ヨーロッパの財閥と企業グループ 16 ロスチャイルド家の興亡 ロンドン分家
第二次世界大戦後、ロスチャイルド家はパリとロンドンの二つの分家だけになっていました。王政廃止やナチス・ドイツの侵攻と消滅、社会主義国の建設などヨーロッパは大きな変動を迎え、ロスチャイルドだけでなく、欧州の財閥のほとんどは権力の交代や価値観の変化に対応できず没落していったのです。反対に影響力を拡大していたったのがアメリカでした。国力だけでなく、経済力もしかりです。アメリカの財閥が世界に台頭する時代がやってきます。
戦後に残ったのがロンドンとフランスの分家であったのは、戦勝国であったことも影響しているでしょう。見方を変えれば、初代マイヤーの息子たちがヨーロッパの五大都市に散ばったことが、結果として一族の血統と富の保全につながったのです。これを“リスクヘッジ”あるいは“分散型投資”と呼ぶには、やや無理がありますが、ファミリーの分散は有意義な選択であったといえるでしょう。
それでは、第二次世界大戦後のロスチャイルド財閥の活動に目を向けていきましょう。今回はロンドン分家にスポットを当てます。
ロンドンにある「ロスチャイルド親子銀行」は戦時中から組織の転換を模索していました。パリの「ロスチャイルド兄弟銀行」も同様ですが、ロスチャイルド家が経営する金融業は、内外の公債発行や売買、投機を行なうボーダレスな銀行でした。一般の預貯金を扱う銀行とは業態が異なっていたのです。また、その経営は伝統的にロスチャイルド家の男性がパートナーとして選ばれる、家族経営の形態だったのです。こういう形態の会社は、パートナーが亡くなったときの税金が高額になるのがデメリットです。税制が厳しくなると、家族経営の銀行は大きな痛手を受けるのです。
ロスチャイルド家は戦後、組織の近代化を図り、持ち株会社を設立し、銀行もその子会社として法人化しました。こうしてロスチャイルド財閥の新たなスタートが切られます。しかし、かつて世界に君臨したイギリスは戦後、経済的な衰退に向かいます。それには植民地支配を続けてきたインドの独立、スエズ運河のエジプト国有化などが大きく影響しています。さらにアメリカの有力銀行がイギリスに進出してきたのです。
ロスチャイルドはもともと国家に依存しないボーダレスな財閥です。と同時にビジネスに利用できるのであれば、政府を大いに利用します。また、ロスチャイルド親子銀行のパートナーは代々、イングランド銀行の理事を兼任するなど、政府の金融政策に深くかかわってきました。政府との太いパイプから生まれたのが、カナダのニューファウンドランド開発でした。この事業がロスチャイルド財閥の復活のきっかけとなります。
1952年、当時のイギリス首相チャーチルは資源開発の要請のあったカナダ・ニューファウンドランド自治州の首相にロスチャイルド親子銀行の頭取を紹介しました。これが縁で開発会社ブリティッシュ・ニューファウンドランドを設立。同社にはロスチャイルド親子銀行やロスチャイルド財閥グループの非鉄金属会社リオ・ティントなどが出資しました。同社は発電用ダムの開発、ウラニウムなどの地下資源開発、木材資源の利用など大規模開発を総合的に進めます。
ロスチャイルド家は、傘下の企業群の経営に財政面からかかわり続けます。これらが現在、ロスチャイルド財閥グループと呼ばれる系列会社です。たとえば化学分野ではイギリス最大の多国籍企業に成長した化学薬品メーカーICI(インペリアルケミカル)、石油化学分野ではロイヤル・ダッチ・シェル、前世紀から同家が深くかかわってきたダイヤモンド産業のデ・ビアス、兵器産業のヴィッカース、保険会社サン・アライアンス、紅茶のリプトンなどです。
ロンドン・ロスチャイルド家はさらに新たな事業を展開します。青年時代に二ューヨークのモルガン・スタンレー銀行で金融実務を学んだジェイコブ・ロスチャイルドが1963年、ロスチャイルド親子銀行に入行、新たな事業に進出していきます。
By Master K/益田 慶