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小栗上野介が駆け抜けた時代 30 銀行設立と財閥の誕生 銀行設立と財閥

今週から小栗上野介が幕末に実行した金融政策がひとつのアイディアとなって銀行設立にまで発展する過程と、それと並行して財閥が誕生していく様子をつづっていきます。

上野介が勘定奉行を務めていた頃、のちに三井の中興の祖となる三野村利衛門が上野介の屋敷に出入りしていたことは以前紹介しましたが、上野介が両替商・三井組に百万両の御用金の内示をした際に三井の代理人として御用金免除を上野介に訴えたのが利衛門でした。知恵のまわる利衛門は、泣き落としではなく、ある構想を上野介に提案したのです。


それは江戸幕府が江戸町人に商品担保の市中貸出しを営むというものでした。現代風にいうならば「中小企業金融公庫」の設立です。その資金十万両を三井組が請け負うという構想です。上野介は開港によって登場した外国商館が商人に対して前貸し金融を営み、全国の生産地をコントロールしつつあることを苦々しく思っていたので、三井組がその金融業務を代行してくれることを好都合だと判断しました。商人への貸出しにあたっては、商品担保を設定するからリスクは少ないと見込んだのでしょう。

こうして上野介は新たな金融政策を実施したのです。「江戸市中荷物御引当御貸付金」というのが、この制度の名前です。上野介は三井組に「御貸付金」の取扱いを命じ、御用金を大幅に免除したのです。


インフレと外国商館に利益を吸収されていた江戸や横浜の商人は、この金融制度によって活力を取り戻したといわれています。市中の問屋が資金を得て活性化し、外国商館の生産地支配を防ぐのに役立ったようです。当時経済的に困窮していた三井組は新規事業の進出によって危機を脱し、江戸の経済は活況を帯びるという一石二鳥の政策でした。


「江戸市中荷物御引当御貸付金」を実施するために三井組は「三井御用所」を新設します。こうして三井組は両替商以外の事業に進出し、三野村利衛門は三井組に正式に採用され、「三井御用所」に勤務することになります。以降、上野介の財政政策を三野村利衛門が支え、三井組がその政策の中核を成すようになっていきます。


By Master K/益田 慶