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ヨーロッパの財閥と企業グループ7 ロスチャイルド家の興亡 N・M・ロスチャイルド&サンズ

1815年当時、「イギリス軍が敗北し、再びナポレオンが進軍してくる」と、偽りの情報を英国の大衆に吹聴し、英国ポンドを二束三文の価値しか持たなくしたロスチャイルド家。一方で国債をはじめ、株券、証券、不動産を手当たり次第に買いまくり、やがてイギリス軍が勝利したことが英国じゅうに伝わり、ポンドの価値が平常に戻った時点で天文学的数字の財産を築きあげたネイサン・ロスチャイルド。彼がロンドンで設立した投資銀行が「N・M・ロスチャイルド&サンズ」です。日本語でいえば「ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとその息子たち」という社名です。


その後、ロスチャイルド家は、自らの富の中から「戦争復興のために」と称して1818年、プロシアに500万ポンドを融資し、債権を発行させます。また英国に対しても1800万ポンドを融資し、1825~1826年にかけて英国銀行へ十分な貨幣を供給しました。ロンドン証券取引所を事実上支配したネイサン・ロスチャイルドが、英国銀行の支配権を獲得したことは言うまでもありません。蛇足ですが、現在の「イングランド銀行」の理事にレオポルド・ロスチャイルド(N・M・ロスチャイルド&サンズ)、の名前が載っています。もちろんネイサンの子孫です。


のちにロスチャイルド家は、金(ゴールド)を紙幣発行の唯一の基盤とする「金本位制」を主張します。これは別の章で詳しく記しますが、「金本位制」は、ロスチャイルド家がファミリーの利益を拡大する目的とともにアメリカ合衆国にも大きな影響を及ぼす方策でした。それ以前にもロスチャイルド家がアメリカ独立戦争に深くかかわっていたことも、いずれの章かで説明します。さらにさらに、並行して連載中の「小栗上野介が駆け抜けた時代」(毎週木曜配信)にのちほど登場する、長崎グラバー邸の持ち主グラバーの背後に、ロスチャイルド家がついていたことも紹介していきます。


その前に他の兄弟の活躍にもふれましょう。1812年にパリに定住した末弟のジェームズ・ロスチャイルドもまたネイサン同様、金融ビジネスの才覚を発揮していきます。敗戦国フランスがイギリスに支払う賠償金の総額は7億フランでした。1817~1818年、この支払いを公債として引き受けたジェームズは、売却して得た金を投資家の貸し付けに流用しながら、年間50%の利息を稼いだといわれています。構造は現在の「ヘッジファンド」と同じです。


フランクフルトの本店を守る長男アムシェル、オーストリア・ウィーンに本拠地を置く二男のソロモン、ロンドンで大銀行家になった三男ネイサン、ナポリに移り住んだ四男カール、パリのジェームズ。19世紀前半に、この五極体制を構築したことは革命的でした。たとえばナポリのカールは、ナポリ国王の公債を発行するにあたり、ヨーロッパのどの主要国の通貨にでも換金できるようにしました。これはヨーロッパ全土に支店があったからこそ可能であった、金融経済史上初めての試みでした。


ロスチャイルド家が国際金融グループとして君臨していくこの時代は、産業革命がフランス、ドイツにも及んだ時代です。ロスチャイルド兄弟は、新しい産業にもどんどん投資していきます。
1814年にイギリスのスティーヴンソンによって発明された蒸気機関車が、1830年にマンチェスター-リヴァプール間を走りました。鉄道のスタートです。ロスチャイルド兄弟は、ヨーロッパの新たな機関産業である鉄道事業に融資します。


イギリスで鉄道事業がスタートすると、ネイサンは他の兄弟にそれぞれの国で鉄道建設の利権を確保して融資をするよう促します。いち早く実行したのは、オーストリアのサロモンでした。1835年、政府から鉄道事業免許を取り付け、ウィーン-ボヘミアン間に鉄道が開通しました。これがヨーロッパ大陸初の鉄道となったのです。一方、パリのジェームズは、パリ―サンジェルマン間、パリ―ヴェルサイユ間の鉄道を完成させ、フランスでは“鉄道王”と呼ばれるようになります。


By Master K/益田 慶