FXライフ 15 ユーロの歴史と欧州の通貨 ポンドとユーロ
ユーロの歴史を語るうえでイギリスとの関係を避けて通ることはできない。イギリスは、ご存知のようにユーロ通貨統合には参加していない。世論調査では、英国民の3分の2はユーロ加盟に反対を示している。その理由として「現状でも経済成長率はEU内でNO.1」「女王様の印刷されたお札に愛着がある」「ユーロ導入国のドイツ、フランスの経済が低迷している中、今のポンドからユーロに移行する積極的な理由は見えない」といったものが大半を占める。見当違いのコメントもあるが、これはイギリスが島国で、ヨーロッパ諸国と適度な距離を保っているという地理的背景と、かつてイギリスが世界の覇者でポンドが基軸通貨であった歴史を背負っているからであろう。英国民のプライドの高さは世界屈指とされるのは、かつて世界最強の海軍を擁してアフリカやアジア諸国、アメリカを植民地とし、世界に先駆け産業革命に成功した国だからだろう。
女性として初めてイギリス保守党党首になり、首相に就任(在位1979~1990年)したマーガレット・サッチャーは、イギリス経済の復活と「小さな政府」の実現を公約とした。新自由主義の立場に基づき、サッチャーは80年代に電話会社、ガス会社、空港、航空会社、水道事業など国有企業の民営化や規制緩和、金融政策などを推し進めた。所得税、法人税は段階的に引き下げられた一方で、付加価値税(消費税)は8%から15%まで引き上げられた。
イングランド銀行が大幅な利上げを行ったためインフレは抑制できたが、失業数は倍増。失業率は1986年半ばまで減少することはなかった。その後、サッチャーはインフレを起こさない程度に金利の引き下げや財政支出の拡大などを通じて景気を刺激し、景気回復を図り、財政赤字を克服し、イギリス経済を立て直した。しかし、公的分野にも競争原理を導入したことや金持ちを優遇するような政策は弊害とされた。
イギリスが転機を迎えたのは、1992年秋に起こった、ポンドの為替レートが急落する「ポンド危機」であった。欧州共同体(EC)は、域内通貨の統合に向けて域内通貨間の為替レートを事実上固定する欧州通貨制度(EMS)と欧州為替相場メカニズム(ERM)を進めていた。ERMに参加していたイギリスは、ポンドとEC諸国との為替レートを一定の枠に収めなくてはならなかった。
一方、1990年の東西ドイツの統一以降、旧西ドイツ政府による旧東ドイツへの投資が増加し、欧州の金利は高水準にあった。高めの金利が欧州通貨の増加をもたらし、ポンドも次第に過大評価されていった。
そこに目をつけたのが、当時「クォンタム・ファンド」を率いていたジョージ・ソロスは、「過大評価されたポンドは、大幅な切り下げに追い込まれる」と予測した。ソロスはイギリス政府の為替介入に対抗し、イングランド銀行を相手に100億ドル相当のポンドを売りまくった。ポンドへ「空売り」を行い、安くなったところで買い戻したのである。ソロスは、「ポンド危機」によって10億~20億ドルの利益を得たと言われている。
当時、激しいポンド売りによって変動制限ライン(上下2.25%)を超え、イングランド銀行は公定歩合を10%から12%へ引き上げ、さらに15%まで引き上げた。それでも、ポンド売りは止まらず、イギリスはERMから脱退せざるを得なくなった。この結果、イギリス・ポンドは変動相場制へ移行し、1995年まで減価を続けた。イギリスは周知のとおり、現在もユーロを導入するには至っていない。
イギリス・ポンド(GBP)は、為替変動の幅の大きな通貨だ。通貨名は、大昔、1トロイポンド(イギリスの薬剤師や宝石商によって使用されていた質量の単位)の銀から硬貨が作られていたことに由来する。英国の2005年の実質GDP成長率は製造業の落ち込みが響いて1.8%と、92年以降で最低の伸びとなったが、2006年は2.8%までアップした。同年の物価上昇率は2.3% 、失業率は5.4%。日本から英国への直接投資額は37,595億円。これはオランダに次いで二位である。ともあれ、英国はアメリカ、欧州、ロシアにとっても常に意識せざるを得ない大国であることは事実である。
By Master K/益田 慶