すべき。インフレの二次的影響が広がるのを容認しない。
◎ダーリング英財務相=銀行の緊急救済策の発動できるよう一連の措置に向けて取り組んでいる。
◎スウェーデン中銀=10月時点の金利見通しをおおむね維持。 2008年上期の政策金利は4.25%に上昇する見通し。世界市場では不透明感が増している。
◎ジンIFO経済研究所所長=2008年の米経済成長率は2.0%と予想。 米景気後退の可能性は50%。
◎ロートスイス中銀総裁=スイスフランはユーロに対してアンダーバリューで、スイス安が続けばインフレ圧力が強まり、金利引上げの可能性が強まる

日本・その他
◎2008年度政府見通し=2008年度GDP、実質成長率2.0%、名目2.1%。 GDPデフレーター=2008年前年同月比0.1%(11年ぶり名目成長率を上回る)、2007年-0.5%、 CPI=2008年度0.3% 2007年度0.2%、
◎シンインド首相=適切な政策を実行すれば、2012年までにGDP伸び率を10%に引き上げることが可能。
◎ストロスカーンIMF専務理事=金融市場は深刻な危機ではなく混乱に陥っているだけで、各国の中央銀行はこの問題にうまく対処している。米欧の中銀は正しいことをした。米経済成長は減速する、それが2008年の欧州の経済成長に影響を及ぼすだろう。  世界経済はもちろん減速するだろうが、景気後退には至らないだろう。

2007年12月20日  本日の為替戦略

そろそろ終了かと思われた、クリスマス休暇前の特殊玉、資金需要、リパトリに相場が動き、スウェーデン、英国、ユーロ、スイスで金融政策の思惑、通貨当局者の発言に、更に荒れる相場が続き、市場では年末の特殊要因が今週ぎりぎりまで続くとの観測も流れ、相場観やチャートとは別物のリスクに、まだまだ目が離せない展開が続きそうである。注意、注意。

極短期の取引ではこのような値動きは望んだり適ったりであろうが、ポジションターカーにとっては摩訶不思議な世界で、休むも相場。

欧米中銀からは旺盛な資金供給が続き、過去の日銀の例をとっても、資金供給通貨は安くなり、それが続くことになるのだが(EUR,GBP,CHF,USD,CAD)・・・・。 機関投資家は過去5日間で、米株式市場から総額178億ドルの資金を引上げているとのレポートもあり、これも本来ならばドル売りの要因なのであろうが、リパトリのドル買いに相殺されている可能性もあるが、どうも気になってしょうがない。

本日も日本時間の00:00時のオプションカット、01:00時のロンドンフィキシング、または、22:15時のECBフィキシングには注意が必要。

本日の経済指標からは、日銀金融政策決定会合では政策金利0.5%の据置きに決まりそうで、英第3四半期のGDP、米第3四半期のGDP、フィラデルフィア連銀景況指数が注目される。

●ドル円
ドル円は、欧州主要通貨売りにクロスでは円高傾向が続けながらも、ドル全面高の流れにドル円は動けず、112.70~113.55円のレンジが続いている。これを抜け出さない限りは、次の方向性が見られないが、期待感はドル売りに傾いている。

ドル円の4時間チャートは、112.75~113.55円レンジで取引が続いている。上値のポイントは、113.53~55円、113.84円、114.01円、114.55円。下値のポイントは、112.70~75円、112.39円、112.28円、112.02~12円。RSIは61と横ばいながらやや下げ傾向にある。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、広くは112.28~113.85円のレンジ、狭くは112.70~113.55円のレンジで、やや下値リスクが出てきている。

●ユーロドル
ユーロドルは、1.44台から1.43台に水準を下げながらも、クロスでのユーロ買いや、常連(中銀筋)のユーロ買いに何とか下げ止まりながらも、ドル高の相場の流れに上値は重くなっている。しかし、多くの売りはストップロス狙いや年末の特殊要因による動きと思われ、一時的な値動きとなっている可能性が高く、中期的なポジション作りはまだまだ危険である。

ユーロドルの4時間チャートは、下降トレンドの下限から中間で取引が続いている。上値のポイントは、1.4406、1.4443、1.4489~00、下値のポイントは、1.4315~29、1.4306~08、1.4208。RSIは23と下降ラインを上抜けながらも、横ばいが続きトレンドの有る流れが続いている。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、売りながらも、ここ数日間は下げ止まり、1.43を維持できるようであれば、市場センチメントはユーロ買いに変わりやすくなっている。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドドルが2.0のサイコロジカルなポイントを割り込み、イングランド銀行のMPC議事録公開で全理事が利下げを支持していたことで、今後の利下げ継続の観測がポンド相場を押し下げている。ベアセンチメントが続き、戻り売りが続いているが、年末の薄い、特殊要因により値動きが加速している可能性もあり、割り引いて考える必要がある。円と比較すればまだ弱い材料が多い。

ポンド円の4時間チャートは、三角持合を下抜け売りが続いている。上値のポイントは、226.89円、227.54円、228.20円。下値のポイントは、226.13円、224.76~81円、223.69円。RSIは下降ラインが続き、これを上抜けするまでは売り継続。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、売り。228.20円を超えたら撤退。

●本日の経済指標・その他
日本 日銀金融政策決定会合=政策金利0.5%の据置きを予想
06:45 NZ 第3四半期の経常収支=前期比予想-8.2%・-48.6NZドル 前回-8.2%・-29.14億NZドル
08:50 日本 11月通関ベース貿易収支=予想0.94兆円 前回1.008兆円
15:00 日本 12月の金融経済月報・基本的見解
16:10 独 1月のGFK消費者信頼感調査=予想4.1 前回4.3
16:15 スイス 11月の貿易収支=予想13.7億スイス 前回15.58億スイス
17:15 スイス 11月の生産者輸入物価=前月比予想0.3% 前回0.2%、 前年比予想3.0% 前回2.7%
18:00 ノルウェー 12月の失業率=予想1.6% 前回1.6%
18:30 英 第3四半期のGDP・確報値=前期比0.7% 前回0.7%、 前年同期比=予想3.2% 前回3.2%
18:30 英 11月のマネーサプライM4・速報=前月比予想0.4% 前回0.2%、前年比予想11.6% 前回11.8%
18:30 英 第3四半期の経常収支=予想-114億ポンド 前回-90.5億ポンド
18:30 英 11月のPSNB=予想100億ポンド 前回-9.9億ポンド、PSNCR=予想80億ポンド 前回-47.9億ポンド
22:30 米 新規失業保険申請件数(12/16までの週)=予想33.5万件 前回33.3万件
22:30 米 第3四半期のGDP・確報値=前期比年率予想4.9% 前回4.9%
22:30 米 第3四半期の個人消費・確報値=前期比予想 前回2.7%
00:00 米 11月の景気先行指数=前月比予想-0.3% 前回-0.5%
02:00 米 12月のフィラデルフィア連銀景況指数=予想7.0 前回8.2

2007年12月20日 (木) 米GDP

(日) 日銀金融政策決定会合(19日~発表)

06:45 (NZ) 第3四半期経常収支
08:50 (日) 12/15までの対外及び対内証券売買契約等の状況
08:50 (日) 11月通関ベース貿易収支
15:00 (日) 12月金融経済月報・基本的見解
16:10 (独) 1月GFK消費者信頼感調査
16:15 (スイス) 11月貿易収支
17:15 (香港) 11月消費者物価指数
18:30 (英) 第3四半期GDP・確報値
18:30 (英) 11月マネーサプライM4・速報
18:30 (英) 第3四半期経常収支
18:30 (南ア) 11月生産者物価指数
22:30 (米) 12/16までの週の新規失業保険申請件数
22:30 (米) 第3四半期GDP・確報値
22:30 (米) 第3四半期個人消費・確報値
24:00 (米) 11月景気先行指数
26:00 (米) 12月フィラデルフィア連銀景況指数

2007年12月21日

小栗上野介が駆け抜けた時代 51 激変した世界地図の中の江戸時代   欧米の帝国主義化

幕末に幕府が兵庫(神戸)、新潟などの開港をしぶったのは、輸出による物価高騰で国民の生活が窮乏しているという理由からでした。日本の開港に期待を寄せる欧米諸国と幕府の封建体制とは、本質的に相容れないものでした。1864年にイギリスが、フランス、オランダ、アメリカの4カ国連合艦隊を組んで関門海峡に来襲し、下関を襲撃した意図は、自由貿易を進めようとしない日本への失望感があったと推測できます。


4カ国連合艦隊による下関攻撃の効果は、長州藩の排外方針を全面的に転向させると同時に、イギリスの対日貿易を以前にも増して繁栄に導きました。長州は列強を排斥するのでなく、むしろ力を借りて幕府を倒すことに焦点を定め、イギリスと手を結び、また長州は薩摩藩とも親密になります。薩長連合は反幕府という政策で一致し、幕府を武力で倒す決意を固めます。やがて大政奉還が発表され、日本は明治維新へと展開していきます。日本は欧米式の自由貿易の時代を迎えるのです。


一方、ヨーロッパにおける自由貿易のネットワークは、長くは続きませんでした。日本では明治維新以降にあたる1870年代以降、工業力で英国に対する追い上げを図るドイツは高率の関税を採用し、アメリカは建国以来、厳格な相互主義原則を堅持し、高関税率を維持しました。後発工業国の保護政策の思想的基盤は、自国の未熟な産業を保護することにありました。後発工業国は国内の近代化政策の推進と保護貿易政策を通じて、自国の望ましい比較優位構造が実現し得ると考えたのです。


ドイツは国内市場の独占を国内企業に認め、その利潤をもって外国市場の販路を拡大します。アメリカは羊毛、毛織物、鋼、鋼レールなどに関税を課し、工業生産者に国内市場を与え、利潤の増大、生産の拡張を図ります。ヨーロッパでの不況と農産物価格の低下がきっかけとなって、ロシア、フランスも同様に 19世紀末期には保護主義に転換していきます。


さらにイギリスにおいてもアメリカ、ドイツなどの後進国の急速な経済的台頭により、製品輸出が次第に困難になり、逆に輸入が漸次増加して従来の工業生産者にとっての貿易利益が必ずしも享受されなくなります。またイギリス植民地もそれ自身の工業をもつようになり、イギリス商品の安易な購入を手控えるようになります。このような状況の下で、イギリス本国では帝国特恵関税の設定、保護関税案が提案されますが、当時その案は否決され、辛くも自由貿易は堅持されます。


しかし、アメリカ、ドイツの経済的台頭とともに相対的に経済的地位が低下したイギリスは、アメリカを中心とする保護措置に対して、従来の一方的自由貿易主義を貫くことが困難な状況に陥っていきます。やがて資本の拡大を目指して領土(植民地)の奪い合いが激しくなり、「帝国主義」の思想が生まれ、列強は第一次世界大戦へと進んでいくわけです。


次週からは再び幕末の日本に戻り、小栗上野介はもちろんのこと幕末の要人が外国貿易や外交をどのように考えていたのか、ひいては現代にも応用できる経済政策のあり方をひもといていきます。


By Master K/益田 慶

日本政府省庁 経済機関

FXライフ21 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とベラルーシ

1998年、ロシアは1997年のアジア通貨危機の影響と原油価格下落による国際収支の悪化が原因で、通貨ルーブルの下落と資金流出が発生し、金融混乱に陥った。当時のロシアは輸出の80%が石油や天然ガスなどの天然資源だったので、世界経済の動向に大きな影響を受けていた。さらに世界的デフレによる物価の下落に伴い、原油価格も下落したことで、輸出原油からもたらされる税収が減少。ロシア政府の財政は極度に悪化した。


のちに「ロシア金融危機」「ロシア財政危機」と呼ばれるこの事件は、当時のキリエンコ首相がルーブルの目標相場圏を拡大し、最大で32.9%の下落を容認したのに加え、ロシア中央銀行が民間の対外債務支払を90日間凍結する声明を発表。キリエンコは資本の流出を止めるために150%の超金利政策を打ち出した。しかし、こうした措置が国民の不安心理を煽る結果になり、ロシア国民がルーブルをドルに代えようとして、ルーブルはさらに下落したのである。資本主義経済体制に移行して間もないロシアの銀行は海外から米ドル建てて資金を調達していたので、ルーブルの暴落とともにロシア国内のいくつかの銀行が破綻した。


この背景には前年にアジア通貨危機を経験した世界の投資家が、高金利とはいえリスクの高いロシア関連株よりも安全なアメリカ国債などへ投資資金を移したことがある。ネズミが沈む船からまっ先に逃げ出すように、この時期に巨額な資本がロシアから流出したのだ。「ロシア関連の株は下落してもいずれ元に戻る」と見込んでいた米国のヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメン)の予想は裏切られ、LTCMは破綻の危機に瀕した。


「広がった格差は必ず元に戻る」というLTCMの理論を構築したのは、二人のノーベル賞受賞者、スタンフォード大学教授だったマイロン・ショールズと、ハーバード大学教授だったロバート・マートンである。二人は金融デリバティブの理論を解明し、デリバティブの評価基準や新商品を作りやすくしたことを評価され、1997年にノーベル経済学賞を受賞している。「デリバティブの生みの親」ともいえる経済学者がつくったプログラムは当初成功を収めた。


世界に約3000社あるとされているヘッジファンドの中でLTCMは、ずば抜けて運用成績が良かった。1995年には43%、96年には41%という、高率の運用配当をあげることに成功し、「運用の神様」と謳われた。そのヘッジファンドが「ロシア通貨危機」によって13兆円という負債を抱えたのである。「運用の神様」が破綻すれば、多くの銀行が連鎖破綻する。「ロシア通貨危機」は、アメリカの金融システムさえも揺るがした。当時の連邦準備制度理事会のグリーンスパン議長はニューヨーク連銀に15社銀行の代表を集め、35億ドルの救済計画を組み上げ、支援に乗り出した。その後のルーブルの変動は次週お送りしよう。


かつて「白ロシア」と呼ばれ、ソ連邦に加盟していたのがベラルーシだ。通貨単位はベラルーシ・ルーブル(BYR)。1991年に独立を承認されるまでは、旧ソ連の計画経済体制下で、他のソ連の共和国に比べ比較的良好な経済を有していたが、独立後は市場経済化の立ち遅れなどから経済は悪化を続けていた。1998年には「ロシア金融危機」に伴い、激しいインフレに見舞われた。1999年12月にはロシアとの統合政策の推進が両国首脳間で署名されたが、ベラルーシに大幅な貿易赤字をもたらす可能性と、ロシア国内で自国の産業が脅かされるとの警戒感があり、その後大きな具体的進展は見られない。2000年には1000分の1のデノミが行われた。


その後、ベラルーシの経済は回復の兆しを見せ、2006年GDPは9.9%、失業率1.2%を記録。同国はソ連時代から機械工業、電子産業、繊維業、化学工業、機械製造が盛んで、主にロシアへ機械、設備装置、輸送機械、肥料を輸出している。課題はロシア型経済計画から脱していないことにある。蛇足だが、ベラルーシは有力な独自軍を保有(地上軍5万人、空軍350機等)し、ロシアとの軍事協力を進めているが、ロシア軍の駐留はない。


By Master K/益田 慶

2007年12月21日 本日の為替戦略

今日は週末金曜日、海外勢は本日が事実上の今年最終日、投機筋が積極的に動くことも考え難く、薄商いになることは避けられず、近場のテクニカルポイントに置かれたストップロスを狙う動きと、ECBとロンドンフィキシングでは相場変動に注意。

主要国通貨ではドル買いが続き、ポンドドルが2.0を割り込んでからは、市場のセンチメントはポンドベアに転換し、この水準を上抜けできずにいる。ユーロドルも1.4350を割り込み上値の重い展開が変わりそうになく、何処まで試すことができるを注目したい。

●ドル円
ドル円は、ドル高の流れにも全く動ぜず、ドル高=円高の流れに入っている。この時期に積極的に取引することも無いのであろうが、このレンジを抜け出したらどうなるのであろうか? つい考えてしまう。オプション取引ではロングストラドルの買いなのであろうが、スポットでは、113.60円 stop buy→ if done T/P=114.55円、S/L=113.20円、112.65 stop sell→ if done T/P=111.65円S/L=113.05円。このようなものになるのであろうが、まあ、休むも相場。

ドル円の4時間チャートは、112.75~113.55円のレンジで取引が続いている。上値のポイントは、113.55円、113.93~01円、114.55円。下値のポイントは、112.70~75円、113.28~39円、112.02~15円。RSIは48と下降ラインが続いている。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、売りで、113.55~60円を超えたら、順張りの買いに転換。

●ユーロドル
ユーロドルは、年末の特殊要因とポジション調整の売りに何処まで下落するのか、見極める時期に入っている。クリスマス休暇を直前に積極的な取引は見られず、最近は通貨当局の発言も減少し、調整の売りだけが上値を重くしているように思えてならない。

ユーロドルの4時間チャートは、下降トレンドが続き、ラインの上限から中間で取引されている。上値のポイントは、1.4357、1.4387、1.4430~35。下値のポイントは、1.4306、1.4287、1.4208、1.4182。RSIは35とやや戻しているが横ばい状態が続いている。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、売り圧力は続き、狭くは1.4287~1.4387のレンジ、広くは1.4208~1.4387のレンジと予想。

