小栗上野介が駆け抜けた時代 17 小栗上野介の事業と政策 近代的マネジメント導入
徳川幕府の大いなる遺産、横須賀製鉄所の経営に近代的なマネジメントの手法を導入した上野介。彼を「日本における近代マネジメントシステム導入の父」と呼ぶ経営学者もいるほどです。今週は上野介が横須賀製鉄所の経営にあたって実施したマネジメントに着目してみましょう。
上野介は、組織、職務分掌、雇用規則、残業手当、社内教育、簿記、流通機構の整備などの近代的マネジメントを取り入れました。これはアメリカで実地に見聞した経験に基づいたものをベースに造船所建設の協力国であるフランスのアドバイスもあり、実現できたものでしょう。
下記に上野介が横須賀製鉄所の運営のために導入、採用した経営手法を具体的に紹介します。
(1) ライン部門のほかにスタッフ部門を設け、「部長」「課長」などの名称を採用し、近代的な経営組織の原型となる命令系統を明確化。
(2) 江戸幕府の伝統的組織形態の「交替制」を一部廃止し、責任と権限の明確な区別を促す「専任制」の実現。
(3) 採用と作業のためのシステムを確立し、これを明文化、共通化し、徹底した。雇用システムでは、作業時間、休日制、昇進・昇給制度、臨時工制度を導入し確立。またユニフォームを制定した。
(4) 給与、賃金の制度を仕事の内容に応じて決定する「実力主義」「能力主義」を導入。具体的には奨励給システムを導入し、能力のある者は監督者、管理者に抜擢。
(5) 複式簿記による近代的な会計システムの採用。
(6) 売上げを原価と利潤に分解し、利益の意味を明確にした。
(7) 企業教育、経営教育の必要性を説き、そのための学校を設立した。日本最初の企業内教育を実践する工業高等教育機関「横須賀製鉄所学舎」の開設。同校では、技師生徒にはエンジニアリング、頭目生徒には図学などを教え、農村の青少年から「職工生徒」を募集、入学させた。
(8) 流通と価格政策の整備。石炭の流通機構が一部の組織に独占されていたため改善を提案。「石炭会所」を設立し、採掘地、船積地間の輸送費、船積み荷役料、海上運送費、石炭会所事務所費の合計5~10%の利益を加算して、合理的に価格を決定すべきと主張。
以上はおそらく“日本初”の経営マネジメントと呼んでもさしつかえないでしょう。
注目すべき点はいくつもあります。たとえば「原価(コスト)」という概念はそれまでの日本の経営にはなかったものです。イギリスの先駆的な製鉄、造船工場で原価計算が始まったのが1870年代とされているので、1860年代末に売上げを原価と利潤に分解し、利益の意味を明確にしたことは画期的な仕事といえるでしょう。
さらに興味深いのは、上野介が流通の再構築、価格政策の実施を促す際に、原価に利潤を加算する方法を提案していることです。のちに世界の商法の原則となる、原価に利潤を加算する「コスト・プラス・コントラクト」(原価加算契約)の導入は、極めて現代的な方法といえるでしょう。
斬新なのは能力主義、実力主義の採用です。横須賀製鉄所の雇用システムを見ると、日本的経営を紹介する際に用いられる「日本企業は歴史的に年功序列、終身雇用を特質としてきた」というキャッチフレーズが正しくないことがわかります。上野介自身がそうであったように、何度も職を解かれながらも実力で職位を奪い返していく、幕末から明治の日本人像は、戦後のサラリーマン像とは大きく異なります。社会制度や価値観が大きく変わった当時は、実力主義、能力主義が重んじられた時代であったようです。
横須賀製鉄所の運営を見る限り、労働稼働率はすこぶる高かったことでしょう。個人事業者がプロジェクトごとに参画する時代であったからこそ、奨励給システムや企業内教育制度が熟練工を確保するために必要な制度であったことがわかります。横須賀に出現した日本資本主義の最初の近代工場は、上野介の手腕によって新たな試みがなされた実践の場であったようです。
By Master K/益田 慶