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FXライフ 5 ドルの歴史と世界のドル 変動相場制

第二次世界大戦後のUSドルの歴史は、変動相場制の歴史でもある。1971年に決定したスミソニアン体制下において、ドルの切り下げと為替変動額の拡大(上下各1%から上下各2.25%)が行われたが、米国の国際収支の悪化は続き、1972年6月に英国がこの体制を放棄し、変動相場制に移行すると、1973年3月までには主要国はすべて変動相場制に移行した。

1976年1月、ジャマイカのキングストンでIMFの暫定委員会が開かれ、変動相場制の正式承認を含む、IMFの第2次協定改正が決定。ここで金の廃貨が決まった。この制度は1978年4月1日に発効となり、決定された決め事は「キングストン合意」と呼ばれている。ここに現在まで続く国際通貨体制が確立されたのである。

1977年にはIMF理事会で、中央銀行の為替政策のガイドラインが決定。「加盟国は不公正な競争上の優位を守るために為替相場を操作しないこと」「輸出を伸ばすために意図的に為替相場を操作(為替介入)してはいけないこと」「介入は短期的に乱高下し秩序が保てないときのみ認められること」といった約束事が示された。

1978年当時のアメリカは貿易収支の大幅な赤字によって経常収支が赤字に転落し、インフレが加速していた。このアメリカのファンダメンタルの悪化を背景に、米ドルは主要通貨に対して急落した。半年で55円のドル安円高である。

そこで、当時のカーター米大統領は、日本、当時の西ドイツ、スイスの中央銀行とのスワップ枠拡大等による「為替市場への協調介入の強化」、「300億ドルの介入資金調達」、「公定歩合の引上げ(8.5%→9.5%)」、「預金準備率の引き上げ」などからなるドル防衛総合対策を発表した。

次の大きな節目は、1985年の「プラザ合意」によるドル高是正である。レーガン大統領の時代のアメリカは、財政赤字と貿易赤字(双子の赤字)が構造的に定着し、第一次世界大戦後初めて純債務国へと転落した。そこでドル安によって米国の輸出競争力を高め、貿易赤字を減らすことを主目的として、1985年9月、過度なドル高の対策を課題に掲げ、アメリカの呼びかけでニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国(日・米・英・独・仏=G5)の大蔵大臣(米国は財務長官)と中央銀行総裁が集まり、会議が開催された。この会議で決められたのは以下の内容である。

●為替レートの調整によって対外不均衡の是正が可能であり、また有効である。
●為替レートは各国のファンダメンタルを反映すべきである。
●為替レートの調整は主要通貨の対ドルレートの上昇によって行なわれ、各国が直ちに介入によってこれを実現する。

さて、ドルと呼ばれる通貨の中で、紙幣に多くの外国人が印刷されているのが、カナダ・ドル(CAD)だ。5カナダドル札の肖像画ウィルフレッド・ローリエはフランス系カナダ人。10カナダドルに印刷されている肖像画ジョン・A・マクドナルドは、スコットランド生まれで、カナダに移住後に首相を務めた人物。20カナダ・ドルの肖像画は、英国エリザベス2世女王だ。これらの紙幣は、カナダの歴史を物語っている。

かつてフランス領であったカナダは、1759年に結ばれたパリ条約によって、全植民地が100年以上に渡って英国の支配下に置かれた。1867年、4州の統合でカナダ自治領が成立し、時を経て1982年カナダ自主憲法が成立。イギリスへの法的従属性を解消。カナダの女王でもあるエリザベス女王は「君臨すれども統治せず」の姿勢で、その権限をカナダ総督に委任している。カナダはG7(先進7ヵ国蔵相会議)の一員で、カナダ・ドルはG7通貨のひとつ。

カナダ・ドルは長期下落傾向にあったが(70年代:1 CAD=1米ドル、2002年:1 CAD=0.6368米ドル)、2003年に入ってから対米ドル高傾向(2004年同0.7683米ドル、2005年同0.8253米ドル、2006年同0.8818米ドル)にある。2007年5月平均の為替レートは1 CAD=0.9133米ドルであり、対米ドル高傾向は続いている。


By Master K/益田 慶