●ポンド円
ポンド円は、BOEのMPC議事録がダメ押しとなり、金利引き下げ期待に、ぎりぎり時期の調整が薄商いの中で始まり、ポンドドルは時期が時期だけに2.0を割り込んだら勝負がついてしまった。しかし、この時期の相場は信じていいのかどうも疑問が残り、どこまで下落が継続するのか問題だが、12月5日のポンド円安値222.69円まで下落したことでもあり、積極的な売りも機が気でならない。

ポンド円の4時間チャートは、持ち合いを割り込んでからは下落が続いている。上値のポイントは224.81円、226.54円、228.15~20円、下値のポイントは、223.69円、222.03~22円、230.23円。RSIは34で下降ラインが続いている。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、売りが継続しているが、新たな売りは223.60~70円を割り込んだら開始し、222.03円がターゲットとなる。

●本日の経済指標・その他
06:45 NZ 第3四半期のGDP=前期比予想0.3% 前回0.7%、 前年比予想3.2% 前回3.2%
18:00 ユーロ 10月の経常収支=予想18億ユーロ 前回6億ユーロ
18:30 英 11月の小売売上高指数=前月比0.2% 前回-0.1%、前年比予想4.4% 前回4.4%
19:00 ユーロ 10月の工業受注=前月比予想0.2% 前回-1.6%、 前年比予想6.5% 前回2.0%
22:30 米 11月の個人所得=前月比予想0.5% 前回0.2%、個人支出=前月比予想0.5% 前回0.2%、 PCEデフレータ=前月比予想0.2% 前回0.2%、前年比予想 前回2.9%、PCEコアデフレータ=前月比予想0.2% 前回0.2%、前年比1.9% 前回1.9%
22:30 カナダ 10月の小売売上高=前月比予想-0.2% 前回-0.2%、 除く自動車=予想0.1% 前回0.1%
22:30 カナダ 10月のGDP=前期比予想0.1% 前回0.1%
00:00 米 12月のミシガン大消費者信頼感指数・確報値=予想75.0 前回74.5
キングBOE総裁発言

2007年12月21日 (金) 米PCEデフレータ

06:45 (NZ) 第3四半期GDP
16:50 (仏) 11月消費者支出
16:50 (仏) 11月生産者物価指数
17:15 (香港) 第3四半期経常収支
18:00 (ユーロ圏) 10月経常収支
18:30 (英) 11月小売売上高指数
22:30 (米) 11月個人所得
22:30 (米) 11月個人支出
22:30 (米) 11月PCEデフレータ
22:30 (米) 11月PCEコア・デフレータ
22:30 (加) 10月小売売上高
22:30 (加) 10月GDP
24:00 (米) 12月ミシガン大消費者信頼感指数・確報値

2007年12月22日

小栗上野介が駆け抜けた時代 52 幕末の貿易と外交、経済政策の見取り図(1)

今週から幕末期の主な貿易と外交にスポットを当て、広くは幕府、幕臣、各藩の経済政策を俯瞰してつづっていきます。今日の貿易や外交、経済政策にも通じる点が多く、また幕末の要人たちが考えた方針や政策には先見的な政策も多くあったことにも注目してください。


小栗上野介は幕臣としていろんな役職につきましたが、1860年から約1年間、「外国奉行」という重職を拝命しています。これは1858年、日米修好通商条約が締結された際に設置されたもので、主な仕事は対外交渉などの実務でした。つまり、外交官兼外務大臣といった職務です。
外国奉行として功績をあげた人物の名を挙げるなら、岩瀬忠震(ただなり)、水野忠徳、新見正興、そして小栗上野介の4名でしょう。


岩瀬は、黒船来航という非常事態に直面した当時の老中阿部正弘が挑んだ思い切った人材登用によって1854年、目付に抜擢されます。阿部は東大の前身の蕃書調所を開校したり、大船製造禁止令を解いて船の建造を認めたり、いくつかの改革を実行した政治家です。その阿部に引き上げられた岩瀬は、1855年にはロシアのプチャーチンと交渉して日露親和条約締結に挑み、1858年にはアメリカ合衆国の総領事タウンゼント・ハリスと交渉して条約締結に臨み、日米修好通商条約に署名した人物です。直後に初代の外国奉行に命じられ、出世を果たしましたが、井伊直弼の大老就任に反対したため2ヶ月後には作事奉行に左遷、翌年には同奉行を解任され、不遇のまま1861年に44歳の若さで死去しました。


同じ時期に活躍した人物に、下総佐倉藩主の堀田正睦(まさよし)がいます。岩瀬と同様、阿部正弘の推挙を受け、幕府の老中に就いた開国派です。攘夷鎖国が時代錯誤であることを痛感し、「一国も早く諸外国と通商すべし」と説いたとされていますが、一説には積極的に交易をするつもりはなく、のらりくらりとアメリカ側の要望をかわしたため、ハリスが激怒したとも伝えられています。真相は不明ですが、やがて日米修好通商条約の締結に必要な朝廷の許可を得られず、井伊直弼に大老の職を譲ります。


岩瀬は開国に積極的な幕臣で、幕末の混迷する外交路線を積極的な開国・通商の方向にリードしていった外交官です。幕末の政治家の三傑として「岩瀬忠震、水野忠徳、小栗上野介」を挙げる専門家は少なくありません。1860年に上野介が初の遣米使節団の監査として渡米する頃には、岩瀬はすでに幕臣ではなかったわけですが、上野介が岩瀬から何らかの影響を受けたことは確かです。


アメリカ総領事のハリスが岩瀬を高く評価したのは、外交担当の岩瀬が聡明だったからでしょう。岩瀬はハリスとの最初の交渉の席で下記のように宣言したと伝えられています。
「我々は通商とか貿易といったことについて全く知らない。貴下は通商が我が国にとり莫大な利益があると言明された。よって、我々は貴下を信頼し、条約草案の起稿を一切お任せする。願わくは我が国に利益のある草庵を作り、貴下の言明に偽りのないことを明らかに示していただきたい」
ずる賢いハリスはアメリカの利益になるよう考えながらも、一方で日本の利益になることも条約に盛り込もうと考えたといわれています。


そして1858年6月、ハリスは岩瀬を呼びつけて、こう忠告したとされています。
「英仏艦隊が5日後に到着します。その前に調印すれば、アメリカは貴国と英仏の間でトラブルが生じた場合、斡旋(あっせん)の労を惜しみません。しかし、応じないときには、英仏に先んじ、重大な決断を下さざるを得ないでしょう」


ハリスはこう言って即時調印を迫ったようです。「アメリカは日本と友好的に通商する目的で来ています。しかしイギリスとフランスの方針は日本を植民地化することだ」というニュアンスです。イギリスとフランスがアロー戦争で清国を武力で侵略したことは、岩瀬の耳にも入っていたことでしょう。即時調印しなければいけない、と岩瀬は察したのでしょう。まさに、そのとき歴史が動いたのです。


By Master K/益田 慶

ヨーロッパの財閥と企業グループ 35 欧州財閥の系譜 ベルギー財閥

エジプトのカイロに場違いなヒンドゥ寺院風の宮殿があります。現地ではその建物を「カスル・アル・バロン」と呼んでいます。バロンとは地名や人名ではなく、「男爵」という意味です。

この豪邸を建設したのが、ベルギーの実業家エドワール・ルイ・ジョセフ・アンパンです。1929年に他界した彼は、一代にして銀行、電気、鉄道、都市開発などの事業で国際的な大成功を収めました。パリの地下鉄建設に果たした業績によって、フランス政府から「男爵」の爵位を贈られて以降、アンパン一族はフランスとベルギー両国で特別な存在になりました。


このアンパン男爵の子孫は今日、アンパン財閥と呼ばれ、金融と原子力分野で大きな影響力を持っています。ベルギーといえば原子力開発ビジネスの先端を走る国ですが、アンパン財閥は原子力分野に進出する前からロスチャイルド家と深い関係がありました。


初代アンパン男爵とフランス・ロスチャイルド家は、鉄道事業の利権を分け合っていました。アンパンがパリに乗り込んで地下鉄第一号を建設すれば、ロスチャイルドはベルギー鉄道に大きな投資をしました。その理由は、フランス北部まで地下鉄が完成すれば、そこがターミナルとなり、フランス北部とベルギーを結ぶ、ロスチャイルド家経営の「北部鉄道」が潤うからです。こうしてフランス・ロスチャイルド家はベルギーに進出し、アンパンはロスチャイルドの事業を利用しながら資本家にのぼりつめます。


その三代目アンパン男爵が打って出たのが、フランスの原子力産業最大手「フラマトム社」の買収でした。同社はもともと兵器会社で、武器商人として財を築いたシュネーデル一族が支配していました。フランスの原子炉メーカーといえば、実質的に同社のことになります。


原子炉供給メーカーの世界的企業といえば、米国ではGE(ゼネラル・エレクトリック)とWH(ウェスチングハウス)社が著名です。一方、欧州諸国のうちイギリスとフランスでは電力会社は公営で、フランスの電力会社は「フランス電力」しか見当たりません。

電力の供給を原子力に頼るフランス政府は、フラマトム社に資本を提供してきました。ちなみにフランス電力の前身は、フランス・ロスチャイルド家の「北部鉄道」から誕生した電気事業の「北部電灯」が母体となって誕生した「コンパニー・ジェネラル・デレクトリシテ」です。


原子力産業最大手フラマトム社の株は、1975年までWH社が45%、クルーゾ・ロワール社が51%所有していました。クルーゾ・ロワール社はフランスの大手武器メーカーで、そのクルーゾ・ロワール社の株式の半分を所有していたのが、アンパン男爵がオーナーを務めるアンパン・シュナイダー社なのです。
1975年にはWH社の持ち株45%のうち30%がフランス政府へ譲渡され、1982年には残りの15%をクルーゾ・ロワール社が取得。つまり、アンパン財閥が実質的にはフランス最大の原子炉メーカーのオーナーになったということです。


さらにフラマトム社は近年、合理化と多角化に務め、2001年、ドイツを代表する多国籍企業グループ「シーメンス」の原子力部門を統合し、共同子会社「フラマトムANP社」を発足しました。ほかにも核燃料サイクル企業を再編成するなどして、フラマトムを中心に据えた世界最大規模の原子力企業グループが誕生。現在ベルギーはもちろん、南アフリカ、韓国、中国に合計11個の原子炉を輸出しています。
こうしてベルギー出身のアンパン一族は、欧州の原子力開発分野を牛耳る一族になったのです。


By Master K/益田 慶

2007年12月22日 21日の海外為替市場

クリスマス休暇直前、最後の週末の市場では、ドルは堅調に推移、株高=円売り=資源国通貨高が目立った。

アジア市場は、豪ドルが金融的な安定を材料にAUDUSD=0.85後半→0.8630(一日通じ高値0.8697)まで上昇、ロングホリデーのパーキング資金の動きに、円売+豪ドル買いが続いた。メリルリンチがシンガポール・テマセクホールディングスから最大50億ドルの資本注入を受けるとの報道に、一時ドル売りが加速し、EURUSD=1.4410まで上昇した。

欧州市場は、ユーロドル1.44台は鬼門で、過去も何度も上値が押さえられ、他の主要通貨ではドル高の流れが続き、上昇力も鈍く上値トライが失敗に終わった。株価上昇=円売りに、円は他の通貨でも弱く、ドル円は長く上値を押さえられていた113.50~60円を超え上昇が始まった。

NY市場は、米国株が大幅上昇、米個人消費支出、ミシガン大消費者信頼感指数が強く、ドルは堅調に推移したが、USDCADは1.0のパリティーを回復できず、0.9912まで急落、AUDUSDも0.87直前まで上昇するなど、資源国通貨高が続き、スイス、ポンドは横ばい、円安が目立った相場となった。

●ドル円
アジア市場のドル円は113.15円で取引が始まり、月末のドル買い需要に113.27円まで上昇したが、仲値では逆に本邦資本筋の売りに112.97円まで下落、113.05~20円の狭いレンジから、日経平均株価の上昇を材料とした欧州勢の買いに一時112.95円まで値を下げた。欧州市場は113.13円で取引が始まり、株高=円安を材料に113.40円まで上昇したが、本邦勢やファンド筋の売りに上値は重く、113.20~40円のレンジで取引が続いた。22.15時のECBフィキシングでは113.53~56円近辺のテクニカルポイントを上抜け、113.62円まで上昇、113.50円を底値に、上昇を続ける米国株にドル買いが続き、クロスでの円売りが拍車をかけ、米個人消費支出が強く、ドル買いが始まった。00:00時のミシガン大消費者信頼感指数の景気現況指数が強く、ドル買いが続き、01:00時のロンドンフィキシングでは113.94円まで上昇、その後も薄商いの中で、114円超のストップロスの買いを誘発し、114.21円まで上昇、114.00~20円のレンジから、114.01円で取引を終了している。


●ユーロドル
アジア市場のユーロドルは1.4327で取引が始まり、早朝の1.4317を安値に、本邦資本筋のユーロ円の買いや、週末最後の調整買いに1.4362まで上昇、メリルリンチの資本注入を材料に、1.4411まで上昇した。欧州市場は1.4394で取引が始まり、1.44台の政府系+中銀筋の売りが続き1.4355まで下落、ECBフィキシングの買い需要に1.4387まで上昇、クロスでのユーロ買いに1.4375~90のレンジで取引が続いた。00:00時のミシガン大消費者信頼感指数に上値は重くなり、01:00時のロンドンフィキシングに向けユーロ売りが始まり、1.4348まで続落、終盤ぎりぎりに米主要3銀行、サブプライム対策基金設立を断念との報道に値を戻し、1.4379で取引を終了している。

●ユーロ円
アジア市場のユーロ円は162.13円で取引が始まり、仲値の買い需要に162.30円まで上昇、仲値ではドル円の売りに一時162.00円まで下落したが、本邦資本筋の買い+ドル円の買いに162.53円まで上昇、メリルリンチの資本注入を受けたユーロドルの買いに162.97円まで上昇した。欧州市場は162.86円で取引が始まり、162.65円を底値に、株高=円売りの流れが続き、ECBフィキシングの買い需要に163.35円まで上昇した。00:00時のオプションカットでは163.81円まで続伸、一時163.39円まで値を下げたが、堅調な米国株に円売りが続き、NZDJPY、AUDJPY、CADJPYと円売りの流れが加速、164.08円まで上昇し、163.91円で取引を終了している。

●主な経済指標の結果 
06:45 NZ 第3四半期のGDP=前期比0.5%(予想0.3% 前回0.7%)、 前年比3.3%(予想3.2% 前回3.2%)
16;00 独 11月の輸入物価=前月比0.7%(予想0.5% 前回0.7%)、 前年比3.5%(予想3.3% 前回2.3%)
18:00 ユーロ 10月の経常収支=20置くユーロ(予想18億ユーロ 前回57億ユーロ)
18:30 英 11月の小売売上高指数=前月比0.4%(予想0.2% 前回0.0←-0.1%)、前年比4.4%(予想4.4% 前回4.2←4.4%)
19:00 ユーロ 10月の鉱工業受注=前月比2.5%(予想0.2% 前回-1.6%)、 前年比10.9%予想6.5% 前回2.4%)
22:30 米 11月の個人所得=前月比0.4%(予想0.5% 前回0.2%)、個人消費支出=前月比1.1%(予想0.5% 前回0.4←0.2%)→2年ぶりの増加、 PCEデフレータ=前月比0.6%(予想0.2% 前回0.3%)、前年比3.6%(前回3.0←2.9%)、PCEコアデフレータ=前月比0.2%(予想0.2% 前回0.2%)、前年比2.2%(予想1.9% 前回1.9%)
22:30 カナダ 10月の小売売上高=前月比0.1%(予想-0.2% 前回-0.2%)、 除く自動車=0.0%(予想0.1% 前回0.2←0.1%)
22:30 カナダ 10月のGDP=前期比0.2%(予想0.1% 前回0.1%)
00:00 米 12月のミシガン大消費者信頼感指数・確報値=75.5(予想75.0 前回76.1)、景気現況指数=91.0(前回91.5)→2003年3月来の低水準、消費期待指数=65.6(前回66.2)

●昨日の主な発言その他
米国・カナダ
◎ポールソン米財務長官(WSJ)=住宅金融セクターは前例の無い状況に直面。
◎フィッチ(格付け機関)=債務担保証券(CDO)関連の損失により、金融保険会社MBIAインシュアランスのトリプルAの格付けを引き下げる可能性がある。
◎メリルリンチ(WSJ)=シンガポール・テマセクホールディングスから最大50億ドルの資本注入を受ける可能性がある。
◎ボストン地区連銀=1.25置くドルのサブプライム借り手支援策発表。
◎ピムコのグロス氏(FT)=米経済は12月に入り景気後退入り。
◎米主要3銀行、サブプライム対策基金設立を断念(関係者)

欧州・英国
◎トルシェECB総裁=現在のインフレ水準を短期的にとどめ、賃金の上昇にならないように留意する必要がある。 ユーロ圏はこれまでの予想以上にインフレ長期化に直面している。
◎コンスタンシオ・ポルトガル中銀総裁=世界経済へのリスクはクレジット市場の危機で高まっている。

日本・その他
◎カレンNZ財務相=GDPの発表で成長をけん引する要因が変わりつつある。個人消費が減速し資源セクターが増加。
◎日銀12月月報=米系座は住宅市場の調整が強まり先行き不確実性が高まっている。 エネルギー価格上昇の影響もあり個人消費に減速感が出ている。
◎ストロスカーンIMF専務理事(TVインタビュー)=サブプライム危機は世界の金融安定を損なった。 欧米の経済成長は鈍化する。
◎中国人民銀行=マネーや信用の伸びを抑制するため、金融調整を含む様々な措置を講じる

