ヨーロッパの財閥と企業グループ8 ロスチャイルド家の興亡 ヘッジファンド
ロスチャイルド一族の金融ビジネスにおける先見性は、19世紀初頭に「ヘッジファンド」を実践していたことです。欧州を制覇しようとしたナポレオンがイギリス軍に大敗した際に、敗戦国フランスがイギリスとその同盟国に支払う賠償金の総額は7億フランでした。この支払いを公債として引き受けたのが、フランス・ロスチャイルド商会代表、ロスチャイルド兄弟の末弟のジェームズ・ロスチャイルドです。 前回紹介したように、ジェームズは、この公債を売却して得た金を投資家の貸し付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだといわれています。
1820年代に入ると、ほとんどの大国の大蔵大臣がロスチャイルド5兄弟に買収され、公債を発行して国の借金をつくり、その2倍近い金額をロスチャイルド商会に支払うという取引が行なわれたと言われています。ヨーロッパの主導権を握ろうとして激しくしのぎを削るイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアの5カ国の対立構造を上手に利用し、プラスとマイナスの両者に投資し、結果としてトータルでプラスを生み出す「ヘッジファンド」の手法は、ロスチャイルド一族が編み出したと言っても過言ではないでしょう。
余談ですが、ヘッジファンドの大物、ジョージ・ソロスの能力を見抜いて、「ロンドン・スクール・オブ・エコノミック」に送り、経済の基本を教え、卒業するとロンドンの銀行で実務を教え込んだのが、ロスチャイルド・ファミリーであったことは有名な逸話です。ソロスは英国王室と親しく、エリザベス女王の資産運用を手伝ってきましたが、これはロスチャイルド家の紹介がなければ不可能でしょう。
さて、時計を19世紀に戻しましょう。金融ビジネスで才能を発揮したパリのジェームズは、一方で“鉄道王”と呼ばれました。フランスの8大鉄道で12の重役のポストを占め、のちにパリ分家の資産になります。
ロスチャイルド一族の資本が巨大化したのは、この時代です。1815年当時、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリアのロスチャイルド商会の総資産は333万フランでした。3年後には4200万フランとなり、10年後には1億1840万フランまでふくれあがったと言われています。当時、パリのラフィット銀行の総資産が700万フラン、ナポレオンが設立した発券銀行であるフランス銀行の総資産が6000万フランとされた時代ですから、ロスチャイルド一族の資産がいかに大きかったかがおわかりいただけるかと思います。
しかし、この5兄弟が競うように活躍した時代も終焉を迎えます。1836年、天文学的な財を築いたロンドンのネイサンが58歳で他界します。翌年、ロスチャイルド一族はアメリカの代表者としてオーガスト・ベルモントを派遣します。
ロスチャイルド商会の米国における初期の3つの代理会社は、J・P・モルガン商会、クーン・ローブ商会、そしてオーガスト・ベルモントでした。オーガストは黒船で浦和に来航したペリー提督の娘と結婚。その後、アメリカ社会に入り込み、広大な利権を広げ、オーガスト・ベルモントはアメリカで大富豪になります。
やがてロスチャイルド5兄弟は、3代目に代替わりします。本家であるフランクフルトの長男アムシェル、ウィーン分家の二男サロモン、ナポリ分家の四男カールが1855年に相次いで亡くなります。そしてパリの五男“鉄道王”ジェームズが1868年に他界し、ヨーロッパに放たれた「5本の矢」は次代へと受け継がれていきます。息子に恵まれなかったフランクフルトの本家は、ナポリのカールの長男が経営を引き継ぎました。
3代目の時代、再びヨーロッパ史に残るエピソードが誕生します。ロンドン分家ネイサンの息子ライオネルが、イギリスの国運のかかった重要な局面に登場します。それが「スエズ運河株買収」です。イギリス政府が担保となってスエズ運河の最大の株主になるまでの逸話は次号で詳しく紹介します。
By Master K/益田 慶