小栗上野介が駆け抜けた時代 21 小栗上野介の事業と政策 郡県制度
上野介は幕府の役人としては、驚くほど革新的な政治を目指していたようです。民間商社が主体となる自由貿易の実現などは、日本の経済史を50年も前に先取りしたかのような驚くべき構想です。
さて、今回は上野介が建議書を提出したと言われている、幕藩体制に代わる「郡県制度」と幕府の新財源となった税制、鉱山開発などにふれましょう。
上野介は、機能していない幕藩体制を廃止し、郡県制に移行し、ゆくゆくは大統領制を敷くという大きな構想を持っていたようです。つまり、中央集権国家を築き、最終的には国のリーダーを投票によって選出するという方法です。これは南北戦争を戦ったアメリカの制度を学んでいたから浮かんだ発想でしょう。近代国家の統一に反対する長州藩は武力で統一し、幕府の手によって近代国家への脱皮を図るべきだというビジョンがあったのでしょう。
ちなみに廃藩置県が実施されたのは明治4年。中央集権を進めるために大きな障害になる大名領(藩)を廃止し、中央から府知事が派遣されます。上野介の構想とはやや異なる結果かもしれませんが、モチーフは上野介の「郡県制度」にあるようです。
上野介の進歩性はこれだけではありません。住宅税や営業税、消費税など現代から考えても驚くほど進歩的な税制を考案し、その調査に乗り出したのです。そのひとつが「酒類その他の嗜好品に課税し、富家より変則的所得税を徴収」するというものです。現在でいうなら、酒税、タバコ税、所得税です。これは幕府の新財源とも呼べるでしょう。また、同時に日本最初の政府による統一兌換紙幣(本位貨幣たる金貨や銀貨と交換ができる紙幣)を発行し、あえて外債を募ったのも彼の英断でした。
その一方で上野介は、幕府の行政改革にも着手しています。職制を改革し、人員を削減しながら、「役人俸給表」を作成して給与体系を合理化したのです。これを官僚的・権力的な改革とするか、近代的・合理的な改革とするかは判断が分かれるところですが、働きもしないのに高給をもらい続ける役人の数を少なくすることや、公務員の給与を見直す動きは、現在にも通じるところがあります。上野介からすれば、ほとんどの役人が給料分の働きをしていないように見えたのでしょう。
ともあれ、前述した改革は幕藩体制では実現できない、資本主義経済下での政策であることは確かです。
上野介が着手した事業の中でこれまで大きく扱われなかった鉱山開発についても紹介しておきましょう。上野介は1864年、中小坂(現群馬県)に溶鉱炉を建造する建議を提出しています。横須賀製鉄所の建議書提出と同じ年に、上野介は鉱山開発にも目を向けていたのです。
アメリカを視察した際に「町が鉄でできている。日本のそれは木でできている」ともらしたと言われています。日本の近代化には「鉄」が不可欠であることを痛感していたのでしょう。造船業だけでなく、製鉄業も近代国家には欠かせない要因のひとつです。
こうして江戸時代に鉄鉱石を原料とする近代的製鉄が行われた中小坂製鉄所は、良質な磁鉄鉱と周囲から得られる豊富な木炭を燃料として、明治期に入ると本格的な操業が行われました。経営を担ったのは、明治政府の財政問題を担当し、のちに第4第東京府知事となった由利公正でした。彼はイギリス人技師を雇って高炉、蒸気機関、熱風炉などを完成、スウェーデン人技師の技術指導で、トロッコによる水平移動により高炉炉頂へ運ぶ方式が取られたと記されています。
このように上野介が道を拓いた改革、事業は数え切れません。偉大なる業績、先見性、行動力は当時の幕臣では屈指です。もっと評価されてもよいと考えるのは、私だけではないでしょう。
次週からは、上野介が格闘した、江戸時代の貨幣制度のあらましをお送りします。
By Master K/益田 慶