2007年12月23日

各国中央銀行

2007年12月23日 今週の為替戦略

※今年も残すところ1週間となりましたが、クリスマス休暇や年末年始には、世界中の多くの市場が休場となり為替取引がなくなる時期でもあります。そのため、12月24日(月曜日)、12月25日(火曜日)、12月31日(月曜日)、1月1日(火曜日)には、「本日の為替戦略、海外為替市場」をお休みさせていただきます。

***ポイント***

為替の方向性は、上昇、下降、持ち合いの3タイプがあるように、取引の選択肢も、買い、売り、様子見の3タイプがある。今週は為替取引ができるのは実質的に2日間だけで、1年は365日、このうち為替取引可能日は約200日、一年は長く2/200日を休むも相場。

先週末クリスマス休暇直前のぎりぎりになり、欧米中銀の緊急流動性供給の影響でLIBOR金利は急低下し、オイルマネーやアジア各国の資金が欧米金融機関へ向かい、クレジットリスクも低下し、為替相場も安定を取り戻し、今週も金融不安を懸念することなく比較的安心して過ごせそうである。

実質的に今週は27日(木曜日)、28日(金曜日)の2日間で取引が終了するが、今年も当てはまるかは不確実ながら、過去において予想外の大相場となり、一方向に動ことが多くなる時期でも有る。結果として順張り相場になりやすく、逆張り相場はリスクが高くなる。つまり、タートルズがタートルズ・スープを飲むことが多くなる。

●ドル円
ドル円は、先週末クリスマス休暇直前のぎりぎりになり、欧米中銀の緊急流動性供給の影響でLIBOR金利は急低下し、オイルマネーやアジア各国の資金が欧米金融機関へ向かい、クレジットリスクも低下し、円売りの流れとなった。来年は別として、今週の相場への影響は避けられず、時期が時期だけに、市場参加者が取引をするかしないかは別として、上値を試して見たくなる。

ドル円のWeeklyチャートは、上昇トレンドの上限でかろうじて上げ止まっている。上値のポイントは、114.31円、115.50円、116.13円、117.43円、117.93円。下値のポイントは、113.10円、112.72円、111.58円、111.31円、110.30円。RSIは38と下降ラインを維持し横ばいとなっており、これを上抜けしたら買いに転換するか、トレンドの有る下落相場が続くのか見極めが必要。トレンドモメンタムは売りを継続。トレンドラインの上限を上抜けし、114.31円をDailyのクローズベースで上抜けしたら、ドル買いが確認され117円台までの上昇の可能性が高くなる。逆に失敗したら、111円~114円のレンジに逆戻り。トータルの判断は、まづ、上値を試してみたい。

●ユーロドル
ユーロドルは、年末のリパトリの影響やポジション調整に何処まで値を下げるか心配したが、先週は5営業日に渡り何とか1.43台を維持したことで、安心感が強まっている。また、週足のローソク足チャートでは、始値・終値が同じで上下に髭が出た相場で、転換サインが出ており、上値を試す可能性が高くなっている。例年この時期は一方向に大きく動くことが多く、逆張り手法が難しくなりやすい。

ユーロドルのWeeklyチャートは、上昇トレンドを維持し、ラインの中間から上限の間で取引が続いている。上値のポイントは、1.4489、1.4570、1.4602。下値のポイントは、1.4376、1.4352、1.4317、1.4014。RSIは上昇ラインを維持し手いるが、63とやや値を下げ、これを割り込むと長い下落へ繋がる。トレンドモメンタムは買いを継続しているが、やや数値が下げ始め相場の流れが大きく変わっている可能性も残る。トータルの判断は、1.4317~1.4570のレンジで取引を予想するが、1.4300を割り込むと続落の可能性が強まり、1.4570を超えられなければ、再び下値を試す動きになりやすく、1.46台まで回復できれば、暫くはユーロ買いの相場が続きそうである。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドドルの激しい下落も、過去2日間1.9810近辺を底値に何とか下げ止まり、ドル円の上昇と合わせ、ポンド円の急落の懸念が薄らいでいる。年末の特殊的な要因からなのかは、判断できないが、とりあえずはポンド円も長くレンジ相場に入り急落の可能性が薄らいでいることは間違いないが、相場の本質を見極めるには暫く時間がかかりそうである。

ポンド円のWeeklyチャートは、弱い下落トレンドに入りながらも、221~230円のレンジで取引されている。上値のポイントは、226.23円、230.23円、231.44円。下値のポイントは、225.08円、222.84円、221.71円。RSIは38と下降トレンドを維持し、これを上抜けできたら買いに転換する可能性が出てくる。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は、引き続き221~230円のレンジ相場で取引される可能性が高いが、やや上値リスクが強まっている。

2007年12月24日 (月) 天皇誕生日振替休日

天皇誕生日の振替休日(東京市場休場)

2007年12月24日

小栗上野介が駆け抜けた時代 53 幕末の貿易と外交、経済政策の見取り図(2)

小栗上野介、水野忠徳とともに「幕末の政治家三傑」に挙げられる岩瀬忠震(ただなり)は1858年、当時目付の職でしたが、大老に就任したばかりの井伊直弼の同意を得ぬままポーハタン号へ赴き、独断によりハリスを相手に日米通商条約に調印しました。岩瀬は早くから横浜開港説を唱えるほどの開国実務派で、「日本の中のアメリカ人」と陰口を叩かれていたと言われています。彼が日米通商条約の締結を遮二無二に急いだのは、フランスの養蚕地が蚕の伝染病で全滅したため、世界市場で生糸の相場が高騰し始めていたときでした。つまり、日本にとって貿易の好機が到来していたのです。


岩瀬はずいぶん葛藤したと想像できます。5日後に到着するという英仏艦隊の砲艦外交に屈し、日本をアジア諸国のように英仏の植民地としてしまうのか、あるいはその前にアメリカを相手に戦火を交えるのか、もしくは日米通商条約を締結し、自由貿易を始めるのか――。岩瀬が選んだ選択肢は、結果として日本の近代化を促すために役立ったわけです。調印後に外国奉行に昇進した岩瀬ですが、井伊直弼によって免職させられます。


井伊は生糸の増産、開国と貿易開始の実現に努めてきた海防問題を専門的に扱う部署「海防掛」を解体し、「外国奉行」を新設しました。その第一号が岩瀬です。井伊が「もはや、開国は時の趨勢(すうせい)」といった言葉(ことば)を書き残しているのは事実です。しかし、鎖国を国是としたうえでの限定開国であり、生糸貿易によって一気に富国強兵、殖産興業を実現させようとしたひとつ前の老中堀田正睦や岩瀬、次に紹介する水野忠徳ほどの先見性はなかったようです。


のちに外国奉行を務めた水野忠徳は、岩瀬と同じく阿部正弘によって抜擢された旗本でした。日英和親条約、英・仏各通商条約交渉の全権を担ったほか、岩瀬とともに蘭・露各追加条約に調印し、また神奈川開港地問題、通貨問題など条約締結後の諸問題の解決に能力を発揮した幕府の外務官僚です。
水野の業績として忘れてはならないのが、長崎奉行時代に挑んだ「長崎海軍伝習所」の設立です。これは幕府が海軍士官育成のために設けた教育機関で、幕臣や諸藩士が抜擢され、西洋技術や航海術、蘭学などを学ばせました。第1期には幕臣として勝海舟、薩摩藩の五代友厚がいます。練習艦の咸臨丸(かんりんまる)は、のちに遣米使節団とともにアメリカへ渡たり、その時の艦長が勝海舟であったことは有名です。


英・仏各通商条約交渉の全権を担った優秀な外務官僚であった水野は、1859年には神奈川奉行を兼任します。その年に「ロシア国士官暗殺事件」が横浜で発生し、その処置が業務怠慢と受け取られ、外国奉行と神奈川奉行の職を解かれ、軍艦奉行に左遷。この問題で1860年の遣米使節団に参加できませんでした。岩瀬は将軍の跡継ぎ問題で井伊直弼と意見を異にしたため官位を奪われていたので、やはり使節団には参加できず、そこで新たに使節候補に挙がったのが、新見正興(まさおき)、村垣範正(のりまさ)、そして小栗上野介の3名だったのです。


さて、1859年から函館、横浜、長崎の3港で貿易が開始され、港に居留する外国商人と日本人商人との間で取引が行われるようになります。日本からは主に生糸が輸出されました。この貿易は岩瀬忠震が目論んだとおりでした。


特にフランスの養蚕地が蚕の伝染病で全滅したため生糸は、国内市場よりも貿易市場の方が高値で取引されました。それによって生産地と市場を仲立ちしていた商人は、江戸などの大都市の問屋ではなく、直接開港場へ生産品を卸すようになります。そのため、江戸の問屋商人を中心とする従来の流通機構が徐々にほころびを見せ始めるのです。これは中間マージンを省き、物流をスピードアップさせる近代的なビジネスに通じることですが、幕末の経済は混乱しました。

By Master K/益田 慶

アメリカ政府

ヨーロッパの財閥と企業グループ 36 欧州財閥の系譜 ロシア財閥

今週から数回に渡って、ヨーロッパ経済に大きな影響を及ぼしてきたロシアの財閥と、現在勢いのある新興財閥を紹介します。


まず、「ロシアのロスチャイルド家」として有名なのがグンツブルグ家です。グンツブルグ家は15世紀の古い時代まで家系をたどることができる。


1833年にキエフ地方のユダヤ人家庭に生まれたホレス・グンツブルグは、1871年に男爵位を授けられました。その3年後に、ロシアの鉄道融資に多大な貢献をした父親のヨゼフにも男爵位が与えられました。彼らが19世紀初頭の帝政ロシアを経済的に支配したのです。


そしてペテルブルグ(現サンクペテルブルグ)に設立された「グンツブルグ銀行」が、ロシア全土の金融中枢として機能し、鉄道ばかりでなく、ウラル、アルタイ、シベリアに及ぶ金鉱開発の総本山となっていきます。一族は婚姻関係により世界にユダヤ人富豪のネットワークを築いていきました。


しかし、現在グンツブルグの名を聞く機会は少ないのが現実です。それは資産家かせ財産を取り上げるロシア革命を逃れて欧州に渡ったからだとされています。フランス分家にピエール・ドゥ・グンツブルグという名前の富豪がいます。フランではギンスブルグ、あるいはギンズバーグと表記するので、彼らがかつてのロシアの財閥グンツブルグ家の子孫であることがわかりにくくなっているようです。


さて、現在に話を移しましょう。エリツィン前大統領時代に幅を利かせた大富豪の一人、石油会社シブネフチ社の創業者で自動車会社ロゴバス社の前会長ボリス・ベレゾフスキーは、反プーチンを公言し、イギリスへ亡命。一方、世界最大の天然ガス会社ガスプロム社のトップに君臨していたビャヒレフは権限のない会長職に退きました。


ガスプロム社はロシア政府が38%の株を所有する企業ですが、旧ソ連崩壊直後の1992年に社長に就任したビャヒレフが実権を掌握。会社幹部一族による関連会社経営や資産隠し疑惑などが取りざたされていました。同社の新社長に就任したのは、プーチン大統領の元部下でした。どうやらプーチン大統領は、国家税収の4分の1を提供する巨大企業の主導権を把握したようです。


このようにプーチン政権は、エリツィン時代に台頭した財閥と距離を置いています。それは財閥の政治介入を排除するためであろうと想像できます。
プーチン政権下で勢力を伸ばしたロシアの財閥は、そのほとんどが石油関連ビジネスにかかわっています。富に名高い人物が、ロマン・アブラモビッチ、ワギト・アレクペロフ、ビクトル・ベクセルベルグ、ミハイル・フリードマン、ミハイル・ホドルコフスキーなどです。彼らは、オリガルヒア(新興財閥)と呼ばれています。


『フォーブス』が毎年発表している「世界の億万長者トップ100」の第11位に躍り出たロマン・アブラモビッチは、1966年生まれ。日本ではイングランドの名門サッカークラブ「チェルシー」のオーナーとして有名ですが、彼こそがロシアの若き石油長者の代表なのです。2005年、最大の資産だった石油会社シブネフチ社の株72.6%を1兆4300億円で、前述した世界最大の天然ガス会社ガスプロム社に売却して話題を集めました。これは「ロシア史上最大の企業合併」と呼ばれています。


ロマン・アブラモビッチはもともと石油取引で財を築き、イギリスに亡命した大富豪ボリス・ベレゾフスキーが設立したシブネフチ社やロゴバス社の管理を任された人物です。つまり、ベレゾフスキーと出会って彼の人生は好転したのです。1995年にはベレゾフスキーと共同でP.K.トラスト社を設立。1996年からシブネフチ社の取締役を務め、アルミニウム企業最大手のルースキーアルミニウムの実権も握りました。また、チュクチ自治管区の知事を6年務めました。彼は、ムリティトランス、ペロルトランス、ツェントリオンMなど7社のオーナーであり、13社の企業に共同経営者として経営に参加しています。ロシアでは彼のような新興財閥が台頭し、ロシア政府はもちろん、欧州にも大きな影響を与えています。


By Master K/益田 慶

小さな政府江戸幕府 8 江戸幕府の先鋭的な政策 陸路の整備と伝馬制度

今週から数回にわたって江戸幕府の先鋭的な政策を紹介していこう。幕府の政策といえば、参勤交代の実施や武家諸法度・公家諸法度の発令、鎖国、大判・小判の改鋳などが思い浮かぶが、まずその前に江戸と地方都市を結ぶインフラ整備が必要である。江戸は幕府が開かれるまで辺境であったので、江戸市街の建設と交通網の編成は徳川家の重要な事業であった。と同時に交通網の整備は、経済の発展を促す先鋭的な政策でもあった。


江戸への交通・輸送路は陸上交通が先に進み、のちに上方-江戸を結ぶ廻船など海上交通が生まれる。1603年、家康は諸大名を動員して神田山を崩し、現在の日本橋から新橋に至る地域の湿地を埋め立てて市街地を造った。その際、従来は西方台地を通過していた東海道をこの市街の中央に通したのである。これが現在の銀座通り、国道一号である。


新たに架橋した日本橋を起点に、そこから36町を「一里」とし、一里ごとに五間四方の一里塚を造らせた。木を植えて旅人の休憩所、憩いの場としたのである。旅人は一里塚を目印にどれだけ歩いたのかを確認したのであろう。諸藩も江戸にならい全国に一里塚が設けられた。

東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の、いわゆる五街道のうち、最初に完成したのは、江戸と上方を結ぶ東海道・中山道だ。家康は一里塚に加え、各終点までの道程に約2~3里(8~12km)間隔で宿場町(宿駅)を設けた。当時の輸送の主力は馬であり、公用の物資を運ぶために設けたのが伝馬(てんま)である。伝馬とは、兵の移動や物資の輸送に備えて、宿場に乗り継ぎ用の馬や人足を置くこと、あるいはその乗り継ぎ用の馬のことを指す。公用の旅行者や荷物を宿駅から宿駅へと送るこの伝馬制度は、実に合理的な方法である。


物流に詳しい人なら、現在の佐川急便やヤマト運輸が行っているシステムと同じであることに気づくだろう。たとえば全国から東京都内に向けて送られた荷物は、一度品川の巨大な倉庫に集まる。物資は届け先によって渋谷区、世田谷区などに分類され、そのエリアの担当者が品川の倉庫までトラックで駆け、トラックに荷物を載せ、自分の地区へ戻る。これは家康が考案した伝馬制度を踏襲した物流システムである。


各宿場には、一定の馬と人足を常備する問屋(とんや)が置かれた。東海道では当初、問屋の数は36であったが、だんだん公用の輸送・交通量が増え、1616年には75、1638年には100となったが、それでも足りずに宿場の近所の農村から人や馬が借り出された。このように宿駅周辺の村々に課役を負わせたのが助郷(すけごう)制度である。助郷役には報酬として賃銭が支払われたが通常賃銭の半分くらいにしかならず、遠い村から往復に1、2日かかってもその分は無償であった。また、幕府公用の旅行者は農繁期に多く、村では助郷役に差し出す農民が間に合わずに代わりに金銭を差し出すこともあり、村の財政は圧迫されたという。


興味深いのは、公用の荷物は無料であったことだ。おそらく地方の大名が徳川家に送った手紙や物資のことであろう。公用であることを証明するために幕府は朱印状(伝馬朱印)を発行した。これを携帯していない者に対して、各問屋は公用の伝馬を出すことを禁じられたのである。商業が発達するまでは、幹線道路では公用の荷物の輸送が主であったようだ。


では、こういった荷物の全工程の管理と権限を誰が持っていたのかと思って調べてみると、江戸の町年寄が担っていたことがわかった。さらに輸送を管理していた伝馬役は、現在の皇居前に当たる村の有力者であったようだ。つまり、民間に任せたのである。彼らは江戸城が完成した際に埋立地に立ち退きした村人だ。だからであろうか、伝馬役を手配する代償として新たな土地を与えられ、その名主になっていった。伝馬役が移り住んだ町は、大伝馬町、南伝馬町、小伝馬町と呼ばれた。そうしてその周辺に伊勢商人などが進出して店を開き、問屋町が形成されていく。これが中央区日本橋に残っている「大伝馬町」「小伝馬町」の町名の由来である。


