FXライフ 9 ユーロの歴史と欧州の通貨 統一通貨「ユーロ」の歴史

先週のコラムで、米国のイラク攻撃による「ドル暴落」も「原油高騰を引き金とする景気の後退」も起きなかったことを伝えたが、書店に行けば「ドルが暴落して世界経済が混乱する」と説く書物がいっぱい並んでいる。ある本によれば、ドル暴落の最大の要因は、経済的な要因というよりは世界各地で日々生起するであろう政治的・社会的諸事件であり、それが呼び起こす人々の不安な心理であると綴られている。


しかし、どの説を拾ってみても、基軸通貨のドルに対しての論議ばかりで、超大国アメリカに匹敵する欧州連合が扱う「ユーロ」との関係から論を進めるものは少ない。現在のヨーロッパ連合(EU)の経済規模は日本の倍以上で、アメリカとほぼ肩を並べる巨大市場となっている。エネルギー政策で勢いを取り戻したロシアが原油取引と外貨準備の両方でユーロを中心に据えていることを鑑みると、 いよいよ「二つの基軸通貨」の時代が到来したといえよう。


統一通貨「ユーロ」の歴史は、第二次世界大戦後の欧州再編の歴史、つまり東西の冷戦から自由化への変遷の歴史と重なる。第二次次世界大戦の損害は、ヨーロッパにきわめて大きな爪痕を残した。反対に戦場にならなかったアメリカは超大国への道を歩みはじめ、世界の基軸通貨が「ドル」になる。


第二次世界停戦後、大英帝国の凋落を予見していたであろうイギリスの政治家ウィンストン・チャーチルは1946年、欧州の平和と発展を促す「United States of Europe」(ヨーロッパ合衆国、ヨーロッパ連邦)を提唱した。これはアメリカ合衆国をイメージしたものであった。やがて1949年にヨーロッパ諸国で構成される国際機関「欧州評議会」が創設。直後の1950年、フランス外相ロベール・シューマンがヨーロッパの石炭・鉄鋼産業の統合を図る共同体を提唱。これを受けて、フランス、イタリア、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)、そして西ドイツがパリ条約に調印し、1952年、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設置を決定した。これにより第一次的機関である「最高機関」(現在の欧州委員会)と「共同総会」(現在の欧州議会)が誕生した。


やがて6か国の首脳は経済分野での統合に焦点をあてることにし、1957年に欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体の設置を定めたローマ条約に調印した。新たに設置された二つの共同体(欧州経済共同体、欧州原子力共同体)は欧州石炭鉄鋼共同体とは分離されていた。欧州原子力共同体は、原子力エネルギー分野での統合を進める一方で、欧州経済共同体は加盟国間での関税同盟として発展していった。


1960年代、フランスでは共同体の超国家的権限に対して制限を設けるべきとの機運が高まり、またイギリスの加盟を拒む態度が見受けられた。しかし、1965年には3共同体をひとつの機関の下で統合することで合意に至り、ブリュッセル条約が調印される。こうして1967年7月、欧州共同体(EC)が発足した。イギリスは参加しなかったが、こうしてEUの基盤が固まっていったのである。統一通貨「ユーロ」が登場するのはまだ先のことである。


さて、中央ヨーロッパにあってユーロ以外の通貨を使っている国がいくつかある。ドイツとソ連の影響を受け、翻弄されてきたポーランドは2004年にEUに加盟したが、通貨は「ズウォティ」を使っている。日本では「ズオチ」「ズロチ」とも呼ばれている。近年は外国資本の流入、好調な輸出や個人消費などを背景に安定した成長を続けている。2006年の経済成長率は5.2%と決して悪くないが、失業率は20%に近い。同国への直接投資は、アメリカ、ドイツ、日本の順。なおポーランドへの直接投資の窓口は、このポーランド情報外国投資庁に一本化されている。


By Master K/益田 慶