小栗上野介が駆け抜けた時代 6 日米間初の為替レート交渉
今回は小栗忠順の「万延元年の為替レート交渉」を詳しく紹介します。これが日米間の史上最初の為替レート交渉です。幕府はアメリカの初代総領事ハリスをはじめ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスの各総領事とも「同種同量の貨幣の交換」という条文を交わしていました。小栗はこのような不法行為はいつの日にか正すべきであると考えていたのでしょう。
サンフランシスコに到着した遣米使節団は大歓迎を受けました。市主催の歓迎式典に出席し、街を見物します。一行はその後、パナマ~カリブ海を北上~首都ワシントンというルートで進みました。ワシントンではホワイトハウスで大統領ブキャナンと批准書の交換を行いました。そして小栗は正使・新見正興とともに合衆国造幣局を訪れました。アメリカの金貨と日本の小判における金の含有量を調べ、交換比率を決めようとしたのです。
会議が開始されると、小栗は象牙でつくられた「天秤ばかり」を、従者の一人にはソロバンを持たせて臨みました。当時のアメリカの新聞は次のように記しています。
「それを見て、われわれはショックを受けた。アメリカでは鉄で出来ている部分が、日本製では象牙でつくられている。約1フィートの長さにわたって精緻な目盛りが刻まれ、皿とおもりがついている。実験してみると、一分の狂いもない精密さを維持していた」
またソロバンの便利さにも驚きを表わしています。
「日本の高級役人の一人は計算器を持っていた。五つずつ木のボタンが十五列並んでいる。そのボタンをあちこちに滑らせると、恐るべきスピードで計算ができてしまう」
チョンマゲを結った異国の人々の科学的な合理性を見直したのでしょう。
「さらに驚いたことに、日本の重量の単位は十進法だった。日本人のほうが、アメリカ人よりも合理的なのである」とも記しています。
小栗が主張したのは、「これまでのような目方だけで行うのではなく、金の含有量の多少によって正確に定めるべきである」というものです。アメリカ側もこれを当然な意見として聞き入れ、両国代表の立会いのもとで、アメリカ金貨と日本の小判における金の含有量の測定を行ったのでした。
再び当時のアメリカの新聞から引用します。
「日本使節団のメンバーが、通貨交換比率、為替レート問題のような、微妙でかつ難解なテーマについて、それを理解するに十分な知性と明敏さを持っていたことに、われわれは心から驚き、そして日本人に対して格別に好意的な印象を抱くようになった。この中で日本人最高の人物は、監査官オグロ・ブンゴ・ノカミであった。デュポン大使はオグロのことを“法務長官”と呼んで、特別に尊敬の意を示した」
小栗が「オグロ」と呼ばれていることはさておいて、実に堂々とした交渉の態度であったようです。
そして実験の結果、日本の小判のほうがアメリカ金貨よりも、かなりの多めに金を含有していることが判明しました。
しかしこれで交渉が終わったわけではあません。小栗は持論を説明します。
「日本の小判にもアメリカの金貨にも金以外の金属が含まれている。日本では銀を多く含有させているが、ドル金貨はどうなっているのか? これからの含有量も分析しなければ正しい交換比率の決定はできない。あなたの国のハリス総領事は、江戸で間違った交換比率を要求し、日本政府がそれを受け入れたために、通商貿易とは別に交換レートによって日本の経済は大きな損害を被っている。今回の合同実験で交換レートを正確に定める必要がある」
小栗は自信を持っていました。訪米前にアメリカの金貨には銀がほとんど含有されていないことを調査していたのです。突然の申し出にアメリカ側は「金の含有量を調べるだけで十分ではないか」「技術的に難しい」として小栗の提案を一度は拒否します。
By Master K/益田 慶