By Master K/益田 慶

2007年12月24日 FX検定 きょうの問題 サブプライムローン問題とアメリカ景気後退

2007年8月以降、アメリカのテレビ、新聞、雑誌、インターネット・メディアなどで、The R Wordという言葉が多く出るようになっている。


このThe R Wordとは何を意味しているのか。


正解 Reccession


景気後退2007年7月以降、アメリカのサブプライム問題を起点とした世界的信用不安が広がっている。アメリカ経済のダウンサイド・リスク増大、株価の急落、為替の大幅な円高などこれまでとは大きく環境が変化してきた。

アメリカではITバブルの崩壊と同時期に不動産投資が活発化してきた。日本経済は景気後退を強いられたが、アメリカは不動産景気に助けられ、長期にわたる好景気を享受してきた。ヨーロッパ、カナダ、オセアニアも同様に不動産景気による景気浮揚の要素は大きかった。

そのアメリカで住宅バブルが崩壊した。大都市で価格が下落しはじめ、不動産市況は大幅に悪化しつつある。住宅価格の値上がりを前提にした住宅ローンの借り手が、含み損を抱えて身動きが取れなくなるケースが頻発しているのである。

さらに住宅ローン債権を組み入れた証券化商品がアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アジアなど世界中の投資家によって保有され、さらに証券化商品を組み入れたファンドが多く存在するなどリスクは世界中に広く、浅く分散化された。その結果、リスクの所在が不明確であると、市場の不安心理を高めている。


欧米の短期金融市場では資金の貸し渋りが出て金利が急上昇する場面が頻発している。欧米4中央銀行は、連携して市場に資金を供給する仕組みを作り緊急の資金供給を何度も実施している。まるで1998年秋以降の日本の金融危機を思わせるような局面である。


そして夏以降、マスコミに登場することとなったのがThe R Wordである。リセッションの頭文字をとったものである。アメリカ住宅市場の中核を占める中古住宅市場では、販売在庫が積みあがっている。2006年後半から新築住宅の許可件数や着工件数は減少気味であったが、それを上回る勢いで在庫が増えている。もっともここ数年の新築住宅着工件数は異常に多く、それ以前の数値を30%以上上回る状態が数年間続いていたのだから、マーケットが崩壊するのは時間の問題だったのかもしれない。


このような中古住宅の在庫増加で、住宅の新築着工件数が頭打ちとなっている。住宅建設業者のマインド指数は史上最低に落ち込んでいる。


住宅価格が落ち込むと問題になるのは企業だけではない。個人消費に及ぼす逆資産効果がある。2000年春、アメリカでITバブルが崩壊し、2001年には景気後退に陥っていたアメリカ経済だが、グリーンスパン前FRB議長の大胆な金融緩和策により短期間で回復基調に向かった。


当時は、その手腕に絶賛の嵐が巻き起こっていたが、現在ではITバブルの付けを不動産バブルに付け直しただけとの酷評も出ている。アメリカ人は宵越しの金は持たない主義なのか、世界で最も貯蓄率の低い国民である。アメリカの真似をするのが好きな日本も負けじと、かつては世界有数の貯蓄率を誇っていた日本が急速にその率を落としている。団塊の世代が引退するにつれて貯蓄率は低下し、いずれアメリカ並みに貯蓄率ゼロの時代を迎えることになるかもしれない。


アメリカ人の過剰消費は政府が何を言おうと直るものではない。貿易収支、経済収支の大きいな赤字はこうして生まれるのだ。アメリカ人が労働による所得以上に消費するのは、保有資産の資産効果によるものが大きい。所有する住宅が値上がりすると、ホーム・エクイティ・ファイナンスという住宅担保ローンで銀行から融資を受け、消費に回してしまうのである。


不動産が値下がりし、株も下がると、アメリカ人の消費は止まってしまう。来年には、2007年のクリスマス商戦の結果が出るだろうが、どうみても思わしくない。市場関係者がFRBによる利下げを期待するのは株価上昇による消費への期待が大きいからである。2007年12月、FRBが利下げを発表した。8月から3回、合計1%の利下げである。マーケットのセンチメントは更なる利下げを求めている。これ以上の利下げがあると、イングランド銀行、オーストラリア準備銀行、カナダ中央銀行のように追随できない日本銀行は、利上げどころか利下げさえ考慮に入れなければならなくなるが、現実はそうはいかないだろう。


福井総裁の任期も2008年3月までである。後任人事でも波乱があるだろうが、海外の相次ぐ利下げで円高懸念はますます強まり、日本の景気にも悪影響を与えるのは間違いない。



2007年12月25日

2007年12月26日 24日~25日の為替市場

12月24日は日本と一部の海外市場が休場、25日は日本を除く海外主要市場が休場となり、超閑散な取引となったが、その中でドルの上昇と円とポンドの弱さが目立った。24日には米メリルリンチがシンガポール・テマセクホールディングズから44億ドルの資金を受けることが発表され、株価上昇=円売りの流れが加速、ドル円は114.49円(24日)まで上昇、英ホームトラック住宅価格が前月比0.3%と、2005年1月来の低水準となり、ポンドドルは1.9699(25日)まで下落している。

●ドル円
24日 アジア市場=始値114.12円 高値114.19円 安値113.99円、
   海外市場=始値114.15円 高値114.49円、安値114.06円、終値114.27円
25日 アジア市場=始値114.30円 高値114.33円 安値113.94円、
   海外市場=終値114.12円

●ユーロドル
24日 アジア市場=始値1.4375 高値1.4389 安値1.4391
   海外市場=始値1.4384 高値1.4415 安値1.4379 終値1.4393
25日 アジア市場=始値1.4395 高値1.4397 安値1.4391 
   海外市場=終値1.4390

●ユーロ円
24日 アジア市場=始値164.04円 高値164.20円、安値163.76円
   海外市場=始値164.16円 高値164.91円、安値164.00円 終値164.46円
25日 アジア市場=始値164.49円 高値164.55円 安値164.01円
   海外市場=終値164.22円。

●主な経済指標の結果 
24日 英 12月のホームトラック住宅価格=前月比0.3%→2005年1月来の低水準、前年比3.0%→2006年5月来の低水準。

●昨日の主な発言その他
24日 米国・カナダ
◎クライスラー(WSJ)=深刻な資金ひっ迫に陥っており、調達のため資産売却を急いでいる。
◎ジョンソンIMF主席エコノミスト(独紙)=米国の成長率見通し1.9%、欧州の見通し2.1%維持できない。10月に経済成長率見通しを引き下げた後も、悪い材料が新たに出ているため、来年1月に新たな見通しを発表。米サブプライム住宅ローン問題が欧州経済にどの程度波及するのかについてはこれから見極める必要がある。ユーロ高が欧州のさらなる重しになっている。ドルは依然過大評価されており一段と下落する必要がある。ドル下落は世界の不均衡是正に役立つ。
◎米メリルリンチ=シンガポール・テマセクホールディングズから最大62億ドルの資金を私募形式で出資を受ける→ 米国株上昇。
◎米メリルリンチ=ミドルマーケット向けの融資部門(メリルリンチ・キャピタル)の大半をGEキャピタルに売却。


24日 欧州・英国
◎ブランチフラワー英中銀政策委員(英紙)=英賃金圧力、落ち着いた状態が続く。
◎トリシェECB総裁(FT)=ユーロ圏のインフレリスクは上向き、経済成長へのリスクは下向き。高インフレが金触れ期待を一段と高め物価の上昇がスパイラルに引き起こすことは避けたい。英米の利下げに影響されることなく、インフレ抑制に焦点を置き続ける。
◎スイス銀行監督当局=UBSの巨額損失を調査。

24日 日本・その他
◎サウジアラビア(FT紙)=9,000億ドルを超える規模のソブリン・ウェルス・ファンド(政府系ファンド)の設立を計画、世界最大の政府系ファンドになる。

25日 日本・その他
◎ベトナム中銀=対ドル相場の変動幅を0.5%→0.75%に拡大。
◎ロシア財務省当局者=1510億ドル超のガス基金の資産を全てソブリン債に投資する方針。
◎中国人民元=人民元が対ドルで上昇、7.3297(前日7.3475)切上げ後の最高値を更新、人民高加速の兆候。
◎楼継偉中国投資有限責任公司会長=中国政府が、中国農業銀行と国家開発銀行への資本注入を実施し、両行の資本再編を進める。

2007年12月25日 (火)  クリスマス

ウェリントン、シドニー、香港、シンガポール、パリ、チューリッヒ、フランクフルト、ロンドン、トロント、米国休場(クリスマス)

08:50 (日) 11月企業向けサービス価格指数

2007年12月26日

小栗上野介が駆け抜けた時代 54 幕末の貿易と外交、経済政策の見取り図(3)

幕末の貿易は、函館、横浜、長崎の3港の開港とともに生糸などの輸出品を中心に活性化します。さらに中国・清朝末期の大反乱「太平天国の乱」(1851~1864年)にイギリス・フランスの介入が本格化し、本来ならば需要がないはずの雑穀や蝋などの軍需品の輸出増加も始まりました。こうした急増する輸出需要に対し、生産供給が追いつかず、全般的に物価が高騰するなど、日本経済に大きな混乱が生じていました。最も大きな被害をこうむったのは、江戸の問屋です。


井伊直弼の補佐をしていた老中の安藤信正は、井伊直弼が「桜田門の変」で暗殺された際にそばにいた人物で、井伊暗殺後、最高権力者となります。独裁政権を進め、経済対策面では無策であった井伊とは異なり、安藤は経済の混乱に対応するために「五品(ごひん)江戸廻送令」として知られる命令を発します。これは「雑穀、水油、蝋(ろう)、呉服、糸など五つの商品を江戸経由で流通せよ」という政策です。水油とは灯油、つまり行灯(あんどん)に使う菜種油で、糸とは生糸の意味です。


要するに「多くの商品が横浜に集まってしまった結果、江戸が品薄になって庶民が困っているので、特に生活必需品である五品について当分の間は、いったんは江戸に回しなさい」という政策です。確かに雑穀から呉服までの4品については日用品で、これらが品薄になれば庶民の生活に響くだろうということは想像できます。しかし、同時にこのような幕末の日本人の日常に密着した商品が、この時代に欧州やアメリカまで運ぶ貿易の対象になったとは思えません。灯油や雑穀は欧州やアメリカのほうが豊富で、また外国人は呉服を着用しません。したがって、開港のために江戸の庶民の必需品が不足したというのは疑ってかかったほうがよいでしょう。


着目すべき品目は、生糸だけです。江戸に住む一般庶民が、生糸から自分の衣類を生産したとか、江戸市中に機織り工場があったわけではありません。また、普通の庶民は絹織物を日常に着ていたわけでもありません。つまり、生糸が江戸に流通しなくなったからといって庶民が困ったという事実はないのです。この「五品江戸回送令」の本当の狙いは、生糸に関する利益にあったということです。


では、このような法令をわざわざ出すことで、安藤信正は何を狙ったのでしょうか? 名目は「物価高騰の抑制」ですが、従来の通説では「開港場に地方商人が直接輸出品を売り込むようになったので、それまで独占的に商品を扱っていた江戸の特権商人が打撃を受けたことから、幕府を動かして出させた」と記されています。仮にそうであるならば、「五品江戸回送令」は輸出抑制策でも物価対策でもなく、単に江戸商人の利潤確保策です。


たとえば「幕臣が彼らからワイロを受け取ったから」と想像するのは、うがった見方でしょうか。井伊直弼時代の幕府財政は、金銀の改鋳益に頼る以外、何ら具体的な歳入増加策はなく、「火の車」であったと想像できます。そこで幕府、つまり江戸の財政拡大のための起死回生の策が「五品江戸回送令」だったのでしょう。青写真を描いたのは、井伊直弼だったのかもしれません。江戸商人たちは、多額の上納金を行うことで、この法令を井伊直弼、あるいは安藤信正から引き出すことに成功したのでしょう。


列強各国が「条約に規定する自由貿易を妨げる」と反発したのは当然のことです。一方、「五品江戸回送令」に従い、在郷商人の荷物は、建前上いったんは江戸に回されますが、実際には単に問屋の送り状を受けただけでそのまま横浜に送られることになりました。江戸商人は、送り状の発行に当たってマージンが確保できれば満足で、生糸の現物を必要としていたわけではないからです。したがってこの時点での「五品江戸回送令」は、貿易そのものには影響を与える措置ではありませんでした。また、在郷商人は直接、横浜へ配送する者が多く、法令の効果は上がりませんでした。

By Master K/益田 慶

アービトラージ発想法 Round 4 αを探せ

サルが折れた木の枝を振り上げ地面に振り下ろす。
スタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンです。
人類が人類としての第一歩を踏み出した瞬間、その瞬間を人類が道具を発見した瞬間として象徴的に表したシーンです。


人類が道具を発見、発明した瞬間から生産性の格差が生まれました。持つ者と持たざる者の間に生産性の格差が生じ、持つ者は余剰物を持ち、持たざる者は常に不足し、現状を維持するのに精一杯でした。


時は数万年流れます。現在の道具とは一体なんでしょうか。人類は生存を目的とした生存欲求から更に欲求の度合いを深めています。交換価値を維持する貨幣は、人類にとって交換経済から脱却する万能の道具として発明されました。カネを持つことがあらゆる道具を持つことの象徴として、万能の道具としてカネの価値観を共有する時代が現代なのです。


マーケットは交換経済での主役である道具、食料の交換を万能の道具である貨幣を通じておこなう場です。万能の道具である貨幣が流通し交換される場が金融マーケットなのです。


いきなり経済人類学から話を始めてしまいましたが、道具とは生産性を高めるためにあるものです。マーケットで生産性を上げるというのはより多くを稼ぐことです。では、マーケットで使われる道具とは何でしょうか。

人類史上初めて作られた先物市場は大阪の堂島米会所であるといわれています。
米会所は日本各地から集められた米の販売を目的に作られましたが、同時に先物取引の場でもありました。米価の決定は天候、作柄によって大きく変わります。また、新田開発が進み米の生産が増大すると米価は下がります。田沼意次の時代から新田開発が進み、松平定信の寛政の改革時は米の豊作により米価が大暴落して多くの農民が苦しみました。各藩の財政も逼迫しました。重商主義から重農主義へと極端に政策を転換した付けでもあります。当時は、作柄については天領を始めとした幕府直轄地での検分から判断が可能になるかもしれませんが、この情報を知りうる人間は限られています。


この時代のマーケットにおける「道具」は、作柄情報、需給情報でしょう。また、米収量が確定するのは収穫が終わってから時間がかかります。年貢米の額が決まるのは収穫の秋以降ですから。しかし、先物価格は収穫前どころか場合によっては数年前から取引されます。現物価格と先物価格の乖離は甚だしいものがありますが、これを予測することは不可能でした。ところが米価の動きに法則性を見つけ出した人物がいます。この人物が「酒田罫線」で有名な本間宗久です。酒田罫線は人類がはじめて見つけたマーケット分析の道具です。


先人が知らないこのような「道具」のことをマーケットでは「αアルファ」とか「天使の黄金の羽根」と呼びます。知っている人は知らない人よりも儲けることができます。投資家、投機家はこのような「道具」をマスターすること、さらに新たな「道具」を見つけ出すことに努力を傾けてきたのです。


作柄であれ、需給の多寡であれ、マーケットによって価格情報が均一化されていない状況には価格のギャップが生じています。生産地と消費地、現在と未来の間には必ず価格ギャップが生じています。このギャップは如何にして正確に知ることができるか。この知る「道具」こそが、現代の「道具」です。アービトラージャーはこの道具を見つけ出し、実行する人です。


投資であれ、ビジネスであれ、マーケットの非均一性を見つけ出すことが重要です。そして安きを買い、高きを売る。水も利益も高いところから低いところへと流れます。この高低差はいずれ均一化されていきます。


投資で「寝ていて儲かる」方法はありません。寝る前に必ず努力が必要です。誰も気づかないうちに、気づいている人が少ないうちに努力して仕掛けておくのです。マーケットでは常に「α」を見つけ出そうと競争がおこなわれています。本当の投資家であれば、見つけた「α」を他人に教えることはありません。金鉱脈を見つけた人は、金がここにあると他人には決して教えないはずです。


往々にして見つけた金の金額よりも、地図や採掘道具、ジーンズなどを売ったほうが儲かるものです。金鉱を見つけた人は、すでに掘り尽くしてから他人に教えるのです。株式投資とは常にそういうものであるとわたしは認識しています。ありもしない金鉱脈の近くで道具や地図が売れれば、その山の採掘権は上昇します。材料もないのに提灯が付いただけで上昇する株は、誰かが先に買って仕込んでいた株です。上昇すると売られます。


アービトラージャーは自力で金鉱脈を見つける人です。本物の金鉱脈を見つけたら黙っていることです。どんなに小さな金鉱脈でも独り占めすれば大金です。このような金鉱脈はたくさん転がっています。テクニカル分析の基礎をひとつでもいいからきちんとマスターすること。こんなあたり前のことでも小さな金鉱は見つかります。努力せず、大きな金鉱の行列に並ぶことよりも大きな成果が得られるのは確かです。


アービトラージャーは常にギャップを探します。掘り尽くした金鉱脈のボタ山から金以外の貴金属を見つける人がいるかもしれません。


江戸時代、日本は世界有数の金、銀の産地でした。西日本で銀産出が多く、東日本では金の産出が多かったため、江戸時代の日本は金銀二重本位制の貨幣体制でした。ですから江戸と大阪では決済通貨が異なり、金と銀の交換のため両替商が大きな利益を手にしました。
国内なのに為替制度があったことになります。


ところが日本国内と海外とでは金銀の交換比率が異なりました。日本では銀の価値が金よりも銀のほうが、相対的に価値が高かったのです。そこで外国の貿易船は日本に金を持ち込んで銀に替え、金を中国に持ち込んで銀に替えていました。これだけで利益が出たのです。さらに外国は日本の精錬技術にも着目しました。


江戸時代前の日本では、貴金属の精錬技術が未熟でした。純銅の精錬ができなかったのです。日本製の銅には多くの金銀を含んでいました。このことに着目した南蛮人は、日本から安く粗銅を輸入し金銀を抽出して多くの利益を手にしました。日本では1591年に、住友財閥の創業者のひとり蘇我理右衛門が南蛮人から南蛮吹き(灰吹き法)という精錬技術を伝授されるまでは不可能なことでした。住友財閥の始祖となる「泉屋」は、これにより多くの財をなしています。


銅から金銀を作り出す、まさに錬金術です。
世の中が不平等である限りアービトラージの視点は消えることがありません。


By Master K/益田 慶

Health

EUR

WC

FX

MR

INS

KK

世界資源戦争 5 石油開発の歴史 第四次中東戦争とオイルショック

1972年のジュネーブ協定、リヤド協定の締結によって石油産油国は発言力を増していった。そしてリヤド協定から10ヵ月後の1973年10月、第四次中東戦争が勃発した。エジプトとシリアの連合軍がイスラエルに武力攻撃を仕掛けたのである。アラブ諸国も参戦した。イラクはエジプトへ師団と戦車、戦闘機を派遣。サウジアラビアとクウェートは連合軍に金融支援を行い、サウジアラビアとヨルダンは師団をシリアに派遣。ほかにもアルジェリア、チェニジア、スーダン、モロッコが兵士を派遣した。


第四次中東戦争を受けてPOEC加盟のペルシャ湾岸産油6カ国は原油公示価格の21%引き上げと原油生産の削減、イスラエル支援国への禁輸を決定した。それまでは供給過剰の傾向にあったこともあり、非常に安価であった原油価格は最高で4倍まで高騰。石油禁輸の対象にならなかった国にも深刻な影響を受けた。これが「第一次オイルショック」である。


原油価格の高騰は、石油のほぼ100%近くを輸入している日本に大きな衝撃を与えた。燃料としての使用ばかりでなく、化学製品の原料として活用している重工業を中心に多くの企業が打撃を受けた。当時の日本は田中角栄が牽引する「列島改造ブーム」による地価高騰で急速なインフレが発生しており、オイルショックによって多くの便乗値上げが行われた。こうしてさらにインフレが加速し、国内の消費者物価指数は1974年に23%も上昇した。トイレットペーパーや洗剤などの買占めが起こり、テレビの深夜放送の休止が実施された。こうして日本の高度経済成長時代が実質的に終焉した。


第四次中東戦争は、米ソの仲裁によって16日間で停戦に至ったが、この戦争をきっかけに原油価格の管理権限を握ったOPECはさらなる値上げを実行する。 1973年末には翌年から原油価格を倍に引き上げることを宣言。1973年初頭に1バレルあたり2ドル台だった原油価格は1年後に11ドル台まで上昇した。


中東の産油国にとって第四次中東戦争は、アラブ諸国がイスラエルをこらしめただけでなく、OPECが原油価格決定権を石油メジャーから奪取したことに大きな意味がある。「世界資源戦争」の視点から見れば、第四次中東戦争はOPECが欧米の石油メジャーから原油価格決定の主導権を奪い返し、石油メジャーが非OPEC諸国に活路を求めるようになる分岐点であったといえよう。


さらにうがった見方をすれば、エジプトとイスラエルの和平成立後、エジプト産の原油がイスラエルへ輸出されるようになった。ご存知のようにイスラエルは石油と武器の輸入大国である。第四次中東戦争によって、エジプトはイスラエルという安定した原油の取引先を確保し、イスラエルは原油の供給国を得たのである。本来なら欧米の石油メジャーがイスラエルに原油を販売するところだが、アメリカもイギリスもそこまでは手出しできなかったということだ。


そして1979年、イランでイラン革命が起こり、シーア派指導者のホメイニーが王党派から政権を奪った。アメリカの支援を受けて近代化を進めていたイラン皇帝はエジプトに亡命し、イラン・イスラム共和国というイスラム国家が誕生する。この間、イランでの石油生産が中断したため、イランから大量の原油を輸入していた日本は再び逆境に立たされる。OPCEはイラン革命を予期していたかのように、1979年から原油価格を4段階に分けて、計14.5%値上げすることを発表。再び原油価格は高騰し、「第二次オイルショック」が到来した。日本に「省エネルギー」という言葉が定着したのはこの頃である。


日本同様、中東の石油に依存してきた先進国は、中東以外での新たな油田開発を積極的に行うようになり、また石油以外のエネルギー開発にも目を向けるようになる。


中東ではさらに紛争が続く。1980年、長年国境をめぐってイランと対立関係にあり、イラン革命の宗教的な影響を嫌った隣国のイラクがイランに侵攻し、「イラン・イラク戦争」が勃発したのである。この両国の国境にあたるシャトル・アラブ川の使用権をめぐる紛争は昔から衝突の原因だった。イラク側にある同川沿いの都市バスラは石油積み出し港である。イランの反撃により、イラクの産油地域は脅かされることになる。


By Master K/益田 慶

2007年12月26日 本日の為替戦略

24日、25日と主要国市場は休場となったが、本日26日も欧州市場や一部アジア主要市場は休場となり、本格的には本日の米国市場から取引が始まり、海外勢にとっては実質的な新年の取引が開始となる。また、今週は26日(水曜)の米国市場、27日(木曜)、28日(金曜)で本格的な取引が可能となり、実質的には2.5日と為替取引できる営業日が1年で一番少ない週となる。

例年この時期は超閑散とした取引の中で、ファンド勢など大手投機筋が一方向に相場を動かすことが多く、先週末からは始まった、ドル高の流れと、CAD・NZD・AUDなどのコモディテー通貨高、円安・ポンド安の流れが何処まで継続できるかが注目される。

※注意 昨日25日の市場のデータが含まれて降りません。
●ドル円
ドル円は、薄商いの中で円安が目立っているが、クリスマス休暇が原因の一時的な動きなのか、円安のトレンドが続くのか、今日の米国市場の値動きが気になるが、本邦輸出企業の採算レートは115円近辺に設定している会社が多く、簡単に115円台を超えることも予想しがたい。例年この時期の相場展開は予想しがたく、材料やテクニカルに関係なく、大手投機筋の売り買いに相場が動くことが多く、それを大前提にして臨みたい。

ドル円の4時間チャートは、112.70~113.58円の持ち合いを上抜け、上昇トレンドを維持し、中間地点で取引されている。上値のポイントは、114.7円、115.29円、115.46円、115.90円。下値のポイントは、113.82円、113.58~68円、113.43円。RSIは67と上昇ラインが続き、これを割り込むと売りに転換する可能性もでてくるが、高値で安定すればトレンドのある上昇が続くことになる。トレンドモメンタムは買いを継続。トータルの判断は、買い。113.43円を割り込んだら上昇は終了か、114.71円を超えことができなければ一時撤退。

●ユーロドル
ユーロドルは、ドル高やコモディテー通貨高の流れに横ばいとなり、どちらかと言えば注目度が低くなっている。時期が時期だけに、方向性を決め打ちすることも難しいが、1.43台を維持したことで、何処まで値を戻すことができるのか、まず上値を試す可能性が高くなっている。次に1.45台を超えそれを維持できるかが重要で、これができないと、次は1.43を割り込み下値リスクが高くなる。

ユーロドルの4時間チャートは、大きくは下落トレンドが続いているが、1.4310を底値に1.4300~1.4450のレンジに入っている。上値のポイントは、1.4430、1.4452、1.4476~89、1.4506。下値のポイントは、1.4355~64、1.4315、1.4307。RSIは46と上昇ラインを割り込みながらも、50を高値に横ばいが続き、方向感が乏しくなっている。トレンドモメンタムは買いを継続。トータルの判断は、1.4307~1.4476のレンジ。過度の上昇も期待できない。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドドルが1.97台に下落、円安・ポンド安の流れに非常に狭いレンジで持ち合いとなっている。金利差からは現状はポンドに分があるが、1月のイングランド銀行の利下げ観測も強く、どちらも50歩100歩。目先は227円台まで値を戻す可能性もあるが、上昇相場を決定することは難しく、その後の円高の可能性を意識したい。

ポンド円の4時間チャートは、広く見れば221.27円~230.33円のレンジに入り、狭くは223.40円~227円のレンジに入り、下降ラインが続いている。上値のポイントは、226.13円、226.32円、227.11円、227.72円。下値のポイントは、225.75円、225.12円、224.90円、223.32円。RSIは37と横ばいで方向感はない。トレンドモメンタムは買いに転換。トータルの判断は、少しワイドだが224.90円~227.72円のレンジ。

●本日の経済指標・その他
欧州・英国市場休場(クリスマス休日・英ボクシングデー)
08:50 日本 日銀金融政策決定会合議事要旨(10月31日分)
00:00 米 リッチモンド連銀製造業指数=予想 前回1.0 

2007年12月26日 (水) 日銀金融政策決定会合議事要旨

ウェリントン、シドニー、フランクフルト、ロンドン、トロント休場(ボクシングデー)
香港、パリ休場(クリスマス・ホリデー)
チューリッヒ休場(聖シュテファンデー)
南ア休場(親善の日)

08:50 (日) 日銀金融政策決定会合議事要旨(10月31日分)
08:50 (日) 日銀金融政策決定会合議事要旨(11月12・13日分)
16:45 (仏) 11月住宅着工許可
24:00 (米) 12月リッチモンド連銀製造業指数

2007年12月27日

2007年12月27日

ブックレビュー を新設しました。
これまでに紹介してきた書籍も含めて順次書評をアップしていきます。

2007年12月27日 本日の為替戦略

今週も27日、28日と残り2日間、31日を入れても、今年も残すこと3日間しかない。

主要市場の休日は終了し、これでようやく勢ぞろいとなるが、年末を直前に控え、どうしても積極的に動きにくいが、逆に海外大手投機筋にとっては、相場を意図的に動かすことができ絶好の稼ぎ時でもある。

昨日の欧米市場はドル売り+円売りから始まり、暫くはこの流れが続く可能性が高くなり、市場参加者の多くがドル売り+円売りポジションを積み上げたところで、逆に大幅なドル買いに動くことは、たぶん、常套手段ではないかと思われる。

昨日発表された、2006年度の日本国民経済計では、一人当たりのGDPは34,252ドルで、OECD加盟国中18位(前回15位)と後退、先日の新聞報道では、将来日本と英国の人口が逆転するとある・・・日本という国の低下を示しており、ドル安だからといって円高になるとは限らず、ドル円の円高リスクは限定的なものとしか思えない。海外からは、米系証券のから1月の米金利引き下げは無いとのレポートも流れている。

※注意 25日~26日午後8時までのデータは含まれて降りません。
●ドル円
ドル円は、ドル円は先に長い間112.70~113.55円のレンジで取引が続いたが、再び114.00~50円のレンジに入り、投機筋としては如何ともしがたい状態となっている。超閑散な市場ではドル売りが進み、クロスでは円売りの傾向が続くことで、レンジ相場に陥りやすくなっているが、どうも上値達成感が無く上値トライを期待したい。

ドル円の4時間チャートは、上昇トレンドを維持し、中間から下限ライン近くで取引が続いている。上値のポイントは、114.71円、115.29円、115.46円、115.90円。下値のポイントは、113.82円、113.58~68円、113.43円。RSIは68と横ばいで上昇トレンドができている可能性がある。トレンドモメンタムは買いだが、売りに転換する可能性が高まっており、これが割り込んだら売りに転換する。トータルの判断は、昨日と同じく、買い。113.43円を割り込んだら上昇は終了か、114.71円を超えことができなければ一時撤退。

●ユーロドル
ユーロドルは、この時期の値動きはどうも怪しいのではと疑いたくなるが、一方向に動くことが多く、理由は如何は別としも、とにかくこの流れについていき、適当に利食い終了する作戦をだけを考えたい。

ユーロドルの4時間チャートは、長い下落トレンドが続き、先の上限を上抜け新しい上限近くで取引されている。上値のポイントは、1.4506、1.4548、1.4572~88、1.4627。下値のポイントは、1.4452、1.4430、1.4397、1.4360。RSIは62と再び上昇ラインが続き、トレンドモメンタムは買いを継続。トータルの判断は、1.4430~55まで待って買い。1.4390を割り込んだら撤退。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドドルが1.98台を回復、ドル円の上昇+クロスの円売りの流れに、いやいやながらもポンド円も影響を受け、底堅い展開となっている。主要通貨高・円安の流れにポンド円も上値を試す動きが予想される。

ポンド円の4時間チャートは、複雑な値動きが続き、225~227円のレンジに入っている。上値のポイントは、227.11円、227.72円、230.31円、下値のポイントは、226.13円、225.75円、225.29円、224.90円。RSIは46と50以下で横ばいとなっている。トレンドモメンタムは買いを継続。トータルの判断は、225.75~227.11円のレンジで上値を試すことが予想され、227.11円を超えると227.72円までの上昇が期待できる。

●本日の経済指標・その他
22:30 米 新規失業保険申請件数 (12/23までの週)=予想34.0万件 前回34.6万件
22:30 米 11月の耐久財受注=前月比予想 2.0% 前回-0.2%、輸送機を除く=予想0.3% 前回-0.4%、国防関連を除く=予想0.4% 前回-0.6%、 航空機を除く非国防資本財=予想0.5% 前回-2.0%
00:00 米 12月の消費者信頼感指数=予想86.5 前回87.3
00:00 米 11月の住宅着工許可件数改定値=予想 前回115.2万件

2007年12月27日 (木) 米耐久財受注

22:00 (南ア) 11月貿易収支
22:30 (米) 12/23までの週の新規失業保険申請件数
22:30 (米) 11月耐久財受注
24:00 (米) 12月消費者信頼感指数

100年企業 6 旧財閥系の100年企業 旧鴻池財閥・旧東京川崎財閥

資産を蓄えた江戸時代の豪商が江戸や京都・大坂で両替商を興し、江戸幕府や明治政府の政商へと成長し、やがて財閥に発展していく過程は三井家や安田家が典型である。明治以前の最大財閥といえば、おおよその予想だと三井となるのだろうが、実は江戸時代は鴻池(こうのいけ)家が最大であった。鴻池家は現在の兵庫県伊丹市で醸造を始めたのが起源だ。やがて大坂から江戸へ送る大量の酒は、陸路では間に合わず海上輸送を始めた。事業は大名貸しから両替商に拡大し、全盛期には全国110藩が鴻池家から融資を受けていたらしい。鴻池家は幕府の全資産に匹敵する額の資産を蓄えていたとのことだ。


時代劇で描かれることはないが、新撰組の設立資金を提供したのが鴻池家だ。当時から「鴻池銀行」の様相を呈していたようだ。
しかし鴻池家は明治政府が開かれてからは、三井や三菱のように政府のスポンサーとなる道をとらなかった。企業立ち上げの発起人として名を連ねる程度だが、いくつかの「100年企業」にかかわっているので紹介していこう。

1880年に大阪で創業された「鴻池運輸」は、現在も鴻池を名乗る社長が経営者であることを見ると、正真正銘の鴻池家の流れであるようだ。
1889年(明治22年)日本で3番目(明治生命、帝国生命、日本生命)の生命保険会社として設立され、現在保険料収入において国内第2位(1位は日本郵政グループの「かんぽ生命」)を誇るのが「日本生命」である。同社は第百三十三国立銀行の頭取が関西の財界人に呼びかけ、社長に第11代鴻池善右衛門を迎えてスタートした。鴻池財閥の企業という色合いより、鴻池家の当主の名前で関西政財界の信頼を得ることが眼目であったのだろう。


時間を少しさかのぼり、鴻池家の銀行経営を見てみよう。鴻池家は1877年(明治10年)に第十三国立銀行を設立し、国立銀行の満期にともない、1890年(明治30年)、個人経営の「鴻池銀行」を興し、第十三国立銀行の営業を継承した。1933年、いずれも大阪に本店を置く鴻池銀行、山口銀行、三十四銀行が合併して誕生したのが、かの「三和銀行」である。関西の旧財閥系企業グループとして「三和グループ」を挙げる場合があるが、それは同行をメインバンクにしている銀行系列の意味合いが強かった。有名な企業としては、1905年創業なので「100年企業」に該当する「神戸製鋼」や1918年創業の「帝人」、積水化学、宇部興産などがある。


鴻池家同様、金融財閥として君臨したのが旧東京川崎財閥。関西にも川崎財閥があるので、所在地から東京川崎財閥と呼ぶことにする。「8大財閥」といえば、三井、三菱、住友、安田、浅野、古河、大倉、川崎(東京)という顔ぶれになる。


幕末に水戸藩御用商人を務めた、大庄屋の川崎八右衛門が起こした為替取扱い業「川崎組」が起源だ。初代・八右衛門は1876年、先週紹介した安田財閥の祖・安田善次郎とともに日本橋に第三国立銀行を開業。1881年に単独で設立した川崎銀行を核にして保険、貿易、鉱業などに進出し、同族による企業統治を固め、東京に川崎財閥を築いた。二代目・八右衛門は1878年、安田善次郎ととも第百銀行を設立。のちに川崎銀行と合併し、常陽銀行、千葉合同銀行、足利銀行などを系列化した。二代目はほかに川崎信託銀行を設立。これが日本信託銀行に改名され、のちに三菱銀行に救済、現在の三菱UFJ信託銀行へと発展していく。


当時の直系会社22社を管理する会社として1906年に設立した不動産業「川崎定徳合資会社」が、旧東京川崎財閥を代表する「100年企業」である。同社は川崎定徳株式会社に改組し、現在も日本橋に本社を構え、六本木や新宿に賃貸物件を管理・保有している。また同年、日本火災保険を買収。これが現在の日本興亜損害保険火災海上に発展する。川崎財閥は戦後の財閥解体で解散したが、関東エリアで金融業務を手広く展開した戦前の金融財閥として覚えておこう。


By Master K/益田 慶

2007年12月28日

小栗上野介が駆け抜けた時代 55 幕末の貿易と外交、経済政策の見取り図(4)

小栗上野介が遣米使節団の監査として渡米した万延元年(1860年)、安藤信正が老中に就任します。急増する輸出需要に生産供給が追いつかず、物価高騰を招いたことを抑止すべく、安藤は開港と自由貿易に対して妨害的とさえいえる行動を様々な場面で見せるようになります。しかし「五品江戸回送令」によって発生した貿易量の落ち込みはそう多くではありませんでした。そしてもうひとつの大きな問題「金貨の流出」に歯止めをかけることもできませんでした。


経済の混乱状態を打開するには、井伊直弼が処分を行ったエリート官僚たち、たとえば岩瀬忠震や水野忠徳を再起用して対応させれば良さそうなものですが、安藤にはそういう戦略はなかったようです。


開港に伴って物価が高騰した理由は、通商条約が採用している為替レートが実勢に見合っていないために、外国から見て日本製品に割安感があったからです。従ってレートを改訂すれば輸出量は阻止でき、国内に商品は行き渡り、物価高騰を鎮めることができるわけです。


当時は実質的に銀本位制でしたから、基本レートは銀貨が決済単位でした。銀貨を改鋳して、より高品位にすればやっかいな対外交渉などしなくとも、自動的に為替レートの改訂ができます。例えば「銀1分=1ドル」というペリーの時点のレートに戻せば、外から見た日本の物価は一気に3倍以上に跳ね上がることになりますから、激しい輸出はいやでも止まるはずです。


さらに金貨が流出する理由を説明すれば、銀貨をベースとする為替レートに基づく小判の価値に比べて、海外の金の取引価格が高すぎるからです。そこで、日本の銀貨の対外価値を高めれば、自動的に小判の対外価格も高くなり、金の流出はやはり止まるはずです。仮に上記のように、銀1分=1ドルとすれば、自動的に小判は4ドルという計算になりますから、海外よりも金が高くなり、うまくいけば流出した金が戻って来るくらいになるはずです。つまり、物価の高騰も金貨の流出も、銀貨の高品位化というひとつの政策で解決可能ということになります。


そもそも、こうした問題が起こった原因は、この時期の一分銀が幕府通貨史の中でも際立って粗悪な通貨だったことにあります。劣悪な一分銀が安政元年(1854年)まで鋳造・発行され続けており、最終的な発行量は総計で4520万0589両、1億8080万枚になります。さらにそれより粗悪な安政一分銀も井伊直弼によって発行されていました。


閑職に追い込まれていた水野忠徳は、南鐐(質の良い銀)貨幣を復活し、これを為替レートを決定する際の基本通貨とすればよいと考えました。南鐐二朱銀はその重量から計算すると43セント程度に相当し、南鐐は二朱ですから1両はその8倍、したがって3ドル43セント程度になります。つまりこれが基本レートになれば、日本通貨はそれまでよりも約2.3倍強くなり、輸出にも歯止めがかかるし、金の流出も止まるということになります。


しかし、水野のプランは、アメリカ外交官のハリスの強硬なクレームを受けて実施には至りませんでした。ハリスはその改革が実行されると、日本との貿易で利益が少なくなることをすぐに理解したのです。しかし、為替レートの変更を外国との交渉ではなく、国内における改鋳という処理だけで行いうる点では、水野のアイディアはとても優れていたといえるでしょう。


改鋳による為替レートの変更を諦めた水野は、改めて次の策を建議します。それは金の流出だけでも食い止めようという方策でした。小判が国内的には一分銀の4倍の価値しかないのに、それに含まれる金の量が国際水準から見て高すぎることが流出原因でした。したがって、国際水準から見て一分銀の4倍程度しか金を含んでいない小判を発行すれば、いやでも金の流出は止まると推測したのです。こうして発行されたのが、かの有名な万延小判です。


By Master K/益田 慶

ヨーロッパの財閥と企業グループ 37 欧州財閥の系譜 ロシア財閥2

石油取引で財を築いたロシアのロマン・アブラモビッチが2003年7月にイングランドの名門サッカークラブ「チェルシー」を買収し、約160億円ともいわれる負債を返済してオーナーになったように、ロシアの新興財閥はこぞってヨーロッパに進出していきます。それを受けてロシアの新興財閥に対するプーチン政権は強攻策に打って出ました。資産家が保持する資産の国外流出を招くと懸念したのでしょう。新興財閥の資産凍結や没収も検討されました。


反プーチン的発言を繰り返し、現在は脱税容疑で懲役刑に服しているミハイル・ホドルコフスキーもアブラモビッチ同様、新興財閥と呼ばれる若手経営者の一人です。1963年生まれのホドルコフスキーは、コムソモール(ロシアの共産党青年組織)書記を経て、1988年に科学技術プログラム制作会社「メナテップグループ」を設立します。その後、ジルソツ銀行と合同し、科学技術進歩商業革新銀行を設立し、1990年に「メナテップ銀行」と改称し、同行を中心にグループを拡大します。「メナテップ銀行は、ロシア共産党の隠れ資産の運用・資金移転を実行していた」という風聞もありました。ホドルコフスキーは1995年に実施された株式担保型民営化の過程で多数の企業を買い取り、同銀行を核にした巨大なホールディング会社を形成していきます。


ホドルコフスキーは1995年、グループ管理会社「ロスプロム」を設立し、メナテップグループは外国為替取引や国債運用でグループの資産を増やすと同時に、ロシア国内の有望企業に投資や買収を実践していきます。ロスプロムはメナテップグループの投資部門から切り離され、「ロスプロムグループ」として一大財閥を形成していきました。担保入札を通して食品、繊維、建材、金属などの企業を傘下に収めていきます。そして大手石油会社「ユコス」の吸収に着手していきます。メナテップ銀行は1988年のロシア金融危機によって破綻しますが、ホドルコフスキーは1998年にユコス社の社長に就任し、原油の対米直接輸出を開始します。これによってユコスはロシア最大の石油会社に成長します。新しい石油王は、新興財閥の筆頭格として世界中から注目をあびました。


そして2003年4月、アブラモビッチが株式のほとんどを保有している石油企業「シブネフチ社」の吸収計画を発表します。しかし、同年10月、ホドルコフスキーは脱税などの罪で逮捕・起訴され、ユコス社長を辞任します。彼の逮捕は、2003年にホドルコフスキーがプーチン大統領への批判を公言しはじめたことが直接の原因と噂されています。


当時ロシアの地元新聞は「プーチン政権と石油王ホドルコフスキーの抗争の帰結は、今後10年間のロシアの行方を決定することになるだろう」と論じました。ロシアの財閥は経済だけでなく、政治にも深く関与してきました。ホドルコフスキーとアブラモビッチをはじめとする新興財閥は、2003年末の選挙で特別多数決を阻止できる数の議席を手に入れて、議会を「民営化」することを目論んでいたのです。


一方、プーチン大統領は、ロシア政府が38%の株を所有する企業「ガスプロム」のような国有企業の新たな民営化や、戦略的分野への大規模な外国投資を間近に控え、新興財閥の機先を制しようとしたのです。プーチンは新興財閥がロシアの経済的支配を強め、ロシアへの多国籍企業の進出条件を勝手に決めるようなことは容認できなかったのです。


ユコスとホドルコフスキーの影響力によって、この「ユコス事件」は国際的な広がりを見せることになります。ロシアの新興財閥は、このように常に政治的な側面をはらみながら、今日に至っているのです。

By Master K/益田 慶

FXライフ 22 ロシアと周辺諸国 ルーブルの歴史とアゼルバイジャン

1998年の「ロシア財政危機」の救済に乗り出したのはIMFだった。ロシアは国内にルーブルを買い支える資金がなくなったので、為替レートを維持する資金をIMFから提供してもらうより他に方法がなかったのである。


ロシアの財政危機は、当時の西側諸国にとっても「世界恐慌」の引き金になりかねないとあって警戒心が強まっていた。長期的にIMFから資金を注入することは抜本的な解決にはならないが、かといってロシアが崩壊すれば被害は銀行や投資会社の倒産だけではすまなくなる。そこでIMF は同年7月、226億ドルの緊急支援を承認したのである。


しかしこの救済処置だけでは事態は収拾せず、資本の流出は続いた。収束に向かったのは、翌年1999年からである。国際石油価格が高騰したことやルーブル切り下げの効果により国内の輸入代替産業が復調し始めたことなどを背景に、経済は大幅に成長に転じた。同年、エリツィン大統領が辞任し、当時首相だったプーチンを後任大統領に指名。プーチンは新興財閥と政府との癒着を絶ち、彼らを制圧して納税させるまでにこぎつけた。2000年のGDP成長率は10%を記録し、近年にない高い成長を示した。また、インフレ率も年20%程度まで下がり、急速に改善された。


2001年以降は、ルーブル切り下げの効果が徐々に薄れて、国内産業の復調に限界が見え始め、GDP成長率は5.1%(2001年)、4.7%(2002年)と鈍化が見られたが、幸運にも国際石油価格がその後も比較的高値で維持されてきたことから、エネルギー関連産業の好調が続き、これが牽引要因となって経済成長が維持された。


さらに2003年に入って、イラク情勢などの影響で国際石油価格が高騰したことを背景に、ロシア経済は非常に好調に推移し、GDP成長率は7.3%を記録。鉱工業生産、設備投資など他の指標も前年に比べ大幅に改善された。石油の輸出で稼いだ資金が投資や国民の所得を引き上げて内需を拡大し、GDPを引き上げるという好循環が生まれた。

そしてロシアは2005年2月、USドルとユーロを組み合わせた通貨バスケットを導入。2007年2月には「0.60ドル+0.40ユーロ」から「0.55ドル+0.45ユーロ」に変更。また2005年度から、ルーブルのロシア国外持ち出し規制が撤廃されている。


カピス海の西海岸に位置し、かつてソビエト連邦に属したアゼルバイジャンは、アゼルバイジャン・ルーブルを通貨としていた国だ。現在の通貨は、アゼルバイジャン・マナト(AZM)。北はロシア、北西はグルジア、西はアルメニア、南はイランと国境を接する。同国はアゼルバイジャン人が9割を占め、国語はアゼルバイジャン語だが、日常的にはロシア語も使用されているという。かつてアラブの支配下にあったという歴史的な要因からイスラム教徒が95%を占める。


最も大きな産業は石油産業だ。経済成長率34.5%(2006年)、失業率1.4%(2005年)という驚異的な数値を示しているのは、石油産業が潤っている証拠だろう。


アゼルバイジャンの石油といえば、思い浮かぶのがバクー油田だ。ノーベル兄弟が近代的な開発を進め、のちにパリ・ロスチャイルド家が「シェル石油」の前身にあたる貿易会社を設立して莫大な投資をした油田だ。その歴史は古く、1830年代から100年間、世界の石油産出量の90%を占めていた。かのヒトラーは第二次世界大戦でバクー油田を占領する作戦を練ったほど、魅力的な油田である。


近年の話題のひとつが2006年に完成した「BTCパイプライン」だ。バクー(Baku)を起点とし、グルジア共和国トビリシ(Tbilisi)を経由して、地中海沿岸のトルコ共和国ジェイハン(Ceyhan)に至る総延長約1,768km、輸送能力日量100万バレルの原油輸送パイプラインで、主にカスピ海にあるACG油田で産出される原油をロシアを迂回して輸送するために建設されたものだ。出資企業は同国政府のほかにBP、シェブロン・テキサコ(米国)、イタリアの石油会社ENI、トルコ国営石油会社、そして伊藤忠商事などである。将来的にはカスピ海地域の他の油田から産出される原油を輸送することも検討されている。


By Master K/益田 慶

2007年12月28日 FX検定 きょうの問題 日本の対米輸出比率

サブプライムローン問題を起点としたアメリカの景気後退が2008年から本格化すると思われる。アメリカの景気が悪くなると日本の輸出産業に大きな影響が出ると思われるが、日本の輸出を国別に見たとき、アメリカの割合は何%くらいか。(日本貿易月報2005年のデータ)

A 53%
B 43%
C 33%
D 23%


正解 D 23%

日本の輸出に占める対米比率は年々低下しつつある。

2005年 22.5% 14兆8,055億円
2000年 29.7% 15兆3,559億円
1980年 24.2%  7兆1,181億円 
1960年 26.7%   3,898億円

対米比率が下落している理由は、対米輸出が伸び悩んでいるのに対してアジアへの輸出が急増しているからである。

2008年は、サブプライムローン問題が本格的に処理の段階に入り、アメリカ経済は停滞することが予想される。バブル崩壊以来、日本は輸出主導で経済成長を牽引してきた。特にアメリカ経済が好調だったため自動車などの輸出が好調であった。この輸出が悪化することになる。

しかし、日本のアメリカ経済依存度は徐々に小さくなりつつある。好調だったヨーロッパ経済とユーロ高円安に支えられてヨーロッパへの輸出も伸びた。それ以上に中国を中心としたアジアへの輸出は大幅に増大している。

内需拡大の芽がない日本経済は輸出に頼らざるを得ない。ドル安に伴う円高で輸出企業にとっては不利に見える状況だが、対人民元、対アジア通貨では決して円高ではない。対米輸出の不振は、非アメリカ諸国への輸出で賄うことになるだろう。

輸出企業の心配よりもむしろ輸入価格のほうが心配である。対ドルを除く円安は日本の購買力の低下につながっている。原油価格は100ドルを超えようとしている。大豆、トウモロコシの価格は史上最高値を更新している。世界的な日本食ブールの中、魚の調達ができていない。欧米、新興国に買い負けているのである。

マグロなど漁業資源の保護、漁獲量制限で供給も先細りである。栽培漁業の規模拡大にも時間がかかりそうである。成長なきインフレの足音がだんだん大きくなってきている。

2007年12月28日 (金) 米新築住宅販売件数

08:30 (日) 11月失業率
08:30 (日) 11月有効求人倍率
08:30 (日) 11月全世帯家計調査-消費支出
08:30 (日) 12月東京都区部消費者物価指数
08:30 (日) 11月全国消費者物価指数
08:50 (日) 12/22までの対外及び対内証券売買契約等の状況
08:50 (日) 11月鉱工業生産
08:50 (日) 11月大型小売店販売額
08:50 (日) 11月小売業販売額
16:45 (仏) 第3四半期GDP
17:15 (香港) 11月貿易収支
19:30 (スイス) 12月KOF先行指数
23:45 (米) 12月シカゴ購買部協会景気指数
24:00 (米) 11月新築住宅販売件数
未 定 (独) 12月消費者物価指数

2007年12月28日 本日の為替戦略

本日は12月28日(金曜日)、31日は一部の海外市場が休場となり、多くのディーラーは取引を終了し、実質的には本日が今年の最終日となる。ドル円の上昇もようやく止まり113円台まで値を戻しているが、円クロスを見てみると、EURJPY+CHFJPYが上昇、GBPJPY+CADJPYが下落、AUDJPYが横ばいなど、通常市場では稀な、通貨間で値動きが明確に異なり、年末のこの時期ならではの値動きとなっている。

昨日は、パキスタンのブット元首相が狙撃されて死亡、パキスタン政情を懸念した、金価格の上昇、スイスフランの上昇、株価の下落、債券の買いが見られ、USDCHF、EURCHFは下落しが、EURGBPはユーロ誕生来のポンド安となり、主要通貨ではポンド売りの流れは変わっていない。

昨日発表された米耐久財受注は弱く、ドル急落の直接的な材料となったが、通常の市場ではこれほど反応することは稀で、この時期特有の値動きで、為替変動リスクが高いことを忘れないようにしたい。

本日発表される米シカゴ購買部協会景気指数、米新築住宅販売件数は、投機筋にとって相場を動かす絶好の材料で、中途半端な値動きは予想できず、全く動かないか、動けば予想外の値幅になる可能性が高くなっている。

●ドル円
ドル円は、本邦勢の円売りに、年末ぎりぎりまでドル円の買い需要が続いたが、流石にこれから年始にかけて、円売り需要は国内要因からは剥げ落ちる。海外投機筋が114.70円を超え、115円近辺のドル買いを仕掛ける材料や勇気があるかと思えば・・・その可能性も高くない。それでは、113.40~50円以下の下値を試す方がまだ、水準的にも材料的にも利に適っているようであるが、円ロングを継続する勇気もまだ無い。

ドル円の4時間チャートは、上昇トレンドの下値を割り込み、下値不安が出始めている。上値のポイントは、113.98円、114.23~25円、114.65~71円。下値のポイントは、113.49~58円、113.25円、112.78円。RSIは63と弱い下降ラインが始まり、トレンドモメンタムは売りに転換している。トータルの判断は、流れは売りに転換しているが、前回長く揉み合いが続いたレンジ112.70~113.55円のレンジの上限は相当抵抗があると思われ、買い→113.90~95円で利食い+113.25円ストップロス。売り→114.25~30円ストップロスで、下値を試すことを期待したい。

●ユーロドル
ユーロドルは、ユーロドルは1.46台を回復、ドル売りの流れに堅調に推移し、ユーロ円の買いが続いているため、調整局面のユーロ売りは思ったほど少ない。ユーロポンドが過去最高値を更新するなど、クロスでもユーロ買いが続いているが、時期が時期だけにこの1.43台から反発し1.46台となったユーロ買いに追従してもいいのか選択に苦慮する。この水準を高値に反落する可能性と、また、1.47台半ばまで再上昇してから、下落する可能性を意識したい。

ユーロドルの4時間チャートは、下降ラインの上限を超え、上昇ラインが形成されている。上値のポイントは、1.4656、1.4672、1.4748~52。下値のポイントは、1.4572、1.4506、1.4452~76、1.4374~97。RSIは78と上昇ラインが続き、これを割り込んだら売りに転換する可能性が出てくる。トレンドモメンタムか買いを継続。トータルの判断は、目先は買いを継続しているが、基本は1.4650~1.4750ゾーンは売りと判断。

●ポンド円
ポンド円は、ポンドと円は同類なのか、弱い時も強いときも同じ穴の狢の様になっており、結果としてポンド円は狭いレンジで取引が続いている。ポンドドルかドル円で、新しいトレンドが出れば追従する必要があるが、どうもその様には見えない。

ポンド円の4時間チャートは、下落トレンドから上昇トレンドに変わり、226~228.50円のレンジに入っている。上値のポイントは、227.12円、228.33円、230.33円。下値のポイントは、226.53円、226.13円、225.39~41円。RSIは77と上昇ラインが続き、これを割り込んだら売りに転換する可能性が出てくる。トレンドモメンタムは買いを継続。トータルの判断は、テクニカでは弱い買いが続いているが、結論は様子見。

●本日の経済指標・その他
08:30 日本 11月失業率=予想4.0% 前回4.0%、 有効求人倍率=予想1.02 前回1.02
08:30 日本 12月の東京都区部消費者物価指数=前年比予想0.3% 前回0.3%、 除く生鮮食品=前年比予想0.3% 前回0.1%
08:30 日本 11月の全国消費者物価指数=前年比予想0.5% 前回0.3%、除く生鮮食品=前年比予想0.3% 前回0.1%
08:50 日本 11月の鉱工業生産・速報=前月比予想-1.7% 前回1.7%、 前年比予想2.7% 前回4.7%
19:30 スイス 12月のKOF先行指数=予想1.98 前回2.02
23:45 米 12月のシカゴ購買部協会景気指数=予想51.8 前回52.9
00:00 米 11月の新築住宅販売件数=予想-1.1%・72万件 前回1.7%・72.8万件
00:00 米 11月の求人広告指数=予想22 前回23
未定 独 12月消費者物価指数・速報=前月比予想0.8% 前回0.5%、前年比予想3.1% 前回3.1%、HICP前月比予想0.8% 前回0.5%、HICP前年比予想=3.2% 前回3.3%

2007年12月29日

2007年12月29日 28日の海外為替市場

事実上、今年最後となる為替市場は活発的な動きとなった。将来のドル安ムードが強い反面、短期的にはドル高を期待したポジションが、昨日のブット元パキスタン元首相銃撃死亡が、国際緊張の高まりや国際金融に及ぼすリスクへの回避に、ドル売りの流れが始まり、閑散とした市場でドル全面安+円高の展開に繋がった。

アジア市場は、日本のCPI予想を上回るが円買いは限定的となったが、ブット元パキスタン元首相死亡による国際緊張の高まりに、円を買い戻す動きが強く、株安=円高の流れが復活、資本筋からAUDJPY売りがダメ押しとなり主要通貨で円高の流れが続いた。

欧州市場は、ネーションワイド住宅価格が下落、年初の利下げ観測に金利先物市場では2008年中に0.75%の金利引き下げ予想、EURGBP最高値を更新し、0.7310→0.7388まで上昇。パキスタン情勢から始まった国際緊張に新興市場国通貨売りが続き、USDCHFがリードしドル売りの流れが加速した。

米国市場は、ドル売りが加速した流れにドル売り基調が続きながらも、米シカゴ購買部協会景気指数の雇用が弱く、00:00時の米新築住宅販売件数が弱く発表されたが、事実上、年末、月末、週末、期末の後の無い相場に、ドルの戻り売りを期待しながらも積極的なドル売りも見られず、ドル安値圏で揉み合いとなったが、薄商いの中で円高傾向が強まった。また、USDCADは1日を通じて、0.9810→0.9850→0.9755→0.9820と、結局は元の水準に戻し、NYダウも前日とほぼ同じ水準となっていた。

●ドル円
アジア市場のドル円は113.72円で取引が始まり、早朝発表された強い日本CPIにも反応は鈍く、投機筋不在の中で、実需のドル買いに仲値近くには114.02円まで上昇したが、本邦証券筋のAUDJPY売りが契機となり、円買いの流れが始まり、113.34円まで下落、午後に入ると113.30円以下のストップロスの売りを誘発し、15:00時のオプションカットでは112.83円まで続落、113.20円まで値を戻している。欧州市場は113.10円で取引が始まり、前週の安値で底堅かった112.70~75円が意識され、投機筋や本邦実需筋の買いが入ると113.30円まで値を戻したが、戻り売り圧力は強く112.68円まで下落、112.60~65円以下のストップロスを試す売りが続いた。下値トライも失敗に終わり再び113.30円まで値を戻したが、23:45の米シカゴ購買部協会景気指数の雇用が弱く、00:00時の米新築住宅販売件数が弱く、ドル売りが再開され、終盤にかけては、ストップロスを再度トライし、超閑散な取引の中で、112.65円近辺のストップロスを誘発し112.27円まで下落、安値圏の112.28円で取引を終了している。

●ユーロドル
アジア市場のユーロドルは1.4625で取引が始まり、1.4630を高値に海外勢のポジション調整の売りに一時1.4592まで下落、1.4500~10の狭いレンジから、パキスタン情勢+中東情勢を材料とした、早出の欧州勢の買いに前日高値1.4640を上回り1.4666まで上昇した。欧州市場は1.4651で取引が始まり、不安定な国際情勢を材料に、USDCHFでドル売りが強く、ファンドや資本筋の買いに1.4680を超えるとストップロスの買いを誘発し上昇が始まり、EURGBPの買いも強く1.4714まで上昇した。ECBフィキシング直後には一時1.4665まで値を下げたが、弱い米経済指標に1.4728まで続伸、1.4700~20の狭いレンジで取引から、引け間際には1.4730まで上昇し、1.4725で取引を終了している。

●ユーロ円
アジア市場のユーロ円は166.35円で取引が始まり、仲値近辺の166.48円を高値に、本邦資本筋の売りに165.56円まで急落、165.55~80円で売り買いが交錯したが、午後に入りAUDJPYの大口売りが本邦氏証券筋から入ると165.01円まで続落、オプション勢やアジア系ファンド筋の買いに165.82円まで値を戻した。欧州市場は165.69円で取引が始まり、ドル円が112.70円割れを失敗し値を戻すと、投機筋の買い戻しに166.32円まで上昇、直後には資本筋の売りに165.74円まで急落、165.75~166.20円のレンジで売り買いの攻防が続いた。クロスの円買い対ユーロドルの買いの流れに、一進一退しながらも、ユーロドルの買いに166.45円まで上昇、166.20~45円のレンジで売り買いが交錯、ユーロドルの上昇も一服し、ドル円が再度112.70円以下のストップロスを誘発し下落、AUDJPYやCADJPYの売りが強まると、165.34円まで続落、安値圏の116.35円で取引を終了している。

●主な経済指標の結果
08:30 日本 11月失業率=3.8%(予想4.0% 前回4.0%)、 有効求人倍率=0.99(予想1.02 前回1.02)
08:30 日本 12月の東京都区部消費者物価指数=前月比0.2%(前回-0.3%)、 除く生鮮食品0.1%(前回0.0%)、前年比0.4%(予想0.3% 前回0.3%)、 除く生鮮食品=前年比0.3%(予想0.3% 前回0.1%)
08:30 日本 11月の全国消費者物価指数=前年比0.2%(前回0.3%)、除く生鮮食品0.1%(前回0.2%)、前年比0.6%(予想0.5% 前回0.3%)、除く生鮮食品=前年比0.4%(予想0.3% 前回0.1%)
08:50 日本 11月の鉱工業生産・速報=前月比-1.6%(予想-1.7% 前回1.7%)、 前年比2.9%(予想2.7% 前回4.7%)
16;00 英 ネーションワイド住宅価格=前月比-0.5%(予想-0.6% 前回-0.8%)、前年比4.8%(予想5.1% 前回6.9%)。
19:30 スイス 12月のKOF先行指数=1.99(予想1.98 前回2.02)
23:45 米 12月のシカゴ購買部協会景気指数=56.6(予想51.8 前回52.9)、生産=55.4(前回57.4)、新規受注=58.4(前回53.9)、雇用=49.0(前回54.4)、支払価格=63.8(前回76.2)→ 予想を上回るが雇用が50を割り込む。
00:00 米 11月の新築住宅販売件数=-9.0%・64.7万件(予想-1.1%・72万件 前回69.9万件←1.7%・72.8万件)→ 
00:00 米 11月の求人広告指数=21(予想22 前回23)
00:05 独 12月消費者物価指数・速報=前月比0.5%(予想0.8% 前回0.5%)、前年比2.8%(予想3.1% 前回3.1%)、HICP前月比0.7%(予想0.8% 前回0.5%)、HICP前年比3.1%(予想=3.2% 前回3.3%)

●昨日の主な発言その他
米国・カナダ
◎FRB発表の外国中銀の米財務相証券・機関債券保有高(12月26日発表)=前週比146.7億ドル・2.062兆ドル。
◎米S&P社=オルトAローン(プライムとサブプライムローンの中間)の2007年分発行パフォーマンス過去最悪の可能性。
◎米シティ・英HSBC(WSJ)=事業や支点などの資産売却を検討。

欧州・英国
◎シュタルクECB専務理事=インフレ率は今後数ヶ月間高止まりで推移、予防のために行動することをためらわない。2008年中にインフレ率は2%に低下する見通しだが、商品市況の動向次第ではそうならない可能性がある。
◎メルシュ・ルクセンブルク中銀総裁=金融セクターの混乱が実態経済に及ぼす影響に結論を出すのは時期尚早。

日本・その他
◎大田経済財務相=全国CPIの0.4%上昇は主に原油価格の上昇で、デルレ脱却は足踏み状態。
◎渡辺金融担当相=コアCPIは下落しデルレ脱却宣言に至っていない。
◎額賀財務相=2008年2月9日に日本でG7開催。G7ではサブプライム問題は原油高、世界経済について討議。有効求人倍率の低下は注意が必要。
◎トルクメニスタン共和国=来週よりコマーシャルベースの為替取引を解禁。

2007年12月30日

小栗上野介が駆け抜けた時代 56 幕末の貿易と外交、経済政策の見取り図(5)

万延元年に入ると、貿易は本格化してきます。同年の輸出総額は471万1千ドル(前年は89万ドル)、輸入総額は165万9千ドル(前年は60万ドル)に達しました。これらの貿易により正確にいくらの関税収入があったのかはわかっていません。仮にすべての輸出入品が一律5パーセントの関税率とすれば、新通貨で120万両以上の関税収入があったはずです。


安藤信正が「五品江戸回送令」を利用して輸出量の削減を計った翌文久元(1861)に若干輸出量が減少したことを除いては、この後明治維新までの間、輸出は毎年著しい伸びを示し続けます。また、輸入は例外なく毎年伸びています。万延元年以降、幕府の崩壊までの間、改鋳差益と並んで、関税収入は幕府の重大な財政基盤となっていくことになります。


老中・安藤信正政権で行った万延改鋳は、当初水野忠徳が建議した抜本策ではなく、金貨の流出防止だけを念頭に置いた策でした。したがって、物価の暴騰や輸出過多など、貿易から生まれた問題に対しては、別途対策を立てる必要が生じました。生活必需品が海外に流出することによる品薄と改鋳がインフレの原因であるなら、輸出制限という政策(保護貿易)が必須ですが、貿易による関税収入はすでにこの時期の幕府財政において無視できないほどに巨大なものになっていました。そうすると取るべき経済政策は、貿易量を適当に維持しつつ、同時により一層の増収をもたらし、幕府の財政再建に結びつくものでなければいけません。


万延元(1860年)年4月、国民の困窮を救済し、国益を増す目的を掲げて設立されたのが、経済政策の中核機関である「国益主法掛(こくえきしゅほうがかり)」とよばれる組織です。これは、町奉行、勘定奉行という従来からの経済官僚に加えて、大目付及び目付を加えて設立された行政委員会で、政策立案ばかりでなく、その実施作業にも当たる強力な組織です。遣米使節団の一員として渡米した小栗上野介は帰国後、すぐに勘定奉行に就任していますから、上野介もこの組織に参加したのでしょう。


もともと幕府は、沿海の港に代官支配の通船改所や産物会所を置いて、全国の市場と対外貿易を支配統制しょうと計画していました。外国との貿易利益を幕府が一手に収めることにより、国内経済を統制すると共に、幕府財政を立て直そうという意図があったのです。


国益主法掛は、そのために物資の把握を試みました。国益主法掛の打ち出した様々な政策の中でも最も重要なものが「国益会所」の設立です。国益会所とは、国内の全市場を支配するための中心機関のことです。これを通じてすべての輸出入品を幕府の支配下におくことができれば、幕府は開国による利潤を独占することができるわけです。それは同時に国内の流通を統制することを意味しますから、狂乱物価を抑制するなど、経済混乱の防止にもつながります。


この国益会所への諸国の産物の買い集め方式をめぐって、国益主法掛の中心を構成する勘定方と目付たちとの間に、深刻な理論対立が生じたとされています。前者の代表は、小栗上野介です。目付たちが「すべての商人を管轄して、一挙に利権を官に帰せん」と主張したのに対して、経済通の勘定方は「最初から官吏がやろうとすると失敗するから、まず商人にやらせて路線を確立した上で、徐々に官に権限を移行しよう」と反対しました。


この対立は、現代にも通じるところがあります。法律をつくって国民を一律に管理するのか、あるいは最初に国が推進し、やがて民間に委ねていくのか。その反対に、民間に託して自由にやらせ、方向性が決まったら国営にして運営するというのもひとつの手です。


さて、目付方と勘定方の対立ですが、やがて勘定方が主導権を握ることになり、国益会所のプランは順調に発展しました。そのプランは最終的には全国の産物を江戸及び大阪に設ける「会所」によって総括しようという壮大なものでした。さしあたって江戸に会所を設立し、諸藩の物産と関八州、甲信及び伊豆の産物を、豪商を手先にして買い集めようとしたのです。

 
By Master K/益田 慶

2007年12月30日 今週の為替戦略

※年末年始の為替情報、お休みのお知らせ
日ごろ、「為替の大福餅、為替を切る」をご愛顧いただきまして、本当にありがとうございます。今年も残すところ1週間となりましたが、クリスマス休暇や年末年始には、世界中の多くの市場が休場となり為替取引がなくなる時期でもあります。そのため、12月31日(月曜日)、1月1日(火曜日)の、「本日の為替戦略、海外為替市場」をお休みさせていただきます。

何末年始にまたがる週となり、2008年(平成20年)の新年が始まる。8月に突然始まった米サブプライムローン関連の住宅金融危機は、欧米や世界各国へ波及し、為替相場は円高+ドル安となり、欧米の金融市場はまさに波乱の2007年となった。欧米の大手金融機関はサブプライム住宅関連の評価損を補うために、産油国・アジア諸国から資金注入を受け、欧米中銀は過去に例を見ない資金供給を継続し、年末の資金不足の解消を図った。

とりあえず金融危機は回避できたが、この危機が回復に向かう可能性と、より深刻化する可能性はすべて住宅価格の動向に左右され、そして、為替相場の方向性を示してくれる。住宅価格が上昇に向かう確たる証拠があれば、当然欧州通貨上昇+ドル上昇+円下落となるのであろうが、それを断言するのは難しい。評価損を確定損にすることはできず、住宅価格の下落=評価損拡大=通貨安と、サブプライムの影響を強く受ける通貨が値を下げる可能性を市場参加者は強く意識している。

さて、今週は、年末・年始に当り、積極的な取引をし難いが、先週続いていた円売りの流れが、ブット元パキスタン首相死亡により、不安定な国際情勢に短期間で終了し、戻り売りが強まりやすい環境にある。また、欧米中銀は年末年始の資金需要を潤沢にするために必要以上の資金供給を行い、欧州中銀の外貨準備はスワップ協定により大幅に増加、理論的には通貨安いになりやすい。東京市場(アジア市場)で特有の、本邦個人投資家による外債投資も、新年第一週は動けるとは思えず、円売り材料が弱く、結論として何処まで円高に動けるかを試すことが予想される。

経済指標からは、年末・年始に当ることもあり、経済指標の発表は少ないが、メインイベントとは、4日=米雇用統計が非農業部門雇用者数の予想は7万人で、前回9.4万人から減少が予想され、その前日に発表される、米ADP全国雇用者数や米モンスター社雇用指数は、米雇用統計の前哨戦となり注意する必要がある。その他では、2日=米ISM製造業景況指数、FOMC議事録、4日=ユーロCPI、米ISM非製造業景況指数が重要となっている。

●ドル円
ドル円は、円買い要因とし、不安定な国際金融のヘッジ通貨としての役割を続けながら、円売り要因としては、本邦投資家から低金利による資金流出の継続、ファンド筋の一時的なキャリートレード、ポジション調整の売りなど、売り買いの材料が混在しながら、新年の相場をスタートしようとしている。序盤の方向性と材料を考えれば、サブプライム問題継続=円高の流れが続きやすい。

ドル円のWeeklyチャートは、下降トレンドの中でドル買いが続いたが、上限を何とか維持している。上値のポイントは、114.31~50円、116.32円、117.93円、119.65円、下値のポイントは、111.83円、111.31~58円、110.30円、109.74円、107.94円。RSIは36と下降ラインが続き、これを上抜けすると買いに転換。トレンドモメンタムは売りを継続。トータルの判断は売り。売り→114.50円を超えたら撤退。RSIの下降ラインを上抜けすると買い転換しやすくなり+111.80円割り込むことができ無ければ買いに変化す。逆に、111.30円を割り込むとドル売りが加速。
Monthlyチャートは、下降トレンドが続き、上値のポイントは、118.80円、120.99円、122.40円、124.13円。下値のポイントは、109.92円、107.62円、105.95円、103.53円。RSIは42と下落ラインを継続、トレンドモメンタムはドル売りに転換して日は浅く継続を示している。タイムサイクルは、今年8月にトップを示し下落傾向が続き、次のボトムは2009~2010年となる。

●ユーロドル
ユーロドルは、いつもながら大きな流れは買いと思っている市場参加者は多い。サプブライム問題で欧州金融機関も少なからずその影響を受けているはずで、ユーロ下落がどこまで続くかが注目されたが、いつもながら、その時間は短く下げ幅も少ない。こうなれば、先の高値を更新し、1.5000のサイコロジカルな水準を超えことができるかがポイントとなるが、年末年始の特殊要因がユーロ買いに動いている可能性もあり、期待感もほどほどに考えたい。

ユーロドルのWeeklyチャートは、上昇トレンドが続き、ラインの中間から上限の間で取引が続いている。上値のポイントは、1.4748、1.4949~66、1.4502。下値のポイントは、1.4378、1.4352、1.4309、1.4014。RSIは65と緩やかな上昇ラインを継続。トレンドモメンタムは買いを継続。トータルの判断は、買い流れも、年末年始の不安定要因を考慮すれば、1.4378~1.4966のレンジ内の取引を予想。
Monthlyチャートは、上昇とトレンドが続いている。上値のポイントは、1.5003、1.6021、1.7081。下値のポイントは、1.3928、1.3666~82、1.3336、1.3151。RSIは81と上昇ラインが継続、トレンドモメンタムは買いを継続している。タイムサイクルは、2008年1月~2月がピークで下落する可能性を示している。

●ポンド円
ポンド円は、住宅価格の下落と金融不安の解消のために金利を引き下げ、ポンドドルが2.00を割り込み、2008年も更なる金利引き下げの可能性が指摘されている。ポンドドルが1.9712のテクニカルポイントを前に1.9750を安値に反発、直近はポンド売り+円売りの流れに共に弱い通貨の部類に収まっていたが、円高が始まり結局はレンジ相場が続くことになり、広くは220円~240円のレンジを抜け出すまでは、方向性がでてこない。

ポンド円のWeeklyチャートは、下降トレンドが続き、目先は221.50円~231.50円のレンジで取引が続いている。上値のポイントは、231.44円、234.57円、238.94円、241.36円、251.09。下値のポイントは、221.67~71円、220.98、220.19円、215.55円、209.56円。RSIは下降ラインを続け、これを上抜けしたら買いに転換しやすくなり、トレンドモメンタムは売りを継続している。トータルの判断は、売り。
Monthlyチャートは、上昇トレンドが続き、ラインの下限から中間で取引が続いている。RSIは60と課下落ラインが続き、トレンドモメンタムは長い買いを継続している。タイムサイクルは、今が底値で長い上昇を示している。

2007年12月31日

2007年12月31日 大晦日

大晦日(東京市場休場)

18:00 (香港) 11月月次政府財政収支
24:00 (米) 11月中古住宅販売件数

小栗上野介が駆け抜けた時代 57 幕末の貿易と外交、経済政策の見取り図(6)

万延元年(1860年)、国内の全市場を支配するための中核機構「国益会所」プランは勘定方の下で順調に発展しました。牽引したのは、老中の安藤信正と久世広周(ひろちか)です。2人が推進した政策論は公武合体です。つまり、公家(朝廷)の伝統的権威と武家(幕府)を結びつけて幕府権力の再強化を図ろうというものです。


幕府は1861年には、孝明天皇の妹の和宮を14代将軍家茂夫人として婚姻関係を結ぶことに成功します。孝明天皇はもともと鎖国を主張していた人物で、井伊直弼が独断で諸外国と通商条約を結んだことを不満に思っていました。外国人排除を唱える攘夷論を貫き、西洋医学の禁止を命じるなど保守的な考え方を示しました。その攘夷論者の孝明天皇と徳川家が親戚となることで、老中の安藤と久世は公武合体を推進したわけです。


皇妹和宮の降嫁による幕府の支出は莫大であったと想像できます。しかし、幕府は井伊政権時にこじれきった朝廷との関係を修復するため、金に糸目を付けない歓迎をしなければいけませんでした。この婚礼行列は総勢6000人という規模に膨れ上がり、これが中山道の全行程を旅したわけですから、旅費・飲食代だけでも莫大なものになります。


しかも勤王の志士による和宮奪回計画の噂があがり、幕府は沿道警備に計29藩の藩士を動員したといわれています。それに要した費用をすべて財政の疲弊している各藩に負担させるわけにはいかず、幕府が何らかの形で資金を諸藩に提供したのでしょう。火の車であった幕府の財政は、さらに圧迫されたはずです。


さて、老中の安藤信正と久世広周が主導した「国益会所」ですが、12月には会所頭取が任命され、翌文久2年2月に国益会所が正式に発足しました。5月からは実際の事務を取り始めたのです。しかし、7月になって会所そのものが廃止されます。その理由は、この構想の推進役であった安藤信正が「坂下門外の変」を機に失脚し、久世広周も公武合体の失敗を理由に罷免させられたからです。政権は一橋慶喜(将軍後見職)、松平慶永(政事総裁職)に交替していきます。


「坂下門外の変」とは、文久2年(1862年)1月15日、江戸城坂下門外で、老中安藤信正が、幕政改革を目指す水戸の尊皇攘夷派浪士ら6名に襲撃された事件です。井伊直弼から続く開国路線が尊攘派の反発を呼び、さらに安藤が推進した、朝幕関係の改善を目指す公武合体路線の具体策である皇妹和宮降嫁が、尊攘派の怒りを買っていたのです。水戸浪士の意図は討幕ではなく幕政改革で、安藤の命にも別状はありませんでしたが、幕府の要人が再度白昼に襲撃され、幕府の権威をさらに傷つけることになったため、安藤は同年4月に老中を罷免されます。

ところで水戸藩といえば徳川御三家のひとつ。幕府に近い藩がどうして尊皇攘夷の思想を抱いていたのかといえば、水戸藩・徳川光圀が開いた「水戸学」に天皇を尊ぶ尊王思想が記されており、水戸藩はこれに強く影響を受けていたからです。


安藤と久世の失脚後に政権を担当したのは、水戸徳川家出身で、同じく御三家の一橋家を継いだ一橋慶喜(将軍後見職)と、松平慶永(政事総裁職)です。2人はすでに実施に入っていた「国益会所」による全国的流通の把握をめざす政策を廃棄します。2人が実施した「文久の幕政改革」のうち、経済上の政策である全国市場の幕府による独占的支配という構想は大きく後退し、軍政改革に重点がおかれるようになります。


商業を全面的に国家がコントロールしようという考え方は、かつてのロシアや東欧圏諸国が押し進め、失敗に終わっています。しかし当時の日本では諸藩が財政危機を乗り切るために同様の施策を展開し、成功を収めていました。社会主義国の発想ですが、仮に流通の中央支配が成功していれば、幕府には莫大な利潤が確保できたことでしょう。安藤信正の失脚により、幕府は惜しまれるチャンスを逃したのかもしれません。


By Master K/益田 慶

ヨーロッパの財閥と企業グループ 38 欧州財閥の系譜  ロシア財閥 ユコス

ロシア最大の石油会社のオーナーで、一代で新興財閥にまでのぼりつめたホドルコフスキーの逮捕にまで発展した「ユコス事件」は、2003年6月、同社の保安責任者アレクセイ・ピチューギンが逮捕されたことで幕を開けました。彼の容疑は1998年に起きた2件の殺人事件と1件の殺人未遂でした。7月には、金融子会社メナテップの社長でもあったユコスの株主プラトン・レベジェフが検挙されました。1994年に肥料メーカーのアパチット・グループが民営化された際に様々な金融犯罪に関与し、ユコスに未納の税金を払わせようと奮闘した市長が1998年に殺害された事件の共犯となったことが容疑でした。


検察はさらに、当時のユコス社長ホドルコフスキー、イスラエルに逃亡していた副社長レオニード・ネヴズリンに出頭命令を出します。そして同年10月、ホドルコフスキーは投獄されたのです。組織的な横領、詐欺、脱税、文書偽造など、彼の容疑は7件に及ぶとされています。レベジェフとホドルコフスキーの2人は、これらの罪状について否認しましたが、2005年にモスクワ市裁判所はホドルコフスキーに禁固8年を言い渡しました。


検察は10月、ユコスグループの株式の44%、推定150億ドル相当の資産凍結を発表します。しかし、ホドルコフスキーは検察の動きを予見していたらしく、手元には9.5%の株式しかとどめておらず、残りはユコス・ユニヴァーサル社とハリー・エンタープライゼス社に名義変更されていたといいます。これら2社は、メナテップの姉妹会社であるメナテップ・ジブラルタルの傘下にあります。ユコスは検察に挑むかのように、20億ドルという記録的な利益配当を実施しました。その大半を受け取ったのはホドルコフスキー本人。もう一人の大口株主は、ロシア企業シブネフチの売却時にユコス株の26%を取得したロマン・アブラモビッチでした。ホドルコフスキー社長の下で、ユコスの株価は1998年から2003年の間に120倍に跳ね上がっていたといいますから、すぐれた経営手腕の持ち主だったのでしょう。


ユコス幹部の逮捕が実行されたのは、同社が歴史的な転機にさしかかっていたときでした。シブネフチとの合併が計画され、多国籍企業に大量の株式を売却するための交渉が進められていたのです。2003年10月初頭の時点では、世界最大の石油企業エクソンモービルが、ユコス株40%~50%を250億ドル前後で取得する交渉を行っていたといいます。ホドルコフスキーが3億ドルで手に入れたユコスの価値は、シブネフチと合併すれば300億ドルを超えると評価されていたのです。


ホドルコフスキーは「会社と従業員のためを思って」社長職を辞し、「市民社会」を推進するために2001年に設立した財団「開かれたロシア」の業務に専念すると発表しました。ユスコ社の後任社長はシモン・クケスです。彼はアメリカの市民権を取得した後、1996年にユコスの副社長として帰国、98年にはTNK(旧チュメニ石油)に移ってBP(旧ブリティッシュ・ペトロリアム)との投資交渉にあたり、ユコス社に戻ってきたところでした。同社の重役は、現在アメリカ国籍者が4人、ロシア国籍者が3人という構成となっています。

株式相場はホドルコフスキーの社長辞任で一時下がりはしましたが、クケスの社長任命を受けて回復し、投資家は安堵したようです。その後、BPはTNK買収計画を推し進め、石油・天然ガス会社BP-TNKを設立。また、ドイツ銀行は「ロシアはヨーロッパ最大かつ最重要の市場である」として、ある投資銀行に40%出資すると発表しました。

プーチン大統領は、ロシアの重要産業である石油ビジネスに外資が大量に入ることを排除はしていないものの、国家が大型取引や吸収・合併を監督することを望んでいるようです。


By Master K/益田 慶

江戸幕府の先鋭的な政策 9 江戸幕府の先鋭的な政策 水路・治水工事など公共事業

江戸は日本の城下町としては特殊な立地であった。家康が江戸に入ってきたときには、城の目の前まで入江が入り込んでいた。つまり、農業にも城下町を築くにも適さないウォーターフロントだったのである。


この土地に大名の屋敷を設けるには土地が小規模すぎたので湿地や海を埋立て、その土地に首都機能をもたせることになる。家康は、最初は城の近くに大名、旗本たちの武家屋敷を誘致し、日本橋から海へ向けての一帯を町屋にした。武家地は主に台地に、商人や職人の住む町人地は低地に向かって広がっていった。台地を通称「山の手」、低地を「下町」と呼んだ。余談だが、日比谷入江を埋め立てできあがった日本橋や京橋、銀座も「下町」ということになる。

では、埋め立て工事が必要な土地にわざわざ城を構えたのはなぜだろうか? それは水運を利用できるというメリットがあったからだ。江戸の川や堀は水路の役割を果たし、経済面・治水面で大きく役立ったのだ。


家康は、江戸に着いた月に江戸城本丸先と江戸湊を結ぶ船入り堀「道三堀」の建設に着手したという。江戸城建設のための資材を搬入するための水路である。トラックのない当時、城の建築に必要な巨大な石や木材は陸路では運べなかった。また、陸路より水上交通のほうが輸送量が大きく、コストは低いというメリットもあった。伊豆で切り出された石材や、駿河(現静岡県)、遠江(現静岡県)、三河(現愛知県)で伐採された木材は、外様大名が造った船に載せられ、そのまま城へ持ち込まれたのである。さらに小名木川を開削して、行徳の塩や船橋の野菜、米などの食料を確保するための水路を築いた。これは江戸城建設と城を核にしたインフラ整備といえよう。

当時の江戸は、低地ゆえに水害に弱く、雨期にでもなると、常に洪水になやまされていた。家康は、下町を水害から守るために、昔からの平川と小石川を日比谷入江には注がせずに、ひとつにまとめて東方に流れている隅田川に落とす工事に着手した。本流を切り放すことで洪水を防ぐ策である。治水工事は政治力がなければ到底できないものだ。家康の実行力はたいしたものである。


一方、下町では自然の河川をもとに堀をめぐらせ、物資の輸送に用いられた。魚河岸が日本橋に生まれたのは、日本橋が架橋された直後だ。徳川家に魚を提供するために摂津の国(現大阪府・兵庫県)から来た漁師たちは、家康から隅田川の河口の浅い場所を埋立て造成することを許された。彼らは魚群を追いこんで一網打尽にすれば漁法によって、徳川家に提供してもまだ余るほどの漁獲量を誇った。余った魚を人通りの多い日本橋通りで販売する許可を幕府からもらい、これが魚河岸の始まりとなる。当初は、それらの魚すべてが日本橋川を船で運ばれて河岸に荷揚げされ、売られたという。日本橋川とその支流の堀、各々の河岸は江戸湊の内港の役割を果たし、江戸の物流の中心となって江戸の経済を支え、発展していった。 


しかし埋立地には問題もあった。井戸を掘ると海水が湧き出るため飲料水を得るのが難しかったのだ。そこで家康は生活用水の不足を心配し、家臣の大久保藤五郎に上水道の建設を命じた。まず、小石川付近の流水を江戸城方面に引いて小石川を造らせた。これを発展させ、神田川の上に「水道」を渡らせたのが「神田上水」である。当時の水道は木製の水道管に真水を通したものだが、これが日本最初の水道事業である。井の頭池(現在の武蔵野市)を水源にし、小石川の関口で分水し、その後、湯島や神田の台地に沿って流れていたという。

その後、江戸の人口が急増したので新たな上水が必要となり、多摩川の水を取り入れ、現在の新宿まで堀として流し、そこから暗渠となって江戸城虎ノ門に達する「玉川上水」が完成する。玉川上水は江戸だけでなく、途中の村でも飲料水や農業用水に用いられた。

築城と治水と物流のために水路を開き、一方では飲用や農業用水の確保のために上水道を造った家康。江戸は彼の手腕によって住みやすい都市へと変わっていったのである。水路・治水工事、上水道工事など公共事業の実施は、政治家として見事な政策である。現代なら家康は「都市開発プロデューサー」といったところだろうか。


By Master K/益田 慶


Link

レアメタル辞典

東善寺 小栗上野介縁の寺

世界粗鋼生産企業ランキング

totofx

eurjpy

About 2007年12月

2007年12月にブログ「FX The Gate ~豊かなFXライフを送るための情報支援サイト~」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2007年11月です。

次のアーカイブは2008年01